俺ガイル短編集   作:さくたろう

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社畜となった俺と彼女が歩む道のり。

 三崎さんの家を訪ねた後、真っ直ぐ家に帰った俺はベッドに倒れこむ。

 一丁前に上司相手に助けると宣言すると、言われた三崎さんは頬を染めてゆっくりと頷いた。……その顔が脳裏に焼きついて離れない。

 元々同じようなことを言うつもりではあったが、大声を出したあと勢いに任せて放った言葉を思い出しながら枕に顔を埋めた。我ながらあんな言葉を言い放つなんて予想外だ。時間が経つにつれ鮮明に蘇る記憶が胸の底から羞恥心を湧きあがらせる。

 

「…………シャワー浴びるか」

 

 一度頭を切り替えようとシャワーを浴びようとすると、携帯が鳴った。

 着信画面を見ると雪ノ下さんからのようだ。このタイミングでかけてきたということは……。想像したくはないがそういうことなのだろうと予想してしまう。最悪の展開を頭に入れて通話ボタンを押すとご機嫌な声で『ひゃっはろー!』と挨拶された。いや、ひゃっはろーが挨拶っていうのはどうなんだ? それもアラサーが……。

 

「……どうも」

 

『あ、比企谷君、今失礼なこと考えてたでしょ?』

 

 なんで電話口から俺の思考読み取られているんですかね。何? 最近のスマホは話し相手の思考まで読めたりしちゃうの? でも俺のは雪ノ下さんの思考読めないんだけど、これって不良品ですかね。

 

「いえ、何も思ってませんから」

 

『ふーん、まあいいんだけどさ。それで、今日美沙の家に行ったんだってー?』

 

 情報が早い! というか雪ノ下さんにだけは言わないでくださいよ、三崎さん……。

 

『で、なんだっけ。俺は、あなたを……助けて、みせます、だっけ? 随分と、かっこいいこと、言った、みたいだね……』

 

 なんであんたがそこまで知ってんの!? しかもそんなに必死に笑いを堪えるように言われたら更に恥ずかしいんですけど……。

 

『……あっははははははっ! ひ、ひぃ~、あー。だめだお腹痛い』

 

「勘弁してくださいよ……」

 

 笑いこらえてたなら最後までそれ貫いてくれませんかね……。何こらえきれず爆笑し始めてるんすか。

 

『いやいや、ごめんねー。あんまり君っぽくなかったから、ついね』

 

「だからって笑いすぎじゃないですかね」

 

『でもね、美沙喜んでたよー。気合入れて月曜日から会社行くみたい。まあ、解決策の方も浮かんだみたいだし、あとは頑張ってね』

 

 その言葉にどう返そうか考えていると、それを待たずに雪ノ下さんは通話を切った。

 

「…………」

 

 先ほどまで、倒れ込んでいたベッドに再びダイブする。

 あの人が知ったということは他の奴らにも漏れる可能性が高い……。

 なぜあんな恥ずかしいことを言ってしまったんだ、俺は。

 うああああ! 死にたい! 死にたいよおおお! 月曜日会社行きたくないよおおおお! 馬鹿じゃねーの! 馬鹿じゃねーの! バーカ! バーカ! うおおおおおおおん!

 心中で叫び、低い唸り声を上げながらベッドでごろごろしてしまう。

 しばらくの間のたうち回っていると、再び携帯が鳴ったので一度我に返り着信画面に目をやると、一色と表示されている。

 

「……どうかしたのか?」

 

 とりあえず通話を取り話しかける。一色も暇じゃないだろうし、この時間にわざわざ電話をしてくるということは何か用事でもあるのだろう。

 

『別にどうもしないですよ?』

 

 あれ? もしかしてこの子ただ単に暇なだけだったのん?

 

「いや、それなら別にいいんだけどさ……」

 

『はぁ……、先輩、そんなんじゃ三崎さんに嫌われちゃいますよ?』

 

 いや、なんでここであの人の名前がでてくるわけ? 関係ないよね?

 

『私が電話したのはですねー、お二人がどうなったのか気になりまして!』

 

 ……ああ、そういうことか。確かにこいつにはあまり話してなかったし、気になるのは当然か。

 

「問題ないぞ。お前の作ったシュークリーム絶賛してたわ」

 

『そういうことじゃないんですけどね……』

 

 俺の言葉の後に電話口からぼそっと一色が何かを呟いたが、小さな声だったので上手く聞き取れなかった。

 

「なんだって?」

 

『あ、い、いえ……喜んでもらえたみたいで良かったです! で、その後はどうなったんですか!?』

 

 え? 何その後って。またあの黒歴史になりそうな話しなくちゃいけないの? いや、まあ全部を話す必要はないよな。というか無理、また悶えちゃう。

 

「特になんもねえよ。助けるってこと伝えて帰ってきただけだ」

 

『なんですか、それー。つまんないですね』

 

 どうやら一色は俺の回答にご不満なようだ。まあ、どういうふうに伝えたのか全部言ったらそれはそれで思いっきり食いついてきそうだし、こんくらいがちょうどいいだろ。

 

『まあ、わかりました。じゃあ、また今度集まるときにはちゃんと結果教えてくださいね』

 

「おう、さんきゅーな」

 

 たぶん、こいつなりに俺にエールを送るために電話してきたのだろう。一色に礼を言うと『いえいえ』と優しい口調でそう言って通話を終えた。

 多少気が紛れたところで先ほど浴びれなかったシャワーを浴び、計画のプランをパソコンに打ち込みながら確認していく。この計画を実行するにあたって大事なのは、準備段階でどれだけ証拠を集められるかにかかっている。まあ、それさえクリアしてしまえば残りは簡単だ。問題があるとすればその後の俺の立場くらいか……。

 

「…………自己犠牲か」

 

 雪ノ下たちとの話し合いでは一応この解決策は了承された。一応というのは、今回行う解決策が成功したとしても、何らかの形で俺に罰が与えられる可能性が高いのでそれを危惧していたからだ。と言っても現状これ以上の解決策がないし、確定で俺が被害を受けるわけでもない。それに昔と今じゃ違う……。俺はどんなことが起きようとあの人を助けたいと思ったから、あの時とは一緒じゃない……。

 時計を見ると0時とだいぶ遅くまで集中していたらしい。

 切りのいいところで作業をやめて布団に入ることにした。

 それにしても……。

 

 明日、三崎さんに会いたくないよなぁ……。

 

 

 

 *   *   *   *

 

 

 次の日、いつも通り出勤すると三崎さんが既に出社していた。

 この前のような綺麗な格好ではなく、前のように皺の寄ったスーツに眼鏡で後ろを軽く止めた髪型。綺麗にすれば会社での立場も少しは変わる気がするが、本人はそういうのは望んではないんだろう。それに、あの姿を知っているのが会社で自分だけというのは、少し得した気分ではある。

 三崎さんが俺に気づき、ぱたぱたと駆け寄ってくる。この前見たよりも表情は明るくなっていて、どうやら体調は問題なさそうだ。ただそんな嬉しそうな表情をしながら近寄られると、俺の心臓によろしくない。

 

「おはよう、比企谷君」

 

「おはようございます、主任」

 

 微笑みながら挨拶してくる三崎さんの笑顔は朝が弱い俺にとっては眩しすぎるものだった。……というか三崎さん、距離近くないですか? あれれ? こんな距離感だったっけ?

 

「どうかした?」

 

「いえ、あの、なんというか距離が近いかなと思いましゅて」

 

 はい、噛んだー。何やってんの俺。こんなんじゃ動揺してるのバレるよね? 馬鹿なの? 死ぬの?

 

「あ……、ご、ごめんね……。一昨日、比企谷君に言われたこと凄く嬉しくて……、顔見たら思わず駆け寄っちゃってた」

 

 え、何? この可愛い女性。こんなの俺の知ってる三崎さんじゃないんだけど? 

 少し顔を赤らめながら髪をくしくしと掻く姿が妙に可愛らしく、不覚にも見惚れてしまい、これから行う計画に支障が起きてしまいそうだった。 

 

「い、いや、謝る必要はないんで……、それじゃ俺も仕事始めますね」

 

「う、うん」

 

 そのまま席に着いて仕事を始めると、今日も周りの同僚は、退社後の話をしながらだらだらと手を動かしている。

 いつもならそのやる気のなさと話題に虫唾が走るのだが、今回は我慢してその中に混ざりに行く。ていうかあれだな、自分から話に混ざるなんぞ人生で数える程しかなかった俺にとって、この行為は本当に『らしく』ない。

 

「な、なあ、俺もその飲み会行ってもいいか?」

 

 俺の声に同僚たちは一瞬会話が止まる。訝しげにこちらを伺い、少しの間のあと口を開いた。

 

「なに、比企谷。お前から食いついてくるなんて珍しいじゃん」

 

「まあ、たまにはな」

 

「ふーん、まあいいんじゃね? つうか今日は課長主催の飲みだから課長に聞いてこいよ」

 

 なるほど、課長主催か。それなら俺にとっても好都合だ。

 

「わかった、さんきゅーな」

 

 参加することを伝えに行こうとすると、ちょうど三崎さんと課長が話をしていた。何を話しているか気になり、少し離れたところで立ち聞きすることにした。

 

「三崎君、君のせいで仕事が大幅に遅れてるんだよ? わかってる? そもそも君の体調管理がなってないせいなんだから、復帰したからには一人でなんとかしてくれるんだろうね? それくらい社会人なら当然だよね?」

 

 相変わらず嫌味しか言わねえのな。誰のせいで三崎さんが身体を壊したと思ってんだ。

 課長の言葉に「すみませんでした」と一言謝罪をする三崎さん。それと同時に再び課長が話し始める。

 

「そもそもね、胃腸炎だっけ? 私から言わせれば気合が足りないんだよ、気合が。私が若い頃は熱が39度あっても仕事したもんだ。最近の若者は本当に根性がないから困るねえ……」

 

 健康なくせに仕事もろくにしないあんたがそれを言うのか?

 

「ああ、それとね、来週の年末会議で私のプレゼンがあるんだが、それを君、やっといてくれ」

 

 おい、流石にそれは自分でやれよ。

 

「私も何かと忙しい身でねえ。今日も夜は大事な用があるから中々手をつけられないんだよ。君は随分休んで体力も有り余ってるだろ? 頼んだよ。ああ忙しい、忙しい……」

 

 テレビや小説やらで憎たらしい上司は見たことあるが、それはあくまで架空の存在だと思っていた時期が俺にもありました。実際に目の当たりにするとこうも胸糞悪いもんなんだな……。大事な用ってあれだよな? 今日の部下たちとの飲みだろ? 本当にふざけてる。

 だがここでそんなことを思っていても仕方ない。課長は三崎さんに仕事を押し付けると、そそくさと離れていったので追いかける。

 あんな場面を見せられたら、三崎さんの手伝いをしたくなるが、それでは今日は助けられても根本的な解決にはならない。俺は一時の助けになりたいわけじゃないんだ。

 

「課長、すみません」

 

「なんだい、比企谷君」

 

「今夜のことなんですが」

 

「……それがどうしたんだね? 悪いが私は今夜は忙しいのだよ」

 

 どうやら俺が今日の飲み会にケチをつけるとでも思ったのか、課長は少し警戒心を抱いているように見える。

 

「その件なんですが、同僚に聞いてぜひ俺も参加したいと思いまして」

 

 そう言うと、表情が軽くなり俺の肩を叩いてくる。

 

「なんだ、そうか来たいのか。いいぞいいぞ。君も誰の下につくのが正しいかやっと理解してきたようだねえ」

 

 誰の下とかなんかのドラマの見過ぎじゃないですかね? そもそも課長が主任に対抗意識燃やしてるのってどうなんだ。

 

「は、はあ。それでどうしたらいいですかね?」

 

「そうだな、定時に上がったら19時に駅前に集まることになっている。今夜は私の奢りでキャバクラに連れて行ってあげるからね。君も遅れないようにしたまえ」

 

「わかりました」

 

 返事をすると、ご機嫌な表情を浮かべながら課長は自分の席に戻っていった。

 とりあえずこれで証拠確保はなんとかなりそうだ。酒を飲むなら口も軽くなりやすいだろうしな。あとはあれを用意しておけば問題ないだろ。

 今のところ計画が順調に進んでいることに安堵しながら自分の席に着く。

 

「どうだった?」

 

「ん、オーケーだそうだ。しかし、課長が奢るって言ったが、えらく太っ腹だな」

 

「まあ、実際課長が自分の金を出すんじゃないからな」

 

 ちょっと待て、それはどういう意味だ?

 

「じゃあ誰の金なんだ?」

 

「会社の経費じゃねーの? まぁそのへんはよく知らねーけどさ、疲れた身体を癒すって目的なんだし、別に悪いことじゃないだろ?」

 

 いや、どこが悪いことじゃねえんだよ。バレたら大事じゃねえか。

 しかし、良いこと聞いたかもしれないな。これで証拠を掴めれば、一気に今の状況を変えることができるはずだ。

 

「そうだな」

 

 同僚の言葉に軽く返事をしながら自分の仕事に戻る。それからは淡々と片付けながら進めている途中、ちょうど昼休みになったので椅子に体重を預け一息吐く。

すると、三崎さんが少し困った顔をしながら話かけてきた。

 

「比企谷君、ちょっといいかな?」

 

「どうしました?」

 

「うん、あのね、さっき課長に会議の書類を作成するようにって頼まれちゃって、流石に私一人じゃ抱えきれない量でね……。それでもし大丈夫ならでいいんだけど、手伝ってもらえないかな……」

 

 ……っ。そんな顔されたら断れないじゃないですか……。普通に頼まれても手伝うけど。

 

「わかりました。ただ今日は用事があるんで明日以降手伝います。あと会議用ならパワーポイントありますよね?」

 

「うん、あるけど」

 

「それじゃ、それは俺が作ってもいいですかね?」

 

「まあ、内容は私がまとめるし、問題ないと思う」

 

 オーケー、これでほぼ前準備は整った。心の中で軽くガッツポーズを決めると三崎さんが不安そうな表情をしている。

 

「……今日の用事ってもしかして私を助ける為?」

 

「さあ……、どうですかね」

 

「あんまり無理しないでね?」

 

 そんな悲しい表情しないでください。自分のために俺が動いていることを知ってしまうと、こうなりそうだったから言わなかったんだけどな……。やっぱり俺は心を読まれやすいんだろうか。

 

「……善処します」

 

「私のせいで比企谷君が辛い思いするのは嫌だからね?」

 

「わかりました」

 

「ん、よろしい。じゃあ、お昼いこっか」

 

 あれ? 一緒に食べる約束とかしてましたっけ? 

 

「えっと……?」

 

「ほら、いくよー」

 

 返事をする前に腕を掴まれ連行されることとなった――

 

 

 昼休みを三崎さんと過ごし、最近の負の感情を少し和らげ仕事に取り組んでいると、気づけば定時になっていた。

 いつもならこの時間に帰ることなんてありえないのだが今日は別だ。まあ、早く帰るからといって休めるわけじゃない。むしろ今までで一番最悪なアフターになるかもしれないな。

 

「お疲れ様です」

 

 荷物をまとめて軽めに挨拶をし、退社する。

 一度家に帰り、この日のために用意していたものを準備して目的地に向かうと、まだ課長たちの姿はない。時計を見るとまだ集合時間まで時間があったので計画の確認をすることにした。

 そのまましばらく待っていると一人、また一人と集まって最後に課長がやってきた。

 

「おー、もうみんないるようだね。それじゃ行こうか」

 

 そう言って歩き出す課長。俺たちは課長のあとに続き歩き始める。

 目的地のキャバクラに到着するとそれぞれが席に着き、女の子がやって来る。

 

「さあ、君たち今日は存分に楽しんでくれ、私の奢りだからな。と言っても会社の経費だけどね」

 

 自分の口で言っちゃうんだなこの人。まあ聞く手間が省けたからいいんだけどな。

 

「課長さん、かっこいいー! 課長さんの部下は幸せものですね!」

 

「ほんと、課長は最高の上司だよ」

 

 

 なんだこの会話は……まったくもって反吐が出る。経費の部分には誰も触れないのもおかしいだろうが……。

 明らかに作られた褒め言葉。こんなことを言われて喜ぶ課長。ここにある会話に本物なんてものはない。

 しかし、この場にただ文句を言いに来たわけじゃない。

 

 店に入ってからしばらく時間が立つと、課長たちは酒が結構回ってきたようでだんだんと上機嫌になっていった。

 さてと、そろそろ本格的に動こうか。

 

「課長、プレゼンはどうするんですか?」

 

 我ながら唐突すぎる話題ではあるが、まずはこの言葉あたりから始めるとしようか。

 

「プレゼンねえ……。全部三崎君に任せてるからね。彼女次第だね」

 

「でも課長がプレゼンするのに全部任せちゃっていいんすか?」

 

「かまわんだろ、どうせ彼女は仕事くらいしかやることないんだしな」

 

 何がそんなにおかしいのかわからないが課長はにやにやと笑みを浮かべながら語りだした。

 できることならこの顔を見た時点で一発殴ってやりたいところだが、殴ったところで何の解決にもならないのでそんなことはしない。

 

「ですよねえ、俺なんて仕事残ってても全部あの人にやらせてますもん」

 

「俺もだわー」

 

 課長の言葉に笑いながら同調していく周りの奴らの発言は本気でイラつくが、こちらの思惑通り動いてくれることには感謝しようじゃないか。

 

「ははは、君たちあまり彼女をこき使いすぎるなよ? 一応上司なのだからね。それにまた身体を壊されたら自分たちが仕事をしなくちゃいけないんだからね」

 

 ……さっき言ったこと撤回してもいいだろうか。本気で殴りたい。……いやいや、せっかくここまで引き出したんだ。こんなことで台無しにするなよ、俺。

 

「でもあれじゃないですか。それって社長とか部長にバレたりしたらやばくないですかね? それに経費も使っちゃってるみたいですし」

 

「そんなことを気にしているのかね君は。社長はもう年だし、上はそんなに下の現場なんて見ないものなんだ。それに、社長がもし来てもその時だけちゃんとしている振りをしておけばいいんだよ。経費だってそうだ。上手くやればバレることなんてありえないのだよ」

 

「そんなんで大丈夫なんですかね?」

 

「通用するくらい上は無能だってことだよ。まあ、上が馬鹿だから我々はこうしてサラリーマンライフを悠々自適に楽しめるんだけどねえ、あっはっはっは」

 

「それに比べて俺らは課長の下でよかったですよ!」

 

「本当にその通りですね!」

 

 やっぱりあれだな。人という字は支えあってできているなんてのは嘘っぱちだ。現実社会を生きてればそんなことは容易に否定できる。こうやってここに居る奴らのように寄りかかっている人間と、三崎さんのような支える人間がいてできているのが人という字だ。

 

「まあ、何かあっても君たちのことは私が守ってあげるから安心しなさい」

 

「流石っすよ! 課長!」

 

「俺、一生ついていきますよ!」

 

 こんなところだろうか。思ったよりも色々と喋ってくれたし、やっぱりお酒の力って偉大だわ。

 

「それを聞いて安心しましたよ」

 

 そう、本当に安心したんだ。一番難しい問題だろうと考えていたのがこんなにもあっさり行くとは思っていなかったのだから。

 

「それじゃ、記念にみんなで写真でも撮りませんか? 女の子たちも良かったら」

 

「いいね、比企谷君。それじゃ君、頼むよ」

 

 課長や同僚、女の子も写真を撮ることを了承してくれた。何枚か写真を撮って、その写真を課長に見せると気に入ったようだ。

 これで今日の目的は果たせたと言っていいだろう。あとはこのくだらない会話が終わるのを耐えておけばいいだけだ。

 

 

 

「さて、時間も遅いしそろそろ出ようか」

 

 

 やっと終わったか……。結局あれから大分時間がたったな。時計を見ると既に23時を回っている。「今日はありがとうございました」と一応の礼を言って帰路につく。

 

 

 *   *   *   *

 

 

 それから一週間、三崎さんが任せられた仕事、主にプレゼンのためのパワーポイントの作成や計画のための下準備をこなして、あとは来る年末会議に向けて待つだけという状態までもってくることができた。

 会議は来週の月曜日だし、今日は金曜日。土日はゆっくり休むことができるだろう。

 

「お疲れ、比企谷君」

 

 いつも通り定時を過ぎ、三崎さんと二人きりで残ってると話しかけられる。

 

「お疲れ様です、どうかしましたか?」

 

「うーん、特に用事はないんだけどね。良かったら一緒に帰らないかなと思って」

 

 何故か少し照れながらそう言って俺の答えを待つ三崎さん。特に断る理由もない。むしろというか俺も……一緒に帰りたいとか思ったり思わなかったりするわけで……。なんというかあれだ、決戦前の息抜きというか、そんな感じ。

 

「俺も大体終わったので大丈夫ですよ」

 

「そっか、それじゃ久しぶりに飲みにいこー!」

 

「駄目です」

 

 あんた最近まで病人だったでしょうが。そこは自重してくださいよ……。もし、それで体調崩したらどうするんですか。

 

「えぇ……」

 

 うーっとしょんぼりしながら俯く仕草が小動物みたいで可愛いのだが、駄目なものは駄目なわけで。

 

「家まで送りますから。今日はまっすぐ帰りましょう」

 

 なんかちょっと恥ずかしいことを言ってしまった気がするが、その言葉に俯いた顔をぱっと上げると、さっきとは違い、笑顔で「本当!?」と聞いてくる。不意の出来事で二人の顔の距離が予想以上に近い……。

 少しの間が空き、お互いに顔を背けた。何これ、何これ、めちゃくちゃ恥ずかしいんだけど!?

 

「え、えと……、じゃあ、いこっか……?」

 

「はい……」

 

 その日はいつもと違い、お互いにどこか気恥ずかしい空気の中静かに帰宅した。息抜きになるかと思ったけど逆に疲れたな……。ただまぁ、この疲れに関して言えば全く悪い気はしなかった。

 

 

 *   *   *   *

 

 

 土日でしっかりと身体を休め、運命の月曜日を迎えた。16時からの年末会議、今日で全てを終わらせてみせる。

 入社して以来、今まで一番気合を入れて出勤した。

 

「おはようございます」

 

 挨拶をするが誰の返事もない。まあ、気合入れて早く来すぎたせいで誰もいないだけなんだけどな。とりあえず席に着き、今日の会議で使うパワーポイント、書類の整理、いつも通りの作業の準備を済ませていく。

 時間が経つにつれて少しずつ人が出勤して、最後に課長が出勤してきて全員が揃った。

 パワーポイントのデータを入れたUSBを課長に渡しに行くと、ちょうど三崎さんにそのことで話しかけているところだった。

 

「すみません、課長。今日の会議のパワーポイントのデータです」

 

「おお、なんだ、比企谷君が作っていてくれたんだね。ありがとう。それにしても三崎君、私は君に頼んだはずなんだが? なぜ比企谷君がこれを作ってるんだい? どうやら君は私が思っている以上に仕事ができないようだね」

 

「いえ、課長、それは俺が頼んでやらせてもらったんです。だから主任を責めないでください」

 

「それならそれでいいんだけどね……」

 

 三崎さんを庇ったのが気に入らないのか、見た目でもわかるくらい課長は不機嫌そうに言うと席に戻っていった。

 俺も三崎さんに一礼をして自分の席に着く。それからはいつものように一般業務をこなしていくと、いつの間にか会議の時間になっていた。

 

 

 部署のメンバーが会議室に向かうと、社長を含めた役員の人たちは既に着席していた。

 課長以外の社員はそのまま着席し、社長の言葉で課長がプレゼンの準備をし始めていく。……さあ、一世一代の大勝負の始まりだ。

 

「課長、俺も手伝います」

 

「おお、悪いね、頼むよ」

 

 準備をしている課長の手伝いを買って出る。さり気なくパワーポイントの準備をし始め、朝に渡したUSBとは別のものをパソコンに差込み、準備を終えて、操作をする準備をする。

 

「では、恐縮でございますが私の方から始めさせていただきます」

 

 書類が社長たちの手元に送られ、会議が始まる。

 課長はパソコンでパワーポイントを開き、それがスクリーンに映し出される。議題である来年ある大きなプロジェクトの計画書……のはずだったものが開かれた瞬間、役員、課長、同僚たちは目を丸くしてスクリーンに映る映像に注目していた。

 というのもそのはず、計画プランなんてものはなく、そのパワーポイントにあるのは課長たちがキャバクラで遊んだ写真なのだから。

 

「ひ、比企谷君、これはどういうことだね……!」

 

 近くにいた俺に慌てながらも小声で問い詰めてくる。どういうことだと言われましてもね。あんたが会社の金で遊んでいた証拠をこれから洗いざらい見てもらうつもりなんですよ。

 

「瀬谷君、この写真は一体何なんだね?」

 

 当たり前だが、写真を見て疑問に感じたであろう社長が、不信感を募らせた目で課長に尋ねる。

 

「わ、私にも何がなんだかわかりません……」

 

 仕切り目を泳がせている課長は明らかに動揺しているようで、最早言い訳も苦しいものになっていった。

 これなら一気にいけそうだ。

 

「すみません、社長。このパワーポイントは私が調べた課長の横領事実、並びにこの部署の職場環境の実態のレポートです」

 

「な、何を言ってるんだ比企谷!」

 

 俺の言葉を聞いて、課長はいっそうの焦りを滲ませながら語気を荒くする。その様子に他の役員たちはただ顔を見合わせ続ける中、社長が荘厳な口調で「続けたまえ」と沈黙を破った。

 

「ありがとうございます。次にこの領収書の記録なんですが、毎月同じ日に同じ名前の店に経費として支払われてます。これは経理の方にも確認済みなんですが、課長の担当してるお得意先の接待費用として重要なものだと、半ば脅しに近い形で了承させていたようですね。調べてみましたがこの店も架空のもので、実際は課長の行きつけのキャバクラに支払われていました」

 

「で、でたらめです! ひ、比企谷、いい加減にしたまえ!」

 

「瀬谷君、落ち着きたまえ。……比企谷君、続けてくれ」

 

 悪あがきのように課長が俺の言葉を否定するが、状況は完全に俺に有利な展開だ。

 

「ま、待ってください、社長! こんなもの、比企谷が証拠をでっち上げて私を貶めるために用意したんです! そ、そうだ、そうに違いない!」

 

「ではその写真はなんだね?」

 

「こ、これはただのプライベートで行った時のものです!」

 

 最早子供の言い訳のようなことを言い出し始める。まあ、その程度で逃れられるとは思わないが、これがあればあんたは終わりだよ。

 

「じゃあ課長、みなさんにこれを聞いてもらいましょうか」

 

 パソコンを操作し、この前キャバクラに行った時に証拠として収めた音声を再生させる。あの時、俺があの集団に混ざったのは全てこのためだ。

 再生ボタンを押すと『課長、プレゼンはどうするんですか?』と俺の声が聞こえ、その後に『プレゼンねえ……。全部三崎君に任せてるからね。彼女次第だね』という課長の言葉が流れる。

 それと同時に会議室がざわつき始め、役員たちの表情も強ばってきた。

 その後もあの日に録音された言葉が次々と流れて全てを再生し終えたとき、それはもう、課長にとって言い逃れのできない決定的な証拠だった。

 

「ひ、比企谷、お、お、おまえっ……」

 

 青ざめ、まるで人生に絶望したかのような表情で何かを言いたそうに俺の名を口にする。それはあの場にいた同僚たちも同じだった。そりゃそうだろ、あいつらの課長を肯定する台詞も、この瞬間のために一言一句逃さずに録音していたのだから。

 ……これで俺が役員たちに提出できる証拠は全て洗いざらい出した。あとは社長を含めた役員に任せるとしよう。

 

「……瀬谷君、何か言いたいことはあるかね?」

 

 静寂の中、口火を切ったのは社長のその一言だった。

 

「あ、……あ、その……、しゃ、社長、これは何かの間違いでして!」

 

「何かの間違いとは?」

 

 もう弁明の余地もなく、そんな在り来りな言い訳しか言えない課長に対し、更に厳しめの口調で問い詰める。

 

「……は、はめられたんです! そ、そうだ! これはここに居る比企谷の陰謀だ! なあ、そうだろ!? お前たち!」

 

 言うと、会議室にいる同僚たちの方を見て助けを求め始めた。しかし、さきほどの録音に自分たちの声もしっかり入っているとわかった途端、同僚の奴らはただ口を開けてぽかんとしているだけで、課長の言葉は耳に届いていないようだった。

 

「誰も同意はしないようだね。……よろしい、今日の会議はこれで終わりだ。瀬谷君、君はこのまま残りたまえ。あとの者は自分の持ち場に戻りなさい」

 

「……は、はい」

 

 そう返事をして、がくりと項垂れて俯く課長は、機能停止してしまったロボットのようだった。

 

「それと比企谷君、あとで連絡するので君も私のところに来なさい」

 

「……わかりました」

 

 これは仕方ないよな……。大事な会議を俺が勝手に告発の場に仕立て上げたんだ。でも、これで職場の環境が変わるなら……、三崎さんが笑顔になれるなら、罰くらい喜んで受け入れよう。

 重々しい空気の中、課長以外の人間は会議室をあとにした。

 

 部署に戻り、誰一人として声を出すものがいない中、しばらく自分の仕事をしていると内線電話が鳴る。

 

「はい、比企谷です」

 

『比企谷君、先ほどの件ですまないが、また会議室まで来てくれないかね』

 

 その言葉に「わかりました」と告げて、再び会議室に向かった。

 

「失礼します」

 

 扉を開けると入れ替わりだったのか、既に課長の姿はそこにはなく、社長に「かけてくれ」と言われたので近くの椅子に座る。

 

「まず、瀬谷君の件だが、彼は今月いっぱいで退職してもらうことになった」

 

 退職か……、まぁ、横領している時点で立派な犯罪だし、そりゃそうなるよな。

 

「それから、あの録音されていた音声元の社員たちに関しては、減給処分にしようと思っている」

 

「……そうですか」

 

「それで、君を呼び出した件についてだが、今回の騒動は会社にとっても暴いてもらったことに関しては感謝している。しかし、君の証拠の集め方や、会議の場での告発などは少々頂けないね」

 

 これも大方予想通りだ。一度だけだが俺も課長たちと一緒にキャバクラに行ったわけだし、他にもやましいことをしていないかと言われればグレーな部分もあるだろう。俺もなんらかの処分を受けるのは当然だ。

 

「比企谷君、それでは君に処分を言い渡す。君は来月から三崎課長代理の元で主任として職場を支えてやってくれ」

 

 社長の言葉に逆らう理由もなく、喋り終えると同時に「はい」と返事をした。

 …………ん? 今、社長はなんて言った?

 

「え、えっと……、すみません、今、なんと?」

 

予想すらしていなかった言葉に動揺してしまい、思わず素っ頓狂な返しをしてしまった。

 

「君が来月から三崎君の代わりに主任として頑張ってくれ、と言ったんだがね。聞こえなかったかな?」

 

  そんな俺を見ていた社長は、どこか呆れたような面持ちで先程の言葉をもう一度繰り返す。

 

「い、いえ……、ですが今回の問題を起こしておいて、なんの処罰も無いのはいいんでしょうか?」

 

「だからこれが処罰なのだよ。君にはこれからも会社のために頑張ってほしいんだ」

 

 はっきりとそう言った社長の表情は優しげな笑みをしていて、俺にはその申し出を断る理由なんてなかった。

 

「はい、わかりました」

 

「それではこの件については以上だ。戻って大丈夫だよ」

 

 その言葉で席を立ち「失礼します」と一礼して会議室の扉を開けようとした時、ふと、さっきの言葉で気にかかったことがあったので聞いてみることにした。

 

「すみません、社長。三崎課長代理というのは?」

 

「上もそこまで馬鹿ではないということじゃないかな?」

 

 にこっと笑いながら答えてくれた社長に感謝しつつ会議室をあとにした。

 

 

 部署に戻ると定時を過ぎたのにも関わらず、ほとんどの社員が残っていた。まあ、あんなことがあったわけだし、帰りにくいのはわかる。

 自分の席に着き、一息ついていると三崎さんが不安げな表情をしながら話しかけてきた。

 

「比企谷君……、大丈夫だった?」

 

「ああ……えっと、とりあえず帰りませんか? 話したいこともあるんで」

 

 今にも泣き出しそうな顔をしている三崎さんと、この場にいるのはちょっとまずい気がしたので、そう提案すると彼女は「わかった」と言ってくれた。

 そして他の社員がまだ会社に残っている中、俺たち二人は退社した。

 

「うぅ、寒いね……」

 

 外に出ると冬の風が肌に突き刺さる。

 

「ほんとっすね」

 

「ねっ、こんな日は温かい場所で日本酒とか飲んだりすると温まるよ?」

 

 本当にこの人は酒好きだな……。

 

「まだ、治って日が浅いんですから駄目です」

 

「なんでよー、もう一週間も経ってるんだよ? こないだも飲めなかったし……。それに比企谷君ばっかりお酒飲めてずるい」

 

「いや、俺最近酒飲んでないっすから……」

 

「……キャバクラ」

 

「ぶっ!?」

 

 何をいきなりこの人は言い出すわけ? ていうかあれは課長たちの証拠を掴むために仕方なく行ったわけで、酒なんかほんと少ししか飲まなかったんですけど……。

 

「やっぱり、お酒飲むなら若い子とが良いのかな……。そうだよね、ごめんね、こんなおばさんが誘ったりして……」

 

 三崎さんはしょぼんとしてしまい、顔を俯かせてしまう。

 え、まって、これって何? 俺が悪いの? そうなの?

 

「い、いや、三崎さんと飲むのは楽しいし、好きですよ? で「本当!? じゃあ今日は飲みに行こう! すぐいこっ! いつものとこでいいよねー!」

 

 騙されたぁぁぁぁ! 完全に演技だったんじゃねえか。

 三崎さんが俺の言葉を遮り、一瞬で笑顔になると、俺の手を握り行きつけの飲み屋に向かって歩き始めた。

 

「とうちゃ~く!」

 

「本当に飲むんすか……?」

 

「もうここまで来たんだし、飲むに決まってるでしょ! ……それに、いろいろ聞きたいこともあるんだからね?」

 

 頬をぷくっと膨らませながら、ちょっと怒った感じで話す三崎さんはアラサーの割に可愛いなぁ、なんてちょっと失礼なことを思いながらも、もうここまで来たんだし仕方ないかと諦めた。 

 

「すいません~、熱燗二つお願いします」

 

 店に入り席に着くとすぐさま注文する三崎さん。それがなんだか久しぶりな気がして、思わずふっと笑ってしまう。

 

「どうかしたの?」

 

 急に笑い出したのがおかしかったのか三崎さんがきょとんとしながら聞いてくる。

 

「いえ、なんだかこういうの久しぶりな気がして」

 

「そっか、……そうだよね。なんか最近特に忙しかったもんね……」

 

「まあ、でもそれも今日で終わりだと思いますよ」

 

 課長が退職して三崎さんが課長代理になれば職場の環境も変わるだろう。同僚たちだって今回の件で流石に懲りただろうしな。

 

「うん、……比企谷君、本当にありがとう」

 

「どうしたんですか急に」

 

 さっきまでの笑顔ではなく、真剣な眼差しを向けて言葉を発する三崎さんに、一瞬どきっとしながらも誤魔化すように聞き返した。

 

「君が私のために一生懸命動いてくれたことが本当に嬉しくて……。ねえ、比企谷君、社長と何を話したの?」

 

「今日のことですよ。とりあえず処罰とかに関しては俺は受けなくていいそうです。ただ、明日分かると思いますが課長は今月いっぱいで退職するようです」

 

 ここで全てを話す必要はないと思ったので、大雑把に説明する。俺に処罰が下されないと伝えると、三崎さんはほっとした顔をしながら「よかった……」と呟いた。

 

「なんか心配をかけたみたいですみません」

 

「ほんとだよ、もうあんな無茶はしないでね? すっごい心配してたんだから」

 

「わかりました……」

 

「ん、よろしい。それじゃ、お酒来たみたいだし飲もっか!」

 

 三崎さんに言われ横を見ると店員が熱燗を持って待機していた。あれ? これって今の話聞かれてたやつ? なんかすっごい恥ずかしいんだけど。

 

「かんぱ~い!」

 

「かんぱい」

 

 乾杯をすると三崎さんはおちょこに入った熱燗を一気に飲み干す。だからもうちょい味わって飲むとかしましょうよ。どうせこれ、またすぐ酔っ払って俺が介護しなきゃいけないことになるんだろうなー……。

 

「さあさあ、比企谷君も飲んで、飲んで!」

 

「いや、まだ入ってますから」

 

「んー……、やっぱり私みたいな女にお酒注がれるのは嫌、かな? キャバクラの子みたいに若い子がいい?」

 

 なんでそうなるんすかね。つかキャバクラ根に持ちすぎじゃないっすか。

 

「あー、もう分かりましたよ」

 

 熱燗を一気に飲み干し、おちょこを三崎さんに差し出す。日本酒ってこの量で結構来るんだよな……。このペースで飲まされたら潰されるぞ……。

 

「ふふっ、ありがと」

 

 俺の危惧なんてお構いなしににこにことお酒を注ぐ三崎さん。まあ、この笑顔を見れるのは悪くないんだけど、もう少しペースを落として欲しいんだよなあ。

 それからも三崎さんのペースに合わされながら飲み続けた。珍しく会社の愚痴が一回も出なかったのは今回の件があっただろうか。

 二時間くらい過ぎたあたりだろうか、トイレから戻ると三崎さんがすぅすぅと寝息を立てて眠っていた。そろそろ帰ったほうがいいな。

 

「すいません、会計お願いします」

 

 店員を呼び会計を済ませて三崎さんを起こすと、彼女はふらふらと今にも倒れそうだったので肩を貸した。

 

「ほら、三崎さん、帰りますよ」

 

「んー、比企谷君、おんぶー」

 

 ふぁ!? なに言っちゃってるのかなこの人。こんな街中でそんなことするわけないでしょうが。

 

「おんぶ……」

 

「わかりましたよ……」

 

 う、うん。これは仕方ない。三崎さん酔っ払ってるし、このまま歩かせるのも危ないからな。別におんぶとおねだりしてくる三崎さんの顔が可愛かったからとかそんな理由では決してない。

 三崎さんをおんぶして彼女の家に向かう。幸い、ここから彼女の家は遠くはないので歩いて行けるだろう。

 

「……私、重いかな?」

 

「いえ、そんなことないっすよ」

 

 むしろ軽いくらいだ。なんというか軽すぎて食生活とか心配になるレベル。

 

「そっか、ふふ……」

 

 俺の言葉に安心したのか後ろから微笑む声が聞こえると、肩を掴んでいた手が不意に後ろから回され、三崎さんから伝わる感触が大きくなった。

 

「また飲みに行こうね」

 

 急に耳元で呟かれて不覚にもどきっとしてしまう。

 

「……そうですね、また行きましょう」

 

「……うん、たくさん誘うね」

 

 背中に伝わる体温と、酔ったせいか熱を帯びて仕方がない自分の頬には、いつもなら寒さしか感じない冬の夜風も心地よいものだった――。

 


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