えっ、シスコン魔王様とスイッチ姫みたいな力ですか?   作:のんのんびり

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 今回は真面目な話なので、ちゃんと真面目に書いたよ(`・ω・´)


第百十八話 軌跡

 

 

 

 幾瀬鳶雄の祖母である老年の女性、幾瀬朱芭(あげは)。彼女は姫島家の現当主と姉弟の関係にあるらしく、朱雀にとっては『大叔母』にあたる元宗家の人間だ。朱芭という珍しい名前にうっかり反応してしまったが、まさか探していた張本人と幾瀬のおばあちゃんが同一人物だとは思っていなかった。しかし、幾瀬の持つ神器の由来、そして彼に施された封印について考えれば、彼女の孫として幾瀬鳶雄が産まれたのは運命だったのだろう。そうじゃなければ、彼は物心がつく前に命を落としていたと思うから。

 

 幾瀬が宿している神滅具『黒刃の狗神(ケイニス・リュカオン)』には、二つの意思が存在している。一つが狼男の起源になったとされる、『アルカディア』の王――リュカオン。そして、もう一つの封じられている神剣の名前こそが『天之尾羽張(あめのおはばり)』。姫島家が崇拝する神『火之迦具土神(ひのかぐつち)』を斬ったとされる神殺しの十束剣だ。ギリシア神話と日本神話のごった煮のような神器であり、双方の特性が歪んだ状態で融合しているのが、この神器なのである。

 

 神器はその者の魂にくっ付いて顕現するからか、そのヒトの持つ特異性に惹かれることがあるらしい。最もわかりやすい例は、ギャスパー・ヴラディだろう。確か彼の内に元々宿っていた本物の魔神バロールの意識の断片に引き寄せられて、その模倣品である『停止世界の邪眼(フォービトゥン・バロール・ビュー)』が融合したはずだ。神器を宿すのはランダムだと言われているが、稀に神器から選んで宿ることがある。そう考えれば、姫島の血が流れる幾瀬に『狗』が宿ったのは、ある意味で必然だったのかもしれない。

 

「生まれながらにして神滅具を覚醒させていただけじゃなくて、禁手にまで至っていたのか…」

「本来なら、生まれてすぐにでも処理をしなければならなかった存在でしょうね」

「……かも、しれませんね。でも、今の幾瀬を見て、俺はそうならなくてよかったと思っています」

 

 幾瀬朱芭さんに語られた幾瀬の起源は、同じように神器を持つ俺からすれば信じられないような気持ちになる。ラヴィニア以上の才能の塊。それを扱えるだけの特別な血筋。神すらも屠る神滅具に魅入られた人間。ここまでくると、お前は少年漫画に出てくる覚醒型主人公かよ、とちょっとツッコみたくなる。むしろ、よくこんな主人公属性の塊を表の世界で平穏無事に守り続けられたなと思うよ。朱芭さんが俺に対して、あれだけ警戒したのも納得だわ。

 

「変わっているのね。本来なら、禁手にまで覚醒した神滅具なんて危険物を、表の世界へ野放しにしているなんて、と批難されても文句は言えないのに」

「幾瀬に施されている封印術は完璧でした。それに、そういうヒト達が危惧するような事態を、あいつが引き起こすようには思えません」

「あら、心配じゃないの?」

「……全く心配じゃない、と言えば嘘になるかもしれません。だからこそ、傍で見守りたいと思ったんです。もしそういう事態になった時は、ぶん殴ってでもあいつを止められるように。それだって、俺達裏の世界の者の役目でしょう?」

 

 俺は臭い物に蓋をする理論は、あんまり好きじゃない。危険があるかもしれないから、切り捨てるのは間違っていないだろう。それによって、未然に防がれる悲劇だってあると思う。だから、そのやり方を否定はしない。だけど、俺自身はやりたくない。俺はそのやり方が嫌だ。だから、俺は俺のやり方で幾瀬と関わる。それだけのことなのだ。

 

 約三年前、俺はメフィスト様に拾ってもらった。俺にとって、大きな分岐点となったあの日。あの当時、俺は全然意識できていなかったけど、俺の神器の危険性をきっとメフィスト様は誰よりも理解していたはずだ。ラヴィニアには気づかれないように、俺の存在を内々に処理することだって出来たと思う。『概念消滅』という、この世界の理にも触れられるかもしれない神器。俺も、幾瀬と同じように危険だと判断されてもおかしくなかった。

 

 でも、彼はそれをしなかった。危険であるはずの俺の後ろ盾になってくれて、ずっと悪意から守ってくれて、俺の未来を考えてくれた。生かすことの危険性は承知で、それでも彼は俺の可能性を信じてくれた。俺がメフィスト様を尊敬しているのは、そんな彼の背中を見て「こんなヒトになれたら」って思ったからだ。俺が救われたように、俺だって誰かの可能性を護れるヒトになりたい。

 

「だいたい、神滅具を持って生まれてしまったのも、姫島の血を受け継いでしまったのも、禁手に至ってしまったのも、幾瀬自身がそうなりたいと『選んだ』ことじゃない。それだけで幾瀬鳶雄という人間を判断するなんて、おかしいに決まっている」

 

 朱芭さんに入れてもらったお茶を一気に飲み干し、毅然とした表情で俺は言ってやる。俺は神滅具を持って生まれてしまった少女を知っている。俺は姫島の血を持って生まれてしまった少女を知っている。二人は自らの運命に翻弄されながらも、それでも懸命に自分の道を『選んで』、今を生きているのだ。なら、幾瀬だってその権利があって当然である。そんな当たり前のことを改めて意識しないといけないのだから、裏の世界って本当にめんどくさい。裏側を生きる者として、俺の方が異端なんだろうけど。こんな考え方だから、裏の人間っぽく見えないって言われるのかなぁ…。

 

 あと、幾瀬以上に奇跡の出生のオンパレードみたいなのが原作にいたから、ぶっちゃけインパクトがそんなにないんだよね。ヴァーリ・ルシファーという、悪魔と人間のハーフで、魔王ルシファーの直系の血族で、神滅具のドラゴンを宿していて、心技体に加え、魔法・魔力にも優れた才能を持っていて、更に容姿も抜群の銀髪のイケメン。こんなのが実在する世界で、「神滅具と異能の血を持っている? はぁ、そうですか」としか思えない。改めて思うけどヴァーリ、お前属性がてんこ盛り過ぎだよ…。

 

 緊張を浮かべた顔で幾瀬の今までを語った朱芭さんは、俺のあっけらかんとした態度にどこか遠い目をされる。幾瀬のことはそれなりに驚きの事実ではあったけど、正直ごめんなさい。絶句するほどのリアクションは取れそうにないです。無駄に度胸は鍛えられていたというべきか、色々な意味で慣れていたというべきなのかはわからないけど。

 

 

「こほんっ。さて、鳶雄の宿す狗については話したわ。それで、今度はそっちが教えてくれるのよね」

「あぁー、はい。といっても組織間の機密事項がいくつもあるので、一部詳しく話せない内容もありますが」

「そこは、心得ているわ。むしろあなたが、組織の機密をいくつも知っていることに頭が痛いけど…」

 

 話が早くて助かります。好奇心は猫を殺すという言葉があるように、知識がありすぎると余計な厄介事を招き入れることもある。物分かりの良さも、裏の世界で生きていくのに必須のスキルだと先生達に教えられたな。俺の身の上話の方が長くなりそうだったので、先に幾瀬の話からお願いしておいて正解だったかも。早くも顔に疲れが見える。飲んだばかりの湯呑に、もう一杯お茶を注いでもらいながら、とりあえず話す内容についてもう一度確認しておいた。

 

 まず、俺から彼女に語れないのは、神器の能力の詳細と雷光の家族関係、一年ほど前に起きた駒王町の事件ぐらいかな。神器の能力に関しては、交渉次第かもしれないけど。同じ姫島である朱璃さんや朱乃ちゃんのことは、今はまだ伝えられない。あの二人のことは隠されているし、部外者の俺が勝手な判断で拡散していい情報じゃないからだ。最低でも、朱璃さんに伺いを立てるべきだろう。俺が神器持ちであることや朱雀に関しては、話さないと話が進まないから仕方がないけど。

 

「そうね。心配だったら、『制約』も立てるわ」

「制約ですか?」

「仏陀の教えにある基礎の一つよ。五つの規則の内の一つに、『嘘をついてはならない』という項目があるの。その(いん)の教えを基礎に契約の術を編み込むわ。『今からあなたが話す事情を、あなたの許可なく他者へ発信しない』とね。それに、姫島を追放された私は表の世界で生きるために裏の関係者との伝手が何もない状態。私から何かをできる力もないわ」

 

 彼女からの説明に、思わず目を瞬かせる。彼女が仏教に精通した技術を持っているのなら、その教えに関する制約は非常に重いものだ。その誓いを破る危険性は、裏の者なら誰だって理解できる。何より出会ってまだ一時間も経っていない相手だけど、不思議と朱芭さんなら俺の情報を口外しないだろうという確信はあった。その上で、ここまでこちらのことを配慮して場を整えてくれるのだ。俺もちゃんと腹を割って話す様にしよう、と姿勢を正した。

 

「あっ、そうだ。俺も説明できるところをキリキリ吐くのは構わないのですが…。その前に友達からもらった『取り扱い説明書』があるので、それに則って話をしてもいいですか?」

「……ちょっと待って、取り扱い説明書?」

「はい、俺の身の上話について。その友達曰く、『今後、あなたのことを裏関係の人に話す際は、絶対に守りなさい。じゃないと、心臓が弱い人は発作を起こすかもしれないし、寿命が縮んじゃうかもしれないから』と言われたものでして」

「どこの怪談話の宣伝文句……?」

 

 俺自身も同じことを朱雀にツッコみました。あいつ、今まで歩んできた俺の人生を何だと思っているんだと言いたい。だけど、俺の今までを全部ぶっちゃけられた朱雀からしたら、「お前の方がふざけるな!」という気持ちだったらしい。確かに人脈や神器や金銭やその他諸々に関しては俺もちょっと思うところはあるけど、俺自身はあんまり表に出ないし、全部自分の力って訳じゃないからなぁ…。なんか巻き込まれまくった挙句、成り行きで突っ込んでいたら、いつの間にかこうなっていたとしか言えないから。だからこそ余計に頭が痛い、とは言われたけど。

 

 とりあえず、俺は朱雀からもらっていたメモを取り出す。大変真剣な表情で、絶対に暴露する時は守りなさい、と念を押されたからな。ずらっと並ぶ項目を見せると、幾瀬のおばあちゃんの頬が引きつっていた。すみません、でも俺もお年寄りの人が相手だからさすがに気を使いますよ。健康は大事ですから。

 

「まず一つ目、俺の話を聞く際、健康・精神状態共に問題ないかを確かめること。大丈夫ですか?」

「え、えぇ…」

「二つ目、俺からの話を聞いていて、健康上に異常が感じられたらすぐにストップさせること。これもいいですか?」

「もう今から、気が重くなってきたんだけど……」

 

 そう言って、引き出しからお薬を取り出し、水と一緒にテーブルの上に置いていた。さすが、準備が良いですね。

 

「じゃあ、あとは一気に。三つ目、過程については難しく考えないこと。四つ目、精神衛生上のためにもこれはそういうもんだと考え、ありのままを受け止めること。五つ目が、どうしても深く聞き出したい場合は必ず日にちを置いてからにすること。それから――」

「……私はいったい、何の深淵を覗き込もうとしているの?」

「俺の歩んできた軌跡についてですが…?」

 

 うん、それ以上でもそれ以下でもないな。達筆で書かれた朱雀からの諸注意を朱芭さんに手渡し、熟読してもらった後、静かに精神統一をする時間をとってもらった。そこまで前置きを置かないと駄目だったのか、俺の身の上話って。そうして、準備が出来たようなので俺は順番に神器が目覚めた時からこれまでの道のりを簡単に語ったのであった。

 

 

「七年前に神器に目覚めて、三年前にはぐれ悪魔の事件に関わったことで、裏の世界に足を踏み入れた」

「はい」

「そこで『灰色の魔術師(グラウ・ツァオベラー)』にスカウトされ、理事長直属の部下になり、神滅具『永遠の氷姫(アブソリュート・ディマイズ)』の持ち主とパートナーの関係になった」

「はい」

「さらに神器の修行のために、堕天使のトップ陣、魔龍聖タンニーン、魔王アジュカ・ベルゼブブの弟子になり、皇帝ディハウザー・ベリアル、薔薇十字団のリュディガー・ローゼンクロイツと友好関係を築き、魔王セラフォルー・レヴィアタン監修でとある組織のスポンサーをしながら、魔龍聖の眷属ドラゴンの娘を使い魔とし、本人も『変革者(イノベーター)』としての二つ名を持っている」

「あっ、堕天使の部分は内緒でお願いしますね。戦争の火種になっちゃいますから」

 

 無言で頷かれた。あの朱芭さん、大丈夫ですか? 目が死んでいないですか……?

 

「そして、私のことを知っていたのは姫島家の次期当主候補である姫島朱雀と同盟関係を結んでいたからで、追放を強いる姫島の考えに反発した彼女に協力して、改革の手助けをしている」

「写メで撮っていますけど、見ますか? 雪合戦で遊んだ時に、クリティカルが決まった記念に撮ったんですよ。その後、燃やされかけましたけど」

「あなたも次期当主も何をしているの…」

 

 普通に童心のままに思いっきり遊びました。姫島家のある冬の山に雪が積もったので、雪合戦するのは当然の成り行き。アサシン戦術で一撃必殺を狙う俺と、才能を遺憾なく発揮した朱雀による攻防。ちなみに最終的な勝者は、朱乃ちゃんだった。小さな身体を駆使しながら、雪の湿り気を利用した雷光戦術とかドSすぎる。教官が帰ってきた時は、訓練と称して全員で協力して雪玉をぶつけたな。楽しかったです。

 

「……最後に、あなたの神器には神器症を治療できるかもしれない力が宿っていて、自分に足りないものを補うために魂の術に詳しいとされた『姫島朱芭』を調べていた。その最中、偶然にも幾瀬鳶雄を見つけ、その封印術について詳しく聞こうと幾瀬家を訪ねてみたら、たまたま私を見つけたのがこれまでの流れなのよね」

「すみません、まだいくつか話せていないことがあるんですけど、全部話せなくて…」

「むしろ、これ以上まだやらかしているの……?」

 

 言葉にならないぐらい絶句された。おかしいな、本来ならそれは俺がするべき表情だったんじゃないだろうか。幾瀬家の真実を知ってしまった衝撃の事実! より、明らかに俺が今までやってきたことの方が衝撃が大きそうなんだけど。

 

「なんでこんなとんでもないものを、表の世界へ野放しにしているのかしら…?」

「朱芭さん、それブーメランだよ。俺、生まれてすぐに禁手していた幾瀬と同列扱いなの?」

「そうね、鳶雄に悪いわ」

「あれ、そっち!?」

 

 幾瀬への愛が深い。まるでシスコンを拗らせた朱雀レベルで、さらっとひどいおばあちゃんである。これが血筋なのか…。姫島の血って、色々な意味で極端すぎないか……? あと、話を聞いた後の俺に対する適当さというか、投げやりさが朱雀とそっくりすぎて泣けてくる。遠い目をしながら、頭を押さえる仕草もよく似ている。血縁ってすごいんだな。

 

「……この『取り扱い説明書』を作ったのって、もしかして姫島朱雀さん?」

「えっ、そうですよ」

「そう、苦労しているのね…。この子がどんな気持ちで、これを書いたのかがよくわかるわ。被害者を出さないように配慮までして、とても優しい子なのね…」

 

 姫島を理不尽に追放された朱芭さんにとって、次期当主とされる朱雀とは複雑な関係だ。朱芭さんなら大丈夫だろうけど、本来なら姫島の人間を恨んだり、改革なんて信用出来なかったりして当然のことだろう。それが、俺への『取り扱い説明書』への共感と感謝のおかげで、深かったはずの二人の溝が埋まる。貢献できたことに素直に喜ぶことができない、俺の気持ちの方が複雑だよ。

 

 そんなこんながありながら、とりあえず俺の身の上話をしっかり伝えることが出来た。一応、名前を出したヒト達が写った写メは見せたけど、どんどん項垂れていったような気がする。アジュカ様がゲーセンでスーパーコンボを決めたところや悪役みたいな高笑いをしている先生、折り紙と死闘を演じる教官、リンにじゃれ付かれているタンニーンさん、ローゼンクロイツ家の家族写真等々、組織の機密事項に触れないように仕事とは関係なさそうな日常の一面を見せてみたんだけど…。配慮って難しいな。

 

「取り扱いにあったわね。『精神衛生上のためにもこれはそういうもんだと考え、ありのままを受け止めること』って。なるほど、深淵を覗き込みすぎると堕ちるのはこっちという訳ね。この年で勉強になるとは思わなかったわ」

「言いたい放題すぎる、このおばあちゃん」

 

 さっきまであったはずの緊迫とした空気が、もうほとんどなくなってしまったのがよくわかる。朱雀曰く、俺の無茶苦茶さを知ると、難しいことを気にしている自分の方がアホらしく思うらしい。確かに俺は朱雀やラヴィニアほど頭は良くないけどさぁ…。基本、直感で生き抜いている人間ですから。

 

 

「とにかく、無理やりだけど納得はしました。気になる点はあり過ぎますが、掘り下げると逆に私の心臓の方が持ちそうにないので、必要以上に詮索もしません」

「個人的にありがたいですけど、素直に喜べません」

「ごほんっ、あなたが私に会いに来た目的もわかりました。……しかし、魂や神器に関する術は生半可な覚悟ではできません。さらに私にとっては、幼少期から全てを費やして会得した秘術でもあります。それを見知ったばかりのあなたへ伝える義理もありません」

 

 まぁ、普通に考えればそうだよなぁ…。少しでも頭が回る良識的な人なら、俺がやろうとしていることが世界を混乱させることだってすぐにわかる。下手を打てば、三大勢力による戦争にだって発展するかもしれない。そんなことになったら、幾瀬鳶雄にも飛び火する可能性だって出てくる。しかも、何の見返りもなく自分の半生を費やして手に入れた技術を、いきなり現れた俺へ明け渡すなんてできる訳がないだろう。

 

「そう、義理はないわ。でも、……責任はあるかもしれない」

「えっ?」

「少し、あなたの魂に触れてみてもいいかしら。どうしても確信が欲しいの」

 

 魂に触れる。その単語に驚いたけど、朱芭さんの表情はどこまでも真剣で真っ直ぐだった。嫌な感じはしないし、内側を調べられるのはアジュカ様とか先生で慣れている。しかし、簡易検査以外で魂を詳しく調べられるのは初めてかもしれない。前世とか、色々大丈夫だろうか。そんな心配はあるけど、ここで断ってはいけないような直感が働く。俺は困惑しながらも頷き、目の前に来た彼女の手が俺の胸のあたりに置かれたのをジッと見つめた。

 

「……大丈夫、残滓を辿るだけだから。あなたが神器を覚醒させたのは、七年前だったわね」

「は、はい」

「どうして神器が覚醒したのか、覚えている? あなたが目覚めることになった全ての始まり。神器はね、何かしらの要因がなければ、本来目覚めることがないの」

「それは――」

 

 それは、俺が前世の記憶を思い出したから? いや、違う…。彼女が聞いているのは、どうして俺が前世の記憶を呼び覚ますことになったのかの『根本の原因』だろう。朱芭さんに言われた通り、俺はずっと昔の記憶を探るように辿る。一番最初の、始まりの記憶。あの公園で神器を取り出した時は、……たぶん違う。俺が『俺』として目覚めたのは、七年前の小学校からの下校中。いきなり意識が覚醒したような感覚だったのを覚えている。

 

 自分自身を見つめ直す様に、俺はもっと深く意識を潜らせる。姉と二人で歩いた通学路。いつもと変わらない日常を過ごす日々。これまで通り、これからも表の世界で暮らしていくのだろうと信じていた世界。この世界の真実なんて知ることはなく、偶然神器を持って生まれただけの一般人として、謳歌するはずだった本来の俺の人生。それが変わってしまった原因は、変化の予兆は――

 

『ほらほら、こっちだよ!』

『待ってよ、紗枝(さえ)っ!』

 

「――――ッ!!」

 

 ズキッ、と思わず痛みの走った頭に手を当てる。何だ、今の記憶は? 俺は、いったい何を忘れている? 違う、『何を』忘れるようにしようとしたんだ。何も知らない、幼かった自分では処理しきれなかった『異物』の影響を受け止めるために、無理やり『俺』が得たもの。それが、それこそが……。あの日の全ての始まり。

 

 

「……あぁ、やっぱり。あなたはあの子に、『呼び寄せられた』のね」

「朱芭、さん?」

「ごめんなさい、『あなた』を起こしてしまって。あの子を完全に封印するには、鳶雄に呪文を刻むには、どうしても時間が必要だった。あの子を完全に封印したのは、六年前のあの日だったから」

 

 胸に当てられる彼女の手から、ほのかな光が溢れている。俺の魂を見ることで、朱芭さんの中で疑問の答えを見つけることが出来たのだろう。俺はズキズキする頭に手を当てながら、まとまらない考えがぐるぐると回る。俺が『俺』としての意識に目覚めたのは、一般人だった俺が神器を覚醒することが出来たのは、あの子に『呼び寄せられた』からだと、彼女はそう言った。

 

 まだぼんやりするというか、全部思い出せた訳じゃないけど、なんとなく確信は持てた。俺は彼女が言う『あの子』によって、目覚めてしまったのだろうと。記憶の端に残る、漆黒と紅の色。これまでの流れから、なんとなく原因についての予測がついた。なんというか、もし俺が辿り着いた考え通りなら、俺と幾瀬は出会うべくして出会ってしまったのかもしれないな。

 

「あなたも本来なら、鳶雄と同じように日常を過ごせるはずだった。それを先に壊してしまったのは――」

「……壊されたなんて、思っていません」

 

 とりあえず、頭痛を頭を振って散らしながら、これだけはしっかり伝えておかないといけないと言葉を紡ぐ。罪悪感に揺れていた朱芭さんの瞳と真っ直ぐに合わせる。確かに目覚めた当初は、大混乱だってしたし、心細かったし、いつも不安ばっかり考えていた。どうして原作知識なんて持っているんだろう、どうして神器なんて持ってしまったのだろうと思ったこともあった。

 

 才能もない、頭も良くない、うっかりやらかすし、相棒に頼ることでなんとか生き繋いできただけの人間だ。死にそうな目にだってあったし、大変な目にあったことだって、数えきれないほどあった。きっとあの時、彼とすれ違わなければ、俺はこんな目にはあわなかっただろう。こんなにも辛い思いをしたり、怖い思いをしたり、悩んだりすることもなかった。

 

「俺はあの時、選択肢を与えられただけです」

 

 それでも、俺は俺の意思でこの道を歩くことを『選んだ』のだ。目覚めたおかげで、俺はたくさんのものを得ることだって出来たのだから。友達や信頼できる仲間、大切にしたい居場所。楽しい思いや嬉しい気持ち、心から笑うことだってできた。今の俺にとって大切な日常を、『壊された』なんて表現でまとめてほしくない。俺が歩いてきたこの軌跡は、俺が必死になって頑張って生きてきた証なんだから。誰かに与えられたものでも、壊されたものでもない。

 

 だから感謝……するのは少し違うかもしれないけど、それでもこの選択を後悔だけはしない。偶然を悲観したりなんてしない。ちゃんと諦めずに最後まで生きることを、彼女と約束したあの言葉に嘘をつきたくないから。例えどんな状況になったって、俺は俺らしく笑って精一杯に生きる道を選ぶだけだ。

 

「だから、責任なんて感じないでください。それは俺が背負うべきものです。勝手に持って行かないでください」

 

 お孫さんの神器のやらかしを、おばあちゃんが背負う必要なんてない。宿主の幾瀬には、ワンコの躾はちゃんとしろよ、ぐらいは言うかもしれない。幾瀬の中の黒いワンコが目覚めたら、……心行くまでモフモフさせてもらおうかな。原作では、すごく大きなワンコだったはずだし。あっ、自分の考えながらナイスアイデア! うんうん、もうそれでチャラでいいだろう。

 

 俺が胸を張ってそう告げると、ポカンと口を開けて固まるおばあちゃんがいた。というより、今更原因が分かったからって、さすがに七年も前だからな。もう時効だろ、そんなの。それで責任追及するなんて、ちょっと大人げない気がする。俺も無自覚で色々やらかす時があるから、あんまり他のヒトを責められないし…。

 

 しばらく呆然としていた朱芭さんは、俺の胸に置いてあった手をゆっくりと離した途端、だんだんと肩を揺らし出す。彼女の口から抑えきれない小さな笑い声が漏れ、少し涙が目に映ったような気がした。

 

 

「ふふっ、確かにあなたは交渉事には向かないみたいね。そういう時こそ、相手の弱みを握って、自分の有利になるように持ち込むのが定石なのに」

「いや、さすがに必要のない罪悪感を持たせるのは人としてどうかと」

「必要のない……ね。馬鹿ね、あなたには私の監督不行き届きを責める権利があったというのに」

 

 えぇー、そう言われましても。本心から、責任とか必要ないです。それで気に病まれる方が、俺にとっては心が痛みます。それがめっちゃ顔に出ていたみたいで、俺の顔を見てまたぷるぷると肩を揺らし出してしまった。ちょっとツボに入っちゃったみたい。大変遺憾である。

 

「……はぁー、七年前に『あの子』があなたを気にした理由が、少し理解できたような気がするわ」

「えーと…」

「うふふっ、気にしないで。倉本奏太さん、改めて話があります。正式にあなたへ依頼をしたいことがあるわ」

「依頼ですか?」

 

 俺の向かい側の椅子に座り直した朱芭さんは、どこかすっきりした顔で俺と目を合わせた。そこに先ほどまでの昏い色はない。俺も慌てて姿勢を正し、『灰色の魔術師』の魔法使いとしての思考に切り替える。依頼という言葉から、裏の話であることは間違いない。

 

「依頼というより、形式的には取り引きかしら。先ほども言ったけど、私の技術は他所へ簡単に流していいものではないの。これは、私が鳶雄の幸せのために築き上げてきた秘術。故に私自身、この技術を誰かへ継承させる気もなかったわ」

「……はい」

「でもね。逆に言えば、鳶雄のためになるのならこの技術を誰かに伝えるのも、やぶさかではないってことなのよ」

「えっ?」

 

 あの、朱芭さん? それって、幾瀬のためなら各所に喧嘩を売っても構わない、って聞こえるんですけど。

 

「もう忘れたのかしら? 私は鳶雄を生かすために、とっくの昔に世界へ喧嘩を売っているわ。今更、世界を混乱させないためになんて言えない。奏太さん、あなたへ私の技術が継承されたことで世界が揺れることになったとしても、私にとって一番大切なものが変わらずそこにあるのなら、別に構わないと思っているの」

 

 ……さすがは、朱雀の大叔母さん。ぶっ飛び具合というか、猪突猛進っぷりがすごすぎる。そんなぶっちゃけトークに唖然としている俺へ、彼女は優し気に微笑んで見せた。それに背筋に一瞬、寒気が走る。蛇に睨まれた蛙というか、この獲物を逃がさないように見つめる猛禽類を思わせるような目。思わず、頬が引きつった。

 

「奏太さんが求める私の持つ技術を、あなたへ託します。私が生涯を懸けて築いた秘術の全てです。そしてあなたに求める対価は、……たとえ鳶雄が『ヒト』を終えることになったとしても、どうかあの子の傍にいてあげてほしいことです」

「ヒトを、終える…」

「あの子の神器は、そういうものなのよ」

 

 寂し気に、悲し気に告げられた朱芭さんの呟き。自分の孫が、いずれ『ヒト』を終えなければならない事実。そんな未来を理解していても、それでも彼女は彼へ慈しみを与えてきた。優しさを教えてきた。幾瀬鳶雄が『ヒト』を終えても、孤独にならないように。絶望に負けないように。後を託す未来を選んだ。

 

 

「私はね、ズルい女なの。きっと奏太さんなら、そんな取り引きなんて必要ないって言うかもしれないけど、どうしても確証が欲しいのよ。あの子がいずれ裏に関わるのは、避けられないでしょう。世界の大きな流れに飲み込まれるのも、きっと…。これから先の未来で辛くて、悲しい思いだってたくさんすると思う。だけど、それに負けることなく鳶雄には自分自身の足で未来を切り開いていってほしいの」

「朱芭さん…」

「笑っていてほしい。喜びを分かち合ってほしい。喧嘩だっていっぱいしたっていい。だから、どうか幸せに生きてほしい。そのためなら、あの子に少しでも残せるものが私にまだあるのなら、それを託して逝きたいわ」

 

 取り引き……いや、これは契約だろうか。重い、思い、想い、俺のこれからにも関わるほどの誓い。俺が幾瀬とこれからも友人でいたい、と言った言葉に嘘はない。それでも、改めて言葉にして、誓いとして心に刻むことで、それは俺の中で消し去ることのできない誓約となる。

 

 覚悟、なんてたった二文字で片付かない問題だろうけど…。それだけのものを俺も懸けなければ、先に進むことなんてできない。これは俺自身の意思で、選ばなくちゃいけない道なんだ。ここで怖くなって逃げ帰って、俺は後悔しないと胸を張って言えるのか。俺がこれまで必死になって築いてきた軌跡を、俺自身が裏切ってたまるもんか。一度だけ大きく深呼吸をして、頭の中をスッキリさせた俺は、意を決して口を開いた。

 

「……『灰色の魔術師(グラウ・ツァオベラー)』に所属する『変革者(イノベーター)』、倉本奏太。幾瀬朱芭さん、その依頼をお受けしたいと思います」

「あら、組織の許可はいいの?」

「はいっ。あとで絶対に説教の量が増えそうで、今から胃がしくしくしてきますけどねっ!」

 

 そして、相棒によるオートリカバリーである。俺がやらかしまくるのって、もしかしてこういう胃の痛みを相棒がさっさと治しちゃうからってことはないよな? 人間って、受けた痛みを忘れると同じ間違いを繰り返すことがある、って何処かで聞いたことがあるし。いや、だからって痛いままなのは嫌だけど…。

 

 それから、朱芭さんとこれからについての詳細を詰め、朱雀には今度姫島家へ遊びに行った時に教えようと思う。電話で伝えるには、ちょっと危険な内容だし。ちょうどラヴィニアも一緒に行く日と重なるので、協力してくれている二人と情報交換もできるだろう。

 

 さて、朱芭さんの術のおかげでそれなりに長い時間、幾瀬達の意識を逸らすことに成功したが、そろそろ戻らないとさすがに不審がられるだろう。後輩達には、おばあちゃんと犬の相談で盛り上がった、って言っておけば大丈夫だと思う。それに朱芭さんは小さく笑うと、冷蔵庫に入れて用意してくれていたお菓子を持って一緒に来てくれた。

 

 部屋に戻るのが遅くなったことに文句を言われたが、すぐに朱芭さんお手製の紅茶プリンに全員の意識が向く。そのおいしさにみんなで感動し、幾瀬の女子力の高さは間違いなくおばあちゃんの影響だな、と全員で納得した。こうして俺は、残った時間をミニゲームではっちゃけながら、初めての幾瀬家の訪問を終えたのであった。

 

 


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