麻雀を打ちたい   作:158

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悪待ち

 ――ふぅん。やるわねえ。

 

 

 

 そう言って久は、無造作に垂らしていた髪をゴムで縛り、お下げにする。

 その瞬間、彼女の顔が人好きするやわらかい表情から、獰猛な肉食獣へと変化した。

 この二面性が魔物達の持つギャップにどこか似通っていて、俺は久の評価を上方修正した。

 

(おもしろい女だ)

 

 将来、成長した彼女は、俺の様な魔物ハンターになるのか、それとも魔物そのものになるのか。

 それはまだ判断出来なかったが、ただならぬ素質を持っていると思った。

 

「きんちょーして、戦闘モードになるのを忘れていたわ」

「あんたでも緊張する事があるんか?」

「失礼ね、これでも繊細な乙女なのよ?」

「乙女はもっとマナーが出来ているもんじゃと思っとったわい」

 

 久とまこは軽口を叩き合っているが、先ほどまでの緩んだ空気が一気に引き締まった。

 どうやら緊張していたのは本当らしく、ようやくスイッチが入ったという様子である。

 

「さあ、お待たせして悪かったわね。ここからは正真正銘の全力でぶつかるわ!」

 

 

 

東二局0本場 ドラ:{中} 親:杉乃歩

東家:杉乃歩

南家:沢村智紀

西家:竹井久

北家:染谷まこ

 

「リーチ」

 

久捨て牌 {■■■■■■■■■■■■■}

{北南東九一三}

{⑤9横五}

 

 いささか強めに叩き付けられたのは{五}だった。

 まこは無難に{三}を手牌から抜き打ってオリの様相。

 次のツモで俺も聴牌し、追っかけるかどうかの判断を迫られる。

 

十巡目手牌

{赤五五五六④⑤⑥⑦⑧⑧白白白} ツモ{③}

 

(こっちだな……)

 

打{五}

 

 俺の選択は聴牌とらずの回し打ち。

 追いついたとはいえ、俺が回り道をした訳でもなく、久に先制聴牌を許しているのは覆り様のない事実。

 こんな状況下で、俺と久のどちらがツイているのかは考えるまでもない。

 だからこそ、正直な打牌をすれば大抵喰われる。浮き牌が当たり牌だったり、リーチは通っても一発でツモられてリー棒を損したりと。

 

「一発ツモ――裏々で3000・6000!」

 

十巡目久手牌 ドラ:{中} 裏:{⑧}

{六六七八九⑧⑧23344赤5} ツモ{六}

 

 俺の感覚通り、久はあっさりツモ和了った。

 それも俺が追っかけていれば打っていただろうものに相違ない和了り牌で。

 

(それにしてもひどい捨て牌だ……)

 

 和了り牌の{六}は{三九}が見えていて、両スジ。{⑧}も{⑤}が捨てられていてスジ。どちらも安全そうに映る牌である。

 この牌姿なら確かに必要のない牌ではあるが、平然と迷彩を凝らしてくる女子高生というのはどうなんだと、もやもやした感情を抱いてしまう。

 雀荘に出入りする女子中学生であるお前はどうなんだ、というツッコミはご容赦願いたい。

 

(こいつは――バカに違いない)

 

 最終形と捨て牌から察するに、{五六六}と索子のどちらかが埋まれば聴牌の形だったのだろう。

 そして索子が埋まってこの形になったのだろうが、どうしても不自然さが先行する。

 仮に{五六六七八九⑧⑧23344}から{赤5}をツモったとしよう。

 それならば、俺はほとんどの場合、打{九}リーチをする。なぜならタンヤオ・平和という役が付くし、その方が待ちが多いからだ。

 

「まいどありー、手加減は出来ないけどよろしくね」

 

 普通、こんな台詞を対局相手に言われると腹が立つものだが、久に限ってはそんな感情を抱かなかった。

 彼女には人を寄せ付ける不思議な魔性がある。

 とはいえ、お得意様に成り下がるつもりはない。やられたらやり返す。

 

東家:杉乃歩 31000(-6000)

南家:沢村智紀 19000(-3000)

西家:竹井久 34000(+12000)

北家:染谷まこ 16000(-3000)

 

 

 

東三局0本場 ドラ:{三} 親:沢村智紀

東家:沢村智紀

南家:竹井久

西家:染谷まこ

北家:杉乃歩

 

一巡目手牌

{二四赤五六七⑤⑥⑦⑧⑨19西} ツモ{九}

 

 ずいぶんと俺向きの配牌だと思う。

 索子と字牌の処理を終えると、平和の見える好形手に変化した。

 

三巡目手牌

{二二四赤五六七九赤⑤⑤⑥⑦⑧⑨}

 

まこ 打{八}

 

「チー」

 

四巡目手牌

{二二四赤五九赤⑤⑤⑥⑦⑧⑨} {横八六七} 打{九}

 

 喰わなくとも聴牌まで届きそうではあるが、俺は鳴く。

 経験則上、前局和了った久の手は俺よりも高く仕上がっているはずだ。

 だから、目先の打点よりこの局を確実に和了り流れを引き戻す事を第一に考える。

 

久 打{二}

 

「ポン」

 

五巡目手牌

{四赤五赤⑤⑤⑥⑦⑧⑨} {二横二二} {横八六七} 打{⑨}

 

「お急ぎかしら?」

「ああ」

「せっかくだからゆっくりして行けば良いのに」

「あいにく麻雀に速度制限は設けられてないからな」

 

 聴牌。この瞬間、この局は十中八九貰ったと思った。

 索子を引けないという現象には大きなメリットがある。それは段違いに上昇した聴牌から和了までのスピード。

 一般的に両面待ちならおおまかに三十四分の二の確率でツモれる事になる。だが、索子の引けない俺は二十五分の二でツモれるのだ。

 

「リーチ」

 

智紀捨て牌 {■■■■■■■■■■■■■}

{9發一東横2}

 

 智紀が序盤とはいえ二副露相手に強気のリーチを打つ。

 特徴のない平和系の捨て牌である。恐らくは両面以上の好形聴牌、勝算ありと判断して押したのだろう。

 ――だが遅い。

 

(リー棒の無駄だ)

 

 今の俺を速度で上回れるとすれば、流れに乗っている久だけだろう。

 聴牌さえしてしまえば、待ちの多さなんか関係ない。「ツイてないヤツ」は「ツイているヤツ」に勝てない。

 その枷から抜け出す方法もなくはないが、それは智紀の領分ではない。

 だから、智紀が当たり牌をツモるか俺に掴まさせるかするよりも、俺が自分の和了り牌を引く方が早いのだ。

 

久 打{1}

まこ 打{2}

 

六巡目手牌

{四赤五赤⑤⑤⑥⑦⑧⑨} {二横二二} {横八六七} ツモ{七}

 

(――当たる訳がない)

 

打{七}

 

 無スジの{七}をノータイムでツモ切った。

 この局、俺は智紀に当たらない。智紀が真っ直ぐな麻雀を打っている限りは。

 

久 打{四}

まこ 打{9}

 

 久もまこも完全にオリている。

 この状況を独力で打破出来るのは久のみ。まこでも差し込みなどを使って破れなくもないが、その気はない様だ。

 

(もらった)

 

 山へと手を伸ばし、牌を掴むと確かな感触が返ってきた。

 盲牌なんかする必要もない。わかる、流れが俺に伝えてくれている。

 

 

 

 ――これは俺の和了り牌だ。

 

 

 

「ツモ。2000・4000」

 

七巡目手牌 ドラ:{三}

{四赤五赤⑤⑤⑥⑦⑧} {二横二二} {横八六七} ツモ{三}

 

東家:沢村智紀 14000(-5000)

南家:竹井久 32000(-2000)

西家:染谷まこ 14000(-2000)

北家:杉乃歩 40000(+9000)

 

 

 

東四局0本場 ドラ:{九} 親:竹井久

東家:竹井久

南家:染谷まこ

西家:杉乃歩

北家:沢村智紀

 

「リーチ」

 

久捨て牌

{46六3六白}

{⑧横東}

 

八巡目手牌

{二三四五五六六七七2277} ツモ{赤⑤} 打{六}

 

(攻められない……)

 

 リーチに七対子の一聴向で押すのはあまりにもばかばかしい。素直に現物落としで対処する。

 これが純粋に筒子の染め手ならば、いくらでもやりようがあるのだが、この竹井久という女は素直ではない。平然と萬子や索子で待ち構えている可能性がある様に思えた。その上に運を掴む力は半端でないと来た。前局、和了ったのは俺だというのに、平然と先制リーチを打って来たのだ。

 相手を引っかける待ちというのは、運を掴む力の衰えた玄人(ばいにん)がするものであるという話がある。逆に言えば、流れに乗っている久がする必要はないという事だ。流れに逆らう行動を取るとたちまちツキは逃げてしまい、置物と化してしまう事も少なくない。

 だが――

 

智紀 打{三}

 

「それよ」

「あっ……」

 

 久は二度目の悪待ち和了を決めて見せた。

 染め手か七対子かはたまたチャンタなのか。変則手が濃厚な河にスジを放り込むのは危ない気もするが、現物がなければスジを信用するしかない。

 デジタルな打ち手の智紀が親リーに真っ向勝負を挑むとは考えにくく、これはオリを選択しての打牌だったのだろう。

 だからこそ放銃が痛い。

 呆然とする智紀を尻目に嬉々としながら裏ドラをめくる。

 

「――裏々は12000!」

 

久手牌 ドラ:{九} 裏:{三}

{三①②③④⑤⑥⑦⑧⑨北北北} ロン{三}

 

(ずいぶんと歪な異能(ちから)を持った女だ)

 

 悪待ちの欠点は和了り牌が少ない事の他、打点が低くなりがちな事だ。それを裏ドラという形でカバーしている。

 放銃してしまった智紀の残りは僅か2100点。だが、これは智紀に落ち度がある訳ではない。不調というのは本当に自分の調子が悪くて陥るケースは希である。実際は他家がツキすぎているだけという状況が大半だ。

 今回は俺と久に流れが集中しているから、正攻法で俺達を打ち崩そうと思えば、返り討ちに遭う。無論、流れを信じない打ち手には関係ないと一蹴されるのだろうが。

 

(次で和了れなければ俺の負けだな……)

 

 決して俺が久より格下だとは思わない。十数戦~百数戦といった中~長期スパンの勝負なら負ける気はさらさらしない。

 これでも賭け麻雀で生計を立てていた身だ。魔物以外が相手なら悪くとも五分五分の成績を残せるだろうという自負がある。

 俺と久が他家の点棒を奪い合う状況で、点差が広がったかと思えば、次局であっさり振り出しへと戻る。

 だが、この均衡状態もそう長くは続かないだろう。

 

(智紀が……持たない)

 

 だからと言って差し込みで延命処置を施すのは愚策でしかない。

 長期戦になれば、ペース配分をしなかったツケが必ず回ってくる。長引けば、久もだが、俺の運がガクッと落ちる瞬間が訪れるだろう。そうなればまこや智紀に足下を掬われる可能性すらある。

 当然、彼女もそれを理解しているだろうから、次で決める気になっているだろう。

 

東家:竹井久 44000(+12000)

南家:染谷まこ 14000

西家:杉乃歩 40000

北家:沢村智紀 2000(-12000)

 

 

 

「私ね、分の悪い賭けが好きなの」

 

 ポツリと久が零した言葉にどんな真意が含まれていたのか、その瞬間はわからなかった。

 誰もが勝てっこないとあきらめたくなる様な魔物達。それを倒そうとやっきになっている俺はいかほどに分が悪い賭けをしている事になるのだろうか。

 だから、俺はただ言葉通りに捉えて、「へえ……それは気が合いそうだな」と答えた。

 

「あらら……想定外の言葉ね。と言っても悪い意味じゃないわよ? お姉さんちょっとびっくりしちゃったわ。そしてあなたの事が好きになっちゃった。どうかしら、良かったら清澄に来ない? 歓迎するわ」

「ダメ、あげない」

 

 智紀が条件反射の如く、一拍も間を空けずに答えた。

 

「これ、他人様の妹さんを無理矢理勧誘すんな」

「何も無条件とは言わないわよ……この半荘で私がトップだったら――というのでどう?」

 

 数秒の沈黙を挟んでまこが叫んだ。

 

「アホかーッ! アンタがダンラスならまだしも、親番の上、断然トップじゃろうが! それは条件とは言わん!」

「あら、まこでも沢村さんでも、もちろん妹さんでも良いわ。とにかく私を一位の座から引きずり下ろしたら問題ないのよ? ずいぶん良心的な条件だと思わない?」

 

 久はニヤニヤと挑発する様な視線を向ける。

 それは俺にでも、まこにでもない。智紀へと向けてだ。

 「様な」と付ける必要はないのかも知れない。紛れもない宣戦布告なのだから。

 

「……わかった。その条件でやる」

 

 神妙な顔つきで智紀が頷いた。

 久の発言とまこの態度を見るに、久は三対一の状況でも自分は負けないと言っているのと同意である。

 智紀としてもここまで舐めた発言をされると、プライドが傷ついたのだろう。

 いつもの無表情を崩し――他人から見れば多少、身内から見ればかなり――闘志むき出しの攻撃的な(かお)をしていた。

 

「ちょっ! 沢村さんもこいつの言う事は本気にせんで下さい!」

「ねえ……もう認めましょうよ。まこもわかってるんでしょ?」

「……何がじゃ」

「この四人の中で一番強いのは誰かって事よ」

「あんたは何を……」

「それは私でもまこでも、沢村さんでもない」

「妹さん……か?」

「そう。欲しいのよ……彼女が。まこは知ってるでしょ? 私の夢」

「それは……インターハイに出るちゅう事か」

「五十点。私は団体戦で出たいのよ。だってつまんない(さびしい)でしょ……個人戦(ひとりぼっち)は」

「だからと言って、他人様の家族を勝手に賭けの対象にしたらいかんじゃろ!」

「なら――当人と交渉しようかしら。歩さん……で良かったわよね、あなたはどう?」

 

 は、愚問でしかない。

 当然――

 

(ん?)

 

 俺が答える寸前に、カランカランと来客を示す鈴の音が鳴った。

 入ってきたのは、黒色のパンクファッションで身を固めた長身の女。

 だが、ただものではない。

 一瞬呼吸をする事すら忘れてしまうほど、その女に目を奪われた。

 彼女の中に眠る魔物がアピールしているのだろう。「主役を差し置いて何をやっているんだ」と。

 

「やあ、なにやらおもしろい事になっているみたいじゃないか。私も入れてくれないか?」

「藤田さん!? 今日はずいぶんと早いお着きで」

「何かありそうな気がしたんでな……」

 

 藤田は今時珍しいパイプを取り出し、おもむろに火を付けた。

 まこがこれまでの経緯を藤田に説明すると、藤田は俺へと向き直る。

 

「お嬢ちゃんはどうするんだ?」

「断る理由がない」

「何故――?」

「勝つのは――俺だから」

 

 そう俺が返事をすると「そうか、それは良かった」と笑顔になる。

 

「そんじゃ、わしが外れますんで、藤田さんはここでよろしいでしょうか? ちょっと……いや、大分負けとるんですが」

 

 まこが苦笑いを浮かべながら藤田へと席を譲った。

 

「んー……良い席じゃないか。ついでにいつものカツ丼大盛りを頼む」

 

 まこは「了解ですー」と言って別室へと姿を消した。

 藤田は卓上の点数を見ると笑みを深める。

 一般的に、負けている席に座るのはツキが悪くなると言って嫌う打ち手が多いが、藤田はむしろ歓迎している様にすら見えた。

 そして、まこの席がさも自分のものだったかの様にどっかりと腰を落ち着ける。

 作るのか、それとも出前を取るのか。それはわからないが、カツ丼を持ってくる為に行ったのだろう。

 

「あっちゃー……これは選択肢ミスったとしか言えないわね。まさか靖子がここで入るとは……」

 

 久が天を仰ぐ。

 さっきの四人の中で俺が一番強いと言っていたくせに、勝つのは自分であると疑っていなかったらしい。

 もちろん、俺が久の立場だったとしても同じ事を思っていただろうが。

 

「ん? 何か勘違いをしているな、私どっち側にも付かないぞ」

「まあいいわ。自分の力で成し遂げなければならない事がある――今回はそれよ」

「でも私が一位になっても沢村の妹さんはいらんなあ。そうだ……天江を一日貸して貰おうか。うん、それで良い」

 

 「出来るか?」と靖子が尋ねると、「多分大丈夫」と智紀が答えた。

 一日レンタルという事は、半荘三十戦くらいか? 不眠不休の麻雀に衣が耐えられそうにない気もするが。

 

「……私達が勝った場合は?」

 

 智紀の問いで、初めて俺達側にリターンがない事に気が付いた。そもそも賭けが成立してなかったのだ。

 麻雀が打てればそれで良い。俺という人間がいかに欠陥品であるかがわかった瞬間でもある。

 

「そうだな……何でもするさ。私に出来る事ならばな」

「私もそれでいいわ」

「ん? 今なんでもするって……」

「女に二言はない!」

「そう……」

 

 啖呵を切る久に対し、智紀は緩やかに口元を吊り上げた。 

 

 

 

東四局1本場 ドラ:{⑥} 親:竹井久

東家:竹井久

南家:藤田靖子

西家:杉乃歩

北家:沢村智紀

 

 

 

 ――再び卓は回り始める。


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