麻雀を打ちたい   作:158

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女王様/お姫様

 ――空気が締まった。

 

 

 

 先程までは力と力のぶつかり合う、さながら闘技場のような卓。それはある種の心地良さもあり、いつまでも味わっていたいような高揚感を伴うものだった。

 だが、藤田が加わった事でがらりと変わる。まるで背後から覗かれているかのような、気味の悪さ。心なしか、照明すらも暗くなったように感じられる。

 これは、鬼ごっこのようなものなのかも知れない。

 鬼がだれかとは言うまでもなくReversal Queen(まくりの女王)――藤田靖子――その人以外にあり得ない。

 ヤツから与えられた26秒(26000点)のハンデを貰って逃げるのが俺の役目。常識的に考えれば、身体能力の近しい者同士の勝負であれば、鬼が追いつけるはずもなく俺の勝ちで終わるのが当然。しかし、相手は魔物。例え、半分の距離を歩いていようと、少し本気を出せばあっという間に俺の背後へとその姿を現すのだろう。

 藤田が放つオーラは威圧感なんていう生やさしいものではない。言うなれば、それは殺気。見つけた獲物を必ず仕留めるというスナイパーの視線。徐々に荒くなってくる呼吸音、張り裂けんばかりに脈打つ心音。もしも、俺に魔物との対戦経験がなければガタガタを奥歯を鳴らし、無様にも失禁すらしていたかも知れない。

 だが俺は今、嬉しいと感じている。体は歓喜の波に震え、否応にも口元は吊り上がっていく。

 

(なんて、なんて幸せなんだ俺は……!)

 

 元の世界では、魔物と高い頻度で卓を囲む事がかなわなかった。また他家や俺自身の資金切れで打ち続ける事が出来なくなるという事態も少なくなかった。

 それがこの世界では、牌を再び握るようになって以来、一日たりとも魔物と卓を囲めなかった日はない。それは、衣と同居しているからという理由もあるだろうが、麻雀人口の多さがそのまま魔物の多さにも直結している気がする。

 

(俺は、この世界で牌を握る為に生まれて来たのだろうか)

 

 そう錯覚してしまうくらいに、この世界は俺にやさしい。

 だから、環境に甘える訳にはいかない。

 ハングリーさを失った勝負師には、引退の道しか用意されていないのだから。

 

 

 

 ――勝つ。

 

 

 

 ただ一言、呟く。

 それだけで、体を呪縛するオーラが消し去り、視界がクリアになった気がした。

 

 

 

東四局1本場 ドラ:{⑥} 親:竹井久

東家:竹井久

南家:藤田靖子

西家:杉乃歩

北家:沢村智紀

 

「靖子には悪いけど――この局で終わりにするわよ!」

 

久捨て牌 {■■■■■■■■■■■■■}

{①三三七八横赤5}

 

 威勢よく久が宣言した。

 

「……っ!」

 

 その台詞に一番大きな反応を示したのは智紀である。残り僅か2000点、場棒を含めれば30符2翻のツモでトビ終了となってしまう。

 

(ズラさないとまずいな……)

 

 恐らくだが、そう時間を置かずに久がまたツモる。

 並大抵の打ち手ならば、藤田に萎縮してツキを手放してしまってもおかしくない。

 だが、これは想像でしかないが、久と藤田はそれなり以上に親しい間柄。何度も卓を囲んだ経験があるはずだ。だから、今さら動じる事なく自分を貫き通せているのだろう。

 

(とはいえ、俺が動くのだけはごめんだ)

 

同巡手牌

{七八八赤⑤⑤234555北北}

 

 俺の手牌は役なしドラ1の一聴向。決して良い形とは言えないが、それでも悪い形とまでは言い切れない。それなりにツキが残っているはずだ。

 ここで手を崩す鳴きをする事は、和了りを放棄する事に他ならない。

 

(さあ、どう動く女王様よ!)

 

 藤田は紫煙を吐くと、どこか優雅さのある動作で手牌から抜き打った。

 

藤田 打{4}

 

(そうだな、そう来ないと魔物じゃない)

 

 {23}でチーそして打{北}でタンヤオへと向かうのが、久のツモをずらしつつ俺が和了りに向かう自然なルートに見える。

 だが、死んでもその手には乗らない。それは、藤田が思い描いた未来でしかないのだから。

 俺は手牌を晒さず、山へと手を伸ばした。

 

「ほう……」

 

 藤田が意味深に頷く。

 ひとまず第一関門は突破という事だろうか。俺は間違えてない。だというのに、それすらも想定内という藤田の態度は無性に腹立たしいものがあった。

 

六巡目手牌

{七八八赤⑤⑤234555北北} 打{八}

 

 打{七}で{⑤北}のシャボ待ちで聴牌。

 だが、これは聴牌に取ってはならない。

 追っかけリーチを打とうとした牌で討ち取られるというケースは多く、それはツキの性質上当然のものである。面前の勝負に限れば、多くの場合ツイているヤツが一番早い。だから他家の余剰牌が当たり牌になる。

 だから、後手に回ってしまった時点で真っ直ぐに和了りに向かうという行為は避けなければならない。

 

打{北}

 

(どう動く――藤田)

 

 これが想定内だというのなら、その解決策を用意しているはずだ。

 一つでも多く藤田の手札を晒させる。

 

「ポン」

 

 と藤田が動く。

 

「あら? 一発消しとはプロのくせにちゃちい麻雀をするわね」

 

 そう茶化す久だが、本心ではないのだろう。その顔は先ほどまでの不敵な笑みを(かたど)っていなかった。

 

「ちゃちいかどうかは――終局後に判断してもらいたいな」

 

 藤田は紫煙を吐き出すと、牌を打ち出した。

 

藤田 打{⑥}

 

「ちょっ……{⑥}(ドラ)!?」

 

藤田手牌

{■■■■■■■■■■} {北北横北} 

 

 藤田の選択に、久は目を大きく開き、呻くように声を絞り出す。

 だが藤田は一瞥もくれず、ただ一言「鳴かないのか?」と独り言のように呟いた。

 

「……ポンッ!」

 

 一瞬、惚けた顔をしていた智紀が、唇を噛みながら{⑥}を倒す。

 ぼそりと「……同じだ」と呟いた。

 

智紀手牌

{■■■■■■■■■■■} {⑥横⑥⑥} 打{⑦}

 

 天江衣という人外を相手にし続けている智紀にとって、藤田のその行動は見慣れたものだったのだろう。

 一体どこまで見通しているのだろうかという驚異的な洞察力。

 そしてそれからもたらされる、悪魔的な打ち回し。他人のペースに乗せられて和了るというのは何度味わっても気味が悪く、もやもやしたしこりをぬぐい去ることが出来ない。

 だが、そこまで理解していながらも智紀はそれに乗るしかなかった。

 箱下なしのルールである以上、持ち点が1000点を下回ればその時点で勝負は終了だ。

 たったの1000点、一本場である今は、久の30符2翻のツモで吹き飛んでしまう。

 そんなあっけない幕切れを魔物が許す訳がない。だから、この局和了るのは久ではない。俺でもない。だが、藤田でもない。

 もうここまで言えば誰にでもわかるだろう。

 この局、智紀が和了る。

 そう決めつけられているのだ。

 

 

 

 ――藤田によって。

 

 

 

 だが、それを指咥えて眺めているのが俺の性格ではない。

 何が何でもそのシナリオを崩す。

 例え今回失敗しようとそこで生じた本来の流れとの差異は、バタフライエフェクトとなり終盤で効力を発揮する。

 

「うわー、何か嫌な予感しかしなくなってきたわね……」

 

 久は、そう零しながら恐る恐る牌をツモ切る。

 

久 打{⑤}

 

 当然鳴く。

 

手牌

{七八八八234555} 打{北} {赤⑤横⑤⑤}

 

(追いついた……!)

 

 副露により、ツモ筋が入れ変わって、久は不調者の筋になっている。ならば、ツモ和了りの目はかなり薄い。

 つまりこれは俺と智紀がサシの勝負をしているようなものだ。

 

(これはお前の予定にあるのか? 俺が智紀とやり合える状態でいるという事は)

 

 とはいえ、この程度で魔物を上回った気にはなれない。

 それを覆すだけの何かを持っていないと、それはバケモノたり得ないからだ。

 

「ロン。8300」

「はい」

 

智紀手牌

{123789白白發發} ロン{白} {⑥横⑥⑥}

 

 この攻防は藤田の差し込みで終了した。

 まずは引き分けというところか、女王様?

 

東家:竹井久 43000(-1000)

南家:藤田靖子 5700(-8300)

西家:杉乃歩 40000

北家:沢村智紀 11300(+9300)

 

 

 

「君、中々面白いな」

 

 牌を流し込み、次の山が迫り上がって来るまでの僅かな期間、藤田が話しかけてきた。

 賞賛か純粋な興味から来たものなのか判断は付かなかったが、藤田の言葉に俺は「そりゃどうも」と謝辞を述べる。

 

「若いのに随分と打てる……まるで一昔前の玄人を見ているかのようだった」

 

 その認識は間違っていない。

 元の世界での俺の生き方は、藤田の言う一昔の玄人のものとそう変わりはないだろう。

 競技として発展しているこの世界とは違い、麻雀でしか喰っていけない世界から落伍した者と、アウトローな人種だけで構成されていたのが俺の世界だ。

 魔物には第六感で打つ直感タイプと、バケモノじみた洞察力で打つ玄人タイプがいる。

 ヤツらは多かれ少なかれ両方の特徴を併せ持っているが、衣は前者が色濃く、藤田は後者に偏っていると思った。

 前者には、何かの間違いで勝ちを拾える事がある。衣に勝った事がない俺が言うのは滑稽でしかないが、ヤツらにはムラがある。衣が昼間より夜の方が強いのと同じように。

 だが、後者は――いや、後ろ向きになるのは止めよう。

 負けるかも知れないなどと、余計な事を考えていて勝てる相手ではない。

 

「カツ丼おまたせしました」

 

 その言葉と同時にまこがカツ丼を持って表れた。

 

「お、いつも通り()()()()()()()だな。いただきます」

 

 藤田はガツガツと優雅さを全て捨て去りがさつに咀嚼する。

 それは、Reversal Queen(まくりの女王)の素の姿なのかも知れない。

 もっきゅもっきゅと喉ごしを楽しむかのように掻き込むその姿は、実年齢よりずいぶんと幼く映り何とも愛らしく見えた。

 そんな二面性が見えるところに、やはりこいつも衣と同じ人種なのだと確信を深める。

 それと同時に、こんな人間らしい部分があるからこそ、魔物を追い続けられるのかも知れないと思った。

 彼女達が、血も涙もないあの男のような人鬼であれば、俺はとっくの昔に心を折られ、立ち上がれなくなっていただろうから。

 カラン。どんぶりと箸がぶつかる乾いた音が鳴った。

 

「さて、ここからは私のテリトリー……逃げ切って見せろ、お姫様」

 

 鋭い眼光で俺を貫く藤田の顔は、やはり美しく、この魔性から俺は逃れられないのだと錯覚させられただろう。

 

 

 

 ――その頬にご飯粒が付いていなければ。

 

 

 

「ん? どうした私の顔に何かついているか?」

「ついてるわよ……ご飯粒」

「あっす、すまん……」

 

 久に注意されて、顔を拭う藤田は、威厳の欠片もなかった。

 

「そんな部分も一緒……」

 

 その様子を見てこくこくと頷く智紀は、衣と藤田を重ね合わせていたのだろう。

 

 

 

南一局0本場 ドラ:{一} 親:藤田靖子

東家:藤田靖子

南家:杉乃歩

西家:沢村智紀

北家:竹井久

 

 この局は何が何でも流さなければならない。

 現時点で藤田が流れを掴めているとは思えない。だが、親番を引き、連荘でもすれば状況は百八十度変化する。

 だからこそ、この局に要求されるのは究極の早和了り、最悪他家に差し込んででも南二局に突入する必要がある。

 

(だというのに……!)

 

配牌

{一一一②⑨⑨2266南白中} ツモ{⑥}

 

(どうしようもなく手が重い……ドラ3は歓迎だが、対子手でしか和了れそうにない形だ)

 

 役牌を重ねるか、鳴いてトイトイ、重なり次第で七対子かという配牌。

 

(確かに打点は欲しい……だが藤田に和了られたら何の意味もない)

 

「チー」

「ポン」

「チー」

 

 三度の発声は全て普段無口な智紀のものだった。

 

智紀手牌 {■■■■} {横⑤④⑥} {中中横中} {横三一二}

捨て牌

{東9二發③4}

 

(最速で聴牌することだけを考えた仕掛け……十中八九そば聴だ)

 

 愚形搭子を二つ処理している以上、手元に残っているのは好形搭子の可能性が高い。

 {344}か{445}からの打{4}――つまり、{25}待ちか{36}待ちにしていると読めた。

 

(差し込めと言っているのか?)

 

 これは智紀のSOSなどではなく、戦略として一時的に共闘しようというサインだろう。

 「お前なんかいつでも抜き去ることが出来るんだぞ」と、耳元で囁かれているような不快感。真後ろに藤田が立っているような感覚をぬぐい去ることが出来ない。

 

(わかったよ。欲は捨て去って着実に藤田の親を蹴る……これが正解のはずだ)

 

 藤田を流れに乗せてしまえば、勝機はほぼゼロだ。

 ここで1000点捨てるだけで、藤田の親番を確実に終わらせられるなら、そうすべきなのだろう。

 

「ロン。2000」

 

智紀手牌

{②②4赤5} ロン{6} {横⑦⑤⑥} {中中横中} {横三一二}

 

 智紀の手牌がぱたりと倒された。

 

(このメガネ……ちゃっかり赤ドラ使ってやがる……!)

 

 俺がやり場のない怒りに震えていると、パタリと牌の倒される音が聞こえた。

 

「悪いな……ダブロンはありだったか?」

 

藤田手牌

{五五五⑤⑤⑤2266西西西} ロン{6}

 

「三暗刻、対々和は12000。やられっぱなしっていうのは嫌いでね」

 

 奇遇だな、俺もそうだ。クソッタレ。

 口にこそ出さなかったが、俺は顔を大きく顰めていただろう。

 

東家:藤田靖子 17700(+12000)

南家:杉乃歩 26000(-14000)

西家:沢村智紀 13300(+2000)

北家:竹井久 43000


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