――道が見えた。
狙うべきなのは七対子か対々和だろう。
衣の形成する流れが、「手なりで進める限り、その余剰牌はほぼ確実に他家が鳴く事の出来ない牌になる」というものだと仮定しよう。
その推測が正しいのなら、対策が取れない事もない。
衣の支配の効力が、他家を鳴かせないという事にあるのなら、必然的にツモれる牌が偏るはずである。さらに、下家のみに作用する索子が引けなくなるという縛りを考慮すれば、牌を重ねるのは難しくない。本来34種類の牌で絵合わせを行うゲームが、実質25種類以下の牌で行う事になるのだから。
ついでに言うなら、透華は自分のスタイルを貫いている様に見えたが、純は現状を打破する為に、恐らく俺をアシストしてくれるだろう。利害関係が一致しているのだ、ツモ筋をズラしたい純と、ポンをしたい俺。自分以外は敵である麻雀というゲームで、他人を信用するのはどうなんだと思わなくもないが。
本当の勝負局は東四局だが、衣の勢いを断つ意味でこの局で和了っておきたい。そして、次局で親被りさせ、南一局、俺の親番で一気にかたをつける。
簡単に攻略出来るとはこれっぽっちも思っていない。だが、今の状況から考えられる最善はこれだ。やりきるしか俺に道はなく、むしろ一本でも道が通っている事に感謝するべきなのだ。
東三局0本場 ドラ:{④} 親:井上純
東家:井上純
南家:天江衣
西家:杉乃歩
北家:龍門渕透華
一巡目手牌 ドラ:{④}
{四八九①⑤⑥466南西白中} ツモ{發}
相変わらずクソみたいな配牌だった。
少々運を喰っただけで回復する様な生ぬるい不調ではないらしい。
喰いタンだろうが、役牌のみだろうが、何でも良い。一度和了り、俺へと流れを無理矢理集める他ない。だが、そう簡単に行かせてくれないのも理解している。対々和か七対子という時間のかかる役でしか和了れそうにないのだから。
(対子は一つだけか……)
縦に伸ばしやすい場――対子場――が形成されているとしても、配牌に対子が一つしかないというのは中々の痛手である。
トイトイではなくチートイを狙うとしても、最低でも五巡はかかるのだ。
(とりあえず……鳴かせるッ!)
自分の和了りを捨てる訳ではない。和了る為には現状を打破する必要があり、場を動かす事が不可欠なのだ。
俺は{4}を第一打に選択した。
この牌姿なら、大抵の打ち手は{①}か客風牌の{南}を打つだろう。
だからこそ、そこが突破口に繋がっていると確信している。そんな打牌は普通ならありえない、もちろん魔物達も凡人がそんな打ち方をするとは想定していないはずだから。
「ポン」
純手牌
{■■■■■■■■■■} {4横44}
発声したのは純だった。
俺の河から{4}を奪い取ると、己の右手側へと叩き付ける。
(動いたッ!)
いきなりうまく行ったのはたまたまでしかないが、やはりそうだ。セオリー外の打牌をすれば、鳴かせる事が出来る。
じろりと衣に怜悧な視線で睨み付けられた。俺はどこ吹く風と受け流す。内心にやりとしながら。
(狂ったぞ……)
ここまでは予定通り。しかし、これからが正念場であった。
ツモ筋がズレた事でどうなるのか、きっちり観察する必要がある。
二巡目、ツモ{南}打{①}。三巡目、ツモ{西}打{四}。四巡目、ツモ{赤⑤}打{⑥}。
五巡目手牌 ドラ:{④}
{八九⑤赤⑤66南南西西白發中} ツモ{八} 打{九}
(……同じだ。一聴向まではあっさり進む)
東二局も一聴向までは調子良く手が進んだ。
(やっぱり、俺の予測は間違っていない……)
中盤以降でとても和了れそうのない牌姿のままだと、オリる打ち手も少なくない。当然その打牌は、純粋な聴牌効率を重視したものとは違ってくる。そうなれば、他家が鳴く事が出来る牌を放出してしまう可能性が高まり、衣の描いたストーリー通りには進まなくなる。なので、一聴向まで手を進めさせる――オリという選択肢を頭の中から消し去る為に。
(しかし……ズラす事に意味はないのか?)
不調の俺が無駄ヅモなしで一聴向まで進むというのは、経験則上かなりのレアケースと言える。
衣の支配は消え去っていない可能性が高く思えた。
(いや、まだ数巡待つ……俺が動けずとも、純や透華が動く可能性がある。結論を出すには早すぎるだろう)
変わらず空気は重い。
だが、それだけでは判断材料に成り得ない。
ブラフを張って相手を騙すのは魔物の常套手段だからだ。
(実のところ自分は絶不調……何て可能性もゼロではない)
それでも、トータルではきっちりプラス収支に持ち込むのが魔物という存在であり、その恐ろしさである。ヤツらは常人の遙か上を行く。魔物の不調と凡人の絶好調を比較しても、魔物が勝る。
六巡目手牌 ドラ:{④}
{八八⑤赤⑤66南南西西白發中} ツモ{五} 打{五}
(無駄ヅモ……)
七巡目手牌 ドラ:{④}
{八八⑤赤⑤66南南西西白發中} ツモ{三} 打{三}
(連続……やはり、ツモ筋に意味はないのか?)
そして八巡目、純の河に{6}が顔を覗かせた。
「ポン」
手牌 ドラ:{④}
{八八⑤赤⑤南南西西白發中} {6横66}
俺は反射的に鳴いた。
七対子の一聴向から聴牌までの時間は平均十数巡はかかると言う統計データがある。
流れ論者の俺がそれを語るのは滑稽な上、たかだか二巡でこれ以上先に進むのか、進まないのかは判断しかねる状況である。だが、俺は動く事にした。どちらにせよ、不調の俺が面前で一聴向以上に仕上げるのは難しいのだろうと判断して。
そして打{白}。
「ポンですわ」
透華手牌
{■■■■■■■■■■} {横白白白}
透華も動いた。打{八}。
「ポン」
手牌 ドラ:{④}
{⑤赤⑤南南西西發中} {八八横八} {6横66}
当然鳴く。打{發}。
「ポンだ」
純手牌
{■■■■■■■■■■} {發横發發} {4横44}
純が手を晒す。打{赤⑤}。
「ポン」
手牌 ドラ:{④}
{南南西西中} {⑤横赤⑤赤⑤} {八八横八} {6横66}
当然の打{中}。
急激に場が回り始めた。魔物を蚊帳の外に置いたまま。
衣の支配の影響で、一聴向までは自動的に手が進む。純は恐らく手を崩していただろうが、二副露なら張り直せただろう。透華はここまで全く動いていなかっただけに、一副露=聴牌と判断出来そうだ。三家聴牌と考えた方が無難だろう。
いかに優れていようが、ツモをトバされれば何も出来ない。衣の下家という立場に初めて感謝した。
ツモをトバされ、衣はどう感じているのだろうか。
怒っている? 逆に感心している? 悲しんでいる?
俺は衣へと目線を流したが、当の本人は何でもなさそうにのほほんと構えていた。
(それもそうか。純が毎度この戦法をとっているのならば、見慣れた光景なんだろうな)
その後は、今までとは違った趣のツモ切り合戦が繰り広げられた。
もう回し打ちをする余裕は誰にもない。
誰かの和了り牌を掴んだヤツが負けだ。
そして数巡後、
「ロン。8000」
「うげぇっ」
純の捨てた南で俺が和了った。
手牌 ドラ:{④}
{南南西西} {⑤横赤⑤赤⑤} {八八横八} {6横66} ロン{南}
(14000点差……跳ツモで逆転だが、厳しいな)
今回は衣のツモをトバしつつ和了るという作戦がうまく行ったが、当然失敗した場合も考慮する必要がある。衣の和了には、リーチ・一発・ツモ・海底と手役がなくとも四翻が確定しているのだ。衣は、最低でも満貫、恐らくアベレージで跳満程度は持っていく超火力の打ち手。
残り11000点の純がトブまでそう時間はかからない。
(俺と透華は、跳満以上の手を純から和了る事が出来ない。純が衣を削ってくれるのがベストだが……)
それは望み薄だと理解している。
何と言っても彼女は魔物なのだから。
だが、それも俺が衣を追い抜けるだけの点棒を抱えていれば問題ない。
(最良は1000・2000以上のツモ和了り、最低でも衣に和了らせない)
もちろん、衣に一発ぶち当てるのが理想だが、それを計算に入れるのはあまりにも馬鹿げていると言わざるを得ない。
今の自分に出来る事をこなすのが一番であり、そこから勝利に結びつける方法を模索するべきなのである。麻雀好きから麻雀打ちになり、高望みは身を滅ぼすという事を嫌でも理解させられたからだ。
東家:井上純 11000(-8000)
南家:天江衣 39000
西家:杉乃歩 25000(+8000)
北家:龍門渕透華 25000
東四局0本場 ドラ:{五} 親:天江衣
東家:天江衣
南家:杉乃歩
西家:龍門渕透華
北家:井上純
(ここが勝負だ……)
俺が和了れば勝利が一気に近づくが、衣が和了ればほぼ負けが確定する。
最悪他家に差し込んででも衣の親を蹴らねば、勝機はない。
(いける……か?)
配牌にずっしりとした重みを感じた。
東一局の軽石に始まり、東二局と東三局が高野豆腐、そして今回は鉛程度には重量感がある。
一度和了った事により、運も一気に戻って来つつある様だ。
一巡目 ドラ:{五}
{五六八八②⑥⑦⑦⑨345中} ツモ{④} 打{中}
タンピン系の軽い牌姿。
鳴いて速攻、面前でもそう時間はかからないだろう。
二巡目、衣が{③}を打った。急所にピンズドだが、俺はスルーした。
(ツモに手応えがある……だからそれは鳴かない)
ここで鳴くと逆にリズムを崩してしまいそうな気がした。
それを衣も理解していたのだろう。だから、わざわざ俺が欲しい牌を切ってきたのだ。
二巡目 ドラ:{五}
{五六八八②④⑥⑦⑦⑨345} ツモ{③} 打{⑨}
大丈夫だ、今回は張れる。
今までの様に、ツモらされていたのではない。俺が、自分の意思で牌をツモっている。だから、この後も手が進むはずだ。三巡目、四巡目と無駄ヅモを引いたが、焦らない。
五巡目 ドラ:{五}
{五六八八②③④⑥⑦⑦345} ツモ{八}
打{⑥}で{四七}待ちの聴牌。罠はないはずだ。俺が聴牌出来たのは衣の計算外なのだろうから。
河を眺める。相変わらず体は重い。まるで重力が数倍に膨れあがった様な抑圧感がある。衣の支配は消えていないという事だ。
だが、それでも聴牌出来たという事は、今の俺なら和了れるという証左に他ならない。
(迷う必要はない……今の流れなら俺がツモるッ!)
「リーチ」
{⑥}を曲げ、千点棒を取り出す。
この時の興奮は、何度味わっても俺を飽きさせる事がない。いつも、頬が緩みそうになるのを堪えようと必死になってしまう。あるいは堪えられていなかったのかも知れない。
それ程に、リーチの瞬間というのは快感だった。
「――ッ! ポンッ!」
純手牌
{■■■■■■■■■■■} {⑥横⑥⑥}
純が{⑥}を喰い取った。
この反応は嬉しかった。同じ流れ麻雀を身上とするものだからこそ、わかったのだろう。次のツモで俺が和了ると。だからズラす。
だが、純の行為は一巡遅かった。
俺がリーチする前だったなら、流れは分断され、和了れなかったかも知れない。
しかしすでに牌は曲げられており、堤防を構築している。
流れは変わらない、いや、変えられない。
――もう、俺は止まらない。
「ツモ。3000・6000」
六巡目 ドラ:{五} 裏:{⑦}
{五六八八八②③④⑦⑦345} ツモ{四}
確かな手応えと共に、手牌をさらし、和了宣言をした。
(条件クリア……次の親で決めるッ!)
ふと衣へと視線を移すと、興味深そうに俺を観察していた。
その両目に宿る闇は、どんな黒よりも昏く、深淵を思わせるものだった。
「これより歩が向かうは暗欠道……心して通るがよい」
衣の発言の意味は、俺には理解出来なかった。
だが、間違いなくまた何かをするのだろう。そう確信した。
東家:天江衣 33000(-6000)
南家:杉乃歩 37000(+12000)
西家:龍門渕透華 22000(-3000)
北家:井上純 8000(-3000)