麻雀を打ちたい   作:158

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杉乃歩についての考察――龍門渕透華

 ――おかしな方ですわね。

 

 

 

 ひょんな事から引き取った杉乃歩、いえ、名無しの少女と言った方が正確でしょうか。彼女と共に暮らす様になり、一週間の時が流れましたが、日々本当に変な人だと感じさせられます。男の人の様な言葉遣いは純を連想させましたが、どうも二人には何か根本的に異なっている部分がある様なひっかかりを覚えました。純はああ見えて純情で、乙女な部分があります。普段の態度はそんな本質を包み隠す擬態とでも言えば良いのでしょうか。しかし、歩さんはそのかわいらしい外見とは裏腹に、年頃の少女らしい嗜好をまったく持っていない様に見えます。服装に無頓着だったり、甘いものより辛いものの方が好きだったり。

 最初の印象は、無愛想な、感情をなくしてしまったかの様な、そんな寂しい人物だというものでした。同時に、実際記憶を失っているというのだから、それも仕方ない事なのかとも思いました。しかし、一度牌を握れば彼女は別人の様に生き生きとした表情を浮かべます。その顔はわたくしがよく知っている従姉妹――天江衣――によく似ていて、でも決して同質ではない。むしろ真逆なのかも知れません。

 両者の間には大きな壁があるのですから。

 確かに歩さんの強さには驚かされました。あの日は結局、南二局に純が跳満を振り込み終了。衣が一位、歩さんが二位、わたくしは三位でした。でも、それに驚きを覚えたのはわたくしだけではないでしょう。夜の衣、それも初めての対戦でありながらハコらなかった打ち手をわたくしは今まで見た事がありません。一も純も智紀も、今でこそ攻略法を確立し、勝てはしなくとも好戦する様になりましたが、初戦は手も足も出なかったのですから。

 

(昼の衣よりは強いかも知れません……)

 

 歩さんにとっては意味のない事を考えてしまいました。

 彼女は、衣が全力を出せるのは夜だけだという事をたった一度の対局で察知し、常に衣がフルパワーを出せる状況でしか卓を囲もうとしません。しかし、それは彼女の理念からすると当たり前の事なのでしょう。

 

(魔物に魅了され、魔物に憧れて、魔物を目標にして、麻雀を続けるバカ)

 

 あの日の晩、彼女が衣へと告げた言葉は一字一句違える事なく記憶しています。

 記憶をなくしたと言っている割に、そんな変な信念だけは覚えている。

 衣の全力を受け止めるその瞬間、それは彼女にとって夢の様な一時なのでしょう。

 本当に変な方です。

 

(もっと知りたいですわね、彼女の事を)

 

 記憶が戻らないとそれは叶わぬ事なのかも知れませんが、何となく彼女は記憶が戻ってもこのままの様な気がします。

 

(まあどちらにせよ、時間はたっぷりあるのです。じっくりねっとりあなたの事を感じさせてもらいますわ)

 

 

 

 今、わたくし達は、再び週末を迎え、何をして遊ぼうかと、衣の部屋で話し合っています。

 先週の日曜日は、歩さんに龍門渕家の事を説明するのに一日丸々を使ってしまいました。

 親睦を深める為にも、みんなでどこかに出かけるというのも良いかも知れません。

 

「ここ……行きたい」

 

 珍しく智紀が自分から発言をしました。

 ノートパソコンの画面をわたくし達の前へと向けます。

 決してノリが悪いという訳ではありませんが、物静かな智紀が自分から意見を言うというのは何だか新鮮で、だからこそ良い事の様に思いました。

 

「え~と……ルーフトップ? メイドさんと打てる雀荘……って趣味丸出しだね、ともきー」

「つーか遠いな……何時間電車に乗れば良いんだ?」

「それもあるけど……本命はこっち」

「ん? 今週末は藤田プロが来店? ああ、夏にあったプロアマ親善試合で衣の次だった人だね。戦ってみたいの?」

 

 純の苦情をスルーし、一の質問に智紀はこくこくと頷きます。

 幼少期から牌に触れていたわたくし達と違い、智紀の麻雀歴は精々一年程度。センスはあるのですが、どうしても五人の中では一番下の成績となってしまいます。おっとりした見た目とは違い、反骨心の強い智紀は、自分を高める事に努力を惜しみません。その性格には非常に好感を覚えます。

 

「女子プロか……悪いが俺はあんまり興味ないな」

「……どうして?」

「麻雀打ちっていうか、タレントとしての側面が強い印象があってどうも……な」

 

 拒絶されるとは思わなかったのか、ショックを受けた様子で理由を問う智紀に、歩さんはばつが悪そうに顔を逸らしながら答えました。確かに、女流プロの中には、大した腕前を持っていないクセに、見た目が良いという理由だけで、協会からプッシュされている人が少なからずいます。

 

「あー、わかるかも。でもタレント活動していても強い人はいるよ? はやりんとか、他にもはやりんに……最期にはやりんだね」

「誰だ?」

「あっ、歩ちゃんは知らないか。瑞原はやりプロって言ってまあ見た目はあれだけど強いプロが居るんだよ」

「一が強いって言うなら本当に強いんだろうな、あと歩ちゃんは止めろ。何で純はくんなのに、俺はちゃんになるんだ」

 

 藤田プロは若手のホープとも言える存在で、最近メキメキと頭角を現してきた打ち手です。決して、見た目だけで持ち上げられている凡庸な雀士ではないと、一が説明しました。

 歩さんも流石に納得したのか、神妙に頷きましたが、どこか非難めいた視線で一を睨みます。

 

「う~ん……その方がおもしろそう、だからかな」

「な!?」

「せ、性格わりィ……」

 

 歩さんの抗議を、一はいたずらっぽい笑みを浮かべ却下します。

 その会話と端で聞いていた純は、げんなりと顔色を沈めました。

 確かに、一にはひとをからかって遊ぶ悪い癖がある様な気がします。それも、本当に嫌がる事はせず、言われた相手が許容するかどうかの当落線上で綱渡りの様に弄ぶのです。小悪魔タイプとでも言えば良いのでしょうか。将来、彼女の伴侶になる人は苦労する事になるでしょう。

 

「ともかく……明日はルーフトップに遠征するという事で良い?」

「むぅ……げに申し訳ないが、衣は留守番させてもらう。その日は人が大勢集まるのだろう?」

「あっ……ごめん、やっぱり止める」

 

 脱線しすぎた会話を元に戻そうと智紀が確認をとろうとしましたが、衣がストップをかけます。

 人混みを何よりも嫌うこの子には、藤田プロ目当てに大勢の客が訪れるであろうその場は、苦手なものでしょう。

 

「ん? 気にせずに行けばいい、衣は自分がわがままを言っているだけなのだと理解している。逆に止められる方が辛い。だって衣達は家族なんだから」

 

 衣の一言が、わたくしの心を強く打ちました。

 家族――この言葉が衣の口から初めて聞けた時……わたくし、恥ずかしながら泣いてしまいました。

 衣の両親がお亡くなりになって以来、閉ざされていた彼女の心は、わたくしがどんなに手を尽くしても完全に開かれる事はありませんでした。しかし、歩さんはたったの一晩で衣の理解者となり、衣を好きだと、麻雀を打っている衣が好きなんだと言ってのけました。そして、自分は衣に惹かれているのだ、憧れているのだ、と熱っぽく続けました。その時の衣は、久しく見せていなかった本当の笑顔、決してまがい物ではない純真な笑みを浮かべていました。流石のわたくしもこれには少々嫉妬しましてよ。

 

「……わかった。強くなって衣に勝ってみせる」

「待っている……とは言わぬ。追いついてみろ」

 

 智紀と衣の何気ないやりとり。

 これも歩さんが来る前には見られなかったものでした。

 

 ――麻雀を打つ事でしか、自分の存在を認められなかった衣。

 自身が本気で打つと他者が傷つくと知りながらも、それ以外に自分を表現する方法を持たなかった少女。言うなれば彼女は太陽、決して月ではありません。だって月には人間が到達出来るのですから。生命を育むその光も、近づきすぎればその身を焦がされる。故に彼女は孤独でした。

 

(ですが、それは全て過去形で……)

 

 ――麻雀を打たない自分を認められない歩。

 誰が届かぬと言っても、それを信じず太陽へと手を伸ばす愚か者。だけど、蝋で翼を固めたイカロスとは違い、彼女の翼は炎で出来ていた。だから、周囲の人間を置き去りにしながらも太陽へと到達し、その孤独を解消させてしまいました。

 

(こんな事になるとは……思ってもいませんでしたわ)

 

「藤田ってのはどんなヤツなんだ?」

「藤田は衣を子供扱いする失礼で三流のゴミクズプロだ」

「……本当か!?」

「ああマジだぜ。あいつは衣を子供扱いしやがった」

「うん、ボクもそのシーンを見たよ」

 

 強敵と打てる事がよほど嬉しいのか、歩さんは頬を緩めています。

 勘違いしていると伝えたいのですが、この状態の彼女に事実を教えれば、ショックで自殺してしまいそうな気がしました。

 その要因となる様な事を言った衣も問題ですが、フォローする気ゼロの純と一にはもっと問題があります。

 ええまあ……嘘は言っていないのですが。

 比喩的表現ではなく、その言葉通り、ナデナデしたり、抱っこしたり、頬ずりしたりと、子供扱いするのが藤田プロで、麻雀の腕前なら……衣の方が上でしょう。無論それは衣の異常性を加味してのですが。技術という意味ではプロである藤田さんの方が当然上回っていると思います。

 

「ん? ちょっと待て……俺って雀荘に入れるのか?」

 

 ふと正気に戻って、歩さんは不安げな表情を浮かべます。

 その粗雑な口調と、かわいらしい表情のアンバランスさはちょっと何かそそるものがありました。

 

「まー問題ないんじゃない? そのお店ノーレートでしょ」

「なんだ……ってそういう問題なのか!?」

「古ィ価値観もってんな……お前の中身おっさんじゃねェか?」

 

 歩さんはノーレートであるという事で肩を落としましたが、再び驚愕の表情を浮かべ叫びました。

 確かに、十八歳未満の雀荘への入店は風営法で禁止されています。

 一昔前は、麻雀と言えば、賭博であったり暴力であったりと、裏社会を連想されるゲームでもありました。

 しかし、現実にはノーレート雀荘に限り明らかに未成年が打っていても咎められる事はなくなっています。

 二十一世紀になり、麻雀の全世界で競技人口は一億人を超え、一気にメジャーなゲームへと化しました。

 世界ジュニア戦が開催される等、その中には子供も多く含まれており、今、麻雀協会はクリーンなテーブルゲームであるという事をイメージ付ける為、必死になっています。

 そして、麻雀は子供が打っていてもなんらおかしくないゲームである。という認識が世間に広まりました。

 ノーレートに限るとはいえ、未成年が雀荘に立ち入る事が出来る様になったのは、麻雀協会の努力のたまものでしょう。

 無論賭け麻雀がなくなった訳ではなく、現在でも点ピン程度までならそこら中の雀荘で行われているといのも事実ですが。

 

「お、おっさんは止めてくれ……」

「ならおばさんで」

 

 歩さんが珍しく本気で嫌そうな顔をします。

 すかさず一が追い打ちを掛けましたが、そう言う問題ではありません。

 まあそれはわかっていて一も言っているのでしょうけど。

 

「なぬっ!? それでは歩よりおねーさんな衣はお婆さんになってしまうのか!?」

 

 驚愕の表情で衣が叫びました。

 ええ、こんな場面を見ていると藤田プロの気持ちがわからなくもありません。

 

「いやァ……衣は違うだろ、なあ国広くん」

「そうだね、衣はねえ、純くん」

 

 純と一も今、わたくしと同じ感情を抱いているのでしょう。

 表情にこそ出しませんが、智紀もそうだろうと思います。

 

「衣は――こども」

 

 四人の口が同じ言葉を発しました。

 やいやいと騒がしかった部屋が一瞬にして静寂に包まれます。

 衣へと視線を移すと、笑顔で青筋を立てるという器用な方法で怒りを表現していました。

 

「こどもじゃない! こ・ろ・も だ!」

 

 衣は「純の莫迦! 一の莫迦! 智紀の莫迦 透華も莫迦!」と咆哮し、口を尖らせます。

 あまりからかってはいけませんが、何とも普通であるこの様な光景は今まであまり見られませんでした。

 今の龍門渕家が、本当に衣が子供としていられる場所になってくれたのかと、思うとまた涙が溢れてきそうになります。

 

 

 

 ――こんな小さな幸せがいつまでも続きます様に。

 

 

 

 衣とまた東京のファミレスに行くのだと約束していますし、歩さんの服も買いに行かなければなりません。いつまでも皆のお下がりを着せているのではあまりにももったいない素材です。

 

 

 

 ――まだまだ遊び足りませんわ!


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