御坂は、鈍い痛みで目を覚ました。
ゆっくりと目を開く。それと同時に、異常なまでの倦怠感に襲われる。
重い体に鞭を打ち、どうにか首を動かして、周りの状況を確認する。
白い壁で囲まれ、清潔に保たれた部屋、どうやら病室のベットに横になっていることが分かった。
左隣のテーブルにはナイフと林檎と皿が、そして、右隣には友達である白井黒子がいた。
御坂が口を開こうとしたが、先に白井が話し始めた。
「お姉様、おはようございます」
満面の笑みであった。
その顔を見て、御坂は安堵のため息をついた。
「おはよう、黒子。私…」
御坂は自分の記憶が曖昧であることに気が付く。そして、調子を取り戻すために体を起こそうとして、胸に鋭い痛みが走った。
「ぐっ!」
痛みを我慢するように体を抱え込む。ずきりずきりと、痛みの余韻が続く。
白井はその様子を愛しそうに見つめる。
「ああ、駄目ですわ、お姉様。まだ、傷が塞がっていませんもの」
白井は笑ってそう言いながら、ナイフで林檎の皮を剥いていた。
『あれ?』
御坂は違和感に気づいて、左隣のテーブルを見る。先程、そこにあったはずの、林檎とナイフが無く、皿しかなかった。
周りを見渡すが、他に勘違いするようなテーブルはなかった。
そして、再度白井の方を見ると、
「どうぞ、お姉様」
と、剥かれた林檎が並べられた皿を差し出された。
御坂は目を見開き、慌てて皿が乗っていたテーブルを見る。そのテーブルに皿はなかった。
「黒子…あんた、もしかして、触らなくてもテレポートができるようになったの?」
白井は目を丸くし、皿を自分の太ももの上に置いて、はにかんだ。
「いえ、触らなくても、ではないのですが、離れたものでもテレポートさせることができるようになりましたの」
白井は事も無げに話すが、その事実に御坂は驚きを隠せなかった。
空間移動《テレポート》の能力使用に不可欠な接触が不要なことは、非常に稀有なことであるからだ。
「凄いじゃない!」
と、御坂は自分の事のように喜んだ。だが、騒いだせいで傷が痛み、また体を抱える
だが、そんな御坂とは相反して、白井は冷静だった。
「お姉様にそう言っていただけると、とても嬉しいですわ。でも、能力が強くなったわけではありませんの」
御坂は訝しげに、白井を見つめる。
「でも、今まで出来なかったことができるようになったなら、何かしら成長しているんじゃないの?」
「いえ、本当に成長はしてないんです。ただ、ちょっと手の抜き方と、コツを覚えただけで」
白井は笑顔のまま言う。
その言葉に、御坂は納得がいかなかったが、とりあえずは白井の言葉を信用することにした。
と、白井が剥いた林檎が並べられた皿を、再度差し出した。
御坂は少し笑うと、「ありがと」と言って、ひとつ受け取った。そして、そのまま口に含んだ。
爽やかな甘みが口の中に広がり、滲み出す水分を、スポンジのように体が吸い込む。
そうして、御坂は林檎を一つ食べ終わると、一息ついて、ようやく何があったかを思い出した。
「く、黒子! あいつは?!」
と叫んで、また体を抱える。
白井は、肩を落とした。
「麦野さんは、行ってしまわれました」
御坂は白井の様子に違和感を覚えた。酷い目にあったような素振りは無く、ただ麦野との別れを惜しむような様子に、眉をひそめる。
「そう…、あんた、大丈夫なの?」
白井は首を傾げる。
「何がでしょうか?」
「いや、大丈夫ならいいんだけどさ」
御坂は静かに胸に手を添える。白井がつけたであろう、胸の傷に。
白井への恨みは御坂にはない。その傷はむしろ、白井を信頼しなかった自分への罰だとすら思っていた。
「ごめん、私…」
「いえ、お姉様、謝らないでください。私、本当にかけがえの無い経験をしました」
白井はそう言って、懐かしいことを思い出すように目を伏せた。
「あの挫折も、屈辱も、絶望も、全部私になかったものです」
「そう…」
御坂は何かがズレているような感覚を覚えたが、その原因が分からず、曖昧に頷いた。
白井は少し微笑むと、御坂に言った。
「お姉様、早く良くなってください」
御坂はその言葉が、本当に嬉しかった。
「ありがと、黒子」
だから、次の言葉があまりに予想外で、
「今度は、ちゃんと殺してみせますから」
思わず、息を飲んだ。
聞き違えでないかと、何度か頭の中で反復し、その意味を正確に理解して、愕然とした。
「麦野さんが、あれだけお膳立てしてくれたのに、私、しくじってしまいました」
御坂の視界が、霞む。
それは、何の比喩でもなく、物理的な現象として。
御坂の目の前には、微細な振動をするナニカがあった。その1メートルほどのものは、まるで、人の手のようだった。
御坂がその手首の方を目で追うと、それは白井に繋がっていた。
「まだうまく操作できませんの。今度は私一人だけですから、とても不安で…」
白井は林檎を切っていたナイフを、無造作に放り投げる。それと同時にその姿なき手が、それをあっという間に削り取った。
そして、そのナイフは御坂の隣のテーブルに移動していた。
「もう少しで何か掴めそうなんです。きっと、今度はもっと確実に、残酷に、凄惨に、上手くできると思うんですの」
白井は、宙に浮かぶ何かを捕まえるように手を差し出しながら言う。その表情は恍惚さえ浮かんでいる。
『ああ…、ごめん。黒子…』
御坂は叫びだしたい、泣き出したい衝動を必死に押さえ込みながら、ただ、心の中でそう呟いた。
以上、とある魅惑の抑制解離《バーサーカー》、終了です。
最後までありがとうございました。
このまま4部へ続くつもりでしたが、書いてみると「4部無くてもいいな」と思ってきたので、ここで終了とします。
(書きたいと思っていたところは書けたので)
読んで頂いた方々、最後まで本当にありがとうございました。