もう、嘘を吐くのはやめよう――。
※『小説家になろう』との重複投稿作品です
あなたは、偽りの顔と声に気づけますか――?
グリム童話の話に、『ハーメルンの笛吹き男』がある。
話の舞台はドイツの街、ハーメルン。
簡単にまとめた話が、こうだ。
ハーメルンの人々は、街を荒らし回るネズミに困っていた。
そんな時、一人の男が街にやって来ては、報酬と引き換えにネズミ駆除を約束する。
男は笛を吹き、その音色でネズミの大群を誘い出しては、一匹残らず、街に流れる川に溺死させた。
しかし、ハーメルンの人々は男との約束を破り、報酬を出し渋った。
怒った笛吹き男は、ハーメルンの街で再び、笛を吹き鳴らす。
笛の音は街全体に広がるも、教会で祈りを捧げていた大人達の耳には届かず、外で遊び回っていた子供達だけに聞こえた。
笛の音を聞いた子供達は、まるで先日のネズミのように、不思議な力が働くように、男の元へ集まった。
笛吹き男は、自分の背中に子供の長蛇の列を作り、街の外れの山の洞窟に誘い入れた。
連れ出された一三〇人の子供達は、二度と戻ってくることはなかった。
しかし時折、山の向こうから子供達の歌声と、不気味な音色の笛の音が、聞こえてくるらしい。
現代、私達が暮らす日常生活の中にも、『ハーメルンの笛吹き男』と似たような人物が存在する。
私が知っているその人物は、教室の中央の席に座り、今も、友達と呼んでいる数人のクラスメイト達と楽しそうな会話を繰り広げている、彼女のことだ。
明るい性格で、笑顔を絶やさず、他人に積極的に接しようとする彼女の姿は、酷く眩しく映る。
私と彼女は、いわゆる幼馴染みという関係であり、親友同士でもあった。
これまですぐ近くで見守ってきたから、よく分かる。
彼女は、とても成長した。
小学生の頃、私の親友であった彼女は、同性達からいじめを受けていた。
彼女は端正な顔立ちであり、その頃の性格は温和なものだった。
故に、異性からの評判も良く、色々な意味で人気者だった。
しかし、そのことを、一部の同性達は気に入らなかった。
妬みとは、なんと醜いものだろう。
自分より少し人気があるからといって、その人物に鬱憤をぶつける。
机に落書きをされたり、上履きを隠されたり、また、陰口をたたかれる程度の頃は、まだよかったろう。
小中一貫の教育制度が、さらに現実を過酷なものにした。
中学にあがってからは、直接手を上げられたり、トイレでバケツの水を被せられたり、酷い時には、あられもない合成写真をばらまかれたりもした。
当時は、なぜこれだけのことが起こされても、学校側は動いてくれないのかと、私は疑問に思った。
けれど、今になってはその理由も明白なほどに理解できる。
大人だって、面倒事には関わりたくないはずだ。
それに、小学時代からいじめを続けてきた彼女達にも、すでに嫉妬の念などではなく、彼女をいじめるということ自体に、快感を覚え始めていたのだと思う。
しかし、そこまでされて、彼女が不登校などにはならず登校できていたのは、私のおかげだろう。
自惚れている訳ではない。
実際にそうなのだと、彼女の口から聞かされたのだ。
机の落書きの後処理、濡れた制服を着替える手助け、そして彼女の心のケアも必死に努めた。
彼女が手を上げられている場面に遭遇した時には、私も拳を固めて火中の中へ飛び込んでいった。
本当に感謝していたものだと、彼女は私の前で、言ってくれた。
私のいない高校生活を送ろうとする彼女のことが、とても気がかりだった。
不運にも、あのいじめっ子達の数人と学校が重なり、しかも彼女の隣に私はいない。
継続されるいじめに耐えられず、今度こそ不登校になってしまったらどうしようか。
私に守られていない生活に絶望し、自殺を図ることにでもなったら、たまったものではない。
しかし、それは全て杞憂に終わった。
彼女は一変した。
昔の、私の知っている彼女とは別人として、目の前に現れた。
大人しく、口数も少なかった性格は、随分と陽気なものになっていた。
性別に壁も作らず、初対面のクラスメイトに、自分から積極的に話しかけていく。
成長して、さらに美しくなった容姿に柔らかな笑みを浮かべ、同級生と関わりを持っていった。
溌剌とした性格は周囲を引き付け、友好的な会話でクラスメイトの心に入り込む。
彼女の快活さには、クラスメイト全員が惚れ込んでいき、また彼女も、普段から賑やかな振る舞いで、他人の視線を自分へと誘い込んでいた。
その結果、彼女は絶対の関係、また地位を手に入れた。
自らの声と笑顔によって、クラスメイト全員にそれを知らしめ、自分の背後に侍らせた。
自然とクラスメイト達は彼女に付いて行き、それが正しいことだと思い込む。
クラスの中心人物、みんなのムードメーカー。
絶対的なカーストを手中に収めた彼女の言動は、周囲の人間達全てに影響を与えていった。
そして、ここに。
彼女の復讐劇が幕を開けた。
人を引き付けるカリスマ性、また彼女が積み上げたクラス内での地位。
人気の的となり得た彼女の言葉を、クラスメイト全員が信じ込み、それに誘導される。
かつてのいじめっ子達に関する、ありもしない噂。
小さな嘘を彼女が告げただけで、それは波及していく。
彼女の、顔全体に貼り付けた悪意のない表情と、こんなこと言いたくないんだけどね、と囁きながら漏らされる陰口。
あっという間に、いじめっ子達は立場がなくなった。
トップの座からクラスメイト全体へ。
クラスメイトからその友人へ、またその友人へという噂の波紋が広がる。
繋がりを共有した悪意の伝染は、いじめっ子達をとうとう崖から突き落とした。
彼女の復讐劇は終わりを迎えた。
彼女に残ったものは、自分達の中心に座る女王様なのだという、周囲からの熱い眼差しと人望だった。
そんな彼女のことを、私は、ずっと見ていることしかできなかった。
そして今、彼女は『お友達』との会話を終え、一人で教室を出た。
階段を下りていく彼女の行き先はどこか、私は知っている。
行き着いた場所は案の定、人気のない図書室だった。
数多い書籍には目もくれず、彼女は席につくなり、頬杖をついた。
教室では絶対に見せないような、哀しげな表情を、彼女はここで浮かべる。
クラスメイト達が決して目にすることのない、私だけが知っている表情。
彼女は頑張った。
私という存在が隣にいない中で、よく成長してくれた。
ただ少し、方法を誤ってしまった。
嘘と欺瞞で満ちた笑顔と、人の心を魅了する声で、クラスメイト達を意のままに操り、偽りの関係と地位を手にしてしまった。
幼馴染みだから、私には分かる。
ずっと彼女を見守ってきた私だから、理解できる。
今の彼女は、迷っているのだ。
自分のやり方は正しかったのか。
これで目標を達成できたのか。
死んだ親友は、今の私を見て、笑ってくれるのだろうか、と。
私は、彼女が座って背を向ける棚から、一冊の本を選び、床に落とす。
その音で振り向いた彼女は、床の本に気づき、席を立ってそれを拾う。
『ハーメルンの笛吹き男』
その題名を見た途端、彼女の両目から、思い出すかのように涙が溢れ出た。
膝を崩し、両手に持った大きいサイズの単行本を額に当てるが、頬を伝う涙は隠せなかった。
「ごめん、ね……。あなたって、昔は……この本の主人公は、怖くて、嫌いだって……言っていたのにね……」
懺悔するように吐かれた言葉は、掠れた涙声でよく聞き取れない。
もうその声に、魔法の力はなかった。
あなたは、大事なことを忘れてはいませんか――?