春の月 就職するまで
春の月 二十日
やっと就活難民から脱却し食い扶持を稼げるようになったので、日記というものを書いてみることにする。
ここに日々の仕事内容を書き、失敗や成功を記しておけば今後の糧になることだろう。
いざとなったら、読み返せばいい。そうすれば同じ失敗をしてクビ、就活難民に逆戻りなんてことはないはずだ。たぶん。
さて、それはともかく、これまでのことと今日のことを書いていこうと思う。
就職に可もなく不可もない政経学部を卒業して直ぐ、仕事を探し始めた。両親は熟年結婚で早々に天寿を全うしているし、兄弟姉妹もいない。旦那どころか彼氏もいないので、自分の食い扶持だけ稼げばやっていける。そんな風に考えていたのだが、どうやら甘かったようだ。
どこでも良いから、と、のんびりと就職先を探してみても、私を雇ってくれる企業は無かった。出遅れたというべきなのだろう。
仕方なくアルバイトを探して、就職が決まるまでそれを転々としていた。先立つ物は金だから。
そんな私が偶然、正社員募集中の張り紙を見つけたのは、何社も何社も面接で落とされて途方にくれていた時のことだった。
『
やる気のある方!
誰でも歓迎!
給料は歩合制!
あなたの努力がお金になります!』
私はそのまま、とくに仕事内容を確認することもなく電話を入れた。就活難民時代が、私の中に『先手必勝』の四文字を刻みつけていたからだ。ここで逃したら、無気力なフリーター生活に逆戻りしてしまう。
緊張から受け答えがテンプレ的な物か無難な物になってしまい心配だったのだが、必死さが伝わったのだろうか、その日の内に二次面接まで終えて、そのまま採用。晴れて、社会人に仲間入りだ。明日には制服も支給されるらしい。
タイトスカートのサイズが、私の背丈が小さすぎるせいで無かったので、面接なのにスーツの上着とネクタイにロンスカという嘗めた格好をすることになってしまったのに良い結果をいただけて、素直に嬉しく思う。なんだか、今から楽しみになってきた。
思えば、この就職活動、碌なことがなかった。
昔から緊張すると顔が強ばったり、目つきが悪くなってしまったりした。非常に遺憾ながら小柄なので何歳になっても“子供のすること”で許されて――個人的には、不服だが――きたが、就活となればそうもいかない。
こんな調子で面接官に気に入られるなど夢のまた夢。何度も何度も落とされて、受けて落ちた会社は、両手足の指では数えられない。
そんな中、やっとこの就活難民という名の暗澹とした世界に光明が差したのだ。その光を決して逃したりしないように、頑張らねばならないだろう。
さて、明日も早いし、今日はもう休むことにしよう。
それにしても、未だに仕事の内容がよくわからないのだが、それは明日になれば解ることだろうから深くは考えないことにしよう。
それに、予想はつく。おそらくエネルギー系の研究や開発を行う会社だろう。私は文系四大卒だから営業だろうけれど。所謂サラリーマン、というやつだ。
明日からは心機一転。
私の新しい食い扶持、『プラズマ団』で頑張っていこう。
春の月 二十一日
配属先が決まった。
私の希望どおり、営業職だ。
事前調査不足で恥ずかしい話だが、プラズマ団は私の予想とは大きく外れた職種だった。
なんでも、虐待を受けたり行き場を失ったりしたポケモンを保護し、社会に役立たせるというボランティア団体のようなものらしい。社長の回りくどい説明を自分なりに噛み砕いたのだが、おおむね不足はないことだろう。
この、ボランティア団体の“ような”もの、というにも訳がある。
普通のボランティアなら給金はないのだろうが、ここは曲がりなりにも有限会社。無給にするはずもない。では給料はどこから出ているのかと社長に聞くと、なんと自腹なのだという。変な仮面を被っていて薄気味悪いと思っていたのだが、あれでけっこう優しいのだろうか。
さて、それはともかく。
仕事内容は、意識調査と宣伝だ。ポケモンの解放を謳い、理不尽な虐待や不当な置き捨てを防ぐというものだ。ポケモンを理不尽から解放する為の仕事といえばわかりやすいだろうか。
公共団体と名乗ってもおかしくはないと思うのだが、その実態は大富豪、つまり社長が独自に立ち上げた組織なのだという。つまり、大規模な個人営業だ。
そんな、社長が死んだら終わってしまいそうな会社だが、だからと言って仕事を適当にこなす訳にもいかない。中には個人営業かつ先も長くなさそうだから、手を抜いて給料を貰おうという人間もいるだろう。だが、私のモットーは“謹厳実直”だ。やるからには、真面目にやりたい。
ということで意気込んで仕事に臨んだのだが、私の仕事場は普通とは言い難いものだった。
何故だか私に興味を持ち直接面接をした、ゲーチス社長。彼は、制服を支給されて意気込んでいた私に声をかけると、突然仕事場の変更を言い渡してきた。事前に確認しておいた制服が格好悪くて残念に思っていたのが顔に出てしまったのかとも思ったのだが、そうではないようで安心したが。
相変わらず遠回しに解りにくく言ってくる社長の言葉を噛み砕くと、なんでも、会社の人間だとは内密にして、意識調査をしつつ宣伝をして欲しいとのことだった。
ようは、ポケモンを解放するということを世間の人々に刷り込みたいということなのだろう。会社の人間だと知られてはならないのは、社の利益の為だと勘違いされないため、と言ったところか。
年頃の少年少女に混じってジム攻略とか正直恥ずかしいが、文句も言ってられない。ちゃんと給料も入るのだし、食い扶持を稼ぐ為にも頑張ろう。
春の月 深淵に潜むモノ
果たして、この選択が何を呼び込むのか。
それはきっと――誰にも、わからない。
その日のゲーチスの心情を言うならば、「気紛れになにかしたかった」という中年を過ぎようとする男には思えないような、適当な感情だった。
世界征服という計画も、もう大詰めだ。彼の“道具”である息子《エヌ》はもう動きだし、配下の活動も盛んなものになってきた。もう、心配することはなにもない。
そう信じて疑わなかった時のことだった。
プラズマ団の知名度が低く、警戒されないうちに終えたはずの団員募集の張り紙を見たという連絡が、配下の元に届いたのは。
配下の男は、あまりにも怪しいソレをスパイの類かもしれないと警戒して、気紛れに部署を回っていたゲーチスに声をかけたのだという。ゲーチスがこの場にいなければ、適当な幹部に連絡をして、適当に不採用にしていたことだろう。
「ふむ……ワタクシの計画に不穏分子は不要……だが、背後に組織があるのなら飼いならすのも手ですかねぇ」
ゲーチスはそう呟くと、面接室の隣の部屋に入り、モニターで監視。また、面接官に無線を飛ばし質問の指示が出来る体勢を整えた。
モニターに映し出されたのは、一人の少女の姿だった。血色の長い髪、翡翠の瞳。それから、喪服のような黒い服。十歳前後だろうか。小柄な少女は、ただそこにいるだけでモニター越しにゲーチスの肌を粟立たせるほどの“存在感”を宿していた。
「ほう、これは、なかなか」
そう呟く声が、否応なしに震える。モニター越しに佇む少女に圧されているという事実を、ゲーチスは自覚してなお笑った。これは良い拾い物かも知れない、と。
『姓名と年齢は?』
『ナナシ・イル。二十四歳、です』
なんとも、皮肉が効いている。名字を名乗らせれば“名無し”と、名前を名乗らせればイル……ただ、“居る”とだけ名乗る。おまけに外見年齢からかけ離れた年齢だ。これで詐称が無いと言えば、子供に指をさされて笑われてしまうことだろう。
ゲーチスも当然、イルと名乗った少女の言葉を信じることが出来ず、喉の奥で小さく笑った。
「目的は?」
『――この組織に入って、なにがしたい?』
ゲーチスの指示に従い、面接官が質問をする。
『理念に共感を受けました。私の力を以て、さらなる飛躍を求める為、努力致します』
理念に共感。
それはポケモンの解放という“表向き”の理念か、“世界征服”という裏向きの理念か。イルが両の眼に抱える暗澹とした闇を覗けば、わざわざ聞くまでもなく理解出来る。
この幼い少女は――世界を憎み、破壊と再生を望んでいる、と。
「二次面接を行う。私の執務室に連れてきなさい」
『―― 一次面接通過だ。二次面接に移動する。誘導に従え』
そう告げられると、イルは動じることなくただ頷いた。
まるでそうされることが当然だと言わんばかりの姿に、ゲーチスは唇を歪める。鬼と出るか蛇と出るか。それとも、思わぬ“魔”を呼び寄せることになるのか。
「なんにしても、まずは見極める必要がありますねぇ」
早速、自分の執務室に向かう。イルの方が先に到着などということになったら目も当てられない。
「ワタクシの夢のための礎となれば良し。そうでなければ、捨てればいい。けれど貴女が新たな可能性となるのであれば、ふくっ、それはそれで面白いかも知れません」
その場から踵を返すと、明日からのことを考え出す。
ゲーチスはもうとっくに、あの少女に囚われていたのだろう。イルのことを考えるだけで、ゲーチスの背筋に快楽にも似た怖気が走っていた。
執務室で少し待つと、配下の者に連れられて、イルがやってきた。彼女はゲーチスに向かって恭しく礼をした。その様がどうにも慇懃無礼に見えて、ゲーチスは声を上げて笑い出しそうになるのをぐっと我慢する。
「さて。ワタクシの名前はゲーチス。プラズマ団の創設者、と言ったところでしょうか」
「ナナシ・イルと申します。よろしくお願いします」
淡々と、愛想笑いの一つでさえ浮かべず告げるイルに、ゲーチスは心の底からの笑みを以て質問を始める。久しく手にしたことがなかった、新しい玩具を手に取るような、そんな好奇心に満ちた笑顔だ。
「さて、単刀直入にお尋ねしましょう。貴女にとって、ポケモンとは?」
道具と答えるか?
愛玩と答えるか?
友達と答えるか?
家族と答えるか?
実の息子でさえ、この決まった四つのうち一つを選んだ。かく言うゲーチスも、ただ道具だと答える。けれど目の前の少女は、イルは、そうではないという予感があった。
「ただ、在るものと存知ます」
「――ほう?」
答えがわからず、適当な無難なことを言った。
ゲーチスは、そんな“つまらない”ことではないのだろうと考える。なにせ己を揮わせるほどの闇を抱えた少女なのだから。
「どんな扱いであろうと、無くなるものではありません。どんな姿であろうと、否定するものではありません」
「扱い方次第、ということですね」
「はい」
「では、貴女はどう扱うのでしょう?」
「ただ、理念のままに肯定します」
「――っ」
思わず、頬を歪ませて笑う。
世界を征服する為に、ただ在るものを使う。そこにポケモンの意思など関係ない。それはポケモンは道具なのだという“生易しい考え”とは一線を画した物。
彼女にとっては、ポケモンを使うことなど、息を吸うこととなにも変わらない。例えその結果ポケモンが死に絶えようが、イルにとっては“在るがまま”の当たり前のことなのだ。
「良いでしょう。貴女の夢がここプラズマ団で叶うことを祈って」
「では」
「ええ、合格ですよ。イル」
「ありがとうございます」
礼をし、イルは退室する。扉が閉じられ足音も遠のくと、ゲーチスはさっそく配属を考え出した。
面接カードの希望には、ただ営業職とだけ書かれていた。おそらく、面接さえできればどうにでもなると、適当に書いたのだろう。
「良い役目が思い浮かぶまでは、“希望どおり”営業職に配属しましょう。もっとも、一日とかからず変更になりましょうが、ね」
ゲーチスは深く椅子に腰掛けると、これからのことに思いを馳せる。
無事世界の征服を終えたら、息子と契りを結ばせて、新たな礎にでもなって貰おう。そうすれば、きっと、矮小な自分などよりももっと深く暗澹とした“闇”が生まれてくるのではないか。
純粋で、無垢な狂気の結晶が産声を上げるのではないか。
踏み込んだ世界。
我欲に塗れた男は、ただ破滅の未来を覗いて笑う。
「くっ、くくくくくっ、ふは、ははははははっ」
ゲーチスはただ、永久の闇に囚われ狂う咎人のように、笑い声を上げ続けた。
翌日、ゲーチスはイルの元に向かうと、新しい役目を告げる。
するとイルは、それが当然のことのように役目を了承した。最後まで、支給された“一般団員の制服”などには触れることもせずに。