とあるプラズマ団員の日記   作:IronWorks

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夏の月 真面目に相談に乗った日

 

 夏の月 二十日

 

 

 

 船旅がスタートして、はや五日。船は船でも空飛ぶ船だが。

 

 おそらく初日以来のインドア仕事だ。トウヤたちのことを思うと胸が痛いが、仕事とプライベートを混同するわけにはいかない。社長がやらかしてしまった犯罪行為のフォローのためにも気持ちを切り替えて頑張ろう。

 

 そんな風に思っていたのだが、初日で早くも心が折れかけていた。というのも、この船、非常に乗り心地が悪い。だだっ広い空間にぽつんと一人。下の景色が見えるようにモニターとガラスの部屋で待機しているのだが、どうやら乗り心地はまったく考えていないようで非常に酔う。昔から船や飛行機は寝転がっていれば酔いに耐えられるからすぐさま這いつくばりたいが、そういう訳にもいかないのはわかっているから大人しくしているが、時間経過ごとにひどくなる頭痛と吐き気が正直、つらい。明日もあると思うと今から憂鬱だ。現に、辛すぎて日記を書けるようになるまで五日も掛かってしまった。

 

 また、仕事らしい仕事が割り振られていないのも苦痛だ。なにか仕事をしていれば気も紛らわせることができるのだが、していることと言えばただ座っているだけ。時々Nが来て話に付き合ってくれるのだけが心の癒やしだ。大半、なにを言っているのかわからないほど遠回しな言い方なのが玉に瑕だけれど。

 

 ただ、Nに関しては一度だけ遠回しではない言い方で話をした。というのも、あんなツンデレ奇人な父親のせいで、親子関係や将来のことで悩みがあるようだったのだ。さすがに、真剣な悩みに対して誤魔化したり、わかりづらいことを言ったりする訳にはいかない。

 

 ただ、最近遠回しな言い方が板に付きすぎたのか自分でもびっくりするほどたどたどしい言い方になってしまったのだが、まぁそれでも久々にまっすぐと言葉を伝えることができたように思える。

 

 頭痛のひどいのが来てNの悩みが解決するまで話に付き合ってあげなかったことと、その後すぐNがジムに挑むために船を出て行ってしまったことには悔いが残る。申し訳ないが、この先は自分で解決してもらおう。もちろん、相談を持ちかけてくれればいくらでも相手になる気持ちはあるが。

 

 

 

 これで彼らの親子関係が柔らかくなれば、Nも落ち着くことだろう。社長のストッパーになってくれれば言うことなしなのだが……うん、まぁ、そこはあまり期待しないでおこう。社長はちょっと奇抜すぎる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 追記。

 Nから、ソウリュウシティでバッヂをゲットした旨が送られてきた。この調子で頑張って欲しいと返信したものの、同時にトウヤのことを思い出してしまう。ずっと一緒に寝ていた分、ちゃんと一人で寝られるか心配だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 夏の月 破滅へのプレリュード

 

 

 

 ――プラズマフリゲート。

 

 ゲーチスが古い友人という科学者に頼み込み、計画を大きく前倒しにして作られた飛行帆船だ。

 本来の役割はとあるポケモンを動力部に据え、最終手段である“武力行使”を行うために建造される予定であった。だが、イルという計画になかった上に強力なイレギュラーとして手駒に加わった存在のために、急遽予定を変更。こうして、イルを乗せるために作られることになった。

 その船の甲板。横に並んで飛ぶゼクロムに目を向ける姿がある。つば付き帽子を片手で押さえる緑の長髪の少年――Nだ。

 

「ゼクロムよ……これで、本当にイルは……」

 

 言葉は続かない。

 ゲーチスからもたらされた情報により、イルは今“ある場所”に送られている最中だ。その場所にイルのルーツがある。そう告げたゲーチスの顔は、今までのように歪んだ笑みではなく、どこか子供のような無邪気さが込められていた。

 その顔が、Nの瞼の裏に張り付いて、拭うことができない。

 

「いや、ボクが迷ってどうするんだ」

 

 父親は、自分に何かを隠している。そのことがわかったところでどうしようもない。隠していることが自身にとって良いことか悪いことかもわからないのだ。それに、人間はポケモンとは違い、嘘を言って自分偽る生き物だ。自分を偽ることなくさらけ出すことができる人間など、本当にごく一部。Nは、見知った二人の人間の顔を思い出して、瞑目する。

 

「考えても、仕方がない、か」

 

 Nはそう珍しく自嘲をこぼすと、踵を変えて船の中へと戻る。

 目指すのは、日課となった愛しい人の元へ通う道だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 夏の月   破滅へのプレリュード

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 管制室。そう呼ばれる部屋の奥、重厚な作りの黒いソファーにイルは腰掛けていた。目を伏せ、微動だにせずに三人掛けのソファーの真ん中に座るイルの姿は、さながらビスクドールのようだ。

 イルの膝にはイシュタルが。ソファーを挟んで、背後にはセクトルが、彼女を守るように佇んでいる。さながら彼女は人形の女王。彼女を守るポケモンたちは、剣を持つ騎士のようにも見える。

 

「イル……」

 

 そんなイルの姿を見て、Nは僅かに後悔を滲ませた。

 今の彼女に、トウヤの隣で見せていた生気は感じられない。ただ何かに耐えるような痛ましさがあって、その度に、Nは己の胸が痛むことを自覚していた。

 

「宿命からは逃れることはできない。運命からは背を向けることができない。使命からは目を背けることができない。けれど、誰かと共に乗り越えることはできる」

 

 Nはそう言うと、ゆっくりとイルに近づく。

 

「闇を払う光は、英雄にこそ相応しい。ならばボクは、君の纏う闇を払おう」

「N……。闇は、払えるものではない。……探ることしか――できない」

「それでも! それでも、ボクは――」

 

 イルの表情は頑なだった。ただひたすら、何かに耐えるイルの姿に、Nは何も言えなくなってしまう。

 

「……なにか、必要なものがあったらいってくれ」

「うん……ありがとう」

 

 結局、そんなことしか言えない情けない自分に、それでもイルは痛みをこらえるような表情で薄く微笑んでくれた。

 気を遣わせてしまった情けなさに支配されながら、Nは踵を返す。もう、何も言うことができなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 管制室から飛び出してすぐに、Nは別の場所で行動しているゲーチスに連絡を取る。それが、無駄だとわかっていても、そうせざるを得なかった。

 

『どうしました? Nサマ』

 

 電話に出たゲーチスの声は、穏やかだった。

 

「ゲーチス……答えてくれ、ゲーチス。あの場所へ導くことは、本当に彼女の幸せにつながるのか?」

 

 焦ったように、あるいは縋るようにNは声を絞り出す。

 

『ええ、ええ、もちろんですとも。ただ、一つだけ訂正があります』

 

 だが、ゲーチスの声は変わらず、穏やかなままだった。

 

「訂正?」

『そうです。導くのではありません。“帰す”のです。あの方の本当の居場所へ、ね』

「本当の、居場所?」

『そうです。あの場所には、彼女の本当の居場所がある。ワタシたちがしていることは、ただそれだけなのですよ。ですから躊躇ってはなりません。なにせ彼女は、“あの場所”がご自分にとって本当の居場所であることなど、忘れてしまっているかもしれないのですから』

 

 慈愛を感じさせるほどの声色。けれど、それだけだ。焦りも、怯えも、怒りもない。本当に心から慈悲を持っているかのような声だ。だからこそ、Nはわからなかった。ゲーチスは、それがなんであるかはNにもわからないが、言いようのない闇を抱えて生きるものだ。決して、慈悲や慈愛といった言葉と縁がある男ではない。

 けれど今のゲーチスの言葉には言いようのない説得力のようなものがあり、Nは耳を傾けることしかできなかった。

 

「居場所を、忘れる……」

『ええ、ええ、そうです。そして、思い出していただくにはただ一つ。あの場所にお連れするしかないのです。たとえどんなに、その過程が厳しくとも、ね』

 

 ゲーチスはそれだけ告げると、仕事が入ったといって通話を終えてしまう。

 

「居場所、帰すということ……いったい、君は何を抱え、何に苦しんでいるんだ……イル」

 

 答えは出てこない。それでも、Nは自室へ戻ることしかできず、重い足取りで甲板をおりていくのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――†――

 

 

 

 翌日も、Nはイルの元へ通う。本当に正しいことをしているのか。自分は何にそんなに悩んでいるのか。父親を――本当に信用して良いのか。Nは自身の中で渦巻く感情に名前をつけることすらできず、迷い、戸惑っていた。

 

「イル」

 

 管制室に入り、Nはそう声をかける。すると玉座に座る深紅の少女は、憂いに濡れた貌を上げる。

 

「具合はどう?」

「ええ。大丈夫」

 

 戸惑うこと無く告げられた言葉。だが、無理をしている感覚が拭えない。こんな苦しそうに、辛そうにしているというのに、ゲーチスはこの行為がイルの幸福に繋がるという。確かにNは、ゲーチスと言葉を交わしたその時はゲーチスの言葉に耳を傾けた。だが、イルの姿を見れば見るほどにわからなくなるのだ。

 本当に、ゲーチスに――父親に従うことが正しいことなのか。

 

「悩み事?」

「っ」

 

 イルに声をかけられて、Nははっと顔を上げる。

 

「私でよかったら、聞くよ」

 

 穏やかな声だった。

 辛そうに眉をひそめ、唇は青みがかっている。それでもなおNに向ける言葉は、優しい。その声を聞いて、ふと、不意にNの脳裏に彼女のポケモンの言葉が過ぎる。全てのポケモンの母であると、そういったポケモンの声。

 イルの膝元に抱かれるイシュタル。彼女に目を向けると、彼女もまたNを視る。

 

『母上が言っているのだ。己が胸の裡を吐露するがいい。そなたははき出すことを許されたのだ』

「ああ、ああ、そうだね。イシュタル。イル、聞いてくれるかい?」

「ええ、もちろん」

 

 普段、あまり表情を動かさないイルが、Nに微笑む。その笑みはまるで朝焼けの太陽のようで、Nの心を暖かく穏やかにしてくれた。

 

「わからないんだ。あの人が」

 

 ぽつりと、つぶやく。イルは静かに聞いてくれていた。

 

「あの人は、ゲーチスは正しいという。ボクの数式もあの人の正しさを納得している。だがわからないんだ! 正しいと思えないボクが、信用すべきと言うボクを攻撃する! でもそれでも、認められないんだ! 君はこんなに苦しそうで、ボクの胸は張り裂けそうで、それでもゲーチスのいうことがわからないんだ! ゲーチスは闇を抱えている。ボクはその闇を理解できない。わからない、わからないんだ、イル――」

 

 Nは、イルの膝にすがりつきながら気持ちを吐露する。それは叫びだった。ポケモンのために、自分のために、友のために、運命に従い渦中に己のみを飛び込ませてきたN。その心は常に正しさに支えられていた。だがその根底が、自身を立てる父親の手によって揺らいでいる。

 辛く、重い枷。その泥の鎖はNを掴んで離さない。だからNは欲しかった。泥を食い破る光が、なによりも欲しかった。

 

「N、あのね、人の気持ちは、理解できないよ」

「え?」

 

 たどたどしい言葉。その言葉は、Nの求めていたものではなかった。だが――。

 

「っ……だから、みんな、理解しようと努力する。ゲーチス、は、すごくわかりづらい人だよ。その苦しみは……理解、できる」

 

 イルも苦しいのだろう。だが、どんなに苦しみを覚えようとも、連ねる言葉は止まらない。

 

「でも、だから、理解できないから、あきらめてはダメ。どんなに伝わらない、ことば、でも、わからないなら聞いてもいい。理解できないならぶつかり合えば良い。人は何度も何度も衝突して、何度も何度も喧嘩して、泣いて、怒って、それでようやく笑えるんだよ」

 

 Nは何も言うことができず、ただ、イルの言葉に耳を傾ける。その言葉はこれまでのどんな言葉よりも、Nの胸に響いていた。

 

「あの人はああだから、今まで理解し合うことなんか難しかったと思う。でもね、N。悩んで、苦しいって思うなら、理解することをあきらめないで。ゲーチスだって同じだよ。きっと、息子の気持ちなんて理解していない。でもね、それなら今から理解し合えばいい。ポケモンと心を通じ合わせることと同じ。あなたが心の底から願って、その気持ちをぶつければ、きっと、道は開ける。だから、っ、くぅ」

「イル?!」

 

 頭を抑えて、イルは呻く。そんなイルにNは手を伸ばすが、その手は他ならぬイルによって包まれてしまった。

 

「だから、頑張って、N。大丈夫……つっぅ……あなたなら、Nならできる、よ。Nは、頑張り屋さん、だから――ね」

 

 微笑むイルに、Nは呆然と彼女を見つめる。その言葉の一つ一つが、Nの心の中で熱を帯びていくのが理解できて、自然と、Nは己の胸が熱く高鳴ったことを自覚した。

 

「ごめん、ね、今日はもう、少し、休む、から」

「ぁ――無理させてごめん。それから、ありがとう。ボクはこれからジムに挑むから、だからイルは吉報が届くまで休んでいて」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 イルの返事を待たず、Nは管制室を飛び出して、甲板に躍り出た。

 イルの言葉は泥の鎖を食い破ることはなかった。だが、N自身に、枷を打ち砕く力をくれた。

 

「ポケモンと同じ、か」

 

 Nはポケモンの言葉が理解できる。だが、理解できるからといって、必ずしも最初から信頼を寄せられていたわけでは無い。常に彼らの言葉に耳を貸し、彼らのために努力をして、そして信頼を勝ち取ってきたのはN自身の努力だ。

 その努力をNは、ゲーチスとの間に行ってきたであろうか。答えは最早、考えるまでも無い。

 Nは端末のスイッチを入れると、ゲーチスにメッセージを入れる。

 

 

 

『ジムバッヂを手に入れたら、話したいことがある』

 

 

 

 それは、決意の表明。最初で最後の父親への宣戦布告。

 

「行くよ、ゼクロム!」

 

 Nが空に身を躍らせると、ゼクロムが彼の下に回り込みその背に乗せる。

 

「イル、ボクはジムをクリアして、ゲーチスを理解して、チャンピオンになったら必ず君を迎えに行くよ」

 

 もうその横顔に、迷いは無い。ただ太陽に照らされたその姿は、まっすぐと前を見つめていた。

 

「――だってボクは、“頑張り屋さん”だからね。イル、君のことも、絶対にあきらめないよ」

 

 Nの言葉は風に溶け、消えてゆく。太陽に飛び込んでいくその背中は、まるで運命を切り開いていくかのように輝いていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――†――

 

 

 

 ――そこは、歪な空間だった。

 全ての色彩が渦巻き、全ての存在が歪み、軋み、崩れては再生する世界。

 その歪な世界の中に、一つの影が浮かんでいた。影は空中に、まるで椅子でもあるかのように腰掛け、佇んでいる。

 

『もうすぐだ』

 

 呟く声に感情は無い。

 

『もうすぐだ』

 

 零れる声に想いはない。

 

『もうすぐだ』

 

 滲む声には、なにも込められていない。

 

『もうすぐ、ここに』

 

 ただあるのは、壊れたテープレコーダーのように繰り返す声。

 

『もうすぐ、もうすぐ、もうすぐ』

 

 かつてあったモノ≪想い≫を繰り返すだけの、破壊され、歪み尽くした声。

 

『もうすぐ、もうすぐ、ここに、終わりが来る』

 

 その声には何も込められていない。

 

『ああ、これでやっと』

 

 ただ虚無だけがあった。

 




 色々な意味でプレリュード。

 お読み下りありがとうございました。

 2015/03/03
 誤字修正しました。
 ご報告のほどありがとうございます。

 2015/03/04
 誤字修正しました。
 今回、多かったですね……orz
 ご報告、ありがとうございます。

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