夏の月 八日
前の日記から三日も空いてしまった訳だが、これには当然、訳がある。
決してサボっていた訳ではないのだ。
訳というのは、ネジ山を抜けた後の道筋にある。といっても、別に世界が崩壊しただとか悪の組織が大暴れしただとかそんな話ではない。
ネジ山を抜けて宿を取った私たちは、ジムに寄る前に一度、アデクさんに貰った秘伝マシン「なみのり」を試してみることにした。そこで、トウヤの実家の直ぐ側にあるという水道を使ってみることにしたのだ。そのために、幾つか宿を経由しながら、私たちはカノコタウンにやってきた。
カノコタウンでは、トウヤに「自分は母親に挨拶をしに行くけれどどうする?」と聞かれたので、私も同行したいと告げたら、トウヤは恥ずかしそうに顔を背けた。やっぱり、保護者同士の話を聞くことになるかも知れないと思うと、恥ずかしいのだろう。思春期、というやつだ。将来、思い出したくもない黒歴史にならなければいいけれど。
ちなみに、私の黒歴史は、私の数少ない友達であるアカギの知人の女性に初対面で跪かれたことだ。なんだ『私に命令できるのは、一人だけ――そう思っていたけれど』って。……うん、忘れよう。
それはともかく。保護者として彼の母親には挨拶をしに行くべきだろう。そう思ってトウヤについていくと、温かく出迎えられ、その日の宿まで貸して貰えることになった。やはり子供を一人旅させるというのも、心配だったのだろう。私もトウヤの純粋さには癒やされているから、お互い様だ。そう言ったら、何故かひどく驚かれたが、彼は母親に不真面目だとでも思われているのだろうか。
荷物をトウヤの部屋(同室。まぁ、一軒家だし、空き部屋は倉庫とかに使ってしまっているのだろう)で整理すると、私たちは早速水道に出ることにした。出迎え、トウヤのお母さんに「朝までには帰ってきなさいよ」とからかわれて真っ赤になって慌てるトウヤが可愛かったので、ついつい便乗してしまったことは反省した方が良いだろう。トウヤ、しばらく石になって動けなくなってしまったようだから。
さて、肝心の水道だが、なみのりを使って初の移動は中々面白かった。こう、水上スキーみたいな感じだ。
トウヤの背に捕まりながら移動し進んでいったのだが、誤算もあった。イシュタルが弱ってしまったことだ。イシュタルはけっこうたくましく、水飛沫程度ではどうにもならない。
けれど水上で。水タイプのポケモンとの連戦は厳しかったらしく、途中からは私たちは戦闘に参加せず、イシュタルを胸に抱いて移動することになってしまった。
ちなみに、その態勢だとトウヤの背に掴まれないので、移動して、トウヤの前に抱えて貰うような形にして貰った。重かろうに、迷惑を掛けてしまったと思う。ごめんね、トウヤ。
そうして、問題もあったけれど、なんとか途中で一休みすることも出来た。そこで私は、新しい出逢いを得ることが出来た。
と、いえば格好良いけれど、ただたんに二匹目のポケモンをゲットしたというだけの話だ。道中にあったプレハブ小屋に入って休んでいたら、地下室を発見。トウヤと別々に探検をしていたら、偶然、実験室のような場所を見つけたのだ。
そこで、試験管のようなものに入った私よりも背の高いポケモンが居たのだ。というか、最初は生きているとは思わず色々弄ってしまい、機械が暴走。中のポケモンが紫色から“黒色”に変化してしまい、焦っていたらポケモンが覚醒。イシュタルとなにやら目を合わせてじっとしていたかと思うと、何故だか私に着いてきてくれるようになったのだ。
いや、何故だ。まぁいいけれど。
私はゲノセクトになみのりを覚えさせ、トウヤと一緒に寄り道せずに帰宅した。道中、トウヤがゲノセクトをちらちらと見て居たのは、ゲノセクトが所謂“メカっぽい”外見をしているからだろう。微笑ましい限りだ。今度、ゲノセクトの背中に乗せてあげよう。
ところで、ゲノセクト、名前はどうしよう?
今度こそ噛まずに名前を付けてあげなければ、と思う半面、名前そのものをなにも思い浮かばなかったりもする。伝説のポケモンにちなんで、ミュウツーとか……だめかな。
なるべく早く、考えてあげなければ。
追記。
夜、トウヤに「どこにも行かないで」と久々に抱きつかれた。我が家に帰ってきたことで、封じていた寂しさや切なさが溢れ出してきてしまったのだろう。私もトウヤくらいの年の頃は、寂しい想いをしてきたような気がしないでも無いような気がするかも知れないし。たぶん。きっと。うん。
彼だってまだ十代半ばだ。これからも旅を続けなければならないと思うと、色々と思うところもあるのだろう。これからは定期的に、こうして、抱き締めて頭を撫でてあげようと、彼の頭を胸に抱きかかえながら心に決めた。
追記二。
朝、起きたらトウヤに土下座をされた。えっ、なんで?
夏の月 真夏の陽炎
陽光が鮮やかな光を放ち、周囲一帯を照らす。ここは、今までいた深く螺旋した山ではない。素朴な空気の流れる穏やかな街――カノコタウンだ。トウヤは彼女の希望もあって、イルとともに帰郷することになったのだ。
「穏やかな村だね。とても、優しい」
「イル……ありがとう。俺も、この街が好きだなって思う」
イルが故郷を褒めてくれたことがうれしくて、トウヤは頬を綻ばせる。
「さて、と。俺は母さんに挨拶してくるけど、イルはどうする?」
「私も、トウヤのお母様に挨拶してもいい?」
「うん、もちろん、大歓、迎、だ……よ?」
言いながら、気が付く。
親に挨拶という状況が如何なるものか、想像できないトウヤではない。むしろこのごろ、とくに“こういったこと”に敏感になっているのだ。気にならないはずがなかった。トウヤはびくりと肩を震わせて、ついで顔を真っ赤にする。イルはまだ幼いためか、いまいち色恋沙汰に鈍感だ。だからトウヤが考えているような意図はないのだろう。
ないのだろうが、照れる。
「トウヤ?」
「な、なんでもないよ? うん」
トウヤは赤い顔を誤魔化すように笑いながら、差し出されたイルの手を取る。最近はこの程度のことでは意識しないと決めていたのに、イルの柔らかい掌にどうしても意識が傾いてしまった。
いずれ、この幼い少女の抱えている闇も、取り除いてあげたいとトウヤは願っている。なら第一歩としていい加減慣れなければならないと、トウヤはイルの手を引きながら悶々と考えるのであった。
――†――
見慣れた、けれど懐かしい家の扉を叩く。すると、ぱたぱたと足音が聞こえてきて、扉が開いた。
「はーい……って、あら? トウヤじゃない! お帰りなさい」
「うん、ただいま。母さん」
「まったく、帰るなら帰るって一言連絡しなさいよ。ほら、そんなところで立ってないで――」
「あ……と、母さん、その前に」
トウヤの母が出迎えてくれたのだが、どうやらトウヤの背にいたイルの姿が見えなかったようだ。トウヤが母を呼び止めると、それに合わせてイルがトウヤの背から出てきた。
「初めまして。トウヤ君と一緒に旅をしている、ナナシ・イルと申します」
「あら? あらあらあら?」
「日頃からトウヤ君には、私の無精も助けられているので、是非挨拶にと参りました」
「イルちゃんね、よろしく。ところでちょっとだけ待ってくれる?」
「? はい」
がしっとトウヤを掴んで、母は己の陰に彼を引っ張り上げた。
そして、慌てるトウヤに小声で話しかける。
「ちょっと見ない間に綺麗な子捕まえちゃってもう、どうしたのよ、あの子?」
「どうしたもなにも、街を出て直ぐのところで出会って、それからずっと一緒に旅をしているんだ」
「はぁっー。奥手なあんたがねぇ? ……手、出してないでしょうね?」
「だだだだっ、出すわけないだろ!?」
「照れちゃって、もう。まぁいいわ、ママが協力してあげる」
「へ?」
トウヤの母はそういうと、くるりと振り返ってイルを見る。首をかしげるイルは人形のようで本当に可愛らしいと、トウヤは母の背からイルをぼおっと眺めていた。
「うちのトウヤをありがとう。今日からここは、我が家だと思っていいからね? イルちゃん」
「いえ、そんな。彼の純真さには、いつも助けられています」
「! まったく奥手なんだから、こんなところでパパに似なくてもいいのに」
「はい?」
「なんでもないわ。あっ、それと、私のことは気軽に“お義母さん”って呼んでね?」
ぶっ、と思わず吹き出すトウヤを、母は肘で黙らせる。いつだって、母は強いのだ。
「は、はい。ええと、お母様?」
「お義母様! いいわね、そんな感じよ、イルちゃん!」
母のパワーに圧されたのだろう。イルはあっさりと頷くと、踵を返して家の中に案内するトウヤの母にふらふらとついていく。トウヤは、そんなイルの後をただついていくことしかできなくて、顔を真っ赤にしながら追いかけるのであった。
「まるで、新婚みたい……じゃなくて!! ああもう、だめかも」
色々と余裕がなくなり、そう悶々としながら。
――†――
その日は、天国と地獄とその他の何かが同居したようだった。
何故か母はイルに花嫁修業をつけると言い出して、初めてイルの手料理を食べることになったのだ。手伝うことしかできなかった。あんなに手際がいいなんて、将来は安泰だ。そんな風にいちいち煽る母の言葉に、トウヤはついつい反応して顔を赤くしてしまう。
ちなみに、夕飯はチンジャオロースだった。
「男の子なら、精のつく物のほうがいいかなと、思ったから。味はどう?」
「すごくおいしいよ! イル!」
「ふふ、ありがとう。まぁでもまだ、お母様にはかなわないけれどね」
「ぐふっ、げほっ、げほっ」
「ああ、大丈夫? 急いで食べるから。ほら、お水」
このように。
母の計らいによって、まるで新婚夫婦のようなやり取りになるように誘導されているのだ。照れや気恥ずかしさで、トウヤは気を休める暇はなかった。
結局部屋も一緒にされて、いつもとは違った空気のままいつものように一緒に寝る。当然、無防備な表情であどけなく眠るイルを意識せずにはいられなくて、トウヤは満足に眠ることもできなかった。
そうして結局、トウヤが気分転換をすることができたのは、朝日が昇ってからになってしまったのだ。
カノコタウンから下ると、水道が続いている。
トウヤは【なみのり】を覚えさせたダイケンキの背に二人乗りをすると、背中から伝わるイルのぬくもりを極力気にしないように波間を進み始めた。
「戦闘は私が。トウヤはそのまま、進んで」
「わかった!」
並み居るトレーナーや野生ポケモンを、イルのメラルバが蹴散らしていく。圧倒的に不利な炎属性でここまでできるのは、ひとえにイルの実力だろうとトウヤは思う。
けれどやはり、相性は最悪だ。すぐに限界が来てしまった。
「ちょっと、辛いかな」
「なら、戦闘交代するよ。イルはイシュタルを抱えていて」
「ありがとう。……ついでに、申し訳ないのだけれど」
「なに? なんでもいって」
イルの願いなら叶えたい。
トウヤは純粋な気持ちでそう告げて――ついで、ぴしりと硬直した。
(どうしてこうなった……?)
イシュタルを抱えたままでは、トウヤの背につかまれない。そこでイルは、トウヤの前に回り込んだ。すなわち――トウヤが、イルを抱きしめるような形だ。
「(柔らかいし、いい匂い……って、俺は何を考えているんだ?!)……ご、ごめんイル。うち、騒がしかったよね?」
よこしまな考えから振り切るように、トウヤは慌てて話題を振る。するとイルは、疑問に思うことなくトウヤに続いてくれた。
「そんなことないよ。とても、いいご家族だね」
「あはは、うん、ありがとう」
「あんなに温かいご家族に育てられたから、トウヤは温かいんだね」
言われて、ふと気が付く。
いつだったか、イルに両親がいないということは聞いていた。だがそれ以外に、イルのことをほとんど知らない。
「イルの故郷は、どんなところだったの?」
「なんでも揃うけれど、なにもないところ。街は黒く閉ざされていて、みんな、人と会話をすることよりも端末ばかりに目を落としていた、かな」
「あんまり、好きじゃない?」
「ええ、そうね。あまり好きではない」
「そっか」
故郷を好きになれないのは、辛いことではないのだろうか。なぜなら、帰る場所がないのだから。
なら、ならば、とトウヤは思う。
「なら、カノコタウンを第二の故郷だって思ってほしい。母さんも言ったけど、いつでもこの街に“帰ってきて”いいから、さ」
頬を掻きながらそういうと、イルの表情がほんの少しだけ柔らかくなった。トウヤはその小さな笑顔に、頬を綻ばせる。
「……ありがとう、トウヤ」
「うん。どういたしまして、イル」
それから、どちらからともなく口を閉ざす。
けれど二人の間に気まずさのようなものはなく、ただ、温かい空気だけが流れていた。
――†――
小島に降り立った二人は、プレハブ小屋を見つけて足を踏み入れた。こういった場所には、珍しいアイテムやポケモンが見られることがあるからだ。
だんだんと気恥ずかしくなってきたトウヤは、少しだけ落ち着きたくて、手分けして探検することを提案した。
「俺は上層を調べるから、イルは地下をお願いしてもいい?」
「わかった。何かあったら、呼ぶ」
イルと別れたトウヤは、そのまま壁に背を預けてずるずると座り込む。
「なんでも揃うけれど、何もないところ、か」
イルはいったい、どのような環境で育ったのだろうか。
温かい家族に囲まれて、気の合う幼馴染と遊び、学び、穏やかに生きてきた。だから、イルの境遇を想像することしかできない。
「孤独、だったのかな」
一人で生きてきた。
トウヤはイルの人生をほんの少しだけ垣間見て、胸に痛みを覚える。一人で生きるなんて、きっと自分では耐えられない。ましてや、イルはまだ幼い少女だ。どれほど過酷に生きてきたのだろうか。
「俺は」
どうすればいい?
そんな問いが、虚空に消える。イルのために何ができるのか。重くのしかかる問題を、ため込んだ息と一緒に吐き出した。
なんにしても、今考えていても仕方がない。トウヤは部屋を確認してとくに発見がないことを悟ると、イルのいる地下に足を向けた。
――……。
そうして歩いていると、ふと、音が聞こえた。
トウヤはその音の正体に惹かれるままに足を向け、やがて、光の洩れる部屋の前で足を止める。
「……なんだろう?」
少しだけ開けられた扉の外から、部屋の中をのぞき込む。
そして――目に飛び込んだ光景に、硬直した。
機械の前、キーボードを叩くイル。
大きな機械、巨大なカプセルと液体。
その大きな水槽に浮かぶ、紫色のポケモン。
「あ、れは?」
イルが軽やかにキーボードをタッチすると、やがて、カプセルの中に紫電が奔る。そして――ポケモンが、“紫”から“漆黒”へと変質した。
「え?」
まるで、悪魔を生み出す邪教徒のように。
まるで、皇子の誕生を祝福する神官のように。
まるで、ただただ在るものを迎えほほ笑む聖母のように。
イルは、ポケモンを解放した。
イルに見つからないうちに、トウヤは地上に戻る。それから、ただ茫然とつぶやいた。
「イル、君は……何者なんだ?」
トウヤの問いに、答える者はいない。
ただ重く吐いた息が、虚空に溶けていった。
――結局、夜になっても暗澹とした思いをぬぐう事は出来なかった。
いつものように一緒のベッドにもぐりこみ、トウヤはあどけない表情で己を見るイルに思いをはせる。
「イル」
「トウヤ?」
自分の名を呼ぶイルの声は、いつも優しい。
それが本心からくる言葉であると断ずることができる程度には、トウヤはイルを信頼している。なら、なににこんなにも、トウヤは怯えているのか。
結局、答えは一つしかなかった。
「どこにも、いかないでくれ……イル」
言って、イルを抱きしめる。するとイルはトウヤの手からすぐに逃れてしまった。
拒絶された。そんな風に感じて思わず泣きそうになる。けれどイルはそんなトウヤの様子を知ってか知らずか、トウヤの頭を己の胸に掻き抱いた。
「大丈夫、どこにもいかないよ」
「イ、 ル?」
「聞こえる? 心臓の音。一緒に生きている証」
「うん、聞こえる……聞こえるよ、イル」
イルは優しい。
けれど、イルの優しさに甘えているだけでは、きっと、だめだ。
ならば、とトウヤは誓う。この優しさに甘えない男になろうと、ただただ、己に誓うのであった。
翌日。
トウヤはイルの胸の谷間に顔を埋めて眠ってしまったことに気が付き飛び起きて土下座するのだが……結局、イルの優しさに甘えて許してもらってしまい、項垂れることになるのであった。
――†――
“それ”は、深い闇の中にいた。
幾度となく目覚めさせられ、己の姿を変質させられ、それでも己を許容するものを求めていた。
その深い記憶の中、“それ”は夢を見る。何度目かの実験の折、目覚めた先に居た赤い、真紅の髪。
『ふむ。ポケモンの実験、か』
『おまえ、おれの言葉がわかるか?』
『聞こえてはいる、か』
『なら、いい。おれは、本来はただの“掃除係”なんだが、なんの因果かここに配属された』
『まぁ、しばらくは一緒にいる仲だ。楽しくやろう』
『ひともポケモンも関係ない。さぁ、孤独に抗おう』
『そのための手段は、くれてやる。くっ、はははははっ』
人間のオスはそういうと、なにやら楽しそうに機械を操作しはじめた。そして、幾度か目に、“それ”の体に紫電が奔る。
『あ、あれ? ま、まぁいいか!』
『次におまえにあうものが、きっとおまえを救うだろう。その時までに、おれのことはわすれておけ』
『おれの名前はナナシ・アル。――まぁ、覚える必要のない名前だよ』
そうして“それ”――“ゲノセクト”は再び闇に落ちる。
再びめぐり合う存在に、救いを期待しながら、眠りについた。
――了――
あけましておめでとうございます。
今回は、いろいろと伏線というなにかな回でした。
というわけで、新ポケモンです。予想のついた方がほとんどでしたでしょうけれど、魔改造ゲノセクトだと予想された方はいないと信じてますw
それでは、また次回にお会いしましょう!
ここまでお読みいただき、ありがとうございました!