やはり俺の数学教師が一色というのは間違っている   作:町歩き

16 / 93
明日

駅の改札で偶然出会っためぐり先輩は、にこぱーっと人懐っこい笑顔を浮かべると

俺の傍にててっと小走りで寄ってきた。

 

「こんばんは、比企谷くん!」

 

「こんばんはです」

 

挨拶を交わすと、先輩は不思議そうに首を傾げる。

 

「あれ? 比企谷くん。今日って学校だったの?」

 

「ちょっと一色と、学校で勉強してまして。それで今、一色をここまで送ったとこだったんです」

 

「そうだったんだ。じゃあ一色さんとは、入れ違いになちゃったんだね」

 

「そうですね。ほんと今、一色と別れたんで」

 

俺の言葉に、めぐり先輩は周囲をぐるっと見回すが、改札は多くの人で賑わっており

一色の姿はそれに紛れてもう見えなくなっていた。

それで先輩は俺の方へ視線を戻すと、感心したような声でいう。

 

「でも偉いよ! 勉強教えてあげてるんでしょ?」

 

まあそう思うわな。俺、一色よか年上な訳だし。

だが実際は俺が一色に教えられていたので返事に困る。

だからといって変にカッコつけて嘘をつくのはいけないことだと思う。

それは一生懸命俺に数学を教えてくれた一色への裏切りのように感じる。

なので俺は深く深く思い悩んだ末、口を開く。

 

「まあ、年上ですし」

 

すまん一色、来週からちゃんと教えるから弱い俺を許してくれ。

そう心の中で一色に土下座をしていると、先輩が手に買い物袋を持っているのが目に入る。

 

「めぐり先輩は買い物の帰りなんですか?」

 

尋ねると、めぐり先輩は「あっ」と声をあげ、ぱしっと手を叩く。

 

「うんうん。あのね、本を買いにいってたの! でも近所じゃ見つからなくてね

それで千葉まで行ってたんだよ」

 

先輩はいうと、俺の目の前に「見て! 見て!」とばかりに買い物袋を突き出してくる。

 

同じ読書好きとして先輩の気持ちは本当に良くわかる。

俺も漫画やラノベを紹介するサイトで良さそうな本を見つけると、

直ぐにでも読みたくなってしまうからだ。

それで本屋に向かっても新刊でないと置いてない場合が多く、

残念無念また今度な気持ちで帰宅することがあるからだ。

 

まあ普段の俺であれば、探してる本が見つからないという人に出会ったら

Amazonでポチればいいのに? と通称「あまぽち」を薦めるところだろう。

だがめぐり先輩の、なんかすごいお宝を探しにいって手に入れた! 

そんな感じで楽しげな笑顔を見ると、減らず口の一つも出てきやしない。

 

なので良かったですねと口にしてから、どんな本を買たのか尋ねてみる。

すると先輩は俺に早く袋の中身を見せたいのかえらく焦った様子で

買い物袋の取り出し口を両の手でがしっと掴む。

そして力一杯開けようとしたのだが勢いが強すぎたのか、袋までビリビリに破ってしまい

どさどさっと駅の床に中身を撒き散らしてしまう。

 

「はわわっ」といって慌てまくるその姿に苦笑しつつ、この人にはポテトチップスの袋を

開けさせない方が良さそうだと思いながら、床に落ちた本を拾う。

そして目に映ったその本のタイトルに驚いてしまう。

 

「……秒速を、わざわざ買いに行ってたんですか?」

 

「うん! だって続きが気になちゃって早く読みたかったし!」

 

にこにこしながらそんな事をいわれたら、こっちまで笑顔になってしまう。

 

「そんなに気に入ってもらえて嬉しいです」

 

「こちらこそだよー! 面白いお話教えてくれてありがとうね」

 

めぐり先輩はいいながら、一生懸命、ビリビリに破けた袋に単行本を押し込もうとする。

それどうやっても入らないでしょ……と呆れつつ、代わりになるものはと周囲を見回すと

売店が見えたので、そこで紙袋を買い先輩にそっと差し出す。

 

「これ、使ってください」

 

「あ、ありがとー」

 

めぐり先輩は驚いたように目を丸くしたが、にっこり微笑むと受け取ってくれた。

それを使って本をしまうと、俺を興味深げに見つめてくる。

 

「えっと、なんですか?」

 

「ねえ、比企谷くん。ここじゃ落ち着かないし、良かったら場所を変えて話さない?」

 

先輩のお誘いに嬉しい気持ちはあるのだが、そういう事に慣れていない俺は戸惑ってしまう。

どこまで先輩に近づいていいのかよく分からないからだ。

慣れていないが故の距離感と警戒心とでも言えばいいのだろうか。

一歩引いたところに立っている過去の自分が「またお前の勘違いじゃねーのか?」と

いってるようなそんな気がするのだ。

それで固まっていると、先輩が困ったようにおさげ髪をいじった。

 

「その……、嫌かな?」

 

ああ、勘違いさせてしまったか。嫌なのは過去を振り切れない俺自身なのに。

 

「どこかその辺のお店にでも入りましょうか?」

 

努めて明るくいうとそんな俺を見やって、めぐり先輩は嬉しそうに頷いてくれた

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

× × ×

 

 

 

 

 

 

 

 

 

駅そばのカフェに二人で入ると、俺たちはそこで本の話に花を咲かせる。

読んでるジャンルに多少の違いはあるものの似通った部分も多く、二人とも読んだ本の

話題になると大いに盛り上がり、それで店員さんに注意されてしまったくらいだ。

 

あっという間に時間が過ぎていき、ふと窓の外を見やると、日は落ちて真っ暗になっていた。

そろそろ帰らないと不味いかな? と思っていると、

先輩の携帯が鳴り先輩は俺に断りを入れて電話に出る。

 

「もう駅だから、少ししたら帰るね」

 

先輩はいうと、電話を切る。

そして電話を切った先輩は、申し訳なさそうに俺を見る。

 

「ごめんね、比企谷くん。電話、お母さんで、早く帰ってきなさいって」

 

「や、そうですね。もう遅いですし。すいません俺の方こそ気づかなくて」

 

楽しくてつい、気づくのが遅れてしまった。

申し訳なく思いながらレジで精算を済ませると、外へと出る。

すると俺の後について店を出た先輩は、ぷくっと頬を膨らませるとつまらなそうにいう。

 

「もっと比企谷くんと、本のお話したかったな~」

 

その言葉に、舞い上がりそうになってしまう。

それで頬に熱を感じながら暗い夜道を一人で帰すのも危ないと思い

恐る恐るいってみる。

 

「だいぶ暗いですし、良かったらその、送りますけど」

 

「えへへっ、ありがとう。じゃあ、歩きながらお話しよっか」

 

めぐり先輩は嬉しそうにいうと、にこっと微笑んでくれた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

× × ×

 

 

 

 

 

 

 

 

 

静かな街に二人分の足音を刻む。隣を歩くめぐり先輩を急かさないよう気をつけていると

袖が引かれ、引いている先輩へ顔を向ける。

 

「ごめんね、比企谷くん。私のせいだよね、店員さんに叱られちゃったの」

 

先輩はいうと、申し訳なさそうにもじもじしだす。

それを見やって、俺は微笑みながら気にしてないと伝える。

それどころか俺の話に楽しげに応えてくれた先輩に、お礼を言いたいくらいだ。

まあちょっとリアクションが大きすぎて、店員さんに注意されてしまったが。

 

そうしてまた、二人でそれまでに読んだ本の話をする。

話題は尽きず楽しい時を過ごしていると、不思議な気持ちになる。

まさか俺が女の子と、こうなふうに話すなんてなあ……。

 

そんな事を考えながら歩いていると、先輩が弾んだ口調で今宵の「めぐり計画」を語りだす。

 

「まずね、お家についたら手を洗って晩ご飯を食べるでしょ?」と

 

いきなりプロジェクト発表を始めた先輩に、ちょっとびっくりしつつ頷くと

 

「それでね。お風呂に入ってさっぱりしたら、お布団にぐるぐる巻きに包まるの」

 

先輩に、ここまではOK?みたいな視線を向けられ、俺もOK!みたいな視線を返す。なんだこれ。

 

「そしたらね、ゆっくりと、秒速を読もうとおもうんだ」

 

先輩の言葉に相槌を打ちながら、そんな楽しそうな先輩に水を差すようで迷ったが、

映画を観てからの方がいいかもですと遠慮がちにいってみる。

するとめぐり先輩は驚いたように目を丸くする。

 

「えっ……読まないほうが良いの? もう一巻、読んじゃったけど……」

 

「えっとですね、三部構成の中で一部の桜花抄と二部のコスモナウトは

映画の補完的要素が強いので読んでも大丈夫だと思うんです」

 

「でも、タイトルにもなっている第三部については、映画だと、

え、もう終わり? ってくらい、すごく短いお話なんですよね」

 

「それで映画の三年後くらいに出版された漫画版では、そこを大幅に加筆してあるんです。

なのでそれを先に見ちゃうとせっかくの良い不親切が無駄になるかなって」

 

「良い不親切?」

 

俺の言葉に、先輩は首を傾げてぽけっとした表情を浮かべる。

ちょっと抽象的すぎたか。そう思って考え考え言葉を組み立てる。

 

「物語の全てに解説を入れると、視聴者は疑問もなくすっきりとして終わりますよね」

 

「でもそれだとそれだけに、なるじゃないですか?」

 

先輩にゆっくりと語りながら、以前Amazonのレビューで見た、ぶん投げエンドという

言葉を思い出す。

友達がいない俺は話し合える相手がいないので、自分の見たものを他の人はどう思うのか

気になったときは、よくレビューを見るようにしている。

まあ確かに、そう思う人も多いだろうな。思いつつ、話しの続きを口にする。

 

「それであえて解説を入れずに空白を入れる事で、その空白を視聴者自身の経験で埋めさせる。

そういう手法を取ってるのかなと思います」

 

「なので過去のことが忘れない人間にとっては辛くてきつい話で二度と見たくないと思わせたり、

逆に過去をきちんと思い出にできれば、当時の感情が蘇ってきて懐かしく感じさせてくれたり」

 

「そういう経験がそもそも無い人間だと空白を埋めるものがないので

ただの説明不足な作品にしか見えずに訳わからんみたいな」

 

「ここまで積んでおいたから、あとは観た人それぞれが好きに積み上げるといいよ。

そんな感じが、俺をすごく惹きつけたんだと思います」

 

俺の言葉にふむふむと頷く先輩を見ながら、あえて口にしなかった本当の理由を懐う。

 

それは、どんなに素晴らしいものでも時間や距離に負けて駄目になってしまうという

当たり前といえば当たり前のことを描いている事。

そしてそんな当たり前の事に、何とか立ち向う主人公の姿が物哀しいと感じ、

だけどやっぱり駄目だったという、どうにもしょうがないお話だという事。

どんなものでもいつかは終わってしまうという儚さに惹かれ、だからこそ見ていない

先輩に対して口にしないほうが良いと思ったのだ。

出来れば真っ白な状態で見て欲しい。そう思えるくらい素敵なお話だと思うから。

 

「……わかった、明日の夜まで我慢するよ」

 

めぐり先輩が、お預けを食らった子犬のような辛抱堪らんぽい声でいう。

そんな先輩にちょっと可笑しくなってしまい、頬が緩んでしまう。

 

「や、そんな無理に我慢しなくても」

 

「ん、する」

 

「そうですか?」

 

「うん、する」

 

先輩は、小さな声で言い切る。

 

そうして互いに黙ったまま街灯に照らされた夜の道、また少し足を進めると

先輩は俺の袖を引いてきて、小さく呟く。

 

「……やっぱりその、ちょっとだけ読んじゃ駄目かな?」

 

先輩はちらっとこちらを見て、目が合うとそっと逸らしてしまう。

そして少し寂しそうな表情を目鼻立ちの整った美しい顔に浮かべる。

それは先輩を妙に幼く感じさせ、それを見た俺は何かに覚醒してしまいそうになる。

 

「さっき我慢するって言ったじゃないですか?」

 

「そーだけどさ~」

 

ぷくっと頬を膨らませて拗ねた声を出す先輩を見て、俺の何かは覚醒した。

 

「我慢です」

 

いうと、先輩は道路に視線を落とし、こくりと、小さく頷いた。

 

やべえ……なんかゾクゾクしてきたぞ。

年上のお姉さんに我慢を強いる喜び。最高ですね、これ!

 

考えてみてもみなくても、俺の周りって俺に我慢させるやつばっかりなんだよな。

雪ノ下とか平塚先生とかね。あ、もちろん一色も。

 

そんな事を考えていると図書館を通り過ぎ、少し行った先にある先輩の家に到着する。

門先で送ってくれてありがとうといわれ、それに微笑みで返すと

先輩に「おやすみなさい」と告げる。

なにか物足りなさを感じたので、「明日が楽しみですね」と付け足すように口にする。

 

俺の言葉に、めぐり先輩はふわっと微笑み、明るい声で明るいことをいってくれた。

 

「明るい日。そう書いて明日だもんね」

 

その声に、俺も頬を緩めてはいと返事をした。

 

 

 

 




それでは次回で。

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。