やはり俺の数学教師が一色というのは間違っている   作:町歩き

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壁と仲良く話している場合じゃない

初体験の記録。字面だけなら童貞の妄想力を極限にまで昇華させる何かがある単語だが、

其の実、0点と記されたテスト用紙のこと。

それを一色に見られてしまった俺は、今日家へと帰ったら部屋に篭って膝を抱え

「壁」と二時間くらい仲良く話せそうだと、窓の外の景色を見やりながら思う。

 

そしてこれまでの最長記録である、中学時代、折本かおりに振られた事を翌日には

クラスメイトの全員が知っていた時の壁トークタイム一時間四十二分の壁を

今日こそ越えられるかも知れない。

そんな期待に胸を膨らませる事で何とかこの辛すぎる現実から目を背けていた。

 

自意識に手と足とクセ毛が生えた俺である。

そうでもしないとあまりの恥ずかしさで正気を保っていられなかったのだ。

だが一色は俺にプリントを手渡すと、その件にそれ以上触れず

最近挑戦しているという美味しいお菓子の作り方を話しだす。

 

「ちゃんとレシピ通りに作るんですけど、舌触りが思ってたより滑らかじゃないんですよね。

だから今度は自分なりに工夫しようかなって思うんです!」

 

朗らかに笑い明るく話す一色の言葉に、俺はふむふむと相槌を打ちながら

もしや一色は「お菓子」と「可笑し」をもじって俺を揶揄しているのでは……? と

疑心暗鬼に駆られていたが、そういう訳ではないらしい。

お菓子が出来たら味見をして欲しいといわれ頷くと、にぱっと笑った彼女と別れ

俺は特別棟にある奉仕部の部室へと向かうことにした。

 

奉仕部自体は三年になり受験もあるからと自由参加になっている。

だが俺も雪ノ下も希望の大学は余裕で合格圏内であり、部活は部員で唯一合格が危ない

由比ヶ浜の雪ノ下先生によるお勉強教室になっている。

なので一色と別れた時点でそのまま家へ帰っても良かったのだが、一応は事の顛末を

雪ノ下と由比ヶ浜に話しておこうと思いここへと足を運んだのだ。

 

部室の扉を開けて中を見ると、ここ最近よく見るように雪ノ下と由比ヶ浜の二人は

仲良くぴったりと椅子を並べて一生懸命に勉強をしているのが見えた。

そんな仲睦まじい二人の姿に、キットカットのCMのようにパキっと折れかけていた

自分の心がほっこりとして癒されたように感じる。

 

後は機会を伺って、国語学年一位から惨めに転がり落ちた雪ノ下を満面の笑みで慰めながら

由比ヶ浜には俺が雪ノ下と葉山を打倒した事実を告げ、ヒッキー凄いー! と尊敬させねば。

そんな悪巧み混じりの気持ちで二人に挨拶をし、いつもの定位置に腰を降ろす。

すると由比ヶ浜が勉強の手を止めて平塚先生の用事は何だったのか尋ねてきた。

由比ヶ浜の質問に答え、自分の都合の悪い部分は出来る限り伏せて事の顛末を語ると

話を聞いた二人は驚いたように顔を見合わせる。

そして口々に何やら言ってきた。

 

「比企谷くん。あなたに人にモノを教えるなんて高度な事が出来るのかしら?

それ以前に人との会話だって怪しいのに……」

 

「それって二人きりで、狭い個室に篭って勉強するって事だよね?」

 

「小町にも勉強を教えた事は何度もあったし、一色も基本は出来てるっぽいから

そんなに大変でもなさそうだ。それに会話だっていましてるよね? これ違うのかよ」

 

「あと個室っていってもカーテンで仕切られてるだけだぞ? それいったらさっきまでの

お前らだって、二人きりで個室で勉強してるって事になるじゃねーか」

 

二人の言葉に狼狽えつつもなんとか言葉をかえす。

おかしい、おかしいぞ。これでは雪ノ下を慰め貶すことが不可能だ。

ガ浜さんに尊敬も羨ましがっても貰えない。

予想外の展開に動揺している俺に、二人からさらなる追撃がかかる。

 

「比企谷くん。小町さんは可哀想な事にあなたと家族だから、まだ会話が出来るだけであって

一色さんは多少アレなところがあるけど一般人なのよ? 不可能とまでは言わないけれど

さすがに……ちょっと難しいんじゃないかしら?」

 

雪ノ下は、そんな事もわからないの? と呆れたような表情を浮かべると、

ふっと疲れたようなため息を吐く。

その隣で由比ヶ浜は腕をぶんぶん振り回しつつ「だってここ広いじゃん!」と

大声で叫んでくる。想像の斜め下をいく二人の反応。

 

どうやら先ほどほっこりとした気分になったのは、俺の勘違いだったらしい。

このままでは自分の心が休まるどころかトリプルブレイクしそうだと判断した俺は

さらにあれこれ言ってくる二人を何とか宥めすかし、出来るだけ早くこの場所から

離脱しようと逃走の準備に移る。

 

置いたばかりの鞄をガシッと掴み「今日はちょっと用があるから、この辺で」と

ぼそっと呟くと椅子を引いて立ちあがる。

そして扉へ向かう俺の背中に、あれこれ言ってくる二人から逃げるように

部室を後にしたのだった。

 

 

 

 

 

 

× × ×

 

 

 

 

 

 

何とか二人の口撃から逃れた俺は、昇降口で靴を履き替え、駐輪場で自転車に跨ると

ギコギコ漕いで二十分、安息の地である自宅に到着する。

ほっと安堵の吐息をつくと、靴を脱いで階段を上がり、リビングに入る。

すると先に帰宅していた小町がテーブルの上に勉強道具を目一杯に広げ

うんうん唸りながら数学を勉強しているのが見えた。

積み重ねられたテキスト類に嫌な記憶が刺激され、見なかったフリをしていると

小町が問題集を片手に、にじり寄ってきた。

 

「お兄ちゃん、この問題の解き方わかる?」

 

今日はもう数学の話はしたくないんだけどなぁ……と思いながらも、可愛い小町のためならばと

小町が指差す問題を見てみるが、問題の解き方以前に問題文が分からないことに気づく。

 

あれ……、こんなん習ったっけ? と問題文を縦に横に見てみるが、わからないことがわかった! 

それくらいしか分かったことがなく、どうしていいか困ってしまう。

そんな俺を不思議そうに見つめる小町。

こりゃいかんと思い、「お兄ちゃんはね、小町ちゃんはやれば出来る子だって信じてるから

もうちょっと一人で頑張ってみなさい」と告げ、その肩をぽんと叩く。

そして何気ない素振りでリビングを出ると、自分の部屋へと向かう。

部屋の鍵を閉めベットに腰を下ろすと、ため息がこぼれる。

今日はずっと色んな場所から逃げてばかりである。

 

そして平塚先生たちの提案に安々と乗ってしまった馬鹿な自分を全力で後悔してしまう。

このまま一色と一緒に勉強したら、「こんなのも出来ないんですかー?」と小馬鹿に

されるならまだしも、「こんなのが出来ないの……?」と軽蔑されるかも知れない。

 

そう思うと「壁」と仲良く話している場合じゃないと思い、押入れの奥から

もう使わなくなった教科書を入れたダンボールを引っ張り出す。

そして中学一年から高校二年まで使っていた数学の教科書を全部取りだすと

机の上にずらっと並べてみる。

 

何故なら高校に入学してから今まで、数学の授業時間はラノベタイムと勝手に決め

教科書の内側にラノベを忍ばせ読書に励んでいた事。

そして小町に尋ねられた問題が全く理解できず解けなかった事から、自分が実際どのくらい

数学が出来ないのか、自分ですら判断出来なかったからだ

それで二時間ばかり、教科書と問題集とにらめっこしてわかったのだが、中二の一学期までに

習ったことは一応理解しているのに、その先からは殆ど理解していない事に気が付く。

 

どうしてそこで自分の知識が止まっているのか気になり、勉強する手を止めると

当時の事をじっくりと思い出してみる。

目を閉じて記憶の棚を開いていくと、もしかして……と思う、一つの記憶が蘇る。

 

 

 

 

 

 

 

× × ×

 

 

 

 

 

 

 

それは今と同じ蒸し暑くじめじめとした梅雨の頃。

当時からぼっちだった俺にも優しく接してくれた折本に好意を抱き、その気持ちを伝えようと

告白したが敢え無く撃沈。

自分の想いが届かず彼女に振られた事は確かにショックだったが

それでも想いを伝える、そんな勇気がもてた自分に俺は満足していた。

 

だが告白した次の日にはクラス中にその事が知れ渡っており、周囲から聞こえる自分を

馬鹿にする声や折本を慰める声を耳にした俺は、絶対に、このクラスや学校の連中とは

同じ高校には行きたくないと心に誓ったのだ。

 

しかし、いくら行きたくないと決めたとしても、まさかそんな理由を両親に訴え

引っ越すことなど出来る訳がない。

なので当時の俺は可能な限り成績を上げ、通っていた中学からは進学する者が殆どいない

千葉でも有数の進学校である総武高校に合格し入れるよう努力する事を決めたのだ。

 

たが、当時の俺の成績では総武高に合格するのはかなり難しく、受験までに残された時間では

合格ラインに立つことすら覚束ない。

悩んだ末、小学生の頃から苦手で頑張ってもなかなか成績が上がらない数学を完全に捨て

伸び代のよい他の教科に集中し総合点をあげることにした。

そのかいもあって、俺は何とか総武高に入学することができたのだった。

 

そうして総武高生になった俺は、どうせやっても無駄だとばかりに数学を完全に捨て

自分の得意分野の文系にのみ集中するようになった。

それがダメだったとは思わないが今日のことを思い出すと、もう少しやっておけば

良かったような気もしてくる。

そして、逃げる事に頑張った自分と逃げずに頑張ろうとする一色を比べ、

このままでは彼女の足でまといになることに気づく。

 

なので俺は、せめて一色の邪魔にならない程度には出来るようしておこうと思い、

夜遅くまで数学の勉強に勤しむことにした。

 

 

 

 

 

 

 

× × ×

 

 

 

 

 

 

そうして迎えた翌日。

俺は夜の遅くまで数学の勉強を頑張るという暴挙のツケを払うことになってしまう。

寝不足はもとより慣れない数字との格闘に、心身ともへとへとになってしまったのだ。

それでも眠い目を擦りつつ自転車を漕いで学校へと向かい、到着すると今度は

あふれる眠気で船を漕ぎながらではあったが、午前中の授業を何とかこなす。

 

昼を迎えると、俺はいつもの場所のベンチに座り、いつものように戸塚が練習する姿を眺めながら

昼飯をモグモグ頬張る。

すると俺の目に映る戸塚の可憐で可愛らしい天使の御姿に、格闘ゲームなら真っ赤だった

俺の体力ゲージもみるみるうちに回復し、体調不良も明後日の方向へ吹き飛ばす。

 

言ってみれば不死鳥のように元気になった俺は多分元気になりすぎたのだろう。

標準装備の謙虚なサイズの小型ロケットを操作も制御も不可能な大型ロケットに誤って

バージョンアップさせるという重大なミスを犯す。

 

多分だが疲れているほど元気になるというマイ・ロケットの暴走である。

場所も弁えず荒ぶるマイ・ロケットに慌てていると、練習を終え俺の傍へとやって来た

戸塚の姿にさらに慌ててしまう。

戸塚の無垢な視線から俺は大型ロケットをバレないように頑張って隠すこと暫し、

なんとか鎮まり謙虚サイズに変形したマイ・ロケットと戸塚と三人、教室へと戻る。

 

そうして午後の授業を終え放課後を迎えると、家に帰ってまた数学の勉強をしようかと思ったが、

今日はいつもいつでも頭の具合が悪い親父が体調まで悪くなり、会社を休んで家で寝ていた事を

思い出す。

 

今までの経験上、親父は夕方くらいには元気一杯になっている。

そして放課後、一緒に遊ぶような友達が居らず帰宅が早い俺を見ると

ここぞとばかりにネチネチと絡んできた嫌な記憶が蘇る。

なので落ち着いて勉強できる場所を求め、俺は図書館へと向かうことにした。

 

 

 

 


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