やはり俺の数学教師が一色というのは間違っている   作:町歩き

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八幡だけが自分の事情を語っているのもあれなので、文化祭でのめぐり先輩の事情のほうも
書いてみました。また予告詐欺に……

次回が「月蛍抄」でその次が「近すぎて絶望的な距離」になります。
それで二章は終わります。本当は二章でもう少し先のことを書こうと思ったのですが
どうでも良い事を熱心に書いているとどんどん話数が膨れていってしまって・・




俺スイッチ

「じゃあ、比企谷くん。仲直りの握手をしよう!」

 

そう言って差し出してくれためぐり先輩の手を、俺は緩く握り締める。

触れ合う肌と肌。仄かに伝わってくる体温に心臓が跳ねる。

夏だというのに先輩の手は少しひんやりとしていた。

そのなんともいえない心地よい感触に、俺の心は現世の煩悩から解脱して

次のステージへとステップアウトする。

 

なんだこれ、すげえ小さくってほっそりしてる。なのにとってもやわらけー!

これはあれだな。食べちゃいたいくらいの可愛さとかそういうのだな。

なるほどなぁ、そういう表現をたまに小説で見たことがあったけど、こういう感じなのか

いやちょっと待てよ。食べちゃいたいっていうことは、噛みたいってことか?

ふむ。でもなぁ、俺はどちらかというと舐めたいタイプなんだよな。ペロリストっていうのかな!

 

などと煩悩からまったく解脱していない不埒なことを考えていると、

危険を感じたのか先輩が手をすっと離す。

 

くぅ、もうちょっと、あと五分か五時間くらい握っていたかったなあ……

そんな後ろ髪引かれる思いでいると、先輩がちょんちょんと俺をつついて話しかけてきた。

 

「ねーねー、比企谷くん。仲直りっていったけどさ

私たち、別に仲が悪かったわけじゃないよね?」

 

言われて少し考える。

まあ顔を合わせたら挨拶する程度の仲とでもいえばよいのだろうか。

気が向いて時間があれば世間話の一つや二つするかもしれない。

例えば、当たり障りのない天気や日常の諸々のことを。

そして仲が良い悪いそれ以前に、その当たりも障りもしない会話と同様、

互いの心に触れ合うことがなかった関係だったと思う。

 

「そうですね。仲は悪くなかったと思います。

まあ先輩、優しいから、しでかした俺にも普通に接してくれていただけなんですけど」

 

出来るだけきちんと答えたつもりだったのだが、先輩は表情を暗くすると

しょんぼりとした様子で俯いてしまう。

 

「別に私、優しくなんかないよ」

 

「そうですか? 人当たりも良いし、温和な人なんだなって思いますけど」

 

「私のは、多分優しいんじゃなくって、甘いんだと思う。その、自分にね」

 

「自分に、ですか?」

 

先輩は頷くと、気まずそうな表情で髪をいじりながら小さな声で呟く。

 

「文化祭のときも体育祭のときもね、こうしなくちゃってあったんだ。

けど、口に出したら嫌がられるかなって考えるとなかなか言えなくってね。

なんかこう、人を責めるのが苦手というか……」

 

まあ確かに先輩はそういうタイプだろう。ほんわかしてるし。

だがその理論いくと、そういう先輩に責められた俺は、人ではない、という事になってしまう。

あの一色ですら俺を人間カテゴリに入れてくれたというのに……

それで少し気分が落ちてしまったが、俺よりも落ち込んだ様子の先輩を見ると

慰めねば! と思い、気を取り直してなるべく優しい声を出す。

 

「や、でもですね。先輩のようなほわっとした人が、誰かを何かを責めている姿を

俺はちょっと見たくないですよ。そういうのは、俺が向いてるっていうか」

 

俺の言葉に、先輩は顔を上げると少し考える素振りをしてから口を開く。

 

「比企谷くん。君は人を責めるの、向いてないと思うよ?」

 

先輩の言葉に驚いてしまう。そんな事を言われたのは生まれて初めてだ。

逆ならよく言われているが。主に雪ノ下に。まあ実際その通りだから反論できんけど。

なので先輩のいうことを意外と思うより、心外だと感じた。

 

ちょっと待ちなよ、めぐりん! 

俺ほど人を責めることに才能がある人間はなかなかいないと思うぜ?

そう思った俺は、自分が如何に人を責めることに優れているかを先輩に説明することにした。

 

「先輩、ちょっと待ってください。人を責めるのは俺の108の特技の一つですよ?

どんくらいかというと、世界で戦えるレベルです。いや、むしろ世界と戦えるレベルですよ。

なんというかあれです。四天王とかゴットハンドとか東方不敗とか、他には渋谷最強みたいな

もう人類には追いつけないステージにいるというんですかね」

 

などと自分の凄さを一生懸命アピールしたのだが、先輩はゆっくりと首を振る。

 

「比企谷くんは間違ったことは言ってないと思うの。ダメなことをした人に、

それはダメだよって言ってるだけで。言い方が、その、悪いけど」

 

「口の悪さも俺の特技のひとつですよ。相手が目を背けていることを口にして、

傷を負わせダメージを与えるっていうんですかね」

 

自信ありげにそんな軽口を叩いた俺を、先輩は悲しそうに見つめる。

 

「でも、一番傷ついているのは、君じゃない」

 

言われて、ぎょっとする。そして先輩の顔をまじまじと見てしまう。

そんな俺を先輩は優しい目で見つめながら言葉の続きを口にする。

 

「関心を集めることは人の役に立つことだと思うよ。

考える機会を作ったり、状況を動かす切っ掛けになるしね」

 

「ただ比企谷くんのやり方だと、それがどんなに正しくても、むしろ正しいからこそ

言い返せない相手の鬱憤が全部比企谷くんに向かってしまうと思うの。

それでね、比企谷くんが他人の悪意に鈍感だったり気にしない子ならまだしも

君、気にするでしょ? そういうの」

 

問われて口篭ってしまう。

悪意に限らず他人の感情に、敏感に過敏に反応してしまう自分を知っているから。

そして先輩の顔をまともに見られず顔を背けてしまう。

その俺の横顔に、先輩は困ったような声で語りかけてくる。

 

「ご、ごめんね。お説教とかしたいわけじゃないんだけど。

少なくともどうしようもないことをどうにかしようとした比企谷くんは正しくはなくても

間違ってはいないと思う。多分割り切ることができない話だと思うんだ。

まあ何もできなかった私がいうのも可笑しな話なんだけど……」

 

「い、いや、先輩頑張っていたじゃないですか。それに生徒会長の先輩が

文実のことに口を出すのは、なんかあれですよね。角が立つっていうか」

 

言うと、先輩は申し訳なさそうに頷いて口を開く。

 

「うん。生徒会はあくまで生徒会。文実は文実。それぞれ独立して別れてるって事は

権限も当然違うんだよね。生徒会の下に文実があるわけじゃないから。

だから、生徒会から文実に介入すると角が立っちゃうの。それがどんなに間違っていてもね」

 

「あと、今年はそれで乗り切ったとしても、それ以降の文実の運営に支障が出る可能性が

でてくるかも知れないの。文実内の問題を文実自身で解決できなかったとなると、

翌年以降に文実が扱える権限の範囲が狭まると思う。

学校側が生徒の自主性を重んじる立場からそれを疑う方向に傾くかもしれないからね」

 

「だから相模さんが委員長である事が拙いとなったら、それは文実から自主的に解任に動くのが

正しいやり方。自浄作用が働いたという事でとりあえず余所に向けては問題にならないからね」

 

「あとね、文実の権限が大きくなったのは、はるさんの活躍があったからなんだよね。

自分の憧れている人が残してくれたそれを、自分がダメにしたくなかったというか……

それで後手後手になちゃって、比企谷くんや雪ノ下さんに迷惑かけちゃったんだけど。

それでも、ただもう少しだけ、比企谷くんには自分を大事にして欲しいなって」

 

先輩は言うと、両の手で俺の手をきゅっと握り締めてきた。

そして自分の胸元に抱えるようにもっていくので

指先が先輩の慎ましい胸に、ぷにっと当たってしまう。

 

俺のことを心配し熱心に真摯に語りかけてくれる先輩の言葉は大変ありがたく嬉しいのだが

指先に感じる柔らかな感触に、俺の方はそれどころでは無くなってしまう。

い、いや、だってさ、これしょうがないよね? お、おれ、男の子だし。

それでもここまで言ってくれている先輩に対して黙っているわけにもいかず、

なんとか声を押し出す。

 

「めぐり先輩。先輩はやっぱり優しい人だと思います。そんな風に俺のこと心配してくれて

その、これからは、もうちょっと気をつけますんで」

 

だから先輩も自分の行動にもうちょっと気を配ろう。そういうニュアンスを含めて言ったのだが、

先輩には上手く通じなかったようだ。

先輩は嬉しそうに頷くとさらに自分の胸に押し付けるように俺の手を抱きしめるので

これが「当ててるのよ」なのかと驚いてその顔にそっと視線を向ける。

すると先輩はにこやかに微笑んで俺を見つめていたので、慌ててこそっと視線を逸らす。

なんというか純真無垢な笑顔と清らかな瞳で見つめられると、卑猥なことを考えていた自分が

酷く汚れているようで恥ずかしくなってしまう。

 

なので俺は、ダメよ八幡。変なこと考えちゃダメダメ。木に、木になるのよ!

などと自分に言い聞かせ邪念を追い払おうとする。

だが先輩は、そんな俺の涙ぐましい努力を一撃で粉砕してしまう。

なぜなら先輩は両手で挟んだ俺の手のひらを指で揉み揉みしてくるからだ。

 

ちょ、先輩。そんなとこを揉んだら、お、おれ、や、やばいですよ!? 

そこにはスイッチがあってですね。それを押したら、ミニ八幡が……

 

俺スイッチを押されないか危ぶむ俺の心を知ってか知らずか、先輩はさらに揉み揉みっと

してくるので、どうにもこうにもむず痒くなってしまい身を捩ってしまう。

そうやってくねくねしている俺を見ても先輩は気にする素振りも見せずに、

ほんわかと微笑んでいる。

さすがにこれ以上は不味いと思い、先輩の手を丁寧に解こうとした俺の目の前を

ぼんやりとした小さな明かりが通りすぎた。

 

 




それでは次回で

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