やはり俺の数学教師が一色というのは間違っている   作:町歩き

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このお話は秒速と同じくらい読んでくれてる方たちに紹介したかった作品を元に
書いております。

志村志保子さんの「女の子の食卓」の二巻。「あの夏の甘い麦茶」というお話です。
クッキーという雑誌に掲載されていた当時からずっと好きで、週刊誌や月刊誌を買わず
単行本派の私が毎月クッキーを買うほど素敵なお話が満載の作品です。

途中までですがこちらで読めます。

http://sokuyomi.jp/product/onnanokono_003/CO/2/

一巻なら二話くらい試し読みできるので良かったらどうぞ。

http://sokuyomi.jp/product/onnanokono_003/CO/1/



甘い麦茶

知らないと答えた先輩に頷きを返すと、時計に目をやる。

最終下校時刻まであと一時間。ちょっとした小話をするのに丁度良い時間に思えた。

 

「先輩。今日はもう勉強会、終わりにしましょう。

それでですね。良かったら場所を変えてお話しませんか?」

 

「ああ、別にかまわんが」

 

先輩の声に微笑みで返事を返すと、二人して身支度を整え学校を出る。

そして駅へと向かう道を歩き出そうとする先輩の背中に声を掛ける。

 

「先輩。歩きながら話すんで、今日は少し遠回りして帰りましょう」

 

言って、先輩の答えも待たずにゆっくりと歩き出す。

先輩は何も言わずについて来てくれてるようだ。

からから回る自転車の音が蝉しぐれに混じって耳に届く。

 

「いつ読んだのか思い出せないくらい昔に読んだお話なんですけど……。

食べ物を通して語られる人生の断片や思い出の一片を描いた本だったんです」

 

そう前置きをしてから、私はゆっくりと言葉を紡ぐ。

 

「とある姉妹が小学生だった頃の思い出を語ったお話なんです。

どちらかと言うと控えめで常識人な姉の果穂ちゃんと、遠慮知らずで行動力がある

妹の佐穂ちゃんの二人が主人公なんですけど」

 

「今日みたいな夏の暑い日。二人で外出途中、妹の友達の家に立ち寄るところから始まります。

特にその子の家に用事があったわけではなくてですね、あんまり暑かったから飲み物でも

もらおうということで立ち寄ったんですよね。佐穂ちゃんの提案で」

 

「なかなかちゃっかりした子だな。一色、お前もそうだったんじゃねーか?」

 

からかうような先輩の声。

失礼ですね。私のような奥ゆかしい女の子に対してそんな事を言うなんて。

 

「嫌ですね~、先輩。私がそんな事する訳ないじゃないですかー」

 

「どうだか」

 

笑みを含んだ先輩の返し。本当にこの人、私をなんだと思ってるんですかね。

まあ、いいや。話を続けよう。

 

「そういえば先輩って甘党ですけど、麦茶に砂糖って入れますか?」

 

「いや、入れんな。なんというか和茶が甘いのはちょっと口に合わんし」

 

「じゃあ、甘い麦茶って飲んだことないです?」

 

少し考えるような間があってから、先輩が声を出す。

 

「ないと思うが。一色は飲んだことあるのか?」

 

「私もないですね。それでこのお話のタイトルに驚いて読んだくらいですし。

えっと、続き話しますね」

 

「ああ、頼む」

 

先輩の声にこたえ、話しの続きを口にする。

 

「この姉妹も家では甘くない麦茶を飲んでいたんで、そこで出してもらった麦茶が

甘いということにびっくりするんですよね。

出してくれたおウチの子も、甘くない麦茶があることに同じようにびっくりして」

 

「まあ小さい頃は、自分の家がなんでも基準だろうしな」

 

「ですです。それでですね。この姉妹、一体どこへ行く途中だったかというと、

実は離婚して別に住んでいるお父さんの家へ向かっていたんです」

 

「夏に愛用しているペンギン丸というかき氷器。こう手で回して氷をかくタイプのが

壊れてしまって、佐穂ちゃんが『こういう時お父さんいたらすぐ直してくれるのにー』

と言ったのが発端なんです」

 

「両親の離婚後、お父さんとは月一くらい外で面会していたんですけど、

お父さんの現在の家に行くのはこれが初めてなんですよ」

 

「果穂ちゃんは『いいのかなぁ、本当に。こんなくだらないこと頼みに行ったりして』と

内心ちょっと思うんですけど、佐穂ちゃんが『お父さん、きっと驚いちゃうねー。私達が

突然行ったりしたら。すげー! お前ら2人で来たの!? とか言いそうだよねー』って

楽しそうに話すんですよね」

 

「その様子を見て、果穂ちゃんもやっぱりお父さんに会えるのが嬉しいから

『仕方ないな~』って言いつつ笑顔になるんです」

 

「地図とにらめっこしたり、道行く人に尋ねたり、四苦八苦しながらも何とか目的地に

無事到着するんですよね。そして二人を見たお父さんは佐穂ちゃんの予想通りの反応をして

二人共にんまりするんですけど、ここで全く予想だにしなかった事態に遭遇しちゃうんです」

 

「なにがあったんだ?」

 

おっ、興味が沸いてきましたか? 

なるほど、自分が読んだ物語を誰かに伝えるというのは

これはこれで楽しいかも知れませんね。

心のなかでにまっとしつつ、それが声にでないよう注意しながら話を続ける。

 

「えっと、お父さんは別の女性とその女性の連れ子の

佐穂ちゃんと同じくらいの女の子と同棲をしていたんですよね」

 

「すでに離婚して三年も経っていますし、お父さんも別に悪いことをしているわけでは

ないんですけど、佐穂ちゃんの機嫌はみるみる悪くなちゃて。

まだ再婚したわけじゃなく、ちゃんと籍を入れたら話そうと思っていたって

お父さんは言うんですけどね」

 

「まあ確かに、何も知らずにそういうシーンに出くわしたら気まずい雰囲気になるわな」

 

「ですよねえ。なまじっかこのお父さんが明るい性格の人で、姉妹二人に対してよく

『離婚したってよー。おれがお前らの父親だってことには変わりねーんだからな』って

言ってたんですよね。それで佐穂ちゃんはよけいに裏切られたように思ったのかもしれません」

 

「同棲中の女性が気を利かせて『私達ちょっと出てくるわ』と子どもを連れて部屋を

出ていったので、果穂ちゃんと佐穂ちゃんはお父さんと三人だけの時間を過ごします。

気まずそうなお父さんと不機嫌な妹に挟まれて、果穂ちゃん困りながらでしたけど」

 

「なんとなく想像つくなあ」

 

「私もです。やっぱりお兄さんお姉さんだからですかね。私たち」

 

「一色がお姉ちゃんっていうのが、今でも違和感半端ないんだけど」

 

まだいいますか? ほんと失礼な。

 

「まあそれでですね。ずっとふくれっ面だった佐穂ちゃんですが、お父さんにペンギン丸を

直してもらっているうちに機嫌が直って、果穂ちゃんはようやくほっと胸を撫で下ろします」

 

「安心して急にのどが乾いた果穂ちゃんは、『ねぇ、お父さん。何か飲み物あったら

欲しいんだけど』とお願いするんですよね」

 

「それでお父さんが麦茶を出してくれて、『ああ、良かった。佐穂の機嫌が直ってくれて

一時はどうなることかと……』って思いながら一口飲むんです」

 

「飲んで、えっ? って思って、妹の方へ視線を向けると、妹も驚いた顔で自分を

見てたんですよね。それでもう一度、手に持ったコップに目を落としてから、

お父さんへ視線を移すと、お父さんはごくごく麦茶を飲んでるんです」

 

「その後直ぐに果穂ちゃんは、『私達もう帰らなくちゃいけないんだった』と言って

佐穂ちゃんを連れて急にバタバタと帰り出すんですよね。

そんな様子を見て、お父さんは『なにか……あったか……?』と心配そうにするんですけど

果穂ちゃんが『ううん、なにも』と答えるので全く見当がつかない様子で」

 

そこまで言って足を止め、先輩の方へくるりと振り返る。

振り返った視線の先、先輩はなにやら考えるように俯いていた。

立ち止まった私に気付き、足を止めた先輩が顔を上げると目と目が合う。

その瞳は悲しそうで、なぜ果穂ちゃんが帰ったのか察したように見えた。

 

「先輩も気付いてると思うんですけど、お父さんは自分たちと住んでいた頃は

飲んでいなかった甘い麦茶を、ごくごくと美味しそうに飲んでいたんですよね」

 

「ああ、やっぱりそうか。でも、それはキツいなあ……」

 

「……そうですよねえ。

行きは楽しげに笑って前を歩く妹と、それを微笑んで見守りながら付いて行く

姉が描かれているんですけど、帰りは姉の後を妹が付いて行くんですよね。

二人ともずっとじっと下を見ながら歩くんです」

 

「それで佐穂ちゃんが、帰り道にポツリポツリと呟くんですよね」

 

「『麦茶、甘かったねえ……』、『うちのは、甘くないよねえ……』

『お父さん、気にしないでごくごく飲んでたねえ……』って」

 

「佐穂ちゃんの声に果穂ちゃんは『うん』って答えていくんですけど

最後の言葉に返事が返せずに泣き出しちゃうんですよね」

 

「なんて、言ったんだ?」

 

「もう、本当に、お父さん。うちのお父さんじゃないんだねえ……って」

 

「その言葉に果穂ちゃんは心の中でこんな風に思うんです」

 

「ショックをうけてる自分にびっくりしていた。

なんだ、私も妹と同じ。わかってるつもりで、わかってなかった」

 

口で言われるよりも、そういう普段の何気なく口にしているものの変化を通じて

父が“遠い存在になってしまった”ということを実感する妹。

そして離婚の事実を分かっているつもりでいながらも、妹の言葉にじんわり涙を流す姉。

蝉しぐれに包まれながら、二人で泣きながらトボトボと歩いて帰った遠い夏の思い出。

 

「……それで、どうなったんだ?」

 

夕日を背に先輩が辛そうな表情を浮かべ尋ねてきた。

 

やっぱりこの人、感受性が強いんだろうな。

それできっと傷つきやすくて、だから多分、人と距離を取りたがるんだろうなあ。

思いつつ、先輩の声に応えて続きを口にする。

 

「もう少しで家に着くってところで、お母さんが前を歩いている姿を見つけるんですよね。

二人に気付いたお母さんが『今日も暑いねえ。ミハシヤで冷たいものでも食べにいこっか』

って言うんですけど……。先輩。二人はなんて答えたと思いますか?」

 

先輩はどう答えるのかな? 気になって問いかけると、先輩は夕日を見やる。

 

夕日は夏の空を赤く染め上げていた。

その光景は、なんだかもう色んなものが終わってしまったような、そんな気持ちに私をさせる。

きっと、このお話の姉妹が見たのと同じような夕映え。

 

「うちに帰って麦茶が飲みたい、だな。合ってるか?」

 

「合ってますよ。せんぱいっ」

 

言って、微笑む。

私がもしこの姉妹のどちらかだったら、きっと同じように答える。

共感っていうのも大げさかもしれないけど、好きな人が同じように想ってくれるのは

なんだかとっても嬉しく思う。

 

そうして私はその後の二人の話しを語り終えると、先輩の服の袖をちまっと摘んで

自分の気持ちを声にして伝えてみる。

 

「このお話を読んで、私、思ったんです。

血が繋がった家族でも、どんなに仲が良くっても、大事な人とは絶対に離れちゃいけないなって。

もちろん距離が空いても続く関係ってあるとは思います。

でもですね。それはどちらも相手を求めていないと成り立たないと思うんです。

だから、私は……」

 

そこまでを声に出して言うと、後は心の中で呟く。

 

あなたが私を見ていないから、あなたと離れたくないんです、と

 

 




作中では端折った部分を後書きで書いておきます。

最後に、物語は現在の二人の様子を描いています。
結婚してカンナという一人娘もできた果穂のところへ、佐穂が遊びに行きます。
作画から察して、二人とも20代になっている感じです。
あれからも父との面会を続けていたそうですが、それもいつしかなくなり、
今では全く会うこともないようです。

夏の暑い日に汗をかきながらやってきた妹に、果穂は麦茶を差し出します。
すると、佐穂は「え、麦茶? うわ、なつかし。私、飲まないよ。最近、全然」と
驚いた様子のコメント。そして、少し間を置いてからこう言うのでした。

「甘かったりして」

ちょっと困ったように微笑みながら「そんなこと言う人には本当に甘くしてあげましょう」
と冗談っぽく意地悪を言う果穂と、「うそ、ごめん」と慌てた様子の佐穂のやりとりが
とても可愛らしいです。この二人が、大人になってからも仲の良い姉妹なのが嬉しい。

もう本当に昔の話だ。けれど、あの日の甘い麦茶の苦みは今も少しのこっている。
姉のその言葉で物語は終わります。

麦茶を飲むたびに、私にとって思い出さずにはおれないお話です。
それでは次回で。

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