やはり俺の数学教師が一色というのは間違っている   作:町歩き

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皆まで言うな、先刻承知だ!

「私もね、比企谷くんに触りたい」

 

めぐり先輩がはにかみながら呟いた言葉。

それを耳にした俺の心は、ひとつの感情で埋め尽くされる。

そう、それは使命感。

そして使命感という言葉は、俺が小さい頃から慣れ親しんだ

ひとつのゲームを想い起こさせる。

そのゲームの名は、ドラゴンクエスト。

日本でRPGといえばこれかファイナルファンタジーと言われるくらい有名なゲームだ。

 

開発者の顔面劣等感が主人公をホストにヒロインをホステスにするという形で現れ

結果、異世界ラブロマンスゲーになってしまったファイナルファンタジーとは異なり、

低年齢なキッズにも親しみやすい王道ストーリーとコミカルなモンスターを基調とする

ある意味、古典的なゲームである。

 

そんな王道を地で行くドラゴンクエストだが、このゲームにも闇がある。

それは魔王を倒した勇者は魔王と同じくむしろそれ以上に人々から恐れられ

忌避されてしまうということ。

世界を救う為に努力した彼らにはその救った世界で、自分たちの居場所を失うという

なんともやるせない結末が待っていたのだ。

 

そしてもうひとつ。

このゲームを初めて遊んだ俺を驚愕させたのが、その世界に住む人々の倫理観だ。

世界を救うため日夜努力している勇者一行。

にも関わらず、彼らが必要としている装備や道具類を定価販売のコンビニよろしく

値切る事すら許さない武器防具屋や道具屋の主人たち。

世界を救ってくれと頼んだ王様に至っては、端金を渡しお茶を濁すだけならまだしも

勇戦のかいむなしく倒れてしまった彼らに向かって、死んでしまうとは情けないと罵倒する始末。

 

そんな奴らを救う価値があるのだろうかと思いきや、勇者一行も負けず劣らず

倫理観の欠片もない行動をする。

白昼堂々、他人の家に土足で上がり込み、タンスを開け、壺を割ると

その中に収められていた金銭やアイテムを我が物とするという

平成日本で穏健に生きる俺には理解しがたい所業を繰り返す。

 

そういった彼らの姿を見て、俺は思案の末、ひとつの結論に到達する。

明日世界が滅びようとも、貯金残高を増やすことに情熱を燃やす商人たち。

そして魔王を倒すという大義の為ならば、器物破損や不法侵入、窃盗なども辞さない勇者一行。

そんな彼らの原動力は使命感なのではと。

胸に溢れる使命感の前には法律も倫理も何ほどのものでもないという

アグレッシブすぎる生き様。

俺にもいつかそんな使命感をこの胸に抱く日が来るのだろうかと

幼心に思ったものだ。

そうして、初めてドラクエをプレイしてから十年という月日が流れた今日この日、

俺の胸にはその時想像した以上の使命感が溢れだす。

 

俺はめぐり先輩の俺に触りたいという要望に応えるべく、自分の胸に添えられた

その小さな手を取ると、痛くないようでも力強く握り締める。

そして空いてるほうの手で、自分の上着のボタンを一つずつ外していく。

めぐり先輩は驚いたような表情で俺を見ている。

 

皆まで言うな、先刻承知だ!

そんな気持ちで微笑みを送り、更にボタンを外していく俺に

先輩からの待ったが掛かる。

 

「ちょ、ちょっと待って、比企谷くん。なっ、なんで服を脱ぎ出すの!?」

 

「なんでって……。触りたいって言ったの、先輩じゃないですか。

それでその、やっぱり直がいいかなって思いまして」

 

「そ、そういう意味じゃないよー! ひ、比企谷くーん? もー」

 

めぐり先輩が頬を膨らませて窘めてくる。

違うのか……と、行き場を失くした使命感を抱えしょんぼりしていると

先輩は困ったような苦笑を浮かべる。

そして俺の手を優しく解くと、上着のボタンを丁寧な手つきで留め直してくれる。

照れくささで視線を逸らし空を見上げると、夏の空に浮かぶ太陽は

そろそろ中天に差し掛かろうとしていた。

 

 

 

 

× × ×

 

 

 

 

その後、腕を組むという形でめぐり先輩の希望に応えると、その感触にドギマギしながら

園内をゆっくりと巡る。

そうしてくまなく園内を回った俺たちは、出口を抜け外へと出る。

 

時計を見るとそろそろ夕方に近い。

それで道が混む前に千葉まで帰ることとなり車に乗り込むと、来た道を逆に辿って家路に着く。

窓の外、流れる景色を目で追っていると、信号で車が止まった。

 

「比企谷くん。このまま比企谷くんの家に向かうね」

 

先輩の言葉に少し考えてから口を開く。

 

「めぐり先輩。俺が先輩を見送ってから帰りたいんで、このまま先輩の家に向かってください」

 

「えっ、でも遠くない?」

 

「途中、バスもありますし。

それに先輩一人で運転してるの、なんかちょっと不安ですしね」

 

茶化すように言うと、めぐり先輩はむっとした表情を浮かべ口を尖らせる。

 

「もう運転なれたもん!」

 

確かに大分手馴れた感じになっている。

でもやっぱり、先輩を安全な場所まで送り届けてから、自分の家に帰りたいと思う。

 

「まあ、それでもです」

 

答えるとちょうど信号が青になり、後ろの車が急かすようクラクションを鳴らす。

それでめぐり先輩は慌てたようにアクセルを踏み、車を動かす。

そうして車が走り出し暫くすると、めぐり先輩は俺の方へ顔を傾けてきた。

 

「心配してくれてありがとね」

 

耳にこそばゆさを感じつつ、小さな声で返事を返す。

 

「……まあ、彼氏ですからね」

 

照れくささで視線を合わせられず、窓の外を見やる。

そんな俺の耳に、めぐり先輩の嬉しそうな笑い声が届いた。

 

 

 

 

× × ×

 

 

 

千葉に着くと、めぐり先輩の家の近くに住む先輩のお爺さんの家に車を返しに向かう。

先輩のお爺さんは先輩と目元がソックリで、とても温和そうな人だった。

お礼を伝えると孫を宜しくと頼まれ、へどもどしつつ「はいっ」と上擦って答えると

二人からにこやかに微笑まれてしまった。

そうして、ひぐらしの鳴く道を二人でとてとて歩いていると、隣を歩く先輩が袖を引いてきた。

 

「ねえねえ、比企谷くん」

 

「なんですか? めぐり先輩」

 

「今日のデートにね、点数を付けるとしたら、何点かな?」

 

「えっと、100点満点でいいんですかね?」

 

「うんうん」

 

にこにこと微笑みながら俺の答えを待っているめぐり先輩を見て思い出してしまう。

その昔、一色に強制的に連れ出された挙句、100点満点で10点という

往々にして辛く、でもちょっぴり甘い採点をされた事を。

 

そしてその時、俺は学んだのだ。

人を育てるには減点方式ではなく、加点方式のほうが良いと。

いいところを伸ばしていこう!

 

「そうですね……。三百点ですかね」

 

ダブルスコアを超えたトリプルスコアを提示してみたが、めぐり先輩は少し難しい顔をしていた。

 

「おかしいなあ~。五百点はいけると思ったんだけどな~」

 

先輩は拗ねたような声音で言うと、横目でちろっとこちらを窺ってくる。

 

五倍だと……。意外と欲張りさんだな、この人。と呆れていると、

めぐり先輩がにまっと微笑む。

 

「なのでズルするね」

 

先輩はいうと、周囲をきょろきょろしだす。

日も沈み、薄暗い住宅地の小径。周囲には人影もなく、ただひぐらしの鳴く声が響くばかり。

それらを確認しためぐり先輩は、スカートの裾を直したりおさげ髪をいじったりしてから

こちらに向かって一歩踏み出し、距離を詰めてきた。

そしてその細い腕で、俺をぎゅっと抱きしめる。

 

お、お、おっ。こ、これはやばい……。

自分の胸元に顔をうずめる先輩の甘い香りとその身体のあまりの柔らかさに

俺の鼓動は三倍速を超え、五倍速になってしまう。

自分の心音で周囲に響いていたひぐらしの鳴き声も掻き消され

うるさいのか静かなのかよくわからなくなってくる。

緊張のあまり固めるテンプルで固まった油のようにカチコチになった俺の胸元で

めぐり先輩が顔をあげる。

 

「ズルしてみた」

 

先輩はいうと、にへっと楽しそうな笑みを浮かべた。

 

 

 

 

 


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