やはり俺の数学教師が一色というのは間違っている   作:町歩き

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理解と諦観 

男の人が泣くの初めて見た。正確に言えば何度か見たことがあるけど、それは本当に幼かった頃。

幼稚園? 小学校の低学年? まあそのくらい昔の話。

だから初め、八幡くんが涙をぽろぽろこぼしたのを見て驚いてしまった。

彼も自分が泣いているのに気づかなかったみたいで、それに気づくと慌てたように顔を隠す。

 

「……すいません。その、嬉しくて」

 

八幡くんがかすれた声で口にしたその言葉に、私も嬉しくなる。

そして目元をごしごしこする八幡くんを見つめながら、彼に関わるこれまでの事をあれこれ思う。

 

「城廻。比企谷も悪気はないんだ。ただなあ……、ああいうやり方しか出来ないというのは

困りものだし、そしてなにより痛ましいことだよ……」

 

文化祭のスローガン決めの後、平塚先生が口にした言葉。

人が足りない。そんな大変な時に一緒に頑張ってくれた八幡くん。

それで私は彼に、仲間意識のようなものを感じていたと思う。

その彼が投げた言葉に些かへこんでいた私に、平塚先生はそう言って困ったように微笑んだ。

 

「あの子はもう結論を決めちゃってるからねぇ……。

そういう子は周りが何をどうしたって変わらないよ。

頭が良い人間ってのはね、冷静に論理立てて狂うから修正が難しいの。

ましてやあの子は自分のしたことを全部分かった上でやってるしね」

 

文化祭の打ち上げの席で、はるさんが八幡くんを評した言葉。

当時はわからなかったけれど、八幡くんと話すようになった今ならわかる気がする。

 

「いつも、ひとりなんで。それでなにか解決しなくちゃいけない事があって、それができるのが

俺しかいない。まあ出来ない事の方が多いんですが……。それでもやるしかないじゃないですか? 

こうなんていうか、普通に考えて」

 

二人でお月見をした夜、八幡くんが口にした言葉。

責任感が強いというにはあまりにも自分を追い詰めるような、そんな危うい考え方だと感じた。

 

「ただその…、ぼっちの悪い癖で、誰にも相談せずに独りよがりで動いてしまって

そのせいで先輩に嫌な思いをさせたのは、悪かったと思ってます」

 

八幡くんはいうと、頭を下げた。悪いのは何もできずに見ているだけだった私の方なのに。

申し訳なさを感じつつも正直今でも、八幡くんのやり方が正しいとは思えない。

でも、正しいとか間違ってるとかではなく、誰も解決方法を見出せない動き出せない中で、

曲がりなりにも解決に導いてくれたのはこの子だ。

他にも方法があったんじゃないのかな……とは思ったり指摘する事は出来ても、

実際には八幡くんだけが行動してくれた。色々ともどかしくはあるけれど。

でもそのせいで、八幡くんは皆に陰口を言われるようになってしまう。

そんな中でも八幡くんは、それまで以上に黙々と仕事をしてくれた。

そのおかげで少なくともサボらずにいた子達は、彼への態度を柔らかいものに変えたように思う。

だから文化祭最終日、彼が相模さんを罵倒したと聞いた時、やるせない気持ちになる。

せっかく良い感じになっていたのに、なんでそこまでしてしまうのかと。

結局、文実での彼の評価は酷いままで終わってしまう。

そして後片付けの際、皆がお疲れと労いの言葉を掛け合い笑い合う中で、

八幡くんだけは離れたところで一人ぽつんと作業をしていた。

声をかける事に躊躇いを覚えなかったといえば、嘘になる。

でも、ずっと頑張ってくれていた八幡くんに何も言わないのは失礼だと思い、

感謝の気持ちを伝えた。

 

後日、二人で月を見上げながらその時の事を尋ねると、彼はそうなる事を充分理解した上で

そうしたのだから仕方がないと答えた。

とはいえ、悪く言われて喜ぶ人は居ない。そこに個人的な理由であれ事情があれば尚更だと思う。

それでも八幡くんからは相模さんや他の文実の子達への悪意を感じない。

ただ人間なんてそんなものだと諦めているだけのように見えた。

それを痛ましく思いながら八幡くんと言葉は重ねていると、ふと気付く。

多分この子は自分に間違っている部分がある事は理解していて、でもそんな自分が好きで、

だから他人の間違いに対しても寛容で、ある意味優しいのかもしれないと。

それに気づいた時、自分が八幡くんの何に惹かれていたのかようやくわかったように思う。

 

そうやってつらつらと思い出していると、悲しい気持ちになる。

周りと上手くやることだけを考えその評価を気にするばかりの私では、彼の芯にあるものを

理解することは出来ても共感する事は、この先もきっとずっと出来ないだろうと感じたから。

だから私は埋まらないであろう心の距離の代わりに、その唇に自分のを寄せた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

× × ×

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

家に帰ってから、ベッドに倒れ込む。

あれから俺たちは無言で先輩の家へ戻り、なんとも言えない気まずい雰囲気のまま

別れの挨拶を交わした。

困ったような笑顔で手を振る先輩に俺はもっと困った顔で手を振り返すと

その場から逃げるように家路に着いたのだ。

それまでの弾んだ会話が嘘のように、二言三言しか言葉を交わさなかったような気がする。

うつぶせでベッドに沈み込んでいると、今日のことが思い返される。

 

うわああああ! また、まただよおおおお。まーた黒歴史を作っちまった!

もうダメだ。限界だ。俺の思い出は真っ黒くろすけだ。

ああ、俺も千尋のように神隠しに逢いたい。そして湯場で働くんだ。

湯婆に名前を一文字取られ八とか呼ばれて、朝から晩まで風呂掃除するんだ。

あれはあれで楽しそうだしなあ、などとどうでもいいことを考えながらため息をつく。

それでなんとか、諦めがついた。

いやまああれだ。本当に嬉しかったのだ。

俺をあんな風に想ってくれる人がいるなんて思ってもいなかったから。

だからってなあ……、泣くのはダメだろ、俺。

いや待てよ。そのおかげで、先輩とキス出来たんだからいいのか?

次はもっと泣いてみるのもありか?

でもなあ、なんか情けないよなぁ……。

俺は滅多な事では泣かない男のはずなのに!

そうだよ。最近マジで泣いたのなんて、一昨日タンスの角の小指ぶつけて悶絶した時と

先週ガリガリ君を袋から取り出そうとしたら、手が滑って床に落とした時くらいだ。

結構泣いてんな、俺……。

 

そんな事ぶつぶつ呟きながら、天井を見上げる。そして自分の唇を指先で触れてみる。

柔らかかったなあ……先輩の唇。こうなんていうか、ぷるんとしてた。

いやー、俺。マジでキスしたんだよなあ……。つーか、されたのか。

うん、あれだ。誰かに自慢したい。こういう時、友達がいればなあ。

などと、友達の定義が危ぶまれるような事を考えながらスマホに手を伸ばす。

そして数少ない連絡先をひとつひとつ見ていく。

ここはやはり、材木座か? 

あいつならまず間違いなく俺を満足させてくれる卑屈な恨み言を言ってくれそうだし。

思いつつ更に連絡先を見ていくと、由比ヶ浜のアドレスが目に映る。

今の俺を彼女が知ったら、なんて思うだろう。

裏切られたと、そんな風に思うだろうか。

スマホを枕元に置くと、目を閉じる。

そして、あの冬の日のことを思い出す。

 

 

 

 

 

 


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