やはり俺の数学教師が一色というのは間違っている   作:町歩き

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未来志向

これは夢だと、夢の中で気付くことがある。

しかし、そうと気付いたところで流れゆくそれを思うままにすることはできず、

只々映し出される光景を眺めていることしかできない。

場所は見慣れた部室。

窓から枝葉を落とした木々と灰色の空が見え、それで季節は冬だと分かる。

外の寒々しい景色とは違う、暖かな空気に満ちた穏やかな空間。

そこにいつもと同じように同じ場所に座る俺たちの姿が見えた。

普段通り俺と雪ノ下は読書をし、由比ヶ浜は携帯を弄っている。

しばらく見ていると、夢の中の俺が本を閉じテーブルに置く。

そして、傍から見てもわかるほど酷く緊張した面持ちで雪ノ下に声をかけた。

 

「なあ、雪ノ下」

 

雪ノ下は顔を上げ、こちらを見る。隣に座る由比ヶ浜も同じように、こちらに顔を向ける。

 

「その、なんだ……。俺と、友達になってくれないか?」

 

二人の視線を受け、上擦った声で俺が言う。

由比ヶ浜は驚いたような表情をみせ、雪ノ下は目を細め黙って俺を見つめる。

雪ノ下がなんと言うのか気にかかった。その反応を待ってみるが、雪ノ下は何も答えない。

沈黙が続き胸が焼けるような重苦しさを感じていると、雪ノ下がそっと目を伏せた。

 

「そうね……。そのほうが、私とあなたにはいいのかもしれないわね……」

 

雪ノ下はどこか諦めたように呟くと、ごくごく小さな吐息を漏らす。

それを見やった由比ヶ浜が、躊躇いがちに俺に問う。

 

「ヒッキー。ヒッキーはその…、本当にそれでいいの?」

 

「ああ、これでいい」

 

由比ヶ浜の消え入りそうな声に、俺はぎこちなく笑ってそう返す。

そして、二人に何か言いかけ――――、そこで目が覚めた。

 

視界の端に白いものが映る。顔をそちらに向けると、カーテンが風に揺れていた。

ひらりと翻った隙間から薄くかすれた飛行機雲が見える。

それを見やりながら、小さく呟く。

 

「またか……」

 

あの日から何度も何度も繰り返し見る夢。

見るたびに、何か大切なものを置き去りにしたような、そんな心地悪さを感じる。

こぼれそうになるため息を飲み込むと、天井を見上げる。そして考えてしまう。

本当にあれで良かったのかと。

 

多分俺たちの関係は卒業し進学することで終わる。俺のこれまでがそうであったように。

俺たちは皆、別の、新しい場所へと移るのだ。

そこで出会う人たちと俺はともかく他の二人は、新しい関係を築くだろう。

そしてこれまでの関係は少しずつ希薄になっていき、徐々に距離ができ、いつしか途絶える。

俺も、そしておそらく雪ノ下も、その事を寂しく感じつつも、そういうものだと諦めてしまえる。

由比ヶ浜はそれを察しどうにかしようと考えに考えた末に、自分の気持ちを押し込めて、

俺と雪ノ下を結びつけようとした。

そうすることで、彼女自身が辛くなると知りつつも。

 

それは間違っていて、でも優しいことで、そう出来る彼女に好意を告げられた事を誇らしく感じながらも、俺は今でもそうやって小細工しなければ維持できない関係は本物ではないと思っている。

そして、友情や信頼が時として、成長が遅くこまめに水をやらなければすぐ枯れてしまう木に

例えられる事を知っている。

くだらない小細工や上辺だけの言葉や態度もそれが木を育てる水になるというのなら、

互いのことを何一つ理解してない関係もまた本物ということになってしまう。

そんなものは嵐や日照りが来れば、すぐに朽ち果ててしまう脆い木だとしてもだ。

だがそれでも、枯れそうな木を前にしてなんとしてでも維持したいと願う気持ちは

きっと本物なのだろう。

だからこそ、例え手段は欺瞞でもその結果がただの一時凌ぎに過ぎなくとも、

由比ヶ浜がそう希うのであれば、俺はそれに応えたいと思うのだ。

彼女が望み、彼女だけが傷つく、そんな悲しいモノではない、違う形で。

 

飲み込んだはずのため息が溢れる。

落ちた気持ちを振り払うよう頭を振ると、俺は勉強会へ向かうため、ベッドから滑り降りた。

 

 

 

 

 

 

 

 

× × ×

 

 

 

 

 

 

 

夏休みも十日目、金曜日の昼過ぎ。今日も朝から蝉の声が煩い。

私はそれを遠くに聞きながら、先輩と二人勉強に励む。

先輩から出された本日の課題は、ボトルネックという小説を読むこと。

 

「合わない人にはほんと合わないから、無理しないでいいからな」

 

先輩に言われ手渡されたそれに目を通してみる。

先輩の薦めでこれまで読んだ作品とは違い、暗くて重いお話。

読みやすい文章なのですらすら読めるのだが、読むほどに胸が苦しくなってくる。

それでも続きが気になってページを一枚一枚めくっていると、隣から低い唸り声が聞こえた。

なんだろうと横目で窺うと、先輩が眉間に皺を寄せひどく難しい顔をしていた。

 

「なあ、一色」

 

「はい?」

 

「今日のテストさ、なんかすげえ難しくね?」

 

そう感じるのも当たり前。

この前の仕返しに、今の先輩には解くのが難しい問題を出したのだ。ふふふ、苦しむがよい。

そんな内心はおくびにも出さず、しれっとした顔で答える。

 

「そうですか? 数学を解く楽しさを知ってもらいたい。

そう思って、割と簡単な問題にしたつもりなんですけど」

 

「えっ、マジで?」

 

「先輩、まさかとは思いますけど、私が今まで教えた事、忘れたりなんかしてないですよね?」

 

「お、おう、バッチシだ」

 

「なら大丈夫です。解けるはずです」

 

私は言うと、にっこりいい笑顔を先輩に送る。

笑顔の直撃を受けた先輩は困った顔をした。

 

「そうか……」

 

「はい」

 

返事を返すと、先輩はそのままの顔で首を傾げた。

 

「うーん、そうかなぁ……? そうなの?」

 

「そうですとも」

 

「………」

 

神の声、天啓にも等しい私の言葉に、先輩はなぜだか納得しかねてる様子。

そればかりか嘆かわしい事に、疑わしい目付きで私の方をちらちら見てくる。

神をも畏れぬ所業。天罰のひとつやふたつ落ちてもおかしくないところ。

でも私は慈悲深く、リアルエンジェルと呼ばれても過言ではない存在。

なのでやれやれといった感じを出しつつも、愚かな先輩を導いてあげるのだ。

 

「仕方ないですね。どの問題が解けないんですか?」

 

「この問い、図形のとこなんだけどな」

 

私は席を寄せると、先輩の手元にある用紙を覗き込む。

先輩の体温をすぐ傍に感じ胸をトキメかせながら、その指が示す問題へ目を向ける。

 

「えーと、どれどれ。ああ、これはですね、補助線を引くといいんですよ」

 

「補助線……。えっと、どのあたりに引くといいんだ?」

 

「そうですね。どこだと思います?」

 

「いや、聞いてんの俺なんだけど……」

 

「いいですか、先輩。私はぐーぐる先生じゃないんですよ? 林先生でもありません。

なのでなんでもかんでも教えてもらえる、そう思ったら大間違いです。

まあどうしてもというなら、いくら出せるか?ってとこから、話を詰めていきましょう」

 

「金取んのかよ……」

 

「ほんのジョークです。まあ少しだけ、ご自分で考えてみてください。

それでダメだったら、教えますから」

 

「いや、ちょっと待て。一色、お前さ、この前俺が同じ事を言ったら、

そういうのいいからさっさっと教えてくださいよ~って言わなかったか?」

 

「言いましたね」

 

「だよな」

 

「はい」

 

沈黙。少し間を置いてから、私は口をひらく。

 

「先輩。この前はこの前、今は今です。過去は振り返らず、前を向いて歩きましょう。

未来志向です。Futurismです」

 

「………」

 

「取り敢えず、ちょっとやってみてください。間違っても全然OKですから。ね、ほら」

 

早く早くと急かすと、先輩はなんだかんだいって素直に私のいう事を聞いてくれる。

真剣な顔でテスト用紙とにらめっこし、あーでもないこーでもないとブツブツ呟く。

 

「む、むむう……。こ、ここか?」

 

先輩の指した場所を見て、私はnonとばかりに顔を背ける。

 

「じゃ、じゃあ、こっちか?」

 

先輩が迷いながら指した箇所を見て、私はPardon? とばかりに首を傾げる。

そんな私を見て先輩は悔しげにぐぬぬっと唸りだす。やばい、超楽しい。

こぼれる笑みを抑えなんとか表情を取り繕う。そして先輩の問いに応え、ここですよと指差す。

 

「あー、そこかー! いや俺もそこだろうなって、わかってたんだけどな!」

 

などと言う先輩に呆れながらも、ずっとこうしていられたらと私は思ってしまう。

 

 

 

 

 

× × ×

 

 

 

 

 

 

 

夏の一日、その昼下がり。俺は今日も今日とて勉強室に篭もり、一色からの課題をこなす。

そう、俺はこなそうとしたのだ。したのだが……

 

まあ確かに最近、俺は少しばかり調子に乗っていたかも知れない。

数学も実はやらず嫌いだっただけでやってみたら案外いけんじゃね? つーか、いけてるよな?

やっぱ俺スゲー! なーんて考えてなかったといえば嘘になる。オーケー、それは認めよう。

でもだからって、いじめレベルの難しい問題をわざわざ出さなくってもいいんじゃないかなーって

思うんですよ。だってこれ明らかに俺の適正レベル(小中全般)から大幅に逸脱してるし。

 

なので俺は「これちょっと、おかしくね?」と訴えたのだが、一色はしれっとした顔で

俺の苦情をそよ風のように受け流す。

そればかりか「私知ってます。先輩はやれば出来る人だって!」などと

褒めてるようで貶すことをいってくる始末。

さすがに温和な俺も怒りのあまりスーパー麦野さん改めスーパー八幡さんに変身しかけたが、

一応アドバイスをもらえたのでそれを参考にどうにか解こうと頑張ることにした。

 

時計の針がカチコチと時を刻む中、頑張ることしばし。

結果、俺は問題を解くことが出来ずにいた。

背もたれに寄りかかり天井を見上げる。徒労感からため息を吐いてしまう。

まあ仕方がない。頑張ってどうにかなるのは少年ジャンプの世界だけ。現実は厳しいのだ。

ついで言うとサンデー編集部もなにやら厳しいらしい。

 

さて、頑張ってもどうにもならないとき、人には二つの選択肢がある。

それでも頑張るか、無理ですわっと諦めるかの二択。

これまた少年ジャンプの世界なら主人公やその仲間たちは諦めずに頑張るに違いない。

なぜなら彼らの双肩には世界平和や人類の存続や悲願の県大会出場なんかがかかっているからだ。

俺には特にそういったものは無いが、それらを読んで成長しここまで立派に育った俺も

彼らのように頑張らねばなるまい。

 

とはいえ現状のまま解くことが出来ないのは見ての通りの自明の理。

ここはひとつ、一色に更なるアドバイスを求めるべきだろう。

がしかし、ここで下手に下手に出るとただでさえ悪い俺の扱いがもっと悪くなる恐れがある。

なので一色が自ら俺に教えたくて仕方がないという状況を作り出さねばならない。

そのための方策は色々あるが一番単純でしかも効果が高いものを選ぶことにした。

 

そう、それは褒める事。

褒めて褒めて褒めまくり、その合間合間にアドバイスを欲していると匂わせる。

それで「もう、仕方ないですね!」と一色当人に言わせ教えさせるというもの。

平たく言うとリップサービスというやつだ。

てな訳で、早速実行に移す。

 

「なあ、一色」

 

「はい?」

 

「数学って素晴らしいよな」

 

「はぁ」

 

「なんつーか、そこには必ず解があって極めれば効率的な解法が構築できる」

 

「まあ…、はい、そうですね」

 

「ほんとなんでこの素晴らしさに俺は今まで気付かなかったんだろうって、後悔するレベルだ。

それを知る事が出来たのは、お前のおかげなんだよな」

 

「や、その……そんな大した事じゃ。それに私、教えるの下手ですし……」

 

一色は謙遜しつつ、チラチラチラチラ俺を見る。

すごく遠回しに色々要求してる感じがすごい。

オーケー、オーケー、わかってる! わかってるぞー!

一色。お前が求めてるのはこれだろ? と、俺は更に褒めまくる。

 

「いやいや、そんなことねーぞ? 一色の教え方、すげーわかりやすい」

 

「そ、そうですかね?」

 

「ああ! もっと自信もっていいと思うぞ!」

 

それでな、もう少しアドバイスが欲しんだが、と俺が口にするより先に一色が声を出す。

 

「そ、それほどでも……。でもまあそうですね。先輩よりはマシかもです」

 

自虐しつつ俺を貶める高度なプレイが炸裂した。どうなってんだ、こいつ……

 

「それにですよ? 先輩、今はダメダメですけど、これから頑張ればいいじゃないですか? 

なんでもそうですけど遅すぎるって事はないと思いますし」

 

さらに上から目線で俺を慰める。嬉しくないことこの上ない。

しかもこの流れだとアドバイスも求めづずらく、適当な返しを口にするしか無くなってしまう。

 

「そ、そうか」

 

「そうですよ!」

 

一色はにっこり笑って答えたその時、勉強室の扉をノックする音が聞こえた。


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