機械戦争戦記・レンの歌声が聞こえる   作:咲尾春華

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「アルテミシアと分かって、なぜ銃を向ける!」「いや。えと、それは、アルテ……ミシアだからじゃ、ないからスかねぇ~」「な、ナニをーーーっ!」――あ、それ。ドム、ドム、ドム、ドム、ドム。……グフッ、ザクッ。……ゲルグググゥ~。「にゃははは!」――ある日、どこからともなくやって来た“さすらいの竜記者”ラグナおじさんは今日も絶好調だ。ザナルカンドの街に現れるや、たちまちにして芸能界を席捲。視聴率で何と、あのレンをも抜き去り、史上初の『レンを裏番組にした男』が誕生した。――静かに風が吹き始めた……何かの予兆か。あるいは遠い日の記憶とともに、この街が本当の姿を現そうとでもしているのか。 (『俺の彼女と幼なじみが修羅場すぎる』から季堂鋭太・春咲千和の会話を1箇所引用=ラグナ篇中を除く)
 



第2章・第8話

 

「アルテミシアと分かって、なぜ銃を向ける!」

「いやぁ、えと。それは、あの、アルテ……ミシアじゃないからっスかねぇ~、やっぱ」

「なな、ナニをーーーーーっ!!」

 ――しゃらくせえ! 問答無用。

 ドム、ドム、ドム、ドム、ドム。グフッ……、ザクッ……。ゲルグググゥ~。

 ――――。

 ――――――――。

 ふっ。ラス・ボスといえど、造作もない。

 …………。

 ……………………。

 ????

 …………。

 ……………………。

 ????

 …………。

 ……………………。

 ドムドムドムドムドムドム、ギャン!! ――――ヂ、ヂッ、ジッ、ジオングショウ!!!

 ――――。

 ――――――――。

 “ザ・マァ~ン・ウィズ・ア・マシンガン”

 「にゃ~っははははぁ。死んだ振りで誤魔化(ごまか)そうったって、この『クロい3年生』は(だま)されねぇぜ!」

 「――と言うラグナ君はレミアム時代に“売れない二年間”の悲哀があったので、実は“新人”の資格などないのであった……。俺は騙せないよ」

 …………。

 「ウォッホン。……キロス君、あーっ、ぴよぴよ口の計量所が見えてきたぞ。そいつは――ナシ・だ」

 ――ある日、どこからともなくガガゼトを越えてやって来た“流離(さすらい)の竜記者”ラグナおじさんは今日も絶好調だ。

 ザナルカンドの街にふらりと現れるや、たちまちにしてスフィアTV界を席捲(せっけん)

 その勢いは完全無敵! まるで異世界から来た面白さ。

 瞬くうちに新人王の最有力候補にまで(のぼ)り詰め、何と視聴率で軽々とあの(・・)レンをも抜き去った……。

 ザナルカンド史上、初めて『レンを裏番組にした男』が誕生したのだ。

 ――静かに、しかし確実に、嵐の風が吹き始めた。

 それは、何かの予兆か。

 あるいは遠い日の記憶とともに、この街の本当の姿が現れようとしているのかも知れなかった。

   (『俺の彼女と幼なじみが修羅場すぎる』から、季堂鋭太・春咲千和の会話を1箇所引用=ラグナ篇中を除く)

 

 

     8

 

 幻光虫が舞っている……。

 果てしなく薄明るい暗がりの中を、白い光の塊がゆっくりと静かに、数限りなく乱舞していた。

 近く、遠く、時に視界を奪うまでに明るく、そしてすぐに消えては、また遠くの塊が輝き始め……。

 そうやって、いつ果てるとも知れない輝きが、延々と――。

 まるで大聖堂の大広間のような高くて丸い空間が、くるくると――、いや、クラクラと回るように迫って来る。

 少なくとも、そんなふうに見えていた。

 レンはいきなり信じられないような状況に直面し、さすがにパニック寸前の混乱状態に陥った。

 まず、何よりも時間がなかった。

 文字通りの意味で1分1秒でも早く病院に搬送して、彼を直ちに幻光虫空間から隔離し――隔絶する必要があったのだ。

 そのことは、すぐに理解ができた。

 まず、とにかく。

 即座に、一番に、この喫緊(きっきん)の事態を何とかしなければ大変なことになる。

 何よりも、まず、少なくとも。そのことを、はっきりと理解ができていた、はずだ。

 シューインさんの脱落は、つまり死亡は――。つまり、彼のみならず、つまり、つまりそれは、つまり。そのままレン自身の人生の終焉(しゅうえん)をも意味していた。

 つまり、幻光虫症なの。危ないの。とにかく早く!

 早く、シューインさんを、早く、早く!!

 ――――。

 それから何をどうしたかは実際、よく覚えていない。

 とにかく、咄嗟(とっさ)の判断だった。

 とにもかくにもレンは、必死になってシューインの体を抱き抱え、最初に流れ着いた水辺の階段脇まで連れて行った。

 もしも、その目的の階段が大広間の反対側とかにあったなら――そんな距離、とても彼を運んで行くのは無理だったろう。

 幸いにも広間の壁面に沿って、すぐ隣りに“さっきの水場”はあったのだ。

 ツイていた!

 つまり、現実的に彼の肉体を引きずって行って、レン一人の力で、広間の向こう側まで運んで行くとしたら……そんなこと到底、不可能だった。

 ――酔っ払った男の人の体って本当、重たいんだもの。》

 ましてやシューインさんはプロのスポーツ選手だ。

 まあ普通に考えて、それは無理と知れた。

 だから咄嗟に体が動いて、だから、とにかくシューインさんをこの階段に、何とか階段の水辺に連れて行くことができたのはラッキーだった。

 他に方法を思い浮かばなかった。

 選択肢がなかった。

 時間もなかった。

 実際に極端な話、彼の心臓が停止でもしていた時の方が、むしろ時間も方法もあっただろう。

 考える余裕もずっと、ずっと、あった。

 何も――。

 レンの思考まで、停止してしまったわけではない。

 自分でも、そのはずだった。

 だけど、このときのレンを(はた)から見ている人が居たら、きっと滑稽(こっけい)に見えたのだろうな、と後から考えて、つくずく思った。

 とにかく泡を食いながらも、……彼女は必死に考えた。

 考えながらも、必死に体が動いていた。

 いや動いていたのはレンの体で、シューインのではない。

 とにかく時間がなかった。

 ――時間がないのだ!!

 すぐ左隣りにポッカリと開いた……明るく闇に滲み出した空間を曲がって、緩やかな階段を、迷うことなく、一段、一段とシューインを下ろして行く。

 普通に考えたら、選りに選って幻光虫症に(かか)っている人を水に浸けようなど、最悪の行為だった。

 そんなこと、絶対にやってはならない狂気の沙汰(さた)だ。

 幻光虫は水に馴染み、よく溶け込む。

 水の中というのは常に、幻光虫濃度がどこよりも極端に高い場所。

 ――どこよりも高いのだ!!

 ザナルカンド人なら誰でも知っている、イの一番の、常識中の常識だった。

 だから、幻光虫にやられて幻光虫症に罹っている人を無理やりに引きずって行って、そんな水の中に放り込もうなんて――普通に考えたら、まるで推理小説の中にでも出てくる殺人事件の犯行現場そのものみたいなシチュエーションじゃないか。

 しかし――。

 レンはそれでも、必死に冷静になろうと思いを巡らした。

 慌てて、パニックに(おちい)って、緊張とプレッシャーの只中(ただなか)にあって、それでもレンが最後までレンであってくれて――。

 究極の最後に、彼女が彼女である底力が発揮された。

 レンは水辺の(ほとり)まで、ほうほうの(てい)で彼を運んで来て、真っ先に水面を見た。

 予感は的中した。

 水面からは、一塊の幻光花も立ち(のぼ)ってなどいなかった。

 案の定。

 ――やはり、ここではザナルカンドの……少なくとも、私の知っているザナルカンドの常識は通用しない。》

 この空間では、水中よりも空気中の幻光虫濃度の方が、むしろ圧倒的に高いのだ。

 だから当然、幻光花は一輪たりとも水面上からは立ち上らない。

 そういう空間なのだ。

 そのことを、まず考えた。

 ならば《今この現状》という条件で考えて、通常、普通にみて、最も幻光虫濃度の高い場所と言えば、それは迷わず“水の中”だったが……。

 それは、ここ(・・)では違うな。

 ――――。

 もちろん水中の幻光虫濃度自体は、ここでも確実に、極めて高いだろう。

 水が幻光虫を取り込んでよく馴染むという実情は、当然ここでも同じはずだから。

 しかし――。

 一方で、《幻光虫の飽和濃度の臨界点》と言えば。

 その境界線は、水よりも(むし)ろ空気。

 大気中の方が、やりようによっては遥かに高いのだ。

 条件次第で!

 ……分からない。

 スピラ世界で、そんな馬鹿げた状態を人間は経験したことがないから――実際には分からない、本当のことを言うと。

 いや、一箇所だけ。

 人類は、異界へと(つな)がる《アンダーザナルカンド》という場所を発見した。

 未開発で手付かずのその大地なら、水の中よりむしろ大気中の幻光虫濃度の方が高いという事実を、人類はその身で体験した。

 水中で何ともない頑強な人が、ただの空間内で、選りに選って幻光虫症にやられてバタバタと倒れてしまうという現実――。

 そのような妙竹林(みょうちくりん)な経験を、初めて人類がしたのだ。

 水中よりも本当に大気中の方が幻光虫濃度の飽和点が高いかは、実験したことがないから分からない。

 しかし――。

 「分ぁ~~からないから実験して、み~~~るのです~!」って、かの有名な教授だって言っていたわ。

 確かヴェインの中に居たのと同一人物だから、きっと間違いないはず! きっときっと、その通りなのだろう。

 今この現状で、既に幻光虫症に罹っている人を水なんかに浸けて果たして効果があるのか疑問だったが、少なくともこの空間内では幻光虫濃度は水中が一番に低い。

 迷っている暇はなかった。

 とにかく時間がないのよ。

 ――えい! ままよ。》

 ズジャジャジャジャ……と辺り一帯に物音が響いて、シューインの体は急に軽くなった。

 

 ――――。

 虚ろに見開かれた目が、くるくると、静かに眩しく、回る画面を見ていた。

 何か……さっきから体をグイグイと引っ張られるような気がして、ぼぉ~っと痛いのでそちらの方向へと移動していく……。

 まるで、肉体が真っ二つに引き裂かれてでもいるように痛んだ。

 周りの空間がさっきからズルズルと特定の方向へと揺れていた。

 オレは……シューインという名前の男だ。多分、……そうだと思う。

 このまま――。

 どんどんと引っ張られて行って体を二つに裂かれてしまったら、後ろに残されてしまったもう一方の片割れも、シューインと言うのだろうか。

 何だか全身がとてもダルい。

 いや、逆に体がさっきからフワフワとして軽い。頭の中が果てしなくジンジンと痛む。

 もしも、このまま体が二つに分かれてしまったら、少なくとも体重は確実に半分になるのだろうな。

 そう、くだらなくシューインは思った。

 だから当然、軽くなるのだ。

 何だか全身がとても軽い。

 ふらふらと、フワフワと、足が引きずられるように一歩、また一歩、そちらの方角へと動いてゆく。

 これがあの……(うわさ)に聞く“月面”という場所に立った時の感覚なのだろうか。

 地平のラインが微妙に、さっきから上下に揺れている。

 このスピラの星の地面の中。異界点のテラスで見る死後の世界、その月面にでも立っているような感覚。

 今なら、かの月面宙返りだってやれそうな――いや、さすがにそれは無理だよ。

 …………。

 ハハハッ、そうか。

 さすがに、それは、無理か……。

 でも、それさえもやれそうなくらいに全身がフワフワと軽い。

 軽くて、ダルくて、重い。

 体中が無限に痺れて、さっきから力が入らない。

 しばらく引っ張られるままに力の方角についてゆくと、何だか突然、地平線がドンドンとめり込み始めた。

 底に向かって落下するような感覚――なのじゃないかな。

 少しの間、落下するままに任せて地面の中にドンドンと、構わずめり込んでいると、また突然バシャーンっと体の前面を何かに打ち付けられる痛みに襲われ、急に――そこで体重がなくなった気分に包まれた。

 代わって、もわ~っとした強烈な圧力が全身に(まと)わり付いてきた。

 瞬間、いつもよく知って慣れ親しんでいる感覚を思い出した。

 それが一番に彼をハッとさせた。

 いっぺんに全ての意識を回復させた。

 それこそが、何よりも大きかったのだと思う。

 シューインがシューインである限り、見紛うことのない感覚!

 生暖かくて、ヌルヌルとして、とても柔らかで(なめ)らかな、彼自身が最も頼りとする圧力の中だった。

 幻光虫濃度が云々(うんぬん)以前に、何よりそれが大きかったのだ。

 とても体が楽になり、彼はその圧力の中で自分を一気に取り戻した。

 「――ぅ夫ですか、大丈夫ですか! シューインさん、意識を取り戻しました?」

 ――――。

 ――――――――。

 確かどこかで聞いたはずの言葉が頭の中を巡り、シューインは波打ち際の心地良い波動に揺さぶられていた。

 彼の直ぐ隣りにレンが居て、彼の左腕を必死に掴んで何かをしているようだった。

 彼女にしてみれば見様見真似の介抱だった。

 もちろん、こんなことを本気でするのは初めての経験だ。

 ……が、演技でする分には慣れていた。

 経験が幾度もあった。

 変な意味でベテランだ。思わず笑ってしまいそうになるけれど。

 しかし、ベテランだからと言って、本当に効果が出るかは別問題だ。

 理屈だけを言うなら、彼の体内で荒れ狂っている余剰な幻光虫を強引に吸い上げ、同時に彼の周辺の空間に幻光虫の壁を作って幻光虫の侵入を遮断する。

 それだけのごく簡単な作業だ。

 理屈を言うだけで済むのならね。

 実際には幻光虫を自在に操れる召喚士であればこそ行える奇跡の芸当だった。

 レンは召喚士ではなかったが、その可能性は十分に指摘されていた。

 迷っている時間はない。

 失敗したら、今ここで全てが終わる。

 私の人生も。

 シューインさんの人生も。

 ――――。

 何か微かに心地良い吸引力に引き出されて、シューインの意識は溶解の混濁から抜け出すことに成功した。

 …………。

 「ここは――?」

 シューインが小さく言葉を発した。

 「最初の階段の上よ。その波打ち際。――分かる? 理解できる?」

 レンが落ち着いて答えた。

 目が少し希望に輝いて見えた。

 「……そうか。難しいことは――億劫(おっくう)だけど。何とか分かった。……と、思う」

 「そう、良かった。――なら、しばらく休んで」

 時間がない、ことには変わりがなかったが、レンの努力は無駄ではないようだった。

 ならば取り敢えず、この状態をしばらく平行移動させた方が得策だ。

 ――実際には、シューインが水に浸かっていることの方が、より影響が大きかったのかも知れなかったが。

 とにもかくにもシューインさんが一時的にでも回復してくれるのなら。

 

 ――――。

 ……………………。

 何かさっきから。……柔らかくて、生暖かくて。だけど何故か濃密に重くてダルい大気が辺りをグルリと包み込んでいるようだった。

 ――特に胸から下が、何かのクリームの中にべったりと埋まってでもいるような。

 すぐ隣りで人の気配がする。

 これは――。

 「レンさん、なのか。……そこに居るのは」

 意識が混濁し、時間経過と状況・順序の把握が、既にかなりおかしくなっている。

 ――他には、誰も居ようがない。》

 「そうです。わたしですよ。――分かる? 理解ができる?」

 ――――。

 「ああ、何とか――なりそうだ……」

 シューインはゆっくりと大きく、何度も深呼吸した。

 レンは先ほどから必死になって、彼の体内から幻光虫を吸い出そうとしている。

 もちろん見様見真似の所業だ。――半信半疑になっている時間もない。

 彼の肩や胸に手の平を押し当て覚束ない作業を繰り返していたが、実際にどのくらいの効果があったか定かではない。

 そんな努力をあざ笑うかのように、幻光虫が周囲のありとあらゆる方向からシューインの体表面にわっと擦り寄って来る。

 しかし、胸から下をどっぷりと水に浸していたお陰で、体面席の5分の4くらいは等圧の水に守られていた。

 本来、水は幻光虫を強力に取り込むが、飽和量以上には決して取り込まない。それが幸いした。

 シューインはブリッツのプロ選手だ。水中の幻光虫濃度に対してはザナルカンド人の中でも抜きん出て抵抗力を持っていた。その環境になら十分に対応ができた。

 これは単なる偶然に近いものだったが、この場合はレンの力がどうこうと言うよりシューインの日頃の鍛錬力がモノを言ったのだと思う。

 肩、胸から上の露出部分は何とかレンの抵抗力が働いていた。水から中に浸かっている部分はシューインが自力で何とかしたようだった。

 階段(べり)の水うち際で果てしなく寄せては返す波の波紋が緩やかに小さく拡がっていた。

 少しく、静寂の時間が流れた。

 その間、必死になって、ぼんやりと、シューインが頭の中を整理し、一つ一つ起こったこと、今までのことを、認識し理解しようとした。

 それ自体はとてももどかしい行為だった。

 そんな貴重な時間を休息に費やして、思考を整然と落ち着け、胸の動悸(どうき)も穏やかに、すっかり静かになったところで、シューインがゆっくりと言葉を投げた。

 彼の胸を必死に擦っていたレンは、彼の状態が安定してきたことをはっきりと確認して、ホッと心を落ち着けた。

 一時は本当どうなることかと思ったのだ……。

 ひとまず、やれやれだ。

 …………。

 「ところで……今、……ここはどこだい?」

 ――えっ!?》

 …………。

 ……………………。

 ――ええええ~っ!!!》

 びっくりした。

 危機は何も去ってはいなかった。

 想像もしていない言葉が彼の口をついて出た。さすがにショックだ。

 これは――考えていた以上に。

 咄嗟にレンはどうしようと思ったが、ゆっくりと分かりやすく答えた。

 当然の返答を。

 「ここは――最初に貴方が目が覚めたときの、始まりの階段です。分かりますか?」

 …………。

 ……………………。

 「始まりの、階段、か――」

 「はい。そうです」

 …………。

 ……………………。

 「何で……。そんなところに、居るんだ?」

 これはもう、理屈をあれこれ言っても無理だ――とレンは悟った。

 だが最低限、会話は成立していた。

 一見、会話をしているように見えた。

 ただ、理屈ではなくて、辛うじて感覚に頼って――。

 「海の底から落ちたからです。そこで、階段にぶつかりました。右腕が痛いでしょう?」

 ――――。

 ――――――――。

 「右腕が……。うん。確かに痛い。痺れる」

 …………。

 ……………………。

 ――なら、いっそ。思い切って逆療法はどうかな。》

 あれこれと迷っても無駄だった。

 この際、時間の無駄使いは命取りだ。

 もう、やるしかない。

 レンは体を伸ばして、シューインの右手、右肩をガシッと掴んで思いっ切り体重を掛けた。

 「あうっ!」

 電撃でも浴びたように――。

 (たま)らずシューインが仰け反って右手を下に隠し、そのまま動かなくなった。

 彼の体が水の中でヒクヒクと痙攣(けいれん)して、妙な波紋を周囲の水面に放っていた。

 笑い事ではない。

 この行為に、二人の人生と運命が懸かっている。

 ――――。

 ――――――――。

 また、少しく時間が流れた。

 ――――。

 ――――――――。

 「ここは、……どこだい?」

 しばらくして、また同じ、恐ろしい言葉をシューインが口にした。

 3度目の、最も大切で、最も基本的な問い掛けだった。

 だから、それに対して全く同じ答を3回続けて投げても、もう、大して意味はないのかも知れなかった。

 普通の人なら一度で理解ができる類のものだ。

 今のシューインには何度答えても理解できないものだった。

 そして、この世界には今、レンとシューインの二人しか存在しない。

 彼女は、残念だけど、わたしの人生はここで終わってしまったかも――と、しみじみ考えた。

 そして一緒に、この人の人生も……ね。

 「――ここは。……最初に気が付いた時の階段よ」

 レンは完全に(あきら)めて、半ば仕方なく、応えるように答えた。

 ――――。

 ――――――――。

 「――そうか。階段に居るのか……」

 「ええ、そうよ」

 つられて、レンが考え事でもしているかのように相槌(あいづち)を打った。

 …………。

 ……………………。

 「えっ!? 何で、そんなところに居るんだ?? 大広間から戻ったのか。……何で?」

 ―― !!!》

 驚いたようなシューインの言葉を聞いて、逆にレンの方が驚いた。

 「えっ!? 戻って来たの??」

 

 ????

 

 「うん。……いや、だから戻ったんじゃないのかい? 確か、君がそう言ったように聞こえたんだが……。違うのか?」

 「ううん。全然――。戻って来てくれたのね!! ……そうよ。最初の階段に戻って、水に浸かってるの。今、貴方の体全体を冷やしてる。……楽になった?」

 「心臓がバクバクしてるよ。呼吸がちょっと、苦しい。――そうか。オレ、飛んでたのか……」

 ――助かった! とレンは思った。取り敢えず、だったが……これで運命が少し先に繋がった。

 それから彼女は、ちょっと躊躇(ちゅうちょ)したが、変に隠したりせず正確に情報を伝えることに賭けてみた。

 「うん。そう。完全に飛んでたわね。どうなることかと思った。そんなに長い時間じゃないけど。――この階段の左隣にある壁を掘ったでしょう。覚えてる?」

 「えっ、この階段の、隣りを? ……そうだったっけ」

 ――しまった! その言い方では、混乱するだけか。》

 レンは心の中で舌打ちした。

 慌てて言い直す。

 「最初の部屋は失敗して、2度目のチャレンジをしました。広間を壁伝いにどんどん横切ってね、ちょうど反対側まで歩いて行って――」

 …………。

 ……………………。

 今度はシューインがちゃんと答えた。

 「うん。――そうだった。……次は、確か、小さな小部屋で。……掘るのは、今度は簡単だった。……はずだ」

 「そう。その通り。――で、どんな部屋だった?」

 「どんな? ……えっと、……確か、何もないガラン堂の部屋だった、ような、気がする。……小奇麗な壊れていない部屋だったかな? ――あれっ。……確か中央の、……奥の壁際に、岩が置いてあった、ような気がしてる。……あれれ、あれ。……けど、さすがに。……それはウソだよね?」

 「ううん、実はそうなのよ。その通り、合ってるわ。本当。だからわたしたち二人で《何よ、これ?》って、口を揃えて。すごく場違いな感じに見えたわ」

 「そうか。……やっぱり。――だから覚えてるんだね。何か、そこだけ。……すごく印象が強くて。……変な感じなんだ」

 レンは俄然(がぜん)、勇気が湧いてきた。

 構わず質問を続けた。

 「そのイメージでは、それからどうしたかしら?」

 「えっと、部屋の奥まで入って行って、――岩をどかしてみた、……んじゃないかな」

 「うん、完璧! その通り。合ってるわよ。で、岩をどかしてみたら、どうだった?」

 「――どうって……。ええっ――。どかして……みたけど……。……何も起こらなかった、んじゃない、……かな」

 「そうだね。どかした後にも、何も変わった物はなかった。そのことは、わたしが、しゃがみ込んで確かめたわ」

 …………。

 「で、その続きよ。――それから貴方はどうしたかしら?」

 ――――。

 「…………それ、から……?」

 「貴方は岩を、よっこいしょっと持ち上げていたわけだから、当然、そのままの姿勢で――というわけにはいかないでしょ?」

 彼女は体を起こし、岩を両手で持ち上げる仕種(しぐさ)を装って説明した。

 「……って、そのまま――そこに、……置いたんじゃないのか」

 「そこは違うわ。貴方に、岩を、元に戻した記憶はないはずよ」

 「えっ、――はっ?」

 …………。

 ……………………。

 「貴方は重たい岩を持ち上げていたのだから、用が済んだら当然、何かしたわけよ。岩を単にその場に戻す――という動作じゃないわ。代わりに貴方は、岩を、どうしました?」

 …………。

 ……………………。

 「両手で持っていた、岩を?」

 …………。

 ……………………。

 シューインは必死に考えた。

 確かに岩を置いた記憶はない、ような気がした。

 では、どうしたというのか――俺は。

 どんな記憶が、というより、そもそも選択肢として、どのような方法があるだろう。

 置いたのではない、とすると……投げたか、割ったか、持ち出したか。

 持ち上げた時の感覚は、かなりはっきりとあるから、投げたり、割ったり、という行動が容易ではない重さ・硬さだったのは、すぐに理解ができた。

 だとすると――残された選択肢の可能性は……。

 …………。

 分からない!!

 ――――。

 「ええっと……。岩を……。岩……、駄目だ。本当に頭がグルグルと回ってるみたいだ! 考えられない。……覚えてるか、覚えてないかじゃなくて、……何か、考えるのが億劫なんだ」

 仕方なく、レンはそこでタオルを投げた。

 「そこからが出てこないのね。答から先に言うと。――貴方はその岩を両手で持ち上げて、そのまま部屋の外へ持ち出したわ」

 「あの岩を、か。――あんなもの、何のために?」

 「分からない。既にその時点で貴方の意識は飛びかけていて、単に体だけが、半ば無意味に動いてただけかも知れないけど」

 …………。

 ……………………。

 「そうか。――とにかく、岩は俺が、持ち出したんだね」

 「そうよ」

 「それで、変わったことは?」

 シューインが体を左に捻って左肘を石段に突き、少し起き上がるように()いた。

 「残念ながら何も――。特段に変わったことは起こらなかったわ。そこで入り口を出たところで、貴方が岩を置くようにドスンと倒れたの」

 ――――。

 「それで、貴方を引きずって、ここまで運んで来たわ。――今、倒れてから、1時間も経ってないはずよ」

 ――――。

 またバシャっと音がして、シューインが体を仰向けに倒した。

 「そうか……」

 何か言おうとしてレンの上体が伸び上がったが、少し躊躇(ためら)って、言葉は発しなかった。

 「このまま、少し休ませてくれないか。……水の中は正解だったね。やはり断然に体が楽になるよ」

 「ええ、問題ないわ。頑張って回復して!」

 目を閉じたシューインの左腕と胸前に手を当てて、レンは再び懸命に祈りを込めて力を注いだ。

 右手の薬指に()めていたガーネットの指輪が、幻光虫の煌きの照り返しを浴びて、水面上を上下しながら怪しく輝いていた。

 もちろん危機感に必死になっていたレンにそんなものを()でてる余裕はなく、だからレンが気が付かないということは今この世界で気にする者は一人とてなく、つまり誰も気にも留めてなどいなかった。

 今、たとえレンの気が触れて、突然に服を脱ぎ出して素っ裸になったとしても、誰も何とも言わないだろう。

 そういう終焉(しゅうえん)の滅んだ世界だから……。

 水辺の階段脇の波の揺れ返しが、さっきから静かに小さな波紋を投げている。

 ――国敗れて山河あり、か……。》

 ここは、かつての立派な神殿の、なれの果てだ。

 …………。

 そうやって、どのくらいの時間が経っただろう。

 実際にはさほどの間ではなかったかも知れないけれど……。

 シューインの心臓の鼓動する感覚が、触れている右手にはっきりとは感じ取れなくなるほど小さくなった。

 この水辺に来るまでの、赤く燃え上がって破裂寸前のような狂った脈動は、完全に聞き取れなくなっていた。

 1秒でもこの場所から早く――という命題は何も変わってなかったが、取り敢えず、はっきりと一つの峠は越したようだ。

 ゴテゴテした階段の水辺で打ち寄せる波に体を洗われながら、静かに目を閉じて、シューインはゆっくりと考えていた。

 ――この眼前に拡がる真っ暗な水溜りが、完全な水溜りではなく、常時、ゆっくりと波打っている、ということは確実にどこかに通じていることを意味していた。

 もし俺一人なら、水の中を潜るのは、かなりな長時間でも問題はなかったが、……当然レンにそれは無理だ。

 一方で、この海底下の閉ざされた空間が完全な水浸しで埋まってしまわないのは、この天井の上にあるはずの北東海の海水圧を、天井の岩盤と、ここの空気中の幻光虫圧が十分に支え切っていることを意味した。

 恐らく、上の海水面の水深は平均で12~15ディスツくらいのはずだ。

 北東海の水質なら、通常の水圧に換算すれば8~10ディスツ程度の圧力しか受けてない計算になる。

 この天井の岩盤なら問題なく耐えられるのだろう。そして、むべなるかな――な幻光虫の高密度だ。

 …………。

 彼は、穏やかな水流に洗われている内に本当の眠りに落ちていった。

 

 ――――。

 また、しばらく経ってからだと思う。

 自我がふっと目を醒ました――。

 ――おい、君がシューインか? 大丈夫か!? しっかりしろ! おい。》

 …………。

 ……………………。

 意識がかなり混乱し前後しているようだ。

 少なくとも、時間の感覚が完全にズレている。

 ――大丈夫か、理解できるか? キロス、何か冷やすものを……手拭(てぬぐい)を濡らして持ってきてくれ。》

 …………。

 ……………………。

 最初シューインはすっかり意識が飛んでいた。何を言っても理解できない。覚束(おぼつか)ない足取りで引きずられるように歩いていたが、レンに支えられて一歩、二歩と歩を進めるうち、それでも幾らかは歩様がしっかりしてきて、彼女を幾分ほっとさせた。

 緩やかな石段を丁寧に一段、一段、降りて行き、倒れ込むように水面に体を預ける。

 ジュボーンと音がして顔の表面が無数の気泡で(くすぐ)られる。

 冷んやりとした軟らかい水がシューインの体表からエネルギーをそれでも幾らかは奪い取り、彼の呼吸を見る見る落ち着かせていった。

 ここまで、力一杯に運んできたレンもやれやれといった表情で、しばらくの間は、浮力の働く心地良い漂いの中にじっと身を任せていた。

 ここは恐らく『アンダー・ザナルカンド』内の一空間。しかも幻光虫機械の影響を全く受けていない、かつての原始空洞だ。

 レンはそのことを強く心配したが、こればっかりはどうしようもなかった。どうやら思考を取り戻したシューインにも事態はおおよそ呑み込めたらしい。

 「はは……。ザナルカンド人のくせ……に、情けないな。ところで、あなたは大丈――。……ああ、そうか。召喚士さんだもんな。このくらいはへっちゃらなんだ」

 「いえ、従召です。召喚試験はものの見事に失敗しましたから。そのせいで、あなたがこんなことにまでなってしまって……ごめんなさい。お詫びの言葉もありません」

 「いゃあ、そんな。こんなことになっ……たのは、レンさんだって……一緒じゃないか。……今は“なってしまったこと”を後悔するよりも、ここを無事に脱け出すことに集中しよう」

 全く、その通りだった。

 「気分はどうですか? どのくらいダメージが来てます?」

 レンがシューインの左腕や胸前を必死に摩りながら問い掛ける。

 彼の体内で暴れている余剰な幻光虫を抜き取る動作の見様見真似だ。

 ……果たして実際にどのくらい効果があるかは、定かでない。

 とにかく、シューインが目覚めた。

 ――――。

 「うーん……。それなり――には、ね。“頭の中がぐるぐる回る”って、こ……こうい……こういう、ことを、言うんだ。いい勉強になった……かな。はは」

 強がりでも皮肉でもなく、いつでも何処でもこんな言葉が素直に出るのは、彼の得難い長所だろう。

 「お陰で意識がゴチャゴチャしていて、何も考えられない。いろんな言葉が、脈絡もなく湧き出してくるのに、頭の中は真っ白――ちょうどそんな感じだ。注意力や記憶力は……完璧にアウトだな。僕が突然、変なことを言い出しても、……気にしないで。それから……僕の言葉が“おかしい”と思ったら、信用しちゃ駄目だ。今、話してることは大丈夫かな。……変なこと、言ってないかい?」

 「うん。全然、大丈夫よ」

 レンは励ました。

 「君は、……本当に何ともないの」

 「ごめんなさい。わたしは――」

 「いや……何も謝ることじゃないさ。むしろラッキーだ。二人揃って頭がぐるぐる回っていたら、二人でいる意味がない。確実に、そこで終わっていたと思う」

 頭がぐるぐる、と言う割には彼の口から出てくる言葉は理路整然としており、本当に意識が飛びそうな人かと思うほど筋が通っていた。凄まじい精神力だ。

 きっとシューインの中で「レンの目の前でみっともない姿は(さら)したくない」という思いが必死に思考を支えていたのだろう。

 だが悲しいかな、彼がどんなに頑張ろうとも限度はある。

 このまま放置しておけば、遠からず重篤(じゅうとく)な記憶喪失や意識障害を確実に引き起こすことになる。それを防ぐためには、一刻も早く彼をここから連れ出すより他に方法がない。自分たちに与えられた時間は実は思っていたほどにはないのだ、とレンは知った。

 ――どうしよう。わたしはどうすればいい?》

 「とにかく二人が一緒なのは良かったよ。一人では絶対に無理だったと思う。……何だろうね、不思議だ」

 シューインが言葉の意味を確かめるように同じ台詞を繰り返した。

 「そうね。……わたしもそう思うわ。あなたはブリッツの選手だから何処かでお会いする機会もありそうなものなのに、これが初めてですよね。こんな所でご一緒することになるなんて、ちっとも――」

 ――ハッ! “こ~んな所(・・・・)”で悪かったわね。》

 「えっ!?」

 …………。

 「ん? どうかした」

 レンが急に話を中断したのでシューインが怪訝(けげん)そうに聞き返した。

 「はい? ううん。だから、その――」

 「はは、それはどうかな。ひょっとして何処かで一度、ご一緒してたりして」

 「えっ、それはないと思うけど。わたし、そういうことには自信があるんだ。お話しした人のことは絶対に覚えてるよ」

 レンは悪戯っぽく微笑んで言葉を返した。

 「でしょ?」

 鎌を掛けたシューインも「ちぇっ」と頭を掻いてあっさり白旗を揚げた。

 「だから不思議なんだよね。今まで、接点の機会なんて幾らもありそうで、実は何の接点もなかった二人がさ。……選りに選ってこんな所で――」

 ――だ~か~ら~ぁ、悪かったわね《こんな所》で! 仲良くお二人さんから言われちゃったよ、ハッ! なんだか……結構、似た者同士なんじゃじゃない。そういうの、世間様ではね。『運命の出会い』って呼んでるのさ。“単なる偶然”が“唯一の必然”に変わる、その瞬間をね。》

 ―― ????》

 「なんだ? 誰か居るのか」

 今度はシューインも気がついた。

 二人できょろきょろと辺りを見渡すのだが――。ここからは何も見えない。特に変わった様子はないようだ。

 「空耳、じゃないよね」

 「わたしも少し、ぐるぐるしてるのかもね。自分としては大丈夫のつもり……なんだけどな」

 「いや、そういうのじゃないと思う。ここは何かの神殿みたいなところだし、祈りの思念が残留しててもおかしくない。で、幻光虫がそれを増幅している」

 「そうね……。急にわたしたちが現れたから、その意識に反応してるのかな」

 レンが不思議そうに、まだ辺りを見回している。

 「肩を、貸してくれないかい」

 シューインが水面から起き上がって右脇を開けた。

 この一件で彼もさらにピリッとしたようだ。

 「は、はい」

 レンが慌ててそこに潜り込む。

 ザバーンと水を撥ねる音がして、彼が起き上がる。

 彼女は、ぱっと髪の毛を掻き上げてその間にシューインの腕を通し、首に巻き付けるようにして体重を支えようとした。彼のがっちりとした体格を受け止めるのは一苦労だ。それは先刻、承知!

 シューインは苦笑してレンの肩を透かすように、自力で立ち上がった。

 今度のオレは酔っ払いじない。少しだけ、条件が違う。

 「ああ。――そうじゃなくて、体重は支えなくていいから、ぴったりとそばにくっついて居て欲しいんだ。さっきからね。手を繋いだり背中を(さす)ったりしてもらうと、急に楽になってた。君とは別行動を取って入り口から出て行こうとしたら、途端に眩暈(めまい)に襲われて倒れてしまって……。ここに来るときも、抱き抱えられているうちに息を吹き返した。

 みんなそうだよ。

 どうも君にはそういう能力があるらしい。残念だけど、この場所に居る限り、僕は君のそばを離れることができないようだ。全く。情けない話だね」

 レンは複雑な表情で答えた。

 初対面のスーパースター・レンに、いきなりこんなことを事も無げに言ってくれるシューインが、案外うれしくもあり別面、ホッとさせてくれたのだ。

 「そう……かしら。――ごめんなさいね、わたしのせいでこんなことになってしまって。でも、それであなたが大丈夫になるのなら、わたしは全然平気よ」

 「うん。ありがとう。だけど、君がそばに居てくれたから僕の命が助かった。もし君が居なかったら、僕の人生は確実にここで終わっていた。やっぱり君のお陰だ。何だか面白い関係だね」

 と、シューインが笑いながら遠慮なく右腕を預けた。

 レンはぴたりと身体を寄せてその腕を抱え込み、左手を彼の脇腹に添えた。

 「取り敢えず、広間に戻ろう」

 すっかり回復した感じのシューインはそう言って立ち上がり、つられてレンも腰を上げた。

 

     ◇

 

 「ア~~~ルテミシア様~。アルテミシア様~!」

 神殿の階段を駆け上るようにして、一人の従者が叫んだ。

 「何事か」

 貫禄のある王冠を被り、階段の最上階の踊り場に設えられた“いかにも”玉座然とした席に腰掛けた、これまた“いかにも”女王然とした女性が返事をした。

 彼女の名を“在帝魅沙”という。現代語表現で、一番近いと思われる発音表記法に(なら)って記すなら“アルテミシア”となるだろうか。あるいは、もっと(うるさ)く厳密に(こだわ)って(おん)を真似るなら“アルティミシア”と書くのが、さらに、より近いか。

 この時代の人々は当然の事として旧字体表現で書くのが正しいが、この小説内では両方の表記を単に文章の流れによって、その都度、気分で使い分けることとする。特に他意はない。どちらで表記しても同じ人のことだ。

 (ちな)みに彼女『在帝魅沙』という名前の4番目の音の発音は、はっきりと“ミ”である。旧字体表記で書いても新字体で表しても、決して“イ”とはならないので注意が必要だ。

 ま、名前から察して既に当然、下っ端の雑魚(ざこ)キャラではないのだろう。

 「アルテミシアと分かって、なぜ銃を――」

 いや、もうそれはイイから……。

 それに向けたのは銃ではないゾ。単に“口”だ。

 「アタシに向かってそんなナマイキ言うのは、どの口か。――この口かぁ~、この口かあ~」

 「アィタタタ。ア、ア、アルテミシア様ぁ~~」

 あ、すまん、すまん。その口はきっと関係ないゾ。言ったのは作者の私の口だ。

 まあ、いかに時間圧縮を自在に操る時限魔法の使い手といえど、作者のパソコンにまでは手が届くまいて。

 ふと、我に返り……。

 在帝魅沙は、さっと着ている衣装を直して取り繕い、座り直した。いや、今さらもう十分に遅いが、それがいつものお茶目なアルテミシア様だ。

 「して、どうしたというのだ」

 …………っ、つううぅ。

 「はぁ、はい。……アジト列車が、何らかのトラブルに巻き込まれて遅れているようなのです」

 「ナニ!? よりによってアジト列車がか? 送らせたジェシーは?」

 「はい、ですから遅れております」

 「は? ――あの、ジェシーが?? 間に合わなかったのか!? まさか、接触できなかったと!!」

 「そこまでは……分かりません。殿下」

 ――――。

 「ジェシーが、か……。ぅうんんんっ。彼女なら間違いなく、問題なく、遺漏(いろう)なく、やってくれるものと思ってましたが……」

 

 ――――。

 ここはザナルカンドではない、とある街中の一隅。

 そこそこ立派で長い陸橋の真ん中に一人の少女がポツンと立っていて、手持ち無沙汰ふうに手摺(てすり)(もた)れていた。

 木漏(こも)れ日た彩光に(かざ)されながら、キリッとした美しい顔に優しい風が(そよ)ぐ。

 柔らかな後れ毛がサラサラと欄干(らんかん)(なび)いている。

 …………。

 こういう描写を考えるとき、作者は創作特権で必ず美しい少女を設定するものなのだけれど、この世に生きている人間の半数は女性なので、その人が必ず幼顔でナイスバディな美少女――というのはリアリズムの観点から見てどうかとも思うのだが、まぁ、そこはジェシーだからね。……良かった、あの通りの美少女だ。

 因みに彼女のことだから、スカートなんかは穿()いていない。もちろんミニスカート姿でも断じてない。

 

 「あ~ぁ、まさかティンバーの街が、こんな複雑な構造してるとはね~。う・か・つ・だったぁ」

 橋の上から列車の通らなくなった線路を見下ろすように眺めながら、彼女は呟いた。

 さて、これから。――どうやって合流を果たすかな。

 予定では右手の階段を下りた裏手のパブで落ち合わせる手筈(てはず)になっていたのだが、そこは既に何者かの襲撃を受けており、現場は惨憺(さんたん)たる有り様。人影は欠片(かけら)もなかった。

 まあ、敵の奴らが一人として残っていなかったのが幸いだった。

 つまり口を割った仲間が一人として居なかったということだ。

 要するに、私がここに来ることまでは、まだ奴らには漏れてない。

 ――ってことは、みんな無事に脱出できたってことよネ。》

 「なら、私も根性見せて彼らに合流しなきゃあ」

 予定は狂ってしまったが、魔女派のメンバーはまだ無事に生きている。

 私の務めは、まだ終わってはいない。

 まだ私がここに来た意味も、無駄にはなってないということだ。

 何にしても大器『リノア』を救出し、ここから無事ザナルカンドまで送り届けなくては。

 そのためには……。

 そう、陸橋の欄干に凭れてボウ~ッと考え事をしていると――。

 「あっ! 来た!! 来たヨォ~。ホント、嘘みたい。アジト列車だ」

 前方の線路の一本から、見紛うこともない一両単体の黄色い二階建車両が徐行運転で、ゆっくりとこっちに向かって来るのが見えた。

 「良かったぁ~。本当に運が良かった。助かったわね」

 ジェシーは肺の最奥からホッと溜め息を吐いて、思わずその場にへたり込みそうになった。

 が、その時――。

 「おーい、そこの女子ーっ! そこで何してるんだ~ぁ!!」

 橋の左端の(たもと)から、彼女を見掛けた3人のレミアム兵の集団が駆け寄って来る。

 ま、こんな場面でのお約束って展開かな。

 「ナニってぇ~、こーんな可愛い女の子が一人で欄干に凭れて“ボゥ~っとしてたら”、することは一つでしょ」

 「はっ? 何を言ってるんだね。とにかくここは今、大変に危険です。この街の市民には、とっくに避難命令が出てるのを、あなたも聞いてるでしょう」

 「とにかく一刻も早く、ここを離れなさい」

 ジェシーはにっこりと微笑んで返事をした。

 「うん。オジサンたち、ありがとう。ンじゃ、早速そうするね。バイバイ~」

 そう言うと、ぴょん、と橋から飛び降りた。

 「えぇ……っ!?」

 「あの――」

 突然の、あまりの光景に兵士たちは一様にポカンと固まった。

 しかし事態に気がつくと、慌てて地べたに鞄を投げ捨てて、肩に掛けた軍用ライフルを回し構え、安全弁を外して、弾倉から実弾をポップチャージ――。 

 「全~ん然、遅いよ!」

 アジト列車の屋根に無事、飛び降りると素早く寝そべって姿勢を落ち着けたジェシーは上着の下のシャツをたくし上げ、腰のホルスターからリボルバーを抜いた。

 ――バイバイね、オジサンたち。》

 タンタンタン、タン。…タン。

 ――――。

 「ちっ! 危ね、5発も撃ったか」

 揺れ動く列車の上で、7~8ディスツの距離、しかも最も難しい後退標的の射撃である。

 それを、たったの5発で3人を全的したのだから、驚異的な腕前と言わざるを得ない。

 ついでに成人さえしてなさそうな、あどけない少女が事も無げに、瞬時に見知らぬ兵隊さんを3人も消したのだ。

 ――凄まじい所業と言わざるを得なかった。

 ジェシーは、まるで火の点いたマッチでも振り消すように“獲物”を振ると弾倉のアームを横に押し出し、未発の1弾を押さえて残りの5発分の空薬莢(カラやっきょう)を弾き出すと、素早く新しい弾丸を装填した。

 具合を確認してポンっとアームを引き戻してから、シャツの下のホルスターに仕舞い込む。

 《ハジキ》とはよく言ったもので、この手の武器は本来2~3ディスツ以内の至近な距離でハジくものだ。10ディスツも離れてしまうと途端にもう、信じられないくらいにコイツは当たらなくなる。

 まあ、相手の背中にでも直接銃口を突きつけて、ゼロ距離でハジけば、よく当たるんだけどね。ハハ……当たり前か。

 要するにチャカなんて、そういった類の護身具だ。

 聞いた話では、グリーンベレーの特殊部隊員さんは競技用30ディスツ・プールの向こう側に居る標的をぎりぎり、チャカで狙い撃ちにできるらしい。

 私らの感覚では、そもそも、そんな距離までハジキの弾が届くのかい、という次元の話になるが……。

 ――列車の上で物騒な物音がしたので、慌てて二階の窓が開いて中のメンバーが覗き上げた。

 「何だ! 誰か居るのか?」

 「ああ、居るよ~。ザナルカンドから来たジェシーだ。何とか間に合って良かったわ。中に入れてくださいな」

 よっこらしょっと起き上がり、にっこりと少女は返事をした。

 聞くと男はすぐに顔を引っ込め、ややあって列車がギギギギーッと停止する。

 彼女はチラリと周囲の様子を確かめてから、素早く、ぴょんと、開いたドアの中に潜り込んだ。

 ジェシーを収容するとドアが閉まり、またすぐにアジト列車が動き出す。

 列車内部の小じんまりとした踊り場内で、少女はレジスタンスのメンバーと対面した。

 「ザナルカンドから応援に来た工作員のジェシーです。宜しくね」

 ――――。

 「あー、その……一応“決まり”なんでな。問題ない、とは思うが――その、合言葉を」

 「あっ、いっけな~い! そうした~。すっかり忘れてたわ。う・か・つ・! 合言葉はネ【最後の(フクロウ)を救出に来ました】です」

 それを聞くなり、メンバーの表情が一斉に緩んだ。

 「我々の方は【この街に梟はまだ居ますよ】だ。ジェシーさん、ようこそ。来てくれて本当に有り難う。俺はこのレジスタンスのリーダー、ゾーンだ」

 そう言って男は右手を差し出した。

 その手を握り返して、ジェシーは言った。

 「で、早速の本題で悪いのだけど、肝腎(かんじん)のその“梟”本人、リノアさんは? 私に間違いがないようなら、見たところ、ここには居らっしゃらないようですが……」

 「悪いのう。姫様は都合があって、今、別行動中なんじゃ」

 ――はっ? 別行動!? よりによってリノアさんが。……こんな時に??》

 「なら、一刻も早く合流して彼女を回収しないと、とんでもないことになりますよ。メテオが落ちて来るのを、知らないわけではないでしょう」

 ジェシーは仰天して、早口に言った。

 「そうなんじゃ。実は、そうなんじゃがな、……アイタタタ」

 ゾーンが突然お腹を押さえて(うずくま)る。

 「はっ!? …………」

 ジェシーは、彼らの余りの暢気(のんき)さ、事態を認識できていなさに、思わず絶句してしまった。

 この人たちは、メテオに踏み潰される熱さを知らなさ過ぎるんだわ。

 彼女は遠くを見るような目つきで、遠い過去にあった苦い思い出を振り返っていた。

 「アンジェロが居ない、と言ってな。捜しに行ったきりなんじゃ」

 ――アンジェロ……さん、が?》

 「実はね~。アンジェロにさァ~、私がうっかり、持って来るの忘れちゃった鉄道模型、ホテルのロビーまで取りに行ってもらったのよ~。そうしたらね~、なかなか帰って来なくて……。それで、もう待ってられないぃ~! って、リノアちゃんね、血相変えて飛び出して行っちゃったの~」

 何だか、ちょっぴりエッチでだらしのなさそうな、イケイケ風のおねェさんが説明した。

 「はっ? えっ? ……なんで。そこで、よりによってリノアさんが、なの? そんなの、他に誰だってイイでしょう」

 「ははは。まあアンジェロは、とにかく姫様の言うことしか聞かんからのぉ」

 「へっ? そん……、だって仲間なんでしょ、そのアンジェロさん!」

 「仲間と言えば確かに仲間、なんじゃが。アンジェロは、なんせ姫様のイヌじゃからな」

 「えっ! …………。“イヌ”って、なに……まるで敵の腰巾着野郎(こしぎんちゃくやろう)か何かみたいに。仲間のことをそんな風に呼ぶんですか、あなたたちは!!」

 堪らずにジェシーが声を(あら)らげた。

 「もちろんイヌと言えば、イヌじゃよ。他に何と呼ぶね。――ああ、“ペット”と呼べばエエのかのぉ。しかし普段、誰もそんな呼び方はせんからなぁ」

 …………。

 ……………………。

 「“イヌ……?”“ペット……?”…………ってぇ~、本当に本物の“犬”かよーっ!? そのアンジェロさんは!!」

 「ああ、そうじゃ。本物のイヌじゃとも! じゃがな、姫様にとっては一番に大切な相棒じゃぞえ~。しかもアンジェロの“サーチ”能力はピカイチじゃ。レジスタンスの誰も、アイツの索敵能力には敵わんてぇ」

 メンバーの男はそう言って、自慢げに胸を張った。

 ――――。

 ――――――――。

 「こ、こ、こっ。こんな人たちと……。今まで一緒に居たのかよ、リノアさんは」

 ジェシーは目の前が、どうしようもなくクラクラクラ……としてきた。

 「とにかく、そんなわけでな。今、思いっ切り徐行運転で、いつもの落ち合う約束のデリングシティー行きのホーム、通称アジト駅のホームを目指しているところなんじゃ」

 「で、そのホームからホテルまでは近いの?」

 ジェシーは半ば泣きそうな声で訊いた。

 「ああ、アジト駅のホームに乗り着けてしまえば、ホテルまではそんな大層な距離じゃないさね」

 「ホームの手前から伸びてる陸橋を渡ってすぐなのよォ~」

 イケイケのお姉さんが説明した。

 「あっ!」

 が、そこまで聞いていたジェシーが、思わず声を上げてしまった。

 「うん? どうしたね、ジェシーさん」

 「いえ。多分……さっき、その陸橋からこの列車の屋根に飛び降りたの。その時に仕方なく、3人ほどレミアム兵さんを始末しちゃって――」

 「さっき? それなら、その陸橋とは違う橋じゃよ。お前さんの言っておるのは多分、マニアックス社の先にある陸橋じゃろう。その下なら確かにちょっと前に通過したが……。ホテル脇のこれから向かう陸橋の下は、今日はまだ一度も通っておらぬでな」

 「ティンバーには、いろいろなところからの路線が複雑に入り込んでいて~、至る所に駅やらホームやら橋やらがあるのヨォ~。だからこそ、鉄道模型も作り甲斐があるってものなんだけどネ~。初めて来た人が、間違えるのも無理ないわ~」

 「そ~ら、着いたぞ」

 先ほどまでお腹を押さえてしゃがみ込んでいたゾーンが、急に立ち上がってあれこれと指示を出し始めた。

 「このホームは、なにせ行き止まりのホームでな。余り停車している時間がない――と言っても今は定期便の列車は皆、全休しておるから大抵のことは大丈夫と思うが」

 ギギギー、ギィ~ッと車輪が軋む音を立てて、一両単体のアジト列車は行き止まりのホームの最深部まで進んで停止した。

 ホームの上にも周囲にも人影は全くなかった……。

 リノアも、アンジェロも、他の市民も、レミアムの兵士たちも、誰一人として――。

 「姫様が帰って来るまでここで待機だ。今度こそ、ここからは一歩も動くことはできん」

 …………。

 「ちょっ! 列車は来なくても、確実にメテオが来るわよ。いつまで停車しているつもり?」

 「も、もちろん姫様が帰って来るまで――じゃ」

 …………。

 「ふうぅ~っ」

 全くもう! この人たちは、度胸があるのか、信念があるのか、状況がまるで分かっていないのか。

 とにかく私としてもリノアさんが居ないんじゃ、何をどう騒いでも意味がないのは事実だったから。

 ――こりゃあ、本気で腹を(くく)るしかないかねぇ。》

 私ができることと言えば、もしリノアさんがこのまま帰って来なかったら、いつまで待つのか、いつ、どうやって行動を起こすのか――の判断だけだ。

 そう断念すると、ジェシーはその時点が来るまでは一切の思考を停止して、もう徹底的に気楽に過ごそうと決めた。

 「そうだ。リノアさんのお部屋ってあるのかしら。どんな感じなのかな。ついでに鏡があれば、ちょっと拝借、って言うか拝見したいんだけど」

 と、少女が陽気な声で言った。

 「監視役の護衛が、そばで見てても問題がない行為なら構わんよ。こっちに来なさい」

 そう言って、奥に居た爺さんがひょっこりと案内した。

 「はははは。信用ないなぁ~。ま、初対面でイキナリじゃあ当然か。しょうがないわネ。お願いします」

 カラカラと屈託(くったく)なく笑いながら、ジェシーがついて行く。

 2階のデッキの狭い通路をずんずんと進んで、列車の最奥がリノアさんの部屋だった。

 「ここじゃよ」

 と言って通された部屋は――。

 果たしてイイ匂いのする清潔で明るい部屋だった。

 リノアさんの住んでいた香りがしてくる。

 どんな人なのか、まだお会いしたことはないけど、そのイメージは十分に伝わってきた。

 「へえ~。……シンプルで良いお部屋ね。フフッ、あそこの鏡台。ちょっとイイかな」

 「ああ、構わんよ。姫様のもんじゃが、そんなご大層な品ではないと思うが……。気に入ってもらえたかね」

 「ええ。リノアさんのお人柄がよく分かりますわ。ちょっと、ゴメンなさいネ~。……よっこらしょ、っと」

 クッション椅子を鏡台の下から引き出して……ちょこんと腰を降ろすと、少女は三面鏡をパカッと開いた。

 ジェシーは、う~んっと悪戯っ子そうに中を覗き込み、そして突然ははははっと笑い出す。

 「あーっ全然、(スス)けてないネ。良し良し、大丈夫。でも何だか……ちょっぴり残念でもあるかナ」

 「煤け――って。お嬢さん、まさか。“アンタ、背中が……”ってヤツかい」

 爺さんが、彼女の余りの突飛な言葉に驚いて尋ねた。

 「はは。ううん、違うのヨ。私も橋から“ぴょん”と降りたからネ。どうかなぁ~って心配してたんだけど。……でも、じゃあどうやったら、あんな顔になるのかしらね。ふふふっ」

 ――クラウド……。

 彼女はそう、遠い過去の記憶に思いを馳せた。

 それから、矢庭に爺さんを振り向いて言った。

 「この車両には動力室と電算室があるでしょう。このスペースなら多分、一緒になってるんじゃないかと思うんだけど。マジ、仕事の話よ。いざと言うとき、どれだけの出力が出せるのか、どれだけのことができるのか、どこから先は能力的に負えなくなるって境界線を正確に知っておきたいの。見せてくれない?」

 「ああ、それは一向に構わんが……。このオンボロ列車を、かなりこき使うことになるのかのぉ」

 「多分ネ。選択肢がある方が、それだけ、よりギリギリまでここに粘れることになるヨ」

 「分かった。そういうことなら、お見せしよう。こっちじゃ。来てくれ」

 言うと爺さんはよいしょと立ち上がり、ジェシーを伴って、また前方の踊り場へ戻り始めた。

 二人揃ってタラップの階段をトントントンと2段、下りる。

 「やあ、姫様の部屋はどうだったかね」

 その姿を見てゾーンが尋ねた。

 「ええ。とても良い空気のお部屋だったわ。リノアさんがどんな人だか、ちょっぴり分かった気がするかもネ」

 「でな、この人が動力室と電算室を見たいと仰って……。これから見せに行くところなんじゃが――」

 「このアジト列車の機関部をか!? てぇ、アンタ。そんなに出さなきゃならんのかね」

 「そうね。いざってときにギリギリまで出せれば出せるほど、その分ギリギリまでこのホームに粘れることになるわ。何としてもリノアさん、捜さなきゃならないんでしょ」

 「う~ん。まあ、この列車の見た目のオンボロぶりは半分、偽装工作な面があるからなぁ……。見た目に比べれば、意外と大抵の無茶はできると思うんだがね」

 「そんな訳でな。早速、見てもらってくるわ。上手くこのお嬢さんの眼鏡に適うと良いのじゃがなぁ」

 そう言うと爺さんは、左側の会議室のドアを開けてジェシーを案内し始めた。

 テーブルの奥の掲示板を(めく)り、中に手を突っ込んで「よっこらしょ」とスイッチを押す。

 すると隠し扉がスーッと開き、その向こう側に、この列車の本当の心臓部が姿を現した。

 「へぇ~。……こんなふうになってんだネ」

 ジェシーが感心しながら、その秘密の小部屋に入ってみる。

 「お嬢さん、とにかく狭いんでな。説明するから奥に詰めておくれ」

 「はいヨ~」

 答えて彼女は横向きにしゃがみながら、ツ、ツ、ツゥ~ッと入って行った。

 ――入りながら……。

 確かに明らかに、当初想像していたものとは段違いの高性能な計器類が、ズラリと並んでるヨォ~!

 そのくらいのことは一目見て峻別(しゅんべつ)ができた。

 この狭っちい小部屋が、文字通りのこの列車の心臓部だ。

 …………。

 ……………………。

 「へっ、へぇ~っ。どうじゃあ~。……凄いじゃろう」

 「うん。正直、びっくりした」

 「ははははは。お嬢さん、この列車の外見を見て、ちぃーっとばかし()めとったんじゃないかえ~」

 「うん。ゴメン、謝る。参った。これは……確かにスゴイわ。田舎の群小レジスタンスの設備が、まさか、これほどまでとは――」

 どうりでいつも、ザナルカンド本部との交信連絡の精度が抜群に良いはずだ。

 ジェシーは初めて納得がいった。

 お陰で、今までリノアを安全に、完璧に(かくま)うことができたわけでもある。

 その裏には、こんな事情があったとはねぇ。

 なるほど、確かにこれなら十分かも……。

 ――――。

 しかし逆に言えば、こんな凄い計器類をちょっと説明を受けたぐらいで、いきなり私にフルパワーで使いこなせってのはどうだろう。

 どんなに凄い設備も、それを十全に使いこなせる人が居てこそである。

 「ねぇ、お爺さん。これだけのシステムを使える人が、このレジスタンスには何人くらい居るの?」

 「お~う? お嬢さんはどうかの。この設備を見て、あんたならどのくらい引き出せるね?」

 「ごめんなさい。私には説明を聞いて、簡単な操作だけなら幾つかは――ってレベルね」

 「ほほ~う、ちょうどここの乗組員と大差ないレベルじゃの。そういう段階の操作なら、ここのメンバーにも何人かはこなせるよ」

 「全部の機能をフルスペックに引き出そうと思ったら!?」

 ジェシーは思わずにじり寄って爺さんに尋ねた。ここが(ひとえ)に、これからの全ての行動を決する重大事項とも為り得るのだ。

 これからの作戦の乗るか反るか、が懸かっていた。

 「全部を出し切って、さらにコイツの性能限界にボヤキを入れるくらいまで――となると、ワシ一人になるかのぉ、やっぱり」

 彼女はこの唯でさえ狭い空間の中で、(すが)るように体を寄せて訊いた。

 「どのくらい出せる? ねぇ、どのくらいまでできるの、お爺さん!!」

 ジェシーは必死だった。リノアさん一人の命を救えるかどうか、ザナルカンドの未来、全ての命運がそのことに懸かっていた。ついでのついでに――これは取るに足らないことだが――私自身を含めてここのアジト全員の命もね……。

 だからジェシーはピッタリとお爺さんに身を寄せて、この人の言うことを残らず聞いて、分からないこと、疑問に思ったことはその都度、逐一納得が行くまで訊いた。

 少なくともこの計器は自分には扱えなくとも、このお爺さんの力があれば、何ができて何ができないのかを正確に知っておく必要があったのだ。

 彼女はお爺さんを質問攻めにすることで、この人は決してウソは吐いてない、できることは本当にできるんだということを確実に理解した。

 ――良し! この部屋のオペレーターは自動的に決まりだな。これで何とかなりそうだ。》

 そう、ホッと息を吐いたとき……。

 「きゃあ!! へっ!? 馬鹿は止して。ナニしてんのヨ」

 突然、ジェシーが電撃にでも打たれたように金切り声で悲鳴を上げた。

 あろうことか、爺さんの左手が彼女の穿いていたパンツの太腿(ふともも)の内側に延びていた。

 ――こんな重大なときに、このクソ下種(げす)ジジイが! いったい何をやってるんだ!!》

 彼女は思いっ切り頭に血が上った。 

 「ああ~っ、いやぁ、はは。つい、つい、出来心でな。はっはっはっ。これは、済まん済まん」

 全く状況が理解できてない当の爺さんは、そう呑気に笑って撥ね飛ばされた左手で頭を掻き始めた。

 「どうした!! 何かあったのか??」

 突然の悲鳴を聞きつけて、慌ててゾーンが飛び込んできた。

 「いやぁ、何でもないんじゃよ、何でも。ははは、ちょっとな」

 終わった……。完全に、終わったな……。このクソったれ野郎……。

 少女は激情に身を任せ、燃え上がるような怒りでシャツの下のホルスターから愛銃の“ファイナルヘヴン”を引き抜き、ほろ汚いジジイの口に銃口を深々とぶち込んだ。

 「あぐぅううぅ……っ」

 「私のこの銃はね、かのヴィンセント・ヴァレンタインにチューンしてもらってるんだよ」

 「……うぁ、ががが、スェ、……セ、セント・バレンタイン・デーに……チューして、……もらったのかね」

 ようやくにして事体の全容を悟った爺さんが、さすがに引き()った声で訊いた。

 聞いて、ジェシーが笑った。もちろん口では笑っていたが、目までは笑ってなかった。

 「人生の最期になって、なかなか面白いことを言うじゃないか。ええ、そうさ。私のこの銃は、彼のケルベロスの回転弾倉(シリンダー)を分けてもらっていてね。普通のリボルバーは全弾で5発装填だが、こいつは6発装填できる。お宅のドスケベな手足を1本ずつブチ抜いて、胃袋に1発、脳味噌で1発。合計で6発さ。味わってみるかネ。さぞや、いい味がするぜ~!」

 「そ、そうなのかい。あ、あ、アンタは、脳味噌で、味わったことが……あるのかね」

 「あるわきゃネェ~だろぅーー!! そんなもん」

 ジェシーが吐き捨てるように怒鳴った。

 ――まあ、“腐ったピザ”に体をグニュ~ッて挟まれる味なら、知ってなくもないんだが……。》

 そう思い出して、彼女は心の中で密かに笑った。

 入り口の狭いドアを開けて呆然としていたゾーンがようやくにして事情を察し、奥に居る少女に深々と詫びを入れた。

 「ジェシーさん、本当に申し訳ない。何があったのかは見ちゃないが、大体のことは想像がつくよ。この爺さんはいつものことなんだ。お気持ちは重々、悪いのはもちろんこの爺さんなんだが、ここは一つ平にお詫び申し上げる。この通りだ。本当にこの通り! ここは何とか曲げては下さらんか。こんな見下げたエロジジイでも、彼にしかここの装備は扱えぬのだ」

 …………。

 「ンなこたぁ~、分かってるヨ!! ったく、人を舐め腐りやがってぇ。言っとくが不問に付すつもりゃ~ァ、絶~っ対にないからな。あくまでも作戦が成功するまでの間だ。そのあとで徹底的に、とっちめてやる!」

 そう言って、怒りの刃を取り敢えず収めようとした矢先――。

 ドドドドォ~ン。

 突然、凄まじい振動がきて、ジェシーは思わず銃のトリガーを引くところだった。

 安全装置が利いていた。怒りの余り我を忘れて、そんな初歩的なミスをしでかしちまっていたことが(かえ)って幸いした。

 「おわっ! 危ねぇゼ。おい、このエロ下種クソジジイ。全速探知だ、頼む」

 そう改めて言い直して、彼女は爺さんの口からファイナルヘヴンを抜き取ると、唾液で薄汚れた銃口をペッペッと振ってジジイの上着の裾を掴んで拭き取り、ホルスターに仕舞い込んだ。

 口の自由を回復すると、爺さんは早速ずらりと並んだ計器を二本の手で走らせ始めた。

 その手腕は確かに横で見ていて“見事”と唸るような速さだ。

 この大地を揺るがすような振動にさすがに腰を抜かしたのか、梟のメンバーが続々と入り口の会議室に集まってきた。

 ――まあ、ここが事実上のアジト列車の“目”だからね。

 ジェシーは狭い電算室の最奥でぴたりと縮こまり、間違ってもこのほろ汚ねぇジジイに触れたりしないよう腕を組んで見ていた。

 「メテオと言うのかい。これは本当に凄いもんだな……。落ちた場所はトラビアに間違いない。どうも……。正確に、起動前のガーデンが、ピンポイントで直撃されたものと思われる」

 ――トラビア……。》

 「トラビアって――。そんな遠くに落ちたのに、ここがこれだけ揺れるのかい。冗談だろ!」

 入り口のドアから中の様子を覗き込んでいたゾーンの声が裏返った。

 「まあ、メテオだからね。それくらいのことは全然アリだろうさ」

 ――ふんっ! やっと事の重大さに気がついたか、この盆暗(ぼんくら)どもめ。》

 トラビアの人には本当に気の毒だが、それでもこんなところで、こんな風に役に立ったのなら、有り難く使わせてもらうわ。

 ジェシーは緊張感に汗の滲み出る拳を握り締めた。

 「メテオの落下時刻は、実際にはこの五分ほど前のことじゃ。信じ難いが、どうもドンピシャリと……トラビア・ガーデンが直撃されたみたいじゃな。繰り返しサーチを飛ばしておるが、ガーデン本体の起動を確認できん。呼び掛けにも応答ナシじゃ。ガーデンはシェルターの役も兼ねておるので、それでもいくらかは助かったと思いたいが……。クソ! やられたよ。――まんまと先手を打たれた。事実上の全滅じゃ。トラビアはもう今後、戦力としては一切をアテにできんぞ」

 …………。

 「あとは“ジ・エンド”の使い手、セルフィさんが脱出できたかどうかね。今後の展開でどうこうと言うのなら、そこが一番に大きいわ。それに成功したのなら、あとの人がどうなったかは全部チャラにしてもいいくらいよ」

 ジェシーが恐ろしいことを、事も無げに(うそぶ)いた。

 ――梟のメンバーに事態を分からせるために、わざとにそんな言い方をしてるのか?》

 ゾーンは心の隅で考えた。

 「じゃあ、トラビアのセルフィさんも、誰か――ザナルカンドのエージェントが救出に向かっているのかな?」

 「いえ。彼女には自力でトラビア渓谷を突破しろ、って指示が出てるはずよ。最初から誰も迎えになんか行ってないから。その意味で言うなら、余計な巻き添えを喰って犬死した人が居なかったことだけは、むしろ幸いだったかもね」

 「それじゃあ! ……ジェシーさん。あなたが、この『森の梟』のアジトに来てくれたのは――」

 会議室の人垣の向こうからワッツの声がした。

 「ん? そ~んなの、決まってるじゃない。あなたたちのお姫様がそれくらいに重要な人物だからよ」

 「うちの……。姫さまが、かね」

 隣りの爺さんが心底、驚いたように訊いた。

 「そうさぁ。言っとくが、人の命がみな平等、なんてタワケたことをほざくんじゃないよ。リノアさん一人を助けるためなら我々はなんだってする。どんな犠牲だって(いと)わない。その覚悟があるから、わざわざ私が来たの。分かる? 彼女はザナルカンド最後の希望。この街始まって以来の『大器』なんだ。と言っても、街は結構、始まったばかりだけどネ」

 …………。

 「――おっ、トラビアとの交信は依然、一切不通だが、ザナルカンドへの連絡に対しては返事が来たよ。暗号の変換機で解析するので、ちょっと待っておくれ」

 そう言って爺さんは即座に打ち出された暗号電文の紙を、別の機械の差し込み口に取り込ませて、バタバタと打ち込みを始めた。

 「こりゃあ魂消(たまげ)た……原文に変換しても、たぶん――符牒(ふちょう)か何かの文章が出てきたぞ。おい、お嬢さん。分かるかね」

 爺さんが打ち出された紙を引き千切って差し出した。

 ジェシが引っ手繰(たく)るように受け取って眺め始めた。

 【五番街は綺麗だったね。でも崖を飛び降りるのは失敗~ぃ。次の冬、一番炉に火が入りそう】

 ――――。

 ――なるほどね。セルフィさん。なんとか難だけは逃れたけど、次元断層の(ひず)みにでも捕まったか。》

 【カードキー失くして、森で捜してるけど。こりゃ徒歩で別行動だね。本当に、うかつ】

 「これを暗号に変換して返信してくれない? 絶対に間違えないように。お願いね」

 そう言って、彼女は紙に符牒を書いて爺さんに突き出した。

 その紙を受け取った爺さんが、交信が途切れないうちに素早く変換して打電し終えると、ジェシーが言った。

 「ちょっと邪魔だから、出てくんない。皆に話があるんだ。会議室でするから」

 お爺さんが渋々といった格好で横に移動すると、ゾーンが入り口から退いてくれた。

 続いて、椅子や背凭れの微妙に気色悪く温かくなっている部分に、間違っても触れないよう、これ見よがしに体をくねらせながらジェシーも電算室を出た。

 狭っ苦しい横長の、機械と老人臭の漂うスペースから外に出ると、本当に空気が涼しくて美味しかった。

 「う~ん」と思いっ~切り伸びをしてから、会議室に集まった全メンバーを見渡して表情も変えずに平然と言い放つ。

 結構すごい言葉だ。

 「ザナルカンドから連絡が入った。次弾のメテオで、いよいよ、このティンバーが狙われる可能性が高まったそうだ。ここに居ては本当に危ない。で、我々はトラビアの二の舞とならぬよう、一刻も早くここを脱出する必要性に迫られている。ここに停車は、もうしていられない。――何としてもリノアさんを連れて、ここから全速で逃げなければならないと言うことだ。いい加減に状況を分かってもらう必要があるんだが……」

 「やっぱり~ぃ。こんなことなら、最初から私が行っとくんだったわぁ~」

 ――当ったり前だろう!! 今頃、気がついたかぁ~!!!》

 ジェシーはまるで巨大な(みずち)のように、心の中で真っ赤な舌をシャーッと出した。

 「やっぱり、私が捜しに行くしかないわ~。ちょっと着替えてくるの~。外出する支度をしてくるね~」

 「とにかく時間がないんだ。時間がないの!! それ、分かってる!?」

 「ほ~い、分かってるわぁ~」

 「なら、せめて――」

 彼女は頭がクラクラしてきた。

 怒り任せに、思いっきり皮肉を吐き出す。

 「30分で支度しな!」

 ――――。

 「30~分~じゃ~、ムリ~ぃ~~」

 「アンタ、いい度胸してるな!!!」

 ――ヌゥヌヌヌヌヌヌゥ~~~ッ!!》

 「度胸がなくっちゃ~ぁ、こ~んなボディコン・ミニのワンピなんか着れないわよぉ~」

 …………。

 思わず、声が裏返りそうになる。

 今さらながら、……今さらながら。

 ――あのなあ、メテオだよ、ここにメテオが落ちて来るんだよ。本当に、メテオが!! 分かってくれよ、頼むから……。あれって当たると結構、痛いんだゼ。まあ、死んじまえば何だろうと一緒だけどな。“腐ったピザ”ほどじゃないにしても……。》

 ジェシーが右手で真横にスパーッと手刀を飛ばして宣言した。

 「本当に時間がないんだ。お姉さん、悪いが30秒だって待てないよ! メテオが来たら一瞬なんだ! で、それがとうとう来るんだよ。ここに、この場所に! ――緊急事態だね。ゾーンさん、申し訳ない。このアジトの指揮権を30分だけ私に渡してくれないか。お願いする。いいかい」

 「ああ、その為にここへ派遣されて来たんだろう。問題ない、信じている。ザナルカンドの指示には、もちろん我々は従うさ」

 有り難いことにゾーンが、皆に聞こえるようにはっきりと言ってくれた。

 コイツは幸い、見た目ほどの馬鹿ではないようだ。さすがはリーダーをしているだけのことはある。

 「ありがとう! なら、リノアさんを救出するためだけに、今はメンバーの皆なで全力を結集してもらいたいんだ。これから隊を三つに分けるよ。作戦の概要と方法の説明をする」

 彼女は必死になってメンバー全員の説き伏せにかかった。

 「時間がない。簡単に言う。まず、当初の目論見だった、このアジト列車でリノアさんを連れ出すという根本作戦は放棄する」

 ジェシーはあっさりと、そう言い放った。

 「代わりにメテオの軌道を強引に電波誘導して、何とかこの街に落ちるコースを変える作戦に賭けてみるよ。ドールの電波塔のアンテナをジャックできれば、この列車のパワーでも十分に何とかなるはずだ。一隊はこの列車でドールへと近づいて誘導操作をする班、人員は3名。そのうち指示を出す私と、電算室をフルパワーで動かすこのジジイは決定だ。あと運転手が誰か一人要る。次の隊はパブの裏手からテレビ局に侵入してダミーの電波をドールの電波塔に向かって送る役目の班。どうせ人は一人も居ないはずだから占拠は容易(たやす)いだろうが、放送機材の立ち上げ再稼働には、かなりの人員が要るはずだ。まあ、アジトのメンバーならこのへんは“お手の物”だろう。なるべくその方面に詳しい人を多めに充ててくれ。最後の一隊は、この街でリノアさんを捜して救出する班だ。リノアさんと再合流を果たしたら、その時点で生き残っているメンバー全員で、徒歩でマンデービーチ方面にこの街を出てくれ。行き先は、その先から延びる、エスタ行きの海上廃線路を徒歩で渡ったところにある、フィッシャーマン・ホライズンだ。そこでザナルカンドを脱出した魔女派のメンバーが、恐らくバラム・ガーデンに乗って南下してくると思うので、拾ってもらって本隊に合流してほしい。作戦は以上だ。――早く! 運転手に誰か一人頼む。ドール突入班が文句なく、一番に危険だよ。特攻隊だ。命の保証はない。ほぼ確実に死ぬことになるから、覚悟して来てほしい」

 「なら、俺が死にに行こう」

 『森の梟』のリーダーのゾーンが即断するように言った。

 「アジト列車の操縦は他の誰でも一応はできるが、この列車のことなら俺が一番によく使える。それに危険な任務なら、他の誰に任せることもしたくはない」

 「分かった。なら早速、発進してくれ。とにかくメテオが来る。オーベール湖を越えて、ロスフォールの森もできれば抜けたい。ヤルニ渓谷辺りまで行けたら最高なんだが……。他の人は全員、降りてくれ。とにかく、今、すぐに!」

 そう言われて、がやがやと仲間が全員、アジト列車から降りた。

 「テレビ局の方は、俺が指揮を執る~ッス」

 「じゃ~あ、私は~、リノアちゃんを捜す方の指揮を執るわぁ~」

 ――ああ、宜しくやってくれ。くれぐれもリノアさん頼んだよ……。》

 そう、心の中で呟いて、ジェシーは一番前方の運転席、ゾーンの隣りに静かに腰掛けて、前方を見やった。

 ……とうとうこの時が来たか――。

 頭の中に幾多の記憶が思いとなって去来していた。

 ガツッ……ウ……ン。

 やがてすぐに列車が動き始めた。

 ホームの先の回転盤の上で向きを180度変えると、そのままアジト列車は、3人だけを乗せて走り出した。

 即座に、窓一面の視界が一斉に後方に流れ始めた……。

 

     ◇

 

 レンとシューイン――。

 こうして二人で歩き始めると、確かに彼女の存在を、効果を実感した。割れ鐘のように鳴っていた頭も今ではかなりすっきりとしている。体全体は相変わらず鉛のようにダルいが、頭がしっかりしいてきたのは大きい。俄然(がぜん)、歩き方にも余計な負担がなくなる。二人ともに。

 彼女の冷んやりとした柔らかな肌を通して、疲労や苦痛が吸い取られていく気がした。もの凄く心地が良い感覚。何だかずっとこうしていたいような、頼むからいつまでもそこに居て欲しいような……。

 水の中に沈んだ階段を一段、一段、滑らないようにゆっくりと上り、二人は再び中央の広間を目指した。

 水中を歩き切り、水辺を抜ける。

 両膝が体重をガッシリと受けるようになり、シューインはより注意して踏ん張った。

 むしろ陸地に出た方が、よりゆっくりと歩く感じだ。一歩ずつ、確かめながら。

 傍目(はため)にはレンがシューインの身体を支えているような格好だったが、実際はレンの方が彼に抱きついていただけ、と言う感じだった。

 ――体を支えるどうこうは関係ない。とにかく、わたしがそばに居てあげないとこの人の身体は大変なことになってしまう。》

 その思いをレンは支えていた。

 こうやって歩いていると、温かい息吹きと鼓動が、逆にリズミカルにレンの体内に流れ込んでくる気がした。首筋から体側にかけて、接している肌の面積分だけ冷え切った想いが溶かされ、癒されていく。

 一歩ずつ、必ず、希望に向かって歩いているんだという実感が湧いてくる。

 わたしは一人で召喚試験に失敗して、一人でここに落ちてしまっていても、何の不思議もなかった。って言うか、普通はそうなるでしょう……。

 何故だかは分からない。だけど、わたしがこの地下空洞で目を覚ましたとき、全く知らない男の人がそばに倒れていた。そしてその人が居てくれたからこそ、わたしはこうして歩いて行くことができている。それは認めざるを得ない。

 何故わたしはこんなところに居るのか、何故この人がこんなところに一緒に居るのか? 本当のことは分からない。今のわたしには答は出せない。

 信じられないけれど、それが現実だ。

 ただ――。はっきりしていることが一つだけあった。

 わたし一人では確実に終わっていた。

 助かることも、救われることもなかった。

 わたしは今、この人に救われている。そして「助かるかもしれない」という希望を燃やして歩き続けることができている。

 こんなこと……人生で初めてだったね。

 ひょっとすると最後かも知れない、誰にも知られることのないかも知れない生涯の中で、レンは繰り返し繰り返し、そのことについて考えていた。

 彼女は自分の左手を彼の体幹に巻きつけながら、全身でその(たくま)しい存在を感じた。

 

 二人はすぐに大広間の中心まで戻った。レンが描き込んだままの正確な図面が、倒壊した石柱の横に残されていた。

 そのことが今、彼らにとっての世界の中心がここにあることを、何よりも物語っていた。

 シューインが立ったまま説明する。

 「問題の一つは解決した。まあ、失敗だった――ということだ。時間がない。あとは全力で、最後の本命の地点にアタックを掛けよう。そこが勝負だ」

 図面上にマークされた9箇所の候補地点のうち、5箇所はほぼ一つの方角に集中していた。明らかにその先に次のステージが開けているかも、と予想された。

 ――もしもここが駄目だったら……。》

 一気に5箇所の候補地点が同時に駄目になる、ということだ。

 5箇所というは、実質は1箇所と言うに等しかったのだ。

 その危険性が多分にあった。

 最初に感じた“嫌なフォーメーション”の理由でもある。

 最初の2地点は“失望”で済んだが、もしここが駄目だったら、その時それは“絶望”に変わる。それだけに勇気の要る決断だった。

 時間がない――という事実は、その勇気を喚起する材料にもなった。レンもそこの結果次第で二人の運命が決するだろう、という考えには一致した。

 いきなり……最初の《試練》に挑むのね。

 ――乗るか、反るか。たった一つしかない人生の全てが、そこで決まる。》

 「行きましょう」

 さして迷うこともない口調でレンが答えた。

 ――この人となら何とかなるかも知れないから。》

 その確信が彼女を励ました。

 「うん」

 背中を押されてシューインも応えた。

 彼らは運命の地点に向かって敢然と歩き始めた。

 目的の地区に着いてから改めてその5箇所の候補点を検めてみると、どの地点も似たり寄ったりで大差がなかった。手前に若干の障害物が重なっているだけで向こう側が透けて見える場所もあった。

 よし、これなら何とかなるな。

 二人は意を強くして、早速作業に取り掛かった。

 レンとシューインがぴったりと寄り添ったまま、注意深く瓦礫を下に落とし左右に押し分けていく。その動作の度に二人の身体がひたひたと重なり合って押し競ら饅頭(おしくらまんじゅう)でもしているような気分になる。

 そうやって、お互いがお互いの存在を確認し合いながら作業を続けた。

 作業自体は、二人がピタリと寄り添っての動作なので順調とは行かず、一見して非効率を極めた。

 片手に持った何かの破片で積み重なった土砂を掘って取り除き、その奥に現れた破片を退かしていく。

 しかし、単調な作業を繰り返していくうち、形そのものは見えてきた。

 この――今、自分たちが閉じ込められていると認識している大広間のような空間の外側には、果たして“外の世界”は存在しているようだった。

 それを確認できる度に、二人の手つきが(いや)でも力を帯びてくるのは、現金なようでも確かだ。

 邪魔になっている岩盤も今回はかなり取り除きやすくて助かった。

 だが。

 それが今度は、却って不安要素を現実のものとするから難しい。

 掘っても、掘っても、土砂が上から上から落ちてくる。

 それでもしばらくは、挫けることなく掘り進んでいたが……。

 坑道崩落の可能性がいよいよ無視できない状況になってきた。

 ――もし、ここが潰れてしまったら。》

 本当に、いよいよ、後がなくなってしまう。

 もう、この次の道はないのだ。

 ここが最後の賭けだった。

 そう簡単に諦めてしまうわけにはいかない。

 しかも皮肉なことだが、ここは今までで一番といっても良いくらいに柔らかくて掘りやすかった。

 やれる、今度こそ脱出できる、という確かな手応えが、この道にはあるのだ。

 今度こそ――!! という、何かに縋りたいほどの思い……。

 しかし。

 決断したのはシューインだった。

 「これ以上、ここを掘るのはマズい。……ここは、――いったん引こう」

 「!! ここを、諦めるの?」

 「いや、諦めたりは、……しないさ。……もちろん」

 「なら――」

 「いや、だから、いったん――だ」

 「時間が経てば経つほど、わたしたちには不利になるだけよ。いいの? とにかく時間がないわ」

 「レン――! それでも、ここはいったん引こう。……中央に戻って、もう一度、……整理しよう。今までのことを考えようよ」

 掘る動作を止めて、体を起こし、シューインがびっくりするほど強く言った。

 …………。

 ……………………。

 レンも作業を中止して、返事をした。

 「分かったわ。じゃあ、戻りましょう」

 そう言うと、さっと彼の右脇に潜り込む。

 右手首を取って、注意して自分の首から右肩、右胸へ袈裟懸(けさが)けに回し、逆に自身の左手はシューインの胴に、しっかり絡み付くように当てた。

 彼の体重を支えるためではない。彼の体内で暴れている幻光虫を吸い出すためだ。極力、自分の体とシューインの体を密着させる。

 取られた右手が一瞬ピリッと痛んだが、どうということはなかった。

 それより右脇に空調機の冷却タンクでも押し当てたかのように、心地良い冷んやりとした感覚が一斉に流れ込んできた。

 体全体がスッと楽になる。

 レンの能力は鉄壁だ。彼女も幾分、慣れてきたのだろう。最初の頃とは断然にパワーも効力も即座に効いてきた。

 二人はゴミゴミした掘り出し口をいったん潜り出て、広間の高い空洞に戻った。

 相変わらず、そこは脈絡もなく幻光虫の塊が無数に舞っている……。

 静かな空間だ。

 レンとシューインの二人三脚で歩く音だけが(こだま)した。

 程なく、中央の倒れた石柱のところに戻って、二人で並んで腰掛けた。

 シューインが真っ先に口を開いた。

 「あそこは、これ以上に掘り進むと坑道全体が崩落して、生き埋めになる可能性がある」

 「あそこは駄目……ってこと?」

 「いや、それは違うな。――多分、あそこが正解だ。それは間違いないと思うよ」

 …………。

 ……………………。

 「じゃあ――」

 「うん。最終的には、あそこを掘るしかないわけだけど、何の策もなく無作為にただ掘ろうとするのは、……マズいな。そんな気がする」

 ――――。

 ――――――――。

 「では、どうするの。何か他に、その策とやらはあるの?」

 …………。

 「うん。……ちょっと見方、っていうか視点を変えてみよう。……例えばこの神殿ね。そもそもの建設当時、どんな構造になっていたのか、を……。考えてみないか」

 そう言うとシューインは改めて、丸いドームをグルリと見渡した。

 レンもつられて倣う動作をする。

 「最初に掘った後ろ側の……奥の院に続く通路ね。あー、……いきなり“奥の院”なんて言い方をしてしまったけど」

 「そうね。たぶん、そうだと思うよ。この内部(なか)の造りを見れば一目瞭然、それは間違いないと思うわ」

 レンが即座に相槌(あいづち)を打った。

 「とすると、その逆方向にある……あの、水で先が埋まっている階段が、ここに入るための正面入り口ってことになる」

 「うん。当然、そうだね」

 「その階段のすぐ右隣に、何だか分からない小部屋があって、そこから壁伝い――さらにちょっと行った所に、さっき掘っていた突破口があるんだ……」

 「うん……」

 「普通に考えたら、こんなところに穴が開いている理由はない。――不自然だ」

 「何かの施設が、ここに接続しているのかな」

 「すぐ隣りに建物が隣接している可能性は極めて高そうだ。そこが壁役を果たして、堆積物が硬くならず掘りやすかった理由かも知れない」

 「…………」

 「一方で神殿の通路の途中、この地点がドーム構造になっているからには、それにも相当の理由があるはずだ」

 「それは、まずこの神殿に軍事的な側面がどの程度、付帯していたのかにもよりそうだけど……」

 ――――。

 「建てられたのは恐らく建国直後、初代ザナルカンドはそれほど長くは続かなかったはずだし、このドームも宗教施設の一部なのか、軍事施設の一部だったのか、分からないところもある」

 「いえ、それは一応、宗教施設でしょう。この内部構造を見ただけでも、それは分かるわ。純粋に軍事が目的の基地施設なら、こんな構造をしてる訳がない」

 「えっ! そうなのかい? それなら、ここに隣接してる建物もやっぱり宗教関連のものなのかな」

 「さあ、そこまでは……さすがに分からないけど」

 「でも、道理で、あそこに堆積している土砂が柔らかいわけなんだね。分かったよ。あれは自然倒壊とかで高圧力で積み重なったものじゃなく、人間が人為的に運んで来て、通路封鎖のために積んだものだ」

 「この神殿が、何か、そういう事態に直面していた――ということ?」

 「当然、時間もなかったんだろう。一時的にでも、ここの通行を妨害できればそれでOK、という積み方だ。巨大な岩塊、破片なんかは最初から、混じってない」

 「ザナルカンド滅亡時の様子が垣間見れる状況証拠かぁ……。少し、寂しくなってくるね」

 「さっきからずっと気になってることだけど……ここだけの問題じゃなくて、この神殿の外がどうなっているかも結構、重要だと思うよ。あくまでも、この壁の外側に、本当に“外側の世界”が展開していると仮定して――の話だけど」

 「あの通路の盛り土と同様、外の街も結構、ぐちゃぐちゃになってるのかな」

 「どのくらいだろう。……分からない。だけど、確かなことが一つだけあるよ」

 ――んっ!?》

 という顔をして、レンが左に目を遣った。思わず、ほっぺ同士がピタンと当たりそうになる。

 「多分、街は全体が水浸しになってるはずだよ。ここの本来の正面通路の階段が、途中から水没してたでしょう。当然、外側の街も、ほぼ同じ高さまで水が来ていると考えるべきだ」

 「ここは神殿だから、街の中でも高台の場所に建設されているわけね……。で、今は、陸の孤島になってるのかぁ。わたし、そんな特別には泳げないから……」

 「それは大丈夫。このまま、こうやって右脇に潜ったままの姿勢で問題ないよ。いったん外の世界に出ることができれば、あとは街が一面水浸しでも却って好都合な点が多い」

 「本当? ……大丈夫なの?」

 「ああ。水の中に入ってしまえば、僕の幻光虫症が断然ラクになるだろ。水の中を進む方が、こうやって二人三脚でテクテク歩いて海岸部まで戻るより早い。息継ぎのときに水面上に顔を出すだけだから、そんなしんどい動作でもないし。水没してくれていれば街の構造に邪魔されることなく、一直線に最短距離を進める利点も無視できない。水中ではね、こうやって、パン、パンと腰を(はた)いて、下半身全体で、こう――水を上、下、上、下、に跳ね出す感じ。イルカ泳ぎって言うんだけど……。難しければ、何もしないで、体全体の力を抜いてね。足の先で小さくバタ足をしていてくれるだけでも随分と違うよ。気をつけてほしいのは膝から先を曲げてバタバタするのは最悪で、却ってもの凄く勢いを()ぐだけだから、寧ろ足首から先だけで小さく柔らかくバタバタするイメージだ。膝は水平に上下動するのは良いけれど、絶対に曲げないように、これだけはハッキリと意識して。バタ足って、ちょうどヘリコプターの後ろのプロペラと同じ役目なんだ。前に進む推力を得るために漕ぐのじゃなくて、単に姿勢を水平に保つために漕ぐ、という意識を持ってね。それで十分だ。前に進む動作は、プロの僕に任せて」

 そうシューインは身振り手振り、体振りで指示を出した。

 「分かったわ。OKよ。――とにかく膝を曲げて、バタバタするのは絶対に駄目なのね」

 こういうところは元来、飲み込みの早いレンである。

 怪しいな、と思ったら変に難しいことはしない。

 言われたこと、確実にできると思ったことを忠実に実行する。

 ――こんなときは、できること、やれることよりも、してはいけないことをしないようにすることこそ肝要だ。

 そういう呼吸を汲み取るのには天才的な勘、嗅覚を持っていた。

 ――いきなり小難しいことをゴチャゴチャと言ってしまったかなぁ。》

 と、言った後で少し後悔してしまった感のあったシューインだったが、意外にレンがピッタリと付いて来てくてたので、思わず「おっ!」っと見直した。

 何度も言うが、さすがは『ザナルカンドのレン』だ。

 嫌でも違いを見せ付けられる。

 まあ、むべなるかな――というわけだ。

 それを聞いて、いく分シューインは自信を持ち、取り敢えず話をするだけなら、という感覚で話してみた。

 「そして、ここからが本題なんだけど……」

 「んっ?」

 という感じにレンが反応する。

 「……実は、最初の水没している階段の先から――簡単に外に出られる可能性があるんだ」

 「階段から先の水面を潜るのね。……どのくらいの深さがあるのかしら」

 「正面・表参道の丘の斜面に付けられた石段、という前提で一段一段の角度から推測すると、そんな途方もなく深いとは考えにくい」

 「なるほどね」

 レンもその可能性について早速、計算を始めた。冷静な思考に、希望と願望、期待が容赦なく絡み付いてくる。

 間に合うだろうか。そこまで深く潜って、果たして息が持つか――。

 「丘の斜面を降りて平坦面に出た時点で、恐らく四周の外壁はなくなって脱出は可能になる、と見たいね」

 「それは微妙ね。周囲の街の状況とか、宗教的な権威具合、優先順位具合との兼ね合いにも由りそうよ」

 「う~ん……。やっぱ駄目かな」

 「それと、途中に障害物があって道が塞がれている可能性とかは――」

 「それはないと思うよ!」

 シューインが即座に反論した。

 「曲がりなりにも正面参道の通路だからね。ここから後に繋がる“奥の院”への通路だって、建物の崩落で仕方なく潰れていただけだし、人為的な障害の設定の痕跡は皆無だ。階段から下の部分は角度があるから堆積もしにくい。階段の水辺が完全な水溜りにならずに、小さく波立っていたのも、通路内がかなり大きくクリーンに外界と繋がっている証拠だ」

 「それなら、試しに一度、潜ってみるのも一つの手ね」

 「イルカ泳ぎ――ドルフィン・キックって言うんだけど――の練習をするのにも良いかも。ただ、階下の天井を潜り抜けて外に出ても、水面に浮き上がるまでの時間を息継ぎができない間の時間として、計算に入れておく必要があるから注意して」

 「それでは、どうやらその道は、わたしには無理――という結論になりそうね」

 「そうか……君が居てくれないと、僕にも無理――ってことだね」

 ――――。

 とすると、やはり先ほどの、土砂で意図的に塞がれた場所を掘り抜いて脱出するより手がないわけか。

 …………。

 再び空間が静かになった。

 しばらくして、シューインがポツリと言った。

 「さっきのポイント、次は一番外周から掘り分けてみようか」

 何とも悠長な話である。

 だが――。

 「真ん中を最短コースで掘るのは、やっぱり危険かな」

 「多分ね。候補のポイント地点が5箇所、集中してたでしょ。あれは最初から5箇所じゃなくて、全体で1箇所だったんだね。そういう感じさ。だから、中央突破ばかりに拘って一直線に掘り進むのは、やはり危ない。逆に、天井や横の壁自体が崩落してくる心配はそれほどしなくていい場所だから、周りから落ち着いて掘り固めて行くのも、言うほどの遠回りではないさ」

 そう言うと、シューインはゆっくりと立ち上がり、レンの首から袈裟懸けに巻き付いた右腕をクイクイと揺らした。

 合図されてレンも立ち上がった。

 「分かったわ。行きましょう」

 

 再びポイント付近まで二人で歩いて行って、改めて土砂が堆積している地点の全体像を見渡す。

 5つのポイントは大体に見積もって、最長でも15ディスツという横幅の中には収まっていた。

 「じゃあ早速、一番左端の土砂から取り除いていこうか」

 シューインがそう促した。

 レンが黙って従う。

 一番端は壁面に沿って、ただ土が溜まっているだけの場所だった。

 先には特に穴なども見当たらない。

 当然、掘り進むなどという感じの作業にはならなかった。

 積もっていた土が取り除かれ、壁面がそこだけ綺麗に現れる。

 「元はこんな色をしてたんだね」

 「…………」

 レンは何も言わなかった。

 「じゃあ、そのすぐ隣り。2つ目のポイントだ」

 シューインが情感のない声で言った。

 がっかりしてないはずはないのに、そんな失望の色は微塵(みじん)も見せなかった。

 しかし――。

 隣りの2つ目のポイントも、果たして状況は全く同じ。

 これでは、単に壁面に沿って壁掃除をしているだけだ。

 「よし。思ったより早く形が見えてシンプルになってきたね。じゃあ、次はその隣り。3つ目のポイントだ」

 シューインは挫けることなく落ち着いて言った。

 敢然とした迷いのない声だった。

 3つ目の隣りの4つ目のポイントは、先ほど二人で掘り進んでいた真ん中の坑道である。

 「もし、ここを取り除いても、ただの壁だったら――少なくとも、先ほど掘った不安定な坑道の左側の側面はしっかりした構造になっていたことが判明する。当然、今度は左側をはっきりと意識して掘って行けば、成功の可能性がグンと高くなるよ」

 彼は力強く言い放った。

 たとえ3つ目のポイントが全く同じ結果に終わったとしても、それは決して無駄な行為ではなかったのだ。

 決して負けない強い気持ちを、単なる意味のない根性論とかではなく、理性的に判断できる根拠を常に見(いだ)し、それを突破口とする。

 それはプロ・ブリッツボール新人王MF・シューインの才覚の非凡な点であった。

 だが――。

 3つ目のポイントを掘っていると、それまでの2つとは微妙に違う状況が現れた。

 “試練(トライアル)”に新たなヒントが提示される。

 「んっ!? 何だ、これは」

 シューインが思わず動作を停止する。

 レンが黙ったまま、丁寧に周囲の土砂を取り除いていく。

 それまでのポイントと同様、壁際に単に土が積み重なっていただけ――の状態と、言って言えなくはないのだが……掘って現れた壁面の様子が少し違うのだ。

 取り除いた壁面の下、底の部分から窪みが出てきた。

 レンが左手に持っていたスコップ代わりの瓦礫片を置き、手の指で丁寧に土を払う。

 改めて見るまでもなく、明らかに人為的な、つまり人工物の窪みである。

 「何の(へこ)みだろうね。何をしろ、って言われてるんだと思う?」

 レンが久々に口を開いた。

 ――――。

 「スフィアを嵌め込む穴に似てるね。……いや、それにしてはかなり大きい、かな」

 シューインが左手で(あご)を摩りながら、無造作に呟いた。

 言った自分自身、「まさかね」と思いながらも、本当にそんな感じの穴ぽこである。

 それ以外には、何も変わったところは見当たらない。

 「スフィアを嵌め込む穴なら、2番目に掘った小部屋の奥の壁面にもあったわ。壁の中央に!」

 そう言って、レンが目を壁面に沿って左にスーッと流す。

 その仕種につられて、シューインも顔を左にやる。

 さほど遠くはない場所に、例の水没した階段に繋がる出口が一際明るく滲み出しており、そのすぐ手前に小部屋があった。

 当然、部屋の入り口にはシューインが倒れ込むように置いた一つの岩が鮮明な影を作っていた。

 …………。

 ―― ! 》

 「そうか、あれか。……分かったかもね。行ってみよう」

 シューインが右腕をクイっと揺らしてレンに合図した。

 「えっ。行くの?」

 慌ててレンも立ち上がる。

 二人はまた真っ直ぐに階段の手前まで歩いた。

 ここは何度目だろう。

 しかし、今回はそのすぐ手前に用がある。

 無造作に置かれている岩の前まで来て、シューインは言った。

 「ちょっと、支えていて。持ち上げるよ」

 そう言って屈み込む。

 レンがシューインの胴と右手をしっかりと掴んで踏ん張った。

 首と背中にズシリと重さが掛かる。

 シューインは左手と、自由にならない右手を精一杯に伸ばして、岩をまた持ち上げた。

 岩自体はそんな苦労するような重さではない。

 寧ろレンに持ってもらった方が楽だったかも知れない。

 「確か、この岩。この部屋の最奥、中央部に置かれていたんだよね」

 「そうよ。その上に、スフィアの嵌め込み穴が1つあったわ」

 「その穴には、さすがにこの岩は嵌め込めないわけだ」

 「当然ね」

 「だけど、それを見て、嫌でも何かをするように連想させていた――それ以外のものは、あの小さな部屋には何もなかったんだから」

 「入るかな、あそこなら」

 「ぴったりのサイズに見えるけど」

 「――――」

 時間的には5分と掛かってないはずだった。

 すぐ、あそこまで行って、岩を取って戻って来るだけだ。

 半信半疑の行為である。

 果たしてどうか。

 シューインはゆっくりと、持ってきた岩を、きれいに土を取り除かれた穴に押し込んだ。

 重さを利用して、そのままそっと置いた――という表現の方が適正かも知れない。

 サイズはピッタリだったようだ。

 自重で岩が穴にめり込む。

 …………。

 するとたちまちにして、ザナルカンドの1000年の意志は、その行為に対して正しく答え、報いた。

 どん、ぴしゃり。そうです。お見事! それが正解だったのだよ。

 ズゴゴゴゴゴゴ………。グッ。ググッ。ググググ。グイ~ン。

 ガガガガガ――。

 余りに突然のことだった。

 二人の男女はビックリして、思わず目を見張り固まった。

 先ほどまで二人で、あんなに懸命に掘り進んでいた穴全体が、いきなりストーンと抜けて、その先から広間内と同じ強さの明かりが、一斉にパア~ッと差し込んできた。

 事態が起こってみると、土砂で埋もれた先の観音開きの大きな扉が開いたのだと、すぐに理解できた。

 滅んで水没したはずの街の1000年前のギミックが、まだ問題なく生きてるなんて!

 扉が開くと、その動作に押されて、堆積していた土砂が一斉に向こう側に流れ出した。

 当然、向こう側は丘か何かの下り斜面になっているはずだから、それは納得だ。

 「やった!」

 思わす声が出た。

 が、それも一瞬のことだった……。

 予期せぬ事態が、次々と二人の前に立ち塞がった。

 流れて一気に繋がった通路の先が、一つの大きな岩で完全に塞がれていたのだ。

 これだけは恐らく都市崩壊時の崩落に由るものだろうか。

 決してこの神殿のギミック自体に責のあることではない。

 喜びがたちどころに深い失望に変わった。

 どうしようもない脱力感。

 観音開きの扉が外に向いて開くとき、その扉自体で弾き出せる土砂の類は全て払い落とせたが、扉の先に落ちていた岩までは届かずに空振りしたようだ。

 さて、居残りの補習みたいな宿題が残った。

 ザナルカンド側が当初には想定していなかった事態である。

 花丸合格のサインは確かにもらったはずなんだが……。

 ――通り抜けられないのか? どこかの隙間からでも。》

 レンとシューインが岩に歩み寄り、シューインが左手と上半身を岩肌に付けてグイッと押してみる。

 当然、それだけのことでグラッ、ドシ~ン、やった~! ――な展開になるなら、わざわざそんな設定、書いたりはしないさ。

 トライアル、“試練”だからね。

 当たり前だけど、そんなことでは岩はビクとも動かない。

 寺院の扉の先は2~3ディスツくらいの四方分厚い壁で覆われていて、外側から見ると、そこだけが少し引き込みの構造になっているものと思われた。ちょうど、その引っ込んだところに観音開きのドアが設置されているわけだ。

 ま、ここは言わば勝手口、裏口だからね。目立たないように、ポコッと出入り口が引っ込んでいるのだろう。

 運悪く、その引っ込んだ通路の真ん前に巨大な岩が落ちてきて、入り口をピッタリと塞いでしまったのだ。

 二人は(そば)に寄って、壁と岩の関係をよく確かめた。

 岩はこの建物の真上をゆっくりと転がってきたみたらしく、屋根が尽きると即座に真下に落下したようで、ほぼピッタリと入り口を塞いでいた。

 周りに擦り抜けられそうなスペースはなかった。

 岩の端を少々ガリガリとこそいで削ったくらいでは、どうにもならない。

 …………。

 じゃあ、扉が開いた時にスカッと抜けた土砂はとこへ? ――と思うと通路の両脇に10センチ・ディスツくらいの排水溝の溝が掘られていて、そこを通して流れ落ちたのと、通路の床に5センチ・ディスツくらいの(ひび)割れが走っていて、そこから落ちたのだと知れた。

 床の罅割れは岩が落ちた時の衝撃でできたものだろうか。

 10センディスの空間ならば、ネズミはもちろん、猫なら容易く潜り抜けられるスペースだが、イヌではちょっと厳しいかな、といった感じの穴だ。

 もちろん人間様にどうにかできるような空間ではない。

 岩の落ちた付け根くらいから罅割れが走っている。

 ――罅か……。幅は5センディスくらいだけど、結構な深さの割れ目だな。》

 ここは丘の上みたいなところに建っているのだから、そういうこともあるのだろうか。

 恐らく土砂は、両脇に掘られた溝からよりも、実際にはこの罅からより多く落ちたのかも、とシューインは思いながらぼんやりと見つめていた。

 しばらく――。

 …………。

 「ん!?」

 排水溝の溝の罅割れの部分から、溝のすぐ内側に、何かパイプみたいなものが通っていることにシューインは気が付いた。

 地面の中にパイプが通っていたって何も不思議はない。

 ここの神殿のギミックは(いま)だ生きているんだから。

 だが、しかし――。

 ――何だろう。》

 シューインが突然にしゃがみ込んだので、つられたレンがバランスを崩して少し慌てた。

 「どうしたの?」

 「いや。ひょっとしたら、と思ってね」

 シューインが溝の内側をゴソゴソし始めた。

 「????」

 ややあって、カツンと音がして、パイプが外れた。

 いや、取り出してみると、それは床下を通っていたパイプなんかではない。

 シューインがニヤリと笑った。

 「こんなところに仕込んでやがったか。これ、便利棒だよ」

 「ベン・リボー?」

 いきなり、誰の名前だろう……というふうに、レンが怪訝そうな顔をする。

 「ハハハ。名前じゃないよ、あー。……いや、名前ちゃあ、名前だけど。――六畳一間暮らしの男がね。部屋の中央の座椅子に座ったまま、スフィアTVや部屋の電気を点けたり消したり、壁のパネルを捲ってエアコンの強さを調整したり、お風呂にお湯を張ったり。突然に鳴り出した目覚ましの頭をこいつでポンっと叩いたり、窓を開けたりカーテンを閉めたり。電気釜をピポパと調整したり。とにかく、これ一つあれば、部屋の中央に座ったままで何でもできるんだ。だから、便利棒」

 …………。

 「お……とこの人って、そんな私生活。してるの!?」

 「いやいや、常識でしょう。これがなくちゃ、男の一人暮らしは成立しませんよ」

 「んんっ……。…………」

 レンがクラクラクラっというふうに絶句して首を振った。

 「さて、こんな場所に仕込んでいたからには、普通に考えるなら頭部にブラシでも嵌め込んで溝掃除をするためのもの、だよな。――だけど、それ(・・)らしきパーツはどこにも見当たらない、か」

 シューインは「お構いなく」という感じで、何も付いてない棒だけを左の溝の中に突っ込んで、ゴソゴソ始めた。何か引っ掛かるものでもあれば、引っ張り出そうというつもりである。

 何か……。

 そう思い溝の奥を探っていると、果たして手応えがあり“カチリ”と音がした。

 「おわっ!? また何か、……動いた?」

 「えっ、神殿のギミックが? さすがにそれはないんじゃ……」

 というレンの言葉が、終わらないうちに――。

 ウイ~ン、と滑らかな音がして岩の真下の床石が少し持ち上がった。

 さすがに二人を黙らせるに十分な成果だった。

 何か、また、やったらしい。

 二人は周囲を見回した。

 …………。

 それ以外は特に変わった所は見られない。

 相変わらず、岩はピッタリと出口にくっついたままだ。

 シューインが少し勢いをつけて、左肩でドン! とぶつかってみたが、やはり岩はビクともしない。

 「右側の溝も探ってみよう」

 言って、彼がレンに便利棒を手渡す。

 渡されたレンがしゃがみ込んで、先ほどシューインがやっていたことを見様見真似で探り始める。

 …………。

 「どんな、感じなの??」

 だが、右側の溝には何もないようだ。

 「溝の内側の壁にスイッチみたいな出っ張りがあるんだ。――ちょっと代わってみて」

 シューインが彼女か棒を引っ手繰るように受け取って、左手を裏側に回すように、不器用にゴソゴソと溝の内側を触り始める。

 だが、どんなに丁寧に探っても、右の溝には何の変化も見つけられなかった。

 溝の外側の壁面も、底も、まさかとは思ったが、上から被さっている岩の岩肌面まできれいに調べたが、やはり右側の溝には何もないと結論付けざるを得なかった。

 「もう一度、左側を探ってみる」

 そう言って、ゆっくりとレンを促して立ち上がり、もう一度、左側の溝に寄る。

 今度は左手を順向きにして、起用に注意深く、丁寧に探ったが……やはり内側の壁面にスイッチのような出っ張りが1箇所、引っ掛かるだけで、他には何もないと結論付けざるを得なかった。

 では、これをどうしろと言うのか。

 これから、どうすれば……。

 あるのは便利棒が一本。それと、持ち上がった床の石の端に何かを引っ掛けるような出っ張りがある。

 便利棒だから、当然この棒を引っ掛けることはできるが。

 ――――。

 シューインは一考して、棒の端をその床石に掛けてみた。

 が、もちろんそれでは何も起こらない。

 それは全く意味のない行為だ。

 ではっ――とばかり、そのままグイグイと引っ張ってもみたが、その程度のことでは床石や、その上に乗っている巨岩が動いたりするわけがない。

 さすがに便利棒1本では無理だ。

 「なら、どうしろってんだよ!! クソッ」

 二人で周囲を見回して考える。

 むらむらと焦る気持ちばかりが突き上げてきて、じっとして居られなくなる。

 「……ということは、――この岩って……、後から偶然ここに落ちて来て、ここを塞いでいるわけじゃないってこと、だよね」

 レンがボソリと言った。

 「ああ、そうだ。――良いことだ。とても“良い”ことだと思うよ。当時のザナルカンド側はこの状態を、ちゃんと規定の事実として想定していた――ということだから。必ず正解があるんだ。絶対に諦めちゃいけない」

 彼は力強く言った。

 しかし、このままではどうしようもないぞ。

 何が足りないんだろう。

 どうする?

 どうやって岩を取り除く?

 岩が置かれている地面は、まるでティーアップされたゴルフボールの様に持ち上がったのだ。

 さて、これから――。

 「一度、神殿の中の中央に戻って、考え直してみましょうか。……何か、中にある物で足りな――」

 「うん、いや……恐らく、ここにあるものだけで何とかなる気がする。考えさせて」

 シューインが素早く(さえぎ)った。

 これは“試練”だ。明らかに試されている。選択肢も無限にはないはずだ。ヒントの合図は、はっきりと出た。

 …………。

 さて。これを、どうするか。

 あるのは“便利棒”が1本だけ。

 ――――。

 シューインは棒の先を浮き上がった石畳の端に引っ掛けたまま、ふと地面に真っ直ぐに置いてみた。

 観音開きに()いた石壁の扉の(あと)が石畳に付いていた。

 その痕には、辛うじて棒の長さが届かない……か。

 …………。

 ――んっ!?》

 気が付いたのは、二人ほとんど同時だった。

 …………。

 中央の轍の痕には長さが微妙に足りずに届かなかったが、開き切った石扉の端になら届くんじゃないか?

 素早くシューインが便利棒を左側の石扉に当ててみた。

 しかし、これでは逆に少し長すぎるようだった。

 だが、よく見ると、頑丈な石扉の表面(おもてめん)の下の端に、恐らくこの便利棒を引っ掛けるためと(おぼ)しき出っ張りが付いているのを発見した。

 この引っ掛けはクルクルと、左右に120度くらい回転するようにできている。とても丈夫な構造のものだ。

 “試しに”と思い、シューインは便利棒の端を石畳から外し、反対の端をこの扉の端の《出っ張り》に引っ掛けてみた。

 案の定、棒はきちんと扉の出っ張りに嵌まり込み、一度引っ掛けてしまうと後は簡単には抜けなかった。

 改めて便利棒を右の拳でコンコンと叩いてみる。こちらも、ちょっとやそっとでは、まず折れたりはしない音がする。

 「これで、決まりだね。一度、部屋の中に戻ろう。実験だ」

 そう無造作に言い放つと、シューインは丁寧に扉の引っ掛けから棒の端を抜き取って浮き上がった石畳の傍に置いた。

 ゆっくりと振り向いて、今度はシューインの方がレンを寺院の中に入るよう促した。

 納得したのか、レンも何一つ言わずにシューインの肩を抱き抱えて扉の中に入って行った。

 と言っても、歩いたのはそんなに長い距離ではない。

 どころか、入り口を入ってすぐ右脇の壁で立ち止まる。

 シューインが絡み付いたレンの腕を解き、逆にピッタリと体を寄せてしがみ付く。

 「この岩を取り上げてみて」

 と促す。

 「そんなに重いものじゃないから」

 ――――。

 シューインから解放されたレンがしゃがみ込んで両手でそっと窪みから岩を取り上げた。

 すると、扉が開いた時の速度よりは若干速く閉まり始めた。

 二人は意識を集中してタイミングを測った。

 やがて、ドシンと音がして石壁の扉が閉まった。

 キチンと閉まったのを確認すると、レンが口を開いた。

 「戻してもいい?」

 「ああ、もちろん! すぐにやってくれ」

 レンが両手に持っていた岩を再び窪みに差し込んだ。

 閉まったばかりの扉が開き始める。

 どのくらい開いたら飛び出せるだろう……と、レンは考えていた。

 ――当然、シューインが一人で扉の外に残るしか方法がないのだ。》

 レンが扉の中側で、扉の開け閉めをしなければならない。

 閉まる扉の外に居て、長さのタイミングを見て、便利棒の先を浮いた床石の端に引っ掛けるのはシューインの役目だ。

 それ以外には選択肢がない。

 ――大丈夫かしら。間に合うかどうか……。》

 「大丈夫だよ。扉が開け閉めするだけの間だ。僕を信じて」

 シューインがそう言って、そっとレンの右肩を叩いた。

 言われるまでもなく、扉のぎりぎり開いた隙間を狙ってレンとシューインは再び外側に潜り抜けた。

 ――これで、俺の気力だけが勝負……。》

 レンがしくじる懸念は何もない。

 このままシューインを置いて扉の中に戻り、ただ岩を上げ下げするだけだから。

 外に残されるシューインだって、失敗する不安なんか何もないさ。

 扉が閉まる動作に合わせて、長さがちょうど良くなったところで床石の端の出っ張りに、ただこの棒の端を引っ掛けるだけじゃないか。

 シューインはレンの体から両手を離し――勇躍、床石の傍に置いた棒切れを左手でひょいと拾い上げた。

 途端に視界がグルグルし始め、嫌な気分が持ち上げてくる。

 ――くっ、まずい!!》

 彼は棒のもう一方の端を慌てて扉の端の引っ掛けに掛けて、レンの背中をポンッと叩いた。

 「急ごう、することは分かってる。時間が惜しい、早く!」

 「――はいっ」

 レンが全ての懸念を振り払って、飛び出した。

 と同時に、ドスンとシューインが床石の傍に尻餅を()いた音が後方から聞こえたが、もうレンは頓着(とんじゃく)しなかった。

 ――早く、早くぅ~!》

 レンが三度(みたび)、岩を外して持ち上げる。

 グググググッ、――と観音開きの扉が反応する。

 両手に岩を持ったまま、2、3歩右に歩み出た。

 そのレンの視界に、棒を床石に当てて、ふらふらになりながらも長さのタイミングを測って、必死に床石の出っ張りへ棒の端を引っ掛けようとするシューインの姿がチラリとだけ見えた。

 ほんの僅かな空白の後、扉は全ての視界を遮断した。

 ――――。

 だが、続けて扉の向こう側から「ダダダダダダン」と階段を岩が転がり落ちる音が聞こえてきた。

 ――やった! 今度こそ。》

 と思いながら、レンは手に持った岩を四度(よたび)、壁の窪みに押し込んだ。 

 

     ◇

 

 さっきから、雪が降っている。

 細雪(ささめゆき)だが、既に辺り一面、白銀の山塊だ。

 「う~っ、(サブ)ッ! こりゃあ、いよいよ本降りになるな。何とかそれまでに、ガガゼト越えと行かなくちゃあ」

 ラグナ・レウァールは積もったばかりの柔らかい新雪をザクリッ、ザクリッと踏み締めて、斜面の山道を(のぼ)って行く。まだ“登る”という状態の雪道ではない。

 「これ以上、積もられると、道でも何でもなくなるからな。脇の林の中に、いつの間にかずんずんと迷い込んで――なんてことも珍しくなくなる。気をつけなきゃ……」

 「おい、おい。そう言った矢先から、ラグナ君はどこへ行こうというのかな」

 「おっと、危ねぇ。危うくまた、やっちまうところだったぜ」

 いつもの様に連れに引き止められて、迷子、遭難の運命からは脱したが、こんなことではこの先どうなることやら。ラグナ君にあっては毎度のことながら、今後の展開が思い遣られた。

 ――と思っていると突然、林の奥から、何やら若い女性の呼ぶ声が聞こえてきた。

 「お助け下さいまし!」

 ……ので、早速、ザクザクザクと林の中へと踏み入れてゆく。

 ――行くのかよ!

 「えっ!? しゃあねぇだろう。助けを呼ばれちゃあ……。まさか、無視するわけにも行かんさ」

 しばらく行くと横の林からも、また別の声が呼んだ。

 「おいっ! たたっ、たっ、助けてくれぇ~」

 歳取った爺さんの声だった。

 ザクザクザクザク……。

 ――無視するのかよ!!

 「だって、ありゃあ十分に長生きした声だろう。俺の体は一つしかねぇ」

 …………。

 彼一流の“トンデモ”な理屈を振り回して、構わずにラグナはザクザクと進んで行く。

 「お~、お~、騎士様! 騎士様!! もし。助けてくださいまし。あそこに竜が、巣喰っておりまするぅ~」

 ――いやぁ。オレは騎士じゃなく、記者なんだがね。……こりゃ、参ったなぁ。》

 「えい! えい!」

 ――って~ぇ、本当に闘うのかよ!!

 「そうよ。オレの真名は、ラグナ・レウァール。宿命のワイバーンと闘うために、エスタ人に身を(やつ)した“流離(さすらい)の竜記者”」

 そう言うと、ザクッ、ザクッと歩み出て、得意のポーズを構えた。

 「とりゃ~ぁ、とりゃ~!」

 …………。

 それでも構えは結構“サマ”になっていた。後にガンブレードの大家でもあるサイファー・アルマシーに認められ、そっくりと受け継がれる剣術である。

 しかし本来、そもそもラグナは剣の使い手ではない。

 ま、この時は“竜記者”に身を窶した“竜騎士”だったし、雪山で湿っていて彼の本来の獲物・マシンガンは使い物にならなかった。

 長口径(ロング・バレル)の銃身が弾詰まりを起こして暴発する可能性があったのだ。

 で、面と向かって竜との対決である。

 何ぶん、それなりにそれなりだ。

 ――お~ぃ。頑張れ~ぇ、竜記者! 相手は竜だぞ、竜~ぅ。

 「んなこと言ったってよぉ。オレとキロスだけじゃあ……。くそ、こんなときにウォードが居てくれりゃあなぁ。あいつのシブ~い“マッシヴアンカー”があれば、“まぁ、シブ~い碇!”で一発なんだが」

 ――いやぁ。彼の武器だって、この雪山じゃ使えないかもよ。

 「ナニ、ヤツの大砲なら弾詰まりなんて起こしたりしねぇよ。根っ子のところで“不発”ってのはあるかも知れんが。まぁ、ヤツのマッシヴアンカーにはどの道、関係ないさ。あの技は“ハリケーン・ボルト”みたく、えいやーっと飛び上がって、そのままズドーン、バシーッ、って技だからな。要は“重さ”があれあいいのさ」

 彼は失われてしまった戦友(とも)の名前を口にした。

 「――というわけでラグナ君。(こぼ)れたミルクを今さら嘆いてもしようがない。これじゃ(らち)が開かないな。あれ(・・)を使うしかないようだぜ」

 キロスが竜のグワーッと吐く炎をパッ、パッ、パッと避けながら目線をチラリと同僚に流して催促した。

 ――そうだった。まだ、あれがあったぜ!!》

 言われてラグナは、ふっと思い出したようにほくそ笑んだ。

 すかさずズボンの後ろのポッケに手をやる……。

 ――――。

 「あっ!?」

 説明せねばなるまい。

 「ポチッとな!」

 ――って。いや、それはイイから。

 先ほど、この山の(ふもと)で図書館の鍵を拾って渡したお礼に、ルビーのような手の平に乗るコロコロした玉を見知らぬ少年からもらっていたのだ。

 「いや。それは普通、ルビーとは言わず柘榴石(ガーネット)と言うんじゃないかな、ラグナ君」

 おう。そうだった、そうだった。

 ガーネットだ。

 「実は、この手の武器は扱い慣れてないのだがね」

 ――いやいや。そうは言っても、今こそ! 使わぬわけにはゆかんでしょう。

 意を決し、ラグナは右手に握り締めた宝珠を高々と掲げてこの宝珠を使うときの専用なのは――いや、なものの呪文を、パンパカパ~ンと唱えた。

 (いわ)く、――パンパカパ~ン!!

 「受け取ったのはユーノのコロコロ。手にしたものは“アホウ”の力だ、馬鹿魔力!」

 すると、突如として天に(かざ)した宝珠がピカリと輝き、「シュワーッチ!」と音を立てんばかりに宝珠の根元から物干し竿のような柄が伸びて、ナニやらガチャコンガチャコンとお決まりの変形をし始め……。

 伸びた柄の付け根から純白の双翼が伸張して、バサリ、バサリ、と羽ばたき出した。

 あのユーノとかいう少年、こうしてみるとなかなかに良いものをくれたようだ。

 名づけて『レイジング鳩』というデヴァイス系の武器らしい。

 羽ばたきの反動がその度、手首にガシッ、ガシッと来るのが遺憾(いかん)ではあるが……如何(いかん)ともし難いな、こればっかりは。

 気を取り直して、ラグナが前髪をサッと()いだ。

 そして、その新しい武器を構えて、ラグナは颯爽(さっそう)と進み出た。

 (たま)らずに宿敵ワイバーンが「ギョッ!」と目を()き、飛び退いて全速で後退する。

 たちまちにして両者の距離は果てしなく開いた。

 「フッ」

 慌てず、騒がず、ラグナがほくそ笑む。

 手にしたデヴァイスをぶん回し、大きく構えて出る。

 「レイジング鳩・イクスパンション!」

 ――――。

 ほんと、大きく出たな!

 「ナニっ!? 届くのか――その距離から!!」

 タッタタ~~~ン!

 ……一応ね、住んでる星をドッゴーンとぶち抜くサマを、かの桐乃ちゃんだって見てるし、余裕でしょう。

 案の定、ワイバーンはどてっ腹に直撃を喰らい一瞬で四散した。

 「何~んと愚かな。飛んで火に入るアホウ鳥めが!!」

 砕け散った“幸せのアホい鳥”が、どれだけ幸せだったかは誰にも分からぬが……。

 ま、セルシアさんも変身すれば、たまにセーラー・ムーンちゃん、とかにもなるからね~。世の中、ナメたらあかんゼヨ。

 とにもかくにも無事、竜退治は成った。

 「お~お~、騎士様、騎士様。どうも有り難うございます。お陰で命が助かりました。お礼に、これをお持ち下さい」

 おっ! 今度は黄色の三角定規をくれんのか。

 ――バルディ……。》

 あーっ。まぁ、いいか。

 こいつは当面、煮ても焼いても食えなさそうだったが、気の良いラグナは素直に礼を言って受け取った。

 取り敢えず新デヴァイスってヤツだ。

 女性が麓に向かって消えたところでキロスが皮肉げに声を掛けた。

 「高い船賃だな」

 ――いや、それはキロスじゃないだろう……。

 「まあ、いいじゃないか。人助けができたことだし。……それより、また、ずいぶん道を外したようだが」

 「ワイバーンと格闘したんだ。それはある意味しようがないな、竜記者君!」

 …………。つまるところ見事に竜を退治した竜記者ラグナとキロスの二人は、再び雪山の斜面を上り始めたのだ。

 辺り一面の雪である。

 もう道も何も、ここがどこなのか――それすら分からなくなってきた。

 「ま、確実に上ってんだからそれでいいさ。それほど間違ってもないだろう」

 ラグナと来たらいつもこんな感じで、だから道が合っていた(ためし)がない。いつでもキロスとウォードが付き合わされる羽目になって……。

 「ゥワッハッハッハッハ。やっぱり山はいいなぁ。うんうん。道に迷っても、取り敢えず上ってさえいりゃあ目的地に辿り着く。途中、幾つ道があろうとも、山の頂上(てっぺん)は1箇しかないからな。上ってりゃあ、いつか確実にそこに行き着くんだ」

 と、竜記者様がご大層に(うそぶ)く。

 いや、ま、確かに嘘ではないが……しかし、腰に手を当てて言うほどのことでもあるまいに。

 「――あー、ラグナ君。ところで、その先は少し下っているようだぞ。いいのかな?」

 言ってる先から問題発生だ。

 確かに先はちょっと窪地になっている。何だか雪も急に解け出して、岩肌が無造作に露出していた。

 雪の代わりに辺り一面、もうもうと湯気が立ち上り出し……足場が突然しっかりし始めた。

 歩くのが急に楽になる。

 視界の先に、さらなる白銀の峰を見上げることができるから、ここが山頂でないことだけは確かだ。

 ――が。

 …………。

 ガガゼトの山頂付近の山塊の陰に、温泉でもあるのか?

 正直、聞いたことがない。少なくとも『Ⅹ』では聞かないな。

 緩やかに下る窪地を抜けて、グルリと道なりに右へ曲がって行くと、地面はやがて完全な平坦になった。 

 湯気だと思っていたのは、どうも山塊から湧き出す幻光虫だと途中から気がついた。

 そもそも幻光虫塊というものは高エネルギーの塊だから、氷や雪が幻光虫に付着して空中を舞ううちに熱せられて溶け出し水蒸気になるので、実質的に同じようなものだったが……。

 それにしても――。

 「なあ、キロス。ガガゼトの山頂付近に、こんな幻光虫泉の鉱脈が突き出している場所があるなんて、聞いたことがあるか!?」

 「いや、ないな。元よりここいらは観光地じゃない。霊峰(シークレット・マウンテン)ガガゼトだ。先ほどの戦闘で確実に山道を外れちゃったしな。ここは、周りに何があるかなんてさっぱり分からんさ。何があっても不思議じゃない。噂では北西壁面側の最北端、K-1峰に繋がる山塊斜面の稜線部分どこかにも、例の“イプセン回廊”があるって言うしな」

 「大法螺吹(おおぼらふ)きのイプセンかぁ?」

 「彼は確かに大法螺吹きだったが、大(うそ)付きではなかったな。奴はちゃんと回廊を見つけて、命からがら生き永らえて帰ってきたよ」

 「俺たちも一生に一度でいいから、あれくらいは有名な芸人になりてぇなぁ……この鉱泉も、さっきのワイバーン戦の衝撃で壁面が割れて露出したのかなぁ」

 「いや、さすがにそれはないだろう、ラグナ君。だが“竜脈”って言葉があるくらいだから、竜の巣と鉱脈には何かの繋がりがあるのかもな」

 「ああ、それで竜からドロップできるアイテムには稀少な鉱石が多いのか……確かに言われてみればそうかもな」

 「おいおい、ラグナ君、何を今さら。君はワイバーンとの宿命の対決を前世から延々と繰り返してきた竜記者だろう。しっかりしてくれ」

 「いやぁ、しかしワイバーンはね、キロス君。例えばバラム地区の森林に生息しているアルケオダイノスは典型的な“竜盤竜”型の骨盤システムを持った竜だが、ワイバーンは明らかな“鳥盤竜”型の骨盤システムを持った竜だ。一口に“竜”と言ってもネ、同じじゃないんだよな」

 「で、その鳥盤竜型の竜・ワイバーンを狩る専門の竜記者のラグナ君。ここにワイバーンが巣食っていたということは、ここには今まで彼の食べ腐した獲物の食べカスが、ゴロゴロしているってことだぞ。先ほどの戦闘でここの主は退治した。今がチャンスということかな」

 「おう! ご褒美(ほうび)ってヤツだ。それはジャンジャンOKだぜ。さては、何が出てくるか」

 そう、いきなり元気づいて、まるで子供みたいにはしゃぎながら道をさらに、さらに右手に回り込み……。

 ラグナたちは目撃してしまったのだ。

 その光景を――。

 ―― !!! 》

 …………。

 「なっ、なんだこりゃあ!!」

 思わず足が止まる。

 飛び退いて固まり、文字通りの意味で二の足を踏んだ。

 きっちりと同じ地面の上を二度、踏み締める。

 雪は完全に消えていたから足の跡は残らない。タンタンという足音が辺りの壁面に(こだま)した。

 その壁面に、項垂(うなだ)れた人間が埋まっている。

 五人や十人ではない。何百、何千という人が、まるで巨大なオブジェでもあるかのように壁面に静かに埋まっていた。

 膨大な量の幻光虫が、止め処なく辺り一帯の地面から湧き出してきて、クルクルと舞っている。

 どんなに激しく、どんなに膨大に舞っても幻光虫だから音は出ない。

 幻光虫はエネルギー塊だから、舞い散ってそこかしこに降り積もり、一帯の雪を溶かしていたが、雪が解けるのに、やっぱり音は立たない。

 とても静かな、異形(いぎょう)の光景だった。

 「こ、こりゃあ……。まさに“ファット、ファッター、ファッテスト”ってやつだぜ」

 …………。

 ラグナが、お得意の熟語を披露した。

 ――――。

 「……分からないよ、ラグナ君」

 「ああ、翻訳(ほんやく)するとだな。“なにーィ!!、なんダー!?、なんデスト??”ってことだ」

 ――――。

 「分かったけど、……分からないよ。ナンなんだね、これは」

 「オレにも分からんよ。だから“ファット、ファッター、……”」

 ――いや。もう、それはイイから。

 これは明らかに事件だった。

 何か、とんでもないことが起ころうとしている。

 ラグナの記者としての勘がそう言っていた。

 「ワイバーンってよぉ。こんな悪いこと、すんのか!?」

 「さあな。そういったことは“竜記者さん”に聞いてみると良いんじゃないかな、専門家だろう」

 「うううーーーんっ、……つぅ~。そういう、モンか?」

 「そういうモンだろう」

 キロスが冷静に答える。

 まあ、言われるまでもないことだ。

 ラグナの“竜記者”としての血が騒いだ。

 壁に埋まっている人たちは、まるでつい30分前にでも埋められたみたいな鮮度を保っていたが、当然これは幻光虫の為せる(ワザ)だ。

 恐る恐る、恐々(こわごわ)と埋まっている人の体に触ってみたが、温度は周りの岩石と同じだった。

 (おおよ)そ“体温”などという熱源の発熱は微塵(みじん)も感じられない。

 が、決して冷たくはなかった。

 どころか十分に温かい。

 しつこいようだが、これこそが幻光虫の為せる業だ。

 肉体を構成していた素成分は既に完全に変質しており、まるで最初から大理石で造られた人形みたいに硬かった。

 これではもはやナマモノではなく当然、いつまで経っても変質したり、腐敗したりする心配もなかった。

 1羽のワイバーンが何十年、何百年もの長い年月を掛けて、餌になる人間を捕まえては巣の中に運び込み、こうやってセッセと貯蔵していたのだ。

 ……ところで、ワイバーンって“羽”で数えるの?

 ――いや、そうだろう。レイジング鳩だって同じもんさ。》

 …………。

 もとい。壁面の餌の話だ。

 えー。それを改めて見て、ラグナの“竜記者”としての血がさらに(たぎ)った。

 「これだから竜退治は止められねぇんだ。おい、キロス。証拠を押さえるぞ。これをお前さんもスフィア・カメラに収めるんだ。それから……そうだ、あの山の頂も一緒に写るように撮れ! この場所が、後から特定できるようにな」

 「はいよ、ラグナ君。そいつは任せろ」

 二人は当たり一帯、動き回れる限りを調査してカメラに撮り捲った。

 しかしその後、壁面一杯に人が埋まっている以外には、特に変わったものは発見できなかったが……。

 もっとも、この壁一つでインパクトは十分だろう。

 これでスピラ世界が何の騒ぎも起こしてないってんだから、ことによるとワイバーンども、他でも似たような所業を繰り返しているのかもしれなかった。

 とにもかくにも、ここのワイバーンは先ほど目出度(めでた)く退治した…。これからは、ここでこれ以上の犠牲者が出ることもなくなった。

 「さぁ、キロス。行くぜ。あとは無事にこのガガゼトを越えて、ザナルカンドを目指すまでだ」

 「さて、大丈夫かね、ラグナ君。いつものことだが、また、かなり道に迷ってしまったようだが」

 「ああ、大丈夫さ。『全ての道は山頂に通ず』ってね。山の頂さえ見失わなければ、どの道を通ろうが、上ってさえいれば必ずガガゼト主峰の山頂に辿り着くのさ。さあ、行こうぜ!」 

 そう言うと、ラグナはまた雪の降り積もる雪道に変わった山道を上り始めた。

 ――が、しかし。

 迷いの森に彷徨(さまよ)い込んだラグナの一行は、まだ不可思議で妙竹林(みょうちくりん)なこのエリアを完全に脱したわけではないようだった。

 「おい!! ありゃあ!?」

 「うむ。遠目に見たところ――何かの寺院のようだが……。とにかく、ここは人跡未踏の壁面というわけではないようだ。助かったな、ラグナ君」

 「いや――。待て。これは……間違いねぇ。バハムート寺院だ。西方壁面の主要山道沿いにあるものとばかり思っていたが……。まさか、南西壁面のこんな所にあったとはな」

 「バハムートって、あのライカーツ一族が代々、伝えて来たっていう……」

 「ああ、そうだ。バハムートの召喚には、ある特殊な技能が必要なんだよ。奴らが言うところの“ライカーツ家に代々伝わりし芸術的召喚法”ってやつだ。お陰でザナルカンドで最大・最強のバハムートは代々ライカーツ家のみによって独占され、私物化されてるって悪評があるくらいだからな」

 「ふ~ん。ここは、その技能を取得するための修行をする寺院ってわけか」

 「取得する技能の質次第では、バハムートはザナルカンドの召喚獣にあっても唯一、『バハムート改』、『バハムート零式』へと進化するらしいゼ」

 「それって、召喚獣のレベルが1から99まで上がるのとは違う概念なのかい?」

 「ああ、明らかに違う。召喚獣が錬成して進歩して強くなるのではなく、全く別の召喚獣にステージがシフトする感じだ。因みに当代の召喚士ミクロン・ライカーツ将軍の召喚獣は、『バハムート改』のステージに居るらしいぞ」

 「そうなのかね、……ラグナ君。ま、何にしても人が居て通行できる道があるなら、迷子にならず良かったんじゃないか」

 「表向き、寺院とは言っても実質、完全に軍の施設だ。中には僧兵どころか、本物の兵隊さんが居る。事実上の基地だぜ。おい、キロス。1枚だけ写真を撮れ。で、急いでカメラをバッグの中に仕舞うんだ。隠すんじゃないぞ。普通に仕舞うんだ。手荷物検査をされたら、下手に隠したって意味はねぇ。ますます立場が悪くなる。俺たちは“流離(さすらい)のフリー記者”だからな」

 そう言ってラグナはスフィア・カメラを構えると、1枚だけ寺院全体が入るように写し、電源を【待機】モードにして無造作にバッグの中にカメラを放り込んだ。

 そのまま道なりに寺院の方へ上って行く。道が一本しかないのだから、当たり前のように道なりだ。分かっていながらこの辺、度胸があるというのか、勇気があるというのか――ま、そこいら辺がいつものラグナ君ではあったが。

 「キロス。ここから先、起こることは全て、目のレンズに写して脳のカメラに記録するんだ。抜かるんじゃねぇぞ」

 「分かったよ、ラグナ君。身の安全を確保する算段の方は任せた」

 キロスは半ば呆れたような顔をして、このクソ度胸のある相棒の顔を笑って見据え、黙ってついて行った。

 道なりの人生、道なりの運命、道なりの目的、道なりの使命……。それが言うところの“流離の騎士”――っとっとっと。“流離の記者”たる宿命(さだめ)でもあった。

 要するに行き当たりばったりなのだ。

 決して何の目的も目標も価値もなく、単に惰性で流されているだけの人生――というわけではないのだが。

 二人の“名もなき王の墓”――っとっとっと。“何もなき往路のバカ”が山道を上ってゆく。

 やがて目の前にバハムート寺院の壮大な容姿の全貌(ぜんぼう)が見えて来る。

 「へぇ~、これがあの噂の――」

 という顔をしてラグナとキロスが見ている。

 ――――。

 「そこの二人組み! 何をしているんです!! どうやって、こんなところに??」

 当然のように突然、後方から声が呼んだ。

 まあ、当然のように、この事のあるを予想していたラグナたちは特段に慌てた様子もなく振り向いた。

 ――ここまで来て、やっと見つけたか。軍事施設にしちゃあ、ずいぶんと遅せぇんじゃねぇか?》

 一応、僧兵の格好だけはした歩哨兵(ほしょうへい)が六四式の小銃を構えて怒鳴った。僧兵の身形(みなり)が……何と言うか微妙に板に付いておらず、わざとらしくて笑ってしまいそうになった。

 「何をって――道に迷ってしまいましてね。この寺院を偶然に見つけて大ラッキーと思ってたんです。何せ道が一本しかないから当然、それを辿って来たんだけど。……そのご様子からすると、この寺院は立ち入り禁止ですか。そんな札は立ってなかったはずだけどな……いえ、それは申し訳ないことをしました。ここに寄るのがそもそもの目的だったわけではありません。とにかくザナルカンドへ抜けたいんだけど、困っておりまして――。どうすれば宜しいかな? 教えて欲しいのですが」

 ラグナが平然と答えた。

 こちらも二人組みの兵士たちは余りの突発事件さにマニュアル通りでは対応し切れないのか、互いに顔を見合わせて右往左往の(てい)だった。

 あるいはこのお二人さん、配属替えで当地に送られて来たばかりの新兵さんなのかもしれなかった。

 一方、ラグナとキロスの側から見るなら、対象(ターゲット)が、あくまでもこの二人だけ――ということであるのなら、こんな村田銃に毛が生えたような小銃が2挺だけだ。一撃の間に瞬殺して口を封じるのは容易かった。

 マシンガン使いのラグナ君としては、何とも微妙なところであった。

 ま、さすがにそんな暴挙に出るほどには阿呆ではなかったがね、一応ラグナ君は……。

 「ザナルカンドに出るのなら、ここを通るより他はありません。ついて来なさい。保護いたします」

 「それは助かります。ザナルカンドの東A地区で待ち合わせの約束がありまして。……本当に困っていたところです。宜しくお願い致します」

 そう答えて、ラグナは相好を崩した。

 取り敢えずこの後、待ち合わせの予定があることを告げれば、向こうさんもそうそう簡単には暴挙には出れまい。

 二人組みの僧兵(・・)たちの後を殊勝(しゅしょう)に歩きながら、彼らは密かに「???」という顔をしていた。

 ――どうにも、おかしい。》

 っと、さすがのラグナもこの時点で気が付いた。

 黙って歩きながら、チラリとキロスの顔を見る。

 ――ウ~ン……。これって、もしや、(わな)――ってことが、……あるのかな?》

 ――やはり、お前ぇさんも、……そう思うか?》

 ――当たり前さ。一応、軍事基地なんだろう? 無用心にも、程がある。》

 ――誘ってるのかぁ~。なら、ちょっと鎌を掛けてみるか。》

 ラグナは僧兵たちの背後に一歩、詰め行って――さり気なく声を掛けた。

 「あ、そうだ。僧兵さん。そう言えば先ほどね、ちょっと山道で気になったことがあったんですが……」

 先を行く二人が驚いて歩を止め、同時に振り向いた。

 「どうしましたか?」

 「へえ。先ほど、この山道を下りて来た女性が巨大なワイバーンに襲われてましてね。我々が二人掛かりで何とか助けたんですが……。この付近には、あんな怪獣が闊歩(かっぽ)しているんですかねぇ。いやぁ~、エライ目に遭いましたわ」

 「なに、ワイバーンが?? 旅のお方、それは本当にワイバーンでしたか」

 「はあ。一応“流離の竜記者”やってますもので……。間違いはないと思うんですが――」

 「りゅ、“竜記者”――って。……たった二人で、ですか!? (にわ)かには信じ難いお話ですが……」

 「はい。まあ、取り敢えず“竜記者”やってますもんで。何と言うか、それなりに――」

 「う~ん……っ。困りましたね。この近辺でワイバーンですか……。そのようなことは初耳です。上官に何と報告したら良いか」

 ――おいおい、今日ビのお坊さんは“上官に報告”なんて言うのかよ。結構、簡単にボロが出てるよ~!》

 思わずラグナは笑ってしまった。

 ――いやいや、ラグナ君。何と言うか、他人(ひと)のことは結構お宅も言えんだろうと思うがね。》

 そう、キロスが心の中で、そこはかとなく突っ込みを入れる。

 しかし、この時の僧兵さんたちは案外、本気で困っていた。

 ――この結界を破っただけでなく、お次はワイバーンと来たか。この二人組み、いったい何者なんだ!?》

 そんな目で見ていた。

 それくらいに、あり得ないことだったのだ。

 ――いや、だから“竜記者”だって名乗っているじゃないか。さっきから(笑)。》

 だけど、そんな肩書なんて聞いたこともない。まさか、その通りを“上官”に説明するのは(はばか)られた。

 でもひょっとして、本当にワイバーンを撃退したのだとしたら――。

 只ならぬ実力者ということになる。

 そんな屈強な不審者を、ますます黙ってザナルカンドの道へと通すわけにはいかない。

 …………。

 (もっと)も彼らがワイバーンを倒せたのは、麓でユーノ青年にもらった《レイジング鳩》の力があったからである。あ、あと、この時点では助けたナゾのお姫様からも、不思議な黄色い三角定規をお礼にもらっていたので結構、本気で強かったのだがね。

 山の斜面の雪道を上り、バハムート寺院に無事、辿り着くとすぐ彼らは構内の建物の客間に通された。

 普通に考えれば、まんまと軟禁されたのかもしれなかったのだが、そんなところは彼らも“竜記者”だ。

 これくらいでビクビクして、いちいち目くじらなど立ててはいられない。

 いざというときには、なるようになるさ。

 そう二人は度胸を決めて、客間のソファにどっかりと腰を下ろした。

 「ふう~ぅ、助かるねぇ。体中が(かじか)んで動かなかったから、こりゃあ多少の監き……っとっとっと。えー、大概のことには目をつぶらなきゃあ、なぁ」

 「ここの寺院さん、どのくらいのことに気がついたかな」

 「いやぁ、たいていのことは気づいたろうよ。だから俺たち超大物の出現に、さぞや泡を喰って驚いてるんだろう。ハッハッハ」

 「しかし今の我々は完全に二人切りだぞ。連携も協力も何もナシの状態だ。いつもとは違う。こんなところで詰まっていてはこの先、何の活躍もできないぞ」

 「いや~ぁ、するね。スーパー活躍するね。俺たちの真の実力をザナルカンドの人間に見せつけてやるのさ」

 ラグナが立ち上がって腰に手をやり、ウンウンと胸を張った。

 ――っと。

 そのとき唐突に入り口のドアが開いて、出し抜けに――さっきの歩哨たちよりは明らかに偉い、といった感じのお坊さんが入ってきた。

 いや、ちょうどこのとき、腰に両手を当てたラグナの方がいくらもエラそうに見えたが……。

 実際のことを言うと、結構、本当にエラかったりもするところが、ラグナ君の侮り難いところでもあるのだがね。

 ――んっ? 見たところ、大尉か少佐くらいの階級の人だろうか。》

 っと素早く値踏みする。

 「どうもお待たせいたしました。この寺院の僧兵団の団長をしておりますビッグスと申します。対応した歩哨たちの話を聞いて正直、驚きました。何でも大変な目に遭われたそうで」

 「これは、どうも初めまして。当方、流離の竜記者をしておりますラグナ・レウァールと申します。こちらは助手のキロス」

 そう言って、右手を差し出した。

 「初めまして。キロス・シーガルです」

 「初めまして」

 三人は卒なく握手を交わした。

 「……して、ワイバーンの襲われたとか? とにかく、ご無事で何よりです。大変でしたでしょう」

 「ええ、まぁ……。大変ちゃあ、大変だったのかな。でも、諸国を遍歴してれば、あんなの――どうってことないと言えば、どうってことはないかも。よくあることでしょう。ハッハッハッハッハ」

 …………。

 ――いや、よくはないだろう。》

 ビッグスは瞬間、思った。

 「いやいや、ラグナ君。さすがに、そこまでよくはないんじゃないかな。結構、危なかった気もするぞ」

 気配を察したキロスが、素早く助け舟を出して、僧兵団長さんをフォローした。

 「そっかなぁ~。男気1ダウンってとこか。でも足は()らなかったし――あんなもんだろ。俺はあれでも、まだ余裕あったゾ」

 「あの――。旅のお方……。そのワイバーンに襲われたことについて、できれば詳しくお聞きしたいのですが、宜しいですか」

 「ああ、そのぉ~。襲われたって言うか、道行く女性に助けを求められましてね、成り行き上――」

 「そうだね。あれはどう見てもラグナ君の方から、求めてずんずんと突っ掛かって行ったクチだぞ」

 「うん、うん。――してみると、ワイバーンとしてもいい迷惑だったのかもな」

 ――いや、結界を破られて、この寺院の存在を君たちに知られてしまった我々の方が迷惑だろ。》

 「倒したあとで、それを言うかな、この人は」

 ――知ったあとで、それを言うか。この人たちは。》

 「にゃっはっはっはっはっは。俺と出会ってしまったのが運の尽きってヤツか。あのワイバーン、一生の不覚ってな」

 ――君たちが現れたときにたまたま兵団長だった私は、それこそ一生の不覚だよ……。》

 「今頃、異界で悔やんでも悔やみきれない地団太を踏んでいるかも知れないゼ、竜記者君」

 ――いや、この悔いは地団太どころでは済むまいよ、私には分かる……。》

 「はぁ…………。あの――――」

 この、ぱっと見た目、大尉か少佐さんといった僧兵団長さんのビッグスも、どうやら対応に持て余してきた様子で、対応に苦慮しはじめた。

 「申し訳ありません。あの――。何か、身分を証明するものをお持ちですか? できれば、通行許可証か何かを拝見したいのですが……」

 先ほど、ワイバーンに襲われて、逆に返り討ちにして倒した――などという奇想天外な話にすっかりペースを乱されてしまった僧兵団長・ビッグスは、とにかく日常の業務に戻ろうと、故意に最も手堅いマニュアル通りの対応に回帰した。

 「あ、悪りぃ、悪りぃ。済みませんね、そうでした。これで、宜しいですかな」

 ラグナが、左胸のポケットから何かカード様のものを取り出した。

 これでいっぺんに、爽やかな風がビッグスの方に向かって吹き始めた。

 ――いいぞ、いいぞ。この調子、この調子! 俺の人生も、まだ捨てたもんじゃないだろう。》

 意外とあっさり詫びを入れ、ラグナがそれとなくマニュアル通り想定内の受け応えをして通常のルーティンに戻ってくれたので、この僧兵長さんは思わずホッとした。

 こうなれば、あとはこちらのペースだ。

 だが、ラグナがそれとなく出した証明書を、ビッグス兵長がどうということなくチラリと眺めて……。

 彼の世界は、もろくも崩壊した。

 『エスタ国大統領兼ティンバーマニアックス社竜記者、ラグナ・レウァール』

 意識が空を飛ぶ。

 普通はぶっ飛ぶだろう。

 見たことも聞いたこともない国名だった。しかし取り敢えず、大統領というのがどんな人なのかは、さすがのビッグス氏にも理解はできた。

 …………。

 ……………………。

 ほ、本当なのか!?

 …………。

 ……………………。

 いや、それが本当に、本当なのですよ。

 …………。

 ……………………。

 「あ、済まん、済まん。悪かったですね、そうでした。これじゃあ、通じないんだ」

 微妙な空気の間を察して、ラグナは陽気な笑顔を見せ、バッグの中から通行許可証をよいこらせっと取り出してテーブルに投げた。

 『ベヴェル寺領国メタローク総司教、レミアム寺領国カーム宗主教の両名、ベルクメア協約に基づき、エスタ国大統領兼ティンバーマニアックス社竜記者ラグナ・レウァールとその副官キロス・シーゲルの優先通行を許可する』

 ――――。

 ――――――――。

 空気を読んでるようで案外、読めてないのがラグナ君の何より良いところだ。

 気を遣っているようで、全く気遣いの要を成していないのが、彼の捨て難い利点であった。

 付き合わされるキロス君は、もうすっかり慣れている。

 付き合わされるビッグスが、思わず「あ~ああ~」っと宙を飛んだ。

 こ、こここここ、これは、本当に……本物なのか???

 ――それが、本当に本物なんだよな。そこがラグナ君の掛け値なしに凄いところだよ。うんうん。

 ……ビッグスが目を剥いてさらにぶっ飛んだ。

 ――今月のお給料が……。》

 もしも彼ら客人の身に何かあれば、既に国際重大問題ですよ。

 この文書の意味するところは、つまり……。

 ――い、イヂメだぁ~!!》

 もはや南西方面軍のバハムート砦で守備任務に就いている、しがない一少佐ごときの手に負える案件ではない。

 ザナルカンド軍内の一少佐ごときに、ベヴェル、レミアムの二大寺領国を相手に世界戦争を決断する権限など、普通に考えれば与えられていないことの方が圧倒的に多いだろう……。

 一方の、一見しょぼい旅格好の二人組みはその実エスタ国大統領兼竜記者にして、ベヴェル・レミアムの両二大国を後ろ盾に持つ人物である。

 水戸黄門様よりも凄いのだ~ぁ!!!!

 普通、こんな重要な人物が二人でガガゼトの山中をふらふらほっつき歩いている姿など、そう滅多には見掛けないことが、多い、はず……。

 そう……なのか。

 「わ、わわ、私の用は、これで済んだから、――帰るぞ、と……」

 あ、あああ……。てく、てく、てく。

 ナニを――!

 逃がすか、この野郎。

 ラグナが俄然ゴジラのように放射能の火炎を吐いた。

 「ここにおわすを、どなたと心得る~! “予”は(おそ)れ多くも、エスタ国の大統領にしてティンバーマニアックス社の竜記者なるぞ~~~」

 カカン、カン、カン、カンカンカンカン……カ、カ、カ、カ、カカカカン、カカン!!

 彼は果敢にテーブルの上に燦然(さんぜん)と投げた証明書を前にして、ここぞとばかり立ち上がり、偉そうに胸を張った。

 一部始終を目撃した僧兵長ビッグスは、当然のように言葉を失う。

 あわ、わわわ、わわわわわわわ……。

 そこですかさずキロス副官が鋭い突込みを入れた。――いや、この場合は穏やかな助け舟を、と言うべきか。

 「いえいえ、ラグナ大統領閣下。ここで“予”はないでしょうよ、いくら何でも。――噂に聞く裕二とヘビ裕二の二人だって、“予”なんて台詞はさすがに言ったことがないって、顔を見合わせてたって言うじゃないですか」

 「そ、そっ、そんなことはないさ。かの神奈姫だって『Summer』篇で“予をバカにするでない!”って、おも~~っきり啖呵(たんか)を切ってたぞ」

 …………。

 「う~む、そうか。下手を打ったな。……じゃあ、“今日ビ”の竜記者は自分のことを“予”なんて言って取材するのか?」

 「そ、そっ、そんなことは――、……なくもないか。……だが、しかしだな、俺のもう一方の肩書は――」

 「う~む、そうかね。じゃあ、“今日ビ”のエスタ大統領様は所信表明演説で、自分のことを、やっぱり“予”なんて言うのかい?」

 「そ、そっ、そんなことは――、……絶対にねぇわな。にゃはははは。マジ、今のは、やっぱナシだわ」

 …………。

 「僧兵長さん。そんな訳なんで、申し訳ありませんねぇ。ここを通して、ザナルカンドに行かせて下さい。ご覧の通り怪しい者でも何でもありません」

 「いや、ラグナ君。そこは十分に怪しいだろう。普通に考えて――」

 …………。

 南西方面軍バハムート砦の守備隊長は、さすがにぶっ魂消て黙り込んだ。

 ……あとほんの半月で無事ここでの初任務を終え、内地のザナルカンドに帰還できるはずだった。

 それを――。

 俺と彼女との栄光の約束がぁ~!

 そんなことを考えている余裕もなかった。

 と言って、間違ってもこの二人を“怪しからん奴らだ”と高圧的に決め付けて即刻、牢屋にぶち込むわけにはいかないだろう。

 どんなに怪しくても、こんなものを堂々と見せられたからには、ここを通さざるを得ない。

 ビッグスにできることといえば、あとは限られた時間内に可能な限り情報を引き出すことだけだ。

 そこまで腹を括ってしまえるのなら、あとは簡単だ。

 自分の保身のことだけを考えて行動すればいい。ザナルカンドの国益など二の次だ。

 どんなに怪しくても、自分の裁量権を超えてまで善意の行使は行えぬ。

 ビッグスは徹頭徹尾、型通りの手順を踏み始めた。

 「済みません。証書の真偽の確認をさせて下さい。少し、お預かりしても宜しいですか」

 「ええ、もちろんです。どうぞ」

 ラグナは右の手の平を差し出した。

 隊長は了承を取るとテーブルの上から証書を掴み上げ、控えの間に下がった。

 早速、判別機に掛けて真贋(しんがん)のチェックを行う。

 この手の書類であれば判別は簡単だ。

 発行された日時、IDナンバー、押印類など、即座に全て本物と判明した。

 ベヴェル、レミアムの両大使館に問い合わせても、少なくともこの手の照合に関して特に怪しむべき箇所は見出せなかった。

 わざわざこんなものを用意しているのだから、早々に予測はついていたが……。

 ある意味、当然と言えば当然だった。

 これでこの証書の持つ権限は、自分の持つそれを遥かに凌駕(りょうが)することが確定したのだ。

 別の意味でホッとする。

 もしウソを吐くつもりなら、もっとマシなウソを吐いていただろう――ということだ。

 確かめるまでもなくコイツは本物だ。

 控えの間から再び現れた隊長は

 「有り難うございました。証書類が間違いなく本物であることを確認しました。お返しいたします」

 と言って丁寧に証書を差し出した。

 「時に――。これから、どういった目的でザナルカンドにご旅行ですか?」

 「ああ。今、国営局で募集されている新人芸人のオーディションを受けるためにやって来ました」

 「はっ!? 国営……局の、――ですか」

 ――いっ、一国の大統領サマが、かよ!?》

 「あ、あの……、アポイントメントは、取っていらっしゃるのでしょうか?」

 ――しかも、メタローク猊下(げいか)とカーム猊下の許可まで取り付けて……か!?》

 「はい。……まあ、当然でしょう。それも、お調べになれば、簡単に分かるはずですが」

 「あの――。その、それで、……エ、エスタ国の大統領閣下が、その――供も付けずに、副官の方とお二人で……徒歩でガガゼト越えを?」

 「ええ、実はそうなんですよ。徒歩でトホホ……です。で、挙句に道に迷ってしまい、トホーに暮れていると言いますか、トホーもなかったと少々後悔しております」

 「はぁ…………」

 「現在、我らがエスタ国では魔女戦争後の混乱で、大変な財政難に陥っておりまして――お恥ずかしながら、こんな旅行の予算も下りないのですよ」

 信じ難いが、本当のことだ。

 「それで、トホホ……なのですわ。トホホ。全くの徒歩空拳(・・・・)でね」

 「いや、それを言うなら“徒手空拳”だろう、ラグナ君」

 いつものように、キロスが素早く突っ込みを入れる。

 「それで先立つものもなく、切り詰められるものは切り詰めて、旅をしている――な次第でございますです、ハイ」

 ――ベヴェルとレミアムのお墨付き――でか!?》

 守備隊長はますます訝ったが、それでも国営局への問い合わせは容易く付いた。

 信じられないほどバカバカしいことだが当然、事実はその通りであり、本当にラグナ、キロスの両名でオーディションの予約が入っていた。

 隊長は即座に思考を切り替え、次の質問に移った。

 「了解しました。この件については、問題ないと判断します。では、もう一つ。あなた方が先ほど遭遇したというワイバーンの件についてですが……」

 ――いやいや、大問題だろう!!!

 「それはこちらで問題なく退治しました。我々はこんな格好はしてますが、一応“竜記者”ですから、それが本分です。ワイバーンたちはその習性上、同じ場所にそう2匹も3匹もは居ないでしょう。たまたま出会った1匹を退治してしまえば、以後この近辺には何の問題もないかと思いますが」

 「――分かりました。ところで、今後のご予定は? 宿泊とかのご都合はどうなっていらっしゃいますか?」

 「ハハハハ……ッ。何せ竜記者ですからね。その辺のことは何とでもなりますよ。いつものことです」

 ――それでは困るのだ。この人たちの消息は、一応は把握し続けていなくてはならない。》

 「では、取り敢えず我々の者が国営局までご案内をしましょう。――ルチル隊長を呼んでくれ!」

 バハムート砦のビッグス隊長は、控えの間に居る部下にそう声を発した。

 

    ◇

 

 何と言えば良いだろう。

 不意に一粒の水滴がポチャリと(ほお)を叩いて、シューインは無意識に右手で拭った。

 「痛テッ……」

 すると、即座に右腕全体に電撃が走り、それで(たま)らず彼は目を覚ましたのだ。

 …………。

 水辺の階段の水際に居た。

 背中にゴツゴツとした感覚があり、胸から先は例により、どっぷりと水に浸かっている。

 妙だが、何だか慣れっこになってしまった感覚だ。

 また――、この水辺に居るのか……。

 シューインはぼんやりと考えた。

 のみならず、すぐそばで、何だか人の気配がする。

 となれば、もちろんレンだろう。

 そのこともはっきり分かった。

 彼はだるい体を揺すって、声を掛けた。

 「レン、……済まない。――今度の僕は、……重たかったかい?」

 「そんなことはなかったわ。ちゃんとシューインの方から立ち上がってくれたし、足取りもしっかりしてたから」

 …………。

 「とっても楽だったわよ」

 ――――。

 「そうか……。あれから、――何分ぐらい経ってる?」

 あれから(・・・・)、というのは……。

 シューインはどこからのことを言っているのだろう。現在の彼が、どこまで意識が繋がっているのか――。

 正直、不安だった。

 「岩が落ちて、通路の先が無事に開通してから、5分と経ってはないはずよ」

 レンはシューインの体にピッタリと寄り添いながら、取り敢えず落ち着いて答えた。

 「そうか……。一発で……落ちてくれたんだ、ね。良かった……。――岩の外には、外側の世界は、ちゃんとあった?」

 「うん、あったよ。でも、それはシューインの目で確かめた方がいいと思う」

 ――大丈夫だ。彼の思考はしっかりしている。》

 それを確認して、レンは何よりホッとした。

 レン自身が水に浸り、シューインの体に自身の体をピッタリとくっつけていた。

 だから彼の体全体が今、冗談抜きで真っ赤に燃えていて、溶けかかってさえいるのが嫌でも分かった。

 精神はしっかりしているようでも、肉体にはかなりのダメージが来ているはずなのだ。

 懸命になって彼の体内で暴れ狂っている余計な幻光虫を吸い出す。

 はぁ~っと、シューインが大きく息をした。

 「行こう。レン。いよいよ――、この寺院から脱出だ」

 「もう、いいの? 大丈夫?」

 レンがびっくりして訊いた。

 「うん。ここでいつまでも、こうして居たって、これ以上良くはならないよ。時間がもったいない」

 「分かったわ。立てる?」

 「問題ない」

 バシャッと水音を立てる飛沫(しぶき)が散って、シューインに寄り添うようにレンも立ち上がった。

 一歩、一歩、二人は歩調を揃えて階段を上り、四度(よたび)大広間の空間に出た。

 向かって左端の壁沿いに視界を()めたところにポツンと扉が開いていた。

 ――開いてはいたが特段、そこから明かりが差し込んでいるわけではない、不思議な光景だった。

 またしてもシューインは初めて見る景色である。

 果たして――。

 勇躍、扉の前に立ち、シューインは思わず「えっ」と戸惑った。

 彼の眼前にザナルカンド旧市街の偉容が広がっていて、無数の幻光虫が乱舞している……。

 ――おかしい!》

 彼の足下に寺院の階段が延びていて、……それはいいのだが、階段を下りた先に大街道が横に走っていて、その真ん中に例の巨岩が落ちていた。

 ちょうど、岩が片道2車線の道路を真ん中を封鎖しているような形だ。

 ――何でだ!?》

 ただひたすらに幻光虫がそこかしこ乱舞していて、替わりに階段も、街道も、ちっとも水になど濡れてはいなかった。

 どころか、水はどこにある?

 街並みの様子も幻光虫で先は霞んでいたが、そこまでは問題なく、くっきりと見えた。

 ザナルカンドの旧市街がもしあったとするなら当然、それは水の底に、……都市自体はきれいに水没していなければならない、のではなかったか。

 「なぜだ……」

 思わずシューインの口から得心の行かない声が漏れた。

 「それは、分からないわ。私もびっくりよ」

 壁の外側に出られたら、次はてっきり泳がなければならなくなるものと思い込んでいたレンも、いささか状況が違って拍子抜けしていた。

 ――――。

 「とにかく、自由に歩いて移動できるんだから、取り敢えずここはラッキーだったと思っておこう。次に考えるのは、そこではなくて……」

 「都市自体は見慣れた、いかにもザナルカンドって感じの街並みね。何か道標とか地図とかあればいいんだけど」

 「少し、歩いてみようか」

 扉に間抜けた感じでぶら下がっていた、もう用無しになった便利棒をサクッと抜き取ると、左手で杖代わりに持ち替えて、シューインがレンの肩を促した。

 二人で一歩、一歩、石段を降りて行く。

 その純白の石段自体は大きく右にカーブしていて、何かの施設に繋がっていた。

 何言うでなく、降りながらシューインが目を走らす。

 その動作に、ピッタリと横に付いていて気付いたレンが答えた。

 「明らかに軍事施設って感じの建物ね。この寺院を守備する役目があったんだと思う。――寺院の広間のギミックが生きていた以上、不用意には近づかない方が賢明ね」

 「同感だ。そんな過程で死んだんじゃ、笑い話にもならないし」

 何気なくシューインが相槌を打つ。

 その時はそれ以上、気にもしなかった。

 寺院の階段を下り切って、とにもかくにも彼らは街道に降り立った。

 さあ、次の問題だ。

 つまり、言うまでもなく“南”はどっちなのか。何かヒントになるきっかけを探さなくてはならない。

 ベランダか、バルコニーを備えた家屋を捜した。――南はどっちか。

 あるいは台所か勝手口か、普通に考えて北側である可能性の高い構造をした建屋が、できれば複数――ないだろうか。

 道標や掲示板、案内地図の類をアテにするのは無駄だと、二人は歩いていて、すぐに観念せざるを得なかった。

 千年に及ぶ幻光虫の乱舞は、紙、樹脂、ペンキ、塗料、この都市から普通に見つけられる、あらゆる文字記録をも消し去っていた。

 二人並んで少し歩いてみた感じで言うと、この街並みはかなりの辺境部分で、何の特徴もない場末の田舎町といった姿そのものだ。

 そんな場所にあり勝ちな小さな公園を幾つも見つけた。

 が、――何か方角を特定するようなものは……。

 公園から見つけ出すのは難しいか。

 二人は黙って歩いた。

 通りに並んでいる家屋の、特に2階部分、屋根を注意して見ていく。

 何か屋根に、太陽光を利用したソーラー・システムのようなものが設置されてはいないだろうか。

 南向きのベランダか、バルコニーのようなものは……。

 ――しかし、皮肉なことに、地面から湧き上がる芳醇(ほうじゅん)な幻光虫エネルギーを利用することに慣れた都市区画整備のシステムが全てを台無しにしていた。

 「文明が進歩するってのもある意味、考え物だね」

 シューインが溜め息混じりにボソリと(こぼ)した。

 「……うん。――試しに入ってみましょうか」

 とレンが提案する。

 シューインも顔を上げて、つと立ち止まり、改めて通りに並んだ家屋を見る。

 表から見た感じで、倒壊、崩落、陥没の危険がなさそうな丈夫な建物を選び出す。

 「じゃあ、あそこにしよう。何かヒントになるものがあるかも知れない」

 恐る恐る、千年前に生きていた余所様(よそさま)のお宅に勝手に上がり込む。

 「どうも~。お邪魔しますぅ……」

 こういう時はヘンな感じだが、何かとバツが悪いものだ。

 もう、とっくに住んでいた人が居なくなって久しいと分かってはいても。

 加えて、予期してない家屋の倒壊等の事故はいつでも起こり得る。

 厄介なことに全くその逆に事態――防犯システム等が生きている可能性もなくはない。

 二人は緊張して周囲を見回しながら、家の中を片っ端からゴソゴソし始めた。

 ――何か、金目の物は……。いやいや、そうじゃない。方角のヒントになるものは……。》

 …………。

 「はははは。ねぇ、レン。今の僕たち、ドロボーさんに見えるかな。多分、ここの住人よりは資産がある自信があるんだけど……。まあ、君には敵わないケドね」

 「うん、私も普通の国の5年分の国家予算くらいならあるかなぁ~。ドロボーさんみたいな真似してるけど」

 「じゃあ、ここの防犯システムはやっぱり僕らを許してくれない、よね」

 「多分、100%ダメね。この事態を見逃すようじゃ全然、防犯してないでしょ。――“ブザーが鳴る”くらいで済めば笑い話だけど」

 「1000年前の都市に向かって、シティの新人王シューインと、絶世の歌姫『ザナルカンドのレン』ですって言っても通用しない?」

 「ああ、ちょうど……3年前の彼女が、3年前の時空のまま彼に会いに行って、“何だ? この女”って思われて散々な目に遭う映画ね、流行ってるらしいわよ」

 「じゃあ、1000年前の防犯システムに『ザナルカンドのレンと分かって、なぜ銃を向ける!』って言っても、どだい無理か……」

 「いえ。もう、それはイイから――」

 そう減らず口を叩いて二人は笑った。

 結論から言うと、幻光虫は家の中まで容赦なく侵食し尽くしており、どこの端末を叩いても防犯システムはもちろん、全てのデータ、メモリが消失しており、電子機器の類は当の昔に、生きてなどいなかった。

 加えて、紙類、衣類も全て溶かされており、この二つが無くなるだけで、家の中ってこんなに殺風景になるものだと思い知らされた。

 どんな時代でも、紙、布、電子機器――この3つが無くなるだけで、情報伝達、記録の全てが、ここまで消去されてしまうものなのだ。

 これではさすがに何も分からない。何のヒントにもならない。二人は何も盗るものもなく、すごすごと引き揚げるドロボーさんと化した。

 「やはり一般の民家と国家レベルの寺院、軍事基地の設備が同じってわけじゃないんだ。――となると……」

 「正直、あまり気乗りはしないんだけど……この際、仕方がないかしらね」

 「あそこが、この付近では一番の高台のようだし、やっぱり見晴らしの利く場所で一度、自分たちの位置や周囲の様子を確かめた方がイイよ」

 他に策はなかった。

 二人は、通りの真ん中に大きな岩の転がっている階段の真下に戻った。

 そこは改めて外から見上げると一団、白亜に輝く施設だった。

 白いアーチ状の階段、その先にある白塗りの寺院、その横にある軍事施設も、その機能に似合わず白一色の建物だった。

 ――案外、軍事の施設ではないのかも知れない。》

 レンは勝手な先入観を持たない方が良いかも……と、ふと自戒した。

 あえて、コロシアムかスタジアムの観客席のようなと言っても良いアーチ状の石段を上り、二人は向かって左側の建物に入った。

 こちらは簡単に入り口のドアが開き、二人は招かれるように簡単に基地施設に入り込んだ。

 前に立っただけで、入り口のドアが勝手に開いたのだから、この施設の内部のギミックはやはり生きているということだ。

 レンもシューインも、(いや)が上にも緊張感に気を引き締めた。

 ――が、中に入って一瞥(いちべつ)するなり少々、拍子抜けした構造なのが分かった。

 この施設は明らかに――兵士が休息、見張りをするためのものであり、どう見ても、それ以上の代物(しろもの)ではなかった。

 最上階全体が都市を360度近くまで見渡せる展望台になっており、下の階は兵士たちの生活空間になっていた。

 それだけなので、これは寧ろ兵士と言うより、僧侶たち、あるいは僧兵たちか、寺院に直接に繋がっている人たちの生活スペースを窺わせた。

 少なくとも、軍団の中央司令室のような設備になってないのが、この場合は彼らにとって幸いした。

 しかし逆に、それでは電子機器類がトップレベルの防護態勢にはなっていないことを予想させるのだ。

 案の定、建物全体でも数えるほどしかない電子端末は既に全てが死んでいた。

 寺院の設備が生きていたから、てっきり隣接して建ってる軍事基地は当然のごとくバリバリに稼働しているものと、勝手に思い込んでいた。

 ここは事実上、民家と同じ――いや、この寺院で活動していた僧たちにとっては住居そのものなのだ。

 当然、紙も一枚残らず溶け尽くして消えていた。

 ――まさか、この当時のザナルカンドには最初から紙が無かった……なんてことは、ないよな。いくら何でも。》

 と、シューインは考えた。

 「こうなると、せめてもの頼りは、最上階の展望室だけね」

 レンが呟いた。

 「……うん。戻ってみよう」

 シューインが右肩を揺らして促した。

 二人は揃って階段を――だから、エレベーターでも、エスカレーターでもなく、本当に階段だ――上って5階の展望室に出た。

 「ふうぅ、無駄に体力を使わせるよな~ぁ。さすがはお坊さんの施設だ」

 「あるいは軍事施設ではないのかも……。これだと、本当の有事には支えちゃうよね」

 ほぼ360度窓だらけのガランとした室内を見回しながら、レンが感想を述べた。

 無駄に広いだけで、本当に何も無い部屋だ。

 ここは本来かなり良い視界が取れる場所だったはずだが、ここまでの(おびただ)しい幻光虫の乱舞がそれを台無しにしていた。

 だから現時点では、思ったほど遠くまでは見通せない。

 この幻光虫さえなければ、ひょっとすると都市全体が見通せたのではないだろうか。

 それが返す返すも残念だった。

 ただ画面の一団に、都心部の高層ビル群を辛うじて見ることができた。

 間違い無い。あそこがこの旧市街の都心部だ。

 このガラン堂の部屋に唯一、幾つも並べて備え付けられているもの――双眼鏡を手に取って覗こうとして、思わずシューインが舌打ちした。

 全く動かない……。

 これらの双眼鏡はご丁寧にも、全てが頑強に固定されていた。

 あの都心部の様子を覗きたいのに、これだけの数の双眼鏡がほぼ1箇所に集められていて、……どれ一つとして都心部を映せるものはなかった。

 「少なくとも観光客相手の展望台でないのは確かだね。コインを入れる箱だってないし、これだけ唯っ広い室内で、これだけの数の双眼鏡をわざわざ1箇所に集めていて、その全部が完全に眺望を固定されている。で、……全部が都心部の方を向いているようで、肝腎の中心街は外されているようだ」

 「当然、意味があってのことなんでしょうね。少なくとも都心部を見たいわけではないよう。……むしろ、あのビル群の高さが邪魔なんじゃないかな。すると、本当に見たいのはその向こう。何があったんだと思う? ビル群の右側に別々の方向に2本。ビルの左側に(まと)まった方角に6本」

 「って言うか、そもそもこんな、(ほとん)ど同じ方角に6本も向けてる必要があんのかな、って気がしない。意味ないよ。窓は360度、どの方角だって見れるんだから当然、全ての方角をカバーしてなきゃ見張り所の意味さえないでしょ」

 …………。

 「それは一概に、どうかな……って思うよ。いくら旧市街と言えど、そこはザナルカンドでしょ。ザナルカンドで見張らないといけない方角は限られているはず……あ、ああ~っ!!」

 レンが話の途中で突然に悲鳴を上げた。

 ので、シューインは思わずビクッと伸び上がった。

 「どうしたんだい! レン」

 「シューイン……。答えが出たよ。南がどちらか、確実に分かった――」

 …………。

 「ここは、ザナルカンドの中心街を隠れ(みの)にして、ガガゼト山脈中の全通過点を1箇所で、同時に監視するための見張り所だわ!」

 「何だって!?」

 「ほら。左側の6本ね、――いずれも南西壁面の突破点よ。確実にそこを向いて固定されてるわ。で、右側の2本、……左の方は確かに正面登山道を向いているの」

 「右の2本って。……それじゃあ2本のうち、一番右の双眼鏡は何だい? いったい、どこを見てるって言うんだ!」

 シューインが、理屈に合わない――とでも言うように叫んだ。

 ザナルカンド人としては、当然の指摘だ。

 もし、レンの言う通りだとしたら、当然そこはガガゼトの最北西端、海に向かって尽きる辺りに向けられていることになる。

 まるで見当違いの明後日の方角だ。そんな場所に突破点がないのは明白だし、そのような所に監視の双眼鏡が向けられている理由の説明がつかない。

 だからこの1本の説明が決定的につかない以上、つまりレンの憶測には無理があり、あとの7本は単なる偶然の一致、たまたまそのように見えるだけ――ということにはならないか……。

 ――――。

 しかしレンは、“びた1ミリディス”も(ひる)まずに厳然と言った。

 「だからよ。それだから、確信したの。この一番右の1本があったからこそ、寧ろわたしに“これは偶然じゃない! 絶対に間違いない”って確信させてくれたのよ」

 シューインは、レンが何を言い出すのか、と思った。それこそ幻光虫にやられて、気でも触れたか? と疑った。

 そんな彼の反応にピッタリ寄り添っていたレンも気がついて、何も言ってないのに言い返した。

 「そうね。わたしも気がついた時、一瞬、頭がおかしくなったのかも、って思ったわ」

 …………。

 「初めてよ。こんな厳然とした証拠を、実際に目にするなんてね」

 「どういうことだ?」

 「ちゃんと聞いてね。笑わないで――。この最後の双眼鏡、“イプセン回廊”を見張ってるの。K-1峰の稜線上に必ずあるとイプセンによってのみ伝えられている、最後の突破点よ」

 「あの、大ボラ吹きの冒険家イプセンが、か……。おい、本気かい?」

 「うん。だからこそ逆に、確信ができたのよ。この双眼鏡の固定位置が偶然の産物では、決してないこと」

 レンが確信に満ちて言った。

 その声には、逆らい難い威厳があった。

 「なら、右の2本目が中央登山道を向いているなら、真っ直ぐにそちらに向かえば、自動的に現在のザナルカンド市街の真下に出る計算だけど……」

 「事実上、あの旧市街の都心部を目指せばいいってことよね」

 「分かりやすくて便利なのは、確かにこの際、願ったり適ったりだ。じゃあ、それを信じて乗ってみよう」

 シューインがレンのこの一見、信じがたい説明をあっさりと受け入れてくれたので、レンはホッとした。

 決まってしまえば、あとはその線に沿って急ぐだけだ。

 本当に――、もし違っていたら大変なことになる決断だった。

 彼らは4階分の階段を下り、アーチ状の石段を下りて、再び隣接する表通りの上に下り立った。

 巨岩が相変わらず、通りの真ん中に転がったままあった。

 ――まあ、当たり前のことだけど……。》

 シューインはちょっと思ったが、別に何言うでなく、その脇を擦り抜けた。

 確かに中心街の高層ビル群は地べたに下りても簡単に窺い知ることができ、目指す先としては確かに好都合だった。

 とにかく時間がない。

 目標が定まった以上、することは一つだ。

 二人は仲良く肩を組んで、中心街の方を目指して歩き始めた。

 高速道路下の幹線道路と思しき街道を真っ直ぐに進むだけなので、道に迷う心配はなかった。

 街道沿いであっても、至る所で幻光虫が舞っている。

 生暖かい陽炎の揺らめきがシューインの目の前で容赦なく煌いた。

 歯を食いしばって気だるい陽気に耐える……。

 レンが心配そうに彼の顔を覗き込む。

 だが、ぴったりと寄り添う以外には彼女にできることはなかった。

 「大丈夫だよ。……あそこまで歩くだけなら、何とでもなるさ」

 そう言って、前方を仰ぎ見た。

 歩き始めて3時間と経ってないはずだが、中心街のビル群はかなりはっきりと大きく見えるようになってきた。

 このペースなら、あと1~2時間くらいで辿(たど)り着けそうな感じだった。

 中心街への道は、ずっと真っ直ぐに続いている。

 確かにそれなら何とかなるだろう。

 そう心配する必要はなさそうだった。

 都心部が近づいてくるうちに、周辺の景色が変わってきた。

 所どころに明らかに文字をデザイン化したと思われるオブジェや標識、看板が現れ始めた。

 相変わらず塗料で書かれた標識・看板類は、ここでも単なる白壁と化していたが、彫られたり盛られたり、最初から造形されて製作されたものは、当時のまま所定の意味を留めていた。

 それらの数少ない文字情報を、否応なく二人の目が、通り過ぎながら凝視する……。

 しばらくその単調な動作を繰り返した後、溜め息混じりにシューインが零した。

 「何ですかねぇ。分かりませんね~。……レン? 君はどうだい」

 右隣に居る女性に尋ねる。

 彼女はアイドル歌手であると同時に外交特使でもある。

 違う国の言葉に対しての造詣(ぞうけい)も深い。

 さすがにシューインもそのことを知っていた。

 何かちょっとだけ、せめて1語でも類推が付けば、位置を特定する情報に繋がるかも知れない。

 …………。

 だが彼女も唇を噛んで首を振り、お手上げのポーズをした。

 分からないのだ、本当に。

 これらの文様は本当に、唯の模様でしかなかった。

 レンの知る、現実に存在するどこの国、どこの民族の言葉とも、何らの共通性も見られない。

 彼女は必死になって彼女の知る限りの言葉を思い起こして、それらと対比、類推を試みた。

 ――――。

 直感で、それらの言葉とは根源から異なる言語なのだと――根本からの敗北を認めざるを得なかった。

 「どうだい? 何か分かるかい!?」

 …………。

 「――ごめんなさい。何も分からないの。大掛かりなデータを取って、スーパー・コンピューターで総当り法的に解析してゆけば、あるいはどこかの言語学者が解読法を思い付くかもね……みたいな感じの文字よ」

 「……何だい、そりゃあ。レンさんでも駄目なのか。――って、これ。本当に文字なのかな。そこからして、既に怪しい?」

 「それは間違いないと思う。デザイン化された文字は本質をややこしくする一方で、そのデザイン化の過程自体にヒントが内蔵されているから、同じ文字の別のデザインが同定されれば、それだけで解読は大きく進むでしょうね。……今の私たちには何の関係もないことだけど」

 「ザナルカンド語とか、共通語以外でも、他の国の言葉と比べても何の接点もないのかい?」

 「うん。……残念だけど、ないよ。――滅びるって、つまり、こういうこと、なんだね。……現在のザナルカンド語は、この初代ザナルカンドの言葉を全く受け継いでない。時間と共に変化したので今ではすっかり分からなくなってしまった――のじゃなくて、今のザナルカンド語は出発の時点から、この初代ザナルカンドの言葉とは根源的な接点がない完全に別の言葉だということ。要するに……。私たちが、初代ザナルカンド人の末裔ではあり得ないという決定的な証拠が出たわね――ショックだわ」

 レンはそう、凄まじい台詞を、寧ろ淡々と口にした。

 シューインはびっくりして言葉を返した。

 「おい、おい、レン! それは大事なことかも知れないけど、今の僕たちの立場には似合わないよ。取り敢えずは、関係のない話だ」

 「関係ないこと……、うん。あるいは、そうかもね」

 「もちろん、そうさ。今、僕たちに必要な情報は、初代ザナルカンドの言葉は全く役に立たない、別の方法を探さなくてはならない――という事実がはっきりしたことさ。それが分かっただけでも、これからは無駄な情報源に惑わされず、無駄にそわそわせずに済むじゃないか。アテにできないと分かっている情報に、無駄に期待させられて踊らされる悲劇を思えば、これは明らかにプラスだよ!」

 「ふふふっ、それは確かにそうね。――それと、もう一つあるわ。……私たちは、決して知ってはならない秘密を知ってしまったの。知っちゃいけなかったのよ。だから――。だからね。もし、最悪、このまま二人の命が尽き果てたとしても、それは決して意味のないことではないわ!」

 「――レン!!」

 シューインが左手でスパッと手刀を横に薙いだ。……っとっとっと! 左手に持っていたのは始まりの寺院の入り口で拾った、杖代わり“便利棒”だったが。

 「やめようよ、君らしくもない。その考え方は、無駄にポジティブにマイナス思考だ。自分で自分の口封じをしてどうする! それって誰の影響かな? 僕たちは、決定的な真実を知ってしまった以上、ますますここで死ぬわけにはいかなくなったんじゃないかい? これで僕たち二人の命は、二人だけのものじゃなくなったんだ」

 「……そうね。ごめんなさい、その通りだわ。弱気になって、つい、言わずもがななことを――」

 レンが即座に謝罪した。

 二人は意識が負けないよう負けないように気をつけて、それからは少し歩速も速くなったような気がした。

 ひたすらに真っ直ぐな道を辿り、あれだけ遠くにあったビル群もやがて間近に見渡せるようになり、幾許(いくばく)もなくして彼らは都心部の構造の只中(ただなか)へと入った。

 だがその後、特にこれという情報を得ることもなかった。

 一応、都心部には入ったんだけど……これからどうすればいいんだ?

 新たなヒントは何もなかった。

 ――では、どうするか。》

 二人は途方に暮れて、はたと周囲、特に天井を見渡した。

 しかし、当初の予測にあったことだが、旧市街の高層ビルの先が天井の岩盤を突き抜けて北東海に露出している可能性を想定させるような場所は皆無だった。

 当たり前だ。

 この上は、恐らく確実に現在のザナルカンド・エリアにかなり近い沿岸水域と推測された。

 そんなところに旧市街の遺構物が突き出していたら、それこそ大事件だろう。

 そんな失望感を転換させるように、レンが次の言葉を発した。

 「恐らくこの上部は、ザナルカンド北東海岸に限りなく近いところだよね」

 「ああ。とうとう来たね。……僕たちはクレーター海礁域に居て、真下に落ちたんだから、1時間や2時間で歩き切るのは無理な距離だ。4時間か5時間か……そのくらいだと思う。逆に13時間も15時間も歩いて、まだ辿り着かないというのはおかしい。それが一つの目安だ」

 「それなら、あと少し歩いていれば問題なく辿り着ける?」

 「時間的にはそんな感じだと思うよ。ただ……」

 …………。

 「繋がってるかどうか?」

 「うん。ここの旧市街の構造物を上って脱出……というのは無理みたいだからね。――レンさんは立場上、政府関係の人とも会うことも多いでしょ。何か聞いてることはないかい? アンダー・ザナルカンドのこと」

 シューインが念を押すように訊いた。

 「ええ。こんな旧市街のことは、もちろん何も……。でも“アンダー”については、それほど聞いているわけじゃないから――」

 半分は本当で、半分は嘘だった。もしこんな場所が発見されていれば建設省都市開発部に居るレンの耳に入って来ないはずはなかった。

 でも『アンダー・ザナルカンド』は隅から隅まで調査され尽くしたわけではないから――。

 実はどこか未調査の部分で繋がっていて、このまま歩いて行きさえすれば、思わぬ場所に接続していても何の不思議もなかった。

 寧ろこれだけ大きな空洞部がザナルカンドの真下に向かって延び、拡がっているのなら、どこかで繋がっていると考えた方がよっぽど普通だろう。

 とにかく“アンダー”については、まだよく分かっていないことの方が多い。

 ただし空間が連続して続いているのなら、『アンダー地区』に近付くに従って幻光虫濃度が目に見えて低下してくるはずだった。

 それがレンの頭の隅を、嫌な感じに引っ掻いていた。

 シューインさんにとっては本来、何よりの朗報であるはずのもの――。

 この絶望的状況の只中に居て、彼と一緒なら必ず何とかなるに違いない。

 レンはひたすらに、そう確信を抱き続けていた。あとから振り返っても説明ができないくらい強い気持ちを持ち続けることができた。そう。時に「信じる」ことも必要だ。

 それが全てを動かし、不可能を可能に向けて歩ませて行く。

 きっと、きっと、あと2時間も歩いていれば、わたしたちは助かるんだから――くらいにね。

 しかし当然、現実は甘くない。

 ――甘くないんだよ!

 旧市街の都市部を抜けようとして、それはすぐにやって来た。

 嫌な思いだけが的中する。

 旧市街の都市部を通過することなど、結果的にはできなかったのだ。

 あれだけ広かった空洞内部も段々と圧迫感を感じるようになり、いや決して気のせいばかりではない、歩けば歩くほど急速に、目に見えて天井が低くなって来た。

 つまり――。

 行き止まりだ。

 ついに――来るべきものが来た。

 シューインの目論見通りきっちり5時間くらいは歩いただろうと思ったとき、彼ら二人の行く手を空洞の端の壁が塞ぎ、それは無情にも地面の中へと続いて終わっていた。

 

 

     ◇

 

 ――ベヴェル宮。

 その()り出した高台のすぐそばの殺風景な土地――海に面したなだらかな高台を利用して、比較的質素な庭園が造営されていた。

 高台の一隅に小さな四阿(あずまや)が建っている。

 その建屋から3~4ディスツ先は真っ逆さま崖下である。

 この場所は、何もメタローク猊下個人の所有地、所有物という訳ではないのだが、この庭園に立ち入るには猊下個人の許可が必要なので実質、猊下の私物みたいなものだった。

 広くて見晴らしが利くのだけが取り柄のような、案外と粗末で維持費の掛からない庭である。

 人払いをさせるには絶好の場所であった。

 あの“白の塔”の最上階にある猊下の執務室で話をするよりは、ずっと空気が爽やかだ。

 潮風を含んだ柔らかな風が、顔の火照(ほて)りを薙いでいた。

 お陰で緊張感からも随分と解放される。

 ガラムサイズ外庫裡(げくり)お庭番頭は吹き(さら)しのテーブルの対面に腰掛けている人物を見据えて、(おもむろ)に声を発した。

 「改めて、お久しゅうご座りまする。メタローク宗主教猊下。恙無(つつがな)くもご壮健で何よりです」

 対面に座したメタローク猊下も至ってのんびりとしたもので、しばらくの間を置いた後、やはり感慨深げに考えてから答えた。

 「ガラムサイズ卿もな。こうして互いに同志の無事息災を確認し合えるのは、本当に何よりの僥倖(ぎょうこう)だ」

 ――――。

 …………。

 またしばらくの間を置いてガラムサイズが口を開いた。

 「猊下、今度(こたび)の騒動、本国でも大変な事態になっておりますぞ」

 メタロークが皮肉な笑みを口の()(たた)えて答えた。

 「ふん。レミアムがか? その騒動の実態、本質について詳しく聞きたいものだな」

 「相当にマズいことになっております。ラバナスタ猊下をはじめ、……ベヴェルと事を構える準備を、本気で始めておりますぞ。大丈夫ですか?」

 「兵部卿のラバナスタ、か……。レミアムと事を構える気など、最初からワシにはないよ。引かねばならぬところはきちんと引く――基本レミアムの代わりにベヴェルが“火中の栗”を拾ってやるのだ。その大原則がある限り、表向きに作らねばならぬポーズや、そこから派生・付帯する諸々(もろもろ)の利害の駆け引きでは最大限やらせてもらうさ。……私もこう見えても一応ベヴェルの長でな。そういうところはチャッカリしてなければ生きては行けんよ。はは、だが親心を知らねば生きてる資格がない――ということだな。一つ、気になっていることがあるのだが……」

 本当の腹の内までは忖度(そんたく)し難い猊下のことだ。私に、どれほどのことまで話して下さるのか。それがどれほど“本当”であるのか。どれほど“重要”か――。ガラムサイズは考えた。

 いくら考えても仕方のないことであるかも知れぬが……。私の“努力”の終着点の奈辺にあるやを知っておかねば、行動の判定にも支障を(きた)す。

 「偏に卿の力を借りねばならぬのだ。全く同志に面倒を掛けて済まぬな。今しばらくレミアム宮廷内にあって尽力してもらいたい」

 ガラムサイズは答える前に最大の疑問を、いきなり投げ掛けてみた。

 相当の爆弾発言だ。発言には相応の勇気が必要だった。

 「アレクサンダーにちょっかいを出すように仕向けたのは猊下ではないのですか?」

 ………‥。

 ……………………。

 思った通りの空白があった。

 さて、本当のところ、私は猊下からどのように思われているのか。果たして、それは、私の、たった一度の命を全て懸けるほどに“価値”があるものなのか。

 …………。

 ……………………。

 徐に――と言うほどに心のゆとりはなかったと思うのだが、しかし果たして度量の如何を問われたメタローク猊下はテーブルに置かれたコーヒーカップを手に取って口に(すす)った後、テーブルに戻し、特に動揺した様子も見せず本当に徐に答えた。

 「ああ。もちろんワシではない。これだけははっきりと言っておく。ワシ自身も虚を突かれておってな。やられたよ。正直、参っておる。全くの別線で誰かが糸を引いておるようなのだ。誰がこんな馬鹿なことをしでかしたのか……。レミアムからの筋を探れぬかな? ちょうどワシも、それを卿に頼もうと思っていたところじゃ」

 「レミアム側の人間が――で、ありますか。……(にわ)かには信じられないお話ですが」

 「当然、ワシが黒幕、諸悪の根源――のように騒がれておるのであろう。それが両寺領国開戦などという面白くない機運の情勢を生み出しておってな。我が国の損失も馬鹿にならぬゆえ、最小限の被害で難を逃れたい。誰が騒いでおるのか。騒ぎたい人間が誰で、騒ぐとどういう利益があるのか、どこにどう繋がっておるのか、をな」

 「猊下。恐れながら出所はレミアムの人間でありましょうか。今、(わたくし)抽斗(ひきだし)を振り返って考えておりますが、申し訳ありませぬ。これといって、即座に思い当たるような筋はご座いません。レミアムに帰国後、直ちにその線に沿って洗い直してみようと思いますが」

 「いや、迂闊(うかつ)には動くな。気を付けてくれ。そちに万一のことがあっては何より大変だ。そもそも、利害で言うなら当然このベヴェル国内の人間であることが一番に疑われるのだ。但し“利害関係”で言うならそうであっても、こちら側の人間では“アレクサンダー”になど、とても思い至らぬ。アレクサンダーのことは何も知らないからな。知りようもないことを繋げようがない。人間、何の利益もないことは決してせぬ。“利益の価値”を知る者――の線から当たるなら、単に消去法でレミアムの線に行き着くというだけなのだ。それ以外に根拠はない。当然、卿の網にも掛からぬ道理だ。……しかし一つだけ、とんでもない考え違いをしておるな」

 「はっ!? 考え違い、――と仰られますと……」

 「ああ、済まぬ、済まぬ。卿に言ったのではない。今回の件で、ザナルカンドの連中を()き付けた奴らのことだ」

 ――――。

 「あの…………」

 「今回の件を仕掛けた奴ら、アレクサンダーについてはよく知っておったが、“レン”については知らなさ過ぎたようだな」

 …………。

 「彼女を軽視していると、ちとな。取り返しがつかないほど痛い目を見ることになる」

 ――――。

 「はあ。畏れながら猊下。アレクサンダーには封印が施されているはずでありますので……。強引に力任せの一辺倒では、かの大召喚士アークをしてビクともしませんでした。封印の効力は絶対かと」

 「ふん! 何だ、卿もそのクチかな。ははははは……」

 「申し訳ありませぬ。(わたくし)ごときでは、――(いささ)か常識が邪魔をします。信心が足りませぬな」

 「もう一度、言う。レンを舐めておると痛い目に遭うゾ。今はそれだけを心得ておれば良い。それが分かっていれば、(じき)、直ぐに“おかしい”と思う事態に直面するじゃろう。その時の判断を間違えるな。その時にな。正確に、誰よりも早く動いていられれば良いのだ」

 「畏まりました。重々、肝に銘じておきます」

 久々に猊下の言葉を目の前で聞いて、しかと確かめて、……しかしガラムサイズは考えた。

 ――二人きりで話している時でさえ容易に腹の内を探りかねる猊下のことだ。しかし今回、もし本当にレンにアレクサンダーを持ち出されるのだとしたら……当然、聖・邪で(つい)になった《シン》に掛けられた(タガ)の方も、同時に外れてしまうということだが。良いのか? そんな泰然自若(たいぜんじじゃく)としていて。》

 気配を察するに敏なメタロークが皮肉めいた微笑を口の端に湛えて言葉を継いだ。

 「実のところを言うとな。――ワシの関心は、既に“アレクサンダー”にも“シン”にもない。ワシ自身が、自らの意思で造り出した力“ヴェグナガン”が完成しつつあるのだ。この時期に、もうそのような過去の遺物に縋る必要はなくなる。何を今さら、という感じじゃな」

 ――ふむ。》

 …………。

 猊下の言葉を耳にして、正直、ガラムサイズの頭の中は二転三転した。

 今回の件では確かに腑に落ちないことが多過ぎた。

 しかし猊下の仰っている様子を見る限り、嘘を吐いてはいないということは確信できた。

 確かにこのタイミングで突然に猊下がアレクサンダーの封印に手を出すとは考えにくい。その理由がない。

 まだ肝腎のヴェグナガンは完成してないのだ。

 それが晴れて無事に完成し、稼働した後ならば考えられなくもなかったが……。

 現時点で早急に動くというのは明らかにおかしい。

 猊下自身の慌てようも十分に理解できた。

 であるならば、誰が? なぜ――?

 猊下は時期を合わせたように、旧市街捜索のエージェントなんかを必要とされたのだろう。

 偶然の一致で簡単に片付けてしまうには無理があるのも事実だ。

 ――やはり、何か裏があるな。》

 旧市街に何かあるのか。

 いや――まあ、何かはあるのだろう。

 おかしいと言えば、猊下と機を(いつ)にしてレミアムの上層部も色めき立って騒ぎ始めた。

 アレクサンダーが、というより旧市街が、なのだ。

 どういう事だ?

 今さら旧市街に何があるのだろうか。

 ガラムサイズは猊下を前に、密かに考え込んだ。

 そもそも――突如として現れたハインによって打ち立てられた初代ザナルカンドの魔道王国は、テラの異界文明力をそっくり引き継いだものだったはず。

 力の根源に対する絶対的なアドバンテージがそこにあった。

 当時、元からあったガイア側勢力の旗手として最後まで抵抗し、力強く戦っていたのは、もちろんレミアムだ。

 …………。

 ――いったい旧市街に何があるというのだ。》

 それを探るルートは三つあった。

 レミアムの深層部を(つつ)くか、猊下の居るベヴェルから安全に得るか、それともラグナのルートを使ってザナルカンドの旧市街を直接探って何があるのか確かめてみるか。

 ――――。

 彼は取り敢えず目の前に居るメタローク総司教の腹の内を少し探ってみることに決めた。

 「申し訳ありませぬ。猊下のお心の内、いま少し解り兼ねております。取り敢えずエージェントの件については無事、滞りなく配置を終えました」

 …………。

 「フン。この件に関しては卿は、興味がないか。卿にとってあるいは、かなり重要なことかもしれぬと思ったがな……」

 「申し訳ありませぬ。そこには重々、思い至りました。なのですが、私の現在の手駒だけでは如何とも……考えが及び付きませぬ」

 ガラムサイズは飛び上がって同じ言葉を繰り返した。

 「ラグナのエージェント・ルートを使って遺跡に直接、手を入れてみることを考えておりました。当然、何かあるのなら、そこを探ば、それなりのものは出てきましょう」

 メタロークは特に気に病むでもなく、意味深な苦笑を王冠の奥に湛えていた。

 「まあ、……当然だわな。ある程度は仕方がないか。――ここまで卿には随分と無理を言って、あれこれ足労してもらったのだ。ワシもちっとは卿の役に立つ人間だと思われないことには、卿の忠義も萎えてこようしな。分かった。ヴェグナガンの現状について詳細な事実を流そう。――本物のトップシークレットだ。メリダにさえ言ってはおらぬのだ。そのクラスの情報だよ。レミアムに売る時はせいぜい高く売れ。この情報は今後半年間は卿以外のルートから出ることはない。なので、卿の判断で勝手に脚色をして、多少の誤報を混ぜてもらった方がむしろ有り難いか。

 ワシが外部から眺めておって、この系のネタが出て来た時は、卿が流したものだと直ぐに分かる。

 情報の流れを追うだけで卿以降、誰から誰に情報が流れたか、ルートを簡単に追える。

 内容は本物の重大情報だ。

 卿自身の持っている人脈ラインに不都合がないよう、十分に留意してもらいたい。

 (くだん)のエージェントに流すのも、しばらくは遠慮してもらいたい。あれは、ワシがザナルカンドに放った最強の刺客(しかく)と考えているからな。当分は寝かせておく。ワシの有している諜報ルートからも卿のルートからも完全に遮断して、完全に休眠させる。ザナルカンドに無事、潜り込んだら少し泳がせてみたいのだ。卿も歩調を合わせてくれ。旧市街関連の捜索が遅れるのも当面は我慢を前提に考える。ラグナ=遺跡ルートは卿の持ち駒から外すように。失敗したら、全部捨てる気でいてくれ。それら諸々を込みでの情報だと考えてもらいたい。頼んだぞ」

 ――――。

 ――捨てるって、まさか、ラグナたちをか? それとも旧市街の事を全て捨てて、最初からってことか?》

 一応、猊下を突っ付いてはみたものの、いい様にいなされて、ガラムサイズはますます(ナゾ)の深みに嵌って考え込んだ。

 ――やはり猊下を穿(ほじく)るのは得策ではなかったか。いざという時以外は、ほどほどにしておかないと……。》

 彼はいったん、この件はこれ以上の詮索はすまい――と決めた。

 当面、遺跡関連の手駒は捨てなければならなくなったが、代わりにこの情報が得られただけで当面は十分だった。

 …………。

 しかしMAX-1にいよいよ目処(メド)が立ち、完成しかけているという時点に来て突如、制御系の問題でまたも暗礁に乗り上げたとは……。

 まだしばらくの間は稼働するかどうかの保障を得られないのは確実という状態にある。

 それが確実になった段階で、猊下の生涯最大の重荷、足枷(あしかせ)である旧市街に手を付けるなど普通に考えて、あり得ない。

 これは当初から推測された猊下の取って置きの切り札。

 MAX-1が手に入ったことにより、猊下の最大のウイークポイントである旧市街の遺物の一斉消去――それを狙って、誰にも邪魔されないうちに、形振(なりふ)り構わず一気に動いた……というものではなく、実情はその逆なのか?

 MAX-1の目処が立たないことがはっきりと見えたので、最大限それを利用することを考えた、と!?

 そのために、旧市街に手を付ける“振り”をして、レミアムの注意を引いた――という筋書きなのか。

 …………。

 考えられなくはないが、……それでは余りに割に合わない取引、大変な賭けに打って出たということになる。

 殆ど、投げ場を求めてヤケクソ上等な自暴自棄のレベルだ。

 ――果たして猊下に限って、そんなことをするだろうか。》

 「分かりました。私もこの爆弾情報、せいぜい知恵を絞って流してみることに致します。……確かに、本当の重要機密のリークは、最も正確に忠誠心の繋がり方を洗うこともできましょう」

 ―――。

 「ふん。――調子に乗って、余りやり過ぎるなよ。策士、策に溺れることのないよう、踊らされることのないようにな」

 

     ◇

 

 もう一度、言おうか。

 行き止まりだよ。

 い・き・ど・ま・り――。

 今度ばかりは突破口になるような穴も開いている雰囲気はなかった。

 突然に降って現れた八方塞がり……。完全な行き止まりだ。

 都市の先端は、すっぽりと分厚い岩盤に飲まれ、そこから先は全て岩の中に消えていた。

 かくなる上は南か北に流れて、新たな空洞の延び(しろ)を見つける以外に手はないが……。

 とにかくもうこれ以上は、西に向かっては進めないことが判明したのだ。

 今はそのことを、どうだこうだと嘆いて愚痴ってみても仕方あるまい。

 しかし、これを見て、絶望的な脱力感が二人を襲ったのは確かだった。

 ――こんなことを悠長にやってて、俺たち本当に助かるのかよ!?》

 思わず掃き溜めた感情が口を吐いて出そうになる。

 「南は駄目よ。ガガゼトの山系でガッチリ塞がれてるの。『アンダー・ザナルカンド』は原則、北に向かって延びてる空洞だから……」

 懸命に冷静を装って、素早くレンが説明した。

 「そう。じゃあ北だね」

 そう言ってシューインが現在地を識別するマークを建物の壁に付ようと、便利棒の端で壁面を擦ろうとすると、不意にその壁面がドスンと抜けた。

 「くそっ! 何でだよ。選りに選ってこんなときに!!」

 さすがのポジティブ男子も、どうにも苛立(いらだ)ちを隠し切れない。声が裏返り、震えていた。

 唸りながら、行き止まりの壁伝いに北面の天井付近を睨みつける。

 普段なら、別に……どうってこともない事だが。

 「少し休みましょうか。落ち着いて考えましょう」

 レンが静かに心を押し留め、シューインの体をぐいっと引っ張って沈めた。

 ――今、(いたずら)に焦って闇雲に動くのは不味い。》

 こんな精神状態の中で……。

 彼女に(なだ)められ、しぶしぶその場に腰を下ろしたシューインは、だが、どうにも落ち着かない様子で固まっていた。

 じっと何かを考えているようで多分、何も考えてないのだろう。

 ――なんで。……なんで、なんで、なんでなんだよ。》

 そんな理不尽な感情がぐるぐると堂々巡りをしているだけだ。

 レンは唇を噛んだ。

 一つの決定的な事実が判明していた。

 空洞の西側が行き止まりになっていることではない。

 もう、そろそろ……いい加減に幻光虫濃度が変化してきても良いはずなのだ。なのに、(いま)だそんな気配はない。

 つまり、たとえこの壁に沿って北側に歩いてみたとしても、よっぽどの距離でも行かない限り、新たな抜け道はきっと見つからないだろう。

 ここからは“アンダー”に通じる抜け穴があるのなら、わざわざ行ってみて実際に確かめなくても、かなり手前の時点でその有無が分かるのだ。

 いや、そもそも、もっと言うなら――。この地点まで来て、まだ、……そのような気配が微塵(みじん)も感じられないということは。

 この空間は、残念ながら『アンダー・ザナルカンド』には接続していないことがはっきりした――という事実を、遺憾ながら認めざるを得ない。

 幻光虫濃度に関してならば、ほんの僅かでも変化があれば、少なくともレンには感知ができるはず。

 ひょっとするとこの空洞は最初から高さが合わず、“アンダー”の空間とは立体交差のような状態になっているのかも知れなかった。

 だとしたら、もしも、そうだとしたら――。

 発想を根本から変えるべき時だ。

 心を強く持ってほしい。

 お願い、シューイン。負けないで! 挫けないで!!

 最初から空間同士が繋がっていないのなら、この空洞が、ここで終わりになっているのは寧ろラッキーだ。

 そのことを早期に確認ができて良かった。

 彼女たちは時計を持って歩いたわけではない。

 実際には何時間、歩いたかなんて知りようがない。

 下手をすると、このままズルズルと10時間だって歩き続けた可能性さえあった。

 そのことを思えば――。

 「ツイてるね。空洞がここで終わってくれて良かったよ」

 普段の彼なら、きっとそう言ってくれるはずだった。

 そう言ってほしかった。

 ――お願い。いつものシューインさんに戻って!》

 ……別に、日頃の彼の、何を知っているわけでもないけれど。

 彼が、素直で心根の強い人だということは5分間、接していただけでも十分に分かった。

 彼の心が根源的に折れてしまうことは……。

 レンにとっては、空洞が終わってしまったことよりも、そちらの方が遙かに怖いことだったのだ。

 自暴自棄になりかけた彼の魂を、何としてもファイト・バックさせなければ。

 そのためには、まず腰を落ち着けて。

 とにかく今のモヤモヤした感情や焦りを、綺麗にリセットしなくては――。

 レンに押し込められて当初は不満そうな顔を見せていたシューインだったが、幸い、彼女の動じない強い瞳に射竦(いすく)められ、じっと固まって思考を整理しているうち、少しずつ本来の自分を取り戻していった。

 彼の眼差しから険が取れて晴れていく。

 落ち着いて、静かに澄んだ透明な瞳。

 レンはそれを見てほっとした。

 この人が我を失って絶望に支配されたとき、きっと全てが終わる。彼がしっかりと自分の魂を持ち続ける限り、希望の灯は決して消えない。

 そんな気がした。

 「じゃあ……そうだな、うん。取り敢えず……今までのことを、きちんと整理して――もう一度、考え直してみようか」

 二人は思い思いに、これまでの5時間くらいの間に起こったこと、考えたことについて話し合った。

 口ではそう言っても、殊更(ことさら)に整理するほど複雑な事実はない。

 最初は北東クレーター海礁の海の只中に居て、真下の地下空洞に二人で落ちて、伝承の中だけに存在していたはずの旧市街の神殿に流れ着いた。

 その発端の神殿を脱出して、通りを都心部――南西の方角を目指して真っ直ぐに歩いて来たが、行き止まりとなり、今、行き止まりの西壁面の前で座っている。

 この地下空洞は、どうやら『アンダー・ザナルカンド』の空洞には繋がっていないらしいことを新たに発見した。

 位置的、距離的には結構いいところまで来ているはずなのに、その先にある、あとちょっとの部分が完全に塞がっている。

 この岩盤に、それこそドリルで穴でも開けない限り……ん? ドリル!? そうか。ひょっとして、どこかに掘削用の建設重機でも転がってないだろうか。

 シューインははっと思いついて周囲を見回し、すぐに己の浅はかさに気が付いた。仮にそんな機械が見つかって、たとえ満足に稼働したとしても、この岩石ドームの分厚い壁をいったい何カ月かかって、何ディスタール掘り進むつもりかね――。

 こんな馬鹿ばかしい思いつきに心を動かされてしまうほど、要するにこのときの彼は参っていたのだろう。

 とにかく何でもいい、早く脱出法を思いつかなければ……。俺の頭の中が正常でいられるうちに。

 ――いや、だけど最期の瞬間が来る前に、すっきりとイカれてしまえるのは、あるいは幸せなのかもな。フフフ。》

 密かにそんな思考がシューインの頭の中を駆け巡っていた。

 それじゃあ、さっきのレンの言いようと似たり選ったり、五十歩百歩だ。

 ――何を考えているんだ! オレは!!》

 口には出さないけれど、その様子は横に居るレンにも薄々と伝わってきた。

 この時は、どんな絶望的な状況の中からでもポジティブな可能性を引き出して見せる彼の力強い鼓動を、感じ取ることができなかった。

 どうすればいいのだろう。

 レンはシューインの温かい体に触れながらじっと祈るように考えていた。

 ――さて、どうするね。》

 何か上手い方法はないだろうか。

 彼女は身を寄せ合うようにして固まっている人にひたすら頼るのを諦めて、自分自身で解決策を思いつこうと決心した。

 新しい可能性を見つければ、この人の心にも再びエンジンが掛かるだろう。

 根本的に発想や目の付け所を変えてみる必要があった。

 だが、何かある。

 きっと何かあるに違いない――。

 そんな強い思いが、逆にレンからシューインに向かって流れた。

 彼自身でも、実はそのことに気がついてはいた。

 ――そうなんだよな……。こういうときこそ俺がしっかりしなければ。》

 それは重々承知している。承知してはいるのだが、いきなりではどうしようもない。

 すまない。もう少し時間をくれないか……。

 黙ったままの二人の間を、いろいろな空気が流れ去った。

 シューインとレンはそうやって黙って無人の都市を見つめていた。

 そこかしこ、幻光虫がひっきりなしに飛び交っていて、至るところで美しい光彩を放っている。

 静かで穏やかな、死の世界。

 今ここに居るのは彼ら二人だけだ。

 滅んでしまったザナルカンドの街に、レンとシューインの二人だけが居る――寂寥(せきりょう)とした、とても不思議な光景だった。

 もと来た方角を眺めやると、広大無辺な旧市街が一望できる。

 その――壮大な旧都市の威容を望み見て。

 「……でも、改めて凄いよなぁ」

 シューインが話題を変えるように、ぽつりと言った。

 「えっ?」

 レンが訊き返す。

 彼が微かに笑った。

 「この街を全部、その伝説の召喚獣が……。要するに、一度に、一人で、海の底まで沈めたんだよね。……何考えてんだろ。そんなことして嬉しいのかな」

 冗談を口にするくらいには回復してくれただろうか。

 「そうね……。確かに一文の得にもならない行為に、エネルギーだけは桁外れに消費したと思うわ。これだけの都市を滅ぼしたんだから」

 「だろ? 信じられない奴だよなぁ。お陰でさ、僕たちがこんな思いをしなければならなくなった。全く……。どういう了見でこんなことをしたのか、一度会って聞いてみたいよ」

 ――ああ、それは本当に悪かったわ。こちとらにも、いろいろと都合ってものがあってね!》

 「えっ!?」

 驚いた二人が同時に声を発し、顔を見合わせた。余りに急なことだったので振り向きざまにキスでもしてしまいそうになった。

 だが、顔を赤くしている場合ではない。

 二人の顔は同じ形をしていた。緊張と、ある種の恐怖で強張(こわば)っている。

 「聞こえた?」

 「うん。誰だろう」

 …………。

 女性の声だった。いや、女の子のと言うべきか。若くて勝ち気な感じの、ピンと張り詰めた弦のような透明感のある声――。

 わたしたちの他にまだ誰か居るのか? あの騒動に巻き込まれた人が。

 それとも他に、この無人の都市に誰かが住んでる?

 千年前に滅び去ったザナルカンドの広大な市街に、わたしとシューインさんの二人だけが残されたものとばかり思っていたが……。

 レンが声を張った。

 「誰ですかぁー。どこに居ますかぁー。聞こえますかぁー」

 …………。

 返事はない。

 「おーい、大丈夫かー。どこに居るんだぁ~!」

 ――――。

 二人の声が、幻光虫で満たされた薄明るい闇空間に吸い込まれていく。これだけ広いと(こだま)さえしない。

 何だったんだろう……。

 不安と、期待と、恐怖の入り混じった感情が、彼らの体内を幻光虫のようにくるくると舞っていた。

 返事はなかった。

 どれだけ待っても、どんなに耳を澄ましていても、声は何も聞こえてこない。

 だが、簡単に諦めるわけにはいかなかった。

 確かに誰かの声がしたのだ。

 レンのみならず今度はシューインの耳にもはっきりと聞こえた。決して空耳ではない。

 「おーい。聞こえるかー!? 動けるか~い? 今から助けに行くよ~」

 …………。

 ――そう。じゃあ、待ってるからね。ヨロシク~ぅ。》

 ――まただ!――。

 二人は顔を見合わせた。想いが交差した。二人とも何だか泣いているような笑っているような、二度と忘れることのできない個性的な顔をしていた。

 「どこですかぁー。ねえ、どこなの? どこに居るのぉ!」

 …………。

 声は答えてくれない。まるで自分たち二人を混乱させて楽しんでいるような態度を取っている。

 ――何をいちいち勿体(もったい)ぶってるんだよ! こんなところで!!》

 そう思ったけれど、腹を立てても始まらない。

 とにかく人が居るのなら何としても探し出さなくては――。

 「行こう」

 シューインが右肘で軽く、レンの脇腹をポンと叩いた。

 ――どこへ?》

 レンもつられて立ち上がりながら、シューインの顔を覗き見る。

 幸いにも、彼の瞳からはもう迷いは消えていた。新しい目標を真っ直ぐに見ている。

 「どこかしら」

 「分からない。外からの声って気はしないね。だけど、いずれにしてもこの近くだろう。何かの室内に閉じ込められているような声に聞こえたけど」

 「そうね。確かに道端に腰掛けて呼んでるって感じじゃなかったかも。でも、どこへ行く?」

 「とりあえず、この周辺を調べてみよう」

 シューインは辺りをさっと見渡して、素早く一本の街路に目星をつけた。

 あそこへ行ってみよう――とレンの体に促す。レンが黙って相槌を打つ。

 幸い西側一面が岩壁になっているので、歩いて方角を見失う事態だけは避けられた。その意味では空洞がここで終わってくれていたのは本当に良かったのだと言えた。

 彼らが立っていた場所はかつてはオフィス街だったようで、高層ビルの群やその間を縫うように伸びる高架道路の帯は曲線を多用した複雑な構造をしていて、もう南向きのテラスなんかが見つかるような雰囲気ではなかった。

 つまりシューインたちは旧市街の北東の外れから中心部に向かって真っ直ぐに歩いて来たことになる。

 彼らは冷静に、極めて正しい行動を取っていた。

 二人は事ある毎に後ろを振り返り、何度も何度も道順を確認しながら歩いた。

 碁盤目状の方向認識は既に、全く通用しなくなっていた。

 三叉路、五叉路、緩やかに曲がってゆく道、そして上り下り、さらにところどころ崩壊した街並みが加わって、著しく視界を遮られる。どんなに注意して見ていても何の記憶も印象も残らない無個性な景色ばかりが延々と続いているのだ。

 程なくしてシューインの方は完全にお手上げの状態になった。今からさっきの場所へ戻れと言われても、どうだろう。恐ろしいことに都心部の底に嵌ってしまうと、頼みの綱だった西壁面の岩壁がすっぽりと隠れて全然、見えなくなってしまう。

 一人、レンの瞳だけが執念深く輝き続けていた。

 建造物の内部には、入ろうとしても障害物に邪魔されて入れないか、入ってもすぐに床全体が抜けていたり天井が落ちていたりで、危なくて手をつけられないものが殆どだった。

 ――えーっと。……これは、どうなっているんだ?》

 ここは確か、さっきも歩いたはずの……いや、これは別の場所か……。

 シューインはいよいよ頭が混乱してきた。

 「駄目だ。一度、引き返そう」

 そう言いかけたとき、レンが彼の肩を引き止めた。

 「きゃあ!! 待って! あれは――」

 彼女の指差した方向に目を向けると、変哲もない小さなビルの正面入り口に半分落ちかけている看板が見えた。市街の中心部に足を踏み入れて以降、一層雑多な文字で溢れ返るようになっていた。だからそれ自体には何らの違和感も覚えない、ただの看板のようだが……。それとも他に何かあるのだろうか。

 「誰か居たのかい!? 例の女の子??」

 「ううん。そうじゃないの」

 レンは言下に否定した。

 「だけど……」

 彼女の(つぶ)らな瞳が大きく見開かれて震えていた。

 「信じ……られないものを――。初めて、見た……」

 「へっ」

 ――じゃあ、何を?》

 という顔をシューインがつくっている。

 「知っている文字を、初めて見つけたの」

 「読めるのか!?」

 聞くなり、さすがの彼もぶっ飛んで身を乗り出した。

 レンの半ば呆然とした顔を覗き込む。

 「ううん。――読めない。……知っているけど、読めない」

 「はっ??」

 何を言ってるのか、レンの言っていることがさっぱり見えて来ない。

 「あれはビーカネルの一部族・アルベド族が使っている『アルベド語』よ。間違いないわ」

 「似ているのか?」

 「いえ、違うわ。……違う、と思うの。多分ね。完璧な、現代アルベド語そのものだと思うんだけど……」

 「ええええっ、あるわけないじゃん。……なんで、そんなものが、選りに選ってこんなところに????」

 それを聞いて、さすがにシューインも仰天した。

 ビーカネル共和国の一部族内に“アルベド一派”と呼ばれるグループがある。

 彼らの話す言葉は言語そのものが“暗号”でできていて、彼ら同士では普通に話して意思疎通できるのだが、部外者には一切の解読が不能――という謎の言語を操る一族として(つと)に有名な一族だ。

 そのために“スパイ民族”と陰口を叩かれ、何かと白眼視を受ける差別の温床ともなっていた。

 当然、さすがの『レン』さんでも、それは読めないわけだ。

 「でも何だって、こんなところにアルベド語が?」

 シューインが忌々しそうに呟いた。

 どうせならもう少しマシな言葉で書いてくれてれば良かったのに――。

 「うん。……こんな場所に、というのもそうだけど、寧ろ“こんな時代に”と言うべきかしらね。そちらの方が信じられないよ……」

 「あの。それで現代アルべド語と、具体的にはどのくらい似てるの。共通点はどのくらいある?」

 「断言はできないよ。もともと、わたしたちには読めない言葉なんだから。だけど……、だけどね、見た瞬間にアルベド語だと判ったわ。この感覚には、間違いがないと思う。ほとんど完璧に、現代アルベド語と同一の文字が書いてある、と考えてもらって結構よ」

 「うーん、そうかぁ……。でも残念だな。どっちにしても“アルベド語”じゃ意味がないか。せっかく書いてくれていても宝の持ち腐れだ」

 レンが不思議そうな顔をして笑った。

 「でもね。その中に、実はもっともっと信じられないものを見つけてしまったのよ。ほら、私たち。ザナルカンドとビーカネルの仲でしょ。そこは外交的にもいろいろあるわけ。で、うちの上司の暗号班がこれを必死で追い駆けていてね、幾つかのパターンならば掴んでいるのよ。シューインさん、今から言うことは絶対に忘れてください。レンからのお願いです。あなたを信じますから」

 ぱっちりとしたあどけない目で、何だかとっても恐ろしいことを口にする。そのギャップがかえってレンの言葉に凄みを与えていた。

 こう要請されてしまってはシューインも「否」とは答えられない。

 彼女は今日会ったばかりの人に何を言ってるんだろうと思うような大胆さで、外務省の最重要機密を披瀝(ひれき)し始めた。

 「暗号だろうと何だろうと言語が言語として成立している以上、固有名詞は誤魔化しようがないでしょう。表現上のパターン化が必ず起こるの。そのパターンを《総当たり法》で解析・照合していくうちに、ごくごく限られた幾つかの単語については同定に成功してるんだ。

 ……その数少ない単語の中に“召喚”“召喚‐獣”“召喚‐者(召喚士)”“召喚‐源子(祈り子)”という一連のパターン群があって――ほら、例えばあそこの石板に書いてある」

 そう指し示し、半ばシューインの体を引きずるようにその入り口の前まで連れて行った。

 「どういうことだ?」

 彼は改めて、その建物全体と正面入り口――玄関に当たる部分を凝視した。別段どうということのない普通のビルだった。もしレンに言われていなければ何事もなく通り過ぎていたに違いない。もしもシューインが一人で居たならば、このビルの前で立ち止まる理由など何もなかった。絶対に見逃していただろう。

 レンがさも愉快そうに声を立てた。正気を失ってしまったのかと思うくらいどきっとするような声だった。

 「ハハハハハ……うん、そっかぁ。もう一人、大切な人のことを、すっかり忘れてた。そもそもわたしはこの街に眠る祈り子さまを起こそうとしてたんだ。だから、彼女がいるのよ。ねえ! そうでしょ? 祈り子さま。女の人だったんだ……」

 話し掛けたレンの声がビルの壁面に反射する。

 ――――。

 ――あっはっはっ、やーっと気がついてくれたかい? 遅いよ! 遅過ぎ~。お陰でアタシは、もう7時間も待たされてんだからね。こんな格好のままで。全く……アタシを呼び出したのはアンタかね? いきなりグイグイ引っ張るもんだから、エライ目に遭っちゃったよ。ほらほら、アンタたち、何ボーっとしてんのサ。気がついたなら、とっととあたしを助けに来て、早くここから出しておくれでないか。》

 「えーっ、突然そんなこと言われても……」

 レンは「はぁ」と曖昧な返事をして声のした方を凝視した。

 ――マッタク。最近の娘さんときたらアポも取らずにやって来て、アタシを一方的に面倒に巻き込んでサ……。オマケにあなたがヘマをやらかしたせいでこーんな所に閉じ込められちゃったじゃない。どーしてくれるの?》

 「はっ? それは……」

 「では、早速お助けに伺いましょう」

 間に割り込んで、シューインがすかさずフォローする。

 彼の言葉を聞いたときだけ声音が変化するとは、――何とも現金な祈り子さまだ。

 ――そうかい、そうかい。……物分りがいいねぇ。アタシは素直な男は嫌いじゃないよ、けけけけ。それに引き換えそこの召喚士さん、何の許可も得ないで、いきなり召喚おっ始めて、挙げ句の果てに失敗かい。目を覚ましたら、いきなり亜空間の境界面に体が引っ掛かっててさ。これじゃあ出て行けるわけないじゃん。》

 「あの、体が引っ掛かったっていうのは……」

 ――うん。召喚に“お呼ばれ”している途中にね。今までこんなこと一度もなかったんだけどサ。あたしもびっくりだよ。お陰で苦しいのなんのって……。あ、恥ずかしいからあんまり想像しないでよネ。》

 「あの。……ひょっとして、それで召喚が失敗したのですか。わたしは随分と時間が掛かるので不思議に思っていたのですが――」

 ――けけけけ。たまにはそういうこともあるのよね。そのせいで、あたしはこんな所に閉じ込められてしもうたわ。》

 「そのせいで俺たちはこんな所に閉じ込められてしまったわけかい?」

 ――悪かったわねぇ! おあいこ様でしょ。だいたいそこの召喚士さんがサ、ろくに応答もしないでイキナリ召喚するから、こんなことになるんだよ。》

 「あの、最初にわたしは呼び掛けたのですけれど……。歌だってちゃんと歌いましたが、聴いてらっしゃらなかったですか?」

 ――聴いてるワケないじゃん。寝てたんだから――。だいいちアンタの歌なんか聴いてナニが嬉しいの? 悪いけどあたしはそこまで酔狂な女じゃないから。アポはアポでしょ。鼻歌を歌いたいのなら風呂場で気が済むまで歌ってれば。だけど、あたしと交感したいのなら、頼むからもっと真面目にしてよね。》

 ――鼻歌って……。》

 この言葉を聞いて、さすがのレンもムッとした。

 横で見てても、ちょっと怖かった。

 そもそもレンは他人から(ののし)られることに慣れていない。彼女に面と向かって罵声を浴びせられる人間がいないから――というのもあるが、根本的にレンはどんなことにでも抜群の才能を示す人で、頭ごなしに怒鳴られてしまうようなヘマをやらかす人ではない。

 (ひるがえ)ってこの理不尽な言われ様は、ことさら『ザナルカンドのレン』を有り難がる理由のない祈り子さまとしては無理からぬところもあるのだが、しかしこのときの彼女はどうやら踏んではならない地雷を“これ見よがし”に踏んでしまったらしかった。どうもアーにはそういう才能があるようだ。いや、“才能”と言っていいのか微妙なところであるが――。

 レンは急速にがっかりした気分に支配されて行った。

 相手が伝説の《祈り子さま》だと思っていたからそれなりの態度で臨んでいたのに、彼女の返答は期待外れもいいとこだ。

 「そうですか。現代のザナルカンドには“酔狂”な人も多くって……わたしは沢山の人のために歌っているんですよ。でも、あなたの時代に生まれてなくて良かったのかしらね。お陰で千年間も眠り呆けていられるような身分にはまだなれなくて……」

 一口に《祈り子さま》と言っても“ピン”から“切り”まであるのだろう。もっと早く気がつくべきだった。

 召喚士と祈り子さまは一蓮托生(いちれんたくしょう)、いつでも一緒に居ることになるという。

 ――悪いけどこんな女とは、とてもやって行けないわよ。》

 たとえ彼女がどんなに強力な……『伝説の召喚獣』であったとしても――。

 逆に、一方そのころ――なのだが、たかが“従召”ごときにここまで憎まれ口を叩かれた“アー”としても、そんなナマイキな態度を断固として容認することはできなかった。

 本来なら地べたに這い(つくば)って“三顧(さんこ)の礼”もて迎えられるべきではないだろうか。

 ――アタシはね、スピラ世界で最大・最強の召喚獣の祈り子さまだよ。》

 という譲れない自負がある。

 ――アッタシはねぇ、売られた喧嘩(けんか)は買っちゃうよ~。》

 という性格の持ち主だ。

 だから、つまり、あとは一本道――。

 「へぇ~。音楽なんていつの時代でも変わらないものだと思ってたけど、ずいぶん進化するものなのねぇ。それは知らなかったわ。まさかあんな歌が、アタシはスベッてしまってさぁ~あ、思わず境界面に引っ掛かったくらいなんだけど――じゃあ、アタシの方が悪かったのかしら。

 ごめんなさいね、そこまでフォローしてあげられるほど独創的でなくて。

 でも、価値観の全てが正反対になってしまったわけじゃないでしょ。例えば“正義の味方”と言えば《真打ち》だわよねぇ。真打ちって最後の場面にしか出て来ないって決まってるじゃない。

 ほら、現に“第1章”だって1節から10節まではさーあ、雑魚がザコザコとお話を整えてさ、あ・た・し・は第11節にドカーンと出て来るだけでしょ。もう“カーンペキ”ってくらい。それが真打ちってものよ。

 だから“ディスク1”とか“ディスク2”とかがクルクル回っている間はね、あたしは眠っていてもイイの。どうせ“ディスク4”のラストシーン付近まで出番はないんだから」

 ――お嬢さん、お嬢さん。それじゃ“真打ち”じゃなくて“ラス・ボス”だよ。》

 横で、二人の女性が美しい双眸(そうぼう)から火花を散らし合う様をハラハラしながら見守っていたシューインは、思わず突っ込みを入れそうになった。

 レンがすぐに口を開いたので、このときは賢明にも寡黙を通すことになったが――。

 「そうやっていい気になって眠っているうちに、世の中は“ディスク1枚”で完結する時代になっているわよ。第2章になるとね、第10節か第11節あたりでわたしとシューインさんが目出度く脱出に成功して “さようなら~”ってことになっちゃうんじゃないかしら」

 ――ちょっと待ってよ! ひっどーい! まさか、あたしをこのままの姿で放っておくつもり? そもそもアタシの身体がこーんなところに引っ掛かってしまったのは――。》

 「単に、あなたが太いからでしょ」

 ――なっ!? 何ですって!! いったい何てことを。アッタシはね~~~。……だいたい、そんな失礼な言葉、うら若いレディに向かって――。》

 「――うら若いレディは言ってもいいの!」

 「…………」

 ――ウキーーーーーィィィィィ。》

 雨曝(あまざら)しでボロボロに黄錆(きさ)びた鉄看板をマニキュアで引っ掻いたような奇声が薄明るい暗がりのしじまを一瞬掻き乱し、パルスのように消えて行った……。

 ――そうなの。そういうことなのね? よーし、分かったわ。よく分かったわよ。言っときますけどねェ、この空間から脱け出すためには“絶対に”あたくしの助けが必要だよ。いいのかい、素直に詫びを入れるなら今のうちだよ。あとになって、どんなに土下座したって、もう遅いからね。この都市にはもう、あたしの他には人っ子一人居ないんだから。》

 ドスの利いた恐ろしい啖呵(たんか)も、年端(としは)もいかない少女が切ったのではイマイチ説得力がない。

 レンは見透かしたようにやり返し続けた。

 「あら、それは大変。じゃあ、なまじ親切心を起こして助けに行くのも考えものってことかしら? 残念だわ~。知っていると思うけど、今はこの地下空洞にはわたしたちの他は誰もいないわよ。そんな姿勢のままでは、さぞや寝つきが悪いでしょうね」

 最初こそ「祈り子さまだから」――と思っていたけけれど、“正直、この子はもういいわ”と見切った途端、何を言われようとどう思われようと、別にどうでもいいという気がしてきた。

 このとき彼女が考えていたのは、とにかく早くシューインを連れてここから脱出することだけだった。こんなワガママな女の子の相手を、いつまでもしていても仕方がない――。

 わたしが本当に共とする祈り子さまは、ザナルカンドに帰れば、他にもたくさん居る。

 何もこんな難しいことをしてまで得なければならない理由はこれっぽっちもない。

 肩を抱き合いながらレンの左側にぴったりと寄り添い、彼女の心のざらつきを文字通り肌で感じていたシューインは、少し困った表情で二人の会話を執り成した。いや、“窘めた”と言うべきだろうか。

 ――女性というのはどうしてそんな、どうでもいいことに拘って“いったん腹を立てたら梃子(てこ)でも動かない”みたいな意地の張り合いになるのだろう。下手をすると命が危ないんだというこんな時に。》

 「仕方ないでしょ。こんな年下の女にここまで馬鹿にされて黙ってるわけにはいかないわ」――と、このとき二人の女性がお互いに思っていた。

 ――レンさんは、滅多なことでは怒ったり、ネガティブな言葉を口にしたりなどしない人だと信じてたのに……イメージ崩れるよな。》

 シューインの溜め息は寧ろそっちの方が大きかったのかもしれない。

 人を()(ざま)に罵っている『ザナルカンドのレン』の姿を目撃する男の気にもなってほしい……。

 「じゃあこの際レンさんはいいや、祈り子さまは僕一人で助けるから。それで文句はないでしょう」

 彼女の肩がピクリと動いた。少し怖い顔つきでシューインを見上げる。

 彼のこの対応がよほど意外だったらしい。

 ――けけけけ。なんだい、なんだい、よく分かってるじゃないか。いい男はやっぱ、違うねェ~。そうだよ、あたしと一緒ならここから脱出できるってワケ。意見の合う同士は大切サ。二人で仲良く、日の当たる所に戻ろうよ。》

 「ああ。必ず君を連れてザナルカンドに還るよ。だけどそのためには召喚士の力がどうしても必要だ。残念ながら僕にはその力がない。たとえ君にどんなに気に入られても、僕ではその期待に応えられない。君が本当に評価すべきなのはここに居る、この人だ。

 この人は“レン”と言って、僕たちの世界では正真正銘のスーパースター、誰よりも大切な人なんだ。ザナルカンド中の人々が皆、尊敬している。もちろん僕もね。事実、心底、尊敬に値する人だよ。だから――。

 もしも僕を評価してくれるのなら、何より僕の“価値観”を信じてほしい。この人を信頼できないはずがないんだ。もしこの人が“不合格”になるのなら他の誰もが不合格だよ。それは絶対に間違いない。

 ひょっとすると、実は君にも先刻承知のことかも知れないけど」

 「…………」

 そう言って、シューインが背中に回した右手でレンの脇腹を押さえるように終始しっかりと抱き締めてくれていたので、彼女は気持ちを失わずに済んだ。

 ――フン! あたしはね、バーゲンセールの値札を首から下げるのが大嫌いなんだよ。スーパースターだろうが何だろうが、召喚士に“召喚能力”以外の肩書は関係がないからね。一切掛け値なしだよ。パートナーになって欲しけりゃ、そのつもりで来な。》

 「ああ、上等だ。『ザナルカンドのレン』は必ずその期待に応えるよ。彼女がどれだけ凄い人か、君に理解してもらうのは容易い。5分もあれば十分だ」

 ――行こうか。》

 彼女の背中を軽く押して促し、レンが難しそうな顔をしてコクリと頷いた。既に怒りは収まっているように見えた――表面的には、だが。

 

 建物の中の状態は、やはりここも(ひど)いものだった。正面入り口の扉は飛び、瓦礫(がれき)の山を掻き分けて入ってみると、床は完全に抜けていた。底面にある梁が剥き出しで縦横に走っている。

 幸い地下は最初から1階しかなかったようで、落下物で八割方埋め尽くされて便宜上、そこが新しい床面になっていた。

 周囲を見渡すと奥壁の向こう側にさらに部屋があるようで、そこの扉はまだしっかりと付いていた。梁の上を伝っていけばそこまで辿り着けそうだった。

 「行ってみようか」

 二人は空いている方の手を同時に突いて太いコンクリートの梁の上に降り、(なか)(かに)歩きのような格好で肩を抱き合ったまま進んで行った。地階の奥の方はそれでも幾らかは元の床面が残っていて、梁の脇から突き抜けて伸びる階段を使い、注意深く奥の壁沿いの床に乗り移った。

 目的の場所には比較的問題もなく辿り着いたが、近寄ってよく見ると、扉はとても頑丈な構造になっていてどうやら施錠されているように思われた。

 押してみても引いてみても、それくらいのことではびくともしない。調子に乗って力任せにドンドン・ガンガンやっていたら、天井の方が先に落ちてくる可能性すらあった。

 「どうすればいいの? これじゃあ助けたくても先に進めないよ」

 レンが大声を上げて呼び掛けた。

 まだ、少し(トゲ)のある声音だった。

 「――――」

 …………。

 ――あのね、扉の継ぎ目の中央に窪みがあるでしょ。そこに定められたスフィアを嵌めれば自動的に開くんだけど……。それにはまず中央の仕切り壁を消してっと。それから祭壇を動かして――。》

 「ないよー、今はね。そんなもの」

 ――うっさいなァ、こっちの話! 根っ子のシステムを起動しないとそこは開かないの。ただでさえ今のあたしは身動き取れないんだから、もう!》

 そう(ひと)()ちながら、祈り子さまは何やらごそごそとやり始めた。

 ――……っと、これで良し。そこのフロア、吹き飛んでっから肝腎(かんじん)の“スフィア”が無いでしょ。とりあえず幻光虫球で誤魔化すわね。大丈夫よ、ここのシステム、そんなに賢くないから。》

 「幻光虫……球?」

 いきなり聞き慣れない言葉を突きつけられ、二人は怪訝そうに顔を見合わせた。

 ――知ってるかい。》

 ――ううん、全然。……何のことだか。》

 《世代のギャップ》とでもいうのか、いちいち噛み合わない会話に腹立たしい思いさえ感じる。この従召にはそんなことまで説明しないといけないのか?

 “ンもう! 何ーんにも知らないのね。”という波動が流れ出て、続けざまに祈り子さまの思念が届いた。

 ――こらこらこら! あなた自身が、既に勝手に、自分の力で作ってるわよ! ほら、海の上であたしを召喚しようとしたとき、あなたの体の周囲に球形のフィールドを形成したでしょ。あの“超ミニミニ版”を、窪みに嵌るように作ればイイの。分かった? “レンさん”――だったっけ? 左手を中央の窪みに宛がって。……そう。》

 レンが空いている方の手を言われた通り伸ばして戸板の中央――合わせ目の窪みに近づけた。

 ――で、そこの彼。》

 「シューインです」

 ――うん。シューイン君、その上から手を当てて。そうそう。幻光虫球が(ふく)れ過ぎないようにしっかりと押さえててね。》

 「押さえる? って言うのは……」

 イマイチ呑み込めないシューインが戸惑ったように訊き返した。

 ――力で押さえ込むんじゃないの。意識でね。……大丈夫、あなたはそこの従召さんから溢れ出す幻光虫エネルギーを吸収する力があるようだから。その窪みにぴったりと収まる大きさのスフィア球を想像して、そのイメージの中に彼女のエネルギーを閉じ込めるのよ。膨れ上がらないようにだけ気をつけて、そこに全神経を集中するの。》

 「はぁ……。何だかな。でも、取り敢えずやってみるよ」

 ――そうそう。じゃあ始め! レンさん、手の平に幻光虫球を結晶させて。》

 半信半疑のレンがすうっと息を吸って“気”を放ち始める。

 ほんのりとした輝きが戸口の前に現れた。たちまちオレンジの火球となって淡く膨れ上がり始める。

 ――早く!!》

 祈り子さまに言われて、シューインは慌てて手の平に力を込めた。爆発的に膨れ上がってしまうエネルギーの奔流(ほんりゅう)を小さな閉じた領域の中に押し込めて、レンの右手の甲の上から必死に球形を維持しようとする。レン個人では全く制御が利かないようだった。シューインが一人でフォローするしかない。彼女の放つ凄まじいエネルギーの圧力を改めて彼は体験した。

 しばらくの間はそうやって何とか押し競ら饅頭をしていたが、しょせんシューインにレンのパワーを制御などできるはずがない。もう限界だ――と思った瞬間!

 ――消して! もう、いいわ。》

 祈り子さまの声が飛んだ。

 「ひゅっ」と火球が消滅し、圧力が不意に消えた。

 堪らずシューインはレンの手の平を上から強く押しつけてしまった。「バン」と音がして、彼女の右手が戸板に押さえつけられる。

 「あっ、ごめん!」

 「ううん、平気」

 二人は慌てて(おのおの)の手を引っ込めた。

 火球の明かりが消えて、室内はまた濃淡のない元の暗がりに戻って行く。

 と同時に、「グウォーン」と音がして分厚い扉が左右にスライドを始めた。

 細い隙間からたちまち真っ白な輝きが()れ出してきて、彼らは目を覆った。その輝きは扉の幅に応じてどんどんと光量を増して行き、やがてフロア一帯を別世界へと誘う――。

 そんな錯覚を覚えてしまうほど驚きの光景に出会(でく)わしていた。

 この広大な静寂の支配する空洞にあって、そこだけは完全に往時の姿のまま生き残っていたのだ。

 一瞬は眩暈(めまい)を感じるほどの強烈な光線に曝され、右手を翳したシューインも不快感はすぐに薄れていった。

 白い光――。

 とにかく“真っ白な”輝きだ。

 そうとしか言いようがなかった。いったいこの世にある全ての光線の中で、《白い輝き》なんというものを見たのはこれが初めての経験だった。

 だが不思議に温かい、まるで全ての苦痛を取り除いてくれるような肌触りに満ち満ちていた。

 ずっと薄明るい暗がりの中に居て、突然刺すような大光量を浴びたにも拘わらず彼らは何らのダメージも受けてはいない、むしろ逆に本当に救われたような気分にさえなる――そんな光が二人を出迎えた。

 扉の向こう側……真っ白な輝きの中心に一人の女性の姿があった。

 これだけ眩しい光の中に居て、逆光になることもなく、どこかにスポットを浴びてテカるでなく、穏やかに中空に立ち上がっている。……光がまるで彼女を包み込んで支えているようにも思われた。

 ――へーぇ。……意外ね。》

 レンとシューインはさり気なく、横目でちらりと互いの顔色を(うかが)った。

 少女とばかり思っていたのに、目の前の女性はどう考えても15歳より下には見えなかった。さすがに二十歳を越えてはいないかも知れないが、だいたいそれくらいの年齢の女性――そう、“女性”と呼ぶに相応しい背格好と雰囲気を(かも)し出していた。青と緑の印象的な瞳をしていて、白と青の袴を黄色の帯で締めているその姿は落ち着きのある、それでいて一種の威厳に満ちたオーラを放っている。

 ――いずれにしても……。わたしより年下なのは確かね。》

 レンはそのことに妙に拘った。

 とても重要なことだった。

 扉が開き終わると純白の光線はもう辺り一面に溢れ出していて、どこまでが室内なのか区別がつかなくなった。

 二人は肩を抱き合ったまま二、三歩前に進み出し、先にレンが話し掛けた。

 「初めまして、祈り子さま。従召の“レン”と申します。ザナ……今のザナルカンドでタレント活動をしております。本日はあなたのお力を(たまわ)りたく、やって参りました」

 さらりと“よそ行き”の言葉に戻っているところはさすがである。

 内心はどうあれ『ザナルカンドのレン』ともなれば(わきま)えもつく。そこいらの娘さんとは生きている世界が違うのだ。まあ“八方美人のレン”の本領発揮だ。

 しかし、そう言われて悪い気はしない。

 ――最初からそうやってれば万事上手く行ったのよ。》

 と心の中では思いながら、祈り子さまは全然別のことを話した。

 「どうも……あれから――、わたしは眠っていたようですね。今は何年ですか? わたしはどのくらい眠りに就いてたのかしら」

 「今ですか。スピラ暦の158年です」

 「うーん……それ、新暦ね!? へぇー。未来じゃ、そんな風に呼ばれてるんだ。ハイン暦が定まって――なら、わたしは最低150年以上は眠っていたことに……」

 「“ハイン暦”というのは、あの伝説上の《創始者ハイン》のことですか」

 「伝説の……って、ああ、150年も経つと彼、そんな風に呼ばれてるんですか。不思議な感じだわ」

 「不思議、ですか?」

 「残念だけどその時代認識は、ちょっと違ってるみたいだ」

 シューインが突然、口を挟んだ。

 レンが意味深な表情をして彼に円らな瞳を投げた。

 「あなたの言っている時代と僕たちの時代とは“接点”がないかもしれないんだ。少なくとも一直線には繋がってない。どこかで断絶している」

 「…………」

 「どういうこと?」

 祈り子さまが怪訝そうな顔をした。

 シューインに代わってレンが答えた。

 「わたしたちの歴史には少なくとも過去700年以上の完全に連続した記録があります。そしてそれ以前の過去に一度、ザナルカンドは海没して滅んだのだという伝承も残っています。それは今から約1000年前のことと言われてますが……」

 「心当たりがあるかい?」

 シューインが横から付け加えた。

 「ううう~ん。ええええ~、ええっと……。じゃあ……この場所は、今では完全に――」

 「はい。わたしたちが多分、最初の発見者です。この街のことも、あなたのことも、正確に記憶している人は誰もいなくなりました。わたしも言い伝えに基づいて半信半疑で召喚を試みただけなのです」

 「はっ、そっかぁー。どーりで交感の思念があやふやだったわけだー。それじゃ無理、絶対に起きれないよ。最初はあたしがずーと寝てたせいだと思ってた。よーーーやく合点が入ったわね」

 彼女はからからと笑い出した。

 「で、なら、アタシが今、どこに居るかも正確には知らなかったんだ」

 「申し訳ありません。何もかも初めての経験だったもので」

 「交感――そのものが、かい?」

 祈り子さまはちょっと意外そうな顔をした。

 「はい。教わった通り、これが初めての経験です。何もかも見様見真似で……」

 「ふーん……、そっかあ。でも、それであれだけの思念が正確に飛ばせるなら、確かに相当の才覚の持ち主ね。――あたしの前の召喚士より凄くなるかも……ああ、ええっと、1000年前の人、になるのかな」

 ちょっと悔しそうな顔をして半ば独り言のように感想を述べた。

 ――だから言ったじゃないか。『ザナルカンドのレン』は本物の天才だよって。》

 シューインは「それ見たことか」と言わんばかりの表情で祈り子様を見た。

 実は、この部屋に入って真っ白な光に包まれて以来、シューインの体調は急速に回復し、彼の右手はいつしかレンの肩を離れていた。

 ここでは全くその必要がない。

 「前にも、召喚士さんがいらしたのですか」

 「ははは。そりゃあねぇ、あれだけ斬った張ったの大立ち回りをやったんだ、ちゃんと実体化してくれる人は居たさ。とても素晴らしい、いい人だったよ」

 祈り子さまは愉快そうに笑いながら答えた。

 「そうですか……」

 「自慢じゃないけどアタシはこの世界で最強の召喚獣でね。誰も覚えてないんじゃ信じてもらえないかも知れないけど」

 「いや、信じるよ。その伝承はしっかりと伝わってるしね。この街を一人でこんなにしたんだろ。普通なら、やろうと思ってもできないさ」

 「はは。まあね、厳密には“あたし一人”じゃないんだけどさ。それと……、ついでにもう一つ。あたしはこの世で一番“デカ”くて重たい召喚獣なんだ。そう簡単には実体化させられない――これも、分かってると思うけど」

 「ええ。海の上での召喚は、ものの見事に失敗してしまいました」

 「そうそう、それでアタシがね。こんなところに引っ掛かったまま、今“うんうん”言ってるわけ~」

 ――けけけけけ、と笑いながら祈り子さまが突っ込みを入れた。

 「ごめんなさい。あの、どうすれば……。わたしは――」

 「うん。今のあたしは召喚しっ放しのまま中断されてるわけだから、最後までキチンと実体化してくれるか、それとも召喚を取り消して幻光虫の結晶を引っ込めるか……してほしいの。どちらかに。でないと、それまで、ア・タ・シは身動き一つ取れない」

 「はい。分かりました。具体的にはどうすれば良いですか」

 「ここでは実際には実体化はできないのよね。大変なことになるから。天井に突き当たって崩落した岩塊で生き埋めになりたくはないでしょ。だから、いったん戻してくださる?」

 「やってみます。では、戻すにはどうすれば――」

 レンは同じ言葉を何回も繰り返した。この二人の会話は、どうもしっくりと来ないようだ。

 「ああ、戻すのは簡単よ。まず、そこの部屋の正面にあるスフィア球の前に立って。その方が断然、交感しやすいと思うから。……はい、そう、そこ。そーんなカンジ。でね、召喚しようとする行為の逆を考えればいいの。幻光虫の結合を解散して“戻れ!”って念じるだけでいいわ。簡単でしょ」

 「はぁ……。とにかくやってみますね」

 ――それでは。》

 とばかりにスフィア球の前に立つと両手を拡げて目を(つむ)り、レンはすぅーと息を吸い込んだ。

 シューインはそれを少し離れたところから、腕組みをして眺めていた。

 さして広くない室内でレンがくるりくるりと体を捻りながら舞う。

 中央に鎮座する青白いスフィア球がその動作に合わせて反応を見せ始めた。目盛りやら何かの幾何学模様やらが盛んに球体の表面に浮かび上がる。もちろんそれが何を意味するのかは、踊っているレンにも、脇で見ているシューインにもさっぱり分からない。

 やがて全ての召喚行を逆戻りさせて滞りなく舞い終わり、半信半疑の表情で祈り子さまに話しかけようとしたその瞬間、辺りに強烈な閃光が走り、空間を揺らす衝撃が室内を覆った。

 「なに!?」

 シューインが思わず叫びを発した。

 もともと白い光で満ちていた空間が、手を翳さざるを得ないほど強い光線で包まれる。視力が完全に奪われる。

 ――何も見えない。

 あまりの唐突さにレンは「あっ」と声を出す間さえなかった。

 時間にすればほんの一瞬のことだ。

 だが、その閃光(せんこう)が止み再び視界が戻ってきたとき、……レンの姿は祈り子さまと一緒に跡形もなく消えていた。

 部屋の中央で、青白いスフィアの球体だけが静かに白い輝きを放ち続けていた。

 つまり……。

 真っ白に輝く室中に、シューインはたった一人で取り残された――。

 

 

 

  《第2章・第8話》 =了=

 


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