そうして、一色いろはは本物を知る   作:達吉

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へいお待ち!大盛りいろはす一丁!


■23話 そこに至るまでの過程

「ふふっ…」

 

顔立ちに不釣り合いな色っぽい笑みを浮かべ、更に一歩、彼女はこちらに踏み込んできた。

自分の領域を食い破られ、押し倒されているかの様な感覚に包まれる。

 

「ねえ、先輩…」

 

甘い吐息が鼻先をくすぐる。

瞬きに長い睫毛が揺れるのさえ、はっきりと見える距離。

肩に置かれたその手が、小さな身体に篭った熱い体温を伝えてきた。

 

「そんなんじゃ、物足りなくないですか…?」

 

今の俺達は、周囲の人間の目にどう映っているのだろうか。

バカップル?爆発しろ?

上等だ、爆発でもなんでもいい。誰かこいつを止めてくれ。

 

「おい、やり過ぎだ。冗談にしたって…」

 

「まだ、冗談だと思いますか…?」

 

蛍光灯にぼやけたその影が、俺の顔に落ちる。

濡れたような瞳が逆光の中で妖しく輝いた。

犯人に見せるのが目的とは言ったが、ここまでする必要はない。

 

「ま、待て。何考えて──っむ?!」

 

 

思い留まらせようと開いた口は、彼女によって塞がれていた──。

 

 

 

× × ×

 

 

 

「あぶね…。結構ギリギリだったな」

 

押し出されるようにしてホームに降り立った俺は、ひとつ大きく息を吐いた。

窮屈な車両に押し込まれて不足していた酸素を思う様吸い込むと、肺に溜まった人熱(ひといき)れが押し出されるのを感じる。寒いのは大嫌いだが、こういう時は冷たい空気がありがたい。

しかし休日の朝っぱらから、これは一体何の罰ゲームだろうか。子持ちのお父さん方は本当によくやっているものだ。 

 

ブルゾンの袖に埋もれた腕時計を見れば、長針が示すのは約束の5分前。

小走りで駅を出ると、正面のロータリーには多くの人間がたむろしていた。後ろから俺を追い越していった男性が、女性の下へ手を振りながら駆け寄っていく。

え、こいつらみんなデートの待ち合わせなの?千葉ってばいつからこんなに彼女持ちが増えたの?

 

彼等の浮かれた顔がやたらと(かん)に障る。何が「寒いねー」だ。この世の春を謳歌してる分際で。

こっちはさながら休日出勤させられる社畜の気分だ。なにせこれから俺に待ち受けているのはデートでもなければ休日でもない。いつもの部活の延長なのだから。

 

「ん…なんだ?」

 

相方を待っているであろうリア充男子ども。連中の視線が、とある一点に集中していることに気が付いた。

もしかしてチーバくんでも来ているのだろうか。だったら写真撮って小町に自慢してやりたい。

県民愛をたぎらせてそちらを見てみれば、視線を集めているのは一人の小柄な女の子だった。

 

白っぽいダッフルコートの内側には黒系のセーターとチェックのミニスカート。膝上まであるロングブーツとの間には白い太ももがちらりと覗く。いわゆる絶対領域と呼ばれる代物だ。

絶妙に調整された露出が発する引力は極めて抗い難く、伝説のガハマ連峰にも匹敵する勢いだった。

 

彼女は両手をコートのポケットに突っ込んで、揃えた(かかと)をトントン鳴らしている。灰色の空を見上げてはぁっと白い息を吐くその姿は、「美少女といえばコレ」という要素を分かりやすく圧縮したようだった。例えるならば冬季限定チョコレートのCMで見かけるような、そんな感じ。

 

これが駅前で独り退屈そうに突っ立っているのだから、そりゃもう目立つこと目立つこと。

ダメ元で挑戦しようかなんて、顔を上気させた男連中が遠巻きに相談をしているのが聞こえた。

 

イヤだなー。

帰りたいなー。

 

俺、今からあれに声掛けるのか…。

 

「あっ、先輩!」

 

のたのたと近づく俺を目ざとく発見した彼女は、ちょっぴり上擦った声を上げた。良く出来た人形が魂を吹き込まれたかのように、その表情をぱっと綻ばせる。対照的に俺の表情は生気を失い、さっと暗い影が落ちた。

 

彼女は真っ直ぐこちらへと向かってくる。

俺は我関せずという体を装い、後ろを振り向いた。

よんでますよ、先輩さん。

 

…だって今の見た?

周りの人がね、ガッ!て一斉にこっち向いたんですよ。超怖えー。

戸部っていつもこんなのに耐えてるの?さてはアイツもドMだろ。サッカー部そんなんばっかだな。

もうね、「ないわー」って声が聞こえてくるんですよ。心の声じゃなくて肉声で。いや実際その通りで、俺ってばこの子の彼氏じゃないんだわー。

まあ今日の目的を考えれば、そんな誤解まみれの空気も有効活用しなくちゃいけないわけなんだが…。

 

「ちょっと先輩、なんでいきなり顔背けてるんですか。かなりヒドくないですかー?」

 

「お、おう。いや、ちょっとな…」

 

トトっと駆け寄ってきた冬の美少女さんは、もちろん一色いろは。

こうして話していると、いつもより一際眩しくはあるものの、俺の知っている彼女であることが分かる。身に帯びた香りもいつもと同じだ。さっきは何だか遠い存在のように感じたんだが…。

 

反応の薄い俺に業を煮やしたのか、一色は「もしもーし?」と俺の二の腕を叩いた。

しかしそんな微細な衝撃も、未だ中破状態の俺にはそれなりのダメージとして伝わる。「いて」と頬を引き攣らせたのを見た彼女は

 

「あ、ごめんなさい!今の、わざとじゃなくて…」

 

と、慌ててその場所に手を伸ばした。

 

おいおい。こんな人目の多い場所で愛撫プレイとかレベル高すぎでしょ。開幕早々、社会的に俺を抹殺する気なんですかね。それとも羞恥心をまるっとおうちに忘れてきちゃったの?そんな装備で大丈夫か?

 

ナデナデを押し留められた彼女は、気を取り直したようにさっきのやりとりを再開した。ただし、俺の袖はきゅっと握ったままだ。この安定のあざとさ。やはりこの娘、間違いなくいろはすである。

 

「ていうか、遅いですよ先輩。ちょお寒かったですー」

 

「大丈夫だ、俺は全然待ってない。いま来たところだ」

 

「いえそれは見れば分かります…。色々おかしいんでどこから突っ込めばいいかわかんないです」

 

はて。確か以前に彼女自身が言っていた、こういう時の模範解答のはずなのだが。

 

「もしかして待ってた?」

 

「先輩の5分前には着いてましたね!」

 

えへん!と控えめな胸を張る一色。

いや言うほど待ってなくね?と思ったが、ふわりと広がる髪から一瞬見えた彼女の耳は、冬の空気に赤く(かじか)んでいた。

うーむなるほど、これが「全然待ってないよ」の正しい使い方か。確かに気付いちゃうとすさまじい罪悪感がある。お詫びに何か奢ってと言われたら「ハイ喜んでー!」といい笑顔で応えちゃうレベル。なぜだろう、俺も遅刻はしていないはずなのに。

 

「それより先輩。ほらほら、か・ん・そ・う!」

 

腰にしなを作って軽いポーズを決めてみせる一色。

さっきも心中で評した通り、写真にすれば商売でも通用するレベルだと思う。だからと言って、正直に褒めるなんて選択肢があるはずも無いんだが。

だいたい俺なんかが言わなくても十分過ぎるほど可愛い自信があるだろうに、そこを敢えて聞いてくる意図が分からん。どうしてもと言うなら道行く人にでも聞いてくれないだろうか。

 

ただ、今日は一応犯人に見せ付けるという目的がある。普段の俺の柄ではない行動だとしても、多少の演技は覚悟してきたつもりだ。まずは妹向けテンプレで対応しておこう。

 

「あーうんすげー似合ってる超可愛いよ」

 

心の底から棒読みですほんとうにありがとうございました。

 

いやね、可愛くない相手なら頑張ればお世辞くらいは言えるんですよ?嘘とかわりと得意な方ですし。

でも本当に可愛い相手だと、気障(きざ)っぽくて逆に言えなくなるんだわこれが。ほら、ガチのハゲには冗談でもハゲって言えない理論的なアレな。

 

「な…」

 

彼女はきゅっと自らの両腕を抱くと、その半身を俺から隠すようにして言った。

 

「なんですかいきなり!そういうの似合わな過ぎて心臓に悪いですまじまじと見ないで下さいお世辞なら休み休み言ってほしいです!」

 

「…なら休み休み聞いてくれ」

 

「うー、なんなんですかーもぉー!」

 

理不尽には慣れているつもりだったが、一色のそれはどうやら小町とはパターンが違うらしい。

さっきより優しく気遣われたぺこぽん制裁を二の腕に受けながら、今日は疲れる一日になりそうだと覚悟を決めた。

 

やたら目立つロータリーから離れて人心地付いていると、彼女はにっこりと笑って言った。

 

「まずはどこに行きましょうか」

 

「一色は行きたいとことかねえの?」

 

「まずはどこに行きましょうか」

 

「……」

 

おっふ、流石はリアル人生。

最初の選択肢でいきなり無限ループにはまってしまった…。(あらかじ)め定められた正解を答えない限り、作り笑顔に付き合わされるらしい。

だが問題ない。この程度は想定の範疇だ。こんな事もあろうかと、脳内に小町謹製のカンペを仕込んで来たのだ。

 

「う、ウィンドウショッピングとか…?」

 

「ぷっ…」

 

どうやらループからは抜けられたみたいだが、あんま正解って感じでもないな。

 

「ごめんなさい。だってちょお似合わないんですもん…」

 

「…つまり、不正解?」

 

「いえいえ、正解ですよ。でもららぽが目の前にあるのに迷うことありますかね?」

 

「もしかしたら海岸を散歩したいとか言い出すかも知れないと思ってな」

 

「ないですから。この寒いのにいきなり海沿いの散歩とかないですから」

 

俺達の目と鼻の先には、千葉県民の集う大型ショッピングモールがでんと構えている。待ち合わせたのはその最寄り駅だった。

そんなロケーションでいちいちクラスメイトの目を気にする必要があるかって?あるんだよこれが。

 

千葉の人間にとって、買い物と言えば"ららぽ"か"パルコ"か"いなげや"なのだ。ソースは俺。だいたいそのどれかで済ませてる。

そして事実、ぼっちの俺でさえ、ここで過去に何度か知り合いに遭遇している これが一色クラスともなれば、テナント一つにつき一人くらいは顔見知りとエンカウントするんじゃないだろうか。

 

初っ端から選択を誤ったかと思ったが、つらつらと文句を(こぼ)す割に、一色の顔は明るい。

夕べは特に寒かっただの、小町が可愛いだのと会話の途切れない彼女の相手をしつつ、俺達はららぽーとへと足を向けた。

 

 

* * *

 

 

人の流れに逆らわず、施設の中へとなだれ込む。すわ初詣かとも思える人の波に即席パーティーの分断を危惧したが、一色はあれからずっと俺のブルゾンの袖を握っていた。ただしいつもの様に腕を絡めてこようとはしない。いくら演技でも流石に外でそこまでする気はないのだろう。

そんな風に勝手に安心していると、俺の視線に気づいた彼女はこう言った。

 

「だって、まだ痛いんですよね…?」

 

ビッチらしからぬ慈愛を滲ませたその声色(偏見)。

怪我してなかったら腕を組んで歩くのだろうか。何それ恐ろしい。本物のカップルでもそうそう居ないだろ。

こちらを窺う一色の視線がこそばゆくて、辺りを見回すフリをしながら視線を逃がした。

 

「…なんだあれ」

 

小物や服のテナントが軒を連ねる中、少し風変わりな店舗が目に付いた。

色とりどりのガラスビンが店内一杯に溢れている。しかしそれらは規則正しく並べてあり、どこか幾何学的な美しさがお洒落な雰囲気を醸し出していた。

…ポーションの専門店?あるいは錬金術のお店とか?

 

「なあ、あれって何の店?」

 

「ああ、アロマの専門店ですね。入りましょうか」

 

「そうか。じゃあ俺ここで待って──って引っ張んないの!伸びるだろ!」

 

「もー、なんのために一緒にいると思ってるんですか?」

 

「だってこれ、まるで連行されてるみたいだし…」

 

掴んだ袖を離さず、そのまま店内に突入しようとする一色。カップルのご入店というよりは、抵抗する痴漢現行犯を派出所に引っ張り込もうとしているような光景だった。

 

「連行って…。あ、でもそれ連れ立って行くって意味なんですから、単語的にはセーフですよ!」

 

「視覚的にアウトだろ…」

 

開け放たれた入り口からは華やかな香りが漏れてきている。よく見たら店内に男性客一人もいないじゃん。これ絶対、女子の為のお店でしょ。

 

すったもんだしつつ結局店内へと引きずり込まれた俺は、そのオサレ空間を前に棒立ちせざるを得なかった。

物言わぬ貝となった俺を引き連れ、一色は店の奥へと踏み込んでいく。

俺もこの手の雑貨チックな店は嫌いじゃないけど、店員から声掛けられたらいつでもとんずらかませるように外側から攻める派なんだよな。それをいきなりこんな敵陣深くまで…。いろはすったら大将首でも狙ってるの?

 

「いらっしゃいませ。何かお探しですか?」

 

いかにも綺麗系といった風のお姉さんが飛び込んできた獲物を出迎える。

出たよ、初見殺しの定番台詞。ふらりと店に入ったヤツは大概これで駆逐される。何でいつも探しものしてる前提なんだよ。自分探しなんてとっくにオワコンだっつーの。

しかしそこはリア充代表の一色会長殿。彼女は常連さながらにリラックスした様子でこう(のたま)った。

 

「えっとー、彼氏とお揃いの香りとか欲しいんですけどー、オススメありませんか?」

 

「もちろんございますよ。宜しければこちらへどうぞ」

 

ほんと息をするように嘘吐くなー。こいつ見てると女子の話の真偽なんて探るだけ無駄だというのが良く分かる。あんまり堂々としてるもんで、共犯の俺ですら「左様でございますか」と畏まってしまいそうだ。

敵陣を悠々と進んでいく一色。その姿は小柄な背丈に似合わず頼もしい。彼女の後ろを歩いているうちにやっとこ余裕の出てきた俺は、改めて店内を見回した。

 

店内に並んだビンの中身は大抵がクリームやらオイルやらだったが、中には目の粗いシャーベットみたいなものもあるようだ。

興味深く観察していると、どこからともなく近寄ってきた別の店員さん(もちろん女性)が営業スマイルと共に説明してくれた。

 

「こちらは死海から取れました、ミネラルたっぷりの塩のスクラブになります」

 

なぬ?死海とな?

という事は、これに漬けておけば俺のテストの答案でさえも死海文書になっちゃうってこと?"見たら死ぬ"とかの付与効果が付いてそうだ。

やるなあ、アロマ専門店。見た目に反してめっちゃ中二臭い。材木座と来たら大変なことになるぞ。

 

「先輩、シカイってなんですか?」

 

はぐれたペットを見つけた飼い主のように、こちらへ寄ってきた一色は真っ先に袖を掴んだ。いつの間にか離していたらしい。つか、リードがなくても逃げたりしないから、ずっと握ってること無いんですよ?

 

「身体が沈まずに浮いちまうイスラエルの塩湖の事だ。海水の5倍くらいの塩分濃度があるらしいぞ」

 

「あっ、それテレビで見た事あるかもです。でもエンコ…湖なんですか?海じゃなく?」

 

「確かその辺は国際法的にも定義で揉めてるんだったっけか…。まあでかい塩湖と小さい海の明確な区別は難しいって話だ」

 

「はー…」

「はー…」

 

いや、なんで店員さんも関心してんの?あなたは説明できなきゃダメじゃない?

 

(彼氏さん、予習されてきたんですかね?凄い気合入ってますね…)

 

(いえ、こういうの素で知ってるひとなんで…)

 

(えー?イケメンだし頭も良いし、お客様とお似合いじゃないですか!)

 

(あはっ、そう見えますー?やだぁー)

 

…ねえねえその小芝居、いつまで続くのん?

それより俺、死海の塩とやらに触ってみたいんだけど。そこでサンプル弄れるみたいなんだよね。

しかしこの商品、語感的に禁忌に触れた人間の末路っぽくてかっこいいな。かつて封印した我が魂の輪廻(ルフラン)を感じる。

 

「よろしければお試しになりますか?」

 

「いいんすか?じゃあ…」

 

店内中央に設置された大きな石のテーブル。中央がくり抜かれる形で加工されたそれは、近づいてみると洗面台になっていた。

そこで手を洗った後、例のスクラブを使うのだそうだ。

一色と二人で肩を並べ、死海の塩とやらを両手にもみ込んだ。

 

「ほー…」

 

確かに石鹸みたいないい匂いはするが、ぶっちゃけそれ以外に特別何と言う事はなかった。普通に見たまんまざらっとしていて、傷口があったら超滲みそうだなーって感じ。

しかし水で洗い流したところで、その感触に俺は目を見開いた。

 

「うおっ、なんじゃこれ」

 

ほんとに俺の手か?スベスベなのにしっとりっつーか、とにかくやたら手触りが良い。自分の手なのにずっと触っていたくなる。何なら玉縄ばりに日頃から揉んでいたいくらい。

 

「含まれているミネラルがお肌をしっとりさせてくれるんですよ」

 

凄いわー。ほんと凄い。

けど、俺がスベスベマンジュウガニになって、一体誰が得するんだ?しかもよく見たらこれ、一瓶で五千円以上するし。

 

「うわ!すっご、ちょおスベスベですよ!先輩、ほらほらー」

 

「ちょ、分かったから触んなって」

 

「先輩の手もスベスベ!気持ちいいかもー!」

 

スクラブ効果に気を良くした一色が、俺の手をぺたぺた触ってきた。

うひぃーーっ!ほんとに人の手か?!

元が女子だからなのか、それともこれが真の死海パワーなのか。一色のスベスベ具合は俺のそれとは次元が違った。これでは人類も補完されかねない。八幡溶けちゃう!

 

「わ、分かったから。はい、もう終わりな、おしまい」

 

「えーなんですかーけちー。これ買って行きましょうよ。ちょおスベスベですし」

 

一色流ハンドエステfeat.死海ソルト。

これは危険すぎる。色んな意味で足腰立たなくなりそうだ。

 

「チッ……いかがでしたか?」

 

(…おい今この店員さん、舌打ちしなかった?)

 

(さすがにこれ以上の挑発はNGっぽいですね)

 

(挑発してたのかよ!やめたげて!)

 

さんざん冷やかしたお詫び代わりにお高い石鹸を購入し、俺達はその店を後にした。小町なら喜んで使うだろ。いい匂いがするから間接的には俺得だしな。

 

「ちょっとおなか減りません?」

 

「…そうか?」

 

「減りましたよね?」

 

このシチュエーションは…。

まさか早くも二度目のループに突入したのだろうか。

戦々恐々としていると、今度は一色が自ら提案をしてきた。

 

「あれ食べませんか?」

 

彼女の指す先には独特の形状をした焼き菓子のコーナーがあった。うろ覚えで書き殴ったベンツのロゴみたいなアレ。アロマ店から離れてみて気付いたが、確かにこのあたりには香ばしい匂いが漂っていた。

 

「確かプリッツみたいな、ブリュッセルみたいな…。そんな名前だったっけか」

 

「プレッツェルですよー。そこまできてなんで答えが出てこないんですか」

 

「あれっておつまみじゃないの?アメリカ人が野球見ながらポリポリやってるイメージなんだけど」

 

「スナックみたいに焼きしめてるのはまさにアメリカのですね。でもあそこで売ってるのはドイツ型です。焼きたてを食べる前提ですから、柔らかくてもちもちで美味しいですよー?」

 

「ほー…。何か面白そうだな。食ってみるか」

 

「やたっ♪」

 

一色がこういう雑学みたいなのに詳しいというのは意外だったが、お菓子の仲間だからだろうか。アメリカとドイツで違うとか、それらしいウンチクを語られると弱いんだよな。

 

カウンターに続く列に並ぶと、テキパキと接客をこなす店員達の姿が目に映った。みんな似たような年代の女子である。モラトリアムが許される学生の身で、お休みの日までわざわざ労働に勤しむ姿には恐れ入る。

それにしてもこの店、やけに顔の小綺麗な店員が多いような…。実は飲食店は世を忍ぶ仮の姿で、夜になるとみんなでアイカツ!してるとか?

 

「先輩…?」

 

首筋にドライアイスでも近付けられたような、産毛がざわっと逆立つ感触。一色は0円スマイル(愛想笑い)を維持しているが、こいつの表情ほど当てにならないものもない。

 

「言っておきますけど、わたしも受かった事ありますからね?」

 

「え、何の話?」

 

「ここの面接ですよ。可愛い子しか受からないって有名です。そしてわたしはもちろん即採用でした」

 

そう言って、胸元で小さなピースをチラつかせる。

さっきの一瞬でどこまで思考を読まれたのだろう。ちょっと怖い。確実にヒッ検の段位が上がっている気がする。

 

「なに、一色ってここでバイトしてたの?」

 

「ここじゃなくて、最寄り駅の系列店ですけどね。…でも一週間くらいで辞めちゃいました。お客さんから毎日連絡先渡されるし、チーフは必要もないのに連絡してくるしで、我慢できなくなっちゃって…」

 

「あー…」

 

パワハラ…いやセクハラなのか?どちらにせよバイト女子あるあるって感じの話だな。お客にまで大人気なのは流石と言うしかないが。

あのいろはスマイルが無料で見られるなら、それを目的に来店する男がいてもおかしくないだろう。あざといと言えば聞こえが悪いが、店員の接客態度としてはある意味で理想的でもある。

ここの制服は見たところタイトな黒のポロシャツだが、明るめの髪色とスレンダーな体系の彼女にはさぞ似合った事だろう。なんならゴールデンのCMに出しても全く恥ずかしくないレベル。

 

「一週間か…幻の店員として都市伝説とかになってそうだな」

 

一色が辞めた後も暫く、彼女目当ての客が通っていたらしい。それも見ようによっては十分ストーカーのような。

 

「それ以来、そのお店には二度と近寄れなくなっちゃって。だからここに来たときはよく寄っていくんですよ」

 

「顔が良過ぎるのも大変なんだな」

 

「な、なんですか口説いてるんですか!わりと嬉しいですけどちゃんと顔以外も見てもらわないと空しくなるので出直してきてくださいごめんなさい!」

 

最後まで聞くのが段々面倒になってきたので、俺は一色のお家芸を途中で放置すると、セットのドリンクメニューへと思いを馳せた。

 

「せめて最後まで聞いてくださいよー!」

 

 

一色のチョイスに任せ、プレーンとシナモンシュガーを購入し、プレートを持って店内をうろつく。

どうせなら広い四人掛けをと思って席を物色していると、彼女はなぜか壁側ではなく通路側のイスを陣取った。

てっきり女子はみんなソファみたいな形の壁側席が好きなのだと思っていたが、そうとも限らないのか。

 

いやよく見ろ。この四人席は店の隅にあたる。壁側に座ってしまうと、もしも追い詰められた時に逃げ場がないではないか。大した危機管理意識だな。発揮する方向を変えてくれるとなお良いのだが。

 

でもそんなの気にしない。だって俺、隅っことか大好きですから。警戒すべき方位が半減するから気楽でいいんだよな。

そんな吹き溜まりのポジションに身体を預けて一息付いていると、思いがけない事が起こった。

 

(おもむろ)に立ち上がった一色が、ぐるりテーブルを回り込む。

そして俺の隣にとすんと腰を下ろしたのだ。

 

「え」

 

他人に近付かれると不快に感じる領域をパーソナルスペースという。日本人の多くは前方に伸びた卵形をしているそうで、それほど親しくない相手と食事する場合、向かい合うより横並びの方がいいらしい。これはお一人様専用カウンターの距離感を考えてもらえば分かりやすいだろう。

まさか一色は、それを気遣って隣に座っ──

 

「はい先輩、あーん♪」

 

…うんまあそんなこったろうと思った。

 

まだうっすら湯気の立つプレッツェルにいそいそと紙ナプキンを巻いた一色は、実に素敵な笑顔で手に持ったそれを差し出してきた。

もちろん身体を反らして距離を取ろうとした俺は、しかし肩に感じた堅い感触に目を見開いた。

 

「なん…だと…?!」

 

何度も言うが、この席は隅っこだ。角だ。どん詰まりだ。何かあったら逃げられないと、分かっていたはずなのに。

テーブルと壁と一色に包囲され、俺は完全に進退窮まった。焦る俺の顔色を見て、彼女は嗜虐的な笑みに唇を歪める。その目はまるで窮鼠(きゅうそ)をいたぶる猫の如し。

 

「あーん♪」

 

「どこかで仕掛けてくるんじゃないかとは思ったが、まさかこう来るとは…」

 

「あ、期待してました?先輩もノリノリじゃないですかー」

 

「そういう意味じゃないから。さすがに無理。自分で食う」

 

「させると思います?」

 

一色はプレッツェルの乗ったプレートを素早く俺の射程から退避させた。いやそれ、プレーンは俺のだろ?

 

「…おい」

 

「あ、おっきいですか?じゃ、このくらいで」

 

手で半分にちぎると、それを再度こちらの口元へと近づけてくる。

 

「…っく」

 

ちらりと周りを盗み見ると、同い年くらいの女子が向けている好奇の視線とがっつりバッティングしてしまった。

なんたる恥辱。こんなこといつまでもやってたら良い見せ物じゃないか。

 

大丈夫、小町だと思えば余裕でいける…!

目を閉じて、思い切ってかぶりついた。

 

「はぐ…」

 

「あはっ♪」

 

シナモンの香りと砂糖の甘さ、そしてふかふかのパン生地のような感触が口に広がった。おお、確かにこれは美味いな。

恐る恐る目を開くと、彼女もプレッツェルをはむはむしているところだった。プレートの上を見ると、半分になった残りのシナモンシュガーがそのまま残っている。

 

…おいおい、なら今一色が食ってる方って俺がかじった方じゃない?ちょいとお前さん、一体何のためにちぎったのかえ?

 

「あむっ…。んー、おいし♪シナモンはちょっとカロリーヤバいですけど、たまにはいいですよねー」

 

もうちょっとほら、衛生観念っつーの?そういうのケアした方がよくないですかね。雪ノ下みたいにしろとは言わんけど、比企谷菌とか気にならないの?

 

「先輩、もう一口食べます?」

 

彼女が手にしたそれは、口にした痕跡がはっきりと残っていた。いつかのマッ缶の時は暗くてよく分からなかったが、表面にパウダーが振りかけられているせいで、あからさまに唇の触れた跡が残っているのだ。気が付かないフリなど出来はしない。

彼女は飽きもせず「あーん♪」と俺に差し出してきた。

 

ひたすらそっぽを向いて抵抗していると、一色は「ふふっ」と笑いながらプレッツェルを引っ込めた。

 

「ねえ、先輩…。そんなんじゃ、物足りなくないですか…?」

 

俺の肩に手を置き、ぐっと身を乗り出してくる一色。 顔、近っ!息があったかいし良い匂いがするから離れて!

 

「おい、やり過ぎだ。冗談にしたって…」

 

「まだ、冗談だと思いますか…?」

 

「ま、待て。何考えて――」

 

 

× × ×

 

 

「えいっ♪」

 

残りのシナモンシュガーを口に押し込まれ、俺は目を白黒させた。

一色は鼻歌を歌いながら、生き残った俺のプレーンにまで手を付けている。

 

「あれー、どうしたんですかー先輩。顔真っ赤ですよー?」

 

「…………」

 

言い返したい事は山ほどあったが、何を言ってもヤブヘビになりそうだ。

文句や言い訳をひっくるめ、俺は甘いプレッツェルをごくりと飲み込んだ。

 

 

・・・

 

 

「…二人、移動するみたいよ。いいの?」

 

「あっ、あっ、あーんな近付いちゃってさ!ちょっと攻めすぎじゃない?後ろからドンってしたらむちゅーってなっちゃうじゃん!いいの?押しちゃうよ?いや絶対させないけど……むぎぎ…」

 

「みっともないからストローを(かじ)るのはよしなさい…」

 

 

・・・

 

 

「せんぱーい。ねえ先輩ってばー」

 

最初あんなに気後れしていた一色を連れ歩くこの状況に、俺は次第に慣れつつあった。

彼女がまとわりつく度にふっと鼻に届く香りが、袖越しに時折伝わる手の柔らかさが、あって当たり前のもののような気になってくる。

 

「せんぱーい、機嫌直してくださいよー」

 

「…いや、別に怒っちゃいないけど」

 

「あっ、じゃあ照れてるんですねー?」

 

「激怒してる」

 

「あははっ、許してくださいよー」

 

駄目だこれ、完全にバカップルのノリだ。

死ね死ね団に見つかったら真っ先にやられるやつだ…。

 

腹ごなしに両脇に並んだ店を冷やかしていると、いつの間にやら隣にいたはずの一色の姿が消えていた。

慌てて辺りを見回すと、その姿は既にテナントの中にあった。ヘラのようなものを手に取って、()めつ(すが)めつ眺めている。

 

どうもキッチン周りの物を取り扱う店らしい。ただし何もかもがシャレオツ。あとやっぱり値段が高い。

何だよカレープレートって。茶碗で食ったらダメなの?ちょこっと残った夕べのカレーに関して言えば、俺は断然茶碗をお勧めするね。茶碗カレーの朝から得した感は平皿じゃ出せないと思う。

 

傍に立った俺に気が付くと、彼女はゴムべらの様なものを弄びながら言った。

 

「うちのやつ、ここのとこが金具なんですけど、洗うのが面倒なんですよねー。これ一体型だからラクそうだなーって」

 

「ほんとに料理するんだな…」

 

この手の店というのは一体どんな人種をターゲットにしているのか常々疑問だったのだが、雪ノ下や一色が買っていくのかと思うと、なるほど納得がいった。

成果物だけでなく調理の過程を楽しむために、道具にも細かなこだわりを持つ。料理が義務化してしまった主婦の皆さんにとっては失って久しい価値観だろうな。

分からないではない。小説を読むのだって同じ事だ。結末を迎えた時のカタルシスも大事だが、そこに至るまでの過程だって同じくらい重要である。

 

「なんですかー、また似合わないとか思ってるんですかー?」

 

「滅相もない」

 

「ふーん。まあそのうちご披露する事もあるでしょうから、今のうちからちゃんとコメント用意しておいてくださいね?」

 

一色の料理を見る機会なんてまずないと思うのだが、ひょっとすると雪ノ下に何か習うつもりなのだろうか。毒味係としては実害のない範囲でお願いしたいものだ。

 

そういや、今日の参加賞ということで一色に何か買ってやれと、小町から指令を受けていたんだった。何にするか全く目処が立っていなかったのだが、料理の話で思い出した。いつだったか由比ヶ浜へのプレゼントにエプロンを買っていたやつが居たっけな。

一色も料理をするのであれば既に持ってはいるだろうが、雪ノ下を見る限りじゃ複数あっても困ることは無さそうだった。

見ればこの店もいくつか扱っているみたいだし、エプロンで良いんじゃないかしら。

 

「わり、電話だ。妹から」

 

「わー、デート中に妹の電話優先するとか、これぞ先輩ってカンジですねー。でもこまちゃんなので許します。わたしこのへん見てますので、どうぞどうぞ」

 

「そりゃどうも」

 

俺はテナントから距離をとり、すぐさまライフラインとして登録済みの番号を選択する。

 

「小町、ちょっと教えてくれ」

 

『お疲れー。もうキスくらいしちゃった?』

 

「…聞きたいことがあるんだが」

 

『いきなり舌はダメだかんね?』

 

か、会話が成立しねぇ…。

でも他に聞ける相手もいねぇ…。

時間もないし、全力スルーの方向で。

 

「買えって言ってたお土産の件な。エプロンとかどうだろう」

 

『そういやいろはさん、お菓子作るんだってね。良いんじゃない?』

 

「色とかデザインとかはどうすりゃいい?」

 

『そんなの自分で──考えらんないから電話してるんだよね…』

 

流石は小町。伊達に15年も俺の妹を務めてないな。

 

『うーんと、いろはさんなら濃い色よりパステルカラーとかがいいんじゃないかな?あと何かしら布地に工夫があると良いかも。ボタンとか、変わったステッチとか』

 

ほうほう、つまり原色プレーン型は一番ダメって事か。聞いといて良かったわー。

 

『ところでデートの最中に妹と電話なんかしてていいの?いろはさん怒ってなかった?』

 

「問題ない。俺はシスコンってことにしてあるからな」

 

『それただの事実じゃん。ぜんぜん言い訳にもなってないし。なんでちょっとしてやったみたいな感じになってるの』

 

「でも小町なら許すって言ってたぞ」

 

『いろはさん、なんて良い人!それに比べて小町は…よよよ…』

 

「どしたん?」

 

『なんでもなーい。小町はみんなの味方だから、仕方ないのです』

 

ちょっと妹が何言ってるかわからない。今さら英雄願望のスキルでも発現したのだろうか。もう中学二年は通り過ぎているのだが。

 

「ま、だいたい分かった。サンキュな」

 

『お礼はどこまでいったかの報告でいいからね』

 

返事はせずに通話を終えた。行き先はららぽだって言っただろうが。男女が出かける度に毎回ステージが進行するなら、日本に少子化問題なんて起こらないんだよ。

 

さて、品物は決まった。けど、本人が見てる前で購入するのもちょっと押し付けがましい気がする。何とかマークを外せないだろうか。

そんな事を考えながら振り返ると、紙袋を持った一色がちょうど店舗から出てくるところだった。

 

「それ、何か買ったのか?」

 

「はい、さっき見てたやつです。わりと良さそうだったので。あ、ちょっとメイク直したいんで、すみませんけどあそこで待っててもらえますか?」

 

彼女の差した先には大きな噴水を備えた広場があった。備え付けられたベンチは、妻と子に振り回されて疲れ果てたお父さんにささやかな癒しを提供している。なるほど、俺にはうってつけだな。

 

「了解」

 

俺が右手を差し出すと一色は嬉しそうに笑い、持っていた袋を手渡してきた。彼女の姿が見えなくなるのを待って、俺は先ほどの店舗へと舞い戻る。図らずも作戦遂行の好機である。

 

(わっ、ゆきのん隠れて!なんか戻ってきた!)

 

ん…?

覚えのあるカン高い声が聞こえたような。

それに今、チラッと長い黒髪の様なものが…。

 

「……気のせいか」

 

ここに来るのを知っているのは他に小町くらいしかいないしな。時間もないし、とっとと買ってしまおう。

 

えーと、サイズは…たぶん一番小さいヤツでいいだろう。色は…このライムグリーンで。小町のパンツとお揃いだな(最低)

手早く選択してカウンターへ持って行くと、店員のお姉さんの微妙な顔に迎えられた。

まあ当然だろう。いくら男女平等と理論を振りかざしたところで、女物を身に付けようとする男はキモい。これは差別ではなく本能的な区別なのだ。

しかしそんなピンチも小町のカンペがあれば無問題(モーマンタイ)である。

 

「プレゼント用に包装して貰えます?」

 

「あっ、畏まりました♪」

 

ふふん、いとも簡単に安心しおって。いつから女子へのプレゼントだと錯覚していた?自分へのご褒美かも知れないだろうが!…いや女子のだけども。

ともあれミッションコンプリート。あとは帰り際にでも渡せばいいだろう。いや待て、この袋持ってたらすぐバレるよな?どうしよ、小町のために買ったことにでもしとこうか。

 

一色が戻ってくる気配はまだない。そもそも女子という生き物は何をするにも時間がかかるものだった。着替えに食事、そしてトイ…もとい化粧直し。これなら慌てる必要もなかったか。歩き回って足も疲れたし、ベンチで一休みしていよう。

 

「なあ、おい。お前──」

 

噴水広場に戻ると、横合いから急に声をかけられた。

 

見れば声の主は知らない男だ。俺と同じくらいの年頃だろうか。彼は探るような目つきで、こちらをじっと見つめている。

普段ならば絡まれる理由に心当たりなんてないのだが、あれだけ連れがフェロモンを垂れ流しているのだ。狼の一匹や二匹は寄ってくるだろう。

ただの難癖ならばいい。しかし、もしも本命が釣れてしまったのだとすれば──。

 

本格的なトラブルの気配を感じ、俺は緊張に身を固くしたのだった。

 


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