そうして、一色いろはは本物を知る   作:達吉

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皆さまお久しぶりです。
いろはすの誕生日までには終わらせたかったんだけどなぁ。
とにかく、続きをご賞味あれ。


■38話 ツイスター風味の男女

「せん…ぱい──」

 

 

 

「お客さんお時間でーす。延長はできませーん」

 

 

 

「ひゃあ!」

「いてっ!」

 

 柔らかく俺を拘束していた小さな手は、外敵の襲来に慌てたのか、キリリと爪を立ててきた。突然手の甲に走った痛みに、ドロドロに溶けていた理性が急速に覚醒していく。乱暴なノックの響いた戸口を見れば、薄桃色の看護服に身を包んだ女性が一人。半笑いを浮かべながら腕を組んでこちらを観察していた。

 

「あ、あはは…。ち、違うんですよー今のは。その、ね、熱を測っていただけでー…」

 

 男のベッドから慌てて身を起こし、着衣の乱れを直しながら弁解する一色。笑えるくらい説得力のないその姿に、乾いた目線が突き刺さる。

 

「お気遣いなく。それは看護師(ナース)のお仕事です。むしろ熱があるのはあなたの方じゃない? 頼むからここで最後までしないでよね。シーツとか換えるの私なんだから」

 

「し、しませんって! あーそうだーわたしお花の水換えなきゃでしたー! ちょっと行ってきまーす!」

 

 棒読み少女は窓際の花瓶をひったくると、あっという間に廊下へ逃走した。正に"脱兎の如し"ってヤツだな、と含み笑いしていると、ナース服の女性も腕を組んで苦笑いを溢した。

 

「ったくすばしっこい。うちのウサギにそっくりだわ」

 

 やっぱり彼女も同じような感想を抱いていたらしい。

 

「知ってる? ウサギってほとんど一年中発情してるの」

 

 違った。俺はそこまで酷いこと考えてなかったわ。女子ってほんと同性に容赦ねえな。

 

 なかなかに口の悪いこの看護師は、20代半ばくらいのサバサバした女性だ。それほど年が近いというわけでもないのに、一色とはわりかし気さくに言葉を交わしている。俺の入院当初、彼女がどっぷり落ち込んでいた頃にちょこちょこ世話になって、それ以来の付き合いなのだとか。

 

「あんまからかわんでやって下さい。後で捌け口にされるの、俺なんですから」

 

「男の子としては本望でしょ? 泣いて感謝なさい」

 

「………はは」

 

 何と返してよいやら。俺は閉口し、乾いた愛想笑いで乗り切った。どうも、二人の交流のきっかけとなった俺までひっくるめて、いち患者の枠を飛び越したカテゴリに登録されているきらいがある。だがこちらとしては殆ど一方的に知られているだけの間柄であり、こういった彼女のノリにはあまり付いていけず、距離感の近さに面食らうことも少なくなかった。

 

 淀みない手付きで点滴のパックを交換しながら、彼女はチラリと廊下に視線を送る。

 

「…私はキミが担ぎ込まれた経緯も一通り知ってるから、あの子が入れあげるのも理解できるし、野暮なことは言いたくはないんだけど。一応ほら、立場上はね」

 

「いえ…こちらこそスンマセンです」

 

 内容が内容だけに、俺の身に起きた事件の仔細について、院内でも一種の緘口令(かんこうれい)の様なものが敷かれていた。この人は俺が入っている個室の担当者で、警察の人と会う機会も少なくなく、第三者としては最も事情に通じている人間の一人なのだ。

 

「でもあの調子だと、退院したその日のうちに、ペロッと食べられちゃいそうだよねーキミ。初めてなら今のうちに少し勉強しといた方がいいよ?」

 

「…………えっと」

 

 こういう時、どんな顔をすればいいのだろうか。距離感云々は抜きにしても反応できないネタである。ウィットに富んだ返しなど出来る筈もなく、俺が脂汗を垂らしていると

 

「あーるー晴れたー♪ ひーるー下がりー♪」

 

 彼女は哀愁たっぷりに家畜の挽歌(ドナドナ)を口ずさみながら、病室を出て行った。

 

「いや曇ってるし。夜だし」

 

 花瓶を手に戻ってきた一色が、首を傾げながら戸口をくぐる。

 

「今日はなんかご機嫌でしたね…?」

 

 こないだの合コンうまく行ったのかなーと花瓶を弄っているマイ彼女。その小さな背中に向って、俺はひとつアドバイスを送ることにした。

 

「なあ一色」

 

 返事がない。

 

「…一色?」

 

 こちらを向こうともしない。どうし──あっ、顔(そむ)けやがった。

 

「………………いろは?」

 

「はーい♪」

 

 わあーいい笑顔ですねー。テンプレあざっす。って、マジでこれからずっと名前で呼ばなきゃなのかよ…。恥ずかしいわー、恥ずか死するわー。

 

「何ですかー?」

 

「ああ…うん。そうそう、豆乳は身体にいいらしいから。毎日飲むといいぞ」

 

 色々と抑制する効果があるらしいからね。コレステロールとか。あと性欲とか(本命)

 

「へっ? なんですか急に…。豆乳、もう飲んでますよ?」

 

 え? そうなの? 毎日習慣しちゃってるの?

 

「お肌に良いんです。それにバス──えっと…そう! バスタブに入れて、豆乳風呂とかにして!」

 

「ほー。そいつは優雅なこって…」

 

 あっれーおっかしいなー。ネットで記事を見たんだけど。ウソビアだったのか? それともうちのサキュバスさんには豆乳如きじゃ足りないのか?

 

 …いや待て。大豆イソフラボンの別名は疑似女性ホルモン。それが男性ホルモンを抑制するから"男の"性欲は低減されるって話だったっけ。だがこの場合、女性が疑似女性ホルモンを摂っているわけだから──。

 

「飲み過ぎは、良くないぞ」

 

「どっちなんですか…」

 

 俺の彼女がエロいのは、豆乳のせいかもしれなかった。

 

 

 

* * *

 

 

 

 生殺しの夜から一夜明けて──。

 

 スマホに表示された日付をちらりと横目で検める。ふむ、今日は終日出勤の日か。

 あー、出勤って言っても学校の話じゃないよ? 一色…げふんこふん…い、いろはの話ね。

 

 彼女が終日病院に入り浸る日。つまりは登校不要のハッピーサンデーだ。だが毎日がホリディな俺にとって、大事なのは来客があるかどうか。そしていつも通り、本日最初の客も彼女だろうと思っていたのだが、実際に来たのは予想外の人物だった。

 

「やっはろー! お邪魔しまーす!」

 

「邪魔すんなら帰れ」

 

「いきなりヒドい!? あ、今日はお菓子もあるよ! ほらコレ、ゼリー! これなら食べれるでしょ?」

 

 うーん…今の、関西じゃ鉄板のネタなんだけどなー。やっぱ千葉じゃ通じないかー。

 冗談だから、と手をひらひらさせると、頬をぷっくりさせながらトコトコと室内に転がり込んできた。

 

 由比ヶ浜結衣。

 この"毎日がエブリディ☆"って感じのちょっと緩い女子は、何故かちょくちょく俺の病室に遊びに来る。いろはとも仲が良いみたいなんだが、その割には一緒に来るのを見たことがない。こいつとセットで見かけるのは──

 

「雪ノ下は?」

 

「ムッ。何それ。あたしだけじゃ不満ってこと? ヒッキーのくせに生意気!」

 

「いつも一緒だから、今日はどうしたのかと思っただけだ」

 

「すぐ来ると思うよ。あたしがちょっと早く着いちゃっただけ」

 

 よいしょ、とスツールを引き寄せてコートを脱ぐと、窮屈そうにしていた彼女の果実が、解放された喜びに小踊りしてみせた。俺は素早く目を逸らし、「たゆんたゆん」という擬音語を生み出した天才の生涯へと思いを馳せる。ふう、危ない危ない…。

 彼女というものが居ると、こういうアタック・チャンス!で素直に楽しめないという弊害がある事を最近思い知った。まあ贅沢な悩みではある。

 

「いろはちゃんは?」

 

「まだ来てないけど」

 

「ふ~ん…()()、ねぇ…」

 

 そのニュアンス…今日も来るって確信してる俺に何やら含みがあるようだが、彼女が見舞いに来るのを信じてる彼氏って、そんなにおかしいのだろうか。それとも「ヒッキーに見舞われる当てがあるなんて生意気!」ってこと? もしや高校でリア充化に成功したのかと錯覚したが…どうやら比企谷八幡というキャラクター、高三を目前にさしたる変化もないらしい。奉仕部とかいう組織での立ち位置も、なんか微妙っぽいしなー。

 

「…ねえヒッキー」

 

 強烈な違和感を放つあだ名にようやく慣れてきた俺が顔を向けると、由比ヶ浜がピンク色のタオルをもみくちゃにしながら息を荒くしていた。

 

「えっと、えと…ね?」

 

「…な、何?」

 

「あー、その……あ、汗! 汗かいてない? かいてるよね! 拭いたげよっか!」

 

「いや別に。つか先に自分の拭いた方がいいぞ」

 

「えっウソ! あたし汗臭い!?」

 

「いや、そういうんじゃないけど。なんか暑そうだから」

 

 臭くないどころか、最近お馴染みの香りとはまた毛色の違う──柑橘系かな? これまたイイ匂いが、病室の空気を順調に上書き中だ。ただ、いろはが置いた甘い系の芳香剤と縄張り争いでもしているかのようで、ちょっと落ち着かない。

 

「じゃ、じゃあシャンプーとか。これ、水の要らないヤツ。あたし得意なんだ。サブレにもよくやってるから」

 

「折角だけど、それも昨日やってもらったばっかだし。今は遠慮しとく」

 

 つか、サブレって確かコイツんちの…。それ何用のシャンプーか確認させてもらっていい?

 

「げげ…あたし、もしかしてカブってる…?」

 

「ちっちっ。甘いですよー結衣先輩」

 

 ガラリと戸を開けて、キメ顔の少女がずかずかと病室に乗り込んできた。

 

「おはよーございます、先輩♪ 結衣先輩も」

 

「おう、おはよーさん」

 

「い、いろはちゃん…やっはろぉ…」

 

 いろははぎこちない挨拶を返した由比ヶ浜の肩を、ガシッと掴──いや気のせいだった、ぽんと手を置いて、その耳元へ口を寄せる。

 

「そろそろ動く頃だろうなーとは思ってました。その程度のケアをわたしが取りこぼすとでも?」

 

「むぐぅ…」

 

 いろはが世話をしてくれるのは、まあ分かる。散々分からされた。でもどうして由比ヶ浜まで…。ひょっとして八幡は奉仕部の愛玩物(ペット)的な存在だったとか? おいおい、犬シャンプーが急に現実味を帯びてきたぞ…。イジメ、カッコ悪い!

 

「じゃ、じゃあ…」

 

 まだ諦めないつもりなのか、部屋の中を見回していた由比ヶ浜。何を思ったのか、彼女は出し抜けにとんでもないことを言い出した。

 

「溜まってるやつ! あたしがしてあげる!」

 

「ブほッ!! ごほ、ごふっ」

 

 くそッ唾が気管に入…ってか咳込むと傷ヤベェ痛っ!

 

「ゆゆゆ結衣先輩!? あ、ちょっと先輩あんま強く咳しちゃダメです! そっと。そっとですよ」

 

 小さな手が背中をさする感触を頼りに、肉体の反射を無理やり押し留め、なるべく静かに咳をする。静かにやっている時点であまり咳をする意味がない気もするが、出るものは仕方ない。これも怪我人として暮らすうち、自然と身についた芸当だった。

 

「うわわわわ! ヒッキー大丈夫!? どしたの?」

 

「ごほ…お前が変なコト言うからむせた…ケホ」

 

「まったくもー。結衣先輩…本気ですか?」

 

「え? なにが?」

 

「だからその…」

 

 遠慮がちな視線が俺の股間に向けられたのを察知し、反射的に両手でガード体勢に入る。

 

「いま言ったじゃないですか…シてあげるって。確かに止める権利はないって言いましたけど、ソレはちょっとわたしもスルーしかねると言いますか…」

 

 いろはに導かれるようにして、由比ヶ浜の目も某所へと吸い寄せられる。二人分の視線がガードを貫かんばかりにグリグリと突き刺さり、俺の顔面はいよいよ羞恥に燃え上がった。

 

「……? ………っ!! ち、違っ!?」

 

 こちらの認識にやっと追いついたらしい。トマトみたいに赤くなった由比ヶ浜は両手で顔を覆い、「うはーっ!」と奇声を上げたのち、勢いよく俺の背後を指さした。

 

「それ! そっちのハナシ!」

 

 彼女の指す先──ベッドの影には、プラスチックの洗濯籠が置かれている。中には俺が使った寝間着やタオルなんかが入っていた。

 

「お、お洗濯くらいなら出来そうだし…だから…その…そんだけで……そーゆーのは……」

 

 意図的に俺を避け、フラフラと室内を遊泳する由比ヶ浜の目線。何かもう色々と直視できない。聞かせるプレイならまだしも言わせるプレイとか、俺にはまだ難易度が高すぎる。「HAHAHA、紛らわしいなぁコイツめぇ☆」なんて場をリフレッシュさせられるはずもなく、俺は黙々と壁の染みを数える作業に没頭した。

 

「…い、今のは結衣先輩が悪いと思いまーす」

 

 共に先走った約一名は、悪びれもせず全力で他人のせいにしていた。

 

 

「ね、ねえヒッキー…あの…」

 

「いいから。もう忘れたから。俺も恥ずいし」

 

「あ、うん。ごめんね。ありがと。でね、その…さ」

 

 チラチラと、俺の腰回りに未練がましい視線を泳がせながら、彼女は消え入りそうな声で聞いてきた。

 

「…………た、溜まってるの?」

 

「洗濯物が、な!」

 

 もうヤダ…何なのこの子。わざとやってるんじゃないの?

 

「そ、そういう事でしたら結衣先輩、一緒にお洗濯でもしましょうか! あ、先輩どうします? 調子いいならついでにお散歩いきませんか?」

 

 部屋の隅に鎮座した車椅子をポンポンと叩きながら、いろはがこちらに水を向ける。

 うーん…。別に太陽は恋しくないんだよな。おそと超サムい。腰だって今はそんなに痛くないから、無理に動かなくてもいい感じ。けど、いろはの誘いを蹴るってのが地味に良心に響くし──

 

「そうな…雑誌とか見たいかも」

 

「ラジャーです。では売店方面ということでー。結衣先輩、ちょっと肩貸してもらえます?」

 

「お、おうともさ! 貸すよー、ちょー貸すよー!」

 

 絵面としては心底情けなくも、女子二人の肩を借りて──うっわ混ぜたらすげえいい匂いフルーツポンチかよ──車椅子に移動すべくやいのやいのと四苦八苦していると、更なる来客を告げるノックの音が響いた。

 

「お邪魔します──お早う、比企谷くん…と、由比ヶ浜さん、一色さん」

 

 雪ノ下雪乃。

 由比ヶ浜の友人にして、俺の所属する組織の首領(ドン)を名乗る女だった。そういやすぐ来るって言ってたっけか。

 

「うす」

「おはようございまーす」

「やっはろー、ゆきのん」

 

「…由比ヶ浜さん。約束より随分早いのね?」

 

「え? あ、その、ちょっと早く目が覚めちゃって…。てか、ゆきのんだってちょっと早いじゃん」

 

「私のは一般的な五分前行動よ。それに今朝は私の電話で起きたって言っていなかったかしら」

 

「うえっ!? い、いや~、あのあと二度寝しちゃって…」

 

「言い訳が明後日の方向にずれているわよ。何か後ろめたい事でもあるの?」

 

「ご、ごめ~ん…もうしないから許してぇ~」

 

「いえ、別に責めているのではなくて、単に理由を──」

 

 来て早々、何なんだこいつらは。その内輪揉め、ここでしなくてもいいやつじゃないの?

 

「…ところで比企谷くん。そちら、お取り込み中みたいね。間が悪くて御免なさい」

 

 肩を寄せ合うツイスター風味の男女を見て、雪ノ下がついと身を引いて見せる。間違っちゃいないけど、間違った想像をされてそうだなー。

 

「雪ノ下先輩も一緒にどうですか? 今から下の売店までお散歩です」

 

 いろはのフォローに車椅子へ視線をやり、「成程」と状況への理解を示すと、雪ノ下は(ようや)くこっちへ歩み寄ってきた。

 

「そうね…お邪魔でなければご一緒させて頂こうかしら。比企谷くん、これ自分で動かせるの?」

 

 車椅子の周りをくるくる回りながら、あちこちを指先でつつく雪ノ下。なんだか新しい玩具を与えられて警戒している猫のようだ。

 

「ちょっとならいけるけど、売店までってなるとしんどいな。力もあんま入れられないし」

 

「なら、誰かに押してもらう必要があるのよね?」

 

「もしかして雪ノ下先輩、押すのやりたいですか?」

 

 明らかに図星をつかれた様子の雪ノ下は、長い睫毛を(しばた)かせながら早口にまくし立てた。

 

「べ、別に率先してやりたいという程では…。ただ、車椅子を押した経験なんてないから、後学のためにも一度くらいはやっておいた方がいいかもって、そう思ったのよ。いずれ誰かの看護をする必要に迫られた時、失敗したら可哀想でしょう?」

 

「その動機だと今まさに俺が可哀想なんですけど…」

 

 ふーむ、と顎に指を当てた後、責任者(いろは)が裁定を下した。

 

「…じゃあ今日のドライバーは雪ノ下先輩にお願いしましょうか」

 

「あら、催促したみたいで悪いわね。ならお言葉に甘えて、これで少し練習させてもらうわ」

 

 あれで催促してない扱いなんですか…。つかいま練習って言ったろ。本音出すの早すぎじゃね?

 

「あー、いいなー。あたしもあたしもー。あたしにもそれやらせてー」

 

「うーん、でも結衣先輩、うっかり事故りそうですしー…」

 

「大丈夫、お散歩だけはマジ得意だから! 毎日してるし!」

 

 いやだからそれ犬の話だろ? お前やっぱ俺のことペット枠で見てない?

 にしても、いろはは雪ノ下にだけちょっぴり甘い気がする。いや、由比ヶ浜に厳しいのか? モデルケースが少なすぎて何とも言えないが…。

 

「なーんて、冗談ですよ。じゃ結衣先輩も入れて、公平にローテってことで。その方が先輩も退屈しないでしょうし」

 

「退屈ってこたぁないけど、確かにいろはばっかりってのも悪いよな」

 

「いろは!? いまヒッキー、いろはって言った!?」

 

「ん…まぁ…」

 

 コイツ…わざわざさり気なく(ほう)ったのに、フルスイングで打ち上げやがって…。

 

「どーしたんですかぁ結衣先輩、大声出してー。フツーですよフツー。彼女なんですから♪」

 

「うう…ま、またやられたぁ…」

 

 そうそう、フツーフツー。もっと言ってやれ。じゃないと恥ずかしくて死にそうだ。

 

「…順調に親睦を深めているようで何よりね」

 

「すいません背後から不穏な気配を感じるんで他の人でお願いしたいんですが」

 

「大丈夫よ。こんな恵まれた境遇なら、少しぐらい滞在が伸びても困らないでしょう?」

 

「おい待て。それだと入院が長引くような何かをするつもりに聞こえるぞ」

 

「あら、誰もそんなこと言ってないわ。ところで、最近は骨折程度だといちいち入院なんてさせてもらえないそうね」

 

「オーケー骨折以上の何かですねやめて下さい」

 

 車椅子ひとつとっても、背後に感じる温度や流れる景色の具合というのは微妙に異なるものらしい。いつもは真後ろに居るいろはが隣を歩いているのもどこか新鮮だ。雪ノ下の、口先のわりにはひどく慎重な足運びでもって、車椅子はゆっくりと廊下へと漕ぎ出した。

 

「雪ノ下先輩、初めてなのに上手ですね。わたし最初、うまく角とか曲がれませんでしたよ」

 

「それでも小町よりはマシだったけどな。俺ごとぶつけてたぞアイツ」

 

「ねーねー、ゆきのんどう? 車イス」

 

「想像していたのよりもずっと重いわ。それに動き始めるとかなり引っ張られるし」

 

「これ絶対あたし達の方が軽いもんねー。坂とか入っちゃったらヤバくない?」

 

「責任重大だわ。何しろ彼の命を握っているんだもの。車椅子ひとつ押し留められない、この私が」

 

「そこ。お前がいま掴んでるハンドルんとこね。俺の命の前に握るべきものがあるんだけど知ってた? ブレーキっていうんですよ?」

 

 雪ノ下のブラックユーモアに付き合いつつ、ゆっくり時間をかけてエレベーターへ。

 1階のランドリーへ向かうフルーツポンチ──もとい洗濯チームを庫内に残し、俺と雪ノ下は売店のある2階へと降り立った。

 

 

* * *

 

 

 早くも要領を掴んだのか、雪ノ下の押す車椅子は、既にたどたどしさも薄れてきていた。

 

 カラフルな髪色が視界から消え、自然と軽口も鳴りを潜める。

 このまま売店まで無言のままかと思ったが、暫くすると、意外にも雪ノ下から口火を切ってきた。

 

「まさかこうして比企谷くんの看護をする事になるだなんて、人生分からないものね…」

 

 それ自体、大して意味のある言葉ではない。会話をするつもりがあるのだと判断し、俺は思い切って彼女に問い掛けをした。

 

「なあ…聞いてもいいか」

 

「質問するだけなら私の許可は要らないでしょう。答えるかどうかは別の話だけれど」

 

 めんどくさい。心底めんどくさい女だ。俺以上にめんどくさいとか、これはもう才能だ。

 けれど、だからこそ、聞いてみたい。こいつと俺に、一体どんな繋がりがあったというのか。

 

「…どんな関係だったんだ」

 

「貴方と一色さんの事なら、私もあまり詳しくはないの」

 

「いや、俺ら」

 

 

「……………」

 

 

 車椅子は、いつの間にか止まっていた。

 

 

「…雪ノ下?」

 

 

「……その質問は、卑怯だわ…」

 

 

 どうやら俺は踏み込み過ぎたらしい。

 すぐさま取り消そうとして、乾いた舌が上顎にへばりついた。

 

「す、すまん。忘れてくれて──」

「分からない」

 

 再び動き出した車輪と共に、固まっていた空気がゆっくりと解けていく。

 

 俺の舌にも幾許(いくばく)かの湿り気が戻ってきていた。

 

「…いや。分からんてことないでしょ」

 

「あるのよ。事実そうだったのだから」

 

「人間関係なんて、仲が良いか悪いかどうでもいいか…それくらいだろ」

 

「私と貴方の仲が良かった、という表現には…強烈で激烈で猛烈な違和感を覚えるわね」

 

 違和感にドーピングしすぎだろ。超進化起こして殺意とかに変異しそうな勢いじゃねえか。

いいから。もう普通に否定してくれていいから。

 

「なら悪かったのか」

 

「…そういう時期はあったと思う。けれど、それだけという事でもなくて……」

 

 ならどうでもよかったのか、と聞くのが会話の流れというものだろう。しかし、ここまでの答えを聞けば、その質問が不要であることくらいは俺にも察せられた。

 

「そうか。悪いな、変なこと聞いた」

 

「ただ──」

 

 なのに、雪ノ下は殊更に毅然とした声で、こう言った。

 

「興味を失った事は、無かったと思う」

 

 どうでもよくはなかったと、彼女はそこだけを強調してみせた。

 

「…少なくとも、私は」

 

 弱々しい声で付け加えた彼女の表情を、俺は伺うことが出来ない。彼女に何て言ってやればいいのか、答えはとても簡単だ。だが今の俺に、その一言を口にする資格はなかった。

 

「……そか」

 

 聞いて良かったような、けれどもいま聞くべきではなかったような、スッキリしない気持ちが胃の腑を掻き回していて。雪ノ下は雪ノ下で、表情は見えないものの、感情を持て余しているような気配を匂わせており、お互いに二の句が継げないでいた。

 

 そうしているうち、牛歩運行だった車椅子も、とうとうお目当ての売店区画へと到着していた。しかし、さっきの今で雑誌に手を伸ばすような気分になろうはずもなく、俺は一体何しに来たんだっけかと目的を見失いかけていたところで、

 

「げっ!? ひ、比企谷!」

 

 売店から出てきた一人の男が、俺の顔を見て、素っ頓狂な声を上げていた。

 

 

 

 

<<--- Side Iroha --->>

 

 

 

 先輩を雪ノ下先輩に託して、わたしと結衣先輩は1階にあるコインランドリーへと向かっていた。

 

「ごめんね、あたしがやるって言い出したのに」

 

「いえいえ。ここのって場所分かりにくいですし」

 

 入院患者かその家族くらいしか使わない施設ということもあって、探しても見つからないような辺鄙な場所に、そのコーナーは設置されていた。勝手知ったる様子のわたしに、結衣先輩がへにゃっと眉を下げる。

 

「ぐえー。やっぱりお洗濯もしてたかー」

 

「マネージャーの時にもやってましたし、何ならこれが一番得意かもですよ?」

 

「いろはちゃん、なにげ女子力高くない? 参ったなあ…。あたしにしか出来ないコト、何かないかな?」

 

 それをわたしに聞きますか…。そういうストレートなところこそ、わたしにはない武器だと思うんですけどね。正直にそう答えちゃうのはちょっと癪なので──

 

「そーですねー。()()を使われちゃうと、さすがに厳しいかもです」

 

 と、洗濯カゴをぶらつかせる両腕に挟まれた、窮屈そうな部分に目をやった。

 

「つ、使わないし! そーゆーの以外で!」

 

「クスッ、ホントですかー?」

 

 

 そうして二人で廊下を歩いていると──

 

「おっ、結衣アンドいろはすハッケーン。つーかマジこれ鬼タイミングじゃね?」

 

 意外過ぎる人物が小走りでこちらに駆け寄ってきた。

 しまりのない笑顔と無駄に手入れされたロン毛。この顔も随分と久しぶりに見たような気がするなあ。

 

「とべっち! なんで居んの?」

 

「どうもおひさです、戸部先輩。どこかお悪いんですか? あ、頭ですか?」

 

「ウェーイおっひー。つか二人、突っ込みキッツいわぁ~。いちお、お客さんよー()()

 

 へらっと笑って見せた彼の後ろには、これまた見慣れた男の子が立っていた。とは言え、この顔がここにあるというのは変な感じだ。戸部先輩よりも遥かに強烈な違和感を感じた。

 

「葉山先輩…」

 

「隼人くんもやっはろー。あ、もしかしてお見舞い来てくれたの?」

 

 結衣先輩の挨拶に軽く手で返してから、彼はわたしの方へ向き直った。マネージャー時代の癖が抜けていないのか、思わず居住まいを直してお辞儀をしてしまう。

 

「まあね。いろはの様子を見に来たってのもあるんだけど、そっちは目的達成かな。思いつめてるって聞いて心配してたけど…とりあえず大事はなさそうで良かったよ。でも…ちょっと痩せたんじゃないか?」

 

「えと、はい。いい感じにダイエットになりました」

 

「そっか。その調子なら心配は要らないな。それで、比企谷の具合はどうだい?」

 

 見るからに菓子折りと思しき箱を掲げている彼に、わたしは思わずこう言ってしまった。

 

「…ホントにお見舞いに来たんですねー」

 

「そんなに変かな」

 

 整った顔に浮かべた、どこか不慣れな苦笑い。彼がごく最近になって見せるようになった、生の表情だった。

 

「いえ、戸部先輩が来たことに比べれば、ぜんぜんですけど」

 

「はは、そっか」

 

 わたしの方はと言えば、自分の心臓がきちんと平常運転を続けていることに、正直ホッとしていた。もちろん今さら気持ちが揺らぐなんてことは無いんだけど、彼もある意味で特別枠なワケで…。理由はどうあれ、今は先輩以外のことで胸をザワつかせたくはない、といった心境なのだ。

 

「──やっぱり俺も、こっちのいろはの方がいいな」

 

「はあ、それはどーも…」

 

 憮然としない気持ちで相手をしていると、結衣先輩がちょいちょいと肩をつついてきた。

 

(あたし先行ってるから。ゆっくりでいいからね)

 

(え? いえ、あの──)

 

 チャキッと敬礼のマネをした結衣先輩は、止める間もなくさっさとランドリーへ向かってしまった。たぶん気を遣ってくれたんだろうけど、今さら葉山先輩と二人で話したいことなんて特にないんだよね…。気まずいって程でもないけど、二人きりはちょっと遠慮したいかなって。あ、そういや戸部先輩も居たっけか。

 

 すたこら駆けていく結衣先輩の後姿を眺めながら、葉山先輩は肩を竦めた。

 

「…結衣はまだちょっと追い付いていないのかな」

 

「仕方ないですよ。みんなに説明して回る話でもないですし──」

 

「つかヒキタニくんの病室どこよー。今パインとかガッツリ行きたい気分なんだわー」

 

 …このひとホント何しに来たんだろ。お見舞い品に手を出す気なら、その時点でお客じゃないと判断させてもらうので悪しからず。

 そもそも、先輩はかなりデリケートな状態だ。病院側は特に制限していないけど、面会人にはこっちの判断でフィルターを掛けた方が良いと、お医者さんから勧められている。

 

「すみません…お見舞いの件なんですけどー」

 

 ぶっちゃけ、二人は大して仲が良かったわけでもないだろうし、状況を知らずに気まずい思いをするくらいなら会わせない方がいい。何より、彼らはわたしの過去に関わりの深い人物だ。先輩におかしな情報を与えてしまうかもしれない。そのうちバレることではあっても、今このタイミングで暴露するのはよろしくない。

 ちょっと迷ったけど、わたしの独断でこの二人にはお引き取り頂くことにした。

 

「えーと、せっかく来てもらったお二人には悪いんですけど…実はまだ一般のお見舞いってNGなんですよ。基本、家族だけーみたいなカンジで。あと一部関係者とか」

 

 自分達は特例なのだ、と言外に付け加えてみせると、二人はガッカリした様子で顔を見合わせた。

 

「そうなのか…。まあ重傷だったし、事情も込み入ってるもんな。出直すしかないか…」

 

「そりゃねえべー! 俺の記念すべき初体験は空振りってこと? サガるわぁー」

 

 あー、お見舞い自体が未経験だった、と。これは先輩を心配して来たんじゃなくて、単にイベントとして参加したかった、で確定ですねー(イラッ☆)

 

「初体験がお望みなら、帰りにそれ系のお店にでも行ってみたらどうですか」

 

「ちょ、店とか必要ないから! そういう系じゃねーから俺!」

 

「はは。あんまり苛めてやるなよ」

 

「それこそ知りませんね」

 

 先輩のお見舞いをイベント扱いする人にかける情けはありませんので。

 

「つかさ──」

 

 ピーピー(わめ)いていた戸部先輩の視線が、わたしと葉山先輩の間を行ったり来たり。ほんのちょっとだけ神妙な顔をして、彼は口を開いた。

 

「なーんかいろはすと隼人くん、変わったっぽくね? フツー過ぎるっつか…」

 

「………えーと」

 

 い、今さら…?

 

「戸部先輩、その辺の事情はほとんど知ってますよね…? 肝心なトコは大体居合わせてたじゃないですか。呼んでもいない時まで」

 

 葉山先輩とのオーラスの時にもきっちり邪魔してきたくせに…もう忘れてるのかな。

 

「そりゃな。俺ってばマジ名アシストだったっしょ?」

 

「何言ってるんですか。得点に繋がらないのはノーカンですよ」

 

「確かに。戸部は最近アシスト損が多いよな」

 

「ちょ、隼人くんそれサッカーの話だべー」

 

 へー、サッカーでもそうなんだ。このひとはアシストミスをする星の下に生まれてきたに違いない。これからは関わらないようにしよう、そうしよう。

 

「…まー今のでザックリ分かったけどさー。したら次、誰になったん?」

 

「戸部…この流れでそれを聞くのは…」

 

「全部言わないと分からないとかどんだけですか…」

 

 二人分の冷ややかな視線に晒され、戸部先輩は頭を抱えてのたうち回る。

 

「って、マジわっかんねー! したっけこの流れだとヒキタニくんしかないっしょ? でもそれはねーべ? じゃどーゆーことっすかー!」

 

 

「…………………………………」

 

 

 分かってるなら聞かないで下さいよ恥ずかしい。

 

 

「…………………え。うっそ、マジで?」

 

 わたし達の沈黙が肯定であることを理解した戸部先輩は、いよいよべーべー騒ぎ始めた。

 

「それビビるわー、ビビりMAXだわー! んー、そっかーヒキタニくん! っべ、これパないわー! ちょいLINE回していい?」

 

「未体験のまま死にたければどうぞご自由に♪」

 

 そう言えば、今までは先輩の関係者ばかりで話をしていたから、こういう普通の──下品っていうか、下世話っていうか──そういうリアクションは初めての様な気がする。たぶん、ウチの学校の生徒なら大体こんな反応か、もっと悪いくらいなんだろう。

 

「でもさー、ヒキタニくんといろはす? 超絶イガイな組み合わせじゃね?」

 

「…何か文句でも?」

 

「いんやービビっただけ。いんじゃね? ヒキタニくんなにげ最悪ってワケでもないっぽいし」

 

「誉めるのヘタ過ぎませんかね…」

 

 でもちょっと意外だな。わたしはてっきり──

 

「戸部先輩って、先輩のことあんま好きじゃないと思ってました」

 

「テキトー言わんでよー。別に嫌いとかねーし」

 

「戸部はあいつに借りもあるしな」

 

「借りっつかラ・イ・バ・ル! そこ重要よ? …あれ…でもいろはすと付き合ってるってことは、これ俺の不戦勝じゃね?」

 

 戸部先輩が先輩に借り…? どういうことだろ、ちょっと想像つかないんだけど。今度聞いてみよっと。

 

「あーでも、いろはすがヒキタニくんにご奉仕ってのは、ちょいモヤあるわー」

 

「なんですかわたしに気があったんですかごめんなさい心に決めた人がいるので戸部先輩とかうざいしチャラいし普通に無理です」

 

「ちげーし。あとそれ後半、ディスる必要なくね?」

 

「じゃあ何がモヤるんですか?」

 

「だからさー、いろはすってビジュアルだけはまじイケ子なわけじゃん? したら夜とか超アガるわーって話」

 

「うっわこのひとマジ最悪ですやめてくださいなに勝手に妄想してくれちゃってるんですかセクハラの上に肖像権侵害ですお金払ってください」

 

「これ! この性格がなー。もーちょいアレしたらなー」

 

 だいたいビジュアルだけってなんですか、だけって。ビジュアルすら微妙なひとには言われたくないです。

 

「ま、まあ戸部の感想はさておき…。おめでとう──と言っていいのかな。色々あったけど」

 

 葉山先輩には迷惑もかけたし、本来であればこの言葉にだけは素直にお礼を言いたいところなんだけど、先輩はまだ万全とは言い難いし、わたしのついたウソの件もある。今その言葉を受け取ってしまうのはさすがに違うような気がする。だけど上手いごまかし方も浮かばなくて、少し強引に話を切り上げた。

 

「とーにーかーくー! 今後、先輩の前で今みたいな過去バナは厳禁でお願いしますね。やらかしたら酷いですよ、戸部先輩?」

 

「あ痛ーッ!」

 

 失礼極まりないロン毛の(むこ)(ずね)をぺしっと蹴っ飛ばしてから、スマホを取り出した。立ち話が過ぎたのか、思った以上に時間が経ってしまっていた。結衣先輩からは『お洗濯おわったよー! 売店で合流☆』のメッセージ。うわー、ごめんなさい、丸投げしちゃいました…。

 

『Sorry!』と『ラジャー!』のスタンプを手早く連貼りし、サッカー部コンビと別れたわたしは、売店へと足を向けたのだった。

 

 

 

 


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