そうして、一色いろはは本物を知る   作:達吉

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バスト占いのうた。
もう15年くらい前になるんですね。のすたるじー。


■39話 俺の知らない話題

<<--- Side Hachiman --->>

 

 

「げ、比企谷!」

 

 松葉杖をついた一人の男子高校生が、こちらに向けてあまり美しくない声を上げていた。

 見たとこコイツも入院患者の様だが…はて、俺に何の用だろうか。

 

「お前もここに入院してたのか。いつから?」

 

「あー…えと…」

 

 うん? ちょっと待て、コイツ見たことあるぞ…。

 つか、去年までのクラスメイトじゃん。

 何だっけ、ほら、その、ええと…ヒロキ! そう、なんとかヒロキだ。

 

 くっそ、何ヒロキだっけ。おかしいな、名字で呼んでいたはずなのに、なんで名前しか出て来ないんだ。周りの奴がみんなしてヒロヒロ呼んでたからか。俺は内心でピロキ(笑)(かっこわらい)って呼んでたけど。

 あっ、記憶がほぼ二年飛んでるとすると、去年どころかもう三年も前ってことになっちゃうよな? それでもまだ付き合いがあんの? 中学卒業してこっち、特に絡んだ記憶もなかったんだけど、一体どういう経緯で国交が再開したんだろうか。

 

「いやまあ。ちょっと、腹を切る羽目になって…」

 

 へらへらと笑いながら、ピロキはこちらに近寄ってくる。右腕と右足をギプスで固めているところを見るに、コイツはコイツでなかなかに重傷のようだ。車にでもはねられたのだろうか。

 

「ブッ、だっさ。あの子に刺されでもしたか?」

 

 む…? わざわざぼかして言ったのに、何で刺されたって分かるんだ? 普通、盲腸とか病気での手術を想像すると思うんだが。

 あと、あの子ってどの子のことだろう。こいつの知り合いはあっさり人を刺しかねない程、危ない奴なのだろうか。

 

「三股とか調子こくからだぜー。彼女は一人にしとけって。な?」

 

「三股…? なんだそりゃ…」

 

「ねえ比企谷くん。まさかとは思うけど、こちらお知り合い?」

 

「あ、ああ。一応、昔のクラスメイトだ」

 

 黙って様子を見ていた雪ノ下が、たまらず口を挟んできた。彼女の「まさか」には「比企谷くんにお知り合いなんて居るはずないわよね?」的なニュアンスしか感じないけど、今はそれどころじゃない。

 

「お前、刺されたそばから別の彼女とか…。つかその子、あの時の写真の子じゃん」

 

 次から次へと俺の知らない話題を…。

 写真ってなんだよ、と聞き返そうと思ったところで、予想外のところから追及が入った。

 

「ちょっと待って。今、写真って言った? まさか貴方、あ、アレを他人に…?」

 

 背後の熱量が急速に高まるのを感じるが、さっぱり話についていけない。写真とやらについても、俺よりむしろ雪ノ下の方が心当たりのある様子ではないか。俺は放っておいてくれて構わないから、二人で話をしてくれないだろうか。

 

「ヒロキく~ん、おまた~」

 

 ピロキとガチャガチャやっていると、店の奥から一人の女子がのたくたと姿を現した。

 

 ほにゃっとした口調とほわっとした髪。どことなくゆるーい感じを漂わせている。ファッションセンスとかメイクの感じとか、いろはと被ってる部分が少なくない、わりかし小洒落た感じのJKだ。でも一つ一つの精度は彼女ほど高くなくて、全部合わせると全くの別物──言うなれば、中〇産(パチモン)いろはだな、と俺は総括した。

 

「あ、あれ~!? あの時のぉ~!」

 

「……ん?」

 

 何だ何だ、こいつも俺と顔見知りなのか。だが俺はこの女を知らないぞ。メイクが濃いから自信ないけど、かつてのクラスメイトにこんなやつはいなかった。ちょっと確証が持てないくらい濃いけど。

 怪我人のピロキと二人で居るってことは、ヤツの彼女だろうか。普通に考えるとそれで間違いないはずだが、それだけで断定はできないだろう。こんな俺でさえ、彼女以外の女子が見舞いに来ているという実例があるのだから。何にせよ、未だにピロキとの交流が続いているのだとすれば、この女子とも芋づる式に会っている可能性はあるのだろう。…それにしても、自分の交友関係を推測で語るのは何ともおかしな気分である。

 

「どうも~。あの時のカノジョさんとは随分違う子ですねぇ~。あ、もしかしてぇ~、別れちゃったとかぁ~?」

 

「は、はぁ…」

 

 生返事で時間を稼ぎつつ、"あの時"について必死に頭を巡らせている俺に、妙に嬉々として話しかけてくるゆるふわ系女子。

 だが俺は知っている。コイツみたいに顔の輪郭をふわふわスタイルで覆うのは、丸顔を誤魔化すための女子テクだという事を。ってことで、コイツのことは暫定的にまる子と呼ばせてもらおう。

 

 んで、さっきから話に上がっている"俺の彼女"についてだが、それはやっぱりいろはの事なんだろうか。付き合い始めたきっかけだとか、いつから付き合っているのだとか、そういう細かい話をする機会がなかったからよく分からない。しかし彼らの言う"あの時"ってのが、いろはと付き合い始める前を指している可能性は、ゼロではないはずだ。

 となればもしかして、今カノだけじゃなく、元カノなんてものまで存在したりしちゃうのか?

 

 凄い。高校生マジ凄い。

 なのにそれを全部忘れたとか、ぶっちゃけありえない。

 

「フラれたんだろ。比企谷にはマジもったいない子だったし。つか刺されたとかマジうける。なあ修羅場? 修羅場った?」

 

「いや、これはそういうんじゃなくて…」

 

 何で刺された方向で確定してんだよ。なまじ合ってるもんだから余計に腹立つわ。

 あと、犯人女じゃないからね。男だから。

 

 下手くそな愛想笑いで受け流しながら、俺は思った。一応は名誉の負傷と捉えていたんだけど…。何だろうな、女に刺されたってエピソードの方がそこはかとなくモテオーラに満ちていて、ちょっぴり負けたような気がする。だからって女性から包丁向けられたい訳じゃないんだけどさ。

 

 そうして的外れな考え事に勤しんでいると、背後に無言で控えていた雪ノ下が、唐突に鋭い声を上げた。

 

 

 

「──黙って聞いていれば、貴方達、一体何様のつもり?」

 

 

 

「え…………」

 

「この怪我は、事情を知らない人間が冷やかして良いものではないの。謝罪して頂戴」

 

 凛と澄み渡った声に含まれた、たっぷりの緊張感。

 

 それは彼らのチャラけた笑いだけでなく、俺の愛想笑いをもまとめて吹き飛ばし、その場の全てを一瞬にして凍り付かせた。

 

 

 

 『雪乃白銀世界(スノープラチナ・ザ・ワールド)!!』

 

 時が止まる。

 

 俺も止まる。

 

 そして時は動き出す──。

 

 

 無・意・味\(^q^)/

 このスタンドは何がしたかったの?

 

 

 

「お、おい、雪ノ下…」

 

「親しき仲にも礼儀は必要でしょう?」

 

 揺ぎ無く屹立(きつりつ)し、真っ向から不届き者を糾弾するその姿。潔い事この上ない…のだが、彼女はハンドルをがっちり握ったままなので、(いさか)いの矢面に立たされているのは車椅子に座った内臓ツギハギ男──スバリ俺氏である。

 傷病者を前衛に使っていくとはなかなか斬新なフォーメーションだ。さてはこいつ、マスターを消して自由になりたいタイプのサーヴァントだな。誰だよこんな冷酷な英霊召還したの。

 

「ご、ゴメンゴメン。元カノの話とか気分悪くなるよね。悪かったよ」

 

 雪ノ下と相対したピロキは、LEDもかくやという鮮やかさで、顔色と態度をスイッチングしてみせた。短い付き合いの中、彼女の放つ威圧感の片鱗を何度か味わったことのある身としては、この殺気の塊みたいな気迫をぶつけられて尻尾を巻いてしまったピロキを笑うことは出来ない。

 とは言え、さっきまでは訳も分からずからかわれていただけに、鬱憤が溜まっていたのも事実である。俺は自陣の優勢にすっかり気を良くし、このまま黙って虎の威を借るスタイルを通すことにした。

 

「まずその低俗な妄想をやめてもらえないかしら。痴情の(もつ)れと一緒にされたら、それこそ不愉快だわ」

 

 どうもピロキは雪ノ下が俺の彼女だと勘違いしているらしい。俺達の間に漂うスモッグばりに息苦しい空気の、一体何をどう見たらそう思えるのだろう。一度病院に行った方がいいのでは──ああ、だからここに居るのか。なーる。

 それと雪ノ下さん。ストーカーとの刃傷沙汰って、大枠で見ると痴情の縺れに分類される気がするんだけど、おたくの見解だと違うんですかね?

 

「ふぁ~、こっわぁ~い。前のカノジョさんとはずいぶん違うんですね~。こ~ゆうタイプが好みなんですかぁ~?」

 

 見た目と違って鋼の心臓を持っているのか、それとも単に実力差が分からない程の間抜けなのか。どこか人を小馬鹿にしたようなまる子の声音に、車椅子がミシリと音を立てた。おいやめろ、それ以上刺激するな。コイツはいま俺の命を握っているんだぞ。

 

「はぁ…もういいわ。日本語が通じないなら英語でも無駄だろうし。それより貴方。さっき写真で私を見たような事を言ったわね。どんな写真か聞いてもいいかしら」

 

 頭痛を堪えるよう目を眇めながら問うた雪ノ下に、ピロキは少し気まずそうな顔で答えた。

 

「ああ、なんか水着で比企谷にくっついてるやつだけど…」

 

「やっぱり…! ちょっと比企谷くんどういう事? どうして貴方がアレを持っているの。他に誰に見せたの。全て剥がされる前に吐き出しなさい」

 

 やだなに怖い! ゲロする前にまずは何枚か剥ぐって意味にしか聞こえんとです!

 

「ま、待て。ホントに話が見えない。仮に俺が何かしていたとして、悪いけど今は──」

 

 興奮していた雪ノ下も、流石に状況を思い出したのか、息を吐いて(まなじり)を下げた。

 

「──そうだったわね。御免なさい、今は不問にしておくわ。今はね」

 

 二回言うくらいだから、相当大事なことらしい。

 だが今の俺には関係ない。がんばれみらいのぼく。

 

「にしてもぉ…今度のカノジョさん、キレイ系なんですね~。ほっそぉ~い! モデルみた~い」

 

 なおも恋人扱いをやめる気のなさそうなまる子。こいつらにとって、男と女は全て恋人に見えるのだろうか。さぞかし尊い人生に違いない。ありがてぇありがてぇ。

 

「…貴女も分からない人ね。私達はそういう関係ではないとさっきから──」

 

「でもぉ~、胸の方はちょ~っと寂しいかな~、オンナノコとして♪」

 

「なっ…!」

 

 ガタリと大きく揺れた車椅子が、雪ノ下の動揺をこちらにも伝えてきた。衝動的に話題となっているもののサイズを確認したくなったが、いま振り向いたら爪ではなく魂を剥がされそうな気がして、ギリギリのところで踏みとどまった。

 

「お、大きければ良いという物ではないでしょう。プロポーションというのは身体的バランスを指す言葉なのだから。美とはバランスあってのもので、その一点だけで私が貴女に劣っているという結論にはならないわ。そもそも貴女だって、他者をこき下ろす程に立派という訳では…」

 

 確かに雪ノ下の外見は総合的な美しさを備えていると思うし、言っていることも実に正しい。個人的には今後がどうあれ応援してやりたい。しかし残念ながら、世の中というものは往々にして醜く、そして正しくないものなのである。

 

「でもぉ~、大は小を兼ねるっていうし~? わたしの方がぜ~んぜんあるし~?」

 

「くっ…鬼の首でも取ったような顔で…」

 

 確かにこの御首級(みしるし)、まる子にとっては事実それくらいの大手柄に違いない。それ言っちゃうと俺の首も飛びかねないから黙ってるけどね。俺は貝──そう、深い海の底の貝なのだ。だから来るなよー、こっち振るなよー?

 

「ねぇ~ヒロキく~ん、男の子的にはぁ、どぉ思う~?」

 

 よっしゃ回避成功。

 全力でステルスヒッキーを発動していた甲斐もあって、矛先は見事ピロキへと向かった。

 

「えっ? えと、それは…まあ、なくてもいいけど、ちょっとはあった方が…」

 

 腕を取り、ここぞとばかりに胸を押し付けるまる子に、ピロキはキョドキョドフヒっている。しかし中途半端な答えだなー。お前、バスト占いのうた知らねえのかよ。そんなの微妙過ぎるわ。

 雪ノ下は反論する気力が失せてしまったらしく、床を相手に「うぬぅ」と吽形(うんぎょう)の相を見せている。そらまあ人前でこれほど露骨に指摘されたら悔しいわな。けど、男の俺が「勇気ヲ持ッテクダサーイ」なんて言っても、月の無い夜に出歩けなくなるのがオチだし…どうにかならんもんかね。

 大体、さっき雪ノ下も言ってたけど、まる子だって別に自慢する程でっかくはないんだよな。むしろ平均以下なんじゃねえの? 誰か一発で黙らせられるヤツ居ないかなー(チラッ)

 

 冗談半分、救いを求める気持ち半分で辺りを見回してみると──

 驚くなかれ、廊下の向こうからテッテケテーっと走ってくる勝利の女神(ウィクトーリア)の姿が目に留まった。

 

「おっ、ふたり見っけー。なに買ったのー?」

 

 駆け寄るその胸元では、富の象徴がたゆんたゆん。

 

「──勝ったな」

 

「へっ?」

 

 暴走した初号機を前にした副指令の如く、ボソリと漏らした俺の言葉に彼女は首を傾げる。

 

「由比ヶ浜さん…」

 

「ん、そっちの二人、知り合い? ──…ってえ!? ちょ、みんなドコ見てるの!?」

 

 話の流れが流れだっただけに、俺達は全員、揃って突如現れた豊穣の双丘を凝視していた。自分に素直で思ったことを隠せない由比ヶ浜は──なるほどつまり彼女はFカップか──あわあわと不埒な視線から胸元をガードしている。やっぱあの占いは偉大だわ。

 

「あ、いや──」

 

 ピロキも当然その中の一人だ。コイツに見られるのは何だか癪な気がしないでもないが、あの国宝が俺個人の所有物という訳でもなし。服の上から見る分には、好感度が下がる以外のデメリットもない。見るだけなら(法的には)セーフなのである。

 何より、(ニュー)トンの法則に人の意思の介在する余地など(ハナ)から存在しないのだ。地に向って落ちるリンゴに「動くな」と叱る馬鹿はいないだろう。女性には分からない感覚かも知れないが、これはそういう次元の話なのである。

 ヤツは傍らの彼女もそっちのけで、視線をすっかり奪われていた。そんな彼氏の痴態にキーキー騒ぐかと思われたまる子の方もまた、自ら天に吐きまくった唾の集中豪雨に打ちのめされ、動けないでいる。

 

 War Is Over.(戦争は終わった)

 世界に幸あれ。

 

「え、えと…こ、こんにちはー。…二人、ゆきのんの知り合い?」

 

 全力で胸元をガードしつつ(余計に強調されていることは言うまでもない)、こんな無礼極まりない連中にもきちんと挨拶をする由比ヶ浜に、俺はちょっぴり感動を覚えた。低次元の争いを終戦へと導いた女神のありがたいお言葉に、雪ノ下も少し複雑な表情で息を吹き返す。

 

「私ではなくて、比企谷くんの方よ。そこで偶然会ったのだけど、最近の話題を振られて、その…ちょっとややこしい事に、ね…」

 

「あー…そういう…」

 

 よし、と小さく気合を入れた由比ヶ浜はテンション上げ上げの甲高い声で、まる子へと吶喊(とっかん)していった。

 

「ね、ね。何のハナシしてたの?」

 

 すごいよ!!ガハマさん。思わずピューと口笛吹いちゃう。

 

 あっさり会話に乱入した由比ヶ浜は、勘所を狙ってズバリ一刀目から斬り込んでいく。

 ほんとそれな。最初から会話に混じってたはずの俺が一番理解してないんだけどさ。

 お前らさっきから何の話してるのん?

 

「…んっとぉ、胸とかスタイルとか、人それぞれだよねぇ~って話かなぁ」

 

 あれっ? そういう話でしたっけ? お前は大艦巨砲主義者じゃなかったっけ?

 大局(バランス)でも局地戦(バスト)でも勝ち目がないと悟ったのか、まる子は急にどこかで聞いた歌詞みたいな台詞を盾にして日和り始めた。

 

「結局は個性っていうかぁ…あっ、和洋中みたいなぁ? そういう感じぃ? タイプが違う相手と比べるとか、ナンセンスだしぃ」

 

 既に彼女には二敗の土が付いている筈なのだが、どうしてもこの場はドローって事にしたいらしい。初対面の相手に対して、何故こうも執拗に対抗心を燃やすのだろう。何か過去に因縁でもあるのだろうか。

 

「それ! やっぱキャラって大事だよね。そっち、ゆるふわ系? あたしそーゆーの似合わないから超憧れるなー。あたしの友達と趣味合いそう!」

 

「え、そ~なのぉ~? へぇ~、どんな子ぉ?」

 

「あたし達の友達でね~。あ、ホラこれ。超かわいくない?」

 

 趣味が合う、という言葉に同族の気配を嗅ぎ取ったのだろう。自分のフィールドであれば多少の自信があるのか、まる子は由比ヶ浜が口にした"友達"に興味を示した。恐らくは彼女の友人に勝利することで留飲を下げようという魂胆なのだろうが…。

 

 由比ヶ浜は由比ヶ浜であまり深く考えず、とにかく適当にまる子を持ち上げることで、強引に場の空気を温めようとしているようだった。

 直前までの話の流れを知らず、更には相手の名前すら知らないはずなのに、会って5秒でこのトークが出来ちゃうスーパーMCガハマちゃん。つか、初対面の相手との会話で二言目から同意(アグリー)出せちゃうところがまず信じられない。

 

 由比ヶ浜の介入によって、戦場の緊張は一気に弛緩へと向かっていた。初っ端から奇襲してマウント取っていた雪ノ下とはえらい違いである。そんな彼女のコミュ力の高さに改めて感心していると──

 

「すぐ来るから紹介したげる。たぶんハナシ合うと思うし」

 

「え…ちょ、こ、この子って…」

 

 由比ヶ浜のヨイショで調子づいていたまる子が、差し出されたスマホを覗き込んだ途端、表情を固く強張らせた。

 

「ゴメ、ちょ、あたしお手洗い。ヒロキくん、お友達と話あるよね? ごゆっくり!」

 

 彼女はあわててポーチを取り出し、そそくさと退散してしまった。

 若干キャラ崩壊を起こしていたようだが、ついでお腹も壊してしまったのだろうか。

 

「あ、おい! どしたんー?」

 

 その場にひとり取り残されたピロキが「なんだぁ?」と首を傾げる。

 

「驚いたわ。由比ヶ浜さん、一体どんな手品を使ったの?」

 

「え? いろはちゃんの写真見せただけなんだけど…」

 

 あっ(察し

 どうやら由比ヶ浜の本命は、相手の土俵で叩きのめすことによる精神破壊(メンブレ)だったらしい。可愛い顔してえげつないやっちゃな。

 

「あー、友達ってあの子のことか…なんだ、もしかして別れてねえの? つまんねえ…」

 

 横合いから由比ヶ浜の手元を覗き込み、得心した様子のピロキが半目でこっちを睨んでくる。俺は何も言っていないのに、勝手に盛り上がって盛り下がって、忙しないヤツである。

 

 けど、ここまでの会話からひとつ分かった事がある。コイツの言う"俺の彼女"が指しているのは、やっぱりいろはのことだったのだ。意外なところで失われた過去の痕跡を発見してしまった。

 

 うーん、本当に付き合ってたんだな、俺…。

 いや、別に今さら疑ってないけどね。やっぱ第三者の証言があると、真実味が増すなーと。

 

 

 

「…なあ、ウチの彼女も気ぃ回してくれたし、ちょっとだけ比企谷借りていい? 野郎トークってことで」

 

 何を思ったのか、不意に俺の肩に手を乗せたピロキは、雪ノ下達に許可を求めた。

 

 え? まる子のあれは社交辞令とかテンプレとかそういうのでしょ? 何だよその汗臭そうなパワーワード。お前と改めて話すことなんか何もねーよ。

 

「えーと…いいのかな? ゆきのん」

 

「…そうね、構わないんじゃないかしら。私達はしばらくここで時間を潰しているから」

 

「あ、ああ…悪いな」

 

 訳の分からない女子とやり合って疲れたのか、少しげんなりしつつも、こちらへの配慮を見せる二人。記憶の欠落による不都合が起きないか気にしてくれているのだろう。

 

 ほんの少し歯切れの悪い返事に見送られて、俺達はそこから場を移したのだった。

 

 

* * *

 

 

 廊下の角を一つ曲がった先で、ピロキはふぅと息をついた。

 

「いやあ…ららぽん時の小柄な子もヤバいけど、あの子らもめちゃレベル高いよなー。…誰かフリーだったりしない?」

 

「お前その為にわざわざ場所替えたの? もう帰っていい?」

 

「怒んなよ! ったく…あんな子をとっかえひっかえ…ほんとに刺されても知らねえぞ?」

 

「そりゃどこのハーレムの話だ」

 

 女性関係を揶揄しているだけなんだろうが、ほんとに刺された身としては何度も聞きたい冗談ではない。お前もそんなフラフラしてるとそのうちまる子にグサッとやられるんじゃない? 感染症には気をつけな。ウンコは人を殺すぜ…。

 

「ところでさ…俺のコレについて、何かコメントないわけ?」

 

 ピロキはギプスに包まれた右手をこれ見よがしに晒し、ドヤ顔でアピールをしてきた。

 

 うぜえ…。骨折でヒーローになれるのは小学校までだっつーの。それにお前だって俺の怪我の話、ちゃんと聞いてないだろうが──っておいやめろ近づけるな。ギプスって外れるまで1カ月とか洗えないんだろ? 垢とかヤバいって聞いたことあるぞ。

 ウッ…何か変な匂いが…。メ、衛生兵(メディック)! 衛生兵ー(メディーック)

 

「分かった、分かったから! ったく…んで、何したん? ソレ」

 

「この前バイク乗っててさー、ちょうどこの病院の前通ったのよ」

 

「ほー、免許持ってんのか。いいな」

 

 バイクがあれば小町を送るの楽ちんそうだな。あと小町を迎えに行くのにも使える。

 

「お、バイク興味アリ? …あ、そんでな? そこ走ってたら、どっかのバカが奇声あげながら道路に飛び出してきてさー。ドカン!よ。まあ10メートルは飛んだね、俺が」

 

「は? 相手じゃなくてお前が飛んだの?」

 

「そ。避けようとしたけど避けきれなくて、半端にぶつかったらぶっ飛んだ」

 

 うへえ。そりゃマジで災難だな。近くに奇行種の巣でもあるんだろうか。車なら少なくとも運転手は無事だろうに、バイクってやっぱ怖えわ。

 

「んで骨折…と。ならその程度で済んでラッキーじゃないの? 下手すりゃ死ぬだろそれ」

 

「やー、全然ラッキーじゃねえし…。まだローンあるのに全損だぜ。しかも100パー相手の責任なのに、車両と歩行者だからこっちが弱えーんだとさ。マジ意味わからんよ…」

 

 突然の飛び出しなんて避けられる訳ないのに、法律ってほんと融通利かないよな。やっぱ引きこもってんのが一番だろ。何せホラ、事故りようがない。

 

「お前の不運も大概だけど、それで相手は生きてんの?」

 

「死んでたらこんなネタっぽく話せねえよ…。でも下半身に障害だって。けどさ、それで勃たなくなっても知るかボケって話だろ?」

 

 いや、その前に立てなくなることを心配してやれよ。

 

「たださー、なーんか後味悪いっつーか。だって高校生で不能だぜ? 俺なら首吊るわ」

 

「だから不能の前に不随を…って相手も高校生かよ。そりゃ…キツいな」

 

「総武高の一年だとさ。ったく、何で俺がこんな凹まなきゃならねーんだ」

 

「おいおい…。ちょっと他人事じゃないぞ、それ…」

 

 飛び出しで交通事故に遭った、総武高の一年男子。

 

 何かどこかで聞いたような話だなーとは思っていたが、比企谷さんちの八幡くんもまた、その条件にピタリと当てはまるではないか。いや、俺にとっては既に遥か過去の話になっているはずだから、ピロキの話とは無関係だと頭では分かっているが…。

 

 結局、犬を庇った時の怪我は骨折で済んだらしいんだけど、一つ間違えていたら俺も半身不随とかになっていたのだろうか。我ながら酷い無茶をしたものだ。今回は運良くその程度で済んだけど、まあ二度目はないと思った方がいいだろう(←二度目)

 

「ん? そういやあの子ら総武高だったな…。もしかしてお前も?」

 

「そうだけど。あ、俺に聞いたところで──」

 

「マジか! 西山って一年なんだけど、知ってる?」

 

「だから知らんし」

 

 そもそもお前の名字も知らん──と言いたい。声を大にして言いたい。

 それに、忘れてしまった二年間だって、後輩なんぞと交流するような縦割り生活はしていなかったと思う。いろはは例外中の例外だろうし。

 

「だよなー。すまん、聞いた俺がバカだった」

 

 ホントだよ。大体、聞いてどうにかなるもんでもないだろ。もし知り合いだったらお互い気まずくなるだけだし、何がしたかったんだ。罪悪感のシェアリングとか俺の全損でしかないわ。

 

 

 ──ん?

 

 反射的に知らんと答えてしまったけど。

 その名前、つい最近どこかで聞いたような…。

 はて、どこだったか…。

 

 ま、こんなのは知ってるうちに入らないか。

 もしかすると、記憶が戻りかけているのかもしれないな。

 

 

「でもアイツと2ケツしてる時じゃなくてほんと良かったわ。怪我させたらシャレならんから」

 

 ピロキは売店のある方角に目を向けながら、しみじみと呟いた。

 

 まる子がどうなろうと心の底からどうでもいい…。どうでもいいけど、もしもいろはを乗せていて事故に遭ったらと考えると、やっぱり恐ろしくておいそれとバイクには乗れないな、と思った。

 いや、バイクだけではない。小町とはよくチャリで2ケツしてるけど、そっちも気を付けないといけないぞ。まかり間違って傷などつけようものなら、俺が責任を取らないとならなく──ふむ、それは名案かもしれない(迷案)

 

「お前もせいぜい彼女を大事にしろよ。逃がしたら来世まで後悔するぞ、あれは」

 

「まあ、そうだな…そうだよな…」

 

 彼女を大事に、か。ひたすら大事にされっぱなしで、大事にしてやれてるとは言い難いんだよな…。

 

 あれだけ尽くしてくれる女の子が恋人ではないなんてことがあるわけもないし、俺なんかを騙したところで得をするわけでもない。いろはは──いろはの事だけは信じているつもりだし、これからも信じ続けたいと思っている。

 

「あのさ…」

 

 ──にも拘わらず、生来の疑り深さが捨てきれない俺は、思わずこう尋ねてしまった。

 

「やっぱり彼女に見えるか? あいつ…」

 

 聞いてしまった後で、いろはに申し訳ないという思いがじくじくと染み出してきた。

 

 結局のところ、自分に自信が持てない人間の自己肯定なんてものは、何の安心材料にもならないのである。しかし、第三者に認めてもらわなければ自身の人間関係にすら確信が持てないというのは、いくらなんでも度し難い。性格の問題か、それとも状況のせいなのか。出来れば後者であると信じたいが…。

 

 そんな俺の問いに、不快感を露にしたピロキの口から、予想を上回る答えが返ってきた。

 

「おま…あそこまでやって彼女じゃないとか…。マジで刺されても文句言えねえぞ」

 

「あそこまでって何よ」

 

「うざ! こいつマジうざっ! 二人してコンドーム買っといて今さら──」

 

「ちょっと待てその話詳しく!!」

 

 病院で目覚めてからこっち、最も衝撃的な情報キマシタワー!

 

 それが本当なら、いろはへの態度をもっともっと真剣に考えなきゃいかんですよ!

 え、何? 俺は記憶なんかより遥かに大変なものをとっくに失っていたってこと?

 いやそっちは惜しくないっていうか金払ってでも手放したいお荷物なんだけれども!

 

「うるせえ。もげちまえバーカ」

 

 もう話すことはないと言わんばかりに、ピロキは俺に背を向ける。

 追いかけ問い詰めようとしたところで、廊下の向こうからまる子がやってくるのが見えて、俺は伸ばした手を引っ込めた。

 

 彼らがこうして二人でいる時間が、俺にとってのいろはとのそれなのだとしたら──。

 そう思うと、さしもの俺も、これ以上の野暮をする気にはなれなかったのである。

 

「じゃあな。ま、精々お大事に。あともげろ」

 

 呪いと見舞いと、おまけにもひとつ、呪いを口に。

 彼は鼻息も荒く去っていった。

 

 

「…あんにゃろ、最後に特大の爆弾落としていきやがって」

 

 一方的に連れ出しておいて、とことん勝手な奴である。しかもこっちが聞きたい事にはさっぱり答えやがらねーし。

 

 雪ノ下が言ってた写真ってのは何だったんだ。

 

 コンちゃん買ってたってのは、そのままの意味なのか…?

 

 

* * *

 

 

 あれだけ他所の女子に色目を使っていたというのに、迎えに来たまる子は甲斐甲斐しくピロキを支えてやっていて、寄り添う二人の後姿がやけに印象に残った。自然と、亜麻色の髪の女の子を脳裏に思い浮かべる。

 

 ゆるふわ系って男慣れしてそうだけど、あれで案外尽くすタイプなのかな…。いろはだって、最初の印象と違って、実際はめちゃくちゃ世話焼きだし健気だし優しいし。

 

 ぶつぶつと考え事をしながら車椅子を動かし、女子連中が待っているであろう売店前へ戻ろうとしていると──

 

「うおっ!」

 

 ぬらり、と、通路の角から線の細い女が姿を現した。

 

「…そこで何してんの?」

 

 妖怪影女(かげおんな)──改め、雪ノ下はどこか遠くを見つめて、不思議な表情を浮かべている。彼女は長い睫毛に彩られた目をゆっくりと閉じると、ふるふると頭を振ってみせた。

 

「…おかしなものね。いざそうなってみると、少し複雑な気分だわ…」

 

「何が?」

 

「気にしないで。やっぱり悪いことはするものじゃないなって、そう思っただけ」

 

「待ってホントに何してたのお前」

 

 こちらの追及には一切応じずに、彼女は黙って背後に回ると、ハンドルを手に取り車椅子を押し始めた。何かの悟りでも開いたかのような、これまでにない程に穏やかな表情だった。

 

 この様子だと、雪ノ下は俺達の会話を聞いていたのかもしれない。聞かれて困る内容でもなかったからそれは構わないのだが、あの取り留めもない話の中に、彼女をネクストステージへと導くような崇高な内容が含まれていただろうか。

 

「後できちんと話すわ。後でね」

 

 難しい顔をしている俺を見かねたのか、雪ノ下はクスリと笑って言った。

 

「…まあ、それなら」

 

 大事なことだから、と。彼女は言外にそう伝えてくれた。

 ならばすっぽかされる心配はあるまい。その時が来るまでは忘れておこう。

 

 

 

 気が付けばまた二人きりだったが、さっきまでの重苦しさはもう残っていない。

 

 心なしか軽やかな車輪の音を携えて、俺達は売店へと戻っていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 この日、雪ノ下が浮かべていた表情の意味。

 

 それを俺が知る事は、決してなかった。

 

 

 




メメタァアア(タイヤで潰される音)


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