そうして、一色いろはは本物を知る   作:達吉

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■Epilogue あなたがわたしにくれたもの

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「ふぅん、やっぱりママからコクハクしたんだー。それでそれでー? どーなったのー?」

 

 昔話の続きをせがむ幼いその声は、告白という言葉の意味をきちんと理解しているのだろうか。黒歴史ならぬ青歴史を容赦なくえぐってくる二人の会話に、俺はテレビの音量を上げることでささやかな抵抗を示していた。

 

「あとはおばあちゃんとおんなじかな。チューもママからでしょー、プロポーズもママからでしょー、あなたが産まれたのも…やっぱりママからだしー」

 

「うえ~、パパかっこわるーい…」

 

「…父は黙秘権を行使するぞ」

 

 最後のはどう頑張っても俺からにはならねーだろ、と──そんな野暮な突っ込みを入れられる余地なんてものは、当然ありはしなかった。我が家における発言権は、娘が生まれてこっち、一度だって俺に回ってきた覚えがない。

 

「やしろ、それしってる! パパのまけってことだよね!」

 

「…よく知ってるじゃないか。やしろは俺に似て賢いな、どこで習ったんだ?」

 

「えー? …えっとねー、えとねー、はやまのおじちゃんがいってたー」

 

「あんにゃろ、人んちの娘(たぶらか)して何してくれてんだ…」

 

 未だに腐れ縁の続くかつての同級生に「毛根死滅しろ」とケチな呪いを掛けていると、嫁のスマホがメールの着信を告げる音を奏でていた。

 

「えーと…あ、平塚先生だ」

 

「またかよ。あの人、お前のこと好き過ぎるだろ」

 

 何かっていうと連絡してくるんだよな。まあ家族ぐるみで世話になってるから、足を向けて寝られないお人ではあるんだけど…。

 

 え? 結婚できたのかって?

 そこは察してくれ。あの人に限って夫婦別姓なんて利用するわけないだろ。

 

「面倒見がいいんだよー、先生は」

 

 もう10年ほどになるだろうか。かつての彼女は高校教師であり、俺達の恩師であった。

 

 だがあの冬、事件の責任を取る形で教職を辞することになってしまったのである。その結末を阻止できなかったという事実は、当時の俺達を随分と苛んだものだ。

 

 では何故未だに"先生"と呼んでいるかというと、単に昔の名残──というだけではなくて、彼女が次に手掛けた仕事がスクールカウンセラーというものであったからだ。

 良くも悪くも情の深い人物であっただけに、相性が良かったのだろう。教師と比べて不安定な職種にもかかわらず、気が付けば出版やらメディアへの顔出しやらもこなす、有識者の端くれにまでのし上がっていた。

 

 そんなわけで、少なくとも経済的には以前より充実しているはずの彼女ではあったが、かねてより抱えていた悩みは悪化の一途を辿っていた。

 

「先生なんだって?」

 

「えっと…『老いた両親に孫の顔が見たいとせがまれて毎日辛いです。どうすればいいですか』」

 

「カウンセラーが昔の生徒相手にガチ相談とか…」

 

「んー…『やしろの顔を見に来てください。赤ちゃんほしくなりますよ』…っと」

 

「よせ死ぬ気か」

 

「えー? 先生と飲むの、好きでしょ?」

 

「いや、あんまり…。もうちょっとやんわり答えた方が良くない?」

 

 酔った時のあの人、俺を見る目がマジっぽくて怖いんだよなー。昔の弱みもあるから頼まれると断れないし、二人きりでとか絶対会いたくないわ…。

 

「あのねー、変に気を遣うと逆に失礼なんだからねー?」

 

 嫁がメールの返信に夢中になっていることを確認し、こっそりと娘に接近する。大人同士の昔話に飽きて人形を弄っていた彼女に、さっきから地味に気になっていたことを聞いてみた。

 

「…なあ、葉山のおじさんにはよく会ってるのか?」

 

 ほえ?っと一瞬動きを止め、思案気に目線を巡らせてから、幼女は答えた。

 

「んーん。でもね、パパがやきもちやくからね、そういいなさいってママが」

 

「……ほほう」

 

 愛娘を誑した犯人へ鋭い視線を飛ばしたが、そこには置き去りのスマホがあるだけだった。ハッとして背後を振り返れば、扉の陰でころころと笑っているではないか。

 

 ガァッデェェム! またもやしてやられた。

 

 どれだけ経っても、ウチの嫁のこういうところはちっとも変わらない。俺の立場もまた、言わずもがな。

 

「やしろー、パパにやきもち焼いたか聞いてきて?」

 

「パパ、やいた?」

 

「……黙秘させてくれ」

 

 ちょっと訂正。娘が生まれて、更に劣勢になっていた。

 

「相変わらず、葉山先輩ネタには弱いですねー、ウチのパパさんは」

 

「別に…そういうワケじゃないんだけどな。あれだ、惰性っつーか、お約束っつーか」

 

 未だに呼び方が昔のままってのも微妙に気に入らない理由の一つなのだが…最近ではわざとやってるんじゃないかと疑っている。

 

「あの頃は色々と…何だ、こっ恥ずかしいエピソードが散らばってるからな…」

 

「そう言えば、結局あなたの本物って、なんだったの?」

 

「ねえ今の話聞いてた? その辺ほじくり返すのやめろっての。つかお前も大事なシーンでパクってただろうが。分からんで使ってたの?」

 

「パクリとか心外~。どーせパパもよく分かってなかったんだよねー?」

 

「ね~」

 

 ホントによく分かっていないやしろと声を揃え、彼女は楽しそうに笑っている。

 

「ったく…。ちゃんと手に入れたんだからいいだろ…」

 

「えー? なーに? きーこーえーまーせーんー!」

 

「嫁と娘が俺の本物でございます! ──ったく…これで満足か?」

 

「ふふっ、10点ってところかな~♪」

 

「そいや、偉ぶって採点してるお前はどうなんだ。きちんと聞かせて欲しいもんだな」

 

 俺だけ辱めに遭っているのは割に合わない。そう思って話を振ってみたが、彼女は特に表情も変えずにさらりと言ってのけた。

 

「わたしの? そうだな~。やしろでしょー、旦那様でしょー、今の暮らしにー、こまちゃんにー」

 

「…ちょっと多くない? つか、俺と小町って同レベルなの?」

 

「おじいちゃん、おばあちゃん、ママ友、ヨガ教室のみんな…」

 

 延々指を折っていく彼女。両手でも足りないペースで増えていく。

 昔は俺だけって言ってくれたのに…。時間って残酷だなぁ。

 げんなりした様子の俺を見て、彼女はクスリと笑った。

 

「だからね、要するに──」

 

 人差し指を立て、相も変わらず切れ味のいいウインクをひとつ。

 

「あなたがわたしにくれたもの、全部ってこと♪」

 

「…横着すんなっての」

 

「嬉しいくせに~」

 

 そうやって、いつも俺をからかっては、悪戯っぽい表情で顔を寄せてくる。

 きっとこの先も、この笑顔には逆らえないことだろう。

 

「あー! ママ、チューしてる! またチューしてるー! ずーるーいー!」

 

「ずるくないのー。ママはいいのー。パパのことちょお愛してるからいいのー♪」

 

「やしろも! やしろもパパのことちょーあいしてるもん!」

 

「おっ? やしろもパパにチューするか?」

 

 何にでも対抗心を燃やす、負けず嫌いの愛娘。

 水を向けてやると急にはにかんで、服の裾を掴んでモジモジし出した。

 

「あっ、えとね。えっとねー?」

 

 はいはい、天使天使。吐血吐血。ちょっとティッシュくれゲフォゴフォ。

 

 ウチの娘は可愛い。たぶん世界一可愛い。ソースは小町。

 

 女の子だと分かったときは俺に似ませんようにと嫁に隠れて神に祈りまくったが、いざ産まれてみれば八幡的な因子は猫っ毛気質の頭髪くらいで、母親譲りのパッチリおめめに通った小鼻。つまりは幼い頃の小町にも似た、千年(ミレニアム)美少女の卵であった。

 

 これ将来、女神とかになっちゃったらマジでどうしよう。SPって個人で雇えるのかしら。

 

「恥ずかしがらなくていいんだぞ。ほれ、ほっぺに。ほれ」

 

 母親そっくりのクリッとした宝石が、おずおずとこちらを見上げる。

 

 そして、娘は父に愛を囁いた。

 

「おひげチクチクするからムリですゴメンナサイ」

 

「…それって一子相伝の奥義か何かなの?」

 

 嫁だけでなく、娘にも逆らえなくなる日が来るのは、そう遠くないように思われた。

 忘れてた。この天使の半分は小悪魔で出来てるんだった。

 

「おいコラそこの原材料。マジ正座しろし」

 

「子供ってなんでもすぐに覚えるよねー」

 

 既に俺の腕から逃げおおせていた彼女は、ペロリと舌を出して笑う。

 

「わたしだけのせいじゃないもん。やしろの半分はパパで出来てるんだもんねー?」

 

「ねー」

 

 絶対嘘だ。いや最初はそうだったかも知れないが、今となっては構成物質の九分九厘、母親で占められているに違いない。何なら思わず「やしろはす」と呼んじゃうまである。

 

 娘と楽しそうに笑い合う彼女の首元には、10年前から変わらず、鎖を通した指輪がぶら下がっていた。安物だから見ているこっちが恥ずかしいのだが、大人になった今でも家の中では大抵身に着けている。家事をする際には外している結婚指輪よりも、装着率が高いかもしれない。両方の贈り主としては少々複雑な気分だった。

 

「やれやれ…。ほんと、どうしてこうなったんだろうなー…」

 

「え? わたしに会っちゃったからでしょ?」

 

 うん、ホントそれな。

 

 本物がどうとか、心変わりがどうとか。

 青臭く悩む暇もないくらい、彼女は俺に愛を注ぎ続けた。

 愛情の激流に溺れないよう必死にもがいていたら、辿り着いたゴールがここだった。

 本当に、ただそれだけの事。

 

 あれほど切望していた専業主夫ポジションも、今では完全に誰かさんに奪われて。

 今ではいっぱしの社畜として、自分以外の誰かのためにあくせく稼いでいる。

 

 出会って以来、彼女に振り回されっぱなしの人生だ。

 でもまあ、悪い気分じゃない。

 

「ま、お前に会っちまったしな。しょうがない」

 

「しょーがない、しょーがない♪ もひとつおまけにかいしょーもない♪」

 

「酷い。酷過ぎる。なんちゅー歌だ」

 

「これはねー…愛するダーリンの歌、かなー」

 

 タイトル聞いたんじゃねえっつーの…。

 

 しかしよくもまあ、そうポンポンと愛情表現で返せるもんだ。変なところで頭の回転早いからなーこいつ。油断してると二言目にはラブビーム撃ってきやがる。

 

 

 上目遣いでこちらの反応を窺う、見飽きる事のないその笑顔。

 

 ()いらしくてわ()とらしくて、()びきり()としい、俺の宝物だ。

 

 

 かくして俺は、彼女にふさわしいこの言葉を、今日も繰り返すのだった。

 

 

 

 

「だから、あざといっつーの」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

《そうして、一色いろはは本物を知る》

 

       - 完 -

 

 

【挿絵表示】

 

 




【謝辞】

素晴らしい作品を世に送り出して下さった、原作者の渡航先生。
キャラクターに愛らしい魂を吹き込んで下さった、声優の佐倉綾音様、並びにキャストの方々。
そして、応援して下さった読者の皆様。

この作品に力を与えてくれた全ての皆様に、心より御礼申し上げます。


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