9課のブリーフィングルームの中では、一足早く集まっていたバトーとサイトーがモニターの映像を確認していた。映し出されているのは、剣菱重工のあの演習施設内に設置されていた監視カメラの映像である。そこには、6名もの警務官を殺害した例の男がしっかりと映っていた。
「犯行現場に残されていた遺留品の分析が完了しました。使用されたのは刃渡り12センチのダガーナイフで、その表面には神経毒性の極めて高いマイクロマシンが大量に付着していました。また、監視カメラの映像をもとに義体に仕込まれたナイフ発射装置を特定したところ、『赤蠍』のものと一致。以上の点から、当該人物が赤蠍である確率は極めて高いと推定されます」
調査を終えたオペレーターアンドロイドからの報告に、バトーは舌打ちをする。今度の相手は、全身義体であるがゆえに顔を持たない厄介な相手だった。次に犯行に及ぶ時には、義体を乗り換えて全く違う姿になっている可能性すらあるのだ。そうなれば、たとえ指名手配していようと犯行を防ぐことは不可能に近い。
あらかじめオペレーターに赤蠍の経歴を洗わせていたが、得られた情報は少なかった。赤蠍は、3年前に殺し屋の世界へ突如現れた。請け負った仕事はほぼ完遂し、短期間で名を売った。だが、その過去は性別すら特定できないほど空白だった。
ただ一つ分かっているのは、その実力である。イタリアマフィアからの依頼で対立するマフィアの首領を殺害した際、赤蠍は警備についていた6人の強化サイボーグを惨殺し、アームスーツ1体を破壊した。また、電子戦の心得もあるようで、イギリスでは足跡を残さずにモノレールを停止させて、乗っていた政府要人を暗殺したらしい。高額の報酬と引き換えに与えられた仕事は完遂する。まさしく、殺し屋という職能そのものを体現した存在だった。
「こいつ1人雇う金で、新浜のタワマンが買えるのか。俺ならそっちを選ぶな」
バトーが机の上の資料を見ながら、皮肉交じりにそう言った。
「問題は、こんな奴を一体どこのどいつが雇ったかってことだな。並みの暴力団もそうそう支払えねえ金額だぞ、これは」
サイトーが腕を組みながら返す。イシカワには赤蠍の行動を事件前に遡って調べさせていたが、未だにその行動の多くは謎で、何者かに雇われたという痕跡も見つかっていなかった。そこへドアが開き、少佐とトグサが入ってきた。
「報告は受けたわ。前々から思っていたけど、このヤマ、かなり荒れるわね」
「お前こそ、攻性防壁で身代わりを飛ばされたそうじゃねえか。大丈夫なのか?」
「ええ。でもおかげで、警備員をゴーストハックしたハッキング元が分かったわ」
そう言いながら、少佐がモニターに表示させたのは新浜市内にある複数の高層ビルからなる大型施設だった。見覚えのあるその光景に、バトーは思わず声を上げる。
「これ、新浜大学じゃねえか!まさか、大学生がゴーストハックを?」
新浜大学は、日本でも屈指の国立大学だった。首都移転に伴い優秀な人材が流入し、福岡へ首都が移った今も、その地位は揺らいでいない。
「違うわ。逆探して辿り着いたのは、ここの地下にあるヘプトンケイルよ。あくまでも一大学の研究用だから、科学技術庁ほどの性能じゃないけど侮れないわ。で、そのヘプトンケイルの計算資源割当ID2051のタスクで、ゴーストハック用のプログラムが動いていたわけ」
「で、そのタスクを申請したのは誰なんだ?」
「申請元は大学内の次世代AI研究室となっているけど、問い合わせたら教授は海外出張のため不在で、今日の使用予定はなかったそうよ。外部に認証情報が流出し、端末証明まで偽装されたと考えるのが妥当ね。あいにく、誰が不正ログインをしたのかまでは分からなかったけど」
バトーの資料を見ながら、少佐は答える。計算資源の割当というのは、その名の通り莫大な超並列演算能力を持つヘプトンケイルの力を、複数の団体で分割して使用するというものだ。こうすることで、多数の研究課題に関する演算を並列に実行でき、限られた計算資源を有効活用できる。今回のゴーストハックではそのシステムを悪用され、高度な演算能力が犯人の防壁突破を容易にしたらしい。
「電脳を焼かれっちまった警備員のこれまでの行動は何か分かったのか?」
「聞き取り捜査では事件前後で特に変わった様子はなかったそうよ。ただ、事件2週間前に本人宛に差出人不明の小包が届いていたことから、それにセボットが入っていたと考えるのが妥当ね。まあ、もう少し詳しく調べる必要はあるけど」
そこに、イシカワからの電通が入る。
《そのことなんだが、セボットを流出させた犯人を突き止めたぞ。剣菱重工先端技術開発部の梶原という研究員が、開発中のセボットを無断で持ち帰ったとして停職処分を食らっている。パズとボーマに事情聴取をさせたが、なかなか口が固い奴で…。ついさっき、ようやく開発次長に依頼されてセボットを盗み、本人に手渡したと認めましたよ。見返りに受け取った500万も口座に確認できましたし、次長を押さえる証拠は十分でしょう》
イシカワの報告に、バトーが再び驚きの声を上げた。
「何だと?演習施設から連行してきた工藤も、同じく開発次長に金を掴まされて、弾薬の一部を流出させたと証言してたんだぜ。これから詳しく聞き出すつもりだったんだが、その手間も省けっちまったわけか?」
バトーはあまりの偶然に拍子抜けしてしまっていたが、少佐だけは腑に落ちなかった。線は繋がった。だが、繋がり方が不自然すぎる。特殊任務用セボットと軍用弾薬。それらの共通点がまるで見つけられない。
確かに、タチコマの位置情報はあのセボットによってテロリスト側に漏れていたのだが、その経緯は明らかに第三者の介在を疑わせていた。仮にあの警備員がゴーストハックされて、セボットをタチコマに仕掛けたにしても、義体化にも電脳化にも反対するテロリストたちがゴーストハックなどという電脳化した人間でもできないような行動をするとは考えられないのだ。
それにC4とHEIAP弾は、同じ施設から流出したものでありながら、一方はテロリストたちの弾薬として使われ、もう一方は明らかにテロ行為の阻止が目的であるかのように、テロリストの逃亡車両に仕掛けられていた。その説明はどうつければいいのだろうか。
一度ははまったかのように思えたパズルも、これではまた振り出しに戻ってしまう。やはり、2人の言っている通り開発次長を押さえて、吐かせるしかない。そう考えた少佐は、電通を使って課長と通信する。
《課長、今の話聞いていたわよね?》
《ああ。次長の拘束を許可する。ただし、彼が黒幕であるとは考えにくい。それに、本当の黒幕が彼に真実を語らせる前に口封じをすることも考えられる。そのことも頭に入れておけ》
《分かったわ》
それを聞いていたバトーが、真剣な面持ちで少佐に付け加えた。
「現れるとしたら、工藤を消しに来たのと同じ、赤蠍かもしれねえ。フル装備のタチコマを出せるだけ出した方がいいんじゃねえか?」
「そうね。それに、消しに来た赤蠍を逆に捕らえるのが捜査を進める上でも最も有効よ。ある意味、開発次長よりも重要だわ」
そして、少佐はすぐに準備を整えるように課員たちに伝えると、自分も足早にブリーフィングルームを去った。剣菱本社へ向かう一番の目的は問題の開発次長の拘束である。しかし、彼女のゴーストは、ここで何かが起こると静かに囁いていた。それが赤蠍のことを示しているのかは分からない。けれども、確実に事態は大きく動き出すと、彼女は感じていたのだった。
照りつける強烈な日差し。表面を赤錆が覆い尽くし、朽ち果てている巨大建造物群。カモメの鳴き声が耳障りなほどに響き渡り、どこまでも青い空を円を描くように飛んでいる。眼下に広がるジャンク街からは、絶えず荒々しい怒声が聞こえてきていた。
(またこの夢か…)
強い海風が吹き付ける中、彼は数名の仲間たちとともに錆びついた非常階段を駆け上がる。握っているのは30連発HV弾マガジンが装填されたブルパップ式のアサルトライフル。腰に提げた携帯無線からは、雑音に混じって男たちの怒号と銃声が聞こえてきていた。
階段を上り切った彼らは、休む間もなく扉を開けて建物の中に入った。埃が厚く積もったコンクリートの冷たい床に、彼らの短靴が足跡を残していく。割れた窓から差し込む日差しが、赤茶色に変色した鉄骨の柱を明るく照らしていた。複雑な構造の建物内を、彼らは一切迷うことなく進んでいく。
突き当りの扉を開けると、巨大な鋼鉄製のタンクが姿を現す。だが、塗装は剥がれ落ち、一部は錆びて崩れていた。複数のタンクの合間を縫うように通る吊り下げ式の連絡通路も、所々が崩落していたが、彼らは躊躇することなくそれらを渡っていく。背中にライフルを担いで、奥に備え付けられたタラップを上った彼らは、ハンドルを回してハッチを開け、狭い連絡通路を駆け抜ける。
屋内でありながらも、外からの銃声がはっきりと聞こえてきていた。それも、徐々に大きくなるように感じられる。右側の窓からは、先ほどのタンクと同じように朽ちた大型機械類が所狭しと並ぶ光景が見えた。放棄されてから10年以上が経過しただけでこの有様なのだから、100年もすれば機械類はおろかこのプラント施設も海の藻屑と化すだろう。そう、人間の営みと同じように。
そんな虚無的な考えが思い浮かぶ中、彼は先を急ぐ。鍛え上げられた体とはいえ、息もそろそろ限界に近い。ようやく通路の向こうに着いた彼らは、呼吸を整えると意を決して扉を開いた。
吹き込んでくる海風とともに、途端に目に飛び込んできたのは真っ赤な鮮血の海。生々しい断末魔が、間もなく耳の奥に突き刺さるかの如く響いてくる。それでも、怯むことなく彼らは外に飛び出す。錆びた鉄の床に転がる数人の死体。1人は目を見開き、額に穿たれた大穴から血が流れ出ていた。
連続した爆音がさらに聞こえる。振り向くと、この廃墟の最上部にあるヘリポートへ通ずる非常階段を上る何人かの人影が目に入った。そこに向かって、階段の下に展開した仲間たちが熾烈な銃撃を加えている。
「あそこだ!急げっ!」
仲間にそう叫んだ彼は、攻撃中の仲間たちに合流するべく最後の階段を上る。その最中、壁面に撃ち込まれたワイヤーを使って、階段の人影へと一気に迫る勇敢な仲間たちの姿が目に入った。唸りを上げる巻き上げ器のハーネスから手を放し、アサルトライフルを構えた仲間たちはその人影に次々と銃撃を加える。
だが、間もなく敵の応射で先陣を切っていた兵が撃たれた。それでも、その死体を盾にして、下から上ってきた第2陣がライフルから火を噴かせる。マズルフラッシュとともに、排出された無数の薬莢が宙を舞った。
その時、階段の人影は随伴していた蜘蛛のような青いロボットにワイヤーを狙わせた。ロボットは命令されるがままに的確にワイヤーを撃ち抜き、上昇していた仲間たちを数十メートル下のコンクリートに容赦なく叩き付けた。絶叫に近い悲鳴の後に聞こえる、何かが潰れたような鈍い音。地面には赤黒い血が、花を咲かせるかの如く飛び散った。
「畜生、くそ野郎どもがッ!」
湧き上がる怒りにまかせて、階段を上り切った彼はアサルトライフルを連射して階段の人影に無数のHV弾を撃ち込む。だが、それらはすべてあの青いロボットに防がれ、その背後にいる敵には一切の攻撃を与えられなかった。次の瞬間には、ロボットの中央部に装備されたガトリング砲が雄叫びを上げ、驚異的な命中精度で無数の12.7ミリ弾を叩き込んでくる。
人形のように仲間の体が宙を飛び、肉片が飛び散った。
すぐ目の前で銃を構えていた親しい戦友も、一瞬で体が四散して血飛沫を撒き散らす。
何もかもが、地獄のようだった。
激しい憎しみに駆られた彼は、死に物狂いでライフルを連射しながら、階段を駆け上がろうとする。その時、人影から放たれたグレネード弾が、彼の至近距離で炸裂した。
気付いた時には、空中に投げ出されていた。コンクリートに叩き付けられ、床を転がった時には、何も聞こえなかった。自分の顔を、生温かい何かが流れ落ちる。
右手を見ると、指が何本か飛んでいた。しかし、痛みはない。
すぐに近くにいた別の仲間が駆け寄り、何かを叫びながら彼の体を引きずっていく。彼は訳も分からぬまま、それに抗った。近くの床が火花を散らし、跳弾が鋼鉄製の手摺りを抉る。
やがて周囲の音が聞こえるようになってくると、彼は顔面の激痛に叫びを上げた。流れ出る血に、徐々に意識が薄れていく。その間際に、彼は対戦車ロケットを抱えて階段へ向かう兄の姿を見た。それが、兄の最後の姿だった。
目を覚ました彼、岸田茂は、脂汗をかいている自分に気付いた。ここは高速道路を走るトラックの中。辺りは既に暗くなり、防護壁の上から見える街の景色には明かりが灯り、ところどころ眩いネオンサインが光っている。腕時計は午後7時を示していた。部下に勧められて軽い仮眠を取るつもりが、少しばかり寝過ごしてしまったようだ。隣の運転席でハンドルを握る部下は、そんな彼の様子を少し心配しているようだった。
問題ない、と答えた彼は、改めて先ほどまで見ていた夢のことを思い出す。以前はよく見ていた、沖縄沖の放射能除去プラントの夢だった。あの襲撃の後しばらくの間、あの光景が頭から離れなくなり、ふとした拍子にフラッシュバックすることもあった。だが、それらを克服してこの組織を立ち上げてからは、その夢を見たことは一度もない。
おそらく、復讐を果たす時が来たことで気持ちが高ぶったのだろう。あの忌まわしい記憶が蘇ることには、いささかの嫌悪を感じずにはいられない。だが、逆にちょうど良いタイミングだとも思っていた。あの時の憎しみを思い出すという意味で。
その時、ポケットに入れていた携帯端末が鳴った。
「ああ、あんたか。指示通りに部下は動かしているぜ。後は、そっちの方で手引きしてくれるだけだ。約束は果たしてもらう」
運転席の部下には、相変わらず彼が誰と話しているのかは分からない。ただ、今までの出来事から推測すると、余程の大物だろうということは分かっていた。なぜなら大量の武器の入手方法はもちろん、公安当局の動きも的確に教えてくれたのだ。そして、今回のテロ計画の立案にも関わり、援助をしてくれると約束してくれた。
相手が誰であれ、彼には関係なかった。武器を与え、情報を与え、復讐の機会を与えてくれる。それだけで十分だった。
車は橙色の街路灯の灯る高速道路をひたすら進んでいる。妨害もあったが、計画は順調だった。間もなく、無念の死を遂げた兄や同志たちが果たせなかったことを、自分たちの手で果たす時が来るのだ。そう思うと、緊張せずにはいられなかった。
2018/9/12 一部加筆修正