「事前に連絡していた公安のトグサです。新垣部長はいまどちらに」
聳え立つ新浜のビル群に、雲間から顔を覗かせた太陽の眩い日差しが爛々と降り注いでいた。強化ガラス越しに見えるその風景は、彼にとってはもはや見慣れたものだった。ジャングルの如く大小さまざまなビルが立ち、その合間を縫うように張り巡らされた道路高架の数々。しかし、この高さではそこを走る車は豆粒以下にしか見えなかった。
「只今会議中でございます。間もなく終了する予定ですので、こちらでお待ちください」
端麗な顔立ちの案内係の女性は、愛想よく微笑みながら彼を受付の先にある廊下へ案内した。もちろん、それは造られた笑顔だ。誰からも美しく感じられるよう設計された完璧な顔。その顔立ちはあまりに“完璧”すぎて、どこか恐ろしささえ感じさせる。いつからアンドロイドは愛想笑いをするようになったのだろう。家族と接する本当のぬくもりを知るトグサは、その笑顔にやや嫌悪を覚えずにはいられなかった。
彼が訪れていたのは、新浜中心部に位置する地上276メートルの超高層ビルだ。証券市場に上場する一流企業のオフィスが軒を連ねるそのビルの、最上部15フロアを占有しているのが、株式会社新日本電力だった。加賀室長の勤めていた新大浜原発を管理・運営しているこの企業は、国の電力自由化と発送電分離に伴い、近畿から九州まで西日本における発電所の半分以上を所有し、国内でも有数の電気事業者だった。
だが、同時に怪しい噂も絶えない企業だった。とりわけ、発送電分離を定める電気事業法の改正直後に、地域送電会社を買収し、傘下のグループ企業へ組み込んだことは大きな議論を招いた。一説では、企業献金を通じて太いパイプを築いた衆参両院の政治家に働きかけ、強引に電気事業法の改正を主導したとも言われている。
「失礼いたします」
礼儀正しく寸分の狂いもない礼をしたアンドロイドは、ゆっくりとドアを開いて部屋から出ていく。スチールとガラスのローテーブルに置かれたのは有名な有田焼の湯呑で、静かに湯気を上らせる薄緑色のお茶からは、ほのかに茶葉の良い香りが広がっていた。トグサは丁寧にそれを手に取ると、一口だけ飲む。
芳醇な香りが口いっぱいに広がるとともに、あまみの奥に隠れた微かな苦みがお茶の風味を引き立てていた。よほど上質な茶葉を使い、腕の立つ人間がお茶を淹れたのだろうか。それとも、一流メーカーの給茶機が数値化されたデータをもとに、厳密な温度管理の下で淹れたものなのか。もはやトグサには全く判断がつかなかった。
「お待たせして申し訳ない。私が原子力発電事業部の新垣です。あなたは…」
「公安のトグサと申します。今回は貴社の新大浜原発について少しお話を伺いたく、お邪魔させていただきました」
現れたのはパリッとしたスーツを着こなし、銀縁眼鏡が印象的な痩せ形の男だった。年は50代前半といったところだろうか。髪は所々灰色がかっているが、瞼の隙間から覗かせる細目の瞳には生気がみなぎっている。
挨拶ののちに形式的な名刺交換を済ませると、新垣は椅子に腰を下ろした。時間の関係もあるため、世間話もそこそこにトグサはさっそく本題へと入る。
「まず貴社の発電事業について、詳細をお聞かせ願えないでしょうか」
「ええ。我が社は民間電気事業者として発送電事業分離以降、発電所の運営を中心に事業を展開してきました。いまでは7つの火力発電所と2つの原子力発電所、それに4つの水力発電所など、数々の発電所の運営にあたり、顧客に電力を安定供給する責務を日々担っております」
テーブルの上に置かれた資料を指しながら、新垣は明朗な声で丁寧に説明する。資料の一つに描かれた日本地図には発電所の所在地が示され、西日本の臨海部を中心に複数の発電所が立地していた。だが、東日本にも何カ所か点があり、事業拡大を続けていることがはっきりと読み取れる。
「新大浜原発は?」
「こちらですね。SCWR型原子炉8基を運用し、総出力は1120万kWで新浜とその周辺地域一帯の電力を担っています。といっても、新浜の需要にはこの発電所だけでは追いつかないので、東新浜火力や奥黒木水力発電所など他にも多くの発電所を運用していますが」
説明を続ける彼は新たな資料をファイルから抜き出す。新浜周辺地域の電力供給網だ。種類ごとに色分けされた点で表された発電所から、細い黒線で表された送電線が、蜘蛛の巣のように中心である新浜へ向かって張り巡らされている。その中の一つに、新大浜原発を示す赤い点が描かれていた。
「新大浜原発が運転開始したのは5年前ですよね。その時から現在に至るまで、トラブルなどはありましたか?」
「放射能漏れなどの重大インシデントが発生したという情報はありません。ただ、3年前の地震で施設の一部で火災が発生したということくらいでしょうか。それも、原子炉とは別区画の配電盤が焼けた程度ですし、保安委員会にも報告済みです」
それを聞いたトグサは、電脳を使って素早く検索を掛ける。3年前の1月、自分も記憶に残っているが、最大震度6弱の揺れが近畿地方一帯を襲ったのだ。新日本電力が原子力保安委員会に提出したレポートによれば、地震発生直後にすべての原子炉が緊急停止したが、施設内電力を供給する配電盤が何らかの原因でショートし、火災が発生したらしい。とはいえ、配電盤の一部が焼けるボヤ程度の火災で、リスク評価は最低レベルとなっていた。
ただ、何かが引っ掛かる。トグサはローテーブルに並べられた資料に目を通した。電脳内で確認した保安委員会のレポートと同じ、焼けた配電盤の写真が目に入る。ビニール被覆は黒く焦げ、一部では、中を通る銅線がむき出しになっていた。配電盤周辺は煤で汚れ、消火剤の跡が周りに白く残っている。レポート提出の日付は地震から半年後の7月だった。
考えてみると、加賀制御室長が殺されたのはその1か月前の6月初め。考えようによっては、彼は、このレポートの裏に隠蔽された真実を告発しようとして消されたのかもしれない。ここでトグサは、強気にあることを尋ねた。
「調べたのですが、新大浜原発の原子炉は従来型とは異なる新型のようですね。何でも、その炉型としては世界で2例目だとか」
「ええ、そうです。超臨界圧軽水冷却炉といい、従来型に比べて発電効率が高いのが特徴です。それが何か?」
相手は顔の色を一つ変えずに平然と答える。
「聞くところによれば、先行した原型炉では様々なトラブルが相次いだとか。この原発でも、試運転時に緊急停止したそうですが…」
「何をおっしゃりたいのか分かりませんが、先に話した通りトラブルはありません。何なら、保安委員会でお調べになっても結構です。それに、原型炉は原型炉です。その後、実用化に当たっては改良点を洗い出し、問題はすべて解決していますよ」
トグサの話に、語気をやや強めて新垣はこう答えた。さすがに、疑いをかけるような話には気が障ったようだ。トグサは軽く謝罪すると、話題を変える。
「運転開始からの制御室の人事はどうなっていますか」
「ちょっとお待ちを。あ、ありました。発電所長は変わりませんが、制御室長の方は運転開始から3年前までは加賀正樹さん、現在は中野康さんが務めていますね。確か加賀さんは交通事故で亡くなったので、当時副室長だった中野さんがそのまま室長になったはずです」
新垣はファイルから見つけ出した資料を片手にそう言った。そのまま手渡しで見せてもらうと、それには制御室内だけでなく、運転開始から現在までの所内人事が一通り載っているようだった。そして、運転員から事務係まで、膨大な量の名簿の上部に確かに加賀と中野の名前が見える。
「加賀さんの詳細な勤務記録は用意できますか?」
「ええ、記録は残っていると思います。端末をお貸ししましょう。こちらです」
ゆっくりと立ち上がった新垣の後に続いて、トグサは部屋を出た。廊下には広報用のポスターなのか、キャラクターが描かれたカラフルなものが何枚も張り出されている。「原子力発電のしくみ」「水力発電のよいところ」など、その多くが発電所の紹介のポスターだった。やがて、エレベーターホールの前に着いたトグサはその待ち時間に、掲示されていたうちの一枚に目を向ける。
『新型原子炉のちから』
太い丸ゴシックで書かれたタイトルの下には、簡略化された原子炉のイラストが載せられ、猫をデフォルメしたようなキャラクターが吹き出しでそれを解説していた。
『新型のSCWR型は、超臨界水(ちょうりんかいすい)で発電を行うから、発電の効率がたかいしくみなんだよ。日本でも、海外への売り込みをすすめているんだ!』
その下には世界地図が描かれ、検討または採用を決めた国と地域がいくつか載っている。案の定、そのポスターの発行元はエネルギー省だった。右下にはエネルギー省の関係部署や独立行政法人の名前が列記され、エネルギー省のWEBページのコードが印字されている。
「子どもにこのような専門的な内容を説明するのはどうかと思うんですけどね。まあ、確かにエネルギー省さんにはお世話になってますから、ここだけの話にしてほしいのですが」
「はあ」
開かれたドアからエレベーターに乗り込みつつ、苦笑いを浮かべて彼が言った。エレベーターはドアを除いたすべての面がガラス張りになっているため、新浜のビル群を一望することができた。トグサが乗り込むと、すぐにエレベーターは上のフロアへと昇り始める。
ドアが開くと、その先には左右がガラス張りの廊下が続いていた。ガラスの向こうには広々としたオフィスが広がり、パステルカラーのパーテーションで個人ごとのブースに区切られている。一人一人のスペースは比較的広く、畳にして3、4畳分はありそうなほどだったが、オフィスの広さの割に働いている社員の数は少なかった。
「当社は基本的に少数精鋭でやっています。その分、福利厚生も充実させ、厚労省から表彰も受けたくらいですよ」
彼はそう言いながら、端末に首から下げたIDカードをタッチしてドアを開く。中に入ると、冷房がひんやりと効いていて、トグサはやや心地よさを感じた。そのまま奥のブースに案内すると、彼は机に置かれた端末を起動させる。
「必要な人事記録だけ閲覧できるよう、臨時権限を設定してあります。コピーも可能です」
彼がそう言い終わったとき、軽やかな個人端末の着信音が聞こえた。ポケットから電話を取り出した彼は、「失礼」と言い残して廊下へと出ていく。トグサは軽く辺りを見回すと、さっそく椅子に座って端末に自分のQRSプラグを差し込んだ。間もなく表示された情報は人事部のデータベースに保存された社員リストで、トグサはすぐに加賀室長のものを表示させる。
「見た目は異常なし、か。一応、コピーして持ち帰らせてもらおう」
持ち込んでいたMMDをスロットに差し込み、彼は端末を操作してコピーを始める。その間に、彼は軽く勤務記録に目を通してみた。やはり、事故死する最後の勤務日まで、遅刻や欠勤はない。勤務記録から何か手がかりが得られるかと考えていたが、それも甘かったようだ。
トグサはコピーが完了すると、MMDを抜き取った。試しに社内ネットワーク経由で他のファイルにアクセスしようともしてみたが、上場企業だけあって防壁は堅く、少佐やイシカワでなければ侵入するのは厳しそうだった。仕方なく彼はQRSプラグを抜いて席を立つ。こうなったら、現場に赴いてみるしかないだろう。
廊下の方に目をやると、ちょうど新垣が電話を終えて部屋に戻ってきたところだった。トグサはカバンに受け取った資料やMMDをしまうと、彼に声を掛ける。
「この度はお忙しい中、ご協力ありがとうございました」
「いえいえ、こちらこそ、捜査のお役に立てれば幸いです」
トグサが丁寧に頭を下げるのに合わせて、相手も恭しく頭を下げた。だが、そのまま彼が出口に案内しようと手を出しかけたところで、トグサは唐突にこう切り出す。
「あと、これから新大浜原発に聴取に行こうと考えているので、そちらでもお手数ですが、ご協力をお願いします」
一瞬、相手の表情が曇ったのをトグサは見逃さなかった。だが、すぐに取り繕うと少し考え込んだ末、答え始める。
「あ、そうですか。えーと、ただ、保安規定上、入所する前日に手続きする必要があるので、施設に立ち入れるのは明日以降になりますが、構いませんか?」
「ええ、お願いします」
やや強めの口調でトグサはそう言うと、もう一度頭を下げた。相手は「承知しました」とだけ答えると、出口へと案内する。やがて廊下へ出て、エレベーターへと向かう間に、トグサはふたたび思考をめぐらせた。
いままでのところ、提供された資料からは何ら不審な点は見いだせない。加賀室長の勤務記録も同じだった。対応してくれた原子力発電事業部の新垣という男も、発電所に聴取に行きたいと言ったときには確かに表情を曇らせたが、必ずしもそれが何かに通じているとは限らない。この裏に隠された真実を見つけ出すには、やはり現場に行き、当時の同僚の証言を地道に集めていくしかないのだ。
「では、失礼します」
開かれたエレベーターのドアを抜け、トグサがゆっくりとその中へ乗り込んだ。
「お気をつけて」
丁寧に頭を下げて新垣と受付の接客アンドロイドが見送る中、エレベーターのドアが静かに閉まる。トグサの頭の中で、彼が最後に言った言葉が妙に頭から離れなかった。
2018/9/16 一部加筆修正