「まさか、奴がこんなものを使ってアクセスしていたとはな…」
サイトーはセブロを片手にそうつぶやいた。彼の目の前にはどこにでもある白いバンが駐められている。不意に扉が開くと、その中から固い表情を貫いたままバトーが降りてきた。片手にはデータ保存用の外部記憶装置を下げているが、銃撃された後なのかかなり激しく損傷していた。
「手掛かり一つ残さねえとはな。全く、頭に来るぜ」
彼はそう言いながら、記憶装置を自分の車に載せ替える。そんな彼らの様子を怪訝そうに見つめながら、ジャージ姿の老人が目の前の道路を通り過ぎていった。どうやらジョギング中のようだ。
ここは兵庫県相生市郊外の空き地。といっても、周りには田畑が広がり住宅はまばらにしか建っていない。彼らがこのような場所に来たのは、他でもない、赤蠍の追跡任務のためだった。
昨夜の姫路港での事件後、少佐たちを襲った陸自の18式戦車を操っていた人物の居場所を逆探をかけて特定したところ、アクセス場所として浮かんだのは姫路から西に15キロほど離れたたつの市の郊外だった。しかし、警官隊が現場に到着したころには赤蠍はおろか、その場には何一つ残されていなかったのである。
その後の捜査でアクセスは衛星回線経由で行われていたことが判明し、犯行時間帯に現場周辺を通過した車両をIRシステムで調べると、このバンに行き着いたのだった。あとは公安監視網をフルに活用してバンの行き先を調べ、ようやく発見にこぎつけたのである。
念のためにタチコマも連れてきたが、案の定車両は既に放棄された後で、手掛かりになりそうなものもすべて破壊もしくは持ち去られた後だった。
「あーあ、ドンパチできると期待したんだけどなぁ~」
タチコマは呑気にそんな文句を言っている。サイトーはもう一度、車の中を覗き込んでみた。外見はただのバンだが、内部は軍用通信車両そのものだった。狭い車内にはダイブ装置一式と高周波衛星通信モジュールが詰め込まれている。また、車体内部にも防弾繊維を内張りにしている点から考えると、高度に防弾化された車両であることは明らかだった。このレベルだと、拳銃弾はもちろん、条件次第では7.62ミリ級の小銃弾にも耐えられる程度の防弾性能はありそうだった。
「金持ちは違うってことか…」
サイトーはぼそっとそんなことをつぶやいた。赤蠍といえば高い報酬を取ることで有名だった。これまで奴が請け負ってきた仕事の量から考えると、既に下手な金持ちを超えるだけの資産を持っているはずなのだ。その一部は、こうした装備に充てられていたのだろう。しかも足がついたことが分かっただけで、この車両を惜しげもなく切り捨てるということができるのも、奴がプロである証にほかならない。
サイトーは、もう一度だけため息をついた。ここから赤蠍がどこに向かったのか。それが分かれば少しは気分が楽になるが、わざわざ人気のないこんな場所に車を乗り捨てていることから考えて、その可能性は少ないだろう。県道からは外れ、住宅も少ない。そんな場所ではもちろんIRシステムも少ないし、目撃証言も期待できないのだ。
「聞き込みは所轄に任せて一旦戻るぞ」
バトーの声に、サイトーも車に乗り込んだ。勢いよく走り出す車の後ろにはタチコマが続いている。ちょうど対向車線からは所轄のパトカー数台が走ってきたので、バトーは軽く手を上げて合図する。気づいたパトカーが速度を緩め、空き地に入ったのを確認したバトーは、入れ違いになるように現場を後にした。
《ねえねえバトーさん、今ちょっといいですか?》
走り始めて10分ほど経った頃、タチコマがおもむろに声を出した。あまり機嫌のよくなかったバトーはそっけない声で「なんだ?」と答えるが、タチコマは構わずに続ける。
《付近に亡国の使者が潜んでいないか、周辺の基地局のデータ通信をちょっと調べてみたんですが、やけに暗号化された通信が多かったんですよね》
「つまり、連中がこの近くに潜んでいるかもしれないってことか?」
《その可能性もあるんですけど、暗号化された通信は昨日を最後に途絶えてました》
「何だよ、つまり夜逃げした後ってことだろ。それならあまり意味ねえんじゃねえか。俺らはその夜逃げした連中が、どこに逃げたかを追っているわけだからな」
やや強い口調でそう言われたタチコマだったが、不服そうに答える。
《まだ話は終わってませんって!それで、同様に暗号化された通信がないか、周辺地域一帯に範囲を広げて検索を掛けてみたんですよ。そしたら、見事に1件だけヒット。調べてみたら、6年前に倒産した古いコンクリート工場が発信元らしいのですが、ここ1か月の間に現場周辺の通信量が倍に跳ね上がってました》
「何だと!?なら先にそれを言え!」
バトーはすぐに課長に連絡を入れ、指示を仰いだ。間もなく本部の解析でも同様の結論が出されたため、バトーたちはそのまま現場に急行するように指示を受ける。しかし、万が一テロリストたちが潜んでいた場合、それなりの抵抗が予想されるためか、突入の許可は下りなかった。
《課長、なぜ突入許可をくれねえんだ?連中はすぐにでもテロを起こしかねないんだぜ?それにこっちにはタチコマもいる》
《だからだ。陸自の一件もある。もし現場に戦車がいたら、いくらタチコマとはいえ危険だ。よって、お前たちは増援の到着まで監視を続けるんだ》
《…了解》
バトーはしぶしぶ返事をした。実際、課長の言っていることは筋も通っており、現状では最良の選択肢だといえるだろう。だが、どこかに納得できない自分がいた。
考えてみれば、これまで連中にしてやられるばかりで、ただの一度もこちらから攻勢をかけたことはないのだ。新浜のスラム街での戦いにしろ、剣菱本社の事件にしろ、みな相手側の策略のうちに起こっているのである。そんな中での今回の出来事は、犯罪に対し攻性であるべき9課が後手後手に回っている現状を打開できるかもしれないチャンスだった。
ここで敵を急襲することができれば、連中のテロ計画を確実に潰すことができるだろう。
だが、同時に自分が9課の課員であることも事実だった。課員の一人であるからには、自分の行動にも責任が伴う。自分一人が勝手なことをしてしまえば、自分だけではなく仲間全員を危険に晒すことになるのだ。バトーは自分にそう言い聞かせると、アクセルを強く踏み込み車を急がせた。
その頃、9課本部ではイシカワが一人、重い足取りでエレベーターに乗っていた。連日の仕事ですっかり体力を消耗し、布団に入れば一秒も経たないで眠りに落ちてしまうほどだった。しかも、これから向かうところが向かうところであるだけに、深くため息をつく。
彼の目的地は新浜中央病院だった。昨日の捜査で、事件前に加賀室長と連絡を取り合っていた女性の存在を突き止め、その息子が例のテロ組織との戦闘に巻き込まれて入院していることが分かったのだ。だが、少佐とやり合った陸自の多脚戦車の一件で後回しになり、夕方になってしまったというわけだ。
子どもの相手などしたこともない彼にとっては、今回の事情聴取ほど気乗りしないものはない。こんなものは所帯持ちのトグサが行うべきだと思ったが、あいにく彼は新大浜原発の職員たちの事情聴取に行ってしまっていたのだ。
出掛ける準備を整える間に、オペレーターにその少年の容体について調べさせたが、つい2、3日前に意識を取り戻したばかりだということが分かった。しかも、傷が深いために負傷箇所については義体化されたものの、まだ現実を受け入れきれていない状態らしい。
そこに押しかけて聴取するというのは、少し酷な話だった。しかし、こちらも気長に回復を待っているわけにはいかない。事件解決のためにはやむを得ないことだった。
エレベーターを降りた彼は、地下駐車場を進み自分の車の前で立ち止まる。フロントガラスを見やると、透明な何かが自分の背後に映っていた。彼は思わず軽いため息をもらす。輪郭の部分だけ歪んで見えるその姿だけで、彼はその正体がタチコマであることを見抜いていた。
どうも、背後を尾行しているらしい。光学迷彩を使っている時点でタチの悪いことには変わりないが、そんなタチコマの悪戯にいちいち構っているわけにはいかないので、彼は気づかないふりをして車に乗り込み、エンジンを掛ける。
そうしてそのまま発進させるが、バックミラー越しに見ると、あろうことかタチコマはそのまま自分の車についていこうとしていたのだ。さすがにそれは見過ごすわけにもいかず、急ブレーキを踏んで車を停める。
「わわ!」
案の定、すぐ後ろにいたタチコマは突然のブレーキに危うく車に突っ込みそうになった。すべてがお見通しであるかの如く、車から降りてタチコマの方を見るイシカワの姿に、ついにタチコマも光学迷彩を解いて姿を現した。
「ごめんなさい、イシカワさん。だけど、ボク、どうしてもまた彼と会いたいんです」
マニピュレータをもじもじと動かし、上目使いのようにアイボールで見つめてくるタチコマに、イシカワも困り果ててしまった。
「彼って、お前が守ろうとしてたあの少年だろ?駄目だ。第一、病院内に思考戦車なんて入れられるわけねえだろ。それにお前、テストされているんじゃなかったのか」
そう、このタチコマ、自称バトー専用機はいま、実戦配備に際して問題ないかを赤服たちによって細かく調べられていたのだ。ポッド内に仕掛けられたセボットの影響で、前回の作戦中に問題行動を起こしたのだから、無理もないことではある。だが、少佐が場合によっては廃棄処分かAIの初期化も考えるほど、その問題行動は重大なものらしい。
「テストはもう終わりましたし、問題もありませんでした!ほんとうですよ!」
ボディランゲージで精一杯アピールしてくるタチコマだが、実際にどうなのかは分からない。だが、軽く赤服たちの作業データを確かめた限りではテストは無事に終了していて、次回の作戦から現場に復帰することになっているようだった。それでもイシカワは、今回の聴取にはあまり同行させたくはなかったが。
何せ、このタチコマが起こした問題行動というのは、これから面会に行く少年を守ろうとして起こったことなのだ。話によると、あのスラム街でテロリストグループのアジトの張り込みをしていたとき、偶然タチコマはその少年と仲良くなったらしい。任務中に他人と仲良くなるのも問題ではあるが、どうもタチコマは誰とでも妙に距離を詰めてしまう性質を持っているようだ。それは、このタチコマが勝手に9課を脱走した時に知り合ったミキちゃんという少女の件や、一時払い下げられた老人ホームでも言われていた話だった。
「駄目と言ったら駄目だ。少佐の許可なしに、勝手に連れていけるわけねえだろ!」
「つまり、少佐の許可があれば、同行してもいいってことですよね?」
思ってもみなかったタチコマの言葉に、半ば不意を突かれたイシカワは「ああ…」と呆気にとられて言ってしまった。言質を取られたというやつだろう。それを聞き逃さなかったタチコマが、いつの間にか少佐と電脳通信を繋いで話し始める。「おい!」と怒鳴ってみるものの、タチコマは既に少佐と話している最中だった。
やがて、通信が終わったのかタチコマがこちらを向いて言った。
「イシカワさん!許可、貰えました!」
思考戦車であるがゆえに表情などといったものはないので、表情から会話の流れを掴むことはできないが、その言葉を聞くまでイシカワは許可など当然下りるはずがないと考えていた。だが、予想とは正反対のその答えに、イシカワは思わず怒鳴る。
「んなわけねえだろ!少佐がそんな許可を軽く出すか!」
《あら、出さない方が良かったかしら》
突然の少佐からの通信に、イシカワは驚いた。タチコマにも聞こえているのか、表情などないと分かっていながらも、どこか得意げにしているように見える。
《少佐、本当に許可を出したのか?よりによって、これから面会するのはタチコマの暴走行為の要因となった1つなんだぞ?》
《だからこそよ。逆に、そんな人間ひとりに会ったくらいで異常をきたすようでは、タチコマもこれまでということね》
少佐の言い分にも確かに一理あった。だが、万が一のことがあったらどうするのだろう。しかし、イシカワがそれを口に出しかけた時、少佐も既に察していたのか先に話し始めた。
《大丈夫よ。テストの結果はまったく異常なし。その上、AIに暴走の兆候が見られたら、即座に強制終了するようプログラムを施してあるわ》
少佐にそう言われ、しぶしぶ彼も了解した。タチコマは大喜びで、両腕を上げて万歳している。この調子で病院まで行って、何か面倒を起こさないかと心配にもなったが、少佐に言われたからには仕方ない。
「しょうがねえな。ほら、行くぞタチコマ!」
「はぁ~い!」
彼は車に乗り込むと、アクセルを踏み込む。そうして、1人と1機は西日の差す新浜の街へと地下駐車場のスロープを上っていった。まだ帰宅ラッシュの前であるためか、表通りに出ると交通量は思ったよりも少なかった。
車を走らせる中、彼はふと、タチコマは何を考えているのかということが気になった。考えてみれば、タチコマは好奇心に身を任せて様々な出来事を経験し、学び続けている。初めは機械的だった行動も、今ではすっかり人間味に溢れ、加えて機体間で個性まで獲得してしまっていた。
もしかすると、タチコマも考えていることは自分たちと変わらないのではないか。単なる機械に過ぎないと言うのは簡単だが、何せ彼らはバトーを救うために自らを犠牲にしたのだ。そんなタチコマたちが人間と同じように感情を持ち、今回のように心配を感じても不思議ではない。
国道をしばらく走らせると、早くも夕日に照らされて橙色に染まった病院の建物が見えてきた。イシカワは思考を事件のことに戻すと、ウインカーを出した。
駐車場に入ると、玄関口から近いスペースに車を停めた彼は、タチコマがきちんとついてきていることを確かめ、静かに言った。
「タチコマ、お前は外で待ってろ」
「え、でもそしたらボクが来る意味がなくなるのでは?ボクはヒトシ君に会いに来たんですよ?」
「戦車を院内に入れる病院がどこにある。待機だ、タチコマ」
「えぇ~ッ!」
大袈裟に反応するタチコマをよそに、イシカワは病院の玄関に向かう。15階建ての病院本棟は、夕日がガラスに反射して眩いばかりに赤く輝いている。自動ドアを抜けると、広い吹き抜けのエントランスが広がり、2階へのエスカレーターが正面に設置されているほか、受付や会計待ちのベンチが所狭しと並んでいる。だが、既に休診ということもあり、人の気配はあまりなかった。
エスカレーターで2階へ上がった彼は、壁の案内表示を確認すると今度はエレベーターに乗り込む。7階で降りると、病院特有のにおいが鼻を突いた。あまり好きではない、消毒液や薬のにおい。特に、いつここの入院患者のようになるかも分からないような職業に就いている自分にとっては、余計に拒絶反応が出てしまう。
ナースステーションを通り過ぎ、両側に木製の手摺りのついた白い通路を先へ進むと、ようやく目的の病室までたどり着いた。プライバシーのために病室前に名前は貼り出されていないが、あらかじめ調べたデータではこの病室となっていた。
それでも念のため、もう一度病室番号を確認した彼は、静かに部屋の中に入る。広々とした室内にはベッドが4つ置かれ、窓からは夕日に照らされた新浜の摩天楼が見える。目的の少年は、向かって左の窓側のベッドだった。
誰からかもらったのか、白い折鶴が机の上に置かれていた。その少年はベッドに横たわりながら、ぼんやりと外を眺めている。声を掛けるか掛けまいかと考えあぐねていると、こちらの姿に気付いたらしく、怯えたような目で睨んできた。後ずさりする手も、小刻みに震えている。
「驚かせてしまってすまない。俺は、警察の者だ。少し訊きたいことがあるのだが、具合はもう大丈夫か?」
すると、少年は表情を曇らせつつも、軽く頷いた。ベッドの隣には車椅子が置かれていたので、イシカワはそれを彼の前まで動かしたが、少年はそれを無視して1人で立ち上がる。ベッドの手摺りで体を支えながらだったが、この回復力はさすが子どもといったところだろう。
「6階に個室を取ってある。そこで話そう」
イシカワはそう言って、彼とともに病室を出る。義体にはまだ不慣れなのか、歩き方はどこかぎこちなかった。おかげで用意した6階の個室に着くまでに10分ほど時間がかかってしまったものの、壁の手摺りを支えにして、ゆっくりではあるがついてきた。面談中に人が出入りしないよう扉を閉めたところ、少年が再び怖がったので、仕方なく扉は少し開けておくことにした。
「協力してくれて本当に嬉しい。これ、良かったら飲んでくれ」
イシカワはそう言って、ポケットから缶ジュースを取り出した。ここに向かう途中で買っておいたものだ。どこの店でも見かけるポピュラーなものを選んだつもりだったが、机の上に置いたそれに少年は手を付けようとはしない。まあ彼にとっては突然会った見知らぬ大人からもらったのだから、仕方のないことではある。
席に座り、缶コーヒーを開けて一口飲むと、イシカワは押し黙っている少年におもむろに口を開いた。
「少し酷かもしれないが、君に話を訊きたい。お母さんのことでだ」
前の事件のことではなく、突然母親のことを訊かれたことに少年も驚きを隠せない。イシカワは相手をあまり怖がらせないよう、ゆっくりと丁寧に訊き始める。
「君のお母さんが3年前に事件に遭う前、お母さんの様子が変だったことはあったかい?」
彼は首を横に振った。どうして、こんなことを聞くのかという顔をしているが、何も話そうとはしなかった。突然現れた見知らぬ自分に緊張しているのか、それともあの事件のトラウマで言葉が話せないのか。どちらかは分からないが、頷くだけではなく、何か話してくれなければ得られる情報も得られない。
「そのとき、何か君やお兄さんに言っていたことはあったかい?大事な書類のことだとか、記憶メディアのことだとか」
その質問にも、彼は首を横に振った。イシカワは、続いて兄のことを訊き始める。
「君のお兄さんの様子がおかしくなったのは、いつ頃かな?学校をやめたり、言葉遣いが変わったりしたのは」
相変わらず、首を横に振る。心当たりがないということなのか、それとも聴取に協力したくないということなのか、イシカワにはよく分からなかった。だが、こんな子ども相手にしっかり答えろなどと言うわけにもいかない。仕方なく質問を続けようとするイシカワだったが、不意に窓の外から何かを叩くような音が聞こえた。
しかし、外を見ても何もない。不審に思いつつも、気のせいだろうと自分を納得させようとしたところで、再び音が聞こえた。これは、もしかするとタチコマの仕業なのではないか。ふと、そんな予感がしてきた。全く、命令無視も大概にしないと、本当にまたラボ送りにされるかもしれないというのに。
苛立ちを覚えながら、窓を開けたイシカワは、窓の左右に固化した白いワイヤー2本を見つけた。やはり、タチコマだった。これはもはや弁解の余地はない。少佐に報告して、然るべき対応を取ってもらうほかないだろう。
「まったく、いい加減にしてほしいもんだな。タチコマもよ」
「いい加減って、どのくらいの加減がいいんですか?」
すぐ目の前から聞こえてきた声にイシカワが驚く間もなく、光学迷彩が切れてタチコマが姿を現した。僅か10センチ足らずの至近距離にタチコマのアイボールがあったため、あまりに驚いたイシカワは思わず後ろに飛び退いてしまった。
「そんなに驚かなくてもいいのに~。ただ外装が新しくなって光学迷彩の効きが良くなっただけですよ?もしかして、イシカワさん疲れているんじゃないですか?」
尻餅をついた彼は、ため息をつきながら起き上がった。確かに2、3日も寝ていないから、タチコマのいうことは正しいのかもしれない。少佐の目の前でこんな失態を犯さずに良かったと内心安堵しながらも、イシカワはタチコマに怒鳴る。
「駐車場で待ってろって言ったのが聞えなかったのか、タチコマ!」
イシカワの説教に、タチコマはマニピュレータで頭をぽりぽり掻いている。だが、すぐに本来の要件を思い出したのかはっとして、話し始めた。
「そんなことより、緊急招集です!例のテロリストが行動を起こしました。至急、9課のビルまで戻れ、と課長から命令が出てますけど……」
タチコマの言葉に、イシカワは舌打ちした。病院内、とりわけ義体治療区画では外部電脳通信が制限されるため、玄関に入るときに電脳通信を切ってしまっていたのだ。それが裏目に出て、命令に気付けなかったらしい。
「何!?だったら、それを早く言え!行くぞタチコマ!」
窓を開けてそのままタチコマに飛び移ったイシカワは、すぐに地上へ降下するよう指示を出す。しかしそれを引き止めたのは、聴取中だったあの少年だった。
「待って!もしかして、君はタチコマくん?」
「うん、そうだよ。ボクはタチコマ。あれ、もしかしてキミ、ヒトシ君?」
少年は何も言わずに頷いた。見ると、その瞳は涙で潤んでいる。タチコマも、会いたかった相手にようやく会えた喜びで、機体を傾けて窓に近づくと、マニピュレータで窓枠を掴んで体を寄せる。少年の方も、不慣れな歩き方で躓きながらも、窓の方に寄ってきた。
「タチコマくんは、大丈夫なの?あんなに撃たれて、死んじゃってないよね?本物だよね?」
「ボクはAIだから死なないさ!それより、キミの方こそ大丈夫なの?」
「…まあね。お医者さんから“義体化”した、って言われたんだけど、最初はすごく痛かったんだ。今は、すこし良くなったけど」
「そっかぁ、でも良かった。だって、生きているんだよ、キミは」
タチコマの言葉に、ついに涙を流したその少年は再び頷いた。そして、窓枠を掴んでいるタチコマのマニピュレータを握り、声を上げて泣き始める。あまりの出来事に困り果てたイシカワだったが、このままタチコマとぶら下がっているわけにもいかず、静かにタチコマの胴体を叩き、降下するよう促した。
「ごめん。ボク、もう行かなきゃ」
タチコマは、そう言うとマニピュレータを窓枠から放した。ふと何かを思い出したのか、その少年はポケットの中に手を入れると、小さい布袋のようなものを取り出した。
「これ、お守り!母さんからもらったんだけど、あげる!また来てね、タチコマくん」
涙を流しながらも笑顔でそう言ったその子は、タチコマにゆっくりとお守りを渡す。マニピュレータでしっかりとそれを掴むと、タチコマは腕を振りながら降下を始めた。そうして、彼もまた手を振り返す。義体化されたばかりの使い慣れない手だったが、それでも懸命に彼は振り続けた。タチコマたちの姿が見えなくなるまで、ずっと。
そうして彼は涙を拭うと、自分の病室に戻ろうとゆっくりと歩き始めた。しかしその時、自分の体に異変を感じる。どういう訳か目の焦点が定まらない。視界が狭くなり、意識が薄れる。熱さも寒さも感じなかった。辛うじて義体化を免れた心臓が激しく脈打ち、息をするのも辛い。
何とか部屋の外に出ようと歩み出すが、もはやそれはかなわなかった。よろめきながらドアに寄り掛かると、そのまま床に倒れる。彼の意識は、そこで途切れた。
「お前、あの子と一体どうやって知り合ったんだ?」
「いや、別にその…、ちょっとした偶然ですよ。それより、早く急ぎましょう!」
イシカワの質問を何とかはぐらかし、地面に着いたタチコマは彼を駐車場まで送り届ける。なぜ単なる思考戦車のタチコマとこれだけ仲良くなれるのか、彼にはいまいち理解できなかった。車に乗り込んだ彼はその理由を頭の隅で考えつつも、エンジンをかけて車を発進させる。その後ろを、タチコマがついてきていた。
もしかすると、彼にはもう誰もいないのかもしれない。イシカワはそう思った。テロリストと化してしまった兄も亡くなり、もともと母子家庭なので父親はおらず、頼れる身内もいない。小学生にして、彼は完全なる孤独な世界に投げ出されてしまったのだ。それを考えると、あの事件の前から仲良くしていたタチコマしか、頼れる相手がいないということも、理解できないわけではない。
世の中には、数えきれないほどの不幸がある。そして、この少年もまた、その一つを背負わされた子どもに過ぎない。しかし、そうと分かっていながらも、イシカワの心にはどこか心苦しい部分があった。戦争にせよ何にせよ、大人の身勝手な行動に巻き込まれるのは、いつも子どもたちなのだ。この子も、母親さえ殺されていなければ幸せな人生を送れただろうが、残酷な運命がそれを変えてしまった。
この事件に裏が存在するのなら、何としてでもそれを暴き出し、報いを受けさせる。イシカワは、そう心に決めると、さらにアクセルを踏み込んだ。太陽はゆっくりと水平線の彼方に沈み、明かりが灯り始める新浜の街には夜が訪れようとしていた。
2018/9/19 一部加筆修正