「タチコマ、イシカワたちとの通信は?」
「ダメです。電波状態が悪くて通信できません」
少佐とバトーは、それぞれが搭乗していたタチコマ2機とともに新大浜原発の地下にいた。爆音が聞こえたとき、瞬時に自衛軍の攻撃だと察知した少佐は、すぐに施設内に突入するよう指示を出したのだ。階段を下りる中で続けざまに聞こえる爆音と何かを引き剥がすような轟音。やがて、ヘリ独特の風を切る連続音がかすかに聞こえた時、突如として爆発が起こった。
爆発の衝撃で天井が崩れ、粉塵が視界を奪った。気づいたときには、イシカワやサイトーたちの姿はなかったのだ。
「現在地は?」
「壁のラインが赤色なので、おそらく最上部の保安ゲート区画だと考えられます。総合制御室は7つ下の階層ですね」
タチコマがライトで壁を照らしながら答えた。爆発の影響でフロア全体が停電していて、一歩先すら満足に見通せない状況だったのだ。そんな中で、タチコマから降りた彼女はポッドからセブロC-30を取り出した。ここから先は、いつテロリストたちと遭遇してもおかしくはない。油断は一切できなかった。
「俺が先に行って安全を確かめる」
「駄目よ。この状況下では、独断行動は命取りになるわ。視界が確保されるまで、一緒に行動するわよ」
バトーは頷かざるを得なかった。停電した地下施設は、ほぼ完全な暗闇だった。そんな中を行動するのは、少佐といえども神経を使う。その上、先ほどの爆発で天井の強度が弱くなっている可能性もあることから、頭上にも注意を向けなければならない。
同じく心配なのが、はぐれてしまったイシカワ、サイトー、パズ、ボーマの行方だった。それぞれタチコマに乗っているとはいえ、あの爆発では生き埋めになった可能性さえある。通信ができない今、彼らの安否を確認する方法はなかった。
しかし、彼女は直感的に彼らは無事に違いないと感じていた。爆発の時、落盤してきた天井から避けるようにして、彼らが脇にあった通路に飛び込むのを見ていたのだ。そのあと、すぐに粉塵が舞い上がって彼らの姿は見えなくなったものの、おそらく逃げ切れたと少佐は確信していた。
彼らのことなので、後はイシカワが中心となってたとえスタンドアローンでも成すべきことを成すだろう。少佐はそう信じ、先に進むことを決断したのである。
タチコマにライトを消させた彼女は、取り出した赤外線暗視装置のスコープを使って慎重に進み始める。幸いにも今回の相手は生身のテロリストなので、心配は少ないかもしれないが、相手も暗視装置を持っていないとは限らないのだ。そのため、慎重に行動するに越したことはなかった。
角を曲がると、大きく破壊された保安ゲートが見えた。タチコマの陰に隠れつつ、2人は銃を構える。天井板が外れ、金属探知機は横倒しになっていた。ゆっくりとその場に近づいていくと、ようやくその惨状が明らかとなる。
金属探知機の陰には、四肢がバラバラに千切れた警備員の死体が転がっていた。断面から人工筋肉が見えるあたり、義体化率の非常に高いサイボーグだったのだろうが、そんな彼らでも敵わなかったようだ。廊下の向こうに目をやると、大きな血溜まりとともに他の警備員たちの死体が横たわっていた。
「やはり、相手はかなりの練度ね」
少佐が小声でそうつぶやく。そんな中、タチコマがゲートの残骸から何かを見つけたらしく、声を上げた。
「バトーさん!これ…」
マニピュレータに掴まれていたのは、回転式拳銃。それは紛れもなく、トグサの愛用していたマテバM2007だった。近くには多数の銃弾とスピードローダーが落ちている。これが保安ゲートに落ちているという事は、ここを通ったトグサが丸腰であることは明白だった。
「クソ。律儀に預けやがって…」
バトーはマテバを受け取ると、悔しさを滲ませながらそれを強く握りしめた。少佐は何かテロリストたちの武装につながる手掛かりが見つからないか、足元をしきりに確認する。すると案の定、壁や天井の破片に混じって無数の空薬莢が転がっているのを見つけた。その中には潰れた銃弾も落ちており、それを拾い上げた彼女は少しの間見つめると、音を立てないよう静かにそれを床に戻す。
使われていたのは一般的な7.62ミリ小銃弾のようだが、よく見るとかなりの運動エネルギーで目標に撃ち込まれていることが分かる。銃弾の中には、弾体が割れていたり粉々に砕けているものも見られたのだ。それらのことから、少佐はテロリストたちが高速徹甲弾を使っていると予想した。そうでなければ、あのサイボーグたちの損傷は説明できないからだ。
「バトー、行くぞ」
少佐はバトーを促すと、再び進み始めた。廊下の先の警備員たちの死体は、踏み潰さないよう注意してタチコマを通らせる。今のところ、敵のいる気配はない。ただ、妙に静かなのが気掛かりだった。まるで、この場には自分以外の誰もいないような、そんな感覚さえ覚える。
廊下を進むと、エレベーターの扉が見えた。エレベーターホール全体を見渡す廊下の隅にはドーム型の監視カメラが設置されているのも確認できたが、周りが停電しているいまの状況ではそれも稼働している様子は見られない。その隣の非常階段は分厚い隔壁が閉じられていて、容易に開きそうな気配はなかった。
「少佐、お許しいただければぶっ壊し…」
「駄目よ」
提案を途中で却下されたタチコマは、しゅんとした様子で落ち込んでいる。少佐は一応、エレベーターのボタンを押してみるが、もちろん反応はない。少佐はエレベーターの扉に手を当てて温度を確かめてから、慎重にその隙間に指を捻じ込んだ。このような密閉された閉所で火災が起こっていると、扉を開けた途端爆発的な燃焼が起こるバックドラフト現象が起こることがある。扉に手を当てたのは、火災が起こっていないか確認するためだった。
扉を開けると、そこには巨大なエレベーターシャフトが口を開けていた。搬器ははるか下のフロアにあるのか、ここからでは見ることができない。少佐は改めて何も反応がないことを確かめると、タチコマにワイヤーを放たせてシャフト内に入った。続いて、バトーと彼のタチコマが同じようにして入る。
ワイヤーを伸ばし、少しずつシャフトを下る彼ら。少佐はタチコマの胴体の上に腰掛けながら、考えをめぐらせていた。予想よりも早く実行された自衛軍の攻撃。課長を通じて爆薬の情報は渡っていたはずなのに、何故彼らは攻撃を行ったのだろう。
突入するであろう部隊全体の練度を考えれば、現場指揮官がそのような選択をするとは考えにくい。だとすれば、情報は突入部隊に伝わっていなかったのだろうか。そう考えると説明はつくが、そのためには指揮系統のかなり上の段階で情報が握り潰されたことになる。自衛軍内部でそのようなことが起きるとは考えにくかった。
もう一つの可能性としては、その事実があったとしても強硬に作戦を推し進めようという勢力の存在だ。ただ、その場合でも作戦に口を出せるような身分の人間、または組織でなければ成し得ない。謎は深まるばかりだった。
「またまたつかえなきゃいいけどな~…」
シャフトを下りながら、タチコマは呑気にそんなことを言っている。以前、違法な臓器売買に手を染めていた医学生にお灸を据える時に、彼女は倉庫の隙間をタチコマで通り抜けるという荒業をやってのけたのだ。犯人の医学生はそれによってかなり追い詰められたのだが、タチコマはそのあと挟まって動けなくなり、赤服が来るまでそのまま放置される羽目になった。そのためか、このような閉所に来るたびに、タチコマはそんな心配をしているのである。
「この広さなら問題ねえだろ」
バトーがそう答えると、タチコマはやや不安げに「そうですかね~…」とだけ返した。余程、つかえることが心配なのだろうか。
やがて、少佐は搬器の上まで到達した。タチコマと離れれば搬器の隙間を抜けてより下の階層にもたどり着けるが、この状況でタチコマと別れるのは危険が大き過ぎた。彼女は搬器より一つ上のフロアの扉に手を掛けると、ゆっくりとそれを開いていく。
照明の光が見えた段階で、彼女は一度開く手を止めた。どうやら、この先の区画の電源は確保されているらしい。赤外線暗視装置を外した少佐は、慎重に扉の先の様子を確認すると、再び扉を開き始めた。半分ほど開けたところで、タチコマから飛び降りた彼女はそのフロアに足を踏み入れ、周辺の安全を最終確認する。
「よし、続け」
少佐がそう言うと、まもなくタチコマが両腕を使って扉を開かせ、その先の壁にワイヤーを撃ち込んで一気に飛び移る。そのあとにバトーが続いた。先ほどまでずっと高感度の赤外線映像を通して周囲の景色を見ていたせいか、辺りがやや眩しく感じられるが、瞬時に感度を戻して順応させると少佐は進み始める。生身の人間なら、こうもいかないだろう。
廊下の壁に描かれたラインの色は青。見取り図によれば、保安区画が存在する発電所の中でも中枢の区画のようだった。
少し進むと、通路の奥に重厚な鉄扉が見えてきた。扉の上には『保安区画第一通用口』と書かれ、『この先保安区画につき関係者以外立ち入り禁止』という文字も見える。その隣には認証端末が埋め込まれているのだが、どうも様子がおかしい。扉が微かに開いていたのだ。
《妙ね》
電通に切り替えて、少佐はバトーに言った。図面によれば、この先が総合制御室のある保安区画という。常時、高度なセキュリティシステムによって封鎖されているはずのその区画が、開放されたままになっているのはやや不自然だった。少佐はバトーにサインを送り、連携を取る。
タチコマが先に進み、少佐が陰からセブロを構えた。ブービートラップという可能性があるため、細心の注意を払う必要があったのだ。間もなく合図とともに慎重にドアを開かせると、倒れてきたのは血まみれの死体だった。
一瞬、トグサのように見えてドキッとするが、よく見ると全くの別人である。服装を見る限り、この発電所に勤めている職員のようだ。しかし、背中に3発の銃弾を受けて既に息絶えていた。
《丸腰の相手にも容赦しねえとはな》
バトーが険しい表情で、職員の死体を見つめながらそう言った。状況から察するに、彼はこの保安区画から逃げ出そうとして扉を開けたまでは良かったものの、テロリストに見つかって背後から撃たれ、殺されてしまったのだろう。彼の行為がなければ侵入できなかったことを考えると、感謝の念を覚える一方で、同時に悔しさもあった。
《少佐!イシカワさんたちと連絡がつきました。4人とも無事で、現在地も確認できていて、こちらに向かうとのことです》
そんな中でのタチコマからの朗報に、ひとまず彼女もほっと胸を撫でおろした。これで4人とも殉職という最悪の結果は避けられたようだ。バトーも顔を綻ばせて喜んでいるが、まだ安心はできない。最も気がかりなのはトグサなのだ。
《バトー、この後は二手に分かれるぞ。私は先に制御室の様子を確かめる。お前はイシカワとの合流路の扉を開けてくれ》
少佐はそう言うと、バトーに所内のマップを転送した。それにはイシカワたちの居場所も載っているが、自分たちが侵入してきた道とは大きく離れている。それを考えると、彼らが保安区画に入るためには現在地より東側にある資材搬入用の大型通用口から入るのが適していたのだ。
《少佐、お前は大丈夫なのか?》
《タチコマがいる。それに、一人で突入するわけではない》
《分かった。やばくなったら、すぐに呼んでくれよ》
バトーは真剣な面持ちで答えると、タチコマとともに先に通路を進んでいった。そして少佐も、タチコマを連れて進み始める。襲撃からはもうすぐ1時間が経とうとしている。時間は刻一刻と流れていたのだった。
爆発が起こってから、中野は仲間のことが心配で気が気でなかった。爆薬が仕掛けられたのは発電所の中でも最上部にある地下駐車場区画だが、爆音は中枢であるここまで到達し、まるですぐ頭上で炸裂したかのような激しさだったのだ。とりあえず、目的を果たして総合制御室まで戻るしかない。そう考えた中野は、自然と足を速めていた。
2号機の制御室は、総合制御室より一つ下の階層にある。2号機に限らず、この発電所で運用されている8つの原子炉それぞれの制御室は用意されているが、通常は総合制御室から集中制御されるため、各炉の制御室が使用されることは少ない。使用されるのは、保守点検や起動時に限られていた。
中野は制御室の扉の前まで来ると、認証端末にIDカードをかざしてスキャナーに右の手のひらを押し当てた。間もなく電子音とともに認証が完了し、制御室の重厚な扉が開く。岸田の部下の兵士が中に誰もいないことを先に確かめてから、彼は室内に入っていった。
「やはり、運転中か」
モニターを起動させた彼は、そうつぶやいた。炉内表示を見る限り制御棒は挿入されておらず、定格出力での運転が続いていたのだ。停止させるためには、今すぐスクラムボタンを押して緊急停止させる以外に手立てはない。
スクラムボタンは部屋の中央にあるコンソールにあった。様々な計器やコントロール・スイッチの中で、唯一プラスチック製のカバーを被せられ、誤操作を防ぐようになっている。
「2号機、緊急停止。スクラム」
中野はカバーを取り外した後、祈るような気持ちで静かにそのボタンを押した。しかし、無情にも何も反応はない。やはり、ここのシステムも何者かに乗っ取られていたのだ。
変化のないモニターを睨みながら、中野は考える。主制御システムのAIが干渉するとは考えにくい上、そもそも原子炉スクラムは拒否されるような操作ではない。ただ、何者かが乗っ取っていると考えたとき、果たして犯人は何者なのか。それだけが謎だった。主制御システムの最高権限を奪う前から2号機のスクラムボタンを無効化しているということは、必然的に犯人は自分たちが犯行を起こす前からシステムに侵入し、コードを書き換えていたことになる。
そのようなことが、果たして普通の人間に成し得ることなのか。スーパーコンピュータでさえ時間の要する侵入を、自らの力だけでやってのけることなど、たとえウィザード級ハッカーだろうともできるはずないのだ。
何としてでも、炉は停止させなければならない。そうしなければ、自分たちの目的は成し得ないのだ。二度とこの発電所が機能することのないよう、この地上の太陽を封印することを。そのために、彼はテロリストと取引をしたのだ。
中野は過去を思い返した。
岸田と知り合ったのは、必然だったのかもしれない。何故なら、彼らは目的の遂行のために制御室に出入りできる人間を血眼で探していたからだ。最初はどうするつもりだったのか教えてはくれなかったが、何らかの方法で保安区画の生体認証を突破するつもりだったのだろう。
とはいえ、対象者は原発内に勤務しており、このような辺境の地に毎朝通勤するものなどいなかった。皆、この施設内にある宿舎で寝泊まりしているため、外部に出歩くことは少ないのだ。ただあの日、自分は有休休暇を取って珍しく家に帰っていた。今思えば、それが始まりだったのかもしれない。確かその日は、一日中土砂降りの雨が降っていた。
窓から稲妻の閃光が飛び込み、部屋が刹那だけ白昼並みに照らされる。大粒の雨が錆びついたトタンの屋根に容赦なく叩きつけ、耳障りな音を絶えず響かせていた。狭い4畳半の部屋の真ん中に渡されたロープには無造作に洗濯物が吊るされ、ローテーブルの上にはバーボンウイスキーの空き瓶が2、3本は転がっていた。その隣には袋から溢れ出そうなほどに詰まった無数の錠剤。どれも病院から処方された睡眠導入剤や、向精神薬ばかりだった。
新浜市郊外の自分のアパートに戻ってから、何日が経っただろう。新聞紙を顔の上に被せ、中野は浅く短い眠りに悩まされていた。有休は明日までだが、全く仕事に行こうという意欲は湧かない。
右腕だけ動かして探るようにテーブルの上のウイスキーの瓶を掴むと、彼はそれを口に運ぶ。しかし、既に中身は空でどれほど振っても出てはこなかった。瓶を放り投げた彼は手荒く錠剤を掴み取ると、2、3錠を取り出して一気に飲み込んだ。
このところは常に酒浸りの日々が続き、薬がなければ満足に眠ることもできない。彼の生活を支えていたのは、アルコールと向精神薬の2つだけだったのだ。
なぜ、ここまで追い詰められたのか。
すべては3年前の地震だった。
新大浜原発は、世界でも2番目にSCWR型原子炉を採用した営業用発電所だった。SCWR型とは超臨界圧軽水冷却炉とも言い、従来の原子力発電所とは異なり発電タービンを回すのに超臨界水を使う。超臨界水は文字通り臨界状態を越えた温度・圧力下に存在する水のことで、374℃かつ22.12MPa以上の高温高圧環境下で初めて存在できるものだ。そのような極限環境では水は沸騰現象を起こさず、気体と液体の区別がなくなる超臨界流体となるのである。
火力発電所のボイラーでは既に数十年前から利用されている技術だが、原子力発電所では制約が大きく、実用化されるのには長い年月を要した。その原因が、超臨界水の性質である。超臨界水は通常の水と違って腐食性が高いため、通常の原子力発電所で使用されている金属材料では到底耐えることが困難だったのだ。一方で、原子力発電所の部品は中性子に対する耐性をはじめ、長期間の負荷に耐えられる強度を持たなければならない。その2つを満たす材料は、長きにわたって存在しなかった。
しかし、人間の欲望というものは恐ろしいものだった。電脳ビッグバンをもたらしたマイクロマシン技術は、様々な産業にも技術革新をもたらし、分子レベルで物質の性質を変えていくことが可能となった。そんな中で生み出されたのが、マイクロマシン技術を応用して作られた新型のオーステナイトステンレス合金である。
耐照射性および耐食性に優れ、また十分な機械的強度を持つ合金の開発により、机上の空論とさえ言われたSCWR型原子炉は一気に現実味を帯びた。国もエネルギー省が中心となって、輸出も視野に急速な技術開発が進み、原型炉の運転を経て、ついにこの新大浜原発が建設されたのである。
SCWR型は従来の原発より熱効率が高く、また炉に付随する設備を従来型の加圧水型原子炉などと比べて簡素化できるため、運転初期の評判は上々だった。発電所にはメディアの他、海外からの視察団も訪れ、まさに日本の技術力を体現したようなものだったのだ。
しかし、そんな原子炉にも問題はないわけではない。超臨界水を使うこの原子炉では、炉内の水は沸騰を経ずに超臨界状態で加熱されるため、炉内水位というものが存在しないのだ。そのため、炉の冷却管理には常に炉に流れる冷却水の流量が重要となる。
特に炉心では炉の特性上エンタルピー上昇により従来の軽水炉と比較して8分の1程度の流量となるため、減速材棒を使って中性子を減速させつつ、燃料棒間の間隔を狭めて冷却水の流速を上げ、効果的に冷却できる工夫がなされているのである。
だが、原発で超臨界水を使うという前例は、海外でも米帝の一例を除き、国内でも原型炉以外には存在せず、経験は圧倒的に少なかった。そんな中で、あの地震が起こったのだ。
超臨界水は腐食性が高く、保守点検が重要となる。しかし、定期点検直前に起こったあの地震は炉の弱点を露呈する形となった。開発された新型合金は想定以上に腐食が進んでいて、炉心構造材の一部が著しく強度を失っていたのだ。問題は圧力容器に接続する主冷却材配管の貫通部の溶接箇所で、高温高圧の超臨界水に晒され続けた結果、想定を超える応力腐食割れが進行していたのである。そこにあの地震による揺れとともに、原子炉スクラムによる流量および温度変化が止めを刺した。
その結果、圧力容器の配管貫通部が破断。高温高圧の冷却材が格納容器内へ噴出し、急激な圧力低下によって蒸気を伴いながら炉内流量を低下させたのだった。最終的には非常用炉心冷却系が作動して何とか事なきを得たものの、施設内に漏れ出した放射性物質の処理や、原発制御AIの不具合の解決などで半年もの歳月を費やした。
その後の調査で、そのほかの場所にも多数の問題が見つかった。主冷却材配管の想定を超える肉厚減少のほか、特に深刻だったのが復水器細管の破断による冷却海水側への放射性物質の混入だった。タービンで発電した後、超臨界水が復水器によって水へと戻される過程で、細管のいくつかが破断していたのが見つかったのだ。さらに、緊急排水系の誤操作により、汚染水の一部が通常排水系へ回り、微量ながら施設外へ漏れ出した。
外部への放射性物質の漏出が確認された深刻な事象だったが、いずれの事故も新日本電力とエネルギー省、それにプラントを建造した剣菱は隠蔽したのである。
当時の制御室長だった加賀は、責任を感じて独自に調べを進めていた。結果、炉の基本設計に根本的な問題が見つかったのだった。さらに所内各所の強度計算全般でデータの流用が見つかったほか、新開発した合金の耐久性も想定より低かった。おそらくは戦後すぐに始まった突貫工事の中、完成時期を早めるために十分な検証をしなかったのが原因だと思われた。加賀はその事実を知って憤りを覚えると同時に、深い危機感も募らせた。なぜなら、この状況では数年も経たずに同じような事故を繰り返す恐れがあったのだ。
だが、あろうことか会社はそれを握り潰した。それでも諦めきれなかった加賀は、親しくしていたフリージャーナリストの女性の協力のもと、メディアに情報を漏らそうと手を回したが、女性は無惨にも殺されてしまったのだった。そしてその数日後、新浜の週刊誌の事務所に直接資料を渡そうとしたところで、室長も事故で命を失ったのである。
当時の運転員の誰もが、事故だという話は一切信じてもいなかった。その後、彼と同期だった職員の一人が遺志を継いで告発しようとしたものの、彼も列車に轢き殺されてしまった。それからは、恐怖だけが職員の間を支配していたのだった。
告発しようとしても、消されるだけだ。この国には真実などない。あるのは都合のよい偽りの情報に過ぎないのだ。そう考えると、己の無力さに絶望を感じ、彼は命を断とうとさえ考えたほどだった。常に酒を手放せなくなり、薬なしでは眠れない。もうそのような生活が半年は続いている。
インターホンが突然鳴った。
中野は微動だにしなかった。宅配便など頼んだ覚えはないし、来たとしても受け取るつもりは毛頭ない。だが、インターホンは執拗に鳴り続ける。タチの悪いセールスか、はたまた新興宗教の勧誘か。どちらにしろ、ここまで鳴らされるのは初めてだった。
「五月蠅ぇ!黙りやがれ、くそったれが!」
あまりのしつこさに思わずそう怒鳴ったとき、ドアが突き破られた。
鍵を掛けていたはずなのに、相手は難なく部屋に入ってくる。照明は点けていなかったため、薄暗い部屋の中で相手の顔をはっきりと見ることはできなかった。
「だ、誰だ…?」
震えた声でそう訊くが、相手は答えない。そのまま土足で上がりこんでくると、後ずさる彼を部屋の奥まで追い詰めた。見ると、手には拳銃が握られている。そのとき、中野は確信した。この男も、自分を消しに来たのだろう。加賀室長やあの同僚と同じように、自分も闇に葬られるのだ。
もはや諦観した彼は、早く殺してくれと言わんばかりに自ら相手のもとに近づいていった。この人間を差し向けた連中は、人の命など何とも思ってはいないのだ。ならば、自分も今まで殺してきた人間たちと同じように殺し、この世から葬り去ればよい。自分たちに都合のよい人間だけを残し、好き勝手すればいいのだ。それがどんな結果を招こうとも、自分の知ったことではない。
予想外の行動にさすがの相手も動揺したのか、1歩、2歩と後ずさる。だが、すぐに痛烈な膝蹴りが腹部に叩き込まれると、膝を折るようにして中野は力なくその場に倒れた。
「新大浜原発、制御室長の中野だな?」
相手は低い声でそう訊いてきた。彼は咳込み、嘔吐してすぐには答えられない。
「中野だな?」
髪を強引に掴み、持ち上げた相手は強い口調でそう言った。拳銃の銃口は顎に当てられ、今すぐにでも引き金を引けば中野の前頭葉は吹き飛ぶだろう。それでも構わないと彼は思っていたが、ひとまず頷く。
「我々の計画に協力してもらいたい」
「…ノーと言ったら?」
「その頭の脳みその代わりに糞でも突っ込んで、腐らないうちに腕だけでも持ち帰るまでだ」
その答えに、中野は薄笑いを浮かべた。だが、腕だけを持ち帰ると話したという事は、この男は意外と本気で事を起こそうと考えているらしい。保安区画への入室に必要なのは、IDパスと右手もしくは左手の手のひらの静脈情報だ。それがあれば入室できることを知っているということは、この男はそれなりに所内の警備体制に精通しているらしい。
「襲撃するのか」
「ああ。機械に魂を売ったこの世の連中に、報いを受けさせてやるのさ」
男は銃を当てながらそう答えた。思想から考えるに、人類解放戦線かそれに近い亜流セクトのテロリストだろう。義体化や電脳化にも反対する過激派として、新聞やニュースでも度々テロ事件が取り上げられている。そんな連中が、わざわざ自分のアパートまでやってきたらしい。ご苦労なことだ。
そんな中、中野は思い切ってこう切り出した。どの道、殺される運命にあるのだから、何を言ったところで結果は変わらない。ならば、多少挑発的なことを言ったところで、死ぬタイミングが変わるだけなのだ。
「なら、好きにしろ。このIDもな。ただ、制御室に入っても暴走はできない。制御AIがコントロールしているんだ。無効化するなら、最高権限を掌握することだ」
思ってもみなかった答えに、男は少しの間沈黙する。やがて、髪を掴んだ手を緩めると、こう言った。
「あんたも絶望を味わったらしいな。その目を見ればよく分かる」
銃を下ろした男は、中野の顔をじっと見つめていた。アルコールと薬漬けの日々でやつれ果てた彼の顔には隈ができ、痩せこけた頬には骨が浮き出ている。しかし、その瞳の奥にはこの世のすべてを諦め、悟ったかのような何事にも動じない光があった。
中野も咳を抑えると、改めて相手の顔を見上げる。右の頬から首筋にかけて残された痛々しい古傷と、切り込まれたように鋭い眼。この男も何か壮絶な体験をし、この世に絶望した一人なのだろうか。
2人はしばらく無言で見つめ合っていたが、やがて男が静かに手を差し伸ばした。指の何本かが根元から失われていたが、残りの指は太く筋肉質で、頼りがいがある。失った指の分、酷使してきたのだろう。
彼はその手を掴むと、ゆっくりと起き上がった。その男の名は、岸田茂といった。
2018/9/24 一部加筆修正