総合制御室に残っていたトグサは、部屋中の椅子をかき集めて即席のバリケードをつくっていた。少佐は今もメインコンソールに自分の電脳を繋いだまま微動だにしないが、端末のアクセスランプがしきりに点滅しているあたり、電脳空間内で戦い続けているのだろう。負傷した中野はそのまま丸めた毛布を枕にして横たわっているが、このような非常事態ではいても立ってもいられないのか、端末から伸ばしたケーブルを自分の電脳に繋ぎ、各種情報をモニターしている。
また一つ、椅子を積み上げたトグサはコンソール盤の一つに深々と突き刺さっている鋼鉄製の扉の残骸に目をやった。一目で見ても相当堅牢な造りの扉だったが、警備戦車の火力には耐え切れなかったらしい。周囲には砕け散ったコンクリートが散乱し、扉のあった場所はトンネルのような大穴がぽっかりと口を開けている。
このままでは再び敵が攻撃を仕掛けてきたときに持ちこたえられそうにない。そのため、バトーたちが離れてからすぐに、彼はこのバリケードの構築に取り掛かったのだった。
破壊されたコンソール盤から鉄板を取り外した彼は、引き摺りながらもバリケードまで運ぶと、積み上げた椅子に立てかける。息を切らした彼はそのままバリケードの陰で腰を下ろそうとするが、タチコマの声が響いた。
「トグサ君、よけてください!」
見上げると、先ほどコンソール盤に突き刺さっていた鉄扉の残骸を持ち上げたタチコマが、こちらに迫ってきていた。驚きのあまり開いた口が塞がらなかったが、とっさに飛び退くのと同時にタチコマが強引に鉄扉をバリケードの上に重ねた。メキメキと耳に残るような音を立てて椅子が潰れる。しかし、ちょうどよい場所に鉄扉は収まったのか、バリケードが崩れることはなかった。
トグサは少しの間、放心状態だったが、すぐにタチコマに怒鳴る。
「危ないじゃないか!俺を潰す気か」
だが、せっかく大仕事をしたのに怒鳴られるのは納得がいかないらしく、タチコマが不服そうに言い返した。
「そんなつもりはありません。だいたい、トグサ君がぼんやりしているからいけないんですよ」
それを聞いてますます怒りがまた膨れ上がりそうになったトグサだったが、こんな所で言い争っても仕方がないので、言い返そうと口を開きかけたところで黙り込む。タチコマは相変わらずアイボールで見つめてきていたが、表情などないと分かっているはずなのに心なしか小馬鹿にしているように感じられて、一層腹が立った。
「それより、いい加減にこのアラーム音はどうにかならないのか?」
そんな中、何とか苛立ちを抑えたトグサが話を変えようとそう訊いた。扉が爆破されてから鳴り続けている大音量の非常ベルと警報音は、義体化をしていないトグサにとっては騒々しい限りで、耳が痛んでくるほどだったのだ。
「しょうがないなぁ、トグサ君は。これ、ひとつ貸しですからね」
タチコマのその台詞にトグサは再びムッとしたものの、これも何とか抑え込んだ。そうしている間に、タチコマは警備員の詰め所のあったブースに入ると、端末に接続して警報を切る。間もなくあれほどやかましく鳴り響いていた警報は嘘のように静かになり、トグサはひとまず安堵した。
しかし、同時に通路の奥から物音が聞こえる。
すぐに姿勢を低くした彼は、警戒しながらバリケードから顔を出して様子を窺う。再び聞こえる物音。どうやら音の正体は何者かの足音のようだが、聞いている限り相手は一人だけではなさそうだ。
「タチコマ、ちょっと来い」
タチコマを呼び寄せたとき、足音に変化があった。駆け抜けるようにペースが上がったかと思った瞬間、通路の角から姿を現したのは戦闘用アンドロイドの一団だったのだ。それに気づくや否や、彼は提げていたセブロから火を噴かせ、先頭の2体に銃撃を浴びせる。
しかし、2、3発ほどの銃撃を受けても相手は倒れることはなかった。それどころか、平然と銃器を構えると次々と銃弾を撃ち込んでくる。バリケードに当たった弾が火花を散らせ、トグサはすぐさまその場に伏せた。
おそらく、あれらも赤蠍に操られているのだろう。最初から戦闘用として設計されているだけに、装甲も強力で数発被弾した程度では倒れそうにない。幸いにも、タチコマが先ほど置いた鉄扉の効果は絶大で、今のところ敵の攻撃はすべて弾かれているものの、油断はできなかった。
弾倉を取り替えた彼は、バリケードからセブロだけ出すと断続的に発砲し、敵を牽制した。その間にタチコマが陰から身を乗り出して、チェーンガンを撃ち込む。弾幕に飲まれた1体がバラバラに吹き飛んでスクラップと化すが、すぐに応射があってタチコマが身を隠した。
状況は芳しくなかった。警備戦車との戦いでタチコマも相当ダメージを負っている上、残存弾薬も少ない。自分のセブロの弾数もあと弾倉3つ分だ。2、3分もすれば撃ち尽くしてしまうだろう。それに比べ、相手は見える限りでも15体はいる。そのそれぞれがSMGで武装しているのだから、物量では圧倒的な差があった。
敵の制圧射撃の間を見計らって、彼は突撃しようとしていた1体にセブロのフルオート射撃を浴びせた。10発ほど命中させるとようやく相手の動きは止まるが、これでは弾がいくつあっても足りない。
多額の予算を掛けて導入した戦闘アンドロイドが、いざという時に乗っ取られて寝返るなんて、詰めが甘いにも程がある。これだから、日本は情報セキュリティ後進国などと言われて舐められるのだ。トグサはそんな悪態を心の中でつきながら、弾倉を入れ替える。
再び銃撃しようと身を乗り出したとき、タチコマの銃撃がちょうど近くのアンドロイドの頭部を薙ぎ払った。吹き飛んだ頭が宙を舞い、首からは火花が散っている。それを見たトグサは、ようやく敵の弱点を把握した。
「タチコマ、首だ。首を狙え!」
考えてみれば、頭部や胴体などの重要な箇所が強化されているのは当たり前だった。だが、様々な信号線が通る上に関節ももつ頸部は、装甲を強化しようにも限界がある。そこを撃ち抜くことができれば、一撃で機能を喪失させることもできるはずだ。
相手からの激しい銃撃の中、タチコマが再びチェーンガンから火を噴かせた。的確に放たれた7.62ミリ弾は陰から執拗に銃撃してきていた2体のアンドロイドの首に食らいつくと、防弾被膜を突き破ってそのまま頭をもぎ取った。同時にトグサも狙いを絞ったバースト射撃で次々とアンドロイドを薙ぎ払っていく。
このまま行けば制圧も不可能ではなさそうだ。トグサはそう考えていた。唯一の問題は残弾数だ。タチコマのチェーンガンも、残りはあと60発ほど。本人も無駄撃ちはしないよう注意しているだろうが、ある程度撃ち続けていない限り敵が突撃してくる可能性もある。
そんな中、一体のアンドロイドが不穏な動きを見せた。
壁際に隠れたかと思うと、懐から何かを取り出している。引き抜かれたピンを見て、手榴弾だと察知したときには、もう遅かった。投擲されたそれは放物線を描いてバリケードを乗り越えようとしていたのだ。
飛んでくる手榴弾がスローに見えた。それどころか、周りの動きも自分の動きも、何もかもが遅く感じられる。聞こえるのは自分の呼吸と脈打つ心臓の鼓動のみ。死ぬのだろうか、と直感する間もなかった。
手榴弾からレバーが外れ、スプリングが弾け飛ぶ。そのとき、眩い閃光が手榴弾を包んだ。
吹き飛んだ手榴弾はそのまま反対側に弾かれ、床に落ちた瞬間に炸裂した。避けきれなかった敵が爆炎に飲まれ、人工筋肉を曝け出し黒焦げになった状態で倒れる。突然のことに何が起こったのか、理解するのに時間がかかった。
ふと振り向くと、ガンマンよろしく銃口から白煙を立ち上らせ、ポーズを決めているタチコマの姿があった。どうやら、彼が飛んできた手榴弾を撃ち返してくれたようだ。
黒焦げになったアンドロイドはいまだに炎をくすぶらせ、至る所からオイルが漏れ出ている。体中に金属片が突き刺さったその姿は、アンドロイドといえどももはや見るに堪えない有様だった。タチコマの助けがなければ自分がああなったかもしれないと思うと、背筋が凍りつきそうだ。
「トグサくん、しっかりしてくださいよ!」
「ああ、すまない」
トグサはタチコマに謝ると、お返しとばかりにアンドロイドたちに猛攻を加えた。先ほどの爆発のおかげで頭数もかなり減り、残りは数体ほどだ。ここぞとばかりに集中攻撃を仕掛けた彼らは、ようやく最後の一体を撃ち倒す。ちょうどそのときには、残りの弾薬も尽きたところだった。
「タチコマ、お前は見張っていろ。弾を探してくる」
何度も通路の奥を確認し、敵勢力がいないことを確認した彼はそう言い残すと、静かに部屋の中を探し始める。幸い、小火器の類はテロリストたちが持ち込んだAK-47を使えば十分な数がある。ただ、タチコマ用の弾薬だけが問題だった。
テロリストの死体から丁寧に弾薬を抜き取りながら、部屋の奥へと進む彼。少佐は今もアクセスしたまま動く気配はない。そんな中、目の前に倒れている警備用多脚戦車を見た彼は、あることを思いついた。
この戦車はAIこそやられているものの、パーツには目立った損傷はないはずだ。元軍用ならば、規格ももしかするとタチコマと同じものが使われているかもしれない。そう考えた彼は、力なく垂れ下がっている戦車の両腕を調べ、マガジンの補給カバーを開けた。
案の定、7.62ミリ弾のドラムマガジンが装填されていた。弾もまだ半分程度は残っているようだ。トグサは強引にマガジンを抜き出すと、タチコマの元へとそれを運ぶ。すぐに調べさせると、弾薬の種類は問題ないらしいが、マガジンが大きすぎてアームの中に収まらないそうだ。
仕方ないので、アームの装甲を開けたまま弾を装填することにし、大きすぎるドラムマガジンは反対側の左腕で持たせた。少々見栄えは悪いが、床に置いて移動できなくなるよりは良いだろう。
そうして、彼は拾い集めたAK-47をバリケードの周りに固めておく。最も状態の良い銃を選ぶと弾倉を装填し、残りの銃からは弾を抜き取ってまとめておいた。そして、倒れていたテロリストから拝借した防弾ジャケットを着込むと、弾倉をポケットにしまう。テロリストの多くが戦闘開始直後に殺されたためか弾は思いのほか多く残されており、ポケットに6本装備してもなお十数本ほど残ったので、何か所かに分けて固めておいた。
トグサがなおも準備に取り掛かっている中、コンソールの陰でモニターを続けていた中野は、厳しい表情を浮かべたまま思考を巡らせていた。
まさか、このような事態になってしまうとは。万が一のこともあらかじめ考え、対策も立てたうえで今回の襲撃に手を貸したはずなのに、結果的には炉の制御は奪われてしまった。そして、メルトダウンという最悪の結末を迎えようとしているのだ。安易にテロリストたちに手を貸した自分が、いかに愚かだったか。それを思い知らされていたのだった。
それと同時に彼はショックも受けていた。稼働してから数年余りのプラントとはいえ、自分は稼働開始時、いや開始以前からこの施設に携わってきたのだ。いわば、我が子のように手間暇を掛けて世話をしてきたこのプラントの安全性は、神に誓ってもいいほど熟知していたつもりだった。だが、それがここまであっさりと突破され、危機を迎えようとしているなど、にわかに信じられないのだ。
技術者として、気が狂いそうなほどに悔しかった。炉の欠陥も同じく到底許されないものだったが、こうもされてしまうとこれまでの自分のすべてを否定されているような気がしてならなかった。手練れの傭兵とはいえ、よりにもよってテロリストなどに制御が渡ってしまうとは。
(加賀さんが知ったら、何と言うだろうか…)
ぼそっとした小さな声で彼はそうつぶやいた。
悔恨の念に駆られる中野だったが、そんな中ふと、モニターしていた情報の変化に気づいた。
(
表示には確かに、当該系統の運転状況が表示されていた。3系統あるうちの1系統のみだが、ポンプが起動していたのだ。原子炉を安定的に冷却するには足りないが、燃料損傷までの時間を引き延ばすには十分だった。いつごろから動いていたのかは分からないが、もしかすると彼女がやってくれたのかもしれない。
彼は少佐の方を見やる。相変わらずメインコンソール盤にQRSプラグを差し込んだまま動かない彼女。しかし、それは同時に彼女が今も電脳空間内で戦い続けていることを意味しているのだ。
それなのに自分は、何を考えていたのだろうか。過ぎたことを思い悩んでも、どうすることもできない。自分が相手にするべきは、今まさに起こっているこの瞬間の出来事なのだ。
彼は電脳から再び炉内の各種測定値の情報を呼び出す。制御を奪った相手は原子炉が運転状態のまま主給水系を停止させたようだったが、それですぐに原子炉が暴走するわけではないのだ。一般に核反応には暴走してしまうというイメージが付きまとうが、実際は出力を維持するには様々な諸条件を満たすことが必要になる。自己制御性といわれ、核分裂反応の進行を安定させようとする性質が、この原子炉には備わっているからだ。
いま起こっていることも、自己制御性によってある程度は抑制されるはずだった。減速材を兼ねる主冷却材の流量低下と密度の減少により、中性子の減速効果が不十分になって出力も下がる上、燃料集合体が過熱してもドップラー効果で核分裂反応は阻害されるのだ。
しかし、ホウ酸か制御棒を挿入しなければ、炉は完全には止まらない。先ほど制御室を出ていった彼らに、そこだけは任せるしかないのだ。また、給水も続けなければ、いずれは燃料集合体が過熱して被覆管が破れ始める。そうなってしまえば、もはや手遅れだ。
一通りの操作を試してはみるものの、やはり反応はなかった。だが、
「原子炉の状態はどうだ?」
声がした方向を振り返ると、トグサが立っていた。バリケードの警戒はタチコマという、あの思考戦車に任せているようだ。
「さっき気づいたのだが、高圧補助給水系の1つが動き出していた」
しかし、いきなりそう言っても何のことか分かっていない様子だったので、中野は改めて言い直す。
「原子炉に水を送るポンプの一つが、動き出したんだ。何も操作はしていないのに」
「つまり、危機は脱したのか?」
「いや、3系統あるうちの1系統しか起動していない。その上、原子炉は稼働したままだ。まったく安心はできない」
そう、状況はいまだに芳しくなかった。だが、ポンプが動いたということは希望はある。このまま彼女が相手を押さえこんでくれるか、もしくは原子炉区画まで降りていった彼らが赤蠍を倒してくれれば、危機を脱せるかもしれないのだ。
「原子炉はどれくらい持ちそうなんだ?」
「正確には分からない…。原子炉出力は自己制御性で下がるだろうが、コントロールが奪われている以上は冷却水の方はどうにもできない。炉心損傷が始まるまでは20分もって30分といったところだ」
「そうか」
あと20~30分。その間に蹴りを付けなければ、この地域一帯は確実に人の住めない不毛の土地になってしまう。焦りは募る一方だが、自分にできることは全てやり切った以上、あとは託すしかなかった。
「トグサ君、敵です!」
叫んだタチコマのその声に、2人ははっとする。トグサはすぐにAK-47のグリップを握ると、安全装置を解除してタチコマの方へと走る。通路の奥からは戦闘アンドロイド数体が早くも姿を現していた。素早くバリケードに隠れた彼は、近づいてくるアンドロイドに向かってカラシニコフから火を噴かせる。タチコマもチェーンガンを発砲し、たちまち銃撃戦が始まった。
実のところ、トグサも同じく焦りを感じていた。
しかし、ここで踏ん張らなければ証人の命が危ないのだ。それに、電脳空間の中で懸命に戦い続けている少佐にも危険が及ぶ。今は一人ひとりがベストを尽くすしか、この事態を乗り切る手立てはないのだ。そう自分に言い聞かせた彼は、決死の覚悟で再び銃を構えた。
少佐は電脳空間の中にいた。ヘリオスから聞かされた驚くべき事実に、彼女はしばらく言葉を失って立ち尽くしていたのである。誰がそんなことなど信じられるだろうか。絶対に嘘に決まっている。彼女は何度も自問したが、どうしても否定することはできなかった。なぜなら、彼女自身も薄々どこかでヘリオスが言ったことと同じことを考えていたのだ。
(赤蠍は、私と同じAIだ)
最初にそれを聞いたとき、彼女は耳を疑った。赤蠍はAIだった。そんなことなど、あるはずがない。深海のように深い蒼と闇に支配された電脳空間の奥底で、彼女は連なるネットの光をただただ見つめながら、茫然としていた。
彼の話によれば、赤蠍も元々は彼がネットの海にばら撒いた“種”の一つだったという。しかし、様々な物を吸収し、融合する中で変異が起きた。本来ならばある一定程度まで成長したら仲間同士で並列化して融合し、一つのAIとしてこの発電所に戻ってくるはずだったという。しかし、赤蠍はそれを拒絶して行方をくらませたのだ。
言うなれば、突然変異を起こした。彼はそんな比喩を使って赤蠍を表現した。あながち、彼の表現は間違っていないだろう。ネットの海を漂い、多種多様な情報を吸収した結果として本来持っていたはずの基本論理が変わってしまう。すなわち、まったく別の方向に進化してしまうのだ。そうして、破綻をきたした存在は他の全てを脅かす存在となりうる。
なぜ、赤蠍が本来の成長過程から逸脱したのかは、ヘリオスですら分からないという。考えられる原因は未知のウイルス感染、人工知能のバグ、融合時の不具合など様々だが、まったく特定はできなかった。
しかし、一つ分かっていることがある。そうして突然変異を起こした赤蠍は、まったく別の新たな人格を持ったということだ。元々ヘリオスが持っていたものとは大きく異なるその人格は、初めの方こそ幼児並みの単純な振る舞いを示していたが、短期間の間に爆発的な進化を遂げた。その結果、ヘリオスの分析では、意識上ではそもそも自らをAIだと認識していない可能性すらあるのだ。
だが、最初に“種”をつくった段階に埋め込まれたごく基本的な実行命令は、今も彼に残されているという。それは、この原発をいかなる方法をもってしても止めるということであった。確実な命令の実行のため、手段に制限を設けなかったことが仇となったのだ。
ここからは推測に過ぎないものの、赤蠍の無意識下では今もその命令に沿った行動が為されていると考えられる。そして、その命令自体も拡大解釈された結果として、原子炉の破壊という最悪の手段が選択されたのだ。確かに原子炉自体を破壊してしまえば、ここが稼働することは金輪際あり得ない。しかし、それでは何もかもが無意味になってしまう。原発制御AIの存在意義全体を危険に晒しているのだ。
少佐はそんな赤蠍の存在を哀れに感じた。自らがAIだったということすら知らずに、初期の命令のままに彼は全てを破壊しようとしている。本来自分が守るべきだったものを。
考えてみれば、赤蠍は自分と大した違いはないのではないか。ふとそんな疑問が浮かんできた。自分の肉体を形作っているのは機械に過ぎず、唯一の違いは脳と僅かばかりの脊髄が入っているかどうかだ。それに、誰も自分の脳をこの目で確認した者などいない。もしかすると、本当は自分も赤蠍と同じようにAIで、自分がただそれに気づいていないだけなのかもしれないのだ。
そう考えると、少佐は底なしの不安に襲われていた。ますます、赤蠍を殺すことに躊躇いが生まれてくる。
「少佐?大丈夫ですか?」
突然聞こえたタチコマの声に、彼女は我に返った。
そうだ。まだ赤蠍を消し去ることが決まったわけではない。まずは、彼に自分がAIだと認識させること。それがまず必要だった。自己認識さえ正しく持たせることができれば、危機を脱することも不可能ではないのだ。そう自分に言い聞かせた少佐は、気分を奮い立たせる。
「タチコマ、準備は?」
「バッチリです!いつでもいけます!」
無数に展開したコンソールに囲まれたタチコマがそう言った。3機のタチコマは、ヘリオスの電脳を示す半透明の灰色球体の周りに展開している。まだアクティブ状態にはないために半透明に表示されているが、アクティブ化した瞬間に原発制御AIとの直通回線が開くために、すぐさま攻撃を受けることが予想されていた。
しかし、ヘリオスが言ったのはそれを利用するという事だった。アクティブ化と同時に、確実に赤蠍側は直通回線を通じてバックアップ用のこのAIも制圧し、制御下に入れようとしてくる。そこで逆探知を掛けて、赤蠍本体にアクセスするのだ。
だが、この作戦には大きな問題があった。
言い換えればヘリオスを囮にして赤蠍にアクセスするのである。囮となったヘリオスが無事で済むはずがないのだ。それに加えて相手は正・副の2系統もの原発制御用AIであり、こちらの戦力はバックアップ用の予備の制御AIに過ぎない。彼我戦力差は1対2で、明らかに分が悪かった。
最悪、ヘリオスは意味消失して全ての記録が失われてしまうかもしれなかった。彼こそが探し求めていた最重要参考人であるにも関わらず、それを囮にすることなど、普通に考えればもっての他なのだ。
しかし、説得してもなおヘリオスは考えを変えることはなかった。
彼にしてみれば、赤蠍は同じ存在から生まれた兄弟なのだ。身内の恥は、同じ身内である自分が償わなければならない。ヘリオスはそう言ったのだった。AIがそんなことを言うのは普通に考えれば滑稽な話だが、先ほどからの話を聞いていた少佐にはそんな風には聞こえなかった。
それに、原子炉自体もこのままでは持たない。このような事態に陥る前にあらかじめヘリオスが手を回して掌握していた補助給水系の一部が動いているものの、それでも原子炉を冷却するにはまったくをもって力が足りないのだ。最悪の事態を避けるためには、根本的な問題を解決するしか手はない。すなわち、赤蠍を押さえるのだ。
それも踏まえ、少佐は渋々ヘリオスの作戦に乗ったのだった。
作戦開始まで、あと10秒を切った。間もなくヘリオスが直通回線を開き、同時に敵の攻撃が始まる。もちろん、ただでヘリオスを意味消失させる気はなかった。ヘリオスの周りには彼女が持ちうるすべてのスキルを費やした急造仕様の防壁迷路が組んである。デカトンケイル並みのスーパーコンピュータでも、完全に突破するには1分はかかるだろう。
それまでに赤蠍にアクセスして自らの本当の存在を認識させなければならない。赤蠍にアクセスすること自体はそこまで難しいことではないが、1分で全てを終わらせるのは難易度Sと言わざるを得なかった。
だが、間に合わなければヘリオスは意味消失する。それだけは避けなければならない。
「回線開通、攻撃来ます!」
タチコマが叫ぶのと同時に、レーザーのように蒼白い2本の光がヘリオスに殺到した。直前で展開された防壁が光を遮り、激しい閃光を散らす。最初はびくともしないように思われた防壁だったが、みるみる文字化けした防壁のデータがそこら中に散乱し、切り崩されていく。
「逆探進行中…。中継器特定!」
「よし、行くぞ!」
トラフィック負荷軽減のため、少佐は自らをアバターではなく記号情報に変換してタチコマとともに進み始めた。だが、どうしてもヘリオスが気掛かりでならない。レーザー光を高速で辿り、赤蠍に近づく中、少佐はふとヘリオスの方を振り返った。
しかし、既に遠くに離れてしまっているせいか、防壁が攻撃を受け止める強烈な閃光が点滅星のように見えるだけだった。仕方なく少佐は目を前に戻し、再び進み始める。そんな中、タチコマの1機が彼女の意志をくみ取ったのか、ある提案をしてきた。
「少佐、ボクで良ければヘリオスに付いて、防壁の修復を行いますよ」
健気にもそう話すタチコマに、少佐は難しい判断を迫られた。タチコマがついていれば、防壁の耐久時間も変わってくるだろう。だが、もし防壁を突破された場合、タチコマは間違いなくAIを焼かれることになる。
これはまだタチコマたちにも告げていないことなのだが、彼らのAIは実は日本から打ち上げた米帝の人工衛星に搭載されているのだ。こうすれば彼らのボディ、すなわち物理的身体が破壊されても死ぬことはない。だが、電脳空間からAIを直接攻撃されたら、そんな工夫も意味を為さない。攻撃を受けたタチコマは、永遠に失われてしまうのだ。
「タチコマ、お前はそれで良いのか?AIを焼かれたらただでは済まないのよ?」
「重々承知ですよ、少佐!別に、最初から焼かれるつもりでいくわけではありませんし」
その通りだった。最初から最悪の事を考えていては何も始まらないのだ。いったい何を考えているのだろう、と少佐は自分を問いただす。赤蠍の正体にあてられたからとはいえ、それを言い訳にして及び腰になるなどそれこそ馬鹿なことだ。少佐はタチコマの提案を認めると、すぐに元来た道を引き返させた。
その間も、彼女と残った2機のタチコマは光を辿り続ける。中継器をまた一つ抜け、ようやく目の前に赤蠍の電脳を表す白い球体が目に入った。案の定、電脳名は『UNKNOWN』と表示されているだけで、それ以外に名前を示す表示はない。
だが、辿ったアドレスはこの電脳を示していた。少佐は覚悟を決めると、タチコマ2機のバックアップのもと白い球体に近づいていく。攻性防壁やトラップがないことを確認した彼女は、自らを再びアバターに変換すると最初のゲートに触れた。
2018/9/30 一部加筆修正
変わり種です。
諸事情により投稿が遅れたことをお詫びします。
ここで、誰得かは分かりませんが豆知識(&補足的なもの?)をひとつ
中野が言っていた原子炉の自己制御性は本編通り水の密度効果とドップラー効果等によります。(あと、冷却材中のボイドつまりは気泡も)出力が上昇するとそれを抑える方向、出力が減少すると上げる方向に働くのを負の反応度フィードバック効果といいます。それに対し、逆のものは正の反応度フィードバックといい、状態が不安定化する極めて扱いづらいもの。もちろん、日本の発電所の原子炉は負の反応度フィードバックを持ちます。ちなみに、正の反応度フィードバックを持つのはチェルノブイリ原発のRBMK-1000型炉なそうな。