攻殻機動隊 -ヘリオスの棺-   作:変わり種

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第40話

バトーとタチコマは臨戦態勢のまま、開かれたエアロックを抜けて原子炉区画に入っていった。入り組んだ配管は系統や種類別に塗り分けられ、金属製の足場や手摺なども通行上注意を要するところは赤く塗装されている。

 

正面には無数の配管や足場に囲まれた巨大な白い塊が鎮座していた。なめらかで蒼白なその表面は、天井の照明を受けて鈍い光沢を輝かせている。原子炉圧力容器を収納する鉄筋コンクリート製のRCCV型格納容器だろう。天井には梁のように渡された緑色の大型ポーラクレーンが見え、側面には剣菱重工のロゴと社名が黒字で描かれている。

 

見た目では暴走の影響は見えなかった。もちろん、そうでなければ放射性物質がまき散らされてしまうのだから、当然のことではある。格納容器が壊れたり、配管から蒸気が噴き出してしまえば一巻の終わりなのだ。ただ、音には影響は表れていた。先ほどからずっと耳の奥まで震えるような重低音が響き渡っていて、その場のあらゆるものが細かく振動しているように感じられていたのだ。

 

バトーはセブロを構えながら格納容器に近づくと、周囲の足場に人影がないかどうか確認する。今のところ、赤蠍も含めて誰一人として人間の姿は確認できていなかった。中野の話によると、原子炉区画は社内規定上基本的には無人で運用されることになっているという。保守点検や見回りの際にも、すべて特別仕様のアンドロイドが利用され、人間がこの区画に立ち入ることはまずないのだ。

 

通常運転中に、こんな形でここへ踏み込んだ人間はそういないだろう。バトーは呑気にふとそんなことを考えた。

 

《バトーさん、ここからならすぐ上に上がれますよ》

 

タチコマが電通を使ってそう伝えてきた。彼に示された場所を見ると、ちょうど入り組んだ足場や配管がうまい具合に避けていて、吹き抜けのようになっている。その先には天井の鉄骨が見えていて、ここからならタチコマがワイヤーを撃ち込んで上に上がれそうだった。

 

《気を付けてやれよ、狙い撃ちにされたら一巻の終わりだ》

 

バトーはタチコマにそう告げると、ワイヤーを天井に撃ち込ませた。トラス構造を構成する鉄骨の骨組みにしっかりと撃ち込まれたワイヤーは完全に固化し、鋼鉄並みの強度をもつ。すぐにタチコマのボディに乗ったバトーは、ワイヤーを巻き取らせた。

 

緩やかにタチコマのボディが上昇し、天井を目指して進んでいく。真横から見える格納容器やその周りの配管類は複雑に入り組み、異様な光景をつくり出していた。とても人間が造ったようには思えない巨大なコンクリートの塊の先に、神の業火とも呼べる物が燃え盛っている。そう思うと、バトーは冷静を保ってはいられなかった。

 

《目的の制御棒駆動装置の電源盤はここを上がった先にあるようです》

 

階層が上がり、配管の入り組んだ下層部を抜けるとようやく視界が開けてくる。だが、そこで目に飛び込んできた光景に、バトーは思わず叫んだ。

 

「ワイヤーを切れ!今すぐに!」

 

タチコマがすぐに動いた。液体ワイヤー発射機の根元からワイヤーが切断され、支えを失ったタチコマの機体は急速に落下していく。だが、先ほどまで彼らのいた空中には今や数え切れないほどの銃弾が撃ち込まれ、さらに落下の最中にも執拗に狙いを付けてきた。

 

再びワイヤーを撃ち込んで着地の衝撃を和らげたタチコマ。バトーはそのままタチコマから飛び降り、セブロを構えながら物陰に隠れる。タチコマも同様に太い配管の陰に身を潜めたが、放たれる銃弾はそこらじゅうの壁や床に命中する。見ると、弾が当たった場所には粘着質の白いゲル状の物体が纏わりついていた。すぐにその正体を見抜いたバトーは、電通を使ってタチコマに注意を促した。

 

《触るなよ。そいつは粘着弾だ。剥離剤なしでは剥がれない》

 

バトーは舌打ちをした。撃ち込まれてきたのは特殊ポリマー製の粘着弾で、もしこの銃弾をもろに食らってしまえば、ほとんど身動きができなくなってしまう。成分的にはタチコマの液体ワイヤーにも似ているが、これは酸素に触れた後も固まることなく粘着性を持続させる厄介な存在だった。

 

考えてみれば、迂闊だったかもしれない。原子炉区画というのは制御室のある保安区画と並んで、原発内でも最重要の区画に分類される。セキュリティシステムが設置されていないはずなどないのだ。

 

あの時、自分たちを狙っていたのは天井に設置された4基の自動銃座(セントリーガン)だった。アイボール一つを備えた五砲身の圧縮ガス式ランチャーが咳き込むような音を立てて無数の粘着弾をばらまく。殺傷性を持つ通常弾ではないのは、配管や電線などの重要設備を損傷しないためだろう。

 

まずはあれらの銃座を沈黙させることが必要だった。タチコマをすぐに呼び寄せた彼は、電通で伝えた作戦通りに彼を動かせる。注意を引くためにタチコマが再びワイヤーを天井に撃ち込み、最大速度でそれを巻き取って宙を舞った。同時に投げ上げた煙幕弾が炸裂して、タチコマの姿は完全に煙の中に消える。

 

自動銃座(セントリーガン)は姿を消す前のタチコマの動きから未来位置を割り出し、すぐさま粘着弾の雨を降らせた。殺傷能力のない分、弾体一つ一つを大型化して発射レートも極限まで高められたその兵器は、まさに申し分のない火力を発揮して濃密な弾幕を張る。だが、タチコマはそれらが導き出した未来座標には到達することはなかった。

 

なぜなら、タチコマは攻撃を先読みして別の射出口からワイヤーを放ち、直前でコースを変えていたのだ。薄くなり始めた煙幕に、ようやくタチコマの姿がないことに気づいたものの、時すでに遅かった。タチコマとバトーが同時に放ったグレネード弾が、4基のうちの2基に撃ち込まれた。

 

爆発によって致命的な打撃を受けた銃座は沈黙するものの、残りの2基が唸りを上げて再び粘着弾を撃ち始める。足場や配管に撃ち込まれた弾がその場を白く染める中、横っ飛びしてそれを避けたバトーはグレネードに次弾を装填すると、的確に狙いを付けて発射する。タチコマも負けてはいない。複雑な足場を巧みに乗り越え、弾丸の雨を躱しつつ放った50ミリグレネード弾は見事に命中して自動銃座(セントリーガン)をターレットごと抉り取った。

 

《これで何とか、妨害は収まりますね》

 

《そうだな。少し油断が過ぎたようだ》

 

タチコマの言葉に、そうバトーが答えた。そこへ、不意に淀みのない男の声が響く。

 

「さすが、公安9課の課員さんだ」

 

振り向くと、そこには全身をタクティカル・スーツで固めた精悍な顔立ちの男の姿があった。体格はバトーより一回り小さいものの、筋肉質の肉体には一切の無駄が感じられない。バトーは一目で、それが赤蠍だと気づいた。スーツの至る所に装備された近接武器の数々と、何より相手を突き刺すかのような強烈な殺気。義体を変えていても、その気配だけは変えようがなかったのだろう。

 

「お前が赤蠍だな。生憎だが、俺にはお前さんと勝負を楽しんでいる余裕はない。とっとと原子炉を止めろ」

 

「それはできない。この国の連中には、相応の対価を払ってもらわなければならないからな。すべてはクライアントの責任だよ」

 

バトーの言葉に、薄笑いを浮かべながらそう答える赤蠍。もはや、交渉の余地はない。

 

「止めねえと言うんなら、力づくで止めさせるぞ」

 

「それはどうだか。勝負になるかすら、怪しいとは思わないか?」

 

赤蠍がそう言い終えた瞬間、洗練され尽くした芸術的な動きで飛び上がった彼は、両腕に抜き出したケーバーナイフを構えて一直線にバトーに斬りかかった。咄嗟にセブロを連射するものの、弾は肩を掠めただけで命中しない。

 

そのまま後ろに飛び退いたバトーだったが、相手はそれを見越していたかのように連続して切り掛かる。卓越した動きで繰り出される技に圧倒され、防戦一方のバトー。間もなくケーバーの先が彼の肩のアーマーを切り裂き、肩紐が千切れる。

 

9課で使われている特殊繊維製のアーマーをいともたやすく切り裂くなど、並みの兵士ですら到底できる業ではない。ナイフだけではなく、それを扱う人間もその特性すべてを熟知して使いこなせていなければ、成し得る業ではないのだ。

 

何とか斬りかかったナイフをセブロで受け止めたものの、払いのける間もなく強烈な回し蹴りが彼の上半身を薙ぎ倒し、吹き飛ばされた彼はそのまま鉄製の柵に叩きつけられる。ぐにゃりと曲がった支柱が衝突の力を物語り、バトーは懸命に立ち上がろうとするもののめまいを覚えて膝を付いた。

 

「おいおい、これで終わりということはないだろう?」

 

冷たい笑みを浮かべながら、一歩ずつ彼に近づく赤蠍は静かにケーバーの刃を向ける。このままでは、バトーの身が危ない。すぐにタチコマがチェーンガンから火を噴かせるものの、赤蠍は軽やかな動きでバク宙し、いともたやすく弾幕を避けた。

 

「邪魔をするな」

 

鋭い視線でタチコマを睨んだ赤蠍は、次々に放たれる銃弾を躱して飛び上がると、三つに分かれた腕の先から無数の金属球を発射する。

 

タチコマは瞬時にそれらが散弾だと判断した。自分の装甲であれば、あれらを防ぐことは容易である。だが、よほど戦闘に長けている赤蠍が、自分のような思考戦車相手にそのような攻撃を無意味に繰り出すとは考えにくかった。そう推論した彼は、大きく跳躍して無数の散弾の雨から逃れ、空中に飛び上がる。

 

結果的に、彼の予想は的中していた。撒き散らされた散弾はその場に着弾したかと思った瞬間、強烈な閃光を輝かせたのだ。音響閃光弾だと最初は予想したが、どうやら違うらしい。着地したタチコマは、自分の駆動系の不調に気づく。

 

あれは閃光弾などではなく、EMP弾だったのだ。ボーマもアンドロイドとの戦いで使っていたそれは、生身の人間にこそ無害だが、強烈なパルス状電磁波の作用で大半の電子機械に影響を与える。当然、思考戦車である自分にも致命的なもので、直撃を受けたらただでは済まない。

 

痺れのような駆動系の不調に、タチコマは思ったように動けなかった。アクチュエーターが動かず、チェーンガンを構えることもできない。完全にEMP弾の有効半径から逃れられたわけではなかったようで、センサーにもひどくノイズが混じっている。その様子を見た赤蠍は、再び狙いをバトーに戻した。彼としては、まずは純粋にバトーとの勝負を楽しみたかったのである。思考戦車を破壊するのは、この義眼のレンジャー隊員を血祭りに上げてからでも遅くはないのだ。

 

「野郎っ…!」

 

立ち上がったバトーを見て、赤蠍は再び不敵な笑みを浮かべた。

 

FNハイパワーを抜き出したバトーが、次々と火を噴かせて.45ACP弾を撃ち出していく。赤蠍は身をよじって躱しつつ、抜き出したケーバーを持って彼に肉薄した。目にも留まらぬ速さで繰り出された最初の一撃に、バトーは後ろにのけ反って辛うじて躱すものの、前髪何本かが掠められて宙を舞う。ここぞとばかりにハイパワーを持つのとは反対の腕で赤蠍の腹に痛烈な一撃をお見舞いするが、にっと笑った相手はその腕を押さえ込むと瞬時に抱え込み、背負い投げの要領でバトーの巨体を床に叩きつけた。

 

そこに狙っていたかのようにケーバーの刃を突き立てるが、何とバトーは咄嗟の判断でハイパワーの銃身でそれを防いだのである。あまりの衝撃に火花が散り、ハイパワーの肉厚な銃身にもケーバーの刃が食い込んだものの、突き抜くには至らない。さすがの赤蠍も予想外のその動きに驚いたのか、一瞬の隙が生まれたのを彼は見逃さなかった。

 

背中を支えにして一気に両脚を蹴り上げ、赤蠍の顔面を蹴り飛ばした。続いてハイパワーを撃ち込むが、1発が肩を撃ち抜いたところでもみ合いとなり、次々に放たれる銃弾はあらぬ方向にはじけ飛ぶ。

 

パワーの上では負けていないが、相手はそれすらも心得ていた。バトーの一撃を躱した赤蠍はその勢いを利用して彼を再び金属製の柵に叩きつけると、今度はハイパワーを持つ右手に痛烈な蹴りを叩き込んでそれを跳ね飛ばした。そのまま柵の隙間を乗り越えたハイパワーは、配管や足場にぶつかりながら下層部に落下していく。

 

激痛に顔を顰めたバトーだったが、力を振り絞って赤蠍の体を抑え込もうとする。単純な体格差は歴然としていたので、赤蠍は徐々に押し込まれて柵に背中を打ち付けた。そのまま突き落とされそうになる中で、転がっていたケーバーに気づいた赤蠍は何とかそれを掴み取る。

 

そして、大男の背中めがけて力の限りに突き立てた。

 

跳ね返るように硬直する体。すぐに動きが鈍くなったところを止めとばかりに、赤蠍は強烈な力でその首を断ち切った。鮮血が噴水のように首から噴き出し、義眼のレンジャー隊員の首は空中に放り出される。

 

返り血を浴びながら、赤蠍は満足げに歯を見せて笑みを浮かべた。

 

またもや勝ってしまった。さすがは歴戦の猛者だったが、最後の最後では自分に及ばなかったようだ。赤蠍は絶命した大男の体を見つめると、敬意を持ちながら切り落とした首を掴み取る。

 

白いレンズ型の義眼にも血がこびり付き、真っ赤に染まっていた。それを動けない青い思考戦車にまざまざと見せつけるように、赤蠍はこう言い放つ。

 

「すぐにお前もバラバラにしてご主人様と対面させてやろう」

 

だが、途端に聞こえてきた言葉に赤蠍の動きが止まった。

 

「ほう、お前さんには俺が死んでいるように見えるのか?」

 

赤蠍の顔が真っ青になり、引き攣った。声は真後ろから聞こえていた。

 

セブロの一連射が両脚の関節すべてを薙ぎ払い、苦悶の表情を浮かべた赤蠍はその場に崩れる。バトーは信じられないといった面持ちの赤蠍を尻目に、首筋のQRSジャックに電脳錠を差し込んだ。途端に、硬直するように赤蠍の体が動かなくなる。

 

「悪いな。眼、盗ませてもらったぜ」

 

動かない赤蠍に、バトーはそう言った。

 

タチコマもEMP弾の影響が抜けて、すっかり動けるようになっている。

 

「全く、見くびってもらったら困るなあ…。ボクはこれでも9課の思考戦車なんですから」

 

うつ伏せに拘束されている赤蠍を見つめながら、タチコマが冗談交じりにそう言った。バトーはそんな彼を促すと、急いで電源盤のもとへと向かう。残された時間は少なかった。赤蠍との戦いでかなり使い潰してしまったが、それでもまだ何とか原子炉は持っているようだ。今なら、まだ間に合うだろう。

 

バトーは傷の痛む体に鞭を打って、タチコマとともに足場を上り始めた。

 

だが、電脳錠を差されたはずの赤蠍の体が、微かに動いたことに彼らは気づかなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

赤蠍の電脳にアクセスした少佐は、違和感を覚えていた。AIに潜ったときとは思えない、剥き出しになった感情の数々。激流の如く押し寄せてくるそれらに、少佐は圧倒されかけるものの、何とかこらえ抜く。

 

レベル2領域を通過して最深部に至ると、先ほどまでとは一転して感情の流れは存在しなかった。あるのはぽっかりと空いた巨大な闇。意志さえも感じさせない無の空間を進みゆくと、ようやく核となる電脳の中枢が目に入った。ここを抜けると、人間でいうゴーストラインを突破することになる。

 

攻性防壁や防壁迷路をフル展開して反撃に備えつつ、少佐はタチコマのバックアップを受けて中枢へのアクセスを開始する。今のところ、際立った抵抗は感じられなかった。驚くのは、ゴーストラインが、人間のそれに非常によく似ている。ゴーストダビングで生じる疑似ゴーストライン障壁のようだが、一概にそれと決めつけることもできない。

 

障壁が徐々に切り崩され、ゲートが開通する。時間が惜しかった少佐は自身を侵入させることよりも、自己認識プログラムの注入を優先した。ヘリオスから赤蠍の正体を聞かされ、この作戦を実行すると決断したときからずっと組み上げ続けていたものだった。相当な突貫工事で組んだものであるため、完全に効いてくれるかは分からないものの、今はそれに託すしかない。

 

このプログラムがうまく機能すれば赤蠍は自らが原発制御AIだったということを認識し、今の危機的な状況に対処してくれるはずだろう。同時に赤蠍が拡大解釈した可能性がある初期命令も無力化するコードも含まれているので、破壊行動も直ちに止まると思われる。

変化は徐々に現れてきた。

 

電脳内が目まぐるしく移り変わり、思考系が活発に光を放っている。天地が逆さまになるかのようにその場のすべてが捻じれ、混じり合い、混沌とした状態になっていく。赤蠍の自我はかなり混乱しているようだ。

 

そこで、少佐は呼び掛け続ける。この施設は本来お前が守るべきものだったんだと。そして、この危機を回避できる力がお前には備わっていると。

 

呼び掛けに呼応したのか、ゲートが自然に開かれてきた。揺れるように移り変わる周りの景色も落ち着きを取り戻し、徐々に組み直されていく。少佐は一安心した。これで何とか、原発の危機は脱することができたのだ。

 

だが、そこで異変が起こる。

 

記憶系が再構築され、再び結合を構成する過程だった。徐々に繋がり合ってリンクが回復しつつある中で、互いを結ぼうとする光がある記憶の塊に触れた瞬間、眩い閃光とともに弾け飛んだのだ。同時に先ほどまで整然と並びつつあった記憶系は、内部からズタズタに引き裂かれ、真っ二つに千切れる。

 

それは周りにも伝播し、落ち着きを取り戻しつつあった電脳内は急速に不安定化した。同時に沸き起こってくる感情は、少佐の中にも流れ込んでくる。それは、人間が持ちうる感情の中でも最も強いものだった。

 

怒り、そして憎悪。

 

絶対に触れられたくなかったものに触れられたかのような感情だった。あまりの凄烈な感情の流れに少佐は悲鳴を上げる。流れ込む感情はせき止めてもなお溢れ出し、少佐に流れ込み続けた。

 

最終段階まで注入されていた自己認識プログラムが、真っ先に攻撃を受けて意味消失した。間もなく少佐やタチコマにも攻撃の手が伸び始め、周りの攻性防壁や防壁迷路に突き刺すように強烈な光の筋が殺到する。

 

「少佐っ、ここは危険です!早く逃げましょう!」

 

タチコマに急かされるが、流れ込み続ける感情に耐え抜くのに精一杯で体が動かない。そんな少佐の様子に気づいたタチコマの1機が彼女の体を抱え上げると、すぐさま撤退を始めた。

 

朦朧とする意識の中で、少佐には赤蠍から記憶の一部も流れ込んできた。それらを意図せずも認識した彼女は、タチコマに運ばれる中で一滴の涙を落とした。すべての謎が解け、現れた真実はあまりに理不尽で凄惨を極めたものだったのだ。心苦しく直視しがたいその真実に、少佐は知らなければよかったと心から後悔した。もしこれを知らなかったのならば、何の心残りもなく一思いに赤蠍を消すこともできただろう。

 

赤蠍の電脳を抜けると、ようやく流れ込む強烈な感情の激流から解放され、体が軽くなった。だが同時に、緊迫したタチコマの声が響く。

 

《ダメですっ!防壁がもちません!》

 

ヘリオスについているタチコマからの報告だった。今の出来事で、ヘリオスへの攻撃が止まらないままとなっていたのだった。防壁の耐久性を考えると、いつ限界が来てもおかしくはない。

 

少佐は体に鞭を打って全速でヘリオスのもとへと戻ろうとする。随伴する2機のタチコマも気が気でなく、大慌てで防壁修復プログラムのスタンバイを始めた。

 

《タチコマ!あと10秒で着く。持ちこたえろ!》

 

少佐は祈るような思いだった。タチコマからの返信はない。言語処理に割くマシンパワーも防壁修復に充てているらしかった。

 

ようやく目の前にヘリオスの電脳が見え始めた。凄絶な攻撃で断続的に閃光が輝き、周囲の空間は容量オーバーで描画処理が追いついていない。修復プログラムと追加の支援防壁を展開させようと、少佐は周りにコンソールを開く。

 

あと一歩のところだった。

 

彼女の差し伸べた手は、間に合わなかったのだ。

 

タチコマから絶叫に近い悲鳴が上がったと思った瞬間、目の前のヘリオスの電脳は防壁を突き抜けた2本の光の直撃を受けて爆散した。あまりの閃光に眼も開けられなかったが、何が起こったのかを瞬時に認識した少佐は、自分の無力さにどうしようもないほど憤りを覚えた。

 

眼を開けると、破壊されたヘリオスの電脳が激しく文字化けして崩れつつあった。一緒についていたはずのタチコマの姿は見えない。あの攻撃だった。テクスチャも残らないほどに、跡形もなく消し去られてしまったのかもしれない。

 

少佐は茫然と立ち尽くしていた。作戦は失敗し、赤蠍は暴走を続けている。頼みの綱のヘリオスも意味消失し、事件の真相は永久に闇の中に葬られてしまった。そして何より、部下のタチコマを死なせてしまった。せっかくニューロチップを蘇らせ、再び共に活動し始めたばかりだというのに。

 

今となっては、どうすることもできなかった。ウィザード級ハッカーといっても、魔法使いではない。不可逆的に変化する時間を巻き戻したり、失われたものを取り戻すことなど、できるはずはないのだ。

 

《少佐?どうしたんですか、そんな深刻そうな顔して?》

 

タチコマの声に、少佐は振り向いた。随伴していた2機のタチコマも、仲間の死に言葉も出ないのか、押し黙り続けている。では、今の声はどこから聞こえたというのだろう。

 

「少佐らしくないですよ。しっかりしてください」

 

声が聞こえた方向を見ると、そこには破壊されたはずのタチコマの姿があった。少佐は思わず、びっくりして目を丸くする。

 

タチコマはそんな様子にどこか満足げだった。バトーとタチコマが9課で再会したときにも、同じように少し意地悪して驚かせたことがあったが、まさか少佐にもそれができるとは思わなかったのだ。

 

「どうです少佐?びっくりしました?」

 

「お前、どうやって攻撃から抜け出した?」

 

「それは、話すと長くなります。とにかく、ヘリオスからこんなものを預かりました。あと、メッセージもありますよ」

 

タチコマはそう話すと、少佐に一つのファイルを送った。

 




2018/10/1 一部加筆修正

どうも、変わり種です。
いよいよ残り話数もかなり少なくなってきました。
本当は前後編20話ずつで終わらせる予定だったのですが、書くうちに内容が膨らんで収まりきらなくなってしまいました。つきましては、もう少しお付き合いいただけると幸いです。さて、物語もクライマックスです。不穏な様子を見せる赤蠍ですが、果たして原子炉の停止は間に合うのか。そして、赤蠍との決着は着くのか。次週もどうぞお楽しみに。
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