どちらもやり込みゲーで大変……。
マインクラフトはほんとに終わりなくて……フィールドが広大すぎ。
しかも、水を消す方法が分からず、せっかく作成した住居が水没の被害にあってます。……どうやったら水を消せるんだ……。
「……どこだ、ここ?」
周囲を360度、深い森林に囲まれているアダムは呆然と呟く。
昨夜ディスガイアのサービス終了と同時に強制ログアウト。そのまま仮眠を取り、あらかじめセットしている目覚ましで起床、朝食を摂ったら新作DMMORPGでも始める予定だったというのに。目覚めてみれば、周囲を森林に囲まれていた。
しかも、その森林はただの森林ではなかった。
汚染の進んだ現実世界では隔離された施設にでも行かない限り到底見ることはないだろう、ありのままの森林――自然だった。
アダムは今の自身の姿がディスガイアで使用していたアバターだったこともあり、仮想世界の、新作DMMORPGにそのままデータごと移されたのかとも考えたが、小鳥の囀りや小動物の気配、風に乗ってくる葉の匂い、自由自在に変化する表情などによって、すぐにその考えは打ち消される。
――だったら……ここがDMMORPGの仮想世界ではないとしたら、どこにいることになるんだ?
「……まさか、現実だっていうのか? いや、そんなはず……ありえない。ファンタジーもののアニメや小説じゃないんだ。いくらなんでも……そう! 夢だ! 夢なんだよこれは!」
あはははは、俺としたことが夢の中で何混乱してるんだろなー?
「――天使さま?」
「……へ?」
現実逃避していたアダムに向けられた突然の声。思わず声の方向を振り返ると、小さな子供が立っていた。
子供は女の子のようで、年の頃は大体10歳ぐらい。両腕いっぱいに同じぐらいの長さで統一された木の枝の束――薪にするのだろうか? を抱えている。
服装は綿でできた粗末な服で、肩下ぐらいまでの髪を後ろで2つに結んでいる。小さな村の子供という言葉が相応しいどこにでもいそうな女の子だ。
もしも目の前の全てが自分の夢だとして、自然はまあ説明がついた。現実世界ではまず見られない森林も、仮想世界ではフィールドのひとつとしてありふれている。匂いや小鳥の囀りなんかも規模は圧倒的に小さいが、現実世界でも見られたことだから。
――しかし、目の前の子供はどうだろうか?
アダムの記憶に目の前の子供に関する情報は何も無い。つまりは初対面だ。ここがすべて夢の世界だとすると、混乱している最中に会ったこともない子供が突然現れるなんてあり得ない。そもそも夢だった場合、天使さまなんて呼び方で誰かが自分を呼ぶはずがない。天使に見えても、ちゃんとした悪魔なのだから。
女の子をじろじろと観察しながら、恐る恐るアダムは口を開いた。
「……えーっと……キミは誰かな?」
「あたしはネム! ネム・エモットです、天使さま!」
アダムの問いに女の子はハキハキと応える。ネム・エモットという名前らしい。
ネムは両腕いっぱいに薪を抱えたまま、目をキラキラさせながらアダムの元へと駆け寄ってくる。
初対面だろうアダム。しかもじろじろと観察するような視線を向けているのに関わらず、ネムは警戒心を抱くことなく――それどころか天使さまと呼び、子犬のような無邪気さで顔を見上げてくる。
その無警戒さに大人であるはずのアダムのほうが戸惑ってしまうが、聞かなければいけないことがあった。アダムは数度呼吸を整え、ネムに警戒心を抱かせないよう、優しい口調で訊ねる。
「あ、あのさ……キミはプレイヤーかい?」
「ぷれいやー?」
「……じゃ、じゃあNPC?」
「えぬぴーしー?」
「…………」
どちらの問いにも首を傾げるネム。そもそも言葉の意味がわからないといった様子だ。おそらくGMやGMコールについて聞いても先ほどのように首を傾げるだけに終わるだろう。
仮想現実だけでなく、現実世界でも通じる言葉が通じないことに、アダムの不安が益々大きくなる。全身から嫌な汗が分泌され、呼吸が速くなる。とにかく落ち着くよう自分に言い聞かせるよう大きく呼吸を繰り返し、アダムは別の質問をネムへと投げかける。
「じゃ、じゃあ……ここがどこか分かるか?」
「村の入り口の森です!」
「……村? えっと……じゃあ村の名前は分かる? できればどこの国の村なのか、名前なんかも教えて欲しいんだけど……」
「はい! 村の名前はカルネ村です! 国は……えーっと……あっ! リ・エスティーゼ王国です!」
ちゃんと答えられたと笑顔を浮べるネムにアダムは「あ、ありがとう……」と小さくお礼の言葉を言って記憶を探ったが、やはりカルネ村は元より、リ・エスティーゼ王国なんて名前の国に聞き覚えなどはなかった。
気づかない内に新作DMMORPGの世界へアバターと意識ごと移されたのか?
いや、違う……。
周りの森林や風の動きや匂い、小動物の気配などの膨大な情報量を仮想現実で再現できるはずがない。そしてそもそも、匂いや口の中から感じる唾液の味など、そういう系統の感覚は感じられないよう法律でも定められ、完全にシャットダウンされているはずなのだ。肌から滲む汗なんかも当然DMMORPGでは再現できない。
目の前の女の子に関しても、コロコロと動く表情や小さな呼吸音、服や肌を通して聞えてくる心臓の音、風に乗ってくる匂いなどなど。あまりにもリアルすぎて、仮想現実のものとは思えなかった。
「最後に……ここが、DMMORPGの世界じゃないことを証明できる手段は――」
小声でつぶやいた言葉を止めて、アダムはネムを見下ろす。古着なのか少し大きめ服から覗ける発育の乏しい胸元と白い肌を見て――首を横に振るった。
「ダメだ。いくら夢でもそれは出来ない。……だいたい、俺ってロリコンじゃないし」
「ろりこん?」
「あ、いや……別になんでもないよ。気にしないでくれ」
DMMORPGの世界ではないことを証明する最後の手段として、DMMORPGの一番の違法行為であるR15以上の接触――つまりはネムに対してセクハラすることを考えたが、やはり夢だと仮定してもそれは出来なかった。そもそも現実だった場合、その方法は問題がありすぎだ。
がっくりとアダムは肩を落として息を吐く。
「だとしたら……やっぱりここは現実世界なのかぁ……」
これ以上、現実ではないと証明する手段が思い浮かばないのであれば、現在自身の身に起こっている異常事態を受け入れる他なかった。
◆
「こっちです、天使さま!」
馬車が一台ほど通れるだけ舗装された道を元気いっぱい、ニコニコ笑顔で先導するネム。そのネムの少し後ろをアダムはゆっくりとした歩調でついてゆく。
行き先はもちろんネムの村であるカルネ村。
最初の森林で現在いる世界が現実世界であり、異常事態に巻き込まれていることを受け入れたアダムは、まずは足元を固めようと思い、その先駆けとして現在いるだろう異世界の情報を得るため、ネムにカルネ村までの案内を頼んだのだ。
まあ、案内といってもネムが居た場所は村の入り口近くの森林であり、数分足らずで人の手によって造られた道に出ることができた。視界にもカルネ村の民家と思わしき建物を捉えることが出来ていたため、あまり案内の必要性はなかったようだが。
アダムはネムの代わりに持っている薪を持ち直しながら口を開く。
「あの、ネムちゃん? その『天使さま』って呼ぶのは止めてくれないかな?」
「え? でも、天使さまは天使さまなんですよね?」
「……そうだけど。今はほら、人間の姿だろ?」
「はい。天使ってわかると騒がれるから人間になってるんだよ……ですよね」
「ああ、そうだよ。だから、人間の姿をとってるのに天使さま、なんて呼ばれてたら……」
「――あっ! 天使さまが天使さまだってことがバレちゃう!?」
ハッと口を両手で押さえるネム。
表情豊かに子供らしい素直なリアクションを見せてくれるネムの姿に、不安でいっぱいだったアダムの心が少しだけ癒される。
現実世界では26歳だったアダムだが、結婚を考えるような相手もおらず、両親も肉親もいなかった。毎日毎日会社と家の往復。それが終わるとサービス終了により、ほぼ人がいなくなったディスガイアでの無意味な育成作業の日々と……。このように気軽な会話を交わすことなんて随分と久しぶりのことだった。
異世界で初めに出会った相手がこの子で良かったとアダムは微笑み、不安げに顔を見上げてくるネムにうなずいた。
「だから俺のことは『アダム』と呼んでくれ。敬語……畏まった言葉も、難しいなら無理しないでいいから」
「はいっ、てん……アダムさま!」
「あはは、『さま』も付けなくていいよ。『さん』ぐらいで、な?」
「はいっ、アダムさん!」
「うん、ありがとう、ネムちゃん」
「えへへへ……」
顔を赤くして恥ずかしそうにハニカム。
(実際は悪魔……しかも魔王神なんて称号持った悪魔なんだけど。天使のほうがイメージよさそうだからなぁ。この子にはこのまま天使で通しておいたほうがいいだろ)
再び前を向いて先導を始めたネムにわずかばかりの罪悪感を抱きつつ、アダムは思考する。
(とりあえず。異世界の情報はカルネ村の村人たちから得るとして。自分自身の体についてだな。今の体は仮想世界で作成したアバターである『アダム』というキャラクターのようだけどステータスとか特殊能力とかどうなってるんだ?)
DMMORPGディスガイアでの『アダム』というキャラクターのステータスはほぼカンストといっていい数値だった。転生システムの使用によって得られるボーナスも最大値であり、レベル1の装備なし、称号による補正なしの状態でありながら全ステータス1000という数値を叩き出していた。
レベル9999である現時点では素のステータスの平均が9桁、HP・MPに関しては13桁と10桁。加えて高レベル・高性能の装備品・アビリティならぬ魔ビリティによる強化により、平均11桁のステータス値。MPも12桁台をマークし、HPに限っていえば15桁を記録していた。
最終ステータスの平均11桁、HP15桁という、RPGにしては規格外すぎるだろう数値であるが、ディスガイアとは育成方面に突き抜けたやり込みゲーのDMMORPGタイトル。
そんな数値でさえ、基礎ステータス値に過ぎない。ここに特技・魔法に存在する『熟練度』と呼ばれるレベルに、S~Eまであるキャラクターの武器適正、300まであるウエポンマスタリーなどの強化・補正が入ると、最低位の特殊・魔法でさえ10兆を超える、とんでもないダメージを敵モンスターに与えることが可能だった。
(まさか……。DMMORPGから異世界へのトリップものファンタジー小説のお約束らしく、ゲームキャラのステータスのまま異世界転移~とか言わないよな?)
もしそうだとすると、色んな意味でヤバ過ぎる。
身を守る上では困らないだろうが、何かの拍子で惑星……いや、太陽系破壊なんてことになりかねない。
ディスガイアは魔界や天界が舞台だってこともあり、ボスモンスターなんかは魔王クラスや天使・神クラスが多く、シナリオクエストの後半にも差し掛かると出現するボスモンスターは設定上、星をひとつ支配する・星を砕ける攻撃を放てる・太陽系を破壊できる、とかぶっ飛んだ設定を持っている奴ばかりだった。
――しかし、そんなボスモンスターでさえ、平均ステータスは7桁前後。
11桁の平均ステータスと15桁ものHPを有するアダムにとっては、そんなボスモンスターたちはレベル1の雑魚モンスターと変わらない。
特技や魔法を放つ必要さえなく、通常攻撃を当てるだけでどんなボスモンスターでも即死魔法でも受けたかのように一撃死。
補助魔法などで最大まで強化されたボスモンスターの最強特技・魔法でさえ、魔ビリティなどの特殊能力で無効化する以前に素のステータスだけでノーダメージ。
属性魔法や毒などの状態異常系の攻撃に対する対策にも余念がなく――というか、やり込みプレイヤー魂が発動し、転生時特典などのシステムや、称号にプラス補正をかけるシステムをフル活用した結果、全属性・全状態異常系魔法及び効果に対する耐性は、装備なしでも99%。しかもここにその他種族への転生によって取得でき、最大30種類まで同時に効果を発動させることのできる『魔ビリティ』というシステムを使用することにより、全属性に対する魔法・効果、状態異常系にいたるまで、その全てが自動で無効化され、本来ならば耐性を持つことすら不可能なはずの無属性魔法に分類される属性魔法にさえ、99%の耐性を有している。
もはや運営がイベント用モンスターとして出現させた平均ステータス8桁、HP18桁という超ド級モンスターでさえ、全てを極めつくした廃神プレイヤーの前ではHPの少し多い雑魚モンスターにしか過ぎないのである。
(まさかまさかまさかまさか……カンスト状態のまま異世界トリップってのはいくらなんでもありえないよな? 平均11桁のステータスだぞ、11桁! 超巨大なモンスターも宇宙最強魔王の称号を持つモンスターでさえ物理的に一撃死させることのできる壊れステータスのアバターなんだぞ!? ……絶対世界からの補正が入ってるはずだよな? ステータス100分の1とか、1000分の1とか、アイテムなし、蘇生なしとか……世界の修正力? 抑止力だったかで弱体化されてるはずだよな? きっと、そうなんだよな!?)
ダラダラと顔から汗を流しながら、アダムは自分自身に意識を向け、
「あは……あははは……」
――思わず笑い声を漏らしてしまう。
(なんだよ、これ!? なんだんだよこれ!? ふざけてる! 絶対ふざけてるだろっ!?)
心の中で誰に向って罵声を飛ばすアダム。
自身の体に意識を向けて感じたのは――思わず笑い声を漏らしてしまうほどの力だった。
(……ヤバい! ヤバいヤバいヤバい……っ! いくらなんでも絶対ヤバすぎるだろ、これ……。たぶん、俺。かるーく殴っただけでこの大陸……というか星を破壊できちまうぞ? つーか、できるって確信してる。少し前までは自分の本当の体じゃなかったのに……。元々の自分の体だったように違和感なんてものもなく、体の使い方なんてものまで分かってやがる。――それに、それにだ……。世界からの抑止力っぽい力だと思うが、全体の力から1%程度……はっきり言って知覚するのがやっとなレベルで一応弱体化させられてるっぽい)
もっと仕事しろよ、世界の抑止力ェ……。
思わず空を見上げ、異世界……世界に向ってため息を吐くアダムだったが、こればかりは無理な話だ。
いくら世界に抑止力が存在していても限度というものがある。惑星を丸まる支配できる魔王クラスや天使・神クラスだけでなく、太陽系をも一撃で消滅させられる力を有するボスモンスターでさえ通常攻撃を1回当てるだけで消滅させることができる、壊れステータスと装備、そしてディスガイアに存在する魔ビリティを全て保有し、常時30種類もの魔ビリティを発動させている存在を、ひとつの世界の抑止力で抑えることなど不可能なのだ。逆に1%だけでも弱体化させられていることに対して称賛の言葉を贈るべきである。
(あぁ……特技や魔法も問題なく使えるんだな……)
転生を繰り返し、ディスガイア上に存在する特技・魔法の全てを習得していたアダム。
コンソールが存在しない今では特技・魔法の使用法について不明だったが、使い方を思い浮かべれば、忘れていたのを思い出すように使用法が伝わってくる。
しかし、やはりと言うか。全ての特技・魔法を習得しているといっても、魔物系でもその種族になっている場合のみ使用可能な固有特技までは使用する事はできないようだ。まあ、それでも使える特技・魔法は1000種類以上あるが。
ディスガイアでは威力調整などなく、自身のステータスと使用する特技・魔法のレベル、相手のステータスにより、相手のHPを大きく超える無慈悲なダメージをモンスターに与えていたが、やはり特技・魔法レベル……熟練度99の効果なのだろうか?
感覚を頼りに予想すると威力の調整も可能らしい。まさに使い慣れている、という表現が合っているような感覚だった。
(あとはアイテム……装備品だが、やっぱりか)
現在身につけている自身の最強装備。ディスガイアで最高ランクの世界級装備アイテム――それも最大レベルであるレベル300まで強化済みであり、武器に宿すことで追加で強化することのできるイノセンスはそれぞれカンストといっていい数値。さらにアバターの全装備適性値300%があるため、そこに×3が加わった数値が加算される。まさに廃神プレイヤーのフル装備といってもいい壊れ性能を有した装備アイテムの数々だが――それさえも従来の性能と殆ど変わらい性能を有しているようだった。
おそらく装備アイテムだけでなく、他のアイテムも従来の性能を、現実世界のものに合わせた状態で存在し、使用できるんだろう。
(アイテムボックスの有無を確認する必要があるが……ここではやらないほうがいいか)
ディスガイアではコンソールを操作して開くことの出来たアイテムボックス。コンソールを操作してアイテムボックスのウインドを開く際、空中に穴が空き、イベントリを確認することができた。
もしもアイテムボックスを開けた場合、空中に穴が空き、それをネムやカルネ村の人間に見られる可能性が高かったため、試すことは諦めた。
カルネ村を視界に入れながらネムと会話を交わし、そのなかで異世界の情報を収集していると、ネムが突然村の入り口へ向って大声をあげる。
「あっ! お姉ちゃんだ! おねーちゃーん!」
ネムが手を振っているほうへ視線を向けると、後ろで髪をみつあみにして縛っている女の子が村の入り口に立っていた。
ネムの6つ年上の姉であるエンリ・エモットだ。
ネムはアダムを置き去りにしてエンリに向かって元気に駆け出す。
元気よく自分の元へやって来たネムをエンリは両手で抱き止め、少し膝を曲げて視線を同じ高さにしてから口を開く。
「ネム! いつもより遅いから心配したじゃないの」
「ご、ゴメンなさい」
素直に頭を下げるネムだが、すぐに顔を輝かせエンリの服を引っ張った。後ろを歩いているだろうアダムのほうを片手で指差し、呟く。
「お客さん! お客さんだよ、お姉ちゃん」
「お客さん? あの人のことよね? ……冒険者さんなの?」
薪を片手で持ち、ゆっくりとした足取りでカルネ村へと歩くアダムをエンリは警戒しつつも、観察するように見つめる。
カルネ村は帝国との国境近くに存在する小さな村であるため、村にやってくる者は限られる。
年に一度だけ訪れる徴税吏か、村の近くの森林に薬草採取に時々やって来る薬師、薬師の護衛の冒険者に、たまたま通りかがる行商人かである。
ネムがお客さんだと言ったアダムは、背中に立派な長剣を背負っているものの、黒のシャツとパンツの上から純白のコートと、まるで街中を歩くような格好であり、薬師の護衛として時々訪れる冒険者とは装備そのものがあまりにも違いすぎていたため、冒険者なのかとエンリは首をかしげた。
しかし、冒険者でないのなら誰が来たというのだ?
近づくにつれてハッキリと見えてくるアダムの姿。純白のコートに施された細かな金の装飾や十字架を象った精巧なネックレスなど、エンリが見たこともないような――しかし、その価値がとんでもなく高いことだけはわかる服装や装飾品を付けていることに、エンリは今までの生で感じたこともない不安や畏怖にも近い恐怖心を抱き始める。
無意識にネムの体を引き寄せ、盾になるように顔を上げる。
顔を強張らせ、警戒心をむき出しにするエンリに向って、ネムが慌てて口を開く。
「アダムさんはてん……じゃなかった。えっと、迷子なんだって」
「……迷子?」
妹が来訪者の名前を気軽に呼んだことに対して思うところもあったが、迷子という言葉が引っかかった。
見たところアダムの年齢は30手前か30前半ぐらいの大人である。しかも服装や装飾品はエンリから見てもとんでもなく高価なものだとわかるぐらい。
脳裏に貴族という言葉が浮んだが、貴族が剣を背負い、付き人も護衛もなしに行動するとは思えなかった。
モンスターや亜人に襲われて仲間と逸れたにしても、服装が綺麗すぎる。
そもそもの話、エンリにはアダムが迷子になるような人物には見えなかった。
アダムに対して警戒心と共に不信感を強めたエンリは、いつでも村のなかへ駆けだせるように立ち上がる。
どうやら村のほうも村へ向って真っ直ぐ歩いてくるアダムを発見し、その冒険者には似つかわしくない服装に目立つ純白のコート姿に警戒心を抱いたようだ。チラッと後ろを見ると、村の大人が鍬や鎌を手にしていて家々の影から自分たちに向って村のなかへ戻るよう手招きをしていた。
ネムを抱えて村のなかに逃げ込んだほうが――。
そんな考えが浮かんだ瞬間だった。
「あの、よ……? えっと、ネムのお姉さんだよな?」
「ッ」
いつの間にか距離を詰めたアダムが、エンリに向って声をかけた。
エンリはアダムを無視してネムを抱えて逃げることもできたが、相手に悪い印象を与えてしまう。
アダムが本当に迷子……遭難者であり、もしも貴族だった場合、家族だけでなく他の村人の命さえも危ないのだ。
貴族の気まぐれで村人が殺されたり、美しい容姿を持つ村娘が貴族に召し上げられ、散々弄ばれたあげく、ボロ雑巾のように棄てられた話なんてものはよく聞く話だ。
貴族だと仮定すると、無視して立ち去るという無礼は絶対に許されない。
エンリはバクバクとなる心臓を無理矢理鎮めて静かにうなずいた。無礼にならないよう、使い慣れない畏まった話し方を意識しながら慎重に口を開く。
「はい。ネムの姉の、エンリ・エモットといいます」
初対面から無警戒だったネムと違い、見るからに警戒心・不信感、その他諸々を抱いていることが丸分かりなエンリに向って敵意はないとアダムは微笑みを浮べるが――逆にそれが警戒心や不信感を強めてしまったようだ。
ネムを胸に抱きかかえて2歩ほど後ろへと下がってしまった。
16歳の女の子。女子高校生ぐらいのエンリに微笑みを浮べて後ずさりされたアダムの心に冷たい風が吹く。
しかし、落ち込んではいられない。
アダムは下手な微笑みは止めてつぶやく。
「俺の名前はアダム。古代の遺跡を調査したり研究する学者なんだが、遺跡の調査中に遺跡に仕掛けられてた転移魔法が発動しちまってな。知らない土地に飛ばされちまったようで遭難……まぁ、迷子なんだよ」
簡単な自己紹介と自身の現状について語ったアダムだが、そのほとんど嘘である。
やはり異世界からやって来た天使に見える悪魔……なんて正直に話しても信じてもらえないだろうし、厄介なことになると思い、不自然すぎない設定をカルネ村へ向う道中、ネムと会話を交わしながら同考えておいたのだ。
魔法の有無に関しては、村へ向う途中で交わしたネムとの会話から確認済みである。
何でもこの世界では魔法使いは魔法詠唱者と呼ばれ、ディスガイアのメガ、オメガ、テラ、ペタ、ゼタなどの階級ではなく、位階と呼ばれる階級によって魔法の威力や種類などが区分されるらしい。
ちなみにネムの話によるとカルネ村に度々訪れる薬師の青年、ンフィーレアがその魔法詠唱者らしく、昔からネムの姉であるエンリに片想いしているらしい。しかし、ンフィーレアは奥手で意気地がないらしく、未だにエンリには男として見られておらず、たまーに勇気を振り絞って告白まがいの発言をしてもスルーされてしまうのだとか。酷い情報漏洩である。
「……転移魔法、ですか?」
「ん? 知らないか? 魔法の一種で、人や物を遠く離れた場所に飛ばすやつなんだが……」
「……はい」
「そうか……。まぁ、それも仕方ないか。珍しい魔法だからな」
肩をすくませ息を吐く。
まるでこの世界の魔法を知っているような口ぶりであるが、これは演技である。例えこの世界に転移魔法が存在していなくても関係ない。今はエンリを初めとした村人に不信感を抱かれすぎないよう、遭難した言い訳を作って話しておくことが重要だった。
アダムの説明に加え、服装や外見とは違い、友好的で柔らかな態度にエンリから警戒心が少しだけ薄れる。
再び警戒心を抱かれないよう、アダムは追い討ちをかけるように口を開く。
「ああ、そういえばこの薪はどうすりゃいいんだ? 家まで運ぶか?」
アダムの問いにネムがハキハキトした口調で応えて頭を下げる。
「いえ、ここまでで大丈夫です! ありがとうございました、アダムさん」
「別に構わないさ。ちゃんと村まで案内してもらったんだからな」
そう言ってアダムは片手に担いでいた木の枝の束――薪をネムに手渡す。
薪を手渡して微笑むアダムに、エンリが目を大きくさせた。
「えっ……!? ここまで代わりに持ってくれてたんですか!?」
「ああ? ……あー、村までの道案内のお礼さ。気にするな」
「……は、はい。ありがとうございます」
村人の荷物を代わりに持つ? もしかして貴族じゃないの?
アダムに頭を下げながらエンリがそんな疑問を抱いていると、村のほうから誰かがやって来る。
背後から――カルネ村の方向から聞える足音にエンリが振り返ると、村長が立っていた。
「エンリ。ネムを連れて家に戻りなさい」
「村長さん……。はい、わかりました。行くよ、ネム」
エンリはうなずき、村長に言われた通りネムを引き連れて村へと向う。手を繋いでいるネムがアダムに向って名残惜しそうな視線を向けたが構ってなどいられなかった。今の村長は普段の優しい村長とは違って真剣な表情をしていたからだ。
◆
村の中からやって来た村長にアダムはエンリやネムにした説明を行なったあと。アダムは周辺の地理――近くの村や街、国の名前などについて教えてもらえないかと村長に訊ねた。
訊ねられたカルネ村の村長はというと、アダムの説明にあった転移魔法に関することについてはあまり理解出来なかったが、アダムが周辺の地理だけでなく、王国や帝国、法国さえも知らない遭難者であることだけはしっかりと理解できていた。
村長はアダムに向って「それは大変でしたな」と同情するように呟くと笑顔で頷いた。周辺国の名前や領土が大まかに書かれた地図があるからと、アダムを村の集会場へと案内し始める。
その見るからに怪しげなよそ者を簡単に村への立ち入りを認める辺り、村長としてあまりにも警戒心が薄いようにも見えるが、これは村人たちの安全を考えてのこと。
高価な服や装飾品で身を包み、背中の長剣で武装までしているアダムの申し出を断わるのは村人からすればあまりにも愚かな行為であり、何も食料や命など大切なものを渡せと言われているわけでもないのだ。
誰でも知ってるだろう、周辺の地理や存在する国の名前ぐらい教えてやっても辺境の村であるカルネ村には損は無い。むしろそれで何事もなく村から立ちってくれるのなら――と、村長は考えていた。
そして、案の定村長の考えは当たりだったようで。周辺国の位置や村から1番近い都市を教えると、その都市であるエ・ランテルへ向うため、その日の内にアダムはカルネ村をあとにした。
一応、村長からエ・ランテルへ向う最短ルートを通っても人の足では1日以上かかり、その途中の森林ではゴブリンやオークといった亜人に出くわすとも教えられたが、反則レベルのステータスを有するアダムにとっては些細なことであり、思ったよりも規模の小さかった村で情報収集するよりも、エ・ランテルという都市で情報収することが最優先だった。