黒子のバスケ~ヒーロー~   作:k-son

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砕けた希望と確かな想い

「なんなんだよ!ふざけんじゃねぇぞ!」

 

英雄が去った後も、日向は荒れていた。あんな話をされて冷静でいられる者も少ないが。

 

「みんな、そろそろ帰って休もう」

 

このまま火神宅にいても状況は変化しない。日向の気持ちも分かるが、木吉は立ち上がって帰宅を促す。

 

「何いってんだ!こんな状況で寝れる訳」

「休むんだ!!」

 

諭そうとしても聞き耳を向けない日向に対し、声を張って言い聞かせる。

 

「何があっても明日は決勝だ。眠れなくてもいいから、目を瞑って横になるんだ」

 

例え眠れなくても、休む事に意味がある。もちろん木吉も簡単にはねむれないだろう。

それでも、出来る限りの備えをしたい。木吉だからこそ、その言葉に重みがある。

 

「明日が最後なんだ。こうなっては、ベストコンディションは望めない。それでも、このまま簡単に負けるのだけは嫌なんだ」

 

英雄以前に、木吉にとって最後で最大のチャンス。日本一とかは関係なく、このまま終わる訳にはいかない。

 

「くっそ!くっそぉぉぉ!」

 

木吉の言葉は正しく正論。それだけに、日向のストレスは声になって掻き消えるだけ。

 

「(一体、俺達はどうなってしまうんだろう)」

 

悶える日向を見つめ、伊月の頭には明日の不安が圧し掛かっていた。

 

 

 

 

「よう。リコなら部屋から出てこないぞ」

 

「鞄。忘れてたから」

 

リコの忘れた鞄を届けに行った英雄は、景虎と出くわしていた。

 

「話したのか?」

 

「うん、まあ」

 

今回の問題について事前に知っており、それどころか協力者である景虎は、泣いて帰ったリコを見て英雄の行動を察していた。

英雄のか弱い返答が良い証拠。

 

「だから、終わってからにしろって言ったんだ。明日に影響が出るぞ」

 

WC決勝戦を明日に控え、コンディションを万全に整えるべきタイミングでの告白は、愚行といわざるを得ない。

昨晩にも考え直せと確認を取ったが、結局今に至る。

 

「まぁ成り行きって言うか。自己満足って言うか。多分、早く言って楽になりたかったんだろうなぁ」

 

自分の事なのに、どこかはっきりしない。リコの部屋の窓を見つめ、気の抜けた顔を晒している。

 

「はっきり言って、お前のやってる事は最悪だ。俺が当事者だったらぶん殴ってる」

 

「ははは、しっかり殴られてるよ」

 

薄暗くて良く見えないが、英雄は殴られた頬を摩っている。

 

「まっ、俺がどうこう言う事でもないけどな」

 

肝心なところをしくじる旧知の馬鹿から目を外し、英雄に倣ってその窓を見た。

 

「うーん、どうすっかね」

 

「分からない。欠席は無いと思うけど」

 

泣くほどのショックを受けたリコが、明日の決勝を欠席する可能性もある。

恐らく、景虎もトラブルの渦中に巻き込まれるのだろう。その時のリアクションを考えていた。

 

「お前が言うな。自己中野郎」

 

「自己中か、やっぱそうなのかな」

 

「当ったり前だ」

 

今回の件を否定できる程、英雄は察しが悪くない。幼馴染を泣かし、仲間に不安と動揺を与えた。最早、仲間と認めてもらえないかも知れないが。

 

「チームは精神的にボロボロだ。疲労のピークもあるのに、そんなんで勝つ気か」

 

「分かってるよ...あぁ、本当に何やってるんだよ俺」

 

「...やっぱりお前、馬鹿だな。デカいチャンスを前にしてテンパったのは分かるが」

 

今更自己嫌悪に陥る英雄を見て、景虎は改めて情けないなと言葉を送る。

タイミングを間違え、後に引けなくなり、本人含めて誰も得しない展開を迎えた。時折見せる英雄の駄目なところが、これでもかというくらいに現れている。

 

 

 

 

「火神君」

 

「何だ。お前まだ帰らないのか」

 

黒子を除く他のメンバーが火神宅を後にしていた。

 

「多分、帰っても眠れそうに無いので、もう少し話に付き合って頂いてもよろしいですか」

 

「まぁ、俺もそうだしな」

 

胸にはモヤモヤしたものがこびり付いて、明日の事を考える余裕が無い。

残された時間はあと僅か。その中の少しを使って、心の整理をする。

 

「僕が、こんな機会を設けなければ、こんな事には」

 

「んな事言ってもしょうがないだろ」

 

確かに、黒子の言うとおり、過去の告白が今回の切っ掛けとなったのだろう。

しかし、こんな結末を予想出来るはずもない。罪悪感を感じる必要は無いのだ。

 

「どうして...こんな事に。僕はただ、今まで通りに...」

 

罪悪感はともかく、この失望感は防ぎようが無い。ほんの少し前は明るくワイワイとやっていたのに、あっという間に大逆転。

整理のつもりが悲しみにくれ、黒子の顔は下を見続ける。

 

「とにかく、お前も帰って休んだ方がいい。俺も直ぐに寝るからよ」

 

掛ける言葉が見つからない。居た堪れなくなった火神は帰宅を促し、希望なき明日に備えるのであった。

 

 

 

「あー。憂鬱だー」

 

伊月や水戸部、土田らと帰路に着く小金井は、道中のほとんどでぼやき続けていた。それ以外の者は、水戸部動揺に沈黙を守り、小金井のぼやきにリアクションも残さない。

 

「あまり口に出すなよ。こっちも鬱になるだろ」

 

あんな事があって、ぼやいてしまうのは仕方が無い。それでもしつこ過ぎると伊月が釘を刺した。

 

「だってよー。こんなんで明日大丈夫なのかよ」

 

「正直、なんとも言えないな」

 

表向きは、コメントを控えている。しかし実際は、言いたくないが正しい。

相手は高校最強、こちらは精神的に最悪。日本一どころか、まともな試合になるのだろうか。

 

「ん...えっ?そう思うのか?」

 

「水戸部が何だって」

 

黙ってしまえば、空気が重い。そんな時に水戸部が小金井にリアクションを起こした。

水戸部のコメントは普段から珍しく、話の繋ぎに土田が興味を示す。

 

「あ、いや。水戸部が、それでも日本一になりたいって」

 

今や日本一に手が届くところまで来ている。英雄の件でそれどころではないが、水戸部は改めて確かな想いを胸にした。

 

「俺だってそうだ。でも、蟠りの強さは霧崎第一の時と比べ物にならないぞ」

 

以前、霧崎第一との試合で同じ様な状況に陥った。チーム内の雰囲気は悪く、プレーもちぐはぐで、特に日向のパフォーマンスは過去最悪。

そして今回。日向やリコは決して英雄を許さないだろう。伊月達も同様だ。

誠凛の1番の武器であるチームプレーに陰りが生まれてしまう。これ以上にない最悪の要因が揃いつくしている。

 

「だ、『だけど、やっぱり英雄を憎めない。このメンバーで出来る最後の試合に勝利を飾りたい』って」

 

それは水戸部の偽りなき言葉。その言葉を以って問う。

日本一を改めて目指す事はできないのかと。

 

「それは...」

 

水戸部の気持ちを否定するつもりはないが、素直に受け取るだけの余裕は伊月にも無かった。

 

「...やってやろう」

 

「つっちー」

 

そして土田にも大きすぎる問題を飲み込めない。けれども、このままで良いとも思わない。

水戸部が踏み出した勇気ある1歩に便乗し、決意を新たに志す。

 

「こんな形で負けたら、それこそ頑張ってきた意味がなくなる。勝つにしろ負けるにしろ、後悔だけはしたくない」

 

「...ああ。水戸部や土田の言う通りかもな」

 

今までの努力は無意味だったのか。

それは違う。そんな事はない。チームの事情は変わってしまっても、今まで目指してきた目標を捨てたくはない。

 

「恐らく俺達にも出番がくる」

 

「へへっ。そーだよな。まだ諦めるには早すぎるよな!」

 

英雄の件のショックが大きく、チームは大きく揺らいでいる。ここにいる4人だけでは、どうにもならないかもしれない。

けれど、それでも、ここまで来て夢を捨てたくないと思う。

今は、水戸部と土田の言葉に頼らせてもらおうと、伊月と小金井は強く頷いた。

 

 

 

 

「...」

 

皆が帰宅し独り残された火神は、ベッドの上で仰向けになっていた。

黒子にいったからには、自らも実践しない訳にはいかないと、目を瞑って休む努力をしているのだが。

 

「あー!眠れるかっ!」

 

無理なものは無理。

視界を閉ざすと、今日の事を思い返し、考えないようにしても明日の事で頭が一杯になる。

体を起こし水を含み不安の原因に苛立っていた。

 

「くそ、こうなったら」

 

自分の中で上手く消化しきれない火神は気分転換を求め、厚着を施し外に向かった。

扉から出た瞬間に、冷たい風が顔を叩き、真冬の深夜が体を冷やす。

 

「さむっ」

 

考えなしで行動した事を既に後悔し始め、やはり中止しようかと迷いながら、なんだかんだで夜道を歩いた。

頭の切り替えの為に外へと出たのだが、結局考える事は変わらない。適当に歩を進め、気が付くと公園に辿り着いていた。

 

「あっくしょいっ!」

 

家を出てからどのくらい経過したのだろうか。体は冷え切り、くしゃみや鼻水が出てきた。

 

「(なんも意味無かったな)もう帰るか」

 

一体何の為にここまできたのか。最早、本人にも分からなくなり、さっさと帰ろうと踵を返した。

 

「ん?」

 

どこからか聞こえる音に反応し、再び公園に顔を向け耳を澄ました。

普段から耳にしているような、ダムダムと何かが跳ねる音。1部の通路以外の街灯は消えて暗闇に包まれている。

不審に思った火神は、正体を確かめようと音の鳴る方に進む。

 

「(誰だか知らないけど、ご苦労なこった。こんな時間にくそ寒い中、間接照明もないのに)」

 

公園の中央にあるバスケットコートには、暗闇の中で一心不乱にドリブルからのジャンプシュートを繰り返す人影があった。

寒さで動きは硬く、暗闇の中で距離間も悪く、何度もリングに弾かれる。何かの練習にしても悪い環境下では意味が無い。

頭の悪い奴もいるものだなぁと、自分の事は棚に上げてしばらくの間眺めていた。

 

「くそっ!くそっ!俺は何をやってるんだ。分かってた事じゃないか」

 

どうやら一心不乱と言うのは間違いで、寧ろ雑念だらけで独り言も洩れている。

入る事の無いシュートを打ち続け、挙句の果てに足元から大きく転倒した。

 

「(まさか...コイツ、英雄かっ!)」

 

どこかで聞き覚えのある声だと思ったが、悩みの原因の馬鹿がそこにいた。

そうと分かれば一言言ってやりたいと、火神はコートに足を踏み入れ、倒れたまま仰向きになっている英雄の頭の上まで歩み寄った。

 

「よう。こんな時間に何やってんだ」

 

「独り反省会かな...少し長めの」

 

火神の声に、英雄は右腕で両目を覆ったまま返事をした。返事をしてからも、動くことなく仰向けのまま時間が過ぎる。

 

「そっちこそ。真夜中にお散歩かい?」

 

「うるせぇ。誰のせいで眠れねぇと思ってんだ」

 

一言言ってやろうと思い話しかけたのだが、具体的な言葉を用意していなかった。今一顔が確認できないが、英雄である事は間違いない。

 

「別に俺が何もしなくても眠れないじゃん」

 

「だから、うるせっつの」

 

胸にあるモヤモヤしたものを言葉に出来るまで、英雄の軽口に付き合うことにした。

ここだけならば、いつも通りに見えなくも無い。

 

「何か言いたい事あったんじゃないの?無いなら帰るよ」

 

「待てよ。今それを考えてんだ」

 

「何それ」

 

むくりと体を起こし、火神に背をむける英雄をこのまま帰す訳にはいかなかった。

火神宅での時は、日向やリコばかりが話し、火神は発言していない。何か言いたかった事があったはずなのだ。

 

「タイミングの悪さは反省してるけど、内容に関しては後悔してないから」

 

背を向けたまま英雄は先んじて火神に告げた。

普通に考えれば、決勝前夜に言ってよい話ではない。少しずるいが全てが終わった後に言うべきだった。

それは重々理解し反省している。景虎からも何度も言われていたが、結果的に無下にしてしまった。

それでも、日本一になった後は、誠凛のユニフォームを脱ぐ。これは英雄の中で決定事項なのだ。

 

「何、考えてんだよお前」

 

逆に火神は不思議でならなかった。

告白のタイミングの悪さもそう。

 

「あんな事言ったらどうなるかくらい分かるだろ」

 

元来、軽薄で気分屋なイメージの英雄だが、実際は真逆。傍から見ると意味不明でも、言動の根幹には確たる狙いや目的があり、コートの上では寧ろ誠実だ。

コートの外でもムードメーカーを自ら買って出て、誠凛の雰囲気作りに貢献してきた。

そんな英雄が、今回の行動でどんな結果になるかを予想できないはずがない。

もし予想出来ない事態があるとすれば、何時か垣間見た焦りと言う感情の発露。

 

「それに急いで先に行こうとしなくても、充分やれてるだろ」

 

火神の言葉に耳を貸さず、フェンス際に置かれたバッグを手に取った。

 

「って、待てよ!俺が今話してんだろ!」

 

肩に掛けたバッグに手を伸ばし、立ち去ろうとする英雄を強引に引き止めた。

目が慣れてきたとはいえ、灯りのない場所では目測も誤りやすい。火神が引っ張った事で、バッグが宙に舞い、中身が散乱した。

 

「...コンプレックスって感じた事ある?」

 

「あ?」

 

横たわるバッグの近くにしゃがみ込み、散乱したノートやタオル等荷物を拾ってバッグに戻す英雄。その中で火神の問いに質問を1つ返した。

 

「俺はいつも感じてるよ。誠凛に初めて来た時から、ずっと」

 

質問の意図が分からなかった火神の答えを待たず、英雄は話を続ける。

 

「試合の最中やコートにいる間は、そんな事考えないで済むんだけど。1歩外に出れば、それがこみ上げてくるんだ」

 

チームで1番の練習量を誇る英雄。単純にバスケが好きで熱心なだけだと思っていたが、本当はこみ上げる不安を打ち消す為の作業。

 

「目には見えているのに、超えられない壁。今まで誤魔化してきたけど、もう限界なんだ。今やらなきゃ何も変わらない」

 

普段は決して見せない様子を暗闇に紛らせる。火神から見える人影はひどく辛そうに見えた。

何が辛いのか、何に悲しんでいるのか、全くもって知る由も無い事だが、壁という言葉が耳に届く。

 

「お前には悪いけど、充分にやれてるとか、そんな言葉が欲しいんじゃない。知りたいんだ。今俺が何処にいるのかを。そして、どこまで行けるのかを」

 

冷たい地面に散らばった荷物をバッグに詰めて、口のジッパーを閉じる。再びバッグを肩に掛け、火神に背中を向けたまま、真意を語る。

 

「バスケ、これだけは、中途半端に終わるのは嫌なんだ...どんな結果でもいいっ、駄目で終わってもいいっ、その先に栄光が無くたって構わない...!」

 

1度あふれ出した心の奥底に閉じ込められていた感情が表に出ると最後。もう歯止めが利かない。俯き背を向けたまま、感情が言葉に変わり、済んだ空気の中で伝って火神に届く。

 

「誠凛のみんなには本当に感謝してる。もう少しここで続けるのも、何度も考えた。だけどっ、危機感を感じなくなってしまうんじゃないかって、何時かこの想いを忘れてしまうんじゃないかって、そう思うと怖くて堪らないんだ」

 

右手で顔を押さえて前髪をクシャリと握り潰す。表情は確認出来ないが、火神には英雄の心境が手に取るように分かった。

英雄が焦っていると耳から聞いた情報で知っていたが、実際に体感したのは始めて。

 

全てを賭ける。

偶に雑誌の見出しなどで見かける言葉だが、本当に人生をフルベットしている人物なんか見た事がない。

しかもその人物は、去年復帰したばかりの高校1年生。

 

「ありがとな。少し話したお陰で腹を括れた」

 

「いや、俺は」

 

感情を吐き出し頭の中で切り替えることが出来たと、火神に感謝を述べた。

その火神は一方的に話をされて、頭が追いついていない。

 

「だけど、今大会のMVPは絶対譲らないからな」

 

そして、今大会の最優秀選手賞を狙うと宣言。

英雄は腹を括った。それでも優勝を狙うと。

これまでの中で、チーム内の状況は最悪。仲間からの信頼を失い、いつもの様なパスワークにすら不安がある。

対して相手は磐石の洛山。下手をすれば試合の序盤で勝負が決する可能性もある。

全ては自業自得。それならこれ以下は無いと、開き直って勝利に拘ろうと決意した。

 

「は?」

 

「じゃあな。明日寝坊するなよ」

 

英雄が話を始めてから、火神はまともに言葉を発せられなかった。

今度は、立ち去る英雄を止める事も出来ず、真っ暗な夜に消えていく背中に、ただ見ているだけだった。

 

「待てよ、おい」

 

独り残され、届く事のない言葉は闇に消える。

言いたい事ははっきりしないまま、何1つ伝えられないまま、偶然近くを通った車のライトに照らされて、白い吐く息につられ、空を眺めていた。

 

「ん?これは」

 

このまま立ち尽くしていても仕方が無いと、自宅に帰ろうとした時。

つま先に何かが当った。

手探りに拾い上げた物は、恐らく英雄の拾い損ねたノート。

 

「あーあ...はぁ、帰ろ」

 

明日にでも渡そうと、丸めてポケットに入れた。

英雄の言葉を思い返す帰り道では、不思議と1つの言葉だけが何度も頭を巡っている。

 

「コンプレックス、か」

 

英雄は、一体何にコンプレックスを感じていたのだろうか。

キセキの世代が持つ絶対的な才能に対してか。それとも、全く別の何かに対してか。

 

 

 

 

---日向、明日絶対に来いよ

 

木吉は別れ際にそう言った。

振り向く事もない日向の背中は怒りと悲しみに満ちていて、返事は無かった。

 

「(返事は無かったが、日向は必ず来る。リコもきっと)」

 

日向の激怒のお陰か、木吉は逆に冷静でいられた。

冷静な頭で考える事は、当然ながら明日の決勝戦。

特に、ゲームの入り方に気を配っている。

 

「(入り方を間違えると、取り返しのつかない事になりかねない。とにかく、序盤を乗り切る事を考えなきゃ)」

 

明日が誠凛のユニフォームを着る最後の機会。この日の為に頑張ってきた。

今、誠凛は大きく揺れている。原因は分かっているが、解決の目処は立っていない。日向やリコと英雄の亀裂は、最早修復不可能とも思える。

それでも、自らの心に未だ勝利への意欲がある事は確認した。誠凛がまともに戦える状況でなくとも、始まる前から勝負を捨てたくはないと。

英雄の事は木吉にとってもショックだったが、英雄をどうこう言う権利は自分に無いとも思った。

 

「(だからこそ、みんなを支えてやらないと。今まで助けるどころか、助けて貰いっぱなしだ。今こそ、俺が)」

 

1年前に木吉は怪我でリタイアし、今年の秋に復帰した。その時に、心に決めていた事がある。

その意思はチーム一丸に適さない為、必要ないと放棄した。

チームは死に体。今こそ、その想いを再び心に宿す。

 

「(こんな時にこそ、みんなを守ってやるんだ)やるぞ。相手は洛山。申し分はない」

 

完全に砕け散った希望は絶望の闇に溶け込んだ。だが、それでも、砕けた希望は弱々しくも確かに希望の光を放っていた。

 

 

 

「(やっぱり眠れない)」

 

帰宅した火神はベッドに潜り込み、冷えた体を温めながら目を瞑っていた。

悶々とした気分を変える事は出来ず、真っ暗な天井を見つめていた。

 

「水」

 

そういえば喉が渇いたなと、リビングに明かりを着けた。冷蔵庫からミネラルウォーターを取り出し喉を潤す。

1度上を向き、目線を下に戻すと、テーブルに置かれた1冊のノートが目に入る。

 

「...」

 

特別目的があった訳ではない。興味本位ですらなかったが、何と無くページを開く。

開いてから、以前に聞いた事があるバスケットノートに何が書かれてあるのだろうか、と気になり文字を読み始める。

あんな独白を聞いてからだと、普段どんな事を考えていたのかが気になったのだ。

 

「なんだこれ?日付がバラバラだ」

 

ページの頭には日付が書かれてあるのだが、ページを進めると1週間飛んでいたり、日付が無かったりと、書き方すらも統一性が無かった。

再び思い出す。バスケットノートには2種類あって、日々の反省を書いたものと、単なる思い付きなどが書かれたもの。確か本人は雑記帳と言っていた。

 

「黒子のテイクチャージング。やっぱり、考えたのアイツだったのか」

 

夏の予選では影も形もなかった、今や黒子の必殺技とも言えるテイクチャージング。

ノートにはしっかりと記されていて、頭の日付も夏場の合宿の後になっている。

読み進めると、英雄の様々なアイデアが書かれており、それは英雄自身の事よりも他のメンバーの事で溢れていた。

 

『アイツは本物だ。ポストかアウトサイドシュートを磨けば、アイツ等を何時か超える。でも、そんな火神を見ているだけは嫌だな』

 

火神の事も掛かれており、一部を除いて普段でも良く言われる内容だった。

『アイツ等』が示すのは、恐らくキセキの世代。自分が超えると、身近な実力者に言われて悪い気はしなかった。

パラパラと見て、内容の9割がチームメイトの事。これを見れば、どれだけ一人ひとりを見ていたかが分かってしまう。

 

「見るんじゃ、なかった」

 

一通り見た火神の素直な感想。見た結果、余計に火神の心が揺れてしまう。

単純に勝つだけの為に考えていた事なら、結局自己中だったんだなと納得出来る。けれど、火神はそんな風に思わなかった。

 

「だったら残れっつーんだよ。あの馬鹿」

 

全てはプレーで語られている。

ただのし上がりたいだけの人間に、あんなプレーが出来るのだろうか。あんな楽しそうにプレー出来るのだろうか。

 

「明日。いや、もう今日か」

 

数字の上では、日付は変わっている。

決戦まで残り数時間にまで迫っており、余裕のなさを改めて感じた。

 

「とりあえず、寝よ。起きても、同じ想いだったら」

 

今思った事は、感情に流された結果なのかもしれない。

もし、寝て起きてそれでも同じ考えに行き着いたなら、その時は開き直ってみようと思う。

不思議と今ならすんなりと眠れる気がする。もしかしたら、これが火神にとっての答えなのかもしれない。

 

 

考え、悩み、そして疲れた誠凛のメンバーは、その夜は眠りについた。

海常との試合に疲れ果て、不安を抱えながら深く眠る。

何時か夢見た光景に近づいているのか、離れているのか。それは彼等にも分からない。

彼等にとって、忘れられない日になる事だけは間違いない。

 

街灯は消え、朝日が昇り。街角には、人通りや車が増え始める。

もう少し時間が経てば、多くの人々が東京体育館に集まる。テレビにも中継され、興味の無い人の目にも留まるだろう。

決勝と言うだけで激しい好ゲームを期待し、朝早くから出かける人もいる。誠凛の応援をする為に遠くから来る人達もいる。

だけど、もう少しだけ彼等は眠る。片手に不安を、もう片方の手に小さな希望の欠片を握って。




ヒーロー:ネガティブ
HERO:ポジティブ

英雄の心境に、かなりの違いがあったりします。
そろそろ、ホントに外伝やんないと、怒られそうでちょっと怖いです。

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