まことしやかに囁かれている都市伝説――”怪人アンサー”。
とある高等学校の七人の男子生徒たちが悪戯半分に行なったことから事件は始まる。
殺人鬼のごとく残酷な殺し方で生徒たちを襲う”怪人アンサー”。彼女がそうするのはなぜなのだろうか。この作品は小説家になろう様にも投稿しております。

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声なき産声

 六月中旬。

 梅雨の時期に入ったということで、連日雨が降り続いている。

 曇り空は高校生たちの憂鬱な心境を鏡のように表しているかのように上を見上げれば相変わらず特等席に座るようにしてある。

 いつものように放課後を告げる鐘が降り続ける雨音に負けじと鳴り響く。

 ホームルームが終わったということで生徒たちは帰りの挨拶をそこそこに教室を後にしていく。部活へと向かう者、帰宅する者、居残りをする者とさまざまだ。

 時間帯は午後十六時を少し過ぎた頃。

 教室に残っているのは普段帰宅部ということで真っ先に教室を飛び出して行く者たちだ。その数は七人。今時の男子高校生らしく色とりどりのシャツがボタンを上からいくつも外されたワイシャツの下に見え、そのワイシャツもズボンから飛び出している。髪型もワックスを使って思い思いに整えている者もいれば特に手を加えていない者もいる。容姿は七人ともそれなりに整っていると見られる。

 すっかり教室や外の廊下から人の気配が消えたことを確かめる。

 高場光範がそっと教室のドアから顔を覗かせてその様子を見ていた。唯一残っていた足音も次第に小さくなり、聞こえなくなった。覗かせていた顔を教室へと戻し、ドアを閉める。

 

「よおし、お前ら準備しろ!」

 

 威勢よく彼が声をかけると同じ教室に集まっていた六人が近くにあった机を移動させ円形になるように並べた。

 

「なあ光範、本当にやるのか……怪人アンサー?」

 

 やや不安げな表情を浮かべながらも、どこか期待のこもった声で尋ねる飯島洋介。

 尋ねられた光範は何を今更というような呆れた表情を浮かべながら、

 

「当たり前だろ? それにお前だって知りたいこと、あるだろ?」

「そ、そりゃ……ないわけじゃないけどさ」

 

 からかうように言う。

 言いよどむ洋介。

 彼らがこれから行なおうとしているのは都市伝説の一つである“怪人アンサー”であった。 インターネット上で流行した都市伝説であるが、どうやら複数人で円形に並び、隣の人の携帯電話を使って自分に通話をすると、誰か一人の通話にその“怪人アンサー”が出るというものだった。普通、自分の電話に通話しても通じるわけがないのであるが、その都市伝説によれば“怪人アンサー”を呼び出すことができるというのだとか。通話ができたら“怪人アンサー”に自分の持つ疑問を投げかけるとそれを答えてくれるという。それが数日後のことであったり、数年後のはるか未来のことであったりするらしい。それに“怪人アンサー”の答えは絶対なようで、よく恋愛相談や進学、就職について質問することが多いらしい。

 しかし、“怪人アンサー”はただ答えてくれるだけの親切な存在ではない。ただ一人、こちらからではなく向こうから質問をしてくる場合があるとのことだ。それにこたえられなければ恐ろしいことが身に起きるとの噂がある。そもそも“怪人アンサー”の正体が顔だけで生まれてきてしまった奇形児とのことらしいので、自分を呼び出した者たちから身体の部位を奪っていき、完全な人間になろうとするとのことだ。

 とはいえ、それが本当のことなのかは誰にも分からない。

 それは所詮噂に過ぎない、そう彼らは思っていた。何せ“怪人アンサー”という存在が本当に実在するなどとは彼らは一片たりとも信じてなどしていないのだから。

 ならばどうして彼らがその都市伝説の存在を呼び出そうとしているのか。それは世界を灰色に染め上げている雨雲とすべてを洗い流すように降っている雨があるため、暇をつぶすためだった。梅雨の時期でなければこのまま学校を飛び出し、そのままの足で繁華街をたむろするなどしていただろう。

 だが、このような天気であると行く気も失せてしまう。

 今は人気のない静かな時間帯だ。

 この三年生の教室棟に来る生徒などほとんどおるまい。

 最後の大会が近いということもあり三年生は練習に精を出しているだろう。帰宅部以外の生徒の姿は先ほど確かめたように見当たらない。今なら誰にも邪魔されずに行うことができる。邪魔が入れば呪われるなどという恐ろしい儀式的なものではないのでそれほど気にする必要はないのだが。

 

「何だよ、洋介。お前まだ告白してなかったのかよ」

「うるさいな。人の勝手だろ」

 

 洋介が同じクラスのある女子生徒に対して想いを寄せていることを知っているため、栗林辰巳はついからかい半分に言ってしまう。

 他人からすれば話の種でしかないだろうが、本人にとっては重要な問題だった。洋介は不機嫌そうに突っぱねるように言う。

 彼女――庄司さくらは洋介が小学校の頃から一緒の少女である。

 同学年の中でもなかなか人気があり、噂ではイケメンの彼氏がいると聞いていた。

 それを聞いたときには告白する前から失恋してしまった。だが、噂でしかなく、本当に彼女が彼氏と一緒にいるところを見たものは誰もいないということでまだチャンスはあると思っていた。

 しかし、どうしても自信がもてないということで、後押しがほしいと今回の“怪人アンサー”には密かに期待していた。

 

「なあ、早く始めようぜ」

 

 急かすように渡辺健太が言う。

 優男のように見えるが、意外と勤勉家で学年順位も高位に位置しており、一流大学への進学が期待されている一人でもあった。彼としては真面目に勉強をし、満足のいく結果を修めているのはいいが、やはり将来のこと、つまり、目標にしているW大学に進学することができるのか不安だったのだ。もし“怪人アンサー”の呼び出しに成功したのならば、自分が無事に進学することができるのかを尋ねたいと思っていた。

 

「そうだな。あんまり遅くなると見回りの先公がうるさいからな」

 

 湿気のせいからか髪型がしっくりこないようで、手鏡を見ながら手入れをしながら長谷川翔樹が言った。常日頃から見た目を気にしている彼はその整った容姿から多くの女子生徒から人気である。彼女がいるらしいが、噂を聞く限りでは身体の関係だけの女友だちも何人もいるらしい。髪の色も明るいものであるから不真面目な生徒と思われがちであるが、それなりに成績を修めている。単に解放されすぎた高校生らしく見えるだけで、中身は非常に真面目なのだ。

 

「それじゃあみんな、机の上に携帯電話を出してくれ」

 

 全員が席についたところで机の上には人数分の携帯電話が置かれる。

 

「自分の携帯電話を左隣の机に回してくれ」

 

 芦原俊之の説明通りに携帯電話が時計回りに回される。

 並んでいる順番は高場光範→飯島洋介→栗林辰巳→渡辺健太→長谷川翔樹→芦原俊之→大久保和也である。

 

「それで自分の携帯電話に電話をすればいいんだよな?」

「ああ。普通なら通話中ってなるんだけど」

 

 手鏡をしまった翔樹が退屈そうに言う。

 

「都市伝説の“怪人アンサー”が出る可能性もある……」

 

 わざとらしく雰囲気を出しながら光範が言う。

ワクワク、というようなお化け屋敷を前にした幼子が浮かべるような期待に満ちた表情をしている。

 

「そうしたら“怪人アンサー”に質問するんだ。どんなものでも答えてくれるらしいぜ」

 

 調子のいいように辰巳が言う。

 笑いながら言う辺り、あまり信用していないと見られる。

 あわよくばそれを利用してやろうと思っているくらいだ。

 

「でもよ、もし向こうから質問してきたら、どうするんだ……?」

 

 不安げに和也が尋ねる。

 

「もし向こうからの質問に答えられなかったら……身体の一部を奪われて、殺されるんだろ?」

 

 空気が重くなる。

 噂とはいえ、もし本当に呼び出してしまったらどうするのか。

そこまで考えていない彼らであるが、ここまで来てしまったら不安よりも好奇心の方が勝ってしまう。

 

「まあ、大丈夫だろ? それで死んだって聞いたことないし」

 

 楽観的に考えることで、背筋を這うような不安を無視するように努める。

 七人はそれぞれ手元に置かれている携帯電話を手に取り、番号を押して通話ボタンを押す。誰もが口をつぐみ、鳴り響くコールに耳を傾ける。そして、一人、二人と聞こえてきたのは通話中であることを伝えるメッセージ音だった。

 

「なあんだ、やっぱりか」

 

 携帯電話を当てていた耳から話しながら間延びした口調で光範が言う。

 

「そりゃそうだろ、所詮都市伝説。ありっこないって」

 

 鼻で笑いながら辰巳は手を横に振りながら否定的に言う。

 

「残念だなあ。結構期待してたのに」

「ばーか、お前が死ぬかもしれないんだぞ?」

 

 もっていた携帯電話を投げ出す健太。

 机に投げ出された携帯電話に付いていたストラップがジャラジャラと音を鳴らす。

 

「たっく、投げるなよバカヤロウ」

 

 ひったくるように健太が投げた携帯電話を手に取る辰巳が口悪く言う。

 

「おい、チャラチャラうるさい」

「まだ粘ってるのかよ。無理、無理、あきらめろよ」

 

 俊之がポケットから取り出したタバコを口に含み、一緒に入れておいた百円ライターを使って火をつけた。

 

「吸うんだったら窓開けておいてよ。臭いが残ってたらまたどやされるんだから?」

「分かってるって」

 

 ビシッ、と健太は俊之の吸っているタバコに指差しながら言う。彼が言うのは新学期が始まったばかりの頃にたまたま換気扇が壊れていたトイレに隠れてタバコを吸っていたのを臭いがこもっていたのに教師が気付き、厳重注意をされたばかりだったからだ。その時俊之の他にも光範、辰巳、和也の三人もいた。

 健太に指摘され、スタスタと窓際に向いながら言い捨てる。

 窓を開けると、遮られることがなくなった外の雨音が入り込んでくる。

 呼び出しをするということで静まり返っていた教室が騒がしくなる。

 すでに同じ結果に終わった六人があきらめたように携帯電話を机に投げ出している。

 

「おい、洋介。お前もあきらめが悪いな」

「庄司に告白するためだもんな。そりゃ縋りつきたくもなるわ」

 

 いい加減にしろと暗に言うように、馬鹿にした言葉を投げる。

 しかし、まるで携帯電話が耳に張り付いてしまっているかのように洋介はピクリとも動かず、二人の言葉にも反応を示さない。

 様子がおかしいことに気付いた健太が「どうした、洋介?」と声をかけながら彼の表情を覗き込む。洋介は目を見開き、眼球が忙しなく動いており、視点が定まっていない。口が半開きになり、浅い呼吸音がヒューヒューと聞こえる。膝あたりに置かれた左手は皮膚に爪が食い込むほど力を込めていた。

 彼の異変にいよいよ他の生徒も気付き始める。

 口々に大丈夫かと声をかけるが、まったく反応を示さない。

 タバコを吸い終わり、俊之が戻って来たところでようやく固まっていた口が動く。

 

「つながってる……」

 

 気を抜いていたら聞き逃してしてしまうほど小さな声だった。

 

「……どこに?」

 

 ひきつった笑みを浮かべながら光範が尋ねる。

 好奇心よりも不安の色の方が強く出ている。

 

「まだコールしてる……どこかに、つながってる」

「まじかよ……」

「ありえねえ……」

 

 不安を押し殺そうとしてか、光範は信じられないと顔を横に振る。

 呆然とした表情のまま、和也が呟く。

 震える声で言った洋介の言葉に、辰巳と翔樹はお互いに顔を見合わせたまま言葉を失ったように沈黙している。

 ザーザーと、梅雨の時期とはいえバケツをひっくり返したかのような激しい雨が降り続いているが、その雨音でも掻き消すことのできないコール音がとうとう途切れた。

 ガチャリ――。

電話が切れたためではない――何者かが電話に出たためだ。

緊張と不安が頂点に達し、心臓が痛いくらい早鐘を打つように鼓動している。

ギュッ、とさらに膝に込める手の力を強める。

 

『はい、もしもし……』

 

 電話の向こうから耳の奥を這いずり回るような感覚を覚えさせる声が聞こえる。

 背筋に寒気が走る。

 このまま間違い電話だと言って切ることもできる。

 そうすれば、まずいことに発展することはない。

 だが、洋介にはどうしても告白したい相手がいる。一歩を踏み出せない自分の背中を押してほしいという思いが逆に彼の背中を押した。

 

「も、もしもし……“怪人アンサー”ですか?」

 

 普通なら相手にこのように尋ねるということはない。「あなたは誰ですか?」ならまだましも、“怪人”などと失礼にもほどがあるだろう。

 だが、向こうから返って来たのは怒声などではなく――

 

『――はい、わたしが“怪人アンサー”です』

 

 という、肯定する返事だった。

 サアーッ、と血が引いていくような感覚を覚えた。

 信じられない、本当に都市伝説の存在が実在するだなんて。

 これは何かの間違いではないか。

 洋介は顔面蒼白になりながらも、まともにはたらかなくなっていた頭で考える。

 

『あなたの質問に何でもお答えしますよ?』

 

 と、まるで自分たちの考えを読んでいるかのように催促してきた。

 緊張で口の中がカラカラに乾く。

 戦慄した表情を浮かべているが、全員が携帯電話に耳を近づけて会話を聞いていた。

 

「聞いてみろよ、洋介」

 

 重苦しい緊張感に耐えかね、光範が促すように言う。

 逡巡した洋介であるが、意を決して尋ねてみる。

 

「あ、あの……自分、飯島洋介は同じクラスの庄司さくらと付き合うことはできますか?」

 

 緊張からか、少し上ずった声になってしまう。

 だが、そのことを辛かったり、笑ったりする者はおらず、真剣な表情を浮かべたまま、向こうからの返事を待つ。

 少し間が置かれてから――。

 

『できません』

 

 やっぱりか――最初から分かっていたこと、洋介の表情に落胆の色が浮かぶ。

 

「しょうがないぜ、洋介。こればかりは、“怪人アンサー”の返答は絶対なんだ。潔くあきらめな」

 

 慰めようとしているつもりなのだろう、光範はバンバンと彼の背中を叩きながら言う。

 力が強かったためかむせてしまい、咳をもらす。憎らしげに視線を後ろに立つ彼に向かってぶつける。「悪い、悪い」と手を合わせてわびるように言う。

 

「次は俺だ」

 

 と、態度を一変させた光範が携帯電話を洋介からひったくる。

 洋介としては、無理だと言われたところでもうそれには興味も何もなくなっていた。とっとと全員質問をして、逆に質問される前に電話を切ってしまおうと思っていた。

 

「おい“怪人アンサー”。俺は今度の就職試験に合格できるか?」

 

 一気にまくし立てるように尋ねる。

 再び間を置いてから――。

 

『できません』

 

 相変わらず男か女か聞き取りづらい声で返答してきた。

 望んでいた答えでなかったため、光範は表情をゆがめ、舌打ちをする。

 そもそも就職試験の勉強もろくにしていないのだから神頼みも何もないだろに、と健太は内心彼のことを軽蔑しながら思う。

 できません、と一言で片付けられたことがよほど腹立たしかったのか、光範はその怒りをぶつける相手がいないため、近くにあった机や椅子を蹴り飛ばして当り散らす。ガランガラン、とけたたましい音を立てて机や椅子が倒れる。見かねた洋介が彼の元に近づき、落ち着かせようと声をかけている。

 それを横目に見ていた健太が通話状態で机に放り投げられていた携帯電話を手に取り、質問してみた。彼に続くように、辰巳、翔樹、俊之、和也の順番で質問をすることにした。

 

「俺は、W大学に合格することができるか?」

 

 健太の質問に対して――。

 

『できます』

「ま、当然だろうな」

 

 健太の頑張りを知っている友人たちは首をそろえて頷く。

 それには健太も少しうれしかった。

 

「なら、S専門学校の試験問題を教えてくれよ?」

 

 辰巳の質問に対して――。

 

『分かりました。後日お伝えします』

「カンニングかよ!?」

「利用できるものは利用しないとな」

 

 バタバタと暴れている光範のことを抑えようと必死になっていた洋介が抗議するように声をあげる。

 してやったという辰巳はフフンッ、と鼻で笑いながらふんぞり返る。

 

「ああ、だったら俺も試験問題聞いておけばよかったぜ!」

 

 暴れるのをやめ、抑えようとしていた洋介の腕をぞんざいに振り払う。ワシャワシャと髪の毛をかき上げながら後悔の声をあげる。

 

「俺はモデルになれるか?」

 

 翔樹の質問に対して――。

 

『なれます』

「お前モデル志望だったのか?」

「当然だ」

 

 驚いた様子で尋ねる健太に対して、見せ付けるように一日かけて整えていた髪の毛を見せ付けるように手で遊ばせる。

 

「それじゃあ、今度は俺――」

「ちょっと待てよ、その前にもう一回俺にやらせろ」

 

 散らかった机や椅子の間をすり抜けながらやって来た光範が和也から携帯電話をひったくった。

 

「何するんだよ!」

 

 にらみつけるような視線を向けながら、当然のように抗議する。

 しかし、光範は、

 

「お前らばっかりいい思いしてるんじゃねえよ!」

 

 声を荒げながら光範は言う。さきほど落ち着いたばかりの苛立ちが再び顔を覗かせていた。

 

「だったら俺だって!」

 

 待ったをかけるように洋介も間を抜けてやって来た。

 それに対して邪魔ばかり入ることに和也が「お前ら俺に後でもいいだろ!」とふたりのことを交互に見てから光範の持っている携帯電話を奪い返そうと手を伸ばす。

 

「邪魔するなよ!」

 

 それに対して光範はヒョイと携帯電話を頭上高くに上げる。伸ばされた和也の手は空を切った。羞恥に顔を赤くした和也は小さく唸り声をもらす。

 

「お前は指をくわえて待ってな」

 

 そう吐き捨てるように言って、光範は携帯電話を再び耳に当てる。

 

「おい“怪人アンサー”、俺の質問に答えろ。俺に今度の就職試験の問題を教え――」

『――今度はわたしの方からご質問させていただきます』

「――ろ……えっ?」

 

 耳を疑った。

 今電話の相手は一体何と言った?

 質問をする?

 冗談じゃない! このままでは自分は殺されてしまう。

 光範は慌てて耳から携帯電話を離そうとする。だが、意思に反するようにその手は動かなかった。

 

「おい、どうしたんだよ?」

「光範……?」

 

 心配そうに二人が尋ねる。

 

「やばい……、あいつ、質問するって……」

 

 光範は視線を向けている六人に救いを求めるように呟く。

 ある者は呆然として言葉を失う。

 ある者は嘘であってほしいと否定するようにかぶりを振る。

 ある者は小さな声で「やっぱり、本当だったんだ……」と肩を縮こませて言う。

 

「み、光範、切るんだ、通話を切るんだよ!」

 

 ハッ、と思いついた洋介は慌ててそれを口にする。

 光範もただ頷きながら震える手でボタンを押す。

 しかし――。

 

『それではお尋ねします』

 

 通話は切れていなかった。

 焦りが頂点に達する。何度もボタンを押すが、電源が落ちることはない。

 投げ捨てようにもまるで強力な接着剤でくっついてしまっているかのように手から離れない。

 

「もうこうなったら質問に答えるしかないだろ……」

 

 まるで他人事であるように和也が言う。

 光範は頭に血が上りカッとなるのを感じる。だが、彼の言う通り、答える以外に選択肢はなさそうだった。これで質問に答えられない、もしくは、間違えてしまったら自分の命はない。絶望を背中に感じながら“怪人アンサー”の質問を待つ。

 

『わたしはこの世に存在しますか?』

「いるかいないかってことか? そ、そりゃいるだろうよ。だって今こうして電話してるんだし」

 

 質問の内容に戸惑いながらも思ったことを言う。

 

『しかし、わたしには身体がありません。顔が、腕が、足が、臓器が何もないのです。だから――』

 

 ――あなたの足をいただきに参上いたします。

 そう言うと電話はブツリと音を立てて切れる。無機質な音がなり続ける。その瞬間力が抜け、手から滑り落ちるように携帯電話が床に落ち、カラカラと乾いた音を立てた。

 教室には外から聞こえる激しい雨音だけが無情に響いている。

 重苦しい湿気のこもった雰囲気の中、顔面蒼白の光範はポツリと、

 

「どうしよう……俺、殺される」

 

 と、呟いた。

 どうすればよいのか、と疲弊した頭では考えも浮かばないため、友人たちに助けを求めようとした。

 だが、彼の言葉を聞いた瞬間、六人は蜘蛛の子を散らしたかのように悲鳴をあげながら教室を飛び出していく。

 狙われるのは光範だけではないかもしれないという恐怖から逃げ出すのは当然だった。

 荒れた教室に荷物を放り出したまま少年たちはそこを飛び出す。

 光範も慌てて追かけるようにする。

 三階にある教室棟を一気に下っていく友人たちの姿が見える。

 声をあげて助けを求めるが、誰一人として立ち止まる者はいない。

 裏切り者――。

 薄情者――。

 彼らを罵倒する言葉を遠ざかっていく背中にぶつける。

 だが、この場に留まっていても、“怪人アンサー”がいつ自分のことを襲ってくるか分からないため、移動した方がよいと思い、階段を降り始める。恐怖に急かされるように足に鞭を打って走る。二階から一階へと降りようとし、角を曲がったところで下から上って来る者がいることに気付いた。

 それは異質な存在だった。

 上って来るのは女性だった。

 女性と認識できたのは彼女が着ている服が女性物で、手入れのされていない潤いを失った乾燥した若布のような長い髪があったからだ。まるで墨汁と泥水を混ぜたような色をしており、鼻をつまみたくなるような腐臭もした。

 魔術師が着るような真っ黒なローブを着ている。

 否、あれは黒いドレスだろうか。

 それも否、あれは喪服に近い。

 女性用の肌を隠すような喪服に身を包み、ゆっくりとこちらに向って階段を上って来る。

 彼女が一段上り、光範は一歩後退する。

 それを数度繰り返したところで、長い髪が前に垂れているため表情は見えないが電話越しに聞いた耳の奥を這いずり回るような感覚を覚えさせる声が聞こえる。

 

『お電話で言った通り……あなたの足をいただきに参りました』

 

 やはり来た――。

 光範は弾かれるようにくるりと背を向けて階段を駆け上がる。

 後ろからゆっくりと追かけてきているのが分かる。

 だが、後ろを振り返る勇気も余裕もあらず、とにかく助かるために逃げて、どこかに隠れなければと足を急がせる。

 二階の教室棟から反対側にある特別教室棟へと移動する。

 二つの棟をつないでいる廊下を走っている際、教室棟の方に視線を向けると、ゆっくりとした足取りで歩いている彼女の姿が見えた。

 特別教室棟には科学室、物理室、生物室、地学室、家庭科室、被服室、音楽室、美術室とそれぞれの準備室、さらに、コンピュータ室があった。

そこで、光範は手当たり次第教室のドアを開けようとする。

 しかし、どこもカギがかかっており、中に入ることができない。一つ、二つとそれが続いていくと死を突きつけてくる足音が近づくのが聞こえる。焦りがさらに募る。ようやく開いている教室があり、すぐさまドアを開いて中へと転がり込んだ。もちろん鍵を閉めて中に入ってこられないようにする。ここに来てようやく一息つくことができる。四つんばいになって静かにその今日室内を移動し、ちょうど隠れられるカーテンがあり、それの後ろに滑り込むようにする。殺していた息を盛大に吐き出す。どっと嫌な汗が前進から噴き出す。壁に背を預け、早鐘を打つ心臓を落ち着かせようとする。

 それにしても彼女のような異常な姿をした女性が学校内に入ったとしたら、不審者として見られてもおかしくないだろう。

 それに、友人たちも同じ階段を使って下りたのだから、廊下ででも彼女と出会っているはずだ。

 それなのに悲鳴の一つも聞こえなかった。

 それは一体どうしてなのだろうか。

 だが、彼女が突然現れたことや身体がないということから幽霊のような存在なのかもしれない。もしそうだとしたら施錠しようがしまいがかんけいないのではないか。

そう考えていると突然廊下の方から音が聞こえてきた、

 ガタガタガタッ――力任せに施錠されたドアを開けようとする音だった。

 大きな音に心臓が大きく跳ね上がる。

 もう見つかったのか!?

 しばらく力づくでドアを開けようとしていたが、しだいに乱雑に扱う音が静まり返る。再び無音に戻ったためにかえって不気味さが増す。落ち着くことを許されない心臓が痛いくらいに鼓動している。

 すると、部屋の中から何かがスウッーと動く音が聞こえた。ここは被服室で、戸棚がいくつも置かれており、それらのほとんどがスライドしキナ物であるためそれの戸が開けられる音なのだと分かる。

 まさか……。

 カーテンのすきまから部屋を眺める。するとある戸棚が開けられているのが見える。しかし、“怪人アンサー”と思わしき女性の姿は見えない。戸棚の中にはいくつも裁縫セットが整頓されて収納されている。

 ここで光範はどこからか放たれる冷気のような波動を感じ取り、気圧されるように思わず後ずさる。曇り空であり、明かりもつけていないため薄暗かった被服室であったが、突然蛍光灯がランダムに点滅を始めた。フラッシュを焚くように何度も、何度もついては消え手を繰り返す。

 そして、いつの間にか開いていた戸棚の前にうっすらと見える人影が見えた。

 ヒュっ、と息を呑む。

 あいつだ、“怪人アンサー”だ。

 どこからともなく入ってきた。身体がなく、実体していない存在。幽霊と考えるなら入り込むことなど容易であろう。

ゆっくりと長い髪がたれているために表情はうかがい知ることができないが、ぶつぶつとまるで呪詛を紡いでいるかのように何かを呟いているのが聞こえる。だが、その声を聞くと前進にウジがわき、皮膚の下を這いずり回られるような名状しがたい不快感を覚える。

 ゆっくりと近寄ってきた女性が右手に持っていた布切バサミを振り上げ、予告通り、光範に向けて跳びかかってきた。まるで息を殺して獲物を狙っていた狼のごとき咄嗟には反応することのできないほどのすばやい動きだった。

 しかし、光範は反射的に横に転がることで女性の振り下ろしてきた布切バサミの切っ先をかわそうとする。恐怖のあまり喉がひきつって声が出なかった。悲鳴をあげることもできず、助けを呼ぶこともできない。そもそも特別教室棟を放課後に利用する部活はいくつもあるというのに、今日に限っては休部であったり、外出していたりと生徒の姿は一人も見当たらなかった。まるで人払いをされたかのように……。狩場にいるのは獲物である光範と狩人である女性だけなのだ。空を切った切っ先はそのまま光範が背もたれにしていた壁へと突き刺さる。力任せに抜き取ろうとしたが、やや深く刺さっているのかなかなか抜けない。それを高貴と思った光則はあわてて立ち上がり、彼女の横を走り抜けて施錠されたドアへと向う。慌てて鍵を開けようとするも、何かが引っかかっているのかカギが開かない。後ろの方では壁に突き刺さっていた布切バサミを抜き取った女性が再び握り締めるようにそれを持ってこちらに近づいてきた。

 ――早く、早く……。

 焦れば焦るほどもたついてしまう。

 あと三メートルもない距離になったところでようやく施錠が外れ、ドアが開いた。廊下に転がり出るようにして飛び出し、ドアを閉めることも忘れて走り出す。被服室から彼女が出てくるのが肩越しに見える。

 何か武器になるようなものは……。

 すぐ近くにあった部屋へと転がり込む。そこは科学準備室でさまざまな薬品や実験道具が整理された状態で置かれていた。

 施錠されていなかったドアが開き、そこから女性が入ってきた。

 音もなく近づく女性が再び切っ先を光範目掛けて振り下ろす。

 さきほどと同じように横に逃げることでその切っ先から逃れようとする。しかしテーブルに背を向けていたため完全によけることはできなかった。切っ先が光範の右肩をかすめ、ワイシャツごと皮膚を切り裂いて裂傷を与える。裂傷が熱を帯びて痛みを光範に訴えかける。

 しかし、光範は「ぐっ……」とわずかに呻くことしかできない。

 被服室でのことでハサミが脆くなっていたためか、テーブルに突き刺さると刃が根元から乾いた音を立てて折れてしまった。

 だが、女性は気にすることなく柄の部分を興味が失せたかのように放り捨てた。科学準備室の隅の方に転がったそれがむなしく抗議するような音を立てたが、すぐに静まり返る。

 そこから間髪入れずに女性は光範に向かって手を突き出して襲い掛かってきた。

 恐怖が絶頂に達していた光範はもはや逃げることすらできず、その手に首をつかまれ、抵抗することもできず、いくつも椅子を薙ぎ倒しながらそのまま後ろにあったガラスケースに押し付けられる。

 勢いを殺すことができぬままぶつかったため、ガラスケースがけたたましい音を立てて割れる。そこに置かれていた使用用途も分からない薬品が転がり落ちて床に飛び散る。いくつもの液体状の薬品が混ざり合い異臭を放つ。

 だが、それ以上の腐臭がつかみかかっている女性から放たれ、顔を背けようとするも首を締め付けるようにつかまれているためにどうすることもできない。叫び声をあげるどころか、呼吸すら満足にすることができず、酸素を求めて口がパクパクと魚のように動くだけだ。口からもれる声もヒュー、ヒューと息がもれるようなものだった。

 死にたくない、死にタクナイ、シニタクナイ……。

 光範の頭に浮かび上がるたった一つの願望――それは生存願望。

 こんなところで、ただの都市伝説という噂でしかない存在に殺されてたまるか。これからも友だちと一緒に馬鹿騒ぎをしたいし、卒業してからは就職をして彼女を作ったり、行ったことのない場所に旅をしたり、おいしいものを食べたり、ほしいものを買ったりしたい。こんな誰も好き好んでくる場所ではない寂しいところで誰にも見取られることなく死ぬだなんて絶対にお断りだ。

 生に縋りつこうとする光範は唯一自由である腕を動かし、ガラスが割れて中のものを取り出すことができるようになっていたケースの中からまだ中身が十分に残っている容器を手に取る。そして、薄れていく意識を必死にかき集め、抵抗するようにふたの開いた容器の中身を女性の顔目掛けて浴びせかけた。

 その瞬間まるで熱していた油の中に大量の水を入れた時のような音が彼女の顔から聞こえてきた。中身はどうやら塩酸かそれの類のようなもので、強い酸が彼女の顔を焼いたのだ。ブスブス、と焦げるような音が聞こえ、腐臭とともに肉がとける異臭が鼻をついた。女性は光範の首から手を離し、自分の顔を覆う。ようやく解放された光範はゴホゴホ、と咳き込みながらふらつく足で準備室の隅へと逃げる。

 女性は激痛のあまり爪を立てて顔を掻き毟る。爪が焼け爛れた肉を抉り、ぼとぼとと雫のように床に落ちていく。この世の者ではない悲鳴をあげて苦しみを訴えてくる。

 この隙に逃げよう――未だに苦しみの声をもらし、こちらに襲い掛かってくる様子を見せていない女性を見ながら密かに思う。顔面に直接かけたのでおそらくしばらくは視覚を奪うことができただろう。こちらの動きに気づくことはないだろうから、向こうにあいたままである出入り口から外に出てそのまま一気に移動すれば何とか……。

 しかし、光範のそんな淡い期待は脆くも打ち砕かれる。

 呻き声をとめ、覆っていた手をだらりと下げる女性が、乱れる髪のすきまから爛々と不気味に輝いている目を向けていることに気付く。まともに強酸の薬品を浴びたにもかかわらず彼女の立ち直りは早かった。彼女は普通の人間という存在でないのだから当然といえば当然のことだった。

 しかし、すっかり安心しきっていた光範にとっては天国から地獄へと叩き落されたような気分だった。驚愕を表情に浮かべ、石のようにその場に立ち尽くす。女性はふと目についた消火器を手にする。固定されたホースをむしり取り、それをつかんで引きずるように光範へと近づく。慌てて逃げ出そうとするも、ニュッ、と伸ばされた女性の手に掴まり、強引に引き戻される。壁に叩きつけられ、頭を強く打ったために一瞬視界が真っ白に染まる。このまま気を失ってしまえば恐怖に犯されながら殺されるのを目の当たりにすることはなかっただろう。

 しかし、次の瞬間下半身に感じるまるで焼けた鉄を押し付けられるような激痛に意識を戻される。ダラダラと容器の口からこぼれ落ちている薬品の液体は彼女に対して浴びせてやったものと同じ強酸のものだった。光範の両足の肉を侵していく。ゆっくりと焼き切られるような激痛にこれまで声が出なかったのが嘘のように絶叫する。

 しかし、うるさいと言わんばかりに口の中に押し込められたのはさきほど彼女が引きずっていた消火器のホースだった。

 まるで胃カメラのように奥へ奥へと無理やりに押し込んでくる。思わず咽返り、吐き出そうとするが、彼女はそれを許さず、さらに、奥へ奥へと侵入させてくる。ここにきて光範は自分がこれから辿るであろう末路を察し、目をこれ以上は無理だというくらい見開く。声にならない拒絶の声を心の中であげる。

 女性はまるでそれを察したかのように焼け爛れた赤い唇を邪悪につり上げた。

 そして、彼女の腐食した指が消火器のレバーを引いた。

 その瞬間喉奥に押し込められていたノズルから消化剤と炭酸ガスが噴き出す。それが喉を直撃してから一気に奥へ、さらに外へと進む。鼻から、耳から、目から、口から赤く染まったガスが噴き出す。それと同時に光範は視覚を、聴覚を、味覚を失う。ただ身体の中を白い悪魔が蹂躙するのを死に向かいながら感じるしかできない。許容レベルを超えた圧力が次々と器官を破壊していく。食道を通って送られたガスがまずは二つの肺を内側から破裂させた。これにより呼吸は不可能となり、光範の死は確定する。次は胃袋だ。出口の見つからない圧力を伴ったガスが、内側から外側へと押し広げていく。まるで出産間近の妊婦のように腹部を風船のように膨らませることになる。まさに人体爆弾である。人体の許容を超えた光範の身体は消火器の中身が空になった瞬間、当然のように弾け飛んだ。肉片と化した五臓六腑がクレイモアのように飛び散り、準備室の壁という壁にまるで穴を穿つように赤い肉片を撃ち込んだ。

 両足は強酸によって脆くなっていたため、爆発の衝撃によって吹き飛んだ。上半身は下半身と切り離されるように壁に打ち付けられ、貼り付けの状態となる。下半身はひどいもので、足はむしり取られたように跡形もなく、水たまりのようにある尿と糞便の混ざった中に浮かぶようにあった。

 そこはまさに地獄、処刑場といっても過言ではない世界が形成されていた。そこに佇む一人の女性。

 彼女は“怪人アンサー”。

 電話で伝えたように、転がっている光範の両足を拾い上げると、肉塊となった醜い屍などには目もくれず、準備室を出る。

 ようやく騒ぎを聞きつけた教師たちがやって来る。

 だが、彼らは彼女のことを不審がる様子がない。まるで誰もそこを通っていないかのようだ。

 彼女は向かう、次の獲物のいる場所に。

 彼女は求める、新しい獲物を。

 彼女は叶える、完全な身体を与えるということを。

 激しい雨が窓を殴りつける音が響く廊下を、音もなく彼女は歩いていた。



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