第2試合を終えたラウラは、学園内に設けられているフリースペースに足を運んでいた。
彼女がここに来たのは自販機から飲料水を購入する為であり、他人の試合の様子を観戦することに興味の無い彼女は惜しむ様子も無くここにやってきた。有象無象に移る存在の戦う姿を見るよりも、己の身体コンディションを整えた方がよっぽど有意義であると、彼女はそう思っているに違いない。
ラウラは自販機に硬貨を投入し、ボタンを押す。ガタン、と音を立てながら出て来たコーヒー缶を確認した彼女は、屈んでそれを取り出す。
「次の試合に勝利すれば、織斑 一夏との対戦か」
脳内に記憶しているトーナメント表の進行具合を思い返しながら、ラウラはコーヒーを片手にそう呟いた。
今回のイベントでラウラが目標としていることは2つ。
1つ目は、彼女が敬愛している織斑 千冬の名誉に泥を塗った一夏と、それに強く味方している仲間を諸共撃破すること。
2つ目は、この戦いで優勝することによって自身の実力を証明し、千冬の関心をこちらに向けさせ、ドイツでの指導に再び熱を持ってもらうようにすること。
この2つの目標が、着実に進行していると感じている。一夏との対戦は既に近くまで迫っており、試合についても相手と圧倒的な実力差を公衆に見せつけつつ確実に勝利を収めている。
この調子でいけば、必ずどちらの目標も達成出来るだろうという自信を彼女は胸に抱いていた。
「待っていろ……貴様は必ずこの私が倒してみせる」
「ほう、教師に対して随分な態度じゃないか」
それも当然である。
織斑 一夏の実力が如何ほどのものかというのは、既に以前の乱闘戦で把握済み。直線的で動きになんの捻りも無い、高スペックを誇る機体が泣いているだろうという評価が彼女の中で付けられている。
ラウラのペアである篠ノ之 箒がもう一方のペアを押さえるという約束をしている以上、向こうが頼みの綱としているだろう連携術が充分に発揮される確率は低い。尤も、相手がどのような連携をしようが勝ってみせるという気概と自信が、ラウラの中にはあるのだが。
「当然だ。奴の実力など、既に底が知れている。前回は邪魔をされてしまったが……今度は確実に倒してみせる」
「そうかそうか……私も随分と嘗められたものだな」
……………………。
「……え?」
ここでラウラは、先程から何かがおかしいということに気付く。そして、自身の独り言に続いてくる声に強烈な聞き覚えがあるということにも。
錆びた鉄のようにぎこちない動作で恐る恐る振り返った先には……ラウラの唯一尊敬する恩師、織斑 千冬の姿があった。
「もぉっ!?ももも、申しゅわきあるません!!きょっ、きょうきゃんがいらっしゃることに気付かじゅ……!!」
「まぁ、そんなことだろうとは思ったがな」
何事も無くラウラの横を通り過ぎる千冬は、彼女と同じように自販機から飲み物を購入する。ちなみにラウラの買ったものと同じものでもある。
一方でラウラは完全に動揺・混乱してしまっていた。
何せ千冬はこの学園の教師であり、現在行っているトーナメントの進行を進める一員として本日も努めている。それがまさかこのタイミングでこの場所にいるとは思いもしなかったのである。
千冬を怒らせることがどれほど恐ろしいか、ラウラはドイツで受けた指導で身に染みて理解している。一見すると怒っているようには見えないが、内心でどのように思っているかが解らない以上、ラウラは冷や冷やしながら千冬の顔色を窺うしかなかった。
「……そんなに見てきたところで私の機嫌が変わるわけではないぞ?」
「うぅ……」
「言っただろう、別に気にしていないと。私に向けた言葉でないのに怒ってどうするというのだ」
「そ、そうですね…………その、もしも、もしもですよ?万が一、今の私の発言が教官に向けた者だとしたら……」
「脳細胞を10万個ぐらい殺そうか」
『あと……教官ではなく先生だ』とだけ言葉を添えてから千冬は不敵に笑ってみせた。
ちなみに、とある出席簿クラッシュ犠牲率№1の男子生徒曰く頭を叩くと5000個の脳細胞が死滅するらしい。10万個と言うことはつまり……。
心底、目の前に居る人を怒らせてはならないと胸中に深く抱いたラウラであった。
「まぁ、それはさておき……私がドイツから去った間に腕を上げたみたいだな、ラウラ」
「は、はいっ!」
先程までの不安一杯の表情から一変し、嬉しそうに顔を綻ばせるラウラ。
自身が『唯一』敬意を表している人物から掛けられる称賛というのは、そこらの嬉しさよりも遥かに勝る感覚がある。軍人時代の際に厳しく指導を受けていた1人であるラウラにとって、千冬からの賛辞は珠玉の価値を意味するものとなる。
そしてその逆もまたしかり。
認められていないのであれば、そのショックはそれに相対する程の強さとなってしまうのだ。
「だが……今のような戦い方をしているお前では、いつまで経っても認めることは出来んな」
「っ!な、何故ですか教官!?」
「……何故だと?ラウラ、私にドイツへの帰還を乞いているのは、まさかかつて教えた『力の在り方』を忘れたからではあるまいな?」
ラウラを見つめる千冬の瞳は鋭い。
千冬がドイツで軍事教官として1年間の活動をしていた頃の話である。
とある日、千冬はラウラを含めた新人兵士たちに対して『戦いにおける基本』について語っていたことがあった。基本と言っても、技術や知識などの直接的なものではなく、戦うことに関しての『心構え』といったものが対象となっていた。
かつて千冬は、このように教えを行っていた。
―――いいか貴様ら。『力』というのは、持つ人間によって存在意義が大きく異なるものだ。己の感情、欲望、私利私欲の念だけで力を振るうような奴はケモノ以下の醜い愚か者でしかない。そんな奴に戦い方を教える程、私は暇人ではない。
―――しかし自分以外の為、誰かのためにも『力』を振るう事が出来るのならば話は別だ。それが出来る奴だけ私についてこい。戦い方というものをしっかりと叩き込んでやろう。
と、いうものであった。
先に言ってしまうと、その時点でのラウラは千冬の指導についていくための心は持ち合わせていなかった。
ラウラの所属している部隊の全隊員は【
しかし、ラウラはヴォーダン・オージェの適合に失敗してしまった。理論上は不適合になることはあり得ないと言われていたのだが、何故か彼女一人だけがこの瞳に適合出来なかったのだ。適合出来ていない状態での瞳は制御不能となってしまい、その後のあらゆる訓練においてラウラは自分の身体をいつものように動かせなくなってしまい、基準点を下回る評価ばかりを出す羽目になる。
やがてラウラは『出来損ない』の烙印を押され、軍の物達から嘲笑われ続ける日々を送ることとなってしまった。
嘲笑、侮蔑を受け続けて心身ともに摩耗していたラウラにとって、千冬の来訪は非常に『どうでも良かった』。
軍の同僚たちは千冬の来訪に歓喜を示していたが、傍から聞いていたラウラは全く興味を示さなかった。自分の身体の精一杯だというのに、今更新しい教官が来たからなんだというのだ……といった具合に。
そしてラウラは、千冬の着任の挨拶の際に…………殴られた。
正確には、頭のてっぺんに手刀を振り落されたのだ。どのみちどこを殴られようが悶絶する程の痛みであることに変わりは無かったのだが。
不意打ち同然にやってきた痛みに声を殺して悶えていたラウラであったが、その時千冬から声を掛けられた。
―――全く……交尾が出来る年齢にもなっていない生娘が、そんな死んだような眼をしていてどうする。
―――どうやら『力』の振るう目的をまだ見つけていないようだが……貴様は特別だ、私の訓練に参加させてやろう。なに、この私が教えるのだから、残念な結果にするつもりはないぞ?
千冬の指導は、どん底に突き落とされたラウラに力を取り戻させた。
ラウラ個人に対して特別に訓練を付けてくれるようなことは無かったものの、千冬の指示する訓練をこなしていく内にメキメキと力を付けていく己を、ラウラは感じることが出来ていた。そして千冬が教官を務めている時期の内に、ラウラはシュヴァルツェ・ハーゼ隊の頂点へと立った。
ラウラにとって、千冬は救いの神のような存在となったのだ。
だからこそラウラは千冬に認められていたい、認められていなければならない。そうでなければ、彼女は……。
「……勿論覚えています。己の欲の為だけに力を翳すは愚者、他の為に奮う力こそ真がある、と」
「そうだ。ラウラ、お前は今何のために戦っている?」
「決まっています」
ラウラは毅然とした態度で敬礼を取り、真っ直ぐな瞳を千冬に向ける。
「教官に鍛えていただいた私こそがこの学園の最強であることを示し、教官の教えこそ絶対であることをこの学園の者達に知らしめる為です」
「……自分の強さを証明する為、そして私の名誉の為に……ということか?」
「はい」
一切の躊躇いも見せぬそぶりで頷くラウラ。
しかし千冬はそんな献身的な思いを抱くラウラとは対称的に、面倒臭そうにため息を吐いた。
「くだらんな」
「っ!?」
「私は名誉などどうでもいい。そんなものを守る位ならもっと有意義なことに時間を費やすぞ」
尚、彼女の言う有意義な時間とは飲酒の模様。酒、飲まずには(ry。
……という余談はともかくとして。
「別にお前の強さを示す意気込みについては特に言うことは無い。軍人の立場であればアホと一蹴してやるところだが、ここは戦場ではないし貴様も只の学生だ。№1を狙う位の意気があれば勉学にも身が入るというものだからな」
「しかし、私は教官の――」
「2度も言わせるなよ。私は私の名誉などどうでもいい、必要とあらば犬にでも食わせてやるつもりでいるさ。3年前のようにな」
3年前。
過去の出来事を示すその時間を耳にしたラウラは、千冬の示す言葉がなんなのかを直ぐに理解出来た。何故なら彼女も、根強く印象に残している出来事があったのだ。
第2回モンド・グロッソ決勝戦。
そして世間では公表されていなかった、織斑 一夏の誘拐事件。
「教官は何故、あの男に対してそこまで……」
「お前も近いうちに分かるさ」
そこで千冬はチラリと自身の腕に付けている腕時計を一瞥し、時刻を確かめる。
「そろそろ私も次の作業に行かなければな。お前もダラダラと休まず、他の奴等の試合でも見に行くことだな」
「……ご命令とあらば、従いますが」
「ただの注意だ。教師として当然の指摘に決まっているだろう。……そうだな、注意ついでにもう1つ言わせてもらうとしよう」
缶コーヒーを片手に立ち去ろうとしていた千冬であったが、ふとその足を止めて背を向けたままラウラに声を掛けた。ほんの僅かに見えるその横顔には、先程同様の不敵な笑みが浮かんでいた。
「お前のペア……篠ノ之は出来る奴だ。私の言葉の真実を知りたいのなら……あいつに少しでも心を許してやってみたらどうだ?」
―――続く―――