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保健室でテオから事の顛末を聞き終えた後に、不意にラウラは怖れを抱いた。
その恐怖の対象は、自信を危険な目に遭わせたVTシステムではない。軍に所属している以上はあらゆるトラブルに出くわしても冷静に対処するようにという教えを受けてきたため、今回はその一環であるという風に彼女は既に割り切っているのだ。
彼女が本当に恐れたのは、自身が崇敬する織斑 千冬に見放されてしまうのではないかということ。
ヴォーダン・オージェの適合に失敗したラウラは当時出来損ないの烙印を軍部から押され、周囲の者からは侮蔑や嘲笑を向けられ続けていた。そんな彼女を救ってくれたのが、ドイツ軍に指導役としてやってきた千冬であった。
ラウラが千冬から特別扱いされることは無かったものの、彼女が指示した訓練をこなしていく内にラウラはメキメキと才華を開かせた。今迄がまるで嘘のような向上を示しながら、見事IS部隊のトップに立つことが叶ったのだ。
今回の事件に於いて、ラウラはVTシステムに呑み込まれてしまい、好き勝手に肉体を使用されてしまった。これまで千冬に鍛えてもらったというのに、為す術も無くVTシステムの力に負けてしまったという事実が彼女にとってはショックな出来事であり、同時に1つの不安を抱いたのだ。
『私の無様な姿を見た教官が、私に失望してしまったらどうするのか』と。
それが頭に過った瞬間、ラウラは前述した通り恐怖した。
酷く冷めた目で見つめてくる千冬が、自身を見放して何処かへ去ってしまう……という光景を思い描き、ラウラは軋む身体に構わず病床のシーツを握りしめた。
そして、その恐怖をテオの前で吐露した。らしくない行動だとラウラ自身も思っていたが、千冬に既に見放されているという懸念が脳裏にこびり付いているその時は、傍にいた彼にしか縋れる存在が居なかったのだ。
そんなテオの導きを受けて、ラウラは箒と一夏が剣道を行っている剣道場にまで足を運んだ。いつも通りの速さで歩けない程に身体の節々が痛んでいたが、今の彼女にとってはその程度は些末事に過ぎなかった。先を歩くテオが自分に何を見せたいのか、ただそれが気になっていた。
そしてラウラは、自分の力を覆った存在を超えてみせた2人の姿をその眼に移した。
だが、そこに在ったのは話に聞いていた武勇伝とは遠くかけ離れた光景だった。
今回の事件を解決させた主軸という謂れを受けていた一夏が、箒によって呆気なく吹き飛ばされている姿。面を脱ぎ、緩んだ笑みを浮かべながら目の前の少女と談笑を行う姿。
ラウラは肩透かしを食らった。
あれが本当にVTシステムを、モンド・グロッソの猛者の力を持つ存在を倒してみせたのだろうか、と。これまで見せていた姿は、実は世界最強の弟という名に似つかわしくない、軟弱なIS操縦者という偽りの皮を敢えて被っていたのではないかとも一瞬考えていたが、敢え無く霧散していった。
しかし足元に添っているテオ曰く、今は無様の姿を晒してはいるが、いざという時には周囲の想像を超える力を発揮してみせるのだとか。今回の事件のように。
如何なる時も万全の戦闘力を出せないというのは戦争に於いて致命的な欠点だとラウラは渋く思ったが、今はそれで納得しておくことにした。『一夏は本番に強いタイプだから』などと彼女に言えば、ますます難色を示すに違いない。
そんな一夏は一旦置いて、ラウラは箒の方へと意識を向けた。
充分な状態で健在していたVTシステムを後一歩まで追い詰めた一夏とは違い、彼女はギリギリで耐えた状態の敵に止めを差したとラウラは聞いている。一夏の戦歴より薄い響きに感じられるが、手負いであってもデータ上は強者である相手を制してみせた。彼女の実力を真に理解するには、聞き事だけでは駄目だとラウラは思った。
そう思いを抱いた瞬間、ラウラは微かに自嘲した。
「(可笑しな話だ……今回のトーナメントであいつとペアを組み、幾度か試合を共にして来たにも関わらず、あいつの力を何も理解していなかったとはな)」
これまでの試合で、ラウラはずっとスタンドプレイで戦い続けてきた。途中でペアの箒から共闘を持ち掛けられた時もあったが、それを一蹴して試合を継続していった。自分1人でも事足りる、そう判断したからだ。
そして最後に行った一夏&シャルルとの試合。ここでラウラは、ついに箒と力を合わせて戦う手段を取った。相手方ほどに積極的ではなかったが、要所で互いの判断に任せて連携を試みるシーンが何度かあった。
即席故に中々息が揃わない2人であったが、徐々に動きが噛み合っていくのを実感し始めた時、ラウラは期待を抱いた。試合前に願っていたこと、千冬の力の根源と、箒が自分に何を求めているのかを知れるのではないか、と。
だが、その想いは突然の事態によって打ち切られた。VTシステムによる事件が勃発したことによって。
ラウラは改めて箒の目を見る。そこに在るのは曇りのない晴れやかさ、真っ直ぐに前を見つめる瞳。
彼女が浮かべている真っ直ぐなその目が『羨ましい』。ラウラは此処に来てついに、そんな感情を抱くようになった。羨望が湧いたその理由も、テオの言葉によって気付かされた。箒は自分よりもずっと先に『力の在り方』を見つけ出し、力と向き合っていたのだと。
『己の信念を果たすための術』
それが、篠ノ之 箒が見出した『力の在り方』であるとラウラは知った。
ラウラはこれまでの人生の中で、本当の信念を抱いたことは無かった。特殊な生い立ちである彼女はドイツ国の為に尽力するという心はあった。しかしそれは出来損ないの烙印を貼られる以前の話であり、自分の力が戻ったことによって急に掌を返して態度を改める上層部や同僚が居る国の為に身命を賭す心は、もう持ち合わせていなかった。軍人としての務めをある程度果たす、という線引きが既に彼女の中で出来上がっているのだ。
では以前から抱いていた、恩人である千冬の名誉の為という意気はどうなるのか?
ラウラはここで、自分の今までの行動と併せて鑑み始める。確かにラウラにとって千冬の名誉は大切な物であり、守りたいと思う心はある。しかし当人である千冬が、下らない名誉など犬にでも食わせてしまえと言い切ってしまう程に、それに関して全く関心を示していなかったのを思い出した。それが建前などではなく、千冬の心底であるとその時に感じた。
当人が要らないと言っている物を、自分が頑なに守る。それはその人の為の行動と言えるのだろうか?
少なくとも、あの人にとっては違うだろう。ラウラはそう答えを出した。自分のこれまでの行動は独り善がりに過ぎなかったということも含め、彼女は自分のこれまでの行動を顧みた。事実を知って受けたショックも少なくはなかったが、漸く気付けたことによる一種の安堵がそれ以上に心情を占めていた。
憧憬。
視界の先で活気良く剣を振るう少女に抱いたその感情が、彼女の心を支える1つの柱となっているのだ。
「(……私も、あのような目を此処に宿したい)」
左目を隠す眼帯の上をなぞる様に手を添える。
願うならば、歪み無い実直なる瞳を持てるように。その瞳を以て、これから先の道を歩んで行くために。
「(私も、彼女のような心をこの胸に留めたい)」
眼帯に触れていた手をスッと下ろし、心の臓に近い左胸へと移す。
願うならば、真の信念を抱いた心を持てるように。その心を以て、自身の為すべきこと、為したいことを果たせるように。
ふと、触れていた左胸に違和感を覚えたラウラは顔を胸元の方に向けながらその付近を探っていく。感じた違和感というのは、布とは異なった紙質染みた感触が制服越しに指で得た物である。
最終的に制服の裏ポケットに手を入れた事でその正体を掴み取る。彼女が手を引き戻した際に手元に収まっていたのは、4つに折りたたまれた1枚の紙であった。
折りを広げ、その中身に目を通しだすラウラ。紙の中には丁寧な手書き文字で纏められた文が書かれていた。
―――お節介な保護者役が私の言いたいことを言ってくれているだろうから、長々とこの紙に認めるつもりはない。ただ私から言うことは2つ……お前が無事で安心したこと、そして、これから先で悩み事が出来たならば遠慮無く私に相談してくれて構わないことだ。生徒が教師に頼るのは当然なんだから、変な遠慮はするなよ?周りの奴等と共に真面目に勉学に励み、下らん話で盛り上がり、時々馬鹿をやって、15の小娘らしい青臭い青春を今の内に堪能しておけよ―――。
宛名は書かれていなかったが、誰が宛てた物なのかはすぐに理解出来た。
ラウラは喜んだ。失態を見せた自分の身を案じてくれて、これからの自分を受け入れてくれようとしていることを。自分は決して見放されてなどいなかったのだと知って、抱えていた不安が塵と消えていった。
顔を綻ばせながら紙を胸に押し留め、瞳を閉じる。手紙を書いてくれた者の姿を脳裏に浮かべながら、思いを馳せる。
―――ありがとうございます、教官。
再び現れた暗闇から連れ出してくれた人、もとい猫がいる。
進む道へと背中を押し、支えてくれる人がいる。
その道の先を走り、示してくれる人がいる。
なんと満ち足りた瞬間だろうか。
ラウラは『今』を確りと噛み締める。心強い人たちが傍にいてくれる、恵まれた『今』を。
―――続く―――