とある町の一角に、剣道教室を開いて間もない小さな道場が一件存在している。
そこの経営主はお家柄、剣の道を歩み続けた家系だった。家には代々伝わる名刀やそれ以外にも先祖の遺品も置かれており、古くから続いている由緒正しき血筋だ。このご時世なので剣の道を歩む義務は無いのだが、どの世代も家宝等の歴史に触れてその道に関心を持ち、今代まで続いてきたのだ。
そんな家である為、剣道教室での教えは本格的で厳しい物があった。練習内容は勿論、剣の道に対する心構えや作法などにも細かく教えが入る為、単純に『刀を振るのがカッコイイから』といった理由で入って来た入門者は数日の内に辞めていった。入門こそ快く受け入れる教室だが、篩で落とされる生徒は大勢いた。そして今の時点で門下生は1人だけとなっている。なお、その1人も仮入門状態である。
その道場は、【篠ノ之道場】という名前があった。
そんな道場の脇に建てられている和式の家の玄関先で、1人の女性がお出迎えを行っていた。
「あらあなた、箒、おかえりなさい」
彼女の名前は、篠ノ之 八重。
ここの家主である篠ノ之 柳韻の妻にして箒の母である女性だ。箒を産んで現在30代前半といったところだが、まだその容貌には若さが保たれている。夫が和風な恰好をしている為か、妻も割烹着をその身に纏っていた。
「あぁ、今戻った」
「ただいま、お母さん!」
八重に出迎えられた柳韻、箒はそれぞれ帰還の言葉を彼女に送る。また、彼等が引き取った子猫は柳韻の持つ毛布入りの手提げ籠の中で眠っていた。
八重も既に事情は把握しており、籠の中の猫の姿を見ると、まぁ、と小さな感嘆を零した。
「あらあら、ちっちゃくて可愛いわね」
「それで八重よ、頼んでいた物は……」
「大丈夫、貴方達がこの子を迎えに行ってる間に揃えておいたわ」
「助かる。ところで、束はどうしてる?」
「いつも通りよ。ご飯を食べた後は部屋でずっと機械弄り」
ここで、新たな人物の名前が浮かび出る。
束とは柳韻と八重の第一子であり、箒の姉に当たる人物だ。この場にいる3人と彼女を合わせての4人が、篠ノ之家の家族構成となる。
束は非常に癖のある性格をしており、特定の人物以外に対しては非常に辛辣な対応を取る傾向にある。昔は存在すら認識しないという状態だったが、友人の矯正によってある程度は改善されたらしい。そんな友人と自身の妹である箒に対しては、普段の他者への冷たい態度と打って変わってベタ甘と呼べる程に人懐っこい一面を見せる。ただし、両親に対してはどこか余所余所しい接し方である、決して嫌っている様子では無いのだが。
束の方には子猫を拾ったという話が届いていない。最近の彼女は何やら研究に没頭しているようで、学校が無い日は食事と自室を交互に行き来する生活を送り続けており、話す暇が無かったのだ。
「そうか……束にもこの子の事を紹介しておきたかったのだが、夕食の時にした方が良いか」
「あっ、それじゃあ、わたしがお姉ちゃんに教えてくる!」
ピッと挙手して主張する箒の意見を聞いて、両親はそれが良いだろうと納得する。先程も言ったように、束は箒に対して非常に甘い。箒からの言葉なら、最近作業に没頭している束も耳を貸してくれるだろうと。
「そうね。それじゃあ箒、お姉ちゃんに教えてあげてくれる?」
「分かった!」
「なら、父さんがついて行こう。籠も左程大きくは無いが、持たせたまま行くのは危ないからな。束に説明も必要だろうし」
箒1人に籠を持たせてそのまま行かせるのは、体格的に事故が起こりかねないという事で部屋まで柳韻が同行する事に。
そして3人は一緒に家へと入り、柳韻と箒は八重と別れて束の部屋へと辿り着く。外側は和風の家だが、内装は現代的に生活が出来るように近代的で暮らしやすい改装が施されている。彼女の部屋もその対象で、ドアノブ付タイプの扉仕様な部屋となっている。
「束、少しだけいいか?」
柳韻が声を掛けるが、中から返事は無い。
仕方ないので彼はそのまま部屋の扉を開け、中へと入る事にした。
部屋の主、束は入って来た柳韻達と背を向けるような形で机と向かい合い、パソコンに付属しているキーボードを忙しなく動かしている。彼女の周りには設計図らしき物や機械の部品らしき物が乱雑しており、かなり雑多な状況となっている。部屋の造りも全体的にメカニックな改造が施されており、まるでこの部屋だけ別の次元に居る様な感覚を柳韻達は感じさせられる。部屋主曰く、防音や耐衝撃に機能させているのだとか。
そんな部屋事情はさておき、束が柳韻達に振り向く様子は無い。
「束、今少し良いか?」
「……今ちょっと手が離せない」
ぶっきらぼうにそう答える束。作業の手は相変わらず進められたままだ。
仕方ないと嘆息しつつも、そういう返事が来るのを予測していた柳韻は、予定通り箒にバトンタッチする事に。
任せられた箒は柳韻から子猫入りの籠を預かると、束の方へと近づき彼女に声を掛ける。
「ねえお姉ちゃん。きいてほしい事があるんだけど……」
「ほいキタコレ!何かな何かな箒ちゃん!」
箒から声を掛けられた直後、ギュルンと勢い良く身体をターンして箒の方へ振り返る束。柳韻の時とは全く異なる反応だが、一家には最早慣れた光景である。
箒も箒で特に驚く様子も無く、束に向かって籠の中にいる子猫を見せつける。
「ウェイ?何だいこの小っちゃい猫」
「えっとね、今日からわたしたちのかぞくになるの!」
「家族?どゆこと?」
「実はだな……」
箒には説明はまだ難しい為、柳韻が代理で束に事の経緯を話し始める。
それらを聞き終えた束は、ふむふむと納得したような呟きをした後に籠の中の子猫の顔に自身の指を近づける。
「そかそかー、君も大変だったんだねぇ……」
近づけられた指をペロペロと舐める子猫を、束はそのまま穏やかに見守っている。
束にとって、親しい者以外に棘のある反応をするのはあくまで『人間』の枠に入った者に対してだけである。人間以外の動物に対しては辛辣な反応は起こさない、この様子こそが束にとっての平均的な接し具合なのかもしれない。
「で、で、で、大王……じゃなくて。で、名前は?」
「えっ?」
「この子の名前だよー、いつまでも『吾輩は猫である』状態じゃ家族なのに可哀想ジャン!」
束の言う事は尤もである。
いつまでも名前が無いのは、呼ぶ分にも困るし何よりも疎外感のようなものを与えてしまう。捨てられていた時に名前等の書き置きなども無かったので、決める権利は篠ノ之家にある。
しかし、箒は悩む。
子猫を育てる事は強く決意していたものの、名前をどうするかまでは視野に入れてなかったのだ。育て方や食事のルールなど、そっち方面ばかりに気を取られていたので急には思いつかない。
そんな箒を助けるべく、束は良い笑顔でちょいちょいと箒を手招きする。手招きをしつつ、片方の手は自身の膝を指している。つまり、此処に座れという事である。
その指示に従って、箒がちょこんと束の膝の上に座る。『ふふぃっ』と興奮気な声を漏らしながら、束は箒を乗せたまま再びパソコンの方へと向き直る。
「名前を決めるとなれば、こういうのを利用しない手はないんだよ~。ねぇねぇ箒ちゃん、その子に名前を付けるとしたら、どんなイメージが良い?」
「いめーじ?」
「こういう子でいて欲しいーとか、こんな風に育ってほしいーとか、そんな箒ちゃんの願いを込めれば、きっとこの子も喜ぶよ」
「ねがい……」
箒はおもむろに、部屋に取り付けられている窓から外を眺める。外は雲一つ無い位の快晴で、太陽も高い位置に昇っている。
子猫を拾った時は、今とは真逆で雨天だった。雨合羽を着けて父の買い物に付き添っていて、その帰り道に雨風に苦しめられる小さな猫を見つけた。獣医も言っていたが、あと一歩発見が遅れていたら、こうして一緒に居る事は叶わなかっただろう。
故に箒は願った。あんな鬱屈な雨とは無関係な、この晴れ渡った空と太陽の様な子であって欲しい、そして、晴天の下を気兼ねなく歩いて欲しいと。
その気持ちを、箒は束に伝える。
「えっとね……」
「ふんふんふん……それならこんな漢字があるかにゃ」
そう言って束はキーボードをカタカタと手際良く打ち込み、箒の願いに沿った感じを羅列させる。無差別に並べると数が多すぎるので、その辺りは束が名前に使える漢字を選別してくれている。
箒はその中の漢字達を真剣に見続けた後、勘を以て選択した。
『照』
光や日光等が隅々まで差し込む事。日の光そのものを示す事もある。
『往』
目的に向かって行く、去る。歩く等という表現の仕方もある。
照と往、2つの言葉を重ね合わせる事によって出来上がった意味は『太陽の下を歩く者』『日の光の様に照らし進む存在』
その呼び名は……。
「『テオ』……決めた!今日からあなたは『テオ』!」
小さな黒猫は、その瞬間を以て名を与えられた。
この小さな命が、本当の意味で篠ノ之家の家族となった瞬間でもあった。
箒は籠の中にいる子猫――テオの顔を覗き込みながら、笑顔でその名を再び口にする。
「今日からよろしくね、テオ!」
―――続く―――
現代だと専門用語の解説等が途中で入って文字数が増えるのですが、過去だとその時起きた出来事のみを描写する傾向にあるので短めに……実際、過去編をダラダラやるよりこれ位のボリュームで着々と進めていった方が良いかな?と考えたり。
それにしても4000字以下だと妙な違和感が……7000文字オーバーが普通になりつつあるせいですねコレ。皆さんは読んでいてどちらが良いでしょうかね?
束のテオに対する対応が優しい……というのも、『束が極端な対応の仕方してるのって、人間に限った話じゃない?』と思ったため、そういう設定にしつつ描写させて貰ったからです。原作でのサンプルが無いので何とも言えないのですが、ラボ名に『猫』がついてたり、ウサミミ(型の探知機)つけてたりでしたので。
といっても、やはり現時点では箒、一夏、千冬達ほどの好感度は得られていません。原作(オーバーラップ版)11巻でのセシリアに対する表面の反応位でしょうか。