『GAUUUU……』
ソレは猛っていた。無機質で虚ろな眼球を、上下左右に走らせる。ソレの目当ては、見付からなかった。
ソレは苛立たしげに、丸太のような両腕を無造作に振った。二本の木の幹が弾け、崩れ倒れた。
そして、糸で粗雑に縫い合わされた、感情や知性を全く感じさせない口から、不気味な呻きが漏れた。
『GUUU…I…N…! DOCO…D、Da……!!』
ソレは、倒れた木々を蹴散らし、一直線に森を進む。
『I……ION!』
ルークたち四人は、ある違和感に気が付いて、四人同時に振り返った。
交差する四つの視線。そう交差してしまっていた。
ルークは、ティアと目が合った。だが、ルークはすぐに逸らした。
イオンは、コゲンタと目が合った。お互いに愛想笑いを浮かべる。
何故、ルーク達の目が合ってしまっているのか……?
それは何故か?
そう、答えは簡単。
ルークとイオンは“森の奥”へ向かい。ティアとコゲンタは“森を出よう”としていたから。
「えぇと、あのう……?」
「あ~……ははは……」
困った様に苦笑し合う、イオンとコゲンタ。
ティアもまた困った顔で、ルークを見つめる。しかし、やはり彼はすぐに目を逸らした。何故か顔が、やや赤い……
小首を傾げるティアだったが、気を取り直してルークとイオンに問いかける。
「ええと、その……ルーク、イオン様、どちらに……?」
ルークは逸らしていた視線をティアに戻し、「いまさらなんで、そんなコト?」という表情で、彼女の質問に答えた。
「チーグルのトコに決まってんだろ? そー言ったろ?」
「ルークもですか?! それは心強い……。ぼくもチーグルに遭わなければ……遭わなければならないんです。導師イオンとして……」
イオンは、神に感謝するような口調で笑った。しかし、その笑みはすぐに深刻な表情に変わった。
「なんだ? オマエもチーグルが目当てか? ちょうど良かったな。ついでに連れてってやるよ、ついでにな! 感謝しろよな!」
ルークは、何故か途中で気恥ずかしくなり、裏返った声で横柄な口をきいた。
「ルーク……」
イオンは、そんなルークに感謝の微笑みを送る。ルークは、すこぶる居心地が悪くなり、歩き出そうとした。
「イオン様、お待ちください。ルークも、お願いだから少し待って」
というティアの努めて冷静な声が掛けられたのは、その時だった。
「ルーク……。 さっきのウルフ達を見たでしょう? この森は危険なの。私達がいくら縄張りを侵したからといって、彼らが無暗に人を襲う事は異常なの」
ティアは、続けて言った。
コゲンタは、ティアの言葉に同意するように、頷いている。
「魔物除けの……というか、魔物に人の存在を教えて、寄って来ないようにするための笛で、逆に寄ってきましたからの。あははは」
コゲンタは、複雑な表情で苦笑し……
「それに、私はやんごとなき方々を連れて、無茶をするほど『自惚れ屋じゃあない』という話でござる。あはは」
と続けた。
「つまり……『行くな』と?」
イオンは、悲しそうにコゲンタを見返した。
「恐れながら、そういう話で……」
しかし、コゲンタは苦笑しながら頷くのみだった。
「イオン様……、導師という御立場から教団の象徴たるチーグルの事を、お考えなのは解ります。ですが、私ではイオン様を御守りする力量も資格もありません……」
ほとんど抑揚の無い声と眼差しで、ティアはただ『自分が弱い』という事実を告げ、さらに続ける。
「しかしながら、それはイオン様が御一人なのが問題なのであって、導師守護役マルクト軍の方々と御一緒ならば……。魔物との戦闘ではぐれてしまわれたのなら、一度エンゲーブに戻られて、はぐれてしまった方々と合流できる様、残っているマルクト軍の方々に連絡をして……」
「いいえ、森へは一人で来ました。ジェイドもアニスも此処にはいません。譜術で動きを封じてきましたので、すぐには追って来られないでしょう。悪い事をしました……」
イオンは、ティアの提案をさえぎるように凛然と言った。
ティアは、最後の譜術の下りで、ただ立っているだけなのに滑って転びそうになった。しかし、なんとか踏み止まる。しかし、今のは、聞き流すべきだろうか?
「恐れながら、ともかくお帰り下され。申し開きも、わしらにではなく御供の方々にお願い致す」
コゲンタは、冷静にあたかも突き放すような事を言った。
それを聞いたイオンは、悲しそうに俯いた。華奢で、実際の身長よりも小さく見える身体が、さらに小さくなったようだ。
ティアは、イオンの捨てられた子犬のような雰囲気に胸を突かれた。
「何卒、お帰り下され」
しかし、コゲンタも内心「顔に似合わず破天荒な事を……」と驚いたが、あくまでも子犬とその辺りは無視して、冷静に言った。
「おいコラ! おっさん! ケチケチせずに連れてってやればイイじゃねえか!? 一人でこんなトコまで来るヤツだぜ? どうせ、また一人でムリして、さっきみたいになるだけだ! ……なぁ?!」
イオンに救いの手が差し伸べられた。それは、ルークだった。
「ルーク……。はい! 何度だって! ぼくは、ぼくに出来る事をしたいんです。どんな事でも……」
イオンは、ルークからの救いの手に喜びながらも、何かに耐えるように声を漏らした。
「別にケチケチして言っておるわけではないんだがの……。う~む。よし、分った! 確かにこんな所まで来て『すぐ帰れ!』ってんじゃ酷な話だ。チーグルの件、導師イオンにも見届けて頂こう!」
無表情だったコゲンタの顔が緩んだ。
「あっ、ありがとうございます! コゲンタ!」
イオンは、花が咲いたように微笑んだ。
「ただし! チーグルを見つけ、事情を聞いたらば、その事情がどんなモンでも、帰って頂く。これは譲れませぬ、よろしいか?」
コゲンタは先ほどと違い、感情はこもっているが、厳しい口調で言った。
彼の目は、イオンを真っ直ぐに見つめている。
「……はい、分りました。どちらにしろ、ぼく一人では行けないのだから……。コゲンタの指示に従います」
まだ少し不服そうだったなイオンだったが、何かを思い直したように平民のコゲンタに、躊躇いなく頭を下げた。
「やっ! これは。はっはぁぁぁ!」
コゲンタは慌てて、地面に飛び込むように、土下座した。
「もうイイから行こうぜ!!」
もういい加減、面倒くさくなったのか、ルークは声を上げ、駆け出した。
「ルーク! 一人で先行するのは危険だわ。待って……」
ルーク達は、チーグルの巣穴を目指し、森を進む。
コゲンタが先頭を務め、音に敏感な音律士のティアを殿(しんがり、行列の最後尾)に、ルークとイオンを挟むような陣形を取っていた。
ルークは初め、「オレが先頭だ!」と息巻いたが、コゲンタの「導師イオンを守りつつ、状況に応じて、わしかティア殿を援護をしてもらう重要な役で、一番動きの速いルーク殿しか任せられん……」という口車、もとい、要請によって、ルークは今の陣形を快諾し、現在に至る。
ルークは、物珍しそうに、あちこちに視線を送る。
「スゲェ……。なんかワカんねぇけど、スゲェ。ゴチャゴチャしててフクザツだ」
「緑の密度に、圧倒されますね……」
イオンもまた、遠慮がちだがあちこちを見回している。
ティアは、ルークとイオンの反応を微笑ましく思った。そして、「来た価値があったかも……」とも思い、改めて、二人を守ろうと心に誓った。
その後も、何度か森の魔物と遭遇し、戦いとなったが、コゲンタの匂い袋で怯ませると、すかさずティアの譜歌『ナイトメア』で行動不能にする。ほとんど戦いらしい戦いをせずに、無駄な流血を避けて進む一行。
しばらくして、ルークが妙な物を見つけた。
けもの道の真ん中に、赤い拳大の物が落ちていた。
「あん? リンゴ? なんでこんなトコに?」
そう、それらしい木も無いのにリンゴが一つ「ぽつん……」と落ちていた。
コゲンタが、後続のルーク達を手だけで制し、一人で近付いて行く。
「ふぅむ……」
コゲンタは、慎重にリンゴを拾い上げ、しげしげと眺めると、リンゴを、皆にも見えるように軽く掲げて、ルーク達の下へ戻ってくる。
「村の焼き印がありますね……」
「エンゲーブの物で、間違いない様ですね。チーグルは、ここを通ったという事ですね」
ティアとイオンが、リンゴを見て呟く。
「落としていきやがったのか? マヌケなヤツらだぜ! ハハハ」
ルークは、チーグル達の失敗を嘲笑う。
「いやぁ、全く全く。そのマヌケ、まんまと物を盗まれた、わしらは一体……?」
「きっ……気にすんな! おっさん! ハハハ」
それが同時に、コゲンタへの侮辱になってしまった事に気が付いて、笑ってごまかす。
「もしかすっと、まだ近くにいたりしてなぁ!」
ルークは、ごまかしついでに、辺りを見回す。
それは唐突に草叢から現れた。
それはコザルのような、リスのような、コブタのような……。短すぎる手足に巨大な耳、能天気を絵に描いたような黄色の不可思議な動物だった。
「な……!?」
「みゅ……?」
眼が合った。真ん丸なドングリ眼と眼が合った。
「チーグルです!」
イオンが思わず声を上げた。
「みゅ、みゅう!」
チーグルは、イオンの声に驚いたのか、一目散に逃げ出した。
「あ! イオン! バカヤロ!!」
「す、すみません! つい……」
ルークは、イオンを咎めるが、そのやり取りは友人同士のようで、それほど刺が無い。
「それよりイオン、追うぞ! 走れるか!」
「ルーク……、落ち着いて。森の中を走るチーグルに、人が追いつくのは難しいわ」
ティアは、今にも走り出しそうなルークを諌める。
「じゃあ、どうすんだよ? もしかして、居場所のわかる譜術でもあんのか?」
ルークは出鼻をくじかれたので、不貞腐れたような顔をするが、すぐに「興味津々」といった顔になり、身を乗り出してティアを見た。
「ふふ……。当たらずとも遠からずね。チーグルは魔物の中でも、音素の扱いに長けた種族なの。さっきのチーグルも風の音素を纏って加速していたから」
「へぇ、ナマイキなヤツらだな。……つまり、どういう事なんだ?」
ルークは、顔をしかめながらも、首をひねりティアに先を促した。
「つまり、風の音素の痕跡を辿って進めば、チーグルの巣にたどり着けるはずって事よ」
ティアは少しだけ、得意げに微笑んだ。
「スゲェな! 譜術士スゲェ!!」
ルークは、そんなティアに憧れの眼差しを向けた。
「よっし! オマエらいくぞ! 待ってろよチーグル! ぜってー『ぎゃふん』って言わせてやるぜ!!」
ルークは拳を振り上げ、穏やかではない台詞を口にした。
「あの……、ルーク。出来れば穏便な方向で……」
「言葉のあやだよ! イチーイチ気にすんな! ほら、おっさん先頭まかせたぞ!」
「あははは。よし参ろう。ティア殿、誘導を頼む」
「はい」
ルーク達は、チーグルが姿を消した方向へ歩き出した。
『GUUU……!』
ソレは、直感的に何かを感じ取った。
首を緩慢な動きで、ある方角へ向けた。
ルーク達が向かった方角と同じ、チーグルの巣があると思われる方角だ。
『…I…O…N…!』
ソレは無惨な唇を「ぬたり……」と歪め、何の迷いもなく、巨体をその方角へと向けた。
冒頭に登場した謎のクリーチャーは一体? 何故イオンを追うのか? 果たしてその正体は?
(棒読み)(笑)
ここでイオンの同行を自然に認めてしまうのは、逆に不自然だと思いまして長々とその辺りの話を描きました。如何だったでしょうか?