ミュウが、長老チーグルに事の顛末をチーグル語(?)で報告しているのを眺めていたルークは、ふとコゲンタを横目で、覗き見た。
彼は腕を組み、瞑目し、ただでさえ深いシワの刻まれた眉間をしかめている。
「なぁ、ティア……。おっさんホントは怒ってんじゃねぇのか? さっきから一言もしゃべんねえし、しかめっツラしっぱなし……」
ルークは、内緒話をするような調子で言った。
「別に怒っているわけじゃないと思うけど……。エンゲーブの代表として、真剣に考えているのよ。きっと……」
ティアは、それに合わせて、小声で返すと、コゲンタに視線を移した。
すると、コゲンタは懐から、懐紙と筆立てを取り出すと、何かを書き始めた。
ちょうどその時、ミュウの報告を聞き終えた長老が、ミュウからソーサラ―リングを受け取るとルーク達を見回し、語り掛けた。
「まずは……、儂ら盗人の話を聞いてくれた上に、ライガと対峙し、そのライガからも『信』を得たお前たちの『英知』に敬意を……」
長老は、膝を折り、両手を地面に着くと恭しく頭を下げた。
「お前達とライガの女王の寛大さに報いたいのじゃが……。人はこうした時、どんな事をする? 儂らチーグルは何をすれば良い?」
長老は頭を上げながら、ルーク達を見つめ、質問してきた。
すると、コゲンタが
「わしらはただ……少なくともわしは、導師イオンの顔を立てただけだからの。それほど、へりくだる必要はないっての」
と、何でもない事のように苦笑交じりに言った。
「むぅ、しかし……」
長老は肩透かしを喰らったような顔で言い募った。
「本当に、頭を下げてもらいたい連中は周りにおるのだがの……。まぁ、こっからは商売の話だ。ざっくばらんに話そうじゃないか?」
コゲンタは、長老の後ろに隠れるチーグル達を一瞥した後、長老に向き直り、突飛な事を言った。
「ふむ……、商売とな?」
長老は、コゲンタの話に首を傾げながらも、興味ありげに身を乗り出した。
「確かに、ライガの女王は、わしらもお前さん達チーグルも不問としてくれたが、それで『では、そういうわけで……』などと終わらせるなど、無礼極まりない」
コゲンタは、難しい顔で腕組みをして、大げさに首を振ってみせた。
「うむ……。いかにも」
長老も彼の意見に賛同したというように大きく頷いた。
「そこでだ、長老殿。お前さん方一族で、エンゲーブから食料を買わぬか?そして、その買った食料をライガ達に届ける。『引っ越し』は物要りだからの。喜ぶと思うぞ?」
「ふむ……、なるほどのぅ。それならば、盗んだ食料の代金もなんとかできるかのう?」
それにしても、ライガの巣の前に言ったミュウへの質問は本気だったらしい。
「ま、そいつは、お前さん方の働き次第だの。この紙に、人間にとっては価値があるのだが、なかなか手の届かぬ所にある『薬草』や『鉱石』を書き出しておいた。長老殿ならば、人間の文字くらい読めるだろう?あはは」
コゲンタは、苦笑気味に笑い、長老に先ほどの懐紙を手渡した。
「ふぅむ……。人間はこんな物を欲しがるのか? しかし、こうした場合『口約束』だけでは、後々問題が起こるじゃろう? 儂らチーグルは、前払いできる物なぞ持っておらぬぞ。当然、信用もないからのう……ツケも効かぬじゃろう?」
長老は、受け取った懐紙の文字を、一通り目を通した後、もっともな事を口にした。
確かに、いくらチーグルと言えども、すぐに採りに行く事はできないし、食料の価値に見合った品質の物が採れるとは限らないのだ。
長老は、髭を撫でるような仕草をしつつ、考える。そして、長老は隣のミュウを一瞥したかと思うと、何かを決めたように一つ頷き、口を開いた。
「ミュウをソーサラ―リングごと雇ってくれぬだろうか? ミュウは真面目だ。きっと役に立つ。」
「ミュ!?」
長老の突然の言葉にミュウは驚く事しかできない。
「奉公するというわけか? しかし、身内を売るような真似は、個人的には感心せんの……」
一方、コゲンタは驚いてはいないようだったが、眉をしかめて、難しい顔をした。
「『猫の手も借りたい』って諺はあるが……。村には、ブタザル……ミュウにやってもらうような仕事は、まずないな。火を点ける事なら、火打石やマッチで事足りるからの……」
コゲンタは、やや言い辛そうに言った。
「だが、ミュウの気質は、話していて気がほぐれる。苦しい時には重宝するだろうの……」
コゲンタは、しかめっ面を微笑に変え、頷いた。
「だったら、オレん家で雇ってやる! ブタザル、母上の話し相手になれ。母上はカラダが弱くて病気がちだからな。タイクツさせないようにしろ!」
突然、ルークが口を挟んだ。
「おい、おっさん。ライガに回す食い物のカネはオレん家にツケとけ! オレん家なら払えるよな? これなら文句ねえだろ? たくっ、ケチケチしやがって……」
ルークは、コゲンタを睨むと強引に話を進める。
当のコゲンタは、
「もちろんできるが……それから、別にケチケチして言っているわけではないのだがの……。あははは」
と苦笑しつつ、ミュウを見つめ尋ねる。
「ブタザルよ。ルーク殿は、ああおっしゃっているが、お前さんはどうしたい?」
「ミュウ! ミュウミュウミュミュウ!」
ミュウは、飛び跳ねるようにチーグル語でまくし立てる。
「リングを使って、ゆっくり話せ、ブタザル」
コゲンタは、そんな彼を苦笑しつつ、諌める。
「やりますの! なんでもやりますの!! ライガさん達とも、ルークさんやティアさん達ともケンカしないで済むなら、ボクはなんでもしますの!!」
ミュウは、飛び付くように長老の持つリングに触れ、まくし立てた。
「決まりだな……。村に戻ったら、すぐにミュウが稼ぐ分を手配しよう」
コゲンタは一つ頷くと、再び懐紙に何かを書き出した。
「ありがたい……」
長老は呟いた。
「ただし、季節が一巡りするまで働いたとしてのミュウの稼ぎで売れるのは、一回分、いや、大まけにまけて二回分くらいだぞ?」
コゲンタは新たに書き出した懐紙……領収書のような物を長老に見せながら、渋い顔で言った。
「それだけで十分じゃ。一族の存続を全て、小さき者一人に背負わせることなどできん……」
長老はそれに反して、「納得した……」という表情で頷いた。
「おおい! チーグルさん達よ! いいか。お前さん方が、わしら人間に『帽子』や『干し肉』にされずに済むのは、このミュウのおかげだぞ。ミュウはいわば命の恩人……『英雄』だ。その事を努々忘れるな!」
コゲンタは、周りを取り囲むチーグル達を見回し、大声をぶつけた。
「いやぁ、スンバラシィ! 伝説の『オォオカ裁き』を彷彿とさせますね~? その上、ルークさんが仰ったアニマルならぬ♪ チーグルセラピーにも、興味津々のシンですねぇ~♪」
唐突に、ジェイドの拍手と歓声が巣穴に響いた。
「しかし、ルークさんのお母様がどんなご容態なのか分かりませんので、確かな事は言えませんが……。ミュウさんは、お母様にお会いする前にお風呂に入って『キレイ☆キレイ』した方が良いでしょう♪ チーグルさん達や健康な方には平気でも、体調の優れない方には良くない細菌……『ばい菌』がいるかもしれませんからね~♪」
ジェイドは、胡散臭いほど、優しげな微笑みと共に言った。
「ご主人サマ! ボクがんばりますの! がんばってオフロに入りますの!」
当のミュウは、大真面目な調子で言った。
「ご主人様? オレの事か?! フ、フンッ! まあイイだろう……しっかり働けよ。ブタザル!」
ルークは、ミュウの突然、呼び方を変えられた事に一瞬戸惑ったが、まんざらでもなさそうに言った。
普段、屋敷で『おぼっちゃま』とか『ルーク様』などとかしずかれてはいるが、流石に『ご主人様』は初めてだ。ルークは、悪くないと思った。
「話もまとまった事だし、参りますかな? できるだけ早くこの事をローズ殿たちに伝えたいし、暗くなる前に森を抜けたいでの」
コゲンタは、長老の前から立ち上がると、一行を見回した。
「大賛成ですねぇ。真っ暗くらいくらいな森を歩くのは面倒くさいですからねぇ。ささ、お暇しましょう」
ジェイドが、いち早くコゲンタの言葉に同意して、手を叩きながら一人で出口へ向かった。
「ミュウ、身体に気を付けるのじゃぞ……」
長老は、ミュウを抱きかかえるように、彼の肩に手を置き優しく語り掛けた。
「おじいちゃん……。ボク、がんばりますの!」
ミュウは、心配させまいとしてか、努めて明るく答えた。
「長老、安心して下さい。ルークは、とても優しく勇敢な騎士です。ミュウに辛い思いなどさせないでしょう。彼の良き主人となる事でしょう。そうですよね、ルーク?」
イオンはミュウ達の側に跪くと、ルークの顔を見上げると、微笑んだ。
「お、おう。まかせとけ! 当たり前だぜ! オレは師匠の一番弟子だぜ! 逆に守ってやるよ! ハハハ」
ルークは、これでミュウに手荒な真似が出来なくなったと思った。だが、男に二言はないのである。
こうして、ルーク達はチーグルの巣を後にした。
『ソイルの木』の効果がある範囲ぎりぎりまで、ミュウを見送り続ける長老と、ミュウと同じ子供チーグル達の姿が印象的だった。
ミュウも彼らの姿が見えなくなるまで、振り返っては手を振っていた。
森のきた道を戻って行く一行。
来た時同様、ウルフやライオネールが度々現れたのだが、ジェイドが一歩前へ歩み出ると、魔物達は怯えたように一目散逃げ出して行った。
楽で良いのだが、ルークはなんだか悔しかった。しかし、無闇に戦う事は「ダサい……」、なにより「ティアが嫌がる」と自分に言い聞かせた。
しばらくすると、ルークがイオンとコゲンタに再会した場所……ウルフ達と戦った開けた場所に出た。
そこには、ウルフ達の姿は既になく、代わりに何人ものジェイドと青い軍装のマルクト軍兵士たちが待機していた。皆、手に槍や剣を持ち周囲に油断なく気を配っている。
「やぁやぁ、皆さん。お待たせいたしましたぁ♪ 皆さんのジェイド・カーティス、ただいま到着ですよ!」
ジェイドが先頭に立ち、実に気さくに部下である兵士達に愛想を振り撒く。しかし、兵士達は、無言で厳格な敬礼を返すのみだった。この温度差はなんだ?
ジェイドが、一人の兵士が幹にもたれ掛り座り、もう一人がそのそばに膝を突いている樹の前に歩いて行くと、
「マルコ♪ 待った?」
と言った。すると、膝を突いていた方の黒い短髪の兵士が立ち上がった。
「いいえ、大佐。あえて貴方に、『待ちました。』と言うほど待ってはいません。許容範囲内です」
「うふ、良かった♪」
マルコと言うらしい精悍な顔つきの兵士は、真面目な顔で皮肉めいた事を言うと、折り目正しく敬礼をした。
ジェイドは、それに対して気さくな敬礼を笑顔と共に返した。
「アヒム上等兵、笛を鳴らせ! 全員呼び戻せ。導師様は、無事お戻りになられた!」
マルコが、長身で褐色の肌の兵士に命令を下した。
アヒムと呼ばれた褐色の肌の兵士は無言で頷くと、肩から下げていた大きな角笛を高らかに吹き鳴らす。
身体の内側に響くが不思議と心地良い音色だとルークは感じた。
「おやおやぁ? ディートヘルト。上官は立たせて、貴方は座って休憩中ですか? まぁま、ニクッたらしぃ~♪」
角笛の音色が響き渡る中、ジェイドがマルコの後ろを覗き込むと、先程の彼の様にそこに跪く。
そこには、縮れた金髪を伸ばし放題にした熊のような大男が座っていた。どうやら、右足に怪我をしているらしい。
「やぁ、どうも大佐。すいませんねぇ、カッコつけて戦おうとしたバカなヒヨッコがいましてね。柄にもなく先輩風を吹かせたら、このザマですわ。」
ディードヘルドというらしい大男は、顎をしゃくって、離れた所でうずくまっている若い兵士を示し、怪我を負っている事など微塵も感じさせない口調で右足を軽く叩いた。
「ふぅむ、これはこれは……。ウルフですか? ずいぶんご馳走して差し上げたのですねぇ?」
ジェイドは、医者のような手付きと視線で、大男の右足の当て布を捲くり傷口を診ると、苦笑した。
「いやぁ、自分が昔飼っていやした犬に似ていたものでね……カワイイ奴だったんすよ。なんで死んじまったんだよ、ビンゴォ……!」
ディードへルトは、やはり軽口で返した。
「トニー♪ そんな所に座ってないで、ディードヘルドの手でも握ってあげたらどうですか? こういう時は心細い物ですよ」
ジェイドは、うずくまっている若い兵士……ト二ーに、優しく楽しそうに手招きした。
「よしてくだせぇ! 気持ち悪りい! 美人のネエちゃんならともかく!!」
ディードヘルドは、命乞いをするように断固拒否する。
するとマルコが、
「大佐。あまり、ディードヘルト伍長を興奮させないで下さい。また傷が開きます。私の治癒術では止血と殺菌が精一杯なのですから……」
やや冷めた口調でジェイドを諌めると、再びディードヘルトの脇に跪き、聖句を唱え始めた。
すると、ディードヘルトは淡い緑色の光に包まれる。どうやら、マルコはティアと同じ第七譜術士のようだ。
「外科手術には少し自信があるので、道具と設備さえあれば、私が改ぞ……治療して差し上げるのですがね。無力な私を許して下さい。ディードヘルト」
ジェイドは、心底残念そうに言った。
「なんだコイツ! なんか嫌な事言いかけた! 嫌な事!」
「大佐……。私は同じ事を何度も言うのも言わせるのも嫌いなのですが……」
ジェイドとその部下たちの、喜劇めいた掛け合いに、ルークは今まで抱いていた『軍人』の認識を改めなくてはならないと感じていた。
とその時、ジェイドは振り返り、ティアを見つめると、話し掛けた。
「ティアさん♪ 申し訳ありませんが、ちょっとよろしいですか?」
「はい……?」
「彼の足を診て頂けますか? 意外と重傷ですので♪」
「あっ、はい……!」
ルークと同じくジェイド達のやり取りに困惑していたティアだったが、すぐにディードヘルトの脇に駆け寄り跪いた。
「ティアと申します……。今から、治癒術で欠損箇所を復元します。違和感や耐えられない痛みがありましたすぐに仰って下さい。痛みは神経系の復元の目安になりますので、鎮痛はいたしません。どうかご辛抱を……」
ティアは、ディードヘルトに静かに語り掛けた。
それを見ていたルークには、何の説明をしているのか分らなかったが、ディードヘルトの伸びた鼻の下が気に入らなかった。
「いやぁ、貴女みたいな美人に治療してもらえるんです。ドンと来いですよ! 怪我の功名って奴? ハハハ……」
ディードヘルトは、外見と全く合わない爽やかな声音で、ティアに笑い掛けた。
ルークは、舌打ちに「うんと痛い思いをすれば良い。」という呪詛を乗せた。
ティアは、そんなルークには当然気づくはずもなく、杖で地面を控えめに突き、譜術の詠唱を始める。
「水の子らよ……『アピアース・アクア』」
立てられた杖を中心に、ティアとディードヘルトを囲むように淡い水色の譜陣(とは言っても外枠の円だけ)が展開する。
「癒しの光よ……清らかな水と共に……」
ティアは、聖句を詠唱しつつ、杖を僅かに掲げ再び地面を突く。水色の譜陣に、淡い緑色の譜陣が重なる。ルークも何度か見た事のある『ファーストエイド』の譜陣だ。
「清純なる命水よ。『メディテーション』……!」
『ファーストエイド』の光よりも、強い水色の光が譜陣から吹き出し、天を突く。
見れば、ディードヘルトは額に脂汗を滲ませ、歯を食いしばり呻いている。ルークが想像した以上の激痛らしい。
すると、ディードヘルトを心配そうに見つめていたイオンに、ジェイドが話し掛けた。
「イオン様。ディードヘルトの姿をよく見ておいて下さい。今の彼の姿が、貴方の行動のいくつかある『結果』の一つですので、お忘れ無きように……よろしくねん♪」
イオンはぎくり……とし、ジェイドの顔を見た。
ジェィドは微笑み、ズレてもいない眼鏡を指先で直すと、イオンに目を合わせようともしない。
「ぼくは、そんな……、そんなつもりでは……」
イオンはうつむき、消え入りそうな声で言い訳しようとする。だが、言葉が見つからないようだ。
『人を死なせてしまう可能性』
これは、人の上に立ち、人を動かす者は、善い事にしろ、悪い事にしろ常に背負い、理解しておかなくてはいけない責任である。
その時、ティアの足下で、回転し輝いていた譜陣が消えた。どうやら、治療が終わったらしい。
ルークは先ほどまで、なるべく見ないようにしていたディードヘルトの傷に注目した。
彼の右足の傷は、完全に消えていた。あたかも、怪我をしていた事など嘘だったかのように元通りだ。
「これで問題ないと思いますが……。ディードヘルト伍長、今から患部に触れてみますので、少しでも違和感がありましたら、仰って下さい」
ティアは、慈母のような微笑みで言った。
「あぁ、お手柔らかに」
ディードヘルトは、憔悴しながらも苦笑で、それに答えた。
「……これは、感じますか? こちらはどうでしょう?」
「あぁ、全部分るよ……。アンタの指は少し冷たいな……」
「ふふ……、良かった。今の所は大丈夫のようですね。でも、流れた血と共に、力が失われたのは確かです。すぐに増血の処置を受けて下さい……」
ティアは、ディードヘルトの目に掛りそうな前髪を払いながら、微笑んだ。そして、後はジェイドとマルコに託す事にした。
「心得ています。私は医者の端くれ、マルコは治癒術士です。部下を救って頂き、ありがとうございました。ローレライの癒し手よ」
ジェイドは頷くと、マルコと共にティアに深々と頭を下げた。
「い、いえ。わたしは、別に……! 何も……」
ティアは、自分などより遥かに実力の上回る強者二人に、頭を下げられるとは思ってもみなかったので、すっかり恐縮し、声を少し上ずらせ、頭を下げた。
「それにしても、とても丁寧な複合譜術でしたねぇ♪ オミゴト☆でした! あんなに緻密に音素を編み込むなんて、私ならメンドっちくて、絶対途中で挫折しますよ! うふふふ~♪」
そんなティアに、ジェイドはいつもの馴れ馴れしい感じで話し掛け、彼女の譜術を褒めちぎる。
「い、いえ、わたしなんて……。未熟者で……」
「ミス ティア。そのように、ご自分を卑下する物ではありません。貴女の譜術が、一人の人間を救ったのは事実なのですから」
マルコは、硬く結んでいた唇を少しだけ緩め、ティアに言った。
「は、はぁ。恐れ入ります……」
ティアは、ますます恐縮して言った。
それに、マルコは頷くと、ジェイドに向き直り、
「では、大佐。私は……」
と言った。
「そ~ですねぇ。マルコは、ディードヘルトに『ぴっとり寄り添って』♪ 皆のタルタロスへ先に帰っていて下さいね♪」
ジェイドは、『ぴっとり寄り添そう』ようにマルコの肩にしなだれかかろうとする。
しかし、マルコは巧みな身のこなしで、その凶行を躱した。
「では私は、伍長に『しっかり付き添って』帰投します。トニー二等兵、バスクェス上等兵、カジミール兵長、アンドレイ軍曹、ディードヘルト伍長をタルタロスに運べ。との、カーティス大佐からの命令だ。担架を用意しろ! アヒム上等兵。貴官は引き続き、森に残っている者達に呼び掛けろ!」
マルコは、お手本のような綺麗な敬礼をし、矢継ぎ早に部下達に命令を下していった。ジェイドの玩具を取り上げられたような寂しげな視線を無視してである。
マルコは今度は、イオンに向き直り、
「導師イオン様。誠に申し訳ありませんが、私は一旦失礼いたします。」
と敬礼をした。
「あ、あの! 彼は……! ええと、ディー……」
イオンは、彼に何か言おうとする。
「負傷した部下は、ディードヘルト伍長であります、導師様。しかし、貴方が御気になさる事ではありません。貴人の『気まま』にお付き合いするのも、軍人の職務と考えておりますので。そもそも、彼の負傷は、彼自身の実力不足に起因しております。どうか、御気になされませんように。では、失礼いたします。」
しかしマルコは、イオンの言葉を半ば封じるように事務的な言葉で返すと、再び敬礼をし、部下達と共にその場を立ち去った。
「なんだアイツ! 感じワリぃの! 助かったんだからイイじゃねぇか! 気にすんなよ、イオン」
ルークは、マルコの背中を睨み付けながら、イオンの背中を叩きながら、言った。
「え、えぇ……。ありがとうございます。ルーク」
しかし、その励ましもあまり効果がないようだ。
「アニス……。ぼくのした事は……間違い……だったのでしょうか?」
イオンは、隣に立つアニスに尋ねた。
「う、う~ん。間違いとは思ってませんけどぉ……、イオン様がしてはいけない事だったとは思います。お止めできなかったワタシが悪かったんですけどぉ」
アニスは、困ったように首を捻り、言葉を選ぶように言った。
「でも、ワタシ達はイオン様のためなら、何でもして差し上げたいと思ってます! イオン様は『みんなのイオン様』なんですから! 大佐も、ディードヘルト伍長も、マルコ少佐だってきっと同じ気持ちです。だから、次に何かあった時は、絶対に仰って下さいね。そうしたら、みんなは助けてくれます!」
アニスは、イオンに向き合うと両手を取って、優しく笑うと、彼に言い聞かせた。
アニスの笑顔は、確かに明るく優しい物だったが、その瞳にはそれだけでなく、複雑な『色』が見える。しかし、イオンには、その『色』が何なのかは分からない。
「アニス……?」
「アハ、なんちゃって……。でも、もうお一人で無茶しないで下さいね、イオン様。あぁ、なんかも~お腹空いちゃいましたねぇ? 早くエンゲーブに戻って、ゴハンにしましょ!」
アニスは、くるくる……と踊るようにイオンから離れ、複雑な『色』をかき消すためか大きく伸びをすると、笑った。
「大佐~♪ 久しぶりにバトルったら、ワタシお腹空いちゃいましたよぉ! まだエンゲーブに戻れませんかぁ?」
そして、ジェイドに甘えた声で言った。
「おや、それはいけませんねぇ♪ 頼れる仲間達が勢揃いするまでもう少しお待ちくださいな。しかぁし、こんな所からチョコッレート☆が出現しましたので、イオン様と半分こして、食べて下さい」
ジェイドは、それに胡散臭いほどに甘やかした声で答え、手品のような手付きで銀紙に包まれたチョコレートを取出し、アニスに手渡した。
「きゃほ~☆ 大佐ダイスキ♪ ケッコンして下さ~い!!」
「まぁ、嬉しい♪ でも後五年待って下さい!私、もっと男を磨きますので♪ ……その時、まだあなたが私の事を想っていてくれたら、汗血馬に乗ってあなたを迎えに行っちゃいますよお♪」
「アハハ! も~そこは、白馬にして下さいよぉ!」
アニスは、ジェイドとそんな軽口を叩き合いながら、イオンの前に戻って、
「イオン様! 大佐がチョコくれましたよ!」
と嬉しそうにチョコレートを掲げて見せた。
イオンは、控えめにアニスに頷き返すと、ジェイドの顔を伺った。
ジェイドは、イオンの視線に気が付き、ウインクと両手の親指ポーズを送った。
「アニス……、ジェイド……、ありがとうございます」
イオンは、今にも泣き出してしまいそうな笑顔で、二人に控えめにではあるが、頭を下げた。
イオンとアニスが、ルークも交えてチョコレートを食べていると、幾人ものマルクト兵士が、剣や手斧などの武器を手に、森の木々の間から続々と現れた。
皆、薄汚れてはいるが、しっかりとした足取りで、大した怪我も負っていないようだ。
そして、兵士達はジェイドの前に即座に整列し、方陣を作った。
「よっ! 皆さん、マルコは今いませんので、私が直接指揮を執らせてもらいまぁす。まずは『じゆうにうごけ』です! チャチャっとエンゲーブに帰る準備をしましょ~♪ その後は、『ガンガンいこうぜ!』という感じで、みんなでエンゲーブに帰っちゃおうぜぇ☆」
ジェイドは、部下達に元気一杯に号令を送った。
そして兵士たちは、ジェイドの命令(笑)を聴いたと同時に動き出し、それぞれの役割を正確にこなし始めた。
「なんか……、メンドくせぇな。軍隊って?」
そんな兵士たちの様子を手持無沙汰に眺めていたルークが、呟いた。
「ふふ……そうね、とっても面倒くさいの。その面倒くさい事を恰好良くやらなきゃいけないのが、軍人という職業なの」
ティアは苦笑して、何かを懐かしむようにルークの呟きに答えた。
「まぁ、面倒くさいのを辛抱した分、一人ではどうにもならん事もなんとか出来るようになりますからの。百姓も同じだの」
コゲンタが、口を挟んだ。
「百姓が、恰好良いかどうかはともかくの……。あははは」
と軽く額を叩いて、付け加えた。
そして、兵士たちが再びジェイドの前に整列した。すると、
「それでは皆さん、お待たせしましたぁ~♪ 帰りの準備が整ったようなので、皆のジェイドさんの後に着いてきて下さ~い♪」
ジェイドが「ごめんね☆」と書かれた白い旗の着いた手槍をルーク達に向け、振るう。おそらく投降用だろう。
ようやく、ルーク達は森を出られる事になった。
(まったく……、森を出て、村にかえるだけじゃんか……)
軍隊とは、つくづく面倒な物だとルークは思い知らされた。
こうして、ルークの冒険譚は、次なる楽章に入った。
チーグル達の当事者意識のなさと、イオンの為政者としての自覚のなさへの、私なりの意見と言うか嫌味というか……という回でした。
昔、ある政治評論家が、
「政治家という職業は、好むと好まざるに関らず、(正しい事をするとしても)人を死に追いやるものである。」
と、そんな主旨の事を発言されていました。イオンにはこの意識が欠けていたように思います。
(モースの傀儡である彼にそこまで自覚しろというのも、酷かと思いますが……)