テイルズオブジアビスAverage   作:快傑あかマント

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第31話 檻の中で 現れる妖獣

『……ルーク……』

 

 声だ

 

『……我が声に……!』

 

 声が聞こえる

 

 いつか聞いた声

 

『……ルーク……』

 

 あの時と同じ声

 

 

 それにしても、気分が悪い。

 

 頭が痛む。いや、頭だけではない身体中が痛み、筋肉がひどく強張る。

 

 しかも、喉が焼け付いたように渇き痛い。

 

「ルーク……」

 

 先程とは、違う声が聞こえる。こちらは、不思議と安心感を覚える声だった。

 

 すると、冷たくかじかんだ指先が、優しい温もりに包まれた。誰かが手を握ってくれている。

 

(あったかい……。母上……?)

 

 ルークは瞼を開けようとした。しかし、瞼は鉛のように重くなかなか開ける事ができない。

 

 やっとの思いで目を開けたルークの視界に髪の長い女性の影が映る。

 

(母上……)

 

 いや、違う。彼女の髪は長く髪型こそ母 シュザンヌと似ているが、茶色がかった深い赤毛のシュザンヌとは違い鮮やかな胡桃色をし綺麗に三つ編みに纏められていた。

 

 という事は、彼女は

 

「ティ……ア?」

 

「ルーク……良かった。うなされていたから……」

 

 影の主は、ティアだった。

 

 ティアは、心配に曇った顔を少しだけ緩めて、まだ視線の定まらないルークに柔らかく微笑み掛けてきてくれた。

 

「あ……? あぁ、ティア……か」

 

 ルークは「母上」と口走らずに済んだ事にホッとした。しかし、今度はティアに手を握られている事に慌てたが、それもなんとか顔に出さずに済んだ。

 

 当然、そんなルークの奮闘に気が付くはずもないティアは、緩めた表情を再び心配顔に戻して、

 

「どこか痛む所はある? 気分は悪くないかしら?」

 

 とルークの顔を覗き込む。

 

「あぁ、うん……。だいじょーぶだ。ココは?」

 

 ルークは返事をしながら、ティアの傍らに小さな気配を感じた。ミュウだった。

 

 おそらくティアと一緒に寄り添ってくれたいたのだろう。

 

 ルークが左手を優しく握っているティアの手を乱暴にならないように解き、身体を起こしたその時、

 

「ご主人さまぁっ!!」

 

 と、ミュウが泣笑いを浮かべて、ルークの足にしがみ付いて来た。リングが当たって地味に痛いのと、鼻水でも付けられるんじゃないかと心配になり一瞬、蹴飛ばそうかと考えたが、ティアの目の前でもあるし、心配してくれていたのは解るので、一応……本当に一応感謝して自重してやる事にした。

 

「あぁっ……と。その、で、ココは……?」

 

 ルークは曖昧な表情で周りを見回しティアに尋ねる。

 

「タルタロスの船室の一つよ……」

 

「犯罪者や、あまり重要ではない捕虜を拘束しておく為の収監室ですよ。布団部屋よりはマシと言った所でしょうか♪」

 

 沈鬱なティアの説明の上にジェイドのまるで観光名所の案内でもするような明朗快活な補足が加わった。

 

 ルークが声のした方を見ると、はたしてそこには、ジェイドが立っており、こちらに笑顔を向けている。

 

「タルタロス……? あぁ!!」

 

 ルークは呟きながら、すべての記憶が繋がるのを感じ、声を上げた。

 

「ティア! ティアは大丈夫なのか!? 血が付いてるじゃないか!? 大丈夫なのか、それ!?」

 

 ルークは、簡易ベッドから跳ねるように立ち上がると、ティアに詰め寄るが……

 

「ル、ルーク、落ち着いて……、私は大丈夫。たんこぶが出来たくらいだから……」

 

 と、彼女は頭に手をやり苦笑すると、ルークを落ち着かせようとおどけてみせた。

 

「そ、そうか……じゃあ、その血はいったい……?」

 

 ルークは、一応の落ち着きを取り戻すと、

 

「あっ! イオンは!? アニスは!? おっさんは!?」

 

 と、ようやく他の仲間たちの安否に考えが至った。

 

 すると、

 

「わしならここにおるぞ、ルーク殿。怖い思いをさせた」

 

 ティアの背後で、もはや聞き慣れた声がした。

 

「ひどい有様だが、足はちゃんとある。あははは……」

 

 コゲンタだった。彼は牢の隅に座り込み、こちらに笑い掛けている。だが、彼の羽織りも、袴もぼろのように斬り刻まれ、あちこち血の色が浮かいて、返り血とも相まってすっかりまだら模様になっているという惨憺たる様子だったが、大きな怪我はないようだった。

 

 コゲンタの先程の闘いの激情をおくびにも出さないいつもの笑顔に、ルークは大いに戸惑ったがそれがかえって、彼に再び落ち着きを取り戻させた。

 

「あぁ……。じゃ、じゃあ……」

 

 そして、改めてティアにイオン達の安否を尋ねた。

 

「それが……」

 

 言いかけて、口籠るティア。余計な不安を与えまいと言葉を選んでいるようだった。

 

 ほんの数秒で顔を上げた彼女は努めて落ち着いた口調で話し始めた。

 

「イオン様はご無事だけれど、教……リグレット様たちにどこかへ連れていかれてしまったの。アニスは……分らない。他の人達も……」

 

「アニスなら大丈夫♪……と心から信じたい所ですねぇ」

 

 ティアの声は徐々に小さくなっていく。そして、そこにジェイドの明るい声が重なり、彼女の言葉を引き継ぐ。

 

「他の皆……部下達はおそらく駄目でしょう。少なくともこの近くにはいる気配はありません。私達は、神託

の盾がイオン様に言う事を聴かせる為の人質という意味で生かされているのでしょう。ルーク様とティアさんについては、何やらそれだけではない様子でしたが……」

 

 ジェイドは苦笑いを浮かべながらルークを見て、

 

「まぁ、何はともあれ♪ ルーク様とイオン様をとりあえずはお守りできて良かった。あぁ、ご心配なく♪ 私たちの代りはいくらでもいますからね」

 

 と事も無げに言った。

 

「……代りだと! 人の命をなんだと思ってんだ!!」

 

 ルークが怒鳴る。ジェイドの言葉に考えるより先に感情が反応したのだ。

 

「ルーク殿。大佐殿は軍人の役割の話をしているのでござる」

 

 コゲンタが二人の間に割って入り、ルークに「待て。」と言うように両手を掲げると、取り成すように言った。

 

「なんだよ、それ。ワケ分かんねよ」

 

 ルークは、コゲンタに掴み掛らん勢いで言ったが、着物の血に気が付いて、手を引っ込める。

 

「人には、それぞれ背負うべき責任と苦痛がござる。軍人にも、貴族にも……」

 

 と、コゲンタは言い、ルークの様子に気が付いてすまなそうに一歩退いた。

 

 ルークは、やり場の無くした怒りと、コゲンタの流した血に嫌悪を抱いてしまった事の罪悪感を誤魔化そうと視線を彷徨わせる。

 

 ふと、ルークは視界の端で妙な物を見た。

 

 ジェイドの背後に先程ルークが寝ていた物と同じ簡易ベッドがあり、その上に白い布を顔に掛けられた人物が横たわっている。

 

 ルークは、どういう事だろうと思った。

 

 理解はしている。

 

 だが、感情がそれを考えようとするのを避けている。

 

「マルコです。十分ほど前までは、頑張っていたのですがね……」

 

 ジェイドが、その視線に気が付いて、彼にしては珍しい静かな声音で言った。

 

 やはりそうだった。

 

 考えたくない事実が否応なしに突き付けられる。おそらくティアの法衣に付いた血は彼の物だったのだろう……

 

「矢が体の内で折れていたの……」

 

 ティアが言い訳するように呟く。その上にジェイドの声が重なる。

 

「どうか気に病まないで下さい。彼はこういうリスクも承知して、この任務に臨んだのですから。我々、軍人は負うべき責任と苦痛がたまたま命がけだっただけの話です」

 

 ジェイドは、いつもの人を煙に巻くような笑顔はなりを潜め、素直な感情を表に表したように微笑み言った。

 

「しかし、ルーク様の御心遣い、友人 マルティクス・ロッシに代わり本当に感謝いたします。ありがとうございます……。ティアさんも、大した道具も無い中で手厚い治療、感謝いたします」

 

 ルークとティア、二人に深々と頭を下げるというジェイドの思わぬ態度に、ルークは矛を納めずにはいられなかった。

 

 だが、あんな血と汚物に塗れた死に方が……そして、こんな薄汚れた場所に閉じ込められて死ねのが、当たり前の責任だというのだろうか?

 

 自分にも“そんな物”があるのだろうか?

 

 そもそも、“そんな物”を意識した事がないルークには分かるはずもなかった。

 

「お話し中、誠に失礼だが。今は一つずつ問題を片づけて参ろう。大佐殿は脱出の算段はおありかな?」

 

 コゲンタはルークの顔色を伺いつつも、話題を換えた。

 

「よくぞ聞いて下さいました♪ あります! ありますとも!!」

 

 ジェイドが、大げさに頷いたその時、ルークの脳裏に、鮮血と殺戮の光景が再び……いや、先程よりも鮮明に蘇って来た。

 

「外に……出るのか……」

 

 彼が思わず漏らした声に一同が振り返った。

 

「……ルーク? どうしたの?」

 

 ティアは振り返り、気遣わしげにルークに瞳を向けた。

 

「外に出たら……また戦いに……、戦いになっちまうんだよな? ティア?」

 

 ルークは縋るような表情をティアに向け、言葉を吐き出す。

 

「ルーク……、大丈夫よ。戦うのはわたし達なんだから。貴方は絶対に護るわ……」

 

 ティアは、ルークは慣れない状況……いや、“普通”の感性を持った者なら決して慣れてはいけない状況に恐怖しているのだと考え、少々無責任だと自覚しながら、努めて冷静に柔和に聞こえるように声をかけた。

 

 しかし、ルークの表情は和らぐ事はなく、さらに沈痛な物へと変わる。

 

「ちがう! ちがうんだよ、ティア……! ティアは平気なのか!? 人が死ぬんだぜ! それにひょっとしたら、ティアが人を殺しちまうかも……」

 

 ルークは、当たり前といえば当たり前の事をまくし立てた。

 

「……!」

 

 ティアは口籠った。

 

 曲がりなりにも騎士である彼女にとっては当たり前すぎて、どう返して良いのか分からなかったのだ。

 

 そう、当たり前の事なのだ。

 

 戦争、紛争、武力衝突。多い少ないはともかく、どれも命の損失は当たり前なのだ。

 

 ”全員は助けられない。なるべく犠牲者を減らすだけ……”

 

 としか考え付かない薄情な自分が、

 

 “犠牲者なんて絶対に出したくないし、見たくもない”

 

 と、この異常な状況下でも善良で普通の事を考えられる感性を持ったルークに何を言えば良いのだろうか? 何かを言って血と暴力で溢れ返る戦場に連れ出す権利が有るのだろうか?

 

 ティアには解らない。

 

 解らないが、今は行動しなくてはならない時だ。

 

「それとも……」

 

「え……?」

 

「それとも、ティアは平気……なのかよ? 人が死ぬのも、死なせちまうのも、自分が死ぬのも……」

 

 ルークは打ちのめされたような表情と、悲しみ、驚愕あるいは失望などの感情をない交ぜにした瞳で、何も答えてくれない……答えられないティアを見つめた。

 

「違うわ……違うの……、ルーク。平気なんかじゃない。けれど……」

 

 ティアは言い訳するように、あるいは許しを請うようにルークを見つめ返し、もう一度よく選び直した言葉で彼に語り掛けた。

 

「悲しいけれど……、この世界は良い人のままではできない事があるの。今のそれが、ここを脱出して、あなたを護る事……なの」

 

 ティアは固い表情で言った。ルークには今までで一番頑なな表情に見えた。

 

「そのためなら、わたしは悪人になって、あなたに嫌われても構わない。嫌われても護るから……」

 

 ティアはそう続けると、苦しげに目を逸らした。

 

「そんな寂しい事を言う物ではないよ、ティア殿」

 

 それまで黙って話を聞いていたコゲンタが口を開く。

 

「ここは、かなり前から悪人のわしに任せてもらえんかの?」

 

 と苦笑して続けた。

 そして、ルークとティアの顔を順に見つめ、

 

「ルーク殿やティア殿のような若者の苦痛を少し肩代わりするのも、大人の責任という物……。で、ござろう?大佐殿」

 

 と言いながら、ジェイドの方を見た。

 

「うーむ。民間人であるイシヤマさんにも色々申し上げたい事はあるのですが……」

 

 ジェイドは大げさに腕をこまねいてみせて、コゲンタを見た。

 

「全てが片付いたら、しかるべき筋の罰を謹んでお受け致そう」

 

 コゲンタは、バツの悪そうな口調でその視線に答えた。

 

「その時は良い弁護士を紹介しましょう」

 

 ジェイドは冗談とも本気ともつかない事を口にして、苦笑すると、

 

「というわけで敵と戦うのは、私達“大人”が引き受けますから、ティアさんはサポートとルーク様の安全を確保する事に専念して下さい。それに、身内の方々……同じ神託の盾と戦わせてしまうのは何ですしね」

 

 いつにない真面目な口調で言った。しかし、

 

「人の悪さで私に右に出る方はいませんからね!」

 

 と冗談めかす事は忘れなかった。

 

 ルークは反発心を抱きながらも、反対できなかった。

 

「しかし、それでは……」

 

 ティアは反対しようするが、コゲンタは手を掲げてそれを制すると、

 

「子ども扱いするようで気に喰わぬだろうが、この場は納得して頂きたいな」

 

 と微笑し、

 

「ルーク殿はその方が安心する」

 

 と付け加えた。

 

 そんな言われ方をしては、ティアも反論できなかった。

 

 ジェイドはいつもの胡散臭い笑顔に戻ると、大げさに頷いたかと思うとその場にひざまづいた。そして、靴の両かかとを外し、その二つを一つに重ね合わせた。

 

 どうやら、何かの装置のようだ。

 

「さぁ、それでは! イオン様救出・タルタロス脱出大作戦の開始ですよ!! 皆さん、下がって下さい」

 

 と高らかに言ったジェイドは、足場を均すように床を右足で払い、装置を腹で抱えるように引き付けると、右足を軸に身体を捻ると共に左足を天を蹴らんばかりに真っ直ぐ振り上げた。

 

 そして刹那の静止の後、ジェイドは左足で床を踏み締め、振りかぶって装置を投げ……

 

 

 ……られなかった。

 

 

 何故なら光の牢の向こう側、収監室の並ぶ廊下に、一人の女の子がひょっこりと姿を現したからに他ならない。

 

 ルークは一瞬、アニスが助けに来てくれたのかと思ったのだが、女の子は彼女ではなかった。

 

 確かに同じ年頃で、ローレライ教団の法衣を着て、ぬいぐるみを抱えているのは同じだが、アニスとは似ても似つかぬ女の子だった。

 

 腰まで伸びた薄桃色の豊かな髪、髪よりも少しだけ濃い桃色の瞳、幼く気弱げな顔、そして小柄な身体に《鮮血のアッシュ》の物と似た黒い法衣を身に付けている。

 

 その漆黒の法衣が、彼女の淡く輝くような彩の髪と、透き通るような肌の白さを更に際立させていた。

 

 そして女の子は、そんな白く細い腕に、アニスのトクナガとは別の意味で不気味……もとい、独自性に富んだぬいぐるみを抱きかかえている。

 

 彼女は、その抱き締めたぬいぐるみの背中に顔を埋めるように顔を半分隠し、可愛らしい眉を怯えた様に八の字にして今にも泣き出してしまいそうな瞳でルークを見つめて来た。

 

 いや、正確にはルークの隣にいるティアを見つめているのだ。

 

 しかし、ルークには解らない。

 いったい何故、彼女のような幼い女の子が神託の盾の法衣……つまりは軍服を着て戦場になってしまった軍艦にいるのだろうか?

 

 彼女もティアのように譜術が上手かったり、アニスのように人形を操れたりするのだろうか……

 しかし、ルークには目の前の彼女がティアよりも更に根本的な部分で戦いをするような人物には見えなかった。

 

「アリエッタ様……」

 

 ティアが呟く。どうやら女の子は「アリエッタ」という名前で、ティアは彼女を知っているらしい。

 

 ルークもまた彼女の名前をどこかで聞いたような気がした。

 

 そんなルークの疑問を知る由もなく、

 

「ティア……。イオンさまを……イオンさまをたすけて」

 

 と女の子……アリエッタが今にも泣き出しそうな顔で、消え入りそうな声を吐き出した。

 

 そして彼女は、やり場の無い焦りと不安な気持ちを紛らわすためか、ぬいぐるみを更に強く抱き締めながら続ける。

 

「リグレットが……リグレットが、イオンさまをシュレーのオカってトコに、つれていっちゃったの。そこで……ダアトしきフジツをつかわせるって言ってた……」

 

「シュレーの丘に、リグレット様がイオン様を……ですか? いったい何故……?」

 

 ティアは、迷子を見つけてしまった様な心境になり、アリエッタを慰めたい衝動に駆られるが、努めて冷静に思考を巡らせる。

 

「シュレーの丘? あそこは大昔の戦争の慰霊碑があるだけのはずだがの……」

 

 ティアの背後でコゲンタが疑問を口にした。

 

「これはちょっとしたヒミツ♪ なのですが、あの丘には『セフィロト』があるのです。もしかすると、その入り口を閉じた『ダアト式封呪』を解呪するつもりなのかもしれません。わざわざイオン様を連れ出し、ダアト式譜術を使わせようという事は、おそらくそういう事なのでしょう。何の目的で開けようというのかは、皆目見当もつきませんが♪」

 

 ジェイドがコゲンタの疑問に答えつつ、推測を披露する。

 

「つーか、ダアトなんとかって、イオンの使ってたスゲェ譜術の事だよな? アイツの身体がヤバいんじゃないのか?」

 

 ルークには、『せひろと』だとか『ふうじゅ』だとかは何の事だかわからなかったし、どうでも良かった。ただ、チーグルの森でイオンがあの特殊な譜術を使った後、素人目にも異常なほど消耗していた事を思い出し、あの時と同じようになるのかと、その事だけが気懸りだった。

 

 ルークの質問に答える様に、アリエッタは弱々しく頷き続ける。

 

「うん。リグレットやみんなは、別のトコでも使わせるっていってたの。イオンさま、ビョージャクなのに……」

 

 頷いたまま、うなだれ俯き消え入りそうな彼女の声。

 しかし、アリエッタは弾かれた様に顔を上げ、

 

「このままじゃイオン様、またビョーキになって、もっとアリエッタのコト、わすれちゃうかもしれない!おながいティア。イオンさまをたすけて……。アニスにはおねがいデキなくなっちゃったし、アリエッタはみんな(群れ)をウラギレないの」

 

 と控えめながら吐き出すように言った。

 

「アリエッタ様……」

 

「とっちゃったティアたちの武器と荷物もってきたから。もってきて……」

 

 アリエッタは収監室の入口の方を向き、誰かに声をかけた。彼女の他にもルーク達に力を貸してくれる人物がいるらしい。

 

 しかし、それは“人”ではなかった。

 

「ラッ……ライガッ!!」

 

 ルークが思わず声を上げた。

 

「落ち着かれよルーク殿。わしらを襲う気なら、もうとっくに仕掛けておるよ」

 

 隣でコゲンタが静かに苦笑しつつ言った。

 

 緑がかった紺に黒い縞模様をちりばめた毛皮をまとい、肩からは鉱石を思わせる翼状の角を生やした巨獣が布に包まれた剣の束を咥えて、そして身体にはルーク達の背嚢を背負い、驚くほど静かに廊下へと入って来た。

 

 ルークの知らない事だが、その巨獣は、チーグルの森で出会った『門番』のような成獣の一歩手前の個体で、一般に『ライガス』と呼ばれる敏捷かつ精強な猛獣だった。

 

 そしてライガスは、収監室の廊下にルーク達の武器を置いた。

 

 ルークは、彼あるいは彼女の偉容を見てようやくアリエッタについてを思い出した。この少女は、イオンやアニス、ライガクイーンの口から聞いた『妖獣のアリエッタ』だという事に思い至った。

 

 山猿のようなもっと野性的な人物を想像していたルークは、キツネにつままれたような気分だった。

 

 もっともルークは、猿もキツネも図鑑でしか見た事がなかったが……。

 

 そんな事を考えるルークを余所にアリエッタは、牢のすぐ脇の壁に設置された小箱の蓋を開けた。

 

「ん。えっと……」

 

 アリエッタは、ただでさえ下がり気味の眉をさらに八の字にして首を捻る。

 

 ルーク達からは死角になっている上に、小箱の蓋で手元が隠れていたが、彼女が牢を開けてくれようとしているのが分かった。

 

 しかし、光の格子はいっこうに消えず、アリエッタの可愛らしい唸り声が聞こえてくるだけだった。

 

「アリエッタさん♪ 黒いツマミがいくつかあって、緑と赤に光った豆電球がありませんか?」

 

 見かねたジェイドが優しげに声をかけた。

 

「うん、ある……」

 

 アリエッタは、素直に頷く。

 

「とりあえず、黒いツマミを下向きにして緑の豆電球を赤くしちゃう方向でお願いします♪ カチッカチッと!」

 

 アリエッタの指先でカチカチ……と小さな音がすると、唐突に光の格子が消えた。

 

「あいたよ、ティア」

 

 アリエッタは、はにかんだように微笑んだ。

 

「アリエッタ様、ありがとうございました。助かりました」

 

 ティアも微笑んでそれに答える。

 

「んーん、ちがう。たすけるのはティアのほう……。ティアはイオンさまをたすけて」

 

 ティアはアリエッタの言葉に頷くと、いまだ警戒して動けずにいるルークに微笑みかけ、収監室の出入り口を潜った。

 

 ルークは、彼女の微笑みにも引きつった顔しか返せず、立ち竦んでいる。

 

 コゲンタが隣でルークの肩に手を置くと、頷く。

 

 と、その時

 

 どうした事か、アリエッタの隣に静かに佇んでいたライガがティアを見た途端、僅かに高い声でアリエッタの耳元で呻いた。

 

「え……どうしたの?」

 

 彼あるいは彼女の言葉が解るらしいアリエッタは首を傾げて、もう一度ライガの言葉に耳を傾けた。

 

 そして、何度か頷いたアリエッタは何を思ったか、ティアの胸元に顔を埋める様に抱き付いて、クンクン……と仔犬の様に可愛らしく鼻孔を動かす。

 

「ア、アリエッタ様?」

 

「ホントだ……、ママのにおいだ。ママのにおいがする……。ティア、アリエッタのママにあったの? ママはゲンキだった? みんなはゲンキだった?」

 

 ティアの胸元から顔を上げたアリエッタは、心から嬉しそうな笑顔でやや早口に尋ねる。

 

「は、はい。ライガクイーン様には、この近くにあるチーグルの森でお会いしました」

 

 ティアは、一瞬若いライガ達が息絶える光景を思い出したが、表情には出さずに答えると、

 

「今は人との争いを避ける為に、その森を去られました。非常に寛大……ええと、とてもお優しいお母様ですね。わたし達も助けて頂きました」

 

 と、引きつりそうになる顔を無理矢理微笑ませて続けた。

 

「うん、アリエッタのママはやさしいの。とってもやさしい……」

 

 アリエッタは少し自慢げに言い微笑む。

 

 ティアの背後で、見るからに困った様な笑顔のジェイドの目配せに、コゲンタが固い真剣な表情で首を横に振ったのには当然気が付かなかった。

 

 それを見ていたルークとその気配を感じ取ったティアは、胸に痛みを感じたが、ここであの時の事を暴露すれば、アリエッタの協力が得られなくなるかもしれない。

 

 ルークは、生き残り、イオンを助けるためとはいえ打算的な考えで動こうとしている自分が嫌になった。そして、ティアも同じ事を考えていた。

 

 コゲンタが、そんな二人の脇をすり抜けて、

 

「わしからもお礼を申す。ありがとう、お嬢さん」

 

 言うと、顔を赤らめて、ぬいぐるみで顔を隠すアリエッタを見て苦笑しつつ、牢の扉を潜った。そして、ライガルの前まで行くと、自分達の武器を受け取り、

 

「貴君も、ありがとう」

 

 とライガルに笑いかけた。

 

 ライガルは、それに応えるようにグオッと小さく吠えた。

 

 そしてコゲンタは、武器を抱え、まずはティアに杖を手渡し再び牢に入り、ジェイドの順に武器を渡す。

 

「おやおやぁ、私の槍は一本だけですかぁ? 心細いですねぇ。まぁ、無い物ねだりはよして、有る物でやりくりしましょう♪」

 

「あははは、では参ろうか」

 

 コゲンタは、最後にルークに剣を手渡しながら励ますよう言った。今は目の前の危機に集中しろと言っているだろう。

 

 ティア、ジェイド、コゲンタは、それぞれの武器を握り絞め、互いを見つめ頷き合う。

 

 ルークもまた、戦う事や誰かを傷付けるのを決意したか、出来るかは、ともかくとして。この場から外へ出る事には、どうにか決心し剣を腰に帯び直した。

 

 とその時、ジェイドは寝台で眠る戦友に向き直り……

 

「ではマルコ、しばしの御別れです。そちらへは、出来る限り遅く行く予定ですので、それまで皆の指揮は任せます。また、皆でてんやわんやの大騒ぎと洒落込みましょう。貴方は絶対に嫌がるでしょうが♪ ふふふ……」

 

 まるで友人と休日の予定を話し合う様な穏やかな口調と表情で、気安い敬礼をすると、もう一度ルーク達に

顔を見て微笑み頷くと、扉の取っ手に手をかけた。

 

 そして、一行はイオンを救い、タルタロスを脱出するために収監室を後にした。

 

 




 展開も筆も遅い拙作ですが、今後ともよろしくお願いします。
 今回のテーマについて下に書きました。小難しいので、読み飛ばして頂いても構いません。






 『殺す覚悟と殺される覚悟』について考えた回でした。
 原作中は勿論、様々な作品であまりにも簡単に語られてしまっている事柄なのですが、実際にはそう簡単にその『覚悟』には辿り着けないのではないでしょう。

 兵士や警察官だからといって、武器を手にして、使い方を覚えただけではその覚悟に至るとは思えません。
 大多数の兵士や警察官も、我々と変わらない普通の人なのですから、彼らも一定の教育と厳しい訓練を繰り返し、なおかつ、いくつかの実戦を乗り越えた上で辿り着けるものではないでしょうか?
 間違ってもルークのような状況ではありえないだろうと私は思います。

 そして、そもそも論になりますが、軍人が民間人を戦闘に参加させる事は重大な国際法違反で、指揮官は当然の事、その民間人も罪に問われる事を強調したいと思います。
 もちろん“そういう事”をする、考える人物が主人公側に登場しても構いません。しかし、それはその登場人物が物語中で、『目的のためなら手段を選ばない人間』という評価、批判をされるならの話です。
 間違っても『正しい』『優秀』『カッコイイ』と称賛されてはいけません。リアルな世界観をモットーとするアビスでは、“リアルな”法律とも道徳観とも矛盾しています。
 動機と結果は、手段や過程を正当化しないのです。

 皆さんはどう感じたでしょうか?

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