同時に繰り出された両者の突きが、ぶつかり合い砕けた微細な刃が火花となって飛び散る。
ルークは騎士の小剣を弾き飛ばし、がら空きとなった胴鎧めがけ右拳を繰り出し、上空へと突き上げた。
アルバート流『穿衝破』である。
ルークの拳に込められた音素と騎士の胴鎧の鋼鉄が、真正面からぶつかり合い、凄まじい衝撃音を響き渡る。
ルークの実力では、素手で鋼鉄の鎧を砕く事は出来ず、その表面を僅かに歪ませる程度に留まったが、騎士の動きを止め、その両脚を一瞬宙に浮かせる事に成功した。
転瞬、素早く一歩退いたルークの右足刀が、騎士の無防備なった腹部に打ち込まれた。
鎧兜を纏っているためかなりの重量であるはずの騎士の身体が軽々と吹き飛び、騎士は受け身も取れずに地面に叩き付けられた。
兜ごしでくぐもった騎士のうめき声が聞こえる。
いつもの稽古なら、ここで終わりだ。しかもルークは大抵の場合、ああして倒れている側で、これ以上先を考える必要はなかった。
しかし、残念ながらこれは師との楽しい剣の稽古ではない。
実戦……
『殺し合い』だ……。
斬られる前に斬り、殺られる前に殺るしかない。
ルークはつばを飲み込み震える脚を叱咤し、腕に力を込めて剣を構え直し、騎士に向かって、じりじり……とにじり寄っていく。
やっと?
いや、ついに?
あるいは、もう?
ルークの一足一刀の間合いに、倒れる騎士が入った。
入ってしまった。
僅かにだが、正常な呼吸を取り戻し、身体を起こしかけた騎士と眼が合った。
いや、正確には兜に隠れた騎士の眼も顔も、ルークには見えない。
しかし、確かに視線が交わっているのを感じる。
「……殺せ。さっさと」
舌打ちとも嘆息とも付かない間を置いて、騎士は事も無げに言う。
その冷淡な声に、ルークの手足が再び震え出す。
ルークの震えを目の当たりにした騎士は、刹那の思惟の後、法衣の裏に縫い付けた鞘から短剣を素早く引き抜き……
「馬鹿が……」
憐みとも、嘲りとも付かない呟きを吐き出すと共に、ルークめがけ何の躊躇いも無く突き出した。
その次の瞬間
青黒い小さな刃が、白い布地と白い肌を容赦なく切り裂く。
ルークの視界が、忌々しく恐ろしい赤色に染めた。
「あ……あぁ……」
あまりの事態に、ルークは言葉にならない声であえぐ事しか出来ない。
足に力が入らない。
情けなく尻餅を突いてしまうルーク。
血が……
血が出ている……
こんなに……
こんなに、たくさん血が出ている……
このままでは……
このままでは、死んでしまう……
殺されてしまう……
「ティ、ティア……? ティア……っ!!」
そう、ティアが……
ティアが
ティアが殺されてしまう。
彼女は、突如立ち上がり、立ち竦むルークを押し退ける様にして、ルークと騎士の間に割り込むと同時に、法衣の裏から引き抜いた短剣を騎士めがけ繰り出したのだ。
騎士の短剣は、ティアの左肘から肩まで真っ直ぐに走り、白い法衣の袖と彼女の柔らかな肌を切り裂いている。
一方、ティアの短剣は、騎士の兜と胴鎧の隙間を縫って、彼の喉元をざっくり……と穿った。
しかし、急所から僅かに外れているのか、彼を止める事はできないようだった。
騎士の硬い手甲に覆われた両掌が、ティアの華奢な両肩を鷲掴みにする。
苦痛への足掻きか?
あるいは、そのままティアを捻り潰し、道連れにしようというのだろうか?
ティアの左肩の傷口に騎士の指が捻じ込まれて、法衣がさらに赤く染まる。
「……っうぅっ!!」
ティアは傷口が広がるのも構わず、傷付いた左手を短剣を握る右手に添え、さらに力を込める。
騎士は声にならない声で呻きながら、ティアを突き飛ばすと、二歩、三歩と後退り仰向けに転倒した。
ティアは競り勝ったのだ。
しかし、ティアも突き飛ばされた拍子に左肩を地面に強打して、倒れ伏す。
「テっ、ティア! ティアっ!!」
ルークは取り落とした剣には目もくれず、すでに身体を起こすとしているティアに駆け寄る。
駆け寄ったものの……
どうすれば良いのか分からない。
自分に手当てができるわけでもない。
自分には何もできない……
ルークは、ティアの土と血で汚れた法衣と長い髪を見ながら、彼女へ伸ばしかけた手を止めた。
何故そこで手を止めてしまったのか彼自身にも分らなかった。理由はどうあれ、ティアを助ける事を躊躇った事に罪悪感のような物を抱くルーク。
「ルーク、下がって。わたしは、大丈夫っ……、だからっ……」
それなのに、ティアはそんな自分の心配してくれる。
「でっ、でも、ティア……」
ルークはますます罪悪感を強くしながら、もう一度ティアに手を伸ばす。
しかし、そんなルークのささやかな決意を踏みにじるように、黒い影が二人を覆った。
騎士が小剣を手に、ルークとティアを見下している。首筋から流れる血で法衣を染めながら、無言で見下ろしている。だが、眼は憎悪に燃えている。
そして、ゆっくりと小剣を高く掲げ、構えた。
ルークは、咄嗟に血で汚れるのも構わず、ティアに覆い被さる。
「! ルーク!? 駄目!」
ティアの悲痛な声が聞こえたが、ルークにはそんな事に構っている余裕はない。
すぐにやってくるであろう、痛み、衝撃に
あるいは『死』に……
耐えるべく、強く瞳を閉じ、歯を強く喰いしばった。
その瞬間だった。
ルーク達の頭上で何かが、小さな音を立てて破裂する。
見れば、騎士が顔を押さえて呻き、よろめく姿が見えた。
そして、かすかな香辛料のような刺激臭に気付く。
ルークは、その匂いにお覚えがあった。それは、チーグルの森で何度も危険を遠ざけてくれた物……コゲンタの臭い袋に違いなかった。
その瞬間、つむじ風と共に鈍い銀色の軌跡が奔り、未だ呻いている騎士の手甲の隙間を縫って突き刺さり、その手から小剣が零れ落ちた。騎士は破れた喉で絶叫を上げる。
鈍い青白い光を放つ反りを持つ薄い刀身、コゲンタのワキザシだ。
コゲンタは、地面に突き刺さった小剣を素早く掴み取り、半歩ほど間合いを取った。
次の瞬間、次々と鎧と帷子の隙間に、小剣の切先が激しい霧雨のように降り注いだ。そして、膝を折り体勢を崩す騎士の胴鎧に小剣を叩き付け、騎士を突き飛ばす。
その拍子に小剣の切先が、甲高い音を立てて砕け、孤を描いて飛んだ。
切先が地面に突き刺さると同時に、騎士は背中から崩れ伏した。
(勝負あった……たすかった……)
ルークは、これで終わったと思い、肩の力を抜いて安堵の息を漏らした。
その時だった。
コゲンタが素早くワキザシを引き抜き、倒れ伏す騎士めがけて振り下ろした。
「あっ!」
予想外の出来事に、思わず自分でも間抜けだと感じる声を上げてしまうルーク。
兜と甲冑の隙間からワキザシが抜かれた瞬間、鮮血がほとばしるのと同時に騎士の手足が、びくり……と一度だけ震えて動かなくなった。
もう……
動かなくなった……
コゲンタは、ワキザシを一振りして血を払うと、懐紙で刃を拭い静かに鞘に納める。
ルークからは、彼の顔が窺う事ができない。
この、自分の目の前で、人一人をなんの躊躇いも無く(ように見えた……)切り捨てた人物が、本当にルークの知るイシヤマ・コゲンタ、その人なのか、ルークにはいまいち自信が持てなかった。
「お、おっさん……?」
「ルーク殿! 無事か?!」
恐る恐るかけられたルークの声に振り返った顔は、ルークの予想に反して至って普通……いや、不安と心配に曇ってはいるが、ルークも見慣れてきた地味だが人の好い顔だった。
目の前で、人が一人死んだ事を、どうにか無理矢理に無視して、ルークは今度こそ一息ついた。
その時、そんなルークのティアを庇う両腕に、重さがのしかかる。
見れば、体勢を崩したティアが、ルークの腕にもたれ掛っている。
「ティア……!?」
見れば、ティアは脂汗を滲ませ、顔色は蒼白だった。形の良い眉を苦しげに歪めている。
そして、いつの間にか彼女の法衣の左袖は真っ赤に染まり、地面にも赤黒い染みを作っていた。
「ティア!! しっかりしろよ! おっさん、ティアが!」
ルークは狼狽して、叫んだ。
「ルー……ク? ごめんなさい。平気よ、このくらい……」
その呼び掛けに、目を覚ましたティアはルークから身体を離すが、それもつかの間……今度は、ルークの胸に顔をうずめるように気を失った。
「これは些か深手のようじゃ。すぐに止血を!」
コゲンタがすぐに駆け寄り、ティアの左腕の付け根をワキザシの下げ緒で縛り、
「よし、ルーク殿。ゆっくり寝かせよう」
と言った。
「あっ、う、うん! わかった」
ルークは自分が“らしくない”返事をした事など気付かずに、ティアの頭を支え、慎重に彼女を横たえる。ふと視界の端に真っ白な音素の優しげな光が見えた。見れば、イオンが決意を固めたような表情で、音素を練り上げながらこちらに近づいてくる。
「ティアは、ぼくが……。ダアト式譜術は、本来第七音素の素養のない者が、第七音素を行使するための術です。こういう時にこそ使うべき物です」
そう言いつつイオンは、杖で地面を叩き、足下に純白の布陣を描き出す。
「イオン!?」
「導師イオン、いかんっ!!」
ルークとコゲンタが、鋭く声を上げた。しかし、
「癒しの御手。『ホーリー・ヒール』!!」
二人が止める間もなく、イオンは譜陣を完成させ、譜術を発動させた。
無垢なる白から、優しき緑へ
イオンの音素が譜陣の導きに従って、その性質を変えてティアの傷口へと流れ込む。
するとみるみる内に出血が止まり、大きく裂けた傷口も徐々にふさがり始めた。そして、それに比例してイオンの顔色が青白くなっていき、譜陣も弱々しく明滅し始め、イオンが杖に縋り付くような体勢で膝を突くのと同時に消滅した。
そして、ティアの腕には傷がパックリと口を開けたままだった。
その時、
「ルーク! 無事か!?」
ガイが鬱蒼とした茂みを掻き分けて、ルークの下に駆け寄ってきた。
「ガッ、ガイ! ティアがっ! イオンがっ!」
ルークは半泣きのような声でガイの顔を見やる。しかし、その両手はティアをしっかりと抱いて離さない。
「落ち着けよ、ルーク」
ガイは穏やかに答えながらも、ティアの傷の状態を観察する。
「血は止まったようだが、すぐ縫合する必要がある。しかし、わしらでどこまでのことができるか……」
コゲンタのガイの視線に気が付いて、言った。
ガイは、ルークすら見た事のない険しい表情になった。
ルークは二人の顔を交互に見比べた。ルークはそこで二人が傷だらけである事にようやく気が付いた。
その時だった。
「皆さん! 私こと、ジェイド・カーティスが控えている事をお忘れではありませんか?」
ジェイドが茂みの中から、大股でこちらに近付いて来た。そして、手には一抱えはある鞄を持っている。
「私は(一応♪)医者です。ここまで治癒されているなら、なんとかできます! これですか? バギーの救急キットを拝借してきました♪」
爽やかに微笑んだジェイドは、イオンの前にしゃがみ込むと持っていた鞄を開けると、ガラス瓶に入った薬品やら医療器具を取り出し始めた。
「それにしても無茶をしましたね、イオン様。ティアさんが助かったとしても、イオン様になにかあったら、彼女の立つ瀬がありませんよ?」
「そう……ですね。そうです。思慮が足りませんでした。ぼくは、また……」
てきぱきと、応急処置の準備を進めながらも、イオンに気遣わしげな声と表情を向けつつも、彼の無茶を諌めるジェイド。
そんなジェイドの言葉に、イオンは身を縮めるように項垂れるが……
「ドンマイ、イオン様! つまずいても、そこからがスタートラインなんですよ」
などと言っている間に、医療道具を用意し終えたジェイドは、極薄の医療用手袋をはめた手を馴染ませる様に、軽やかにくねらせつつ微笑み続ける。
「ルークさん。御心配なのは解りますが、ティアさんをそのシートの上へ。その方が、より適切な処置を施し易いので♪」
「あ? あ、あぁ……」
ジェイドの言葉に、ルークはやっとの事で頷き、慣れない手つきで、しかし、慎重に優しくティアを医療用防水シートの上に横たえる。
「それでは……。っと、うふふふ……」
治療の為、法衣の袖を切り取ろうと鋏を持つジェイドの手元とティアの様子を、固唾をのんで見守るルーク達に、ジェイドは微苦笑と共に手を止め顔を上げ、口を開く。
「ルークさん♪ というか皆さん♪ 心配な気持ちが、ひしひし……と伝わってきますが、ティアさんが騎士である前に、女性である事をお忘れなく! そんなに、とっぷり……と見詰てはいけません♪ エチケット! エチケットですよ!」
おどけた口調のジェイド。しかし、眼差しだけは、何時になく真っ直ぐで強い光を宿している。
そんなジェイドの言葉に、ルーク達は互いの顔を見合わせ、はた……と“エチケット”に気が付き、慌てて揃って後ろを向いてティアから視線を逸らした。
こうしてティアの治療を終えたルーク達は、神託の盾達が使用したバギーを奪取……もとい元がマルクト軍の物だったのだから奪還して、マルクト軍の駐屯地があるという『セントビナー』にほど近い森の中に野営していた。
追っ手を警戒して火を焚くわけにはいかなかったが、辺りはティアが展開した結界の発する月明かりのような淡い光によって、近くの人間の顔を判別できる程度には、十分に明るかった。
イオンは譜術を使った為か、この場所に付いた途端、眠ってしまった。その隣ではイオンに寄り添うように、ミュウがリングを枕にして緊張感を削ぐ寝息を立てて眠っている。
このまま、イオンが「目を覚まさないのでは……」とルークは心配になったが、ジェイドとガイ、コゲンタは「心配ない……」と言うので。医療知識の無い彼には、ひとまず彼らの言葉を信用するしかなかった。
そして、その傍らで、ルークは大きな木に背を預けていた。隣には意識を取り戻したティアが同じように休息を取っている。
だが、ルークは彼女のすぐ隣に座る勇気はなく二人の間には、ひと一人分の間隔が開いていた……
静かだった。
静か過ぎて、ルークには辛かった。
「ティア……。腕、痛くないか?」
沈黙に耐えかねたルークは、包帯を巻かれ、三角巾で吊られたティアの腕を見る。
袖の切り取られた法衣の肩口が痛々しい。
「えぇ、熱もないし、もう大丈夫……」
淡く微笑むティア。
「そっか……」
ルークも微笑み返したが、何故か痛みに似た感覚を覚えた。彼は、本能的にこれは罪悪感だと気が付いて、目を逸らす。
二人の間に沈黙が流れる。
「えっと! じゃ、じゃあ脇腹、大丈夫か? 蹴られた……よな?」
沈黙に、あるいは罪悪感に耐えられなくなったルークは、早口で言った。
「えぇ、大丈夫よ……」
ティアは再び微笑んだ。
「そ、そっか……」
勢い込んだ物の言葉が続かないルーク。再び二人の間を沈黙が包む。
ルークは「何か話題は無いか……?」と、必死に黙考する。
「……ルーク」
「え? なに?」
自分を呼ぶ彼女の声に、ルークは思考の海から引き戻された。
「……ごめんなさい、ルーク」
「え? なに?」
ティアの突然の謝罪の言葉に、自分でも「マヌケ……」だと思いつつも、先ほどと同じ言葉で返してしまうルーク。
「また……。また、怖い思いをさせてしまったわ……」
目を伏せて沈痛な面持ちで、ティアは続けた。
ルークの頭には、疑問符ばかりが浮かんで考えがまとまらない。確かに、怖い思いをはしたにはしたが、ティアが自分に謝る意味が解からなかった。
「なに言ってんだよ……? ふつう、謝らなきゃなのは、オレのほうだろ? こういう場合。ケガしたのは、ティアなんだし……オレを……かばって……なんで……?」
自分で言っていて情けなくなったルークは、流れそうになる涙を必死に堪えた。
「わたしは軍人だもの……もっとも最初に“まだ一応”がつくけれど……、戦えない人や戦ってはいけない人を、貴方を護るのは当然の事だわ。それなのに……」
ティアは、そんなルークとよく似た表情をして言った。
「なんだよそれ……、なんだよそれっ! ワケわかんねぇよ!! だいたい、戦えないって……。オレが弱いって、ヤクに立たないって思ってるってコトなのかよ!? ティアは!!」
ルークは声を荒げた。それが、完全な“八つ当たり”だと解ってはいたが感情を止められなかった。
「ルーク……」
ティアは困惑した顔で言う。
ルークにはその瞳に光る物が見えた気がした。
「そ、その……ごめんティア。こんなコト、言うつもりじゃなかったんだ。なかったのに……」
それに気が付かない振りをして、むりやり笑顔を作ったルークは
「ちょっと、ガイたちの様子見てくるよ……」
と言うと、身体を伸ばす様に立ち上がり、ティアに背を向ける。
もちろん、ティアの事が嫌いになったという訳ではない。しかし何故か、今は、今だけは、彼女に「会わせる顔がない……」気がしたのだ。
「あっ、ルーク……」
ティアの声に後ろ髪を引かれるが、それを振り切ってルークは親友がいるであろう方向に、逃げ出すように駆け出した。
ガイとジェイド、そしてコゲンタ達は、ルーク達を三角形で囲む様にして寝ずの番に立ってくれているのだ。
そして、この方角にはガイがいるはずだった。
ガイは腕を組み背中を木の幹に預け、ゆったりとした姿勢で立っていた。
しかし、意識は腰のカタナと周囲に油断なく向けられている。屋敷では見た事の無い顔だ。
一瞬、声を掛けるのを躊躇ってしまうルーク。
「……ガイ?」
「ルーク? どうした、陣中見舞いか? 気持ちはありがたいが、俺の事はいいから休んどけ。あんな、きつい事が有ったんだ、眠れないのは分かるが……。こういう時こそ、休むんだ」
思い切って声を掛けてみたルークだったが、返ってきた言葉の優しさと先程までの表情の差に気圧されて言葉が続かない。
「あぁ、うん……。なぁ、ガイ……」
しかし、ルークはなんとか言葉をひねり出す。
「オレ……オレさ、屋敷の外が……外の世界が、こんなヤバイことになってたなんて知らなかった……」
「……あんな事が、日常茶飯事だと思われても困るんだがなぁ」
いかにも、苦笑すれば良いのか悲しめば良いのか「解らない……」といった、複雑な表情でガイは頬を掻く。
「でもまぁ、確かに街の中ならともかく、街の外での犯罪はずっと立証しにくいらしいしな。街道警備の兵隊がいるにはいるが、全てを洩れなく見張れるわけじゃない。最終的に自分の身を護るのは、自分自身しかいないって事になるよな……」
ガイは自分の知る“常識”を噛み砕いて説明する。
「じゃあ、それで、その……ガイは、えぇと……今までどれくらい人を……き、斬った?」
ルークは意を決して、かねてから考えていた質問を、あえて曖昧な言い回しでした。
「さぁなぁ……。あっちの軍人さんと、そっちの武歴数十年の先生よりは少ないだろうがなぁ……」
「こ、こわくないのかよ……?」
軽く首を傾げるガイ。
何でもない事の様に気安くも見える彼の仕草に、ルークは不安気にガイを見つめ直し問いかける。
一瞬、ルークの問いに、ガイは思惟を巡らせるが……
困った様に微苦笑を浮かべて続ける。
「怖いさ」
怒りや哀しみとも付かない、あるいはその全てを噛み締めるかの様に、ガイは静かに呟き、さらに続ける。
「怖いから戦うんだ。死にたくねぇからな。俺にはまだやる事が有る……!」
それは、決意の言葉だった。ルークにはそう思えた。
「やることって……?」
「……復讐……」
真っ直ぐに虚空を見つめ、静かに漏す。しかし、
「なんて、な。ふっ……」
と先程までの表情を打ち消すように微笑んだ。
「その辺ブラついて、ちょっと頭冷やしてくるわ」
ルークは頭を掻きながら、ガイに背を向けた。
「あまり遠くへは行くなよ」
ガイの気遣わしげな声に、後ろ手に軽く手を振るだけで応え、ルークは走り出した。
ガイの前から、どこか逃げるようにルークが向かった先には、ジェイドがいた。
「おや、どうしました? 思い詰めた顔をされて……なぁんて、少々白々しかったですねぇ♪ 昼間の戦いの事を考えていたのですね? 親しい人が目の前で大怪我をしたのです。思い詰めるのは当然ですよね♪」
彼は疲れなど微塵も見せず、いつもの調子で言った。
「なぁ……ジェイドは、どうして軍人になったんだ?」
ルークもなるべく平静を装って尋ねる。
「人を傷付けてしまうのが怖いですか?」
ジェイドは、穏やかだが真面目な表情で言った。
ルークは心を見透かされたような気分になって、声を詰まらせる。
「失礼、これも当然の事ですね♪ それに、質問に質問で返すのはマナー違反でした……」
形の良い眉を八の字にして、申し訳なさそうに眼鏡の位置を直しつつジェイドは続ける。
「よく勘違いされますが、『軍人』というものは『殺人鬼』でも『殺人機械』でもありません。命のやり取りが予想される作戦の前と後には、カウンセリングが義務付けられています。俗っぽい言い方をしますと、『殺人回路』のオン、オフをしているわけですね。これはキムラスカもダアトも同じなはずです」
ジェイドは何かの研究発表でもするな淡々とした口調で言う。
ルークも何かの授業でも受けているような気分だった。
「ですが……、それでも毎回、大勢の軍人が良心の呵責に耐えかねて、その職を辞していきます。人が人を殺すというのは“それほど”の事なのです……」
ジェイドの研究発表は淡々と続く。
そして、不意にルークを真っ直ぐに見つめ問い掛ける。
「だからルーク様。誰かに護られるという事は決して恥ではありませんよ。相手の善意や献身をあてにして護られるのが当然と勘違いする方が、よほど恥ずかしい。ルーク様はそんなお考えではないでしょう?」
その問いにルークは曖昧に頷いた。しかし、それは確かに本心からの物だった。
「そうですか、そうですか♪ であるならば、私ことジェイド・カーティスは、そんな風に悩んでくださるルーク様をお守りするために、できうる限りの事をすると誓いましょう♪」
ジェイドは芝居がかった動作と口調で朗々と宣言する。そして、
「さぁて、今日の所は考えるのはこれくらいにして、もうお休みになったらいかがですか?ご所望とあれば子守唄でも……♪」
と、これもまた芝居がかった動作で言った。
「アホか」
ルークは彼の厚意を丁重に断るとこれまた逃げるようにその場から立ち去る。なんだかはぐらかされたような気もしたが、励ましてくれているのは分かったので何も言わない事にした。
「誰かな?」
どこからかコゲンタの声が聞こえた。
「へっ……おっさん? どこだ?」
辺りを見回すルーク。
しかし、彼の姿は見えない。
「おぉ、ルーク殿であったか。ここだ、ここだ。あははは」
コゲンタは笑いながら、大きな茂みを掻き分けて出てきた。
「どうなされた? 眠れぬのかな?」
彼はもう傷の治療を済ませ、ズタボロになった着物を着換えており、戦いの痕跡は残していなかったが、僅かに傷薬が臭った。その匂いにすらルークの罪悪感は刺激される。
「あぁ……うん。そのぅ、えーとっなぁ……」
ルークは言い淀む。罪悪感のせいか頭が回らない。
「……おっさんは、今まで何人……人を倒した?」
ルークは、先程から考えていた事を尋ねる。
「ふぅむ。……左様、軍艦で五人。森で二人斬り捨てたゆえ、ちょうど四十人といった所かな? もっとも、剣術使いとして“廃人同然”に追いやった者は、もっと多いが……」
数瞬の思惟の後、出来るだけ遠回しな言い方で搾り出した質問に、事も無げに答えた。
その顔は、昔を懐かしんでいるようにも見えるし、悔やんでいるようにも見える。ルークには解らない。
その解らないという事が、自分がいくら背伸びをしても“子供”である事の証明のようで悔しい。悔しくてたまらない。
「恐ろしいかな?」
コゲンタは困ったように尋ねる。
「あ、いや……」
ルークは言いよどみ、視線を逸らした。恐ろしいのは確かだったが、恐ろしさよりも悔しさが先立った自分に、ルークはハッとした。
「それで良い。そうでなくてはいけない。ルーク殿には、わしの様な“悪人”になって貰っては困る」
コゲンタはそれでルークの心中を察したようだ。
「なぁ、おっさん。おっさんも預言をさぁ……」
ルークは言葉を絞り出しながら、すがる様な気持ちでコゲンタを仰ぎ見る。
「ん?」
「預言だよ、預言。師匠やおっさんは預言を信じてっから、あんな強いのか? オレも預言を信じれば強くなれんのかな? ってさ……」
ルークは、俯きながら一気に言った。そして、一度唾をのみ込みと
「ティアに護ってもらわずにすむくらいに……。ティアを守れるくらいに。……あんな風に強く。オラクルのヤツらもそうなんだろ?」
と一気に言った。
「ふぅむ……。いや、そう上手くもいくまい」
コゲンタは何処か途方にくれた様に天を仰ぎつつ、首を横に振った。
「だいいち……。こんな事を言っては、ローレライ教徒の方々に不興を買うかもしれぬがの……。わしは、預言を信じていない。というよも、“嫌”になっていると言うべきかな?」
コゲンタは腕をこまねいて首を傾げ、
「確かに預言によって救われた者もいよう。しかし、馬鹿な連中の行き過ぎた行為さえ“神聖な事”と正当化し、見過ごしてきたのも確か……実際、預言のためと人を殺す者を大勢見てきた」
と虚空を見ながら言う。ルークには声に少し怒りが籠ったように聞こえた。
しかし、それも束の間
「わしは、人が本当に拠り所にするべきは、己の良心だと思う。本当の神聖さ……『神様』というのは、人の良い行いにこそ宿る。日々の行いによって、人は良くもなれば悪くもなる」
ルークに笑い掛けるように言った。
「理不尽な暴力から友を守ろうとする行いは、何より神聖だ。ルーク殿はご自身のその健全さを信じなされ。そう、これからも、ここと……」
コゲンタは微笑みながら、ルークの額……頭を指差し、手を下へ……
「ここを信じての……あはは」
ルークの胸の前で、拳を握りしめて見せた。
「オレの良心?」
ルークは、コゲンタの言った事を頭の中で繰り返す。
しかし、いまいち彼が何を言いたいのか解らない。
「迷えば良い。悩めば良い。そうでなくてはいかん。選べる道は限られているのだからのう。しかし、迷うにも“力”が必要だ」
そんなルークを見ながら、一人頷きつつコゲンタは続ける。
「ルーク殿。明日から、わしと稽古をしよう」
「へ……?」
「一緒に強くなろう。しっかりと悩めるようにのぅ」
と、何処かイタズラっぽく笑うコゲンタに、ルークは呆気にとられる事しか出来なかった。
こうして夜は更けていく。
ルークの長い長い……長すぎる一日が、ようやく終わろうとする眠れない夜の事だった。
今回は違う話の寄せ集めと言う感じの回でしたね。
前半部分は、前の回で描かないといけない内容ですね。要修行です。
そして後半は、説教3連発でしたね。
まずジェイドのセリフは、現実の軍隊(特にアメリカ軍)の取り組みを調べて描きました。
ガイのセリフ、ほぼそのままですが、「…私怨が立証されない限り、罪には問われない…」という部分は変えました。なぜなら、これでは概ね行きずりの犯行である街道荒らしなどは、無罪放免という事になってしまいます。
(実際、江戸時代にはそういう犯罪は迷宮入りが、珍しくなかったようですが…。)
コゲンタのセリフは映画「キングダム・オブ・ヘブン」の1シーンで、修道騎士が主人公に語った言葉をオマージュし、そこに「テイルズオブシンフォニア」のコレットのセリフを混ぜてみました。
いかがでしたでしょうか? ご意見、ご指摘のほどよろしくお願いします。