時間は、ルークの超振動発生以前に遡る。
そこは、連絡船 キャッツベルトの幾つかある船倉の一つ。
戦闘用であるタルタロスや、カイツール軍港に停泊していた艦船に比べれば小型で天井は高くは無いが広さは中々の物だった。
その船倉の一角に、音素の光の格子で形作られた対譜術用の牢が置かれ臨時の留置場となっていた。
そして牢の四方には、希少金属に細密な譜陣と聖句を刻み込む事によって譜術耐性を高めた甲冑と、トランペットの様にも見える高速戦闘用の小型の譜業とで身を堅めた四人のキムラスカ軍の騎士が、不動の姿勢で陣取っている。
その牢の中央に置かれた寝台には一人の少女が、静かに寝息をたてている。僅かな照明と光の格子に照らされ、少女の豊かな桃色の髪と白い肌の美しさが、薄闇の中では一層際立っていた。
その姿だけなら、童話の中から飛び出してきたかのような少女だが……、彼女の名はアリエッタ。
無数の魔物を操り、キムラスカ王国のカイツール軍港を血と炎で赤く染めた『妖獣のアリエッタ』である。(彼女の言葉を信ずるならば、それを計画し彼女を差し向けたのは『鮮血のアッシュ』らしいが……)
そんな国際犯罪の重要参考人という肩書があまりにも似つかわしくない少女を拘束する船倉に、また似つかわしくない人物が現れた。
メシュティアリカ・グランツ……ティアであった。
マクガヴァン中将夫人から贈られた上質なローブは未だ輝くように白く、薄暗い船倉では余計に目く。
「貴女は確か……、何か御用かな?」
「導師イオンに命じられて参りました。導師は私に、彼女……かつて、導師守護役であった六神将アリエッタの診察をお命じになりました。お願い致します」
重装備であるのにも関わらず足音一つ立てずに歩み寄る隊長格らしき騎士に、ティアは深々と頭を下つつ彼女は頭を下げたまま自分の任務……
いや、ティア自身はもう神託の盾の騎士ではないつもりなのでイオンからの個人的な頼み事だと理解している事を告げる。
「診察?……でしたら、すでに我々の軍医が済ましておりますが?」
「あ、いえ……導師イオンもこちらの軍医殿を疑っておられるわけではありませんし、わたしも自分の治癒術が特別優れているとも思ってはいません。ただ導師は……」
兜で表情は見えないが騎士のいぶかしむような音を含んだ声に気が付いたティアは少し慌てて言い添える。
彼女の言葉に、騎士は少しの間、黙考した後一つ頷くと、
「……分かりました。しかし、私も立ち会わせて頂きます」
ティアを真っ直ぐに見て言った。任務への使命感を感じさせる眼差しだ。
「……でも、その、アリエッタ様は見た目は幼いとはいえ、女性ですので……」
「……失礼。では、牢へは本当に貴女だけでよろしいのですか? 我々はこのまま……いえ、後ろを向いておいた方が良いでしょうな? しかし、もしもの場合は……」
ティアの遠慮がちな“忠告”に、一瞬の狼狽の色を声に見せる騎士。
さすがに自分の浅慮に気が付いたようだ。ほとんど“ひっかけ”の様な言葉に、ティアは胸はで申し訳ない気持ちで一杯だ。
そして、気を取り直すように咳ばらいをすると、ティアを気遣うような言葉を続ける。
この騎士の言葉に、いくつかの別の意味が含まれている事に、ティアは気が付いていた。
まず一つは、本当にティアの身を案じる意味。これは猛獣の檻に、女性を一人で入れるのと同じ事なのだから、ひとかどの騎士ならば当然かもしれない。
二つ目は、もしアリエッタが暴れ出した場合、ティアは助ける事はできないし、必要ならば『巻き添え』にしても、対処するという意味。与えられた装備、課せられた任務からも解る通り、彼らとて『精鋭』と呼ばれても何ら可笑しくはないほどの騎士たちであろう。
しかし、ダアトの《六神将》の前では、名実ともに霞んでしまう。本来なら他人の心配などしている暇などないはずだ。
三つ目は、アリエッタを逃がすような行為をしようものなら、相応の対処は覚悟しろという警告だ。あまり気分は良くないが疑われて当然の状況だ。ティアも同じ立場なら、同じように考える。
「はい、それで構いません。お心遣い感謝いたします」
しかし、ティアはあえて二つ目と三つ目の意味には気付かないふりをして、柔らかな微笑みで騎士へ深々と頭を下げた。
嘘が苦手なティアだが複数の意味が含まれていたとしても、彼の気遣い自体は本物だと解るため自然な笑顔を作る事が出来た。
「……いえ、御気を付けて」
わずかに困惑を隠しきれない騎士を残し、ティアは光の格子をくぐり、音も無くゆっくりとアリエッタの下に歩み寄る。
彼女は寝台の横でしゃがむと、少女にかけられたシーツを丁寧にはがし、診察を始めた。
黒い法衣の前を開くと少女の細い身体のみぞおち辺りに丸く赤いアザ以外は傷一つない。おそらくヴァンが取り押さえる際に当て身でつけた痕だろう。
ティアはその傷痕を見て、安心した……というと語弊があるが、傷がこれだけという事はキムラスカの兵士に不当な“報復”などは受けていないという証拠だ。
アリエッタの傷跡を一撫でで消しつつ、あれだけの被害を受けても、理性的な対応をしてくれたカイツール軍港の兵士たちに、ティアは彼女の友人として感謝の念を強くするほかない。しかし、それと同時にある感情が自分の内に渦巻くのを感じる。
それは今回の軍港襲撃とルーク拉致の首謀者、であるらしい『鮮血のアッシュ』の事だった。
タルタロスで遭遇するまで、ティアには直接の面識はなかった。ダアトで節目節目に行われる閲兵式で見かけた程度を除けばだが(どの時も兜や鎖頭巾で顔を隠していて、顔は分からなかった)
特務師団は表向きの任務以外に、神託の盾騎士団でも表沙汰にはできない『特殊任務』も担うという性質上、師団長の彼を含むほとんどの団員の本名、顔は公表されていない。
彼らが名乗るとすれば、タルタロスでの戦闘のように“必ず殺す”相手への手向けくらいの物だろう。
ティアは、上司カンタビレが上級士官の会議で『鮮血のアッシュ』に対面した時に聞いた印象を思い出してみる。
『まったく、相変わらずいけ好かない目付きのガキだね。他人を見下すような事ばかり言いやがって! いつか、ぜってー“ヤキ”入れてやる』
と、かなり悪かった。今ならなんとなく理解できる気がしてしまうが……
噂によれば、彼は10歳になるかならないかで特務師団に入り、魔物や野盗の討伐で頭角を現し、わずか14歳の若さで師団長に上り詰めた人物だ。
治癒術が少し得意というだけの世間知らずの自分には分からない葛藤や軋轢があったのだろうとは、容易に想像できる。
しかし、それでもアリエッタの思いや軍港の人たちの命を踏みにじる行為を、許す気にはなれなかった。
ティアはそこで思考を中断した。今はアリエッタの診察に集中するべきだ。彼女は気を取り直すように、小さくため息をつくと、体内の音素を調べるための聖句を唱え始めた。
限られた時間ではあったが、できる限りの診察を終えたティアは、手早くアリエッタの衣服を整え、元通りにシーツをかけた。
「終わりました。お手数をお掛けしました」
「いえ、ご苦労様でした……」
騎士の敬礼に、習慣で返礼してしまったティアだったが、無事に診察を終えて船倉を後にした。
彼女はアリエッタの容態をイオンに分かり易く説明するための、思考を巡らしながら甲板へと出るための廊下を急ぐ。
と、甲板に続く階段の端に見知った人影を見つけた。あの中背痩身、二等辺三角形が幾つか集まったような衣服の輪郭は……
「イシヤマさん?」
奇妙なめぐり合わせで、この過酷な旅に傭兵として(正確には巻き込まれて?)同行してくれ、もう数度、死線を一緒に潜り抜けてくれた剣士、イシヤマ・コゲンタだった。
「いやぁ、ティア殿。診察は終わったかの?」
「はい、今しがた。……あの、わたしに何か?」
何故かバツが悪そうに、軍港で刈り揃えたごま塩頭を掻きつつ、笑いかけるコゲンタ。バツが悪いというのは分かったが、口調や雰囲気からは緊急性は感じられず、ティアは首を傾げるばかりだ。
「あぁ、いやな。心配になっての。」
「ありがとうございます」
「いやいや! あっ、いや。ティア殿の事ももちろん心配ではあったのだがのぅ。気になったのは、あの……娘、《妖獣のアリエッタ》の事なのだ」
コゲンタの口から吐き出されたのは、意外といえば意外な言葉だった。
無論ティアは、この老剣士が敵とはいえ、幼い少女の安否を一顧だにしないような人物ではないのは十分わかっている。ただ、コゲンタとアリエッタの間に接点らしい接点を、ティアには思い付かなかった。
だから、彼がわざわざ通路で待ちかまえてまで、アリエッタの安否を尋ねてくるのが不思議だったのだ。
しかし、イオンに伝えなくてはいけない事ではあるし、特に隠す事柄でもない。
「アリエッタ様なら心配ありません。今は麻酔で眠っていますが、それも適正量で問題ありません」
と、イオンへために考えた簡潔に説明する。
「そうか、ふぅむ……」
コゲンタは、その説明に明らかに物足りないといった顔をした。
「あの、イシヤマさん……」
簡潔にし過ぎて、怒らせてしまったのかとティアは、少し慌てて言い足そうと口を開きかけるが……
「あははは、すまぬすまぬ。こんな爺が孫でもおかしくない娘の事をそわそわと尋ねるのは、ちと怪しいの」
コゲンタはティアの様子を察したらしく、手を掲げて制した。表情はもういつもの笑顔に戻っていた。
「……いえ、そんな事は思っていません」
ティアは、顔を紅潮させて言った。妙な誤解をしたと思われたのが恥ずかしかった。
「聞けば、あの娘……ホドの生き残りらしいの。それゆえ気になった」
以前コゲンタが、何気なく自分がホドに住んでいたと話していた事を、ティアは今の今までその事を忘れていた。そこまで余裕をなくしていたのかと、自分が恥ずかしく感じる。
「ホドではティア殿のような髪と瞳の色をした者と、アリエッタのような髪と瞳の色をした者が多かった。話していなかったが、わしの妻もあの娘と同じ色の髪と瞳だった。……因むに前者は貴族に多かったのう」
コゲンタは、そんなティアに気付かず(知らぬふりをしたのか?)、言葉を続けた。
そして一瞬、有り得たかもしれない現在を見るような目をして(あるいは、過去の妻との日々を見たのかもしれない)、自嘲めいた笑みを浮かべ、
「わしの息子だか娘だかが、無事に生まれていたのなら、『あのような感じだったのではないか?』と考えたのだ。それで年甲斐もなく、一人でソワソワしておったというわけでの」
彼は首を横に振り、「古い芝居ではあるまいし……」と言った。
「そうだったんですか……。安心して下さい。アリエッタ様は、ローレライと始祖ユリアに誓って大丈夫です。罪も軽くなるように、兄が働きかけてくれます。」
ティアは無責任かもしれないと思ったが、少し力強く言った。コゲンタを安心させたかった。
「なるほど……いや、安心した。御心遣い感謝する」
コゲンタは、自嘲をいつもの笑顔に戻し、深々と頭を下げた。
ティアは、目の前のこの男に今まで以上に『親しみ』を覚える。彼がこんな弱みを見せるのは初めての事だったからだ。
自分の父に抱く感情というのは、あるい「こういう物かも……」とも思う。親代わりである祖父の事はもちろん尊敬していたし、好きだったが、やはり父親とは違うと感じていた。
だが、自分は彼の子供の代わりにはなれない。自分にそんな資格はない。それに、代わりが利く人間などこの世にいないのだから……。
彼の寂しさに寄り添えない自分が自分で嫌になる。
しかし、先程コゲンタが言った「……芝居……」という言葉に閃く物があった。
「イシヤマさん、実はわたし、時々お芝居の練習をしてるんです……」
ティアは弾んだ声になるように意識して言う。
「……ティア殿が? それは知らなかった……」
呆気に取られた顔をしてコゲンタは答える。話を急に変えてしまったからだろう。
「それでイシヤマさんにも、お手伝いをして頂きたいんです」
「芝居などもう五年は観ていないようなわしでも出来る事ならな」
珍しく明るい声で話すティアに、コゲンタはさっぱり要領がつかめず、首を傾げる。
「私は真面目なだけが取り柄の困った娘役、イシヤマさんはそれを見守る優しいお父様役で時々一緒にお芝居をして下さい」
ティアはわざと悪戯っぽく笑った。
そして、船は一路ケセドニアへと針路を取り進んでいく。
六神将は登場シーンが多いわりに描写が荒いように感じたので、描いてみました。それとも、多すぎて印象が薄くなってしまっているのでしょうか?
悪役というのは、出番が少なくても強烈な印象を残せなくてはいけないと思うのですが……、私も頑張ります。
何はともあれ、今回はアリエッタとアッシュの話でした。前者はコゲンタとの関係、後者はティアとの関係を描いてみました。
実は、アリエッタはコゲンタの生き別れの娘……
という70~80年代アニメ的設定はありませんのでご安心を(笑)。せっかく同じ街に住んでいたという設定ですので、何か関わりを持たせた方が良いだろうと思いまして。
アッシュに関しては、私の印象が入っています。これは『ヘイト』ですね。いけませんね、反省。
後半は、ティアとコゲンタの仲が少し深まる話でした。アビスは親と子、兄と妹、姉と弟というように家族の関係が多く描かれた物語だと思いますので、あやかって描いてみました。
もっとも、ルーク、ティアとコゲンタの関係は、まだまだ親子と呼べるようなものではないと思いますが、まず良き『仲間』『戦友』として描いていけたらと思います。