テイルズオブジアビスAverage   作:快傑あかマント

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第45話 光の王都バチカル 母の願い

 

 ルークが放った技は、風の音素を用いた譜術剣の奥義の一つともされる強力無比の一刀である。

 

 天を翔る龍の鋭き爪を想わせる、

 

 雷の譜術剣『襲爪雷斬』

 

 それが、この奥義の名だ。

 

 そんな強力な譜術剣をルークが繰り出せたのは、まさに偶然の偶然そのまた偶然の積み重ねである。周りに十二分に風の音素に満たされていた事。仲間達が先に繰り出した雷の譜術剣によって、落雷を起こしやすい『場所』が出来上がっていた事。標的が金属の塊で、さらに雷の譜術剣を何度も受けて落雷を導きやすくなっていた事、その他にも諸々の細かい条件が重なったからのだ。

 

 無論、それらを手繰り寄せたルークの『腕』も特筆すべき事だろう。

 

「これは驚きましたね。勿論、破壊される事も想定していました。しかしながら、それは“ジェイドに”でした。悔しいですが、思いがけず実に良いデータと教訓を得る事が出来ました……」

 

 驚いたという言葉とは裏腹に落ち着い表情でルークを見下ろすディスト。いやむしろ、その表情からは歓喜すら感じ怖気をルークは覚える。

 

「ふふふ……、不思議な事に、お互いにしっかり自己紹介し合っていませんでしたね? 私は『薔薇のディスト』。“とある”可能性を探求する美しき者……他にも名前はいくつか有りますが、まぁそれは良いでしょう。それで貴方は?」

 

 知ってるだろ! という文句が出そうになったが、

 

「オレはルーク……! 『ルーク・フォン・ファブレ』だ! 覚えとけっ!!」

 

 ルークは怖気を振り払う様に威勢よく吠える。

 

「ええ勿論ですよ、ルーク。以後お見知りおきを。ふふふ……」

 

 ルークの剣幕など何処吹く風で、いやに丁寧にお辞儀をしてみせるディスト。こうしていると、彼は気味が悪いほどジェイドと似ている。顔は全く似ておないのに……

 そんな彼は椅子にもたれ掛かると大儀そうな声で言ってから、すぐに身を乗り出すようにティアを見み、

 

「さて、残念ながら手持ちの手札が有りません、ここは引くとしましょう。ティアさん、またお会いしましょうね!」

 

 屈託のない満面の笑みで付け足すのを忘れない。いったいぜんたい、この痩身の中年男は彼女に何を期待しているのだろう? 少なくとも、その感情が決して邪な物ではない事は何となくだがルークにも理解できた。

 

「は、はぁ……」

 

 ティアはどう答えてよいか分からないという気持ちが、ありありと表れた顔で答える。律儀に返事をする事もないのに……。

 すると今度は、ジェイドを睨み付け指を差しつつ叫ぶディスト。しかし、よく叫ぶ男である。意外と肺活量が強いのかもしれない。

 

「カイザーディストを失ってはこれだけの人数の相手は骨が折れます。勝負は預けましたよっジェイド!!」

 

「そんな~水くさ~い♪ 遠慮せずに複雑骨折していってくださいよ~♪」

 

 歌い上げるように言う。この期に及んで、まだディストをからかうつもりの様だ。

 

「大佐ぁ、怖いですよ! 想像しちゃったじゃないですかっ! ディストがグネグネになって……!」

 

「貴女の思考も十分怖いですよっ!!」

 

 アニスがわざとらしく悲鳴を上げるが、ディストは負けじと悲鳴を上げ返す。彼の気持ちは解らなくもない。

 

「えぇい、あなたがたのようなお馬鹿さん達とは付き合っていられません。タルロウ、カム・ヒーアっ!! コラっ、いつまで寝てるんですか! 退却しますよっ!!」

 

 突然、視線を遮られたディストは露骨に顔をしかめると、懐から(小さな箱に線が繋がっているだけのように見える)伝声管を取り出すと、誰かを金切り声で呼びつけた。

 

『はいズラぁ! はいはいズラぁ!! とんずらズラ! とんずらするズラぁ!!』

 

 妙に甲高い大声が、焼け焦げたカイザーディストの残骸から響く。

 人が乗っていたのかと驚愕しゾッとするルーク。しかし、残骸を押しのけて奇妙な物体が飛び出してきた事に別の意味で驚愕した。

 

『ディストさま、逃げるんのなら海の中が一番安全ズラぁ! 海ん中なら、譜術はほとんど無効ズラ!』

 

 それは小さな機械人形だった。カイザーディストとは全く形は似ても似つかないが、同じ機械の人形である。

 

(それよりも喋っている!?)

 

 そんなルークをはじめとしたジェイド以外の一行の疑問をよそに機械人形《タルロウ》はディストを椅子から引きずり下ろし甲板に強かに叩きつけられた。見た目に反して怪力のようだ。

 

「いっ痛い! いや私、いま酸素ボンベを持っていな……、痛っ?!」

 

『早くするズラ殺されちまうズラ!!』

 

 ディストの対抗虚しく、彼は船べりへと引きずられていく。そしてタルロウが、《タルロウ・サブマリンモード》と叫び、ディスト共々海に飛び込んだ。

 

「助けっ……殺されっゴボッ! ゴボゴボ! ジェイ……ッ、助けっ! ゴボゴボゴボボっ……!!」

 

 途切れ々の断末魔……いや悲鳴を残して、ディストは海中へと沈んでいく。彼の命の灯が消えてしまったかどうかは分からない。いや考えたくない。そして、彼の姿は完全に海の紺碧へと消えた。

 

 さらば、ディスト。さらば、六神将『バラバラのディスト』……じゃなくて、六神将『死神 ディスト』。

 

 

 

 着いた所は巨大な港。

 貿易港ケセドニアよりも広いという事が一目でわかる程である。停泊しているのは軍艦はもちろん、大小さまざまな実用的な貨物船、貨客船。優雅な装飾が施された客船。富裕層の持ち物と思しき帆船。

 そして、漁船らしい船はルークの乗る船からは見当たらない。港の用途が違うためなのか、もっと遠くに泊められているかは分からないが、とにかく巨大な港なのだ。

 

(ここがバチカル……?)

 

 正確には、いくつかある出入口の一つなのだが、そんな事を知る由もないルークはなんとか見覚えのある物は探す。

 

(当り前? だけど……、知らない所だな)

 

 当り前だ。 ルークは屋敷から一歩も外へ出た事がないのだから、故郷の実感などあるはずがない。ファブレ公爵邸は、無数の階層を積み重ねた縦長の街であるバチカルの最上階に位置する所にあるし、屋敷は高い壁に囲まれているため、街並みを屋敷を眺める事などできなかったのだ。

 

 何かの物語のように泣きはしないまでも、何か『感じる』物があると思っていたルークが、感じたのは

 

(ホントに、オレの居場所なのか……?)

 

 という疑問だ。旅の途中の街で感じた戸惑いのような感覚とさほど変わらない物だった。

 

 そんなルークを他所に一行は下船し、今はいつもの回りくどいおべんちゃらをイオンに聞かせる『儀式』が執り行われている。未だに慣れない。「メンドくせっ……!」と思ってしまうルーク。イオンの微笑にも、自分と同じような感情を感じるのは気のせいではないはずだ。

 

 そんな事を考えていると、ブーメランのような珍妙な髭をたくわえた厳つい軍人風の男が、

 

「ルーク様、ご無事でなによりでございます。インゴベルト陛下はもちろん、ナタリア殿下、ファブレ公爵、シュザンヌ様皆さまがた、お喜びになる事でしょう。私ども臣民一同も大変ご心配申し上げてもおりました」

 

 おべんちゃらの矛先を、ルークに向けてきたではないか。嫌だと感じるよりも先に、よくあんな長いセリフを舌を噛まずに言えるものだと感心した。厳つい見た目に反して器用なのかと思いながら、「あぁ、どうもね」と頷いて返す。

 

 しかしである。いつも鉄面皮の父やほとんど会った事がない伯父や臣民という人々がどれほど心配しているのか甚だ疑問だが、ナタリアと母には心配をかけた事を謝りたかった。(実の父や伯父が悪人だとは思わないが……)

 

「それでは此処からは、ジョゼット・セシル少将がご案内いたします。頼むぞ、セシル少将」

 

 髭の将軍の巨体の影から出てくるようにセシル少将が現れた。

 

「はっ、ジョゼット・セシルにございます。しばしの間でございますが、導師イオンならびにルーク様そして使節団の皆さまのお供をさせていただきます」

 

 無駄のない所作で敬礼するセシル少将。ルークはやっと現れた見知った人物に、ホッとした気がした。

 

 彼女、ジョゼット・セシルは、王国軍元帥でもある父の部下で秘書(具体的に何をするのか分からないが)のような仕事をしているらしく、よく屋敷にも訪ねてきているのだ。

 彼女は母 シュザンヌとも仲が良く、シュザンヌの体調の良い日はお茶会をするほどなのだ。……というより、シュザンヌが一方的にセシル少将を気に入り、なにかと気に掛け『姉妹』のように接し、毎回のようにセシル少将が気の毒なほど凄まじく恐縮するというのが常だった。

 

 その時の顔や仕草を考え思い出してみると、容姿や雰囲気はともかくセシル少将はティアに似ているかもしれない。そんな益体もない事を考えながら、ルークは何の気なしにティアがいるであろう後ろを笑いをこらえながら振り返る。

 

 しかし、ティアの姿は見当たらない。

 

 何故か“嫌な予感”に胸を突かれ、彼女を探して周囲へ慌てて走らせる。ルークは、彼女をすぐに見つける事が出来たのだが……

 

 ティアは数人の帯剣した軍人風の男達に取り囲まれているではないか。彼女は毅然とした態度で彼らと何事か言葉を交わし、頷いている。そして、そんな彼女をどこかへ連れ去るかのように、その広くない背中を押す。

 

 その瞬間、ルークの怒りが爆発した。

 

「なんだっ! なんなんだっお前ら! ティアから離れろっ!!」 

 

 剣術のそれである素早い動きで、ティアを庇うように騎士達の前に躍り出るルーク。その利き手は、すでに剣の柄にかかっている。

 騎士たちは突然の事態で咄嗟に身構えるが、相手は王位継承者である。その顔には困惑と躊躇い、僅かな恐怖に染まっている。

 

「ルーク様っ! 落ち着いて下さい。どうか、落ち着いて……」

 

「でもっ……!」

 

 いきり立つルークの前に回り込み、丁重な言葉でルークを諫めるティア。先程とは立場が逆になった。

 

 大勢の人の目があるとはいえ、他人行儀なティアの口調に寂しさと苛立ちを覚えたルークは彼女を押しのけようとすると、ガイとコゲンタに両肩を掴まれた。

 ガイとコゲンタは何事かを口々にルークに語り掛けるが、今の彼には彼らの言葉を聞いている余裕はない。

 

「ルーク様。彼女……メシュティアリカ・グランツ嬢には現在、『ルーク様誘拐』の実行犯として嫌疑をかけられています」

 

 事実のみ伝えるといった体で、セシル少将が説明を始めた。

 

「なっ!? なんでそんなコトになってんだ!? んなワケないだろ。だったら、ここまで連れ帰ったりしねぇよ! だいたい『シュハン』は誰だっ!?」

 

「上層部は、彼女の兄君ヴァン・グランツ殿が主犯……発案者だと考えています」

 

「ますますあり得ねぇ! ヴァン師匠がそんな事するはずねぇだろ!!」

 

 あまりの“言掛り”に苛立ちを隠さずまくし立てるルークに、やはり冷静沈着にセシル少将は続ける。

 

「彼女とグランツ謡将の事をよく知っておられるルーク様がおっしゃるのなら、恐らくあり得ないのでしょう。しかし、大勢の他人を納得させるには『然るべき報告』を造る必要がございます。それにはグランツ嬢の協力が不可欠……、まずは話を伺いたいのです。決して不当な扱いは致しません。キムラスカ王国軍の名誉に誓って。」

 

 深々と頭を下げるセシル少将

 

「……ご理解いただけますね」

 

「お、おう。じゃなくて、ティア?」

 

「大丈夫、安心し……ご安心ください、ルーク様。言わば、これは私の務め……、務めは果たさなくてはいけません。ご心配頂きありがとうございます」

 

「………そっか、分かったよ。悪りぃ、ムダに騒いだ」

 

 ティアのいつもの静かな口調にやはり寂しさを覚えるが、冷静を取り戻したルークは頭を掻きつつ、兵士たちに曖昧に頭をさげる。

 

「い、いえ、ご心配はごもっともです」

 

 王族に頭を下げさせてしまった事に戦々恐々として固まる兵士たちにに換わってセシル少将は敬礼し、彼らに向き直り、

 

「聞いた通りだ。くれぐれも頼んだぞ」

 

 少し口調を強めて言った。兵士たちは「はっ」と手短に答えて、ティアを伴ってその場から歩み去る。

 

 ルークは目でティアの背中を追っていたが、

 

「よく我慢したな、ルーク」

 

 というガイの小声に気が付き諦めた。これ以上は「カッコわりぃ……」気がしたのだ。

 

「あぁ、今はイオンを伯父上の所に連れて行かないといけないからな……」

 

 ルークはゆっくりと彼らの手を押しのけると努めて冷静に答えた。それにコゲンタが微笑んで答えてくれた事が嬉しかった。

 

 

 

 

 その日の夜の事である。ティアはあてがわれた(軟禁されている)部屋で、椅子に腰かけたまま物思いにふけっていた。もちろん今後の事についてである。

 

 今回の失態で、直属の上司であるカンタビレにも累が及ばないか?

 

 そして、兄の事。ヴァンもまた「公爵子息誘拐」の容疑者なのである。昼間の尋問で弁明はしたが、状況証拠だけなら、自分でも疑いたくなる。どこまで自分と兄の証言が信用されただろうか?

 

 そして何よりルークの事が心配だった。自分と兄の事で無茶をしないだろうか? 彼の今後の待遇が悪くなるような事はないだろうか?

 

 控えめなノックの音がひびいたのは、そんな答えのでない考えを何度か繰り返していたその時であった。

 

「ミス……? ミス・グランツ? お休みのところ申し訳ありません。あの……その……」

 

 続いて聞こえてきたのが、この部屋にティアを案内し、見張りとしてこの部屋の前に立っていた青年騎士の声だ。彼以外の気配も感じる。彼の背後にもう一人誰かがいるようだ。

 

「お客様が……、面会を希望されている方が……ですね。その……」 

 

 何故か歯切れの悪い騎士に、ティアは首を捻るりながら、

 

「どうぞ、お入り頂き下さい……」

 

 と答えたものの、そんな事を言える立場ではないのに気が付いたが、事を円滑に進めるため気にしない事にした。

 

「夜分遅く申し訳ない」

 

「いえ……」

 

 開かれた扉から聞こえてきたのは、女性の声だった。そして、入ってきたのは仕立ての良いマントを着込んでフードで顔を隠している。落ち着いた声音から想像するに、比較的に位の高い軍人だろう。

 

「とある高貴なお方からの『頼み事』でね。今からご同行願えるかな。グランツ嬢」

 

「了解しました。……あ、い、いえ、その……」

 

 その喋り方がかつての師に似ているので、少し気後れして敬礼して即答してしまったが、今の自分の立場を思い出し慌てて訂正する。

 

「わたしは今、ここに“拘留”された身です。わたしには、それを決める権利は無いかと」

 

「なるほど、貴女は見た目通りの人物のようだ。そういう事に関しては安心して欲しい。すでに諸々の許可は取っている。もっとも、国王陛下や公爵閣下には内緒の話だから、こんな格好をしている」

 

 彼女は微笑みながら、フードを脱いでみせた。フードの下から現れた顔はティアも最近会った事のある人物、ジョゼット・セシル少将だった。港で出会った時、ルークを諫めてくれた事を思い出し、ホッとしたが、すぐに別の事に気が付いた。

 

 インゴベルト陛下はもちろんクリムゾン公爵にも許可は取っていないというのだ。さらに、一国の国王と元帥の目をかいくぐり“無茶”を通せる程の権力を持った人物が、自分を呼んでいる……安心などできるはずも無い。

 

「失礼を承知で御伺いします。それは……その『頼み事』とは、ルーク様を含めて、このキムラスカ王国に不利益をもたらす物ですか?」

 

「正直、王国に対してはどうなのかは私にも今は解らない。しかし、まさに『頼み事』というのは、そのルーク様の事についての『頼み事』だ。これ以上は、御本人から続きを聞いてほしいと思うが……むしの良い話だが。しかし大丈夫、私といれば逃亡罪には問われないよ。というより何もさせないさ」

 

 すこし悪戯っぽく微笑むセシル少将に、ティアはぎこちなく微笑み返し、

 

「……分かりました。ご一緒させて頂きます」

 

 と頷いた。頭の中では警鐘が鳴り響いていたが、ルークの事とあれば黙っていられない。もちろん、今のティアに選択肢などないのだが……

 

 

 最低限の身だしなみを整えたティアは、セシル少将に続いて騎士団の詰め所を目立たぬよう裏口から出る。そこには馬車が一代、暗闇の中に待機していた。

 馬車は大きくも無ければ小さくも無い、古くも無ければ新しくも無く、これといった特徴も無いありふれた造りの馬車である。もしも通りすがりに見かけたとしても気にも止めないことであろう。(こんな場所に停められていなければだが……)

 

 裏門に面した通りは、多くの背の高い建物に遮られ星明りすら届かず、夜の闇をさらに暗く深い物に換えていた。セシル少将の持つランプが無ければ、真っ直ぐ歩く事すらままならない事であろう。

 

 それにしても、わざわざこの様な場所に馬車を停め、騎士団に黙って言いなりにさせるという事は、セシル少将の言う『御方』は、やはり余程の身分の人物のようだ。(反比例して自由が利かないため、こんなに回りくどい事になるのだろう。)

 そんな『御方』の“頼み事”だ。かなりの厄介事であろう(推定無罪とはいえ、犯罪被疑者のティアを使おうというのだから)。

 

 馬車に揺られ昇降機の低い音を聞く事、数十分。ティアを乗せた馬車は、とある宿屋の裏口に止まった。宿屋といっても、それは彼女が今まで利用してきた庶民的なものではなく、かなり豪華な物だった。煌びやかでありながら風雅さも感じさせ、決して悪趣味ではない。高級宿屋と思って間違いないだろう。

 

 馬車は玄関ではなく、建物の裏に回った。セシル少将によれば、勝手口を使うとの事だったが、その勝手口も質素だが、かなりしっかりとした造りで先程までいた詰め所より余程立派だった。

 

 そして、勝手口をくぐる。すると、

 

「お待ちしておりました。どうぞこちらへ」

 

 一人の老紳士が二人を迎えた。服装からして、この宿屋の執事か支配人だろう。二人は執事に案内されて、やはり趣味の良い廊下を進んでいく。

 

 ティアは、執事の洗練された所作を見て、ここは高貴な身分の方々が『密会』などに使われる場所なのだろうと推測し、さすがに恐怖を感じ始めた。

 

 理由はどうあれ、自分は国王の命令で公爵邸に匿われていた国の重要人物(ルーク)を外に連れ出してしまったのだ。公爵をはじめ、警備を担う『白光騎士団』の面子を潰してたのである。全員が何らかの咎めを受けるかもしれない。そんな彼らが自分を許すだろうか?

 

 と考えた所で、「こちらでお待ちかねです」と執事が一つの扉の前で立ち止まった。

 

「呼び出したこちらが言うのもなんだが、無礼のないようにお願いする。お身体も丈夫ではないお方だから、刺激になるような言動は控えて欲しい」

 

「了解……あっ、いえ、はい、大丈夫です」

 

 セシルの口調に、習慣で即答してしまったが、まだ心の準備はできていなかった。

 

 セシル少将は、ティアの微妙な返事に怪訝な顔をしたが、執事に頷いて見せた。

 

 執事は品よくノックし、

 

「セシル様がお戻りになられました」

 

 と扉の向こうへ告げた。すると「お入りいただこう」という男の声がし、分厚い地獄の門が……いや、部屋の扉が開かれた。

 

 扉が開かれた瞬間、ティアの反応は早かった。部屋の中に見えた人影に向かって無駄のない所作で跪き、深々と頭を下げ、

 

「此度の騒動の事、深くお詫びいたします。“命ばかりは”などと申しません。この命いかようにも……」

 

 一世一代の謝罪の言葉を口にした。

 

「おぉ!?」

 

 目の前の人影が驚きの声を上げた。

 

 ティアはふと、この男の声は聞き覚えがある思ったが「そんなのは後!」と、さらに言葉を続けようとした時……

 

「もっと取り澄ました凛々しい感じの子かと思ったのだけれど、とっても面白い子だったのね。ルークに少し似ているわ。うふふ」

 

「左様でござる。苦しい時でもティア殿と話すと気がほぐれましての。拙者はもちろんの事、ルーク様も何度もそれに助けられたと存じます」

 

「まぁ、うふふふ」

 

 という男女の和やかな会話に遮られた。淑女というのに相応しい穏やかな女性の声はともかく、もう一人の男性の声は聞き覚えどころか、なじみ深い人の声である事に気が付いて、ティアは慌ててバッと顔を上げた。

 

「やぁやぁ、ティア殿。港での悶着の時はどうなるかと思ったが、意外と早く会えたの。あはは」

 

 そう、それは頼りなさそうでいて頼もしい旅の道連れ、イシヤマ・コゲンタであった。ティアは意外な人物とのあっけない再会に呆気に取られ紡ぐべき言葉が出てこず、ぱくぱくと口を開けたり閉じたりすることしか出来ない。

 

「どうぞ、お立ちになって。とって食べちゃったりしないから」

 

 という女性の優しげな声に頷いたコゲンタが、微笑んで「掴まりなさい」というように手を伸ばしてくれた。

 

「えっと……。イシヤマさんは、何故こちらに?」

 

 ティアはコゲンタの手を丁重に断ると、一人で立ち上がると思わず尋ねてしまった。「いけないっ……!」と女性の顔を見たが、彼女は気にせず微笑んでいる。本来ならば、この場の“主”である人物を無視してしまうのは無礼な

事だ。一目で高貴な人物だと解る女性だが、見た目通り細かい事は気にしない鷹揚な方でもあるらしい。

 

「いやなに、城下で道場を構えておる剣の師匠の所に顔を見せておったら、そちらのセシル少将殿が訪ねて来なすっての。あとは、ティア殿と同じだと思うが……まぁ、そんなこんなで『今に至る』って話だ。あははは」

 

 カラカラと屈託なく笑うコゲンタに、「突然の訪問、申し訳なかった」と苦笑するセシル少将。

 

「積もる話もあるでしょうけど、本題に移らさせていただきますわね?」

 

 奥の女性が先程と変わらぬ鷹揚な口調で言った。「よろしい?」というように、こちらに小首を傾げてみせる。

 

「私は『シュザンヌ・フォン・ファブレ』。お二人もよく知っているルーク・フォン・ファブレの母です。お二人とも、マルクト帝国に迷い込んでしまったルークを助けて下さったそうですね? ありがとうございました。改めてお礼を言わせて頂きますわ」

 

「いえ、むしろ、わたしの方がルーク……様に守っていただいた始末で、面目次第もございません」

 

「ふふふ、ルークは男の子ですもの。女の子を守るために戦うのは当たり前だわ。いいえ、『先陣公爵クリムゾン・ファブレ』の御子ですもの、むしろそうでなくては困りますわ」

 

 シュザンヌのまるで恋する少女のように頬を染めた微笑みに、ティアの謝罪は打ち消されてしまった。

 

 目を白黒させるティアに、シュザンヌは再び鷹揚に微笑むと頷いてみせた。この淑女は少女のような想いと『大貴族の妻』『国王の妹』という矜持を併せ持っているようだ。流石『ルークのお母さん』、一筋縄ではいかない『面白い人』である。

 

「あら、イヤね。私ったら話が逸れてしまったわ。お二人を呼んだのは他でもありません。再びルークと旅に出て欲しいのです」

 

 シュザンヌは照れたように苦笑すると、すぐに顔を引き締めて言った言葉は不可解な物だった。

 

「……旅を?」

 

「『再び』でございまするか?」

 

 コゲンタとティアは、当然の疑問を口にした。ルークが再び旅をしなければならない?

 

 何故? 何処へ? 帰ったばかりなのに? という疑問がティアの脳裏に次々と浮かぶ。

 

「本日、インゴベルト陛下は導師イオンの仲裁によりマルクト帝国との和平を結ぶ事をご決断され、そして国王名代……つまり、親善大使としてルーク・フォン・ファブレ様をご指名された。ルーク様は準備ができ次第、すぐ鉱山都市『アグゼリュス』へと赴く事に決まった。」

 

 シュザンヌから引き継ぐセシル少将から告げられる事実も、ティアの疑問を消してくれないどころか、更なる疑問を押し付けてきた。

 

 セシル少将は、ティアの困惑に気が付いているようであったが、それでも言葉を続ける。

 

「これは現在、住民に原因不明の健康被害が続出しているアグゼリュスへ、人道支援という面も含まれている。マルクト側のルートは土砂崩れで使用不能らしいからだが……」

 

 それなら尚更、ルークの行う事ではない。ティアには何故そんな話が出てきたのかも分からなかった。頭がすっかり混乱している。

 

「驚いたでしょう? ルークはそういうお勉強はまだまだこれからでしたから、あり得ない事なのよ。もちろん、本当にただの『親善』なら、今のルークになら太鼓判を押せちゃうんですけど。あら、親バカかしら?」

 

 シュザンヌの言う通り、『シャイで意地っ張り』な部分さえ理解すれば、真の『親善』ならルークは適任だろう。

 

 しかしである……

 

「それで、何故わたしやイシヤマさんなのですか? ルーク様の護衛であれば、例えばこちらのセシル少将や白光騎士団の皆さんの方が良いのでは? ルーク様も顔なじみの方々の方が良いでしょうし。そのほかにも色々な事を考えれば……」

 

 『親善』大使とはいっても、その実は『外交』である。ただの王様のお使いではない。王の代理、国の顔でなけらばならないのだ。それは立派でなけれならない。小さな子供、世の中や政治に疎い者が見ても『立派だな』と理解できるようにである。それが自分の国の人物ならば

 

『こんな立派な人のために働けるなんて安心だ。がんばろう』

 

 と敬意と安定が得られる。

 そして、それが他国の人物ならば

 

『こんな立派な人を寄こすって事は、向こうの国の王様もこっちを信頼してくれているんだ。仲良くできるかもしれない』

 

 と敬意と信頼が得られる。要するに、物事には見た目も重要なのだ。

 

 王侯貴族は贅沢がしたいだけの成金趣味の集まりだと、勘違いしている者は王侯貴族自身にすらいるが、簡単に言えばこういう事なのである。

 もちろん、ルークが立派ではないと、ティアは思っているわけではない。この場合、ルークが持つ『次期国王』の肩書きに相応しい『お供』が必要なのである。コゲンタも貶めるつもりはないが、彼は市井の老剣士で、自分は音律士くずれの小娘である。まったく釣り合わない。

 それなのに公爵夫人みずから、密会の真似事までして平民に親善大使の護衛を頼もうというのだ。よほどの事情なのだろう。

 

 シュザンヌは、ティアの疑問にすぐには答えず沈痛な面持ちになる。彼女も国王の妹として言葉を選びかねているのだ。「私が答えよう」とセシルが再び口を開いた。

 

「君の言う通り、白光騎士団をはじめ大勢の騎士たちが志願した。もちろん私の部下からも……」

 

 当然だろう。立身出世を望む者なら、いや、そうでなくとも事実上の次期国王の護衛である騎士としてとてつもない名誉なのだから

 

「しかし、公爵閣下……いや、国王陛下御自らがすべてを却下された。先遣隊として赴くヴァン・グランツ謡将と、マルクト側の大使であるジェイド・カーティスは含まれないから、事実上、使用人のガイ・セシル殿だけという事になる。おそらくこれも『預言』のための措置なのだろう……」

 

 いくら何でも異常だ。国王たちはルークの謀殺しようとしていると考えた方が自然なくらいほどに。

 

「ルーク殿お一人で事を成さねばならぬという類の預言? もしくは護衛がいらぬほどの良い預言なのか? それとも、考えたくはないが、なりふり構わず護衛をつけるのもためらうほどの預言という事ですかな?」

 

 啞然としているティアの代わりに、それまで黙っていたコゲンタが答えた。

 

「肝心な部分が欠けていて分からなかったのです。なのに、兄上も、クリムゾン様も何を考えておられるのか?!」

 

 それまで余裕を保っていた夫人が、夫と兄を感情的に批判した。しかし夫人はすぐに恥じるように、顔を片手で覆うと、

 

「何の権限もない私にはお二人に頼るしかないのです。情に訴えるようで卑劣に感じるでしょうが……、ルークを守って……!」

 

 ティア達にすがる様に弱々しく続けた。

 

「シュザンヌ様……」

 

「仔細承りもうした。この仕事、慎んでお受けいたす。尋常ならざる事情がござるようですが、拙者には関わりのない事。ルーク様をお守りするだけでござる」

 

 夫人の我を忘れるほどの懇願に胸を突かれ、言葉を詰まらせるティアを他所に、コゲンタは近所にお使いでも頼まれたような調子で笑い、頼みを了承した。

 

「わたしは……」

 

 他ならぬルークの命がかかった事であるのにもかかわらず、背後に見え隠れする『何か』が気になって即答できないティア。彼女はそんな自分に嫌気が差す。

 その時、彼女の脳裏に浮かんだのはタルタロスから脱出し、しばらくして追っ手と戦った時の事だ。あの時、ルークが割って入ってくれなければ自分は今ここにいないはずだ。

 

「わたしもお引き受けいたします。わたしが、いま生きているのは、ルーク様のおかげ……」

 

 ティアは素直な想いを口にしていく。今は言葉を選んでしまうと、心を曇らせてしまう気がする。譜歌を謳う時のように真摯に言葉を紡ぐだけだ。

 

「もうわたしの力と身体は、ルーク様の物です。勝手に思っているだけですが……。でもルーク様を守りたい気持ちに偽りも躊躇いもありません」

 

 一度はローレライ教団(いや、この場合むしろ兄に)忠誠を誓った身の自分の変わり身の早さに自己嫌悪を感じたティアだったが、そんな事はルークの安全に比べれば些細な事だ。

 

 彼女の周りが一瞬沈黙が流れた。三人とも呆気に取られたような表情をしている。しかし、シュザンヌはすぐに顔をほころばせ、

 

「ありがとう、ティアさん。貴女のような子がルークのそばにいてくれたなんて嬉しいわ。それにね、私って欲張りだからナタリア一人では……と思っていた所なの。兄上のように一人の方をずっとというのも素敵だけど、問題もあるものね」

 

 身を乗り出して、ティアの手を強く握りしめる。

 

「は……? はぁ、そうなのですか……?」

 

 しかし、彼女は何故自分にそんな事を云うのか、ナタリア殿下が出てくるのか分からないという顔で生返事でしか返せず、そして、コゲンタが、夫人の後ろ隣で苦笑を受かべている事もさっぱり分からないティア。何かおかしい事を言っただろうか?

 

 旅の終わりもつかの間、公爵夫人のルーク護衛の依頼を受けたティアとコゲンタのルークを護るための新たなる旅がまたしても再び始まる。

 

 




 毎回、更新が遅くなりすみません。今回はディストが可哀想な回でしたね。しかし、死んではいませんのでご安心下さい。

 そして、中盤からは原作の面影がないほど変更しました。原作では何故あの少人数でいくのかという理由が弱いのと、ティアの責任を清算させるという事を同時に解決させようとああいう形になりました。如何だったでしょうか?

 最後にナタリアの出番がなくなってしまったのが、一番の泣き所です。残念ながら、まだ先になりそうです。ファンの皆さん申し訳ありません。

 

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