1.坂の上で
向江ケンゴは控えめに言って、どうしようもない人間だった。別に誰かと比べて能力が劣るとか、容姿が醜いとか、そういうことじゃない。それはひとえに、彼がどうしようもなく誠実さに欠けた人間であるということに集約されている。
ケンゴは嘘つきだった。それも、とびっきりの。呼吸するように嘘をつき、嘘がバレそうになると別の嘘で上塗りする。気づけば17歳。構うもんかよと嘘をつき付けるうちに嘘をやめられなくなった彼は、最悪の日に最悪の嘘をついた。
「とりあえず挨拶がわりだ。お前、今までどこで何してた?」
葬式に遅れたケンゴを出迎えたのは、鼻面への一発だった。地面にへたり込んだケンゴの鼻からつうっと一筋の血が流れていく。指先にぬめる血を見て、表情を消した叔父の顔を見て、そうしてようやく状況を理解する。
「ひ、ひでえや叔父さん。なにも、殴らなくったって」
「どこで、何をしてた?」
もとより大柄で、強面の叔父だ。ケンゴは竦みそうになる足で必死に立ち上がる。そこに浴びせかけられたとどめの一言が、
「頼むから、あいつが二十年かけて育てたのがクズだったなんて思わせないでくれ」
だった。
ケンゴは今更焦った。思い返せば父より世話になった叔父だ。信頼を失ったら、これから先どうするんだ。
「わかった。話を聞いてくれ」
そこで、嘘をつくことにした。思いつきで、一時間の遅刻を言い訳するのだ。
「葬式の一時間前に家を出ると、抜けそうな空だった。こんな日だってのに、気分がよくて歩いているうちに、なぜかあった水たまりにはまり込んじまったんだ。
クツを汚したので換えを取りに一度帰ったよ。時間の余裕もあった。ここで五分。で、また家を出ると警官がいて、電灯を指差して、あれはなんだという。見ると黒い影。カラス だろうと思って先を急いで十五分。交差点に差し掛かると突風が吹いて 、葬式のスピーチの原稿が全部飛んだ。拾ったけどすべて見つからなくて二十分。仕方ないので近くの公園で新しくカンペを書いていると、女の子 がやってきてここはこうだ、これは違うと言う。俺は子供に優しいからな。付き合っていて四十分。で、時間通りの到着は絶望的になった」
叔父はもう青年を見ていない。背中を向けて、目頭を抑えていた。それでもケンゴの嘘は続く。一度ついた嘘は、突き通さなくてはならない。でなければそれこそ全てが嘘になってしまう。坂を転がり落ちるように、嘘はどんどん荒唐無稽なものとなっていく。
「交差点を大量の猫が走っていく 。天変地異かと思ってネコが来た場所へ目を移すと、巨大な木がアスファルトを突き破ってせり上がってくる。色とりどりの花が咲き乱れて、交差点はあっという間にひまわりと朝顔で埋め尽くされた 。呆気にとられていたらもう十分が経っている。どうしようもないので地下通路を通って交差点を渡り、この場所に続く坂道を登った。でもやっぱり何かが起こっちまうんだ。驚くなよ、なんたって雪が降り始めたんだ。真夏なのにさ。あっという間に積もった雪の上をえっちらおっちらと歩いて、それで二十分。そこから、なんと、その、ええと、ここからがすげえんだって」
「もういい」
「待ってくれ! まだ十分あるだろ。話を聞いてくれって!」
「なんにせよその十分は、お前が最後に母さんに報いるための十分だった。それだけだ」
「っ――――いや。もっと、大事な用ができちまったんだ」
「大事な用?」
詰め寄る叔父を見て、また殴られるのかと思った。だが実際は、感情のこもらない、冷ややかな視線を一度浴びただけだ。見られただけで、心の底から冷えるようなたった一瞬の軽蔑。
「言えよ」
「あ、あの」
「言って、消えろ。二度とそのツラを見せるな」
血の気が退く。鼻の奥がつんとする。これが最後だろうと、必死に言葉を選んだ。焦る頭がからからと音を立てて空転しているように思える。そうしてひねり出されるのは、もはや嘘でもなんでもない。おとぎ話だ。
「こ、この町を」
頭の片隅で何かが弾けてしまったようだった。それはやめろ、と良心じみた心の声が警告している。それを言ってしまえば、お前は二度と戻れなくなる。どうしようもない嘘まみれの日常の中にさえ。
しかし悲しいかな、決断はくだされてしまう。その嘘は叔父との別れの言葉にも等しいものだった。
「この町を、救っていた。天使と」
「へえ」
背を向けて歩き始めた叔父に、なおも嘘を投げつけていく。
「天使って言っても、全身黒ずくめの怪しすぎるヤツなんだ。どっちかっていうと、化物に見えた。だってぞっとするような尻尾と、いびつな羽が、翼が背中に生えていたんだ。で、そいつはこう言った。って、叔父さん?」
叔父はもう、斎場へと入っていくところだった。ぴっちりと糊の利いたワイシャツの背中が、ケンゴに対する明らかな失望と軽蔑を放っている。叔父が振り返りもせずに姿を消すのと同時にケンゴは肩を落とした。ケンゴ自身、この結果が身から出た錆であることは重々承知している。今までも数え切れないほど痛い目を見てきた。
それでも嘘は続けなければいけない。一度口にしたら、嘘は最後まで吐き続けなければいけない。
「あぁそうだよ。俺はどう考えてもダメ野郎だろうさ。でも、あいつは言ったんだ。宝物でも見つめるような目つきで。俺じゃないとダメだって。それだけで、まるで俺が俺じゃない、もっと価値ある誰かになったような気がしたんだ。いいか、叔父さん。あいつは空からやってきた。天使だからな。それで、まず『こんなところで』――」
口をつぐませたのは、羽音であった。鳥にしてはあまりに大きい。向江を照らしていた日差しを、それが遮った。顔を上げて、青年は絶句する。虚構の使者が、そこにはいた。
『こんなところで、何をしているの?』
人だ――いや、人型の、なにかだった。
黒いドレスに身を包んだ少女は、いびつな翼をはためかせ、抜けるように美しい空から舞い降りた。一際強い羽ばたきがざあっとあたりの木立を一斉にざわめかせる。セミの鳴き声が、いつの間にか止んでいた。
「探したよ」
立ちすくむ青年に屈託のない微笑みを向ける。ぞっとするような尻尾を弄びつつ歩み寄る。ケンゴはうっかりと腰を抜かしそうになる。少女は怯え切った青年の様子に、ひどく傷ついたようだった。
「な、なに。この姿はまずかった?」
彼女は慌てて自分の体をあらためた。
「これ? 隠すわ。だから、そんな目で見ないでってば」
どうにかして巨大な翼と尻尾を体内に仕舞いこむと、彼女は一歩踏み出した。ケンゴは一歩下がる。そのやり取りが何度か繰り返される。
「あ、アンタ一体何なんだよ!?」
「わたしはぬえ。封獣ぬえ」
ヌエ。青年にとって聞きなれない言葉だ。とても、女の子の名前とは思えない。
「ぬえ?」
「そう。今日こうして会いに来たのは、お願いがあるから」
ぬえはケンゴの手を握った。おもわず青年は動けなくなる。空を飛び、三対の翼を持つ禍々しい怪物の少女の手は、驚く程暖かかった。そしてその目。切実さをたたえた、磨きぬかれた琥珀のような瞳に我を忘れそうになる。
「わたしと一緒にこの町を救って欲しい。アンタとじゃないと、できないんだ」
オリ主です。現代入りです。
もう誰に殴られても文句は言わないんだぜ!
バリバリだぜ! ノリノリだずぇ!
意訳:初めまして。ここで作品を投稿するのは初めてで、いささか緊張しています。至らないところの多い作品ですので、いろいろとご指摘いただけると幸いです。m(_ _)m