東方百花境(完結)   作:おぴゃん

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6.断頭台への行進(1)

 みしりと嫌な音がした。

 ぬえは再び通路の出口へとつま先を向ける。だが、ケンゴはその場に縫い付けられたように動かない。

この話題だけは避けたかった。ぬえはぎゅっとまぶたを瞑り、次の一言を待った。

 

「どうして黙っていた」

 

 予想に反して、語調は穏やかだ。

 

「……聞かれなかったから」

「お前、俺の母さんと一体」

「ごめん」

 

 ぬえの声が、震えている。

 

「謝るなよ。ただ、話してくれればいい」

「キョウコは」

 

 みしり。

 とっさにケンゴがぬえを制した。唇に人差し指を当てる動作。ぬえはしばらくそれを見つめて、ぽんと手を打つ。

 

「空気を読もうぜ、お嬢ちゃん。だっけ」

「一体全体どうすりゃそんな意味に――」

 

 ぎしり。

 音は明確な破壊音に変わった。とっさにケンゴは足元のバケツを掴み、力任せに来た道へと投げ込む。ひしゃげたバケツは一度床で乾いた音を立てて跳ね、壁面から突き出した槍によって貫かれる。

 槍ではない。一瞬で鋭く、鋼じみて硬化したアサガオの蔓だ。内側から引き裂かれるバケツを前にケンゴは目を細める。

 

「やっぱり、音だ」

「よく分かるね」

「前に一度、こいつらに締め上げられてさ。あの時はまだ優しい奴らだったんだけどな」

 

 足首を焼かれるくらいで済んだ。実に優しい。

 音に反応するのなら、こうして話していることもマズいだろう。通路の先に視線を馳せる。複雑に枝分かれした通路。記憶が正しければ、この近くにはアレがあるはずだった。しばらく考え込んだケンゴは、バッグから携帯を取り出して操作を始める。

 

 アラームを三十秒後にセットし、もう一度道筋を描く。

 

「走るぞ、ぬえ」

 

 携帯をその場に静かに置くと、ケンゴは今までとは逆にぬえの手を引いて走り出す。足をもつれさせながらぬえが続く。無数の鉄槍が壁を裂いて現れる。背後でアラーム。

 遥か後方で火花が二三度明滅し、そして音は二人の足音だけとなる。アサガオの反応が早すぎる。床に転がったものを片っ端から蹴散らしてかく乱しつつ、立ち並ぶ扉を蹴破る。

 

 何もかも、昔のままだ。音響機器もそっくりしている。

 

 拳を叩き込むようにスイッチを入れ、同時に床から現れたアサガオがケンゴの足首を貫いた。

 

「がっ」

 

 槍の穂先が炸裂する前に、素早くぬえが蔓を切り払う。ホコリがうっすらと積もった床に倒れこむケンゴを抱き止め、姿勢を低くして追撃に備える。来ない。壁の外をアサガオが這う気配は感じる。が、それはてんでばらばらの方向へ向かっていた。

 

「上手くいったか」

 

 廃園から一週間。まだまだ電力が通じていたのは僥倖と言う他ない。薄暗い部屋の中に輝く配電盤。遠くからかすかに聞こえる交響曲。

 

「クソ、にしてもどうして足ばっかり」

「見せて」

「大丈夫だ。なんとか歩ける」

「いいから」

 

 足首を調べる少女を見つめるうちに、ケンゴはつくづくおかしなことになったな、と思う。母とどこか似た少女。そして、彼女が言うキョウコ。まだまだ分からないことが多すぎる。知るべきことも。だからこそ、こんな場所で倒れるわけにはいかない、と。しばらくぶりに湧き上がった生気の源を確かめる。

 

「……なんかさ、恥ずかしいんだけど」

 

 ケンゴの視線に、ぬえは居心地悪そうに体を縮めた。

 

 

「決着をつけよう。ここで」

 

 傷口を処置するぬえの手が止まる。

 

「今逃げおおせても、あの女はきっと追いかけてくる。なら、ここで叩く。俺たち二人なら、できる」

「本気?」

「あぁ。策も練ってある。お前の協力があれば、きっといいところまでは行ける」

「いいよ。何?」

「まず、お前らの使う武器が要る。一発でかい弾が撃てればいい。なるべく光線とかビームじゃなくて、弾そのものが飛んでいくようなやつ」

 

 無造作に前髪を持ち上げると、ぬえは爪を払った。縛られた一房の髪を、ケンゴはまじまじと見つめた。

 

「え?」

「いや、え、じゃなくてさ」

「これをどう使えと?」

「魔獣の体毛だから力はあるはず。気合い入れてぶん投げれば、きっと」

「使い道まで正体不明かよ。ありがたいね」

 

 とっさに出た憎まれ口に、ケンゴは顔をしかめた。

 

「いや、マジに助かる。すまん」

 

 ぬえはくすりと笑った。

 

「どうしたの、ケンゴ。さっきからヘンだよ」

「確かに、おかしいかもな」

「怖くなったら、いつでも逃げていいからね。時間くらいは稼げる」

 

 ぬえが暗闇の向こうに姿を消したのを確認して、ケンゴは深く息を吐いた。

 

「逃げていい、か」

 

 それはそうだ。これまでのケンゴなら、いつ彼女を放り出してもおかしくない。彼女の物分りの良さが、今はとてつもなく悲しい。

 頭を、コンクリートの壁に叩き付ける。何度も叩き付ける。一筋の血が壁面を滑り落ちるのを眺めつつ、ケンゴは静かに崩れ落ちる。嗚咽する。おまけに吐きそうだ。

 

「怖い」

 

 みっともなく涙を流しながら、壁にはいつくばる。

 おそらく、きっと、ひょっとすると、死ぬかもしれない。いや、死ぬ。だが。

 配電盤の明かりに照らしだされるのは、いつものケンゴの顔だ。ギリギリで、追い詰められて、誰かの背中を足蹴に平気で土下座をするような。

 

 

 

 

 メインスイッチに指をかけ、息を吸う。

 

 

 

 

 吐く。

 ランプが消灯し、涙と血でべしょべしょの顔は、見えなくなった。

 

 

◆◆◆

 

気高く歌う管楽器の勇壮なオーケストラが、アサガオたちの統制を崩した。それは園内のスピーカーと言うスピーカーから、最大音量で垂れ流されるものだ。

 

ぬえの戦術ではない。これは。もっと何か、まずいものだ。

 

おとりのスピーカーを追ってわさわさと移動し始めたアサガオたち。暗闇に閉ざされた廃墟に、たった一つの明かりが灯る。

 

「ようこそ、俺の国へ」

 

爆音。そして、一夜限りの王国が息を吹き返した。

すべてが炎に包まれていた。狂ったように動作を始めたアトラクション。そして、炎に包まれたメリーゴーラウンドの前に躍り出たケンゴ。その額には燃える王冠。炎が不敵な笑みを照らし出す。

 

「なるほど、これがアナタの力ってこと」

 

女の周りで空気が揺らぎ、ぼんやりとした燐光が現れる。攻撃の予兆だ。だがまだ、逃げるべき時ではない。

 

「驚いたか」

「いささか。そして確信もした。やっぱりあなたは、わたしたちの知る向江ケンゴじゃない」

「わたしたち、だと?」

「あら、初耳だったかしら」

「アンタ友達いなさそうだもんな」

「ま、確かにね。人間の友達がいたのも、ずっとずっと前のことだし」

 

 光線が迸る。メリーゴーラウンドは両断され、地獄の馬たちは爆炎の中に沈んだ。しかし、ケンゴの姿は見えない。

 

「どうした」

 

 挑戦的な声。ケンゴは彼女の遥か後方に佇んでいる。

 

「俺を殺してくれるんだろ?」

 

 再度光線が走る。まき散らされたものは人工芝と土、そして大小の破片だけだ。

 

「一晩だって相手してやるさ。かかってこい」

「面白いじゃない」

 

 新たに女は種を撒いた。アスファルトを突き破って現れたのは、あまりにもか細いアサガオの蔓。それらはそろそろと這い出して、花弁を開く。犬のように地面の匂いを嗅ぎまわりつつ特定の方向へと移動を始めた。

 彼らはそれまでのアサガオとは違う。追跡に長けた精鋭部隊だ。臆病で残忍な彼らは注意深く炎をかいくぐりつつ、ケンゴを追いつめていくのだ。

 

◆◆◆

 

「やっぱ電飾なんて知らねえわな」

 

 サイリウムの王冠を脱いでケンゴは胸をなでおろす。通路に並べられたいくつかのマネキンに、同じような王冠をかぶせていく。

 なんて馬鹿げた格好か、と。メンテナンス通路に放置された化粧鏡を見てほくそ笑んだ。

 

それだけの余裕は出てきた。当初の狙い通り、日傘の女はケンゴの術中にはまってくれた。

 向江ケンゴに、日傘の女と渡り合えるような能力などない。

 

『物事の正体をあいまいにし、都合のいいものに錯覚させる能力』

 

 ぬえのたどたどしい説明を信じて、賭けに出た甲斐はあった。彼女の能力を最大限活用したのが、今の状況だ。

 

 彼女たちの世界――幻想郷には電飾などない、らしい。

 

『電気はあるんだけどさ』

 

 そう言ってぬえが語る幻想郷の様相は、おとぎの国というほかない。デタラメな力を持った龍が治めていて、デタラメな力を持った妖怪が内と外とを隔絶させ、デタラメな力を持った巫女が特に何かするわけでもなくぐうたらと過ごしているという。

 

『ヘタクソすぎだろ、お前の作り話』

『わたしさ、自分で言うのもなんだけど嘘つくの上手』

『じゃあさっきの与太話は――あぁ、そうか。マジなのか』

 

 日傘の女を受け入れた世界であるのなら、確かにぬえの話も不思議ではない。

 

 この魔法がずっと続くわけではない。ケンゴがぬえの正体を見破ったように、ある程度どんなものかが分かっていくにつれ、能力の影響は弱くなっていく。特に、テクノロジーというものはあっという間に適応されるものだ。

 日傘の女が騙されてくれるのはよくて朝まで。

 

「最悪、この瞬間」

 

 それまでに何とかして、勝機をつかむ必要がある。必勝の道しるべはある。あとは、いかに上手にウソを吐けるかだ。

 

 

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