東方百花境(完結)   作:おぴゃん

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7.断頭台への行進(2)

新緑色の閃光が迸った。流星のように降り注ぐ輝きは、うねり、くねり。予測不能な軌道で日傘の女に迫る。

 

「くっ」

 

その一筋が直撃し、女と、女の周りに展開された半透明の薄膜を浮かび上がらせる。女は暴風のような余波に煽られ、顔をしかめた。

空から急襲をかけるのは、禍々しい怪物だ。鷲の頭に蛇の胴体。そしてカラスの翼。攻撃の一つ一つは驚異ではないが、ケンゴはこの怪物の援護を受けて、巧みに居場所をくらませてくる。

 

「いい加減、ご退場願えるかしら」

 

光線が怪異の翼を削いだ。が、致命傷には程遠い。

ぎらぎらと燃える金属のレールを破壊して着地すると、怪物は激しく黒煙を撒き散らす。煙幕の中に蛇の尾がくねり、気配は完全に絶たれる。

らちがあかない。

ケンゴの胸に根ざしたアサガオのおかげで、彼が園内にとどまっていることは分かる。が、それは霧の中から聞こえる声を見分けるようなものだ。ケンゴの位置は、漠然とした距離で図るほかない。

地面に降り立って、追跡部隊の痕跡を辿る。

 

おてあげ。

 

彼らの返事は似たり寄ったりだった。

女は決して、彼らが無能だとは思わない。それこそ森の中から木を見つけるほどの嗅覚を持つ、優秀な番犬たちだ。彼らの動きを阻んでいるのはただ一つ、園内を縦横に駆ける炎の渦。

いっそ焦土にしてやろうか、と思うも、既に大量の同胞が園内に根付いている。

だが、追跡を再開しようとして、彼女はそれに気づいた。足元に散らばった大小さまざまなガラス片。手に取ったガラス球が明滅し、そして消える。

 

「ふぅん」

 

押しつぶされたレールに目をやる。嘘のように消えた炎。そして、ブドウの房のようにぶら下がる、無数の電球。

女は手近な炎のひとかたまりに手を伸ばした。感じたものは、ほのかな暖かさだ。炎などではない。電気の光だ。

 

「なるほどね」

 

障壁をこする光条。火花を散らしながら振り向き、女はお返しの一撃を背後に叩き込む。

遥か彼方でぬえの悲鳴が上がった。激しく体をくねらせて去りゆくヘビを見つめるうち、煙が薄れていく。浮かんでくるのは黒いドレスの輪郭。

必死に逃げていくぬえの姿を捉えて、日傘の女はざっくりと、口が裂けたように笑った。

 

「うふふ」

 

彼女をコケにした代償は高くつく。

不気味なくらい上機嫌に日傘を振り回しながら、彼女はぬえを追う。その先には意味深な鉄扉。女の腕を朝顔が這う。今度は、彼女の番だ。

 

◆◆◆

 

「がああ」

 

起きた瞬間、叔父は頭を抱えて悲鳴をあげた。二日酔いなどではない。彼の腹がぐるるうと吠える。研究室には耐え難い芳香が漂っていた。

 

「起きたか」

「センセ、それ何」

「わかんね。テキトーに作ったからな」

 

ガスコンロの上で煮える鍋からスープをすくって、教授は叔父に渡す。モヤシと豚肉をごま油で炒め、キムチで味付けしただけのものだった。それでも、塩気の利いたスープは酔ってからの起き抜けには百薬にも勝る。

 

「うまい」

 

脂の輪が浮いたスープを噛み締めるように、叔父は呟く。ふたりは静まり返った深夜の研究室で、黙々と箸を進めた。

 

「ケンゴにも食わせてやりたいもんだ」

 

ぼそりと漏らして、叔父は頭をかいた。教授は意地悪に笑う。

 

「なんだ、絶交したんじゃなかったのか」

「いやあ、なんというか。あれは勢いというか」

 

敷き詰められたアサガオとひまわり。それを見たときは甥が初めて正直に話したと感動すら覚えたものだが。感動しているうちに、すっかり仲を取り戻す機会を失ってしまった。

 

「ずっとずっと昔、アキラがいなくなったとき。キョウコのために必死になってるあいつは、嫌いじゃなかったんですが」

 

それからしばらくしてだろうか、ケンゴが母を疎ましげに振る舞い始めたのは。ついに葬式の一件で我慢ができなくなった。気づけば手が出ていた。

 

「あいつがまた、キョウコのやつみたいに必死に尽くせる相手を見つけたら、そのときは」

「尽くす、ねえ。それじゃどうだよ、あの子とか」

「あぁ、さっきまでいた」

 

いつの間にか姿を消した少女を思い出す。いや、妖艶な色香を漂わせる妙齢の女性だったようにも、垢抜けない田舎娘だったようにも思う。どうしようもなく特徴的な風体の女であることは思い出せるのだが、記憶をどれだけ辿っても、明確な像が脳裏に結べない。

それが鵺と呼ばれる妖怪の持つ力の一端であることに叔父は気付きようもなかった。

ただ、言えることは。

 

「ほんと、どうしてケンゴと一緒にいるんだろうな」

「最近のコは変わってるからな。で、どうだ。見込みアリか」

 

まぁいいんじゃないですかね、と叔父は頷く。

 

「恋人でも、親友でも、敵でも。なんでも作ってみるといい。あいつがヘタな嘘を捨てて、現実ってのと向き合えるなら、俺はそれでいい」

 

器を一気に傾けると、もう一度だけ、叔父はうまいと呟いた。

 

◆◆◆

 

鉄の扉がひしゃげている。常識はずれの高熱にあぶられ、扉は完全に壁と一体化した一枚の板と化していた。日傘の女は朝顔を動員し、てきぱきと封鎖を進める。たった一箇所、植物たちの力を最大限発揮できる場所を残して。

最後の出口となった扉を吹き飛ばして日傘の女が現れる。ケンゴは落ち着き払った様子で腕を組み直した。積み上げられた缶の上に腰を落とし、その姿はまるで玉座にすがる王だ。

 

「遅かったな」

 

プールの水面が輝いていた。二重三重にケンゴを取り囲む炎の壁。それも、安っぽい電飾の作り出す幻影に過ぎないのだろう。

 

「哀れなこと」

 

タネが割れたことにも気づかず、未だに同じ手品が通じると信じている。ノイズ交じりの交響曲もすべてが途絶えた。すべてのスピーカーは破壊され、プールにはぞろぞろとアサガオたちが集結しつつある。

先まで園内を満たしていた幻想交響曲第四楽章。そのタイトルを、ケンゴは知っていたのだろうか。

 

「なぁ、教えてくれよ、アンタの名前」

「冥土の土産ってこと?」

「いいや。アンタの墓に刻むためさ」

 

ふっと笑った女が歩みを進める。

さすがのケンゴも思うところがあったのか、玉座から腰を上げた。重い音を立てて、彼の腰かけていた金属の缶が倒れる。微かな水音がした。

 

「そりゃなんというか、体によくないと思うね」

「あなたの空言はもうたくさん」

 

女の靴が、燃え盛る炎の壁に踏み込んだ。破裂音。壁は欺瞞を解かれ、敷き詰められた電飾の姿を露呈する。ケンゴが目を細める。

さらに一枚。

さらにもう一枚。

はじめ炎を警戒していたアサガオたちは日傘の女を追い抜き、我さきにとケンゴのもとを目指す。

後には明かりの消えたコンクリートの荒野。ケンゴを包み隠す炎の壁がやけに眩く女の目には映る。

 

「で、」

 

最後の壁の前で、女はアサガオたちに止まるよう指示した。

 

「どうするの?」

 

ケンゴは下唇を噛み締めたまま、静かに冷や汗を流した。引きつった笑いを取り繕って、精一杯の余裕をみせようとしたのか、肩をすくめて見せる。

 

「俺は待つだけでいいさ。まだアンタの手番だぜ」

 

女は手を垂らす。アサガオが蔓を伸ばし、彼女の人差し指にからみつく。

 

「じゃあ、引きちぎってやりなさい」

「ありがたくて涙が出るね――――ありがたついでに、ひとつ教えてやるよ」

「何ですって?」

 

てらてらと、この遊園地でもっともリアルな炎の輝きに照り映える彼の玉座は、すべてが積み上げられた燃料缶であった。その一つを手に、近づきつつあるアサガオの列に向かって歩きはじめる。

 

「優れた嘘に欠かせないもの」

 

キャップをこじ開ける。立ち上るガソリンの匂いを、胸いっぱいに吸い込む。

 

「1パーセントの真実さ」

 

放られた缶からしぶきをあげてガソリンが飛ぶ。あるアサガオはそれをケンゴと勘違いし、空中でつかみ取ると即座に分解した。それが地獄の始まりであった。揮発性の高い液体は、ほんのわずかな火の粉であっても容易く着火する。かわいそうに。

 

「かわいそうに」

 

黒い煙が立ち込めるなかで、ケンゴはほくそ笑んだ。

爆炎がアサガオたちの上を走る。鮮やかな花々が見る間に縮れ、しおれ。呆気にとられる女を尻目に次のガソリン缶へと手を伸ばす。園内唯一の炎は、アサガオたちを平らげながら生き物のように広がっていく。

 

「ちっ」

 

水面が爆ぜる。女の放った光線が瞬時に水を蒸発させ、あたりには濃密な水蒸気が立ち込めた。同時に巻き上げられた水が雨のように降り注ぎ、ついに炎の王国は倒れる。花の女王と虚構の王の戦いは、終息へと向かいつつある。

 

「やり口は汚いし」

 

一本一本、アサガオの死体を丁寧に踏み分ける女。

 

「実質二対一だし」

 

ゆらゆらとステップを踏む、その姿は恐ろしげだ。

 

「こんな嘘つきにやり込められたのは癪だけど」

 

霧の中から現れるブロッケンの怪じみていた。お互いの目鼻口がわかるほどの距離で、両者は対峙する。どれほど恐ろしい形相で現れるのかというケンゴの予想に反して、女は沈痛な面持ちだった。敗北を噛み締めているようにも見える。

 

「敵として尊敬する。本当に、本当に悔しい」

「ここらでやめるか。なんなら駅前のファミレスで停戦交渉でも」

 

できるわけ、ないわな。

女の指先に灯った暖色の光。霧の海に佇む灯台のようだ。遮蔽物なし、逃げる暇はなし。それでもケンゴは落ち着いて、女から一歩退く。

 

「撃たないほうがいい」

 

女の背後、黒々とそびえる、巨大なシルエット。

 

「撃ったらアンタ、本当に負けちまう。もうアンタじゃ俺を傷つけるのは無理だ」

「最後までよく吠えるわね。ほんと、大した男」

 

最大の輝きに達した光が炸裂する。たった一人の人間を焼くには少々無駄遣いが尽きる代物だった。が、それはケンゴに届くことすら叶わず四散する。二射目も同様に、霧に吸い込まれるように消える。

 

「ほらな」

 

ケンゴの手中で速やかに形成される一本の三又槍。それは、あの妖怪が振るったものと同一のものだ。たった一射という制限。その制限が、攻撃の出力を本来の数倍にまでに高めている。

とっさに女が飛び上がる。数々の敵を下した彼女だからこその素早い反応は、しかし、ここで命取りとなる。

 

「避けてくれてありがとよ」

 

幾何学的な軌道で槍が飛んだ先は女ではなく、その背後にそびえるシルエット。それは観覧車だ。支柱と観覧車とをつなぎ止めるボルトを爆破し、貫通した槍が群青の空に消える。女は振り返り、ゆっくりと倒れる観覧車を見る。プールを直撃した鉄塊がしぶきをあげる。

女の視界いっぱいに、ぬえの凶悪な笑みが映し出される。

気付けなかった。同じ相手に二度も後ろを取られるなど、普段の日傘の女では考えられないことだった。立ち込めた水蒸気と、ほかならぬ女自身の手によって急に訪れた暗闇。女の目が明暗の差に順応する間に、黒煙に紛れたぬえは容易に接近していた。

 

「象の急所」

 

女の胸ぐらをつかみあげるぬえの手。それが、ほんの一瞬間に五度炸裂する。女の防御の要である薄膜が浮かび上がり、粉々にはじけ飛ぶ。煙の尾を引いて女が飛ぶ先、そこは、観覧車が底をぶち破ったプールだ。ごうごうと渦巻く水面に、女は没した。

途方もない水量が流れ込む先は、アリの巣状に張り巡らされたメンテナンス通路だ。おまけに、つい先ほど女の手によってすべての出口が閉ざされた。

 

「ただでさえ空気中では光は拡散する。ましてや水蒸気なんて、無数のレンズが空気中に浮かんでるようなもんだって、教授が言ってた。相変わらず専門外なのにな」

 

ケンゴの静かな言。

日傘の女は、鉄骨の一本に手をかけたまま、濁流の中から歪んだ像を見上げる。押し流されたがれきが、守りを失った女の肩を打った。

 

 

 

 

――まったく。もっとアナタと話し合う時間が持てていればね。

 

 

 

 

水底へ沈みゆく中、日傘の女の瞳はぬえを捉えて離さない。

 

 

 

 

――その男といると、きっと苦労するわよ。

 

 

 

 

ただただ、彼女はぬえを哀れんでいた。そして、鉄柱を掴む彼女の指が解ける。大きな渦に巻き込まれ、その姿は消えた。ケンゴは槍を放ったままの姿で待つ。じっと、待つ。空から舞い降りたぬえもまた、かたずを飲んで澱んだ水面を見つめる。

 

 

 

 

十秒。

 

 

 

 

二十秒

 

 

 

 

一分が経つ。それを五回ほど繰り返して、ようやくケンゴは肩の力を抜いた。五分間、呼吸をしていた実感がない。あの女が今にも地面をぶち破って出てくるのではないかと馬鹿げた想像に肝を冷やし続けたが、どうやら一難は去ったらしい。

 

「おい、ぬえ」

「え? ――あ」

 

ケンゴに顔を指されて、ぬえは不思議そうに声を漏らした。頬が濡れている。

彼女は泣いていた。

 

「あ、あれ? おかしいな」

「どうした」

「分かんない。わかんないけど」

 

軽くすすり上げて、ぬえは何度も腕で目元を拭った。

 

「寂しいんだ。なんだか、キョウコを思い出すと」

 

たった一度しか会ったことがない。無数の花が咲き誇る場所。青空を背負った花冠の女と、それを見上げる傷ついた妖怪。たった数分の会話。途方もない時間の中ですれ違っただけの女。その死が、寂しいと彼女は言う。

 

「キョウコのこと、話してあげるね」

「あぁ、楽しみだな」

 

山から顔を覗かせたのはまばゆい光の塊。朝日だ。目を細める。初秋の風。焼け跡から立ち上るにおい。いつかの朝もこうだった。ケンゴが絶望と恐怖に塗れて地面に手を付いた時、これほど清々しく朝を迎えられることは二度とないと思っていた。

 

「でも、まずはちょっとだけ眠らせてくれ」

 

腰を下ろし、軽く目を閉じる。ほのかに立ち上るのは花の香りか。吸い込むと、すすとガソリンにまみれた肺の中を洗ってくれるようだ。亡き母を思い、ようやく、少しだけ涙を流す。それはすすが目にしみただけなのかもしれない。

だが、母を思う気持ちなのだと、今だけは騙されていようと思った。

 

「ケンゴそれ」

 

打って変わって緊張を滲ませたぬえの視線を追う。ワイシャツの胸を突き破って、朝顔が顔を出していた。

 

「あ」

 

咲き誇る朝顔は、まるで怒りに燃えているように見える。その色は、真っ赤な、真っ赤な――

 

「嘘、だろ?」

 

ばちゅ、だったか。どびゅる、だったか。

胸の中で嫌な音がして、ケンゴは膝から力が抜けるのを感じた。胸がじりじりと痛んで、ひっくり返る視界の中、ぬえの顔が通り過ぎる。逆さまになった遊園地の廃墟。灰色と茶。死の彩色の中で、その一点はあまりに鮮やかだった。

 

朝日の中に翻る、萌黄の着物。

 

「ねぇ。最後の嘘を覚えてる?」

 

紙束を抱えた女が去っていく。

世界が真っ赤に染まって、そして。

 

 

 

第二章『虚構の王国』おわり

 

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