東方百花境(完結)   作:おぴゃん

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2.再会

 荒野には男 と女が立っていて、途方もなく巨大な天体が空に浮かんでいる。不気味な唸りをあげて回転する天体は割れていた。真球に近いその天体は四分の一ほどを欠いており、流れ出す血のように赤い液体が、男と女の立つ大地に降り注いでいる。

 彼らの大地を汚染した凶星はしかし、打ち倒された。それまでの存在感が嘘のように徐々に薄れ、消える。そして、あらわになった向こう側にはもうひとつの巨大な大地が見える。

 朝日の中に立ち並ぶビルと、毛細血管のように張り巡らされた通りにひしめく車の光。

 男にとって慣れ親しんだ現代の姿が。

 

「終わったな」

「えぇ」

 

 小さく片手をあげて男は踵を返した。女は何もせず、その後ろ姿を見つめる。互いに言葉は無かったが、別れが近いことは分かっていた。

 

「ようやく息子と遊んでやれる」

 

◆◆◆

 

 この嘘つきの顔を幽香はよく覚えている。

 あの時からだ。こいつがヘソを曲げ始めてから、すべてが少しずつおかしくなっていったのだ。

 

「アンタの嘘ってのには、もううんざりよ」

 

 にも関わらず、おしめを替えてやった相手を忘れているとは。幽香はキョウコが目の前の青年――向江ケンゴに施した教育を思いやる。もしくは、あえて教えようとはしなかったのか。あのケンカのあとでは、仕方ない気もする。

 ならば、ここは悪役に徹することにする。妙に殺気立ったアサガオたちを静かに制して、幽香はケンゴを見下ろした。彼の顔が青ざめて見えるのは、しんしんと降りしきる月明かりのせいか、それとも。

 

「分かった。おふざけは無しだ」

 

 真面目ぶってはいるが、その表情には独特の生き汚さがありありと見て取れる。その輪郭が、ほんの一瞬歪んで見えた。真っ黒になった目鼻口が一つに繋がり、ただのぽっかりとした穴を見せる。

 

「違う」

「あ?」

 

 無意識に漏らした幽香のつぶやき。青年の顔は揺らぎ続ける。泡立つように目鼻口が蠢き、無秩序に並べ替えられ、つぎつぎと生まれて、消えて。めまいを起こしそうになる頭を彼女は振った。アサガオたちは絶えず青年を威嚇している。

 いや、そもそも青年なのか。この、質の悪い冗談は。

 瞬きの間にそれらは再配置され、もとの青年の顔を形作る。数秒前に浮かべていた必死の形相までも、寸分たがわず。

 

「あんたのよく知るところの、向江ケンゴだろうさ」

「あなたなんか、知らない」

 

 直感に従って幽香は目の前の存在を敵と認識した。アサガオの戦列は速やかに攻撃形態に移る。そして、羽音。頭上からの閃光。とっさに展開した障壁が不意打ちの弾幕を散らす。余波で部屋中が切り裂かれる。

さなか、降り立ったものは。

 

「こんなところで、何をしているの?」

 

そいつが振るうものは槍だ。光速度の槍による絶え間ない刺突と斬撃。防御に徹して襲撃者の姿を観察する。おそらく人間ではない。幽香と同じ世界からの来訪者。

 

(まんまとハメられたってワケね)

 

だが、力は幽香のものに遠く及ばない。攻撃にも殺意がない。

「襲撃者」はすぐに飛び上がった。向江ケンゴを抱えて。ここまでの行動はすでに幽香が読み切っている。そして、すぐさま最大規模の火力集中――オーバードライブを放つ。

 

◆◆◆

 

 結局、誰の命も奪わぬままに幽香は朝を迎えた。

 あまりに手応えのない黒幕と、様子のおかしい向江ケンゴ。謎は尽きないが、どちらもさしたる障害にはなり得ない。キョウコの口から語られた滅びとも、おそらく無関係。

 

だからこそ、釈然としない。

 

この町、幻想郷、そして異変。なにか、とてつもない異物がその中に紛れ込んでいるような感覚に襲われる。

しかし、考えたところで明確な答えは浮かばない。まだ、ピースは出揃っていないような気がしていた。とにかく、

 

「お腹空いたわ」

 

 無人駅のホームに降り立つと、幽香は隠しておいた旅行かばんをベンチの下から引っ張り出す。

 古びたケトルを取り出して、彼女は小さく微笑んだ。

 冗談のような収納力を持つ旅行かばんから、つぎつぎに出てくるのは銀製のティーセットだ。表面は落ち着いた光沢をたたえ、黒いくすみが年季を物語っている。それから彼女のとった行動も、冗談のようなものだった。

 

「なんだアレ」

 

 H市は田舎だ。はじめ始発に溢れていた疲れ顔たちは一人、また一人と減り、その駅に着く頃には閑散とした車内に朝日と気だるさだけが充満していた。だからこそ、斜向かいのツナギ男が漏らしたつぶやきは向江アキラの耳に確りと届いた。

 

「うん?」

 

 キャリーケースの中身を整理する手を止めて、アキラは近づきつつある駅のホームに視線を馳せる。湯気が立ち上っていた。そして、電車に背を向けて座る女。かたわらの日傘。

 

「あら」

 

 電車の音で気づいた彼女が振り返る。赤い瞳。その手には、ティーカップが握られている。膝の上にはパラフィン紙に包まれたスコーンが。アキラは思わず目を見開いていた。

 

「久しぶりね、アキラちゃん」

「……幽香」

 

 ホームで茶を沸かす日傘の女と、天をも突こうかという大男の再開。ホームに降り立ったまばらな人だかりが、怪人二名に恐れをなして遠巻きに通り過ぎていく。

 

「ん」

 

 幽香は向かいに座るように促した。アキラは素直に従って腰を下ろす。注がれる茶から立ち上るのはバラの匂いだ。

 

「元気そうでなにより。アキラちゃん」

「その呼び方はやめろって」

「前はまんざらでもなかったクセに」

「あの時はな。所帯を持つと落ち着きたくなる」

「19か。若かったわね、私もあなたも」

「アンタは」

 

 言いかけて、取り繕うように足元のキャリーケースの位置を正す。それは幽香自身よくわかっていることだ。彼女は歳を取らない。もしくは、取らなくなった。それが彼女が持つ力の代償なのか全く別の理由によるものなのかはアキラには分からない。幽香が過去を語ること自体、とてつもなく珍しいことなのだった。

 数百年を生きる女は当然のこと、言葉の先を察してはいたが答えようとはしない。

 

「仕事?」

 

 代わりにキャリーケースを指し示す幽香。

 

「あぁ。出張先で休みをもらって、そのまま帰ってきた」

「そう」

 

 その理由はもう知っている。

 ならば、敢えて言うことではないだろうと幽香は紅茶を口に運んだ。近くの草むらでは未だに夜明けを知らぬ鈴虫が鳴いている。アキラも倣って紅茶に手を伸ばす。

 いつもの無表情で鼻腔に香りを含むアキラを前に、幽香はくすりと笑う。

 

「一気飲み、しなくなったのね」

 

 彼が幻想郷に出入りしていた頃、無神経でぶしつけなアキラによく振り回されていたことを幽香は思い出す。

 

『舌が焼けたぞ。どうしてくれる』

 

 それはそれは理不尽であったが、今となってはささやかな苦笑で片付けられるような思い出。遠き日を愛おしく思うのは、人間も妖怪も同じことだ。

 

「俺も少しは成長したのさ」

「よく言うわ。人間風情が」

「また懐かしいセリフを」

 

 在りし日のこと。

 森の中には男が立っていて、よくわからない武器を携えていた。しばらくその姿と決然とした表情を観察して、ほんの数日前に自分がコテンパンにのした相手であることを幽香は思い出す。

 

『あらあら、またベソかきにきたワケ?』

『目にもの見せてやるよ、バケモノ』

 

 結果は同じだったが、確かに成長はしていた。すっかり焼き払われた森から男を担ぎ出し、人里近くの川岸に放り捨てる。次はない、と言いながら。その次も、その次もまた、同じことを言いながら幽香は男を川岸に放り続けた。それが半月近く繰り返された後に、幽香は気まぐれにセリフを変えてみた。

 

『次はもう少し粘ってみせてよね』

 

と。

 

「それからの腐れ縁よね」

「結局五年もあの世界に居座った」

 

 すっかり人の退いたホームで、男と女は静かに笑いあった。

 幽香はアキラの目尻にしわが寄るようになったことに気づく。十数年。あまりにいろいろな事情が変わってきた。そして、ついにはこの男との立ち位置までも変える時がきたのだ。

 

「お前はどうしてこっち側に?」

「ケンゴを殺さなければいけなくなった」

「ほう」

 

 始まったな、と幽香は内心顔を歪める。

立ち上がったアキラが僅かに体を流した。かたわらのキャリーケースを足で押し倒す。蓋が開き、立ち並ぶ瓶の中からアキラは厳重に封のされた包みを取り出す。

 

「理由を聞いていいか」

「ケンゴは変わってしまった」

「人は変わる」

「そういうんじゃない。まるで、ケンゴではない何かに変わりつつあるようだった。どちらかといえば、私たち妖怪のような何かに」

 

 アキラは鼻を鳴らした。

 

「キョウコの子なんだ。多少の力は当然だろう」

「にも関わらず、あれは空っぽ。中には何もない。もとからその余地がなかったように、私には見えた」

「会ったのか」

「えぇ。すっかり忘れられていたけどね――ちょっかいは出したけど、まだ首までは落としてない」

 

 全身で静かな殺気を受け止めつつ、それでも幽香は懐かしい。

 はじめの小競り合いは、確か人を襲う妖怪と勘違いされたことだった。次は悪漢たちに唆され、その次からは純粋に力を試すために。

 正当な理由で、正当な敵として両者が戦うのはこれが初めてだった。

 

「あれを放っておけば、大変なことになるわよ」

「だとしても、息子を守るのは父の使命だ。だろ?」

「そうね。勇ましいわ」

 

 その手に握るのは異形の拳銃だ。辛うじて銃であり、辛うじて武器としての体裁を保っている。幾度も砕かれ、潰され、その原型は定かでない。岩を削り出して作られた銃身には金属製のボルトが打ち込まれており、差し迫った崩壊を引き伸ばしていた。アキラという男が何者であるにせよ、彼の通ってきた修羅の道を雄弁に物語っている。

 

「なら、わたしの気持ちも分かってくれるわよね」

 

アキラは腰を低くした独特の姿勢で構える。銃口 は、過たず幽香の眉間に向けられている。そのまま、ちらりと腕時計を確認する。

 

「次の電車まで残り二分だ。さっさと終わらせよう」

「何度目になるのかしらね、これ」

 

 幽香は儚げに笑った。アキラはいつもどおりの無表情で拳銃を構える。

 

「昔話なんてどうでもいい。久しぶりの弾幕ごっこだ」

 

 ホームを一陣の風が吹き抜ける。

 銃口が炸裂する。岩削りの怪物が放った銃声は、意外にも澄み渡るような快音だった。直進するだけの愚直な弾丸は、ただ速い。幽香が目を見開く。肩口を弾丸が掠める。裂けたブラウスの下から、白い肌があらわになる。

 幽香が攻撃動作に移るよりも早く地を蹴ったアキラは一跳躍間に三連射。回避で釘付けとなった幽香の前で身をかがめ、銃床による顎を狙った打撃を繰り出す。

 

「驚いた」

 

 しなやかかつ大胆に後転する幽香。アキラは落ち着いた様子で銃身を二つに折り、排莢。禍々しい文字が刻まれた金属の薬莢が地面に落ちるより早く再装填を済ませ、光速の四連射を見舞う。計算され尽くした跳弾と打撃の暴風じみた乱撃に、幽香が一歩退く。

 

「昔は、わたしの肌を見て足を止めたものだけど」

「子を持つと男は変わる。何度言わせる気だ」

 

 射撃の間に胸ポケットから弾を取り出し、打撃の間に再装填する。幽香が一歩退く。そのやり取りが数度繰り返され、ついに幽香はホームの端まで追い詰められた。

 

「本当に変わったわ、あなた」

 

 ほんの一瞬迸った殺気。アキラの反応がわずかに遅れる。とっさに顔面を庇った右腕。握る拳銃が粉々に砕ける。幽香が放ったのは弾幕でも何でもない。人差し指と、支えの中指二本での単純なデコピン。歴戦の魔装はそれだけで砕けた。

 それでもアキラの戦意はくじけない。彼が構えるのは裸拳一丁。初速から最高速度の掌底が幽香の鼻面へと突き出される。

 

「どうした。まだ」

 

 アキラはそこで、はじめて明らかな戸惑いを声に滲ませた。幽香は鼻先一寸で止まった手のひらを見据えている。透かして見るのは、わずかに緩んだ巌のようなアキラの顔。汗が滑り落ちる。

 

「えぇ。勝負はついていない」

 

 幽香は軽く頭を傾げ、アキラの拳に額を付けた。

 

「はい被弾。わたしの負けね」

 

 言うだけ言って、幽香はアキラに背を向け、ホームの端から飛び降りる。いつの間にかその手にはトランクケース。ホームに広げられていたティーセットは跡形もなく消えている。ホームにはもとの静けさが横たわっていた。遥か彼方から近づきつつある電車の音。レールのうなりが、再度訪れた別れを告げている。

 

「どうして」

「…………あの子には三日の猶予を与えてあるわ。その間に町から連れ出すなり、隠すなり、好きになさい」

「幽香」

「うるさい。久しぶりに負けたわ。よくやったわね、莫迦」

「恩に着る」

 

 さくさくと敷石を蹴散らして線路を歩く幽香。その背後で深々と頭を下げるアキラ。視線を逸らして、幽香は下唇を強く噛んだ。

 大嘘をついたものだ。ケンゴは――あれは、死ぬ。どうあがいても。あのアサガオには幽香が心変わりを起こしても命令を遂行するように命じてある。彼女の心すら掌握するような敵と相対するハメになった時の保険として。

 

「なんで勝ったアンタが頭を下げてるのよ」

 

 拭えない苛立ちが、つい語気を荒げさせる。幽香はさっさとその場を後にした。

 

「針千本、あとで飲んどくわ」

 

 どうせ死なない。

 

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