東方百花境(完結)   作:おぴゃん

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4.Marche au supplice

「それで」

 

 アキラの鼻筋を脂汗が伝っている。炎天下、ケンゴの背中を見送るだけの男に、幽香は日傘を差し出した。

 

「手を打たずに行かせてしまっていいのね?」

 

 大きな体を引きずるように近くの木陰まで歩いていって、彼はもう一度だけケンゴが去った方角を見据える。渦巻く陽炎の中に、ぼやけたワイシャツの背中が消えていく。まるで、蜃気楼のように。

 

『アンタのガキは父親似だ。つくづくな』

 

 彼を止めようとして、アキラは初めてその異様に気付いた。それは些細なモノであって、決して幽香が見たような名状しがたい姿ではなかった。ただ、違うと感じたのだ。以前のケンゴとは何かが決定的に違ってしまっている。だからこそ道を譲った。あの一瞬、どうしていいのかが分からなくなってしまった。

 

「だが」

 

 幽香の前に、アキラは再度立ちふさがる。

 

「子を守るのは、父の使命だ」

「と、今のあなたは自分を騙しきれていない」

 

 ぶらりと下げられたままの両腕が、その証だった。

 この場所に来て、ケンゴを目にした瞬間までは何を犠牲にしてでも彼を守るつもりだった。アキラはケンゴが思うよりも、ずっと父親らしい父親だった。しかし、肝心のケンゴと、その内に巣食った空虚。あれは危険すぎる。おおよそ、すべてのモノが持つ意味をミキサーのように粉々に分解してしまうような。

 父としての責任と、幻想郷と現代に生きるものとしての責任。板挟みになった彼は、ついに足を止めてしまったのだ。

 

「あいつに何が起こってる」

「それを確かめにいくわ。あの子が何者なのか。キョウコの言う通りの力があるのなら、私は最悪当て馬になってもいい」

 

 それで幻想郷が救えるなら、と。

 

「これは異変なのか」

「おそらくそう。そして裏にあるのはおそらく百花境。誰かがあれをもう一度動かそうとしている」

「破壊したはずだ」

「九割はね。そのくらいなら、十分な栄養と環境さえ整っていれば、生き延びることもある。草花みたいに」

 

 ケンゴを追いかけるように足を進める幽香の背中にむけて、アキラは右手を彷徨わせた。今撃てば、彼女を止めることはできる。できるが。

 

「いいのね、アキラ」

 

 数十メートル歩いて幽香は背後へ張り巡らせた緊張を解いた。アキラの能力の射程圏は把握している。代償としての単純な軌道。そしていかなる結界をも無効化する超高速弾による射撃。『貫き、徹す程度の能力』による脅威は過去に何度も身をもって知っている。

 確実にとどめを刺せるタイミングを晒して尚、彼が踏み切らないということは。

 未だ幽香の中にもケンゴに対する愛着のようなものはある。嘘つきと化し、世間一般で言うところの情けないヤツになり果て、おまけによくわからない影まで背負い込むことになった今でも。そしてキョウコとの約束だって忘れたわけではない。ケンゴを殺さずに済む方法があるのなら、三日前に実行していた。

 

「報いはいつか受けるでしょうね」

 

親友との約束は、もう果たせない。

 

「正直驚きを隠せないと言いますか」

 

 椿の髪飾りが幽香の視界の端に映った。紙束と筆を抱えた女は意味ありげな視線を幽香に送っていた。

 

「あなたは最終的に彼の側につくかと思っていましたから」

「安心した?」

「それなりに。少なくとも私があなたの光線で炙られる心配はいらなくなりましたからね」

 

 どこか浮かない顔の幽香を勢いづけるように、彼女はぱちんと両手を鳴らした。椿の髪飾りがずるりと滑り落ち、彼女は慌てて位置を直し始める。暑さに強いたちではないのだろう。太陽を見上げて、彼女はちょっとした立ちくらみを覚えたようだった。

 

「それ――とと。彼に退場願うなら、あまり手加減する必要は無いかと。いえ、無くなりました。天狗たちが幻想郷を救う手だてを見つけたみたいです」

「そんな馬鹿げたものがいくつもあるなんて、外も物騒になったわね」

 

 じゃあ気兼ねなくぶっ殺せる、と。彼女にしては珍しく露骨な口ぶりで幽香は足を進めた。

 

「真実と歴史を記述するのが私の役目です。私の口から偽りが出るなど、あってはいけない」

 

 さび付いた車軸の奏でる、耳障りな音。

 

「それを違えることまでしたんだ。約束は果たしてもらいますよ」

「はいはい、ゲンソーキョーね。俺に言わせれば、歴史なんかよりも男の一人とでも付き合った方がよっぽど身の足しになると思うがね」

「行きましょうか」

 

 車椅子の男は肩をすくめた。

 

「何、怒ってんの?」

「ここで彼女を切り捨てる意味が分かりません」

「あいつはキョウコに近すぎる。それよりどうだ。この近くにいい店があるんだけど、景気づけに軽く一杯」

 

 車いすの男を遮って、彼女は彼の指す方向とは全く反対へと車いすを押していく。男はつまらなそうにあくびをかみ殺した。

 

◆◆◆

 

雷雨の朝だった。

 

『つかまえた、わ』

『な、なんだよう! はなせってば!』

 

 ばたばたと暴れる子供を床の上に放り投げて、幽香は彼をつぶさに観察した。歳は十にも満たないか。キョウコから受け継いだ血の影響は小さく、外見は人間と変わりない。ただ、その力はいかほどか。

 

『おまえ、誰』

 

 ずいぶん生意気に育ったものだと幽香は呆れる。異変で開いた境界の隙間を縫って旧友を訪れてみれば、クソ生意気な子供が一人。おもちゃの散乱する室内で再開したケンゴは、おそろしく冷たく彼女を迎えた。

 

『幽香よ。風見幽香。もう忘れちゃったの?』

『――――あぁ、ユーカ。覚えてる。よく遊んでくれたよね』

『そうね。あなたが汚したおしめの始末もしていたんだけど、それは?』

 

 真っ赤になってうつむく少年を眺めていると、無礼な物言いに対する憤りも多少は薄れた。

 

『キョウコは?』

『おじさんとこ。オヤジが出て行ってから、たまにこんな感じでさ』

『ふぅん』

 

 アキラはかれこれ一か月ほど幻想郷での異変に付きっ切り。それをキョウコが幼いケンゴに語ったかどうかは定かではないが、彼はどうやらよくない方向に物事を勘違いしているようだった。窓から侵入した幽香はようやく靴を脱いでベランダに並べると、極力ケンゴを警戒させないよう、目線を落とす。

 

『いいよ、そういうの。ユーカは人嫌いなくせに、昔からそういうヘンな気づかいするとこあるよね』

 

 イラっときた。

 

『それより遊んでよ。暇なんだ』

『な――何がいい、かしら』

 

 こんな子供ごときに怒りをぶつけては、これまでの数百年の生を否定するようなものだ。彼女の全身から沸き立つ殺意をものともせずに受け止めるケンゴは、無邪気に笑って窓の外を指し示した。

 

『こんなにいい天気なんだ。外で遊ぼうよ』

 

 言わずもがな、雷雨の一日である。さっそく目の前のナマイキを沈黙させてやるべく窓

の外を指し示そうとして、彼女は異常に気付いた。いつの間にか静まった雷と、背後から差す強烈な日差しに。

 

『ね?』

 

 窓を開け放ったケンゴは、得意げに笑う。

 

『あなた、一体』

『いいからさ。ヤキューしよう、野球』

 

 ケンゴに手を引かれるままにふらふらと家を出た幽香は彼と共に近所の公園を目指して歩く。乾ききったアスファルト。路端の草木にはひとしずくの雨露もなく、うららかな初春の日差しがあるだけ。

 

『そうだ、コーラがあるんだ。飲もうよ』

 

 陽光に目を細めた幽香をどう思ってか、ケンゴは水滴のしたたる薄緑色の瓶を差し出した。恐る恐るそれに口をつける幽香。甘い。それに、まるで直前まで氷漬けにされていたように冷たい。しかし喉を滑り落ちる炭酸の爽快感よりも、ケンゴの行った何かしらの超常の業の異様さの方が際立っていた。

 複雑な表情を浮かべる幽香を前に、ケンゴはまた、優越感に満ちた笑みを漏らす。

 

『俺の言ったことはすべて本当になる。まるで、王様みたいじゃんか』

 

◆◆◆

 

 そして映写機は回転を止めた。

 幽香は負け、水底に沈んだのだ。最悪、ケンゴの能力で存在そのものを削り飛ばされるまでは覚悟していたが、実際には奇妙な妖怪との共同戦線を張り、搦め手と嘘まみれにされて敗北した形だ。

 

「よくやったな、幽香」

 

 水中でも車輪の音は聞き取れた。岩と冷たい水、そして暗がりの中にあってその男の姿は何故かはっきりと見て取ることができた。壊れかけの車いすの車輪はしっかりと、幽香の上にのしかかるコンクリート片を食んでいた。

 

「最高の当て馬さ、お前は。おかげで本当にあいつが空っぽだってことが分かったんだ。感謝してもしきれな――いッ!?」

 

 男の胸には大穴が穿たれていた。水中にあって一滴の血も流さないまま、男はきれいに焼け残った脊髄を興味深そうに眺めていた。最後の力を出し切った幽香は、ぐったりと頭を横たえる。

 

「ざまあみなさい」

 

酸素の残り香を吐いて、幽香は薄く笑む。男は胸元を払って、ふさがった穴を前に満足げにうなずいた。

 

「いや、こういうのも刺激的でいいケドさ。せっかくなんだからもっと大事なネタばらしとかどう? 本邦初公開ってことで」

 

 男は顔を上げた。ぼんやりとした明かりの中に、ようやく幽香は彼の正体を見て取る。彼女の瞳が一瞬見開かれ、すべてを納得したように伏せられる。枯れない花を自称した美しい女は自嘲的に笑った。

 

「なるほど。全部あなたの手の内ってわけ」

「そう。その顔。それが見たかったんだ」

 

 素顔を露わにした男は満足そうに笑い、現れたときと同じく煙のように掻き消えた。後には幽香だけが残される。彼女は舞台から降りなければいけないことを知った。残ったのはケンゴとあの妖怪、そして狂った車いすの男に率いられた幻想郷の住人たち。

 

「本当、気に食わないわ」

 

 やり残したことは山ほどある。だが、すべては起こってしまった。

 再び訪れた沈黙に、目を閉じる。そうしていると、瞼の裏に光が満ちてくるような気がした。

 

 

 

第三章『時計仕掛けのひまわり』おわり

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