東方百花境(完結)   作:おぴゃん

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2.ドレンチェリー

 教授の研究室には在籍するにあたっての三つの決まりごとがある。

 

まず第一に、サボってもいいが必ず成果はあげること。

第二に、生ごみは放置しないこと。

最後に、最低限の身だしなみは常にきちんと整えること。

 

「お前らは二つに違反している」

「いや、さすがにきたねえけど、俺たち成果とか研究とかやってないし」

「生ごみが偉そうな口を利くんじゃない」

 

 即刻体を洗って服を買いに行け、というのが教授がこの先しばらく研究室に借りぐらしする二人に出した条件だった。完全に給湯器の故障した体育棟でシャワーを浴びて出てきたケンゴを、彼と同じようにあずき色のジャージに身を包んだぬえが待っていた。

 

「これ、着心地悪いんだけど」

 

首周りを気にしながら、ぬえはラグビー部の部員一同に見送られて体育棟を出た。

 

「お前、あいつらに何したの」

「全員倒した」

 

 二人分の衣服を買うとなると、当然、高校生一人の財力では厳しいものがある。そこで教授のお使いを引き受けたのだが、その内容がまた膨大である。ブルーシートとトイレットペーパー。新しいコピー用紙三束と男性用靴下、そして漂白剤。もはや服がおまけのようなリストの内容にげんなりとしつつも、文句を言えた立場ではないので大人しくケンゴは従う。

 この買い出しを嫌がっているのはケンゴ一人であって、妖怪の少女はようやくのんびり現代見物ができると上機嫌だった。大学を出てからH市街に出るまでの道のりを、彼女は数歩分リードして歩く。

 

「この先をずっと行くと、アーケードがあって。その先に大きなモールがあるんだ。結構いろんな店があるから、お前の服も見つかるだろ」

「で、アーケードって何?」

「あー」

 

そこからか。

 

前時代的なジャージ姿の怪人二名がどこへ行っても付いて回るのは青臭さだった。日傘の女の影響から解き放たれたひまわりたちは守りを失い、あちらこちらで切り倒されている。一部の交通はすでに回復したようで、茶色く変色した茎の残骸を蹴散らしながら市バスが二人の横を抜けていった。

 

「お、おおおぉ!」

 

 ぬえが大声を上げたのは、駅前のロータリーを通りかかった時だ。何事かと彼女の視線を追ってたどり着いた巨大な液晶にはm焼け跡と化した例の遊園地の空撮が映し出されている。

 

「ねぇねぇケンゴ、あれやったの私たちだよねぇ!?」

 

 よくわからないはしゃぎ方をする妖怪の口を塞いで青年は先を急ぐ。

 外の世界に貪欲に興味を示す彼女を捕まえてショッピングモールまで引きずっていくのは至難の業で、そこから教授に頼まれたお使いを遂行することを考えるとケンゴは気が遠くなった。

 

「その本の説明はご免こうむる。それと、一人で返してこい」

 

 本屋にて。のれんのかかったブースへと戻っていくぬえを見送って、ケンゴは頭を抱える。いちいちあれはなんだのこれはなんだのと質問攻めのぬえに付き合い続け、とうとう本来の目的を果たす段になるとすでに日は高い。

 

「せっかく教授から金をせしめたんだ。好きなのにしろよ」

 

 それまでマネキンの方を興味深そうに眺めていたぬえは、ようやくその店にやってきた目的を理解したようだった。

 

「服?」

「そう。やっぱり黒か?」

 

 涼しげな黒いドレスに手を伸ばしかけて、彼女ははたと動きを止める。そういえば、過去にも似たようなことがあった。

 

『い、いいよっ。自分で着替えられる』

『遠慮しないの』

 

花畑での手当てを受けて目を覚ますと見知らぬ家へと連れ込まれていた。こんなことは頼んでいないと反論の余地もないまま、素っ裸にひん剥かれた。

 

『お、覚えてろ!』

 

珍しく白を着たな、とセーターに袖を通しながらぬえは思う。頼みもしないのに体を拭かれ、髪まで整えられ。鏡に映ったものは、

 

『やりすぎ』

『そう? かわいいじゃない』

 

 恐ろしさが武器の妖怪としては、それが一番の問題なのだが。

 

『ちくしょう、悪魔め』

 

 キョウコが去って、さっそくぐちゃぐちゃと髪だけでも怪物らしくしようと彼女が悪戦苦闘していると視界の端を小さくて速い何かがよぎった。目だけでそれを追うと、ぶかぶかの服を着た子供だ。おおかた、忘れたおもちゃを取りに来たのだろう。安っぽい、月のプリントがされたゴムボールを手に、彼はようやくぬえの存在を思い出したようにベッドの上の妖怪を見上げた。

 

『あいつも不用心ね』

 

 素性も分からない怪物と、こんな子供を一緒にするだなんて。

 子供だから、なのだろうか。彼女を見つめる子供の目には、一切の恐れがない。ただただ、好奇心と驚きがないまぜになった感情があるだけだ。

 

「お決まりですか?」

「おい?」

 

 二つの声に、ぬえは回想の中から呼び戻された。彼女がとっさに手に取ったのはもとの黒いドレスではない。ほんの、気まぐれだった。

 

「白かな。うん、白がいい」

「珍しいな」

「私もそう思ってたトコ」

 

キョウコに無理やり押し付けられた服はどこへやったかな。と思いつつ、財布を覗きこんで真っ白になるケンゴを見つめる。関節の油が切れたような動きで顔を上げた彼がためらいがちなゴーサインを形作ると、ぬえは苦笑した。

 

「どうかな」

 

着替えて出てきたぬえを見てケンゴはおもわずどきりとし、背後に回ってぎょっとした。白いサマーニットの背中は、大胆を通り越して攻撃的なレベルで肌が露出している。

 

「それは、その…‥なんというか、恥ずかしくないのか」

「そう? 前の洋服もこんな感じだったけど」

「覚えがない」

「ケンゴの後ばっかりついて歩いてたからなあ」

 

そういえば、とケンゴは思い至る。こうして二人肩を並べて歩くことが、いつの間にか当たり前になっていた。

 

「聞きそびれてたけど、どうして母さんのことを黙ってたんだ?」

「げげ」

 

 出やがった、とでも言わんばかりの彼女の苦々しい顔。

 

「――そ、それよりも気になって仕方ないことがあるんだけど」

 

あからさまな話題転換をはかるぬえの言葉にケンゴは探るような視線を送る。だが、その訝りも次の一言で崩れ去ることとなった。

 

「私が大切ってケンゴ言ったじゃんか。その意味が知りたいな、なんて」

「げげげ」

 

 言ったことは事実である。しかし、あの状況ならまだしも、この場でその理由を軽々しく口にできるほど、ケンゴは子供でも大人でもない。

 

(母さんに似てるんだよ、お前)

 

などと恥ずかしいことは、決して。

 

「……お前無しでは、あの女に勝てなかったろ」

「ホントにそれだけ?」

「他に何があるってんだよ」

 

 駆け出したぬえが、ベンチの背もたれに飛び乗る。細い足場の上で器用にくるくるとステップを踏む。丈の短いスカートが何度も翻る。周囲の視線を根こそぎ集める。

 

「ケンゴ、どうしたの?」

 

 大人しくしていれば、一緒に歩けることを誇れるほどの美少女ではあるのだが。いかんせん中身が妖怪では奇行が目立ちすぎる。ケンゴは極力彼女の関係者に見られないように距離を開けて歩くうち、先ほど彼女に抱いた不審をどこかにやってしまっていた。

 そっと胸をなでおろして、ぬえは布地の上からそれに触れる。革ひもで首から下げられた銀の指輪は、あの日キョウコに預けられたままのものだ。

 

「こんな季節に防寒着とか、一体どこのバカが着るんだよ」

 

 地方のショッピングセンター特有のどこかズレたラインナップに呆れた笑いを漏らしながらついてくるケンゴを脇目で見る。やはりキョウコの言葉をすべて彼に語ることはできないと、ぬえは思う。少なくとも今は、まだ。

 

「ケンゴ、おなか減った」

「もう昼か。じゃあファストフードの味を教えてやるよ」

「なにそれ」

「食べる油」

 

 ぬえの返事はなかった。ケンゴが振り返ると、彼女はつい今しがたすれ違った一人の少女へと視線を注いでいる。山伏とも女子高の制服ともとれない奇抜なファッションセンスの少女は、下駄じみた厚底のローファーをかつりと鳴らして振り返る。胸元に手をやって、ぬえはわずかに目を見開いた。

 相手は快活さを感じさせる笑顔で軽く頭を下げると、踵を返してさっさと行ってしまう。

 

「その、ちょっと」

 

 彼女はケンゴと去りゆく少女に交互に焦った視線を送る。

 何が起こったのかをケンゴに説明するのは簡単であったが、時間が惜しい。おまけに、一番語りたくないことまで口にするハメになることは明白だった。

 

「う、うんち」

「は?」

 

 ゴミ箱をひっくり返す勢いでぬえが駆けていく。彼女の向かう先、先ほどの少女はどうやってか、既に上階へのエレベーターに乗り込むところだった。頭を掻いて向きなおったケンゴの前には、二人の少女。一目見て人間ではないと分かる異常な容姿と美貌を、二人は隠そうともせずにそこに佇んでいた。

 

「初めまして、ケンゴ。私はレティ・ホワイトロック。こっちの蹴ったら死にそうな猫又は橙よ」

「やっほー……え、何て?」

 

 差し出されたレティの手は氷水に手を突っ込んだように冷たく、思わずケンゴはそれを振り払っていた。彼女は気にする様子もなく、雪のように白い手で近くのテーブルを示した。

 

「とりあえず座って、ゆっくり話しましょう。時間はたっぷりあるのだし」

「ねぇ、今何て言った?」

 

◆◆◆

 

「きれいなおべべ、買ってもらえてよかったですね」

 

 ごうごうと飛行機のエンジン音が突き抜ける夏の空。

必死に階段を駆け上ったぬえが屋上に出ると、頭上からの声。無数のカラスと給水タンクに腰かけた少女を、ぬえはきっと睨み付ける。彼女が背負うものはぬえの色鮮やかな翼とは対照的な、闇夜のように黒々とした翼だ。鴉天狗はポーチから年代物のカメラを取り上げる。

 

「はい、とりあえず記念にチーズ」

 

 無遠慮なフラッシュに、ぬえはより一層敵意を強めたようだった。天狗の少女は銀の指輪をもてあそびながら彼女の出方を見守っている。

 

「いつ、それを?」

「さっきですよ。丁寧に目の前でお願いして、何も言わないのでオーケーかなと思って、お借りしました」

 

 先ほどぬえに見えたのは、背を向けていた彼女の顔が一瞬にして目前に迫り、軽く耳元に口を寄せて、まるで巻き戻しのようにもとの位置に戻っていくぼやけた残像だけだった。彼女が漏らすくつくつという笑いにあおられるように、カラスたちも一斉に低く喉を鳴らすように鳴きはじめる。逆光に浮かび上がるシルエットのおかげで、彼女と鴉たちが一体の大きな怪物のように見える。

 

「アンタ、誰?」

「ただのブン屋ですよ。その名も清く正しい射命丸ってことで、ひとつ」

 

 天狗のブン屋。射命丸。知った名前だ。射命丸文。その羽ばたきは音速とも、その上とも呼ばれていた。神出鬼没であまのじゃく。とにかく目の前のスキャンダルを片っ端からすっぱぬいていくので、妖怪にも人間にも目の敵にされることが多かった。

 それでも尚彼女が健在だという事実が、隠された文の実力を物語っている。剣もペンも握らせれば一流。とにかく食えない女だと、鼻を鳴らしてぬえは腕組みする。

 

「さて、こうしてあなたを誘ったのは聞きたいことがあるからでして。どうしてあなたは、全く能力の兆しを見せないケンゴ青年にそこまで執着しているのかなあ、と」

「今はまだその時ではない。それだけよ」

「本当に?」

 

 努めて無表情を形作るぬえの顔に、文はレンズを向ける。それは何のいわくもない、ただの機械だ。にもかかわらず、前に立つ妖怪は不気味な居心地の悪さを感じる。

 

「彼に恋でもしましたか」

「馬鹿じゃないの。ケンゴはただの」

「ええ、ええ。もういいですよ、あなたの言いたいことはよおっくわかりますよ」

 

 人を小馬鹿にしたような話し方にぬえは青筋を浮かべながらも付き合う。射命丸が手の中に置いて眺めて透かすキョウコの形見がなければ、とうの昔に襲いかかっていたに違いない。ぬえの背後から無意識に立ち上がった刺々しい翼が、威嚇するようにぎちぎちと金属音を鳴らしていた。

 

「あやや、そんな顔をして。おなかでも痛いんですか?」

「腹に据え兼ねているだけよ」

「おぉ、怖い怖い」

 

耐えろ、わたし。

ぬえは必死に己に言い聞かせる。

 

「それ、大事な人の形見なんだけど。さっさと返してもらっていいかしら」

「交換条件にあなたの身柄をこちらに引き渡す。ってことでどうでしょうか」

 

 それを交換と言うのか、はなはだ疑問だ。

 

「私たちはケンゴとは別の、幻想郷を救う手段を見付けました。ひょっとするとこの世界も。ただ、彼は年頃の男の子と言いますかちょっとわがままでして。別に妖怪としての力が必要というわけではなくて、あなた自身が欲しいと」

 

 そう口に出す天狗も、不愉快さを隠そうともしない。

 

「女の子をモノみたいに扱うヤツの下で働かされるなんて、最悪ね」

「まったくです」

 

 殺気に反応してカラスが一斉に飛び立つ。黒い暴風の中、まばゆい光が幾度も翻った。

 

◆◆◆

 

一方のケンゴはショッピングモールのフードコートにてレティ、そして橙と『和平交渉』を行っていた。しかし、相手が二体、それもぬえがいないのでは抵抗の余地もない。いかなる嘘をついてでも、この場をしのぎきるつもりだった。

 

「そんな警戒しなくたっていいわよ。こう暑いんじゃ私の力は生かせないし、おまけにこの子は仕事をする気がないしね」

「まあねー」

 

 猫又と雪女。

 恐ろしげな伝承とともに伝えられる二体を前にして、ケンゴは不思議と落ち着いている。それは、気の抜けた会話とも、その外見からくるものともとれない。もちろん彼女たちと、自身のお気楽な思考の危険性も十分把握はしているのだが。

 

「しかしこの冷房? クーラーって便利ねえ。夏場は本当に命に関わるから、いつも涼しい所で夏眠しているんだけど」

 

 頭上。ひんやりとした風を送るエアコンの吹き出し口を見上げて、レティは店員の運んできたクリームソーダを口に運んだ。

 

「仮眠?」

「夏の眠りね。夏のあいだは寝るのよ。で、冬になったら起きる」

 

 テーブルの下に潜り込んだ橙がもぞもぞと動き回っていたかと思うと、ケンゴの膝の上に顔を出した。まるで、目を奪うように愛くるしい少女は、

 

「ここ、座ってもいい?」

 

 と、また場をわきまえていないことを言う。

 

「ちょっと橙。彼は」

「ねぇ、いい?」

「まったく」

 

 有無を言わさず彼女はケンゴの膝の上に座った。上機嫌に足をばたつかせる彼女を見ていると、やはり妖怪というものについて考え直すべきなのではないかとケンゴは思う。あの日傘の女が偶然にも殺伐としていただけのことであって、膝の上の猫又はどう考えても人畜無害だ。

 ふっと笑って、ケンゴは橙に問う。

 

「なぁ、少しばかり寒過ぎないか。平気か?」

「ありがとう、ケンゴ。寒くないよ」

 

 二人のやり取りを穏やかに見守るレティはクリームソーダからチェリーを拾い上げた。彼女の唇に触れたそれがうっすらと霜に覆われていく。

 

「話を元に戻すけれど、もう私たちはそれほどあなたに興味があるわけじゃないの。幻想郷を救う手立てはすでに見つかった。あの子は何か、別の目的で動いていたみたいだけど」

「あの子?」

「風見幽香。あなたが水底に沈めたかわいそうな女の子よ」

 

 花々を引き連れた日傘の女の、悪魔的な笑顔がケンゴの脳裏によみがえる。彼女との激闘を制してから早くも二日が経とうとしているが、その脅威を思い出す度、未だに生きているのが不思議でならなくなる。

 

「人をサディストみたいに言うなよ」

「本当に御するのが難しい子でね。その代わり彼女の戦力を期待していたんだけど。あなたが彼女を倒すなんて、考えられないことだった」

 

 だからこそ、こうして交渉を持ちかけたのだと彼女は言う。

 

「今の私たちの目的はあなたではなく、あなたと一緒にいる妖怪なの。彼女を引き渡してくれればもうあなたには干渉しない」

 

 それは。

 

「ケンゴ?」

 

思わず険しい表情を浮かべたケンゴを、不安げに見上げる橙。青年はその頭をくしゃりと撫でる。彼女の提案に心惹かれる部分はいくらでもある。風見幽香と向き合った時の恐怖。あれを二度と味わうことなく済むなら、何事をも投げ渡しても惜しくはなかった。

 しかし。その恐怖から救い出してくれたのは、他でもないぬえだ。彼女を売ることはできない。ケンゴは橙を床に降ろす。

 

「やっぱり寒くないか、レティ。ちょっと温かい飲み物でも――」

「そんな淡い恋心が報われるとは思わないけど」

 

 肋骨の内側を思い切りぶんなぐられたような衝撃だった。中途半端に腰を上げたまま、ケンゴはぎこちなく目の前の雪女に向きなおった。彼女の手にしたクリームソーダは、半ばシャーベットと化してレティの口元に運ばれていく。

 

「今、ひどく脈絡のないことを聞いたような気がするんだが」

「図星?」

 

しゃりしゃりと音を立ててストローに突き崩されていくのは、決してシャーベットだけではなかった。

 

「突然かわいい女の子があなたの生活に潜り込んで、潤んだ瞳で『あなたじゃなきゃダメ』と言う。強敵との緊迫した戦闘、謎めいた黒幕、自分の中に眠る全知全能の最強能力」

 

 再び腰を下ろしたケンゴの膝の上に、すかさず橙が飛び乗る。レティは片肘をテーブルについたまま、投げ出した脚を組み替える。疵の一つもない、新雪のように白く美しい脚。

 

「うまく行き過ぎて勘違いしているのだろうけど、これ現実なのよ」

 

 あえてケンゴが考えようとはしていなかった事実であった。本人ですら思い出さないように心の奥深くに埋めたものを、目の前の雪女は的確にえぐり出してきた。あの妖怪にお前は何を期待しているのだ、と。

 

「ラブだのコメだの、日常パートだの、ばかばかしい。そんなものが現実にあるワケないでしょ。あなた、怪物相手に戦争してるっていう自覚はあるの?」

 

日傘の女との戦いを経て、無防備になっていく彼女に母を見ているうちに『ひょっとしたら』と思い始めている自分。それは確かに、ケンゴの中に存在していた。

 

「しょせんは妖怪と人。寂しいわね、門松に恋するのと大して変わらないわよ」

「とんだ、見当違いの、あてずっぽうだ。あいつは、ただの」

 

 レティはくすくす笑った。もはや勝ち目などないことをケンゴは悟る。

 

「ねぇ、どれが聞きたい? ある吸血鬼に恋をした女の話はどう? 彼が一番乾いたときに出会ったらしくて、それっきり。そういうのはお気に召さないなら水魔に求愛されたおじいさん。本当に深い、深い愛。事実彼は二度と這いあがれなかったし。それとも――」

 

 ――――鵺に恋をした、嘘つきな男の子の話?

 

「うるさい、お前に何が分かる」

 

 しんとした沈黙が漂った。まるで時間が凍り付いたような錯覚を覚えるほどの十分な間をあけて、レティは大物めかした所作で最後の一さじをクリームソーダからすくいあげた。

 

「何もわからないけど、結果だけは見えてる。こんな見え透いた時間稼ぎに付き合ってくれて、本当助かるわ」

「なんだと」

「本当はあなたもあの妖怪も欠かせない。でも、檻の準備はできていなかった。二分前までは」

 

 組んだ腕を外そうとして、ケンゴは異常に気づく。両手が白い。いや、それは霜だ。強固に凍りついた氷の膜が、両手両足を鋼のように拘束している。冷房などではない。これは。

 

「何も知らずに終わるのは、一番辛いでしょ?」

 

 恐ろしい冷気が吹き付け、ケンゴは椅子ごと床に倒れ込んだ。天井からぶら下がるつららと、そこかしこに転がった大きな氷塊。奇妙な突起の形を見るうち、それが驚愕の表情を浮かべたまま凍りついた人間であることに気づく。

 

 「本当、クーラーって便利ねえ」

 「だいじょぶ? 頭打ってない?」

 

無邪気な橙の表情に底知れぬ恐ろしさを覚える。彼女は心の底からケンゴを心配していた。ここまでの惨事を引き起こしておいて。妖怪は妖怪だ。相手が人間ならば、どれほどの犠牲も厭わない。当たり前のことだったはずなのに。

 

「やっぱりこの子を連れてきて正解だったわ。どうにも私の力は効きが遅くて、ね」

 

まるで、目を奪うように愛くるしい少女。気づけば周りが見えなくなっていた。いつから? 無邪気に笑う猫又を目にした瞬間から、だ。

 

「ごめんねー」

 

たかが子供だと、完全に油断しきっていた。その実、ケンゴを騙すための術中にかけられていたのだ。嘘の掛け合いには、初めから敗れていた。何か恨み言を吐いてやろうにも、ケンゴの口はすっかり接着されていた。冷気はとめどなく強まっていく。

 

「今のうちに慣れておいてね。これから、もっともっと寒いところへ行くんだから」

「でもレティ」

「わかってる。まだそこまで老けちゃいないわよ」

 

 言ってから思うところがあったのか、レティは橙の頭を軽く小突いた。

 

「えぇっ、なんで!?」

 

 理不尽に打ちひしがれる橙を見て愉快そうに笑いながら、彼女は凍りついた窓の外を見た。真夏の光景、そして、入道雲をバックに激しく火花を散らし合う二体の妖怪を。

 

「トラツグミを捕まえに行きましょう」

 

 




シロップ漬けでゲロ甘にされた揚げ句氷漬けになるサイダーのチェリーは、すっかりラブコメに緩み切ってまんまとレティの罠にかかるケンゴの運命の暗示だったりします。

ごめんなさい、書いてからこじつけました。てへ。
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