一般的に。
鳥類で最速の名を欲しいままにするものはツバメであるとされる。彼らは200km/hの速度で飛行し、狩りを行う。それは生物的な処理速度と、肉体的な強度の限界であると言える。しかし幻想郷では少しばかり速度の格付けは変わってくる。魑魅魍魎が跋扈し、神話と魔法に許された最後の理想郷において最も速く飛ぶ鳥。それは、
「それを、返せ、よッ!」
疾風のようにビルとビルとの間をすり抜けていく二体の妖怪を、はっきりと目視できるものなどH市には皆無だった。音速域に達する二体の纏う衝撃波がビルの表面を波打たせ、無数の亀裂を入れていく。戦闘の余波と降り注ぐ破片が、はじめて彼らに何かが起こっていることを知らせる。
正直、ぬえにとってはかなり必死な戦いを強いられていた。高速域についていくだけでも、並みの人間が数キロを全力疾走するようなものなのだ。一方の天狗は音速で飛行を続けつつ、悠々と体を翻しては追いすがる妖怪の姿をファインダーに収めて口元を緩める。
「いい顔いい顔。もっと苦しそうにできます?」
「くっ」
ぬえによる明らかな怒りとともにぶちまけられたものは、隙間なく空中を埋め尽くす煌びやかな弾幕だった。まぶた越しにでも瞳を焼くような赤と緑と青の旋風が、立ち並ぶミラービルを極彩色に染め上げる。
殺到する圧倒的弾幕に、文は落ち着き払ってシャッターを切る。弾幕の爆音の中にあってはっきりと聞こえる鋭いシャッター音。そして、切り取られたように消失する弾幕。屋上から数十キロに及ぶ戦闘飛行において、数え切れないほど繰り返してきたやり取りだ。
先んじて述べたように、カメラ自体に特殊な仕掛けがあるということではない。射命丸文と名乗る天狗の少女の持つ強大な能力。単体ではただの力の奔流にすぎないそれを、カメラというイメージの形を介することで能力として発現させているのだ。いかなる破壊力を持っても弾幕は光にすぎず、光ならばカメラに捕らえることができる。
暴力的な理屈だが、それを可能にする限り文の力はバカにできない。
はじかれるように加速した少女が視界から消える。思い出したように衝撃波が走り、ビルの壁面が削られるように陥没していく。
「何を考えてるの?」
それでも文は一切の攻撃を行っていない。ただただ逃げるだけだ。ショッピングモールから離れれば離れるほど、ぬえの背筋は嫌な予感にうっすらと汗を滲ませていく。残してきたケンゴのことが何度も脳裏をよぎる。
「彼のこと、心配です?」
耳元、異様に甘い息と共に吹きつけられた一言。反射的に行った攻撃は哄笑する少女の残像を突き抜け、命中した高層マンションの壁面を圧縮し、あばためいた無数のクレーター群を刻み込む。
「ちっとも……ちっとも、気になっちゃいないわよ!」
そんなことを言われたら、気になるに決まっているだろうが。
戸惑いを振り払うように、ぬえのシルエットが大きく歪みを見せる。彼女が大きく不気味な怪物の身体に変じると共に物理法則を無視する例の黒煙がビルの隙間に充満した。怪物も煙も、ただの欺瞞にすぎない。しかし、文は急激な方向転換を余儀なくされる。黒々と渦巻く煙を振り払おうと加速を続け、その隙間に見えたものは、
「マズい!?」
目つき鋭く、銀の三叉槍を手に突撃するぬえの姿だ。とっさに回避運動に移った文の全身に凄まじい負荷と衝撃が見舞われる。が、直後に背後から与えられた一撃はその比でないほどの激震で天狗を貫いた。
「獲ったァッ!」
弾幕が効かないなら、直接ぶん殴ってやるだけ。
ミラービルに映った姿を利用して近づいぬえは、ろくに抵抗もできずに落下していく標的めがけて再度極彩色の弾幕と槍の雨を降らせる。追い打ちの弾幕に幾度も小爆発を起こしつつ落下する天狗。ミラービルに映った自分の姿をちらりと見て乱れた髪を直すと、ぬえは天狗を追って降下する。煙の匂いが強い。
地上は両者の――というか、ぬえの攻撃によって少なからず被害が出ていた。通りに突き立った無数の槍とクレーター、そして燃え盛る炎。彼女の視界に映る範囲において、すくなくとも死人はいない。ひしゃげた車にもたれかかるようにして、天狗はぬえの訪れを待っていた。こんな時でも平穏な夏の青空が、妙にミスマッチだ。
「いやあ、参った参った。こうも早く追い詰められてしまうとは。やはり大御所は一筋縄では行かなくって困る。それとも、愛のチカラってやつが偉大なんですかねぇ」
相変わらずの減らず口である。
あれだけの被弾にも関わらず、彼女はけろっとしていた。羽団扇で自ら立ち上る煙を吹き飛ばして、笑う。
「なんなの、こいつら」
それよりも何よりも、地上に降り立ったぬえが覚えた違和感は。
「ビョーキですよねえ」
電子音で合成されたシャッター音とフラッシュが二人に降り注いでいた。遠巻きに人型の災厄を見守っていた野次馬の一人が歓声を上げ、手を振って応えた文がお返しにレンズを向ける。かと思えば躍起になってテレビカメラを探すものや、実況をネットにアップする者。中にはケガをしているのか、血を流している者もいる。しかし誰もが皆、静かな熱狂をたたえて二体へと視線を注いでいた。
その一つ一つの行動の意味は理解できずとも、彼らが野次馬根性でこの場に現れたことだけは理解できる。現代に生きる人間たちの平和ボケというか、危機意識の無さに、ただただぬえは呆れた。
「現代なんてウソばっか。私にとってはこっちのほうがよっぽどおとぎ話みたいな世界ですよ。どいつもこいつも嘘に浸りきって、おまけに何かが起こることを心のどこかで望んでる」
その結果何が呼び寄せられるかも想像できないクセに、と。巨大な翼を金属の刃に変じさせたぬえの姿を見上げて文は呟いた。
「しばらく前に百花境を破壊したのはケンゴの父、向江アキラと花妖怪の風見幽香。おかしいと思いませんか?」
視線だけで先を続けるようぬえは促した。
「いくら強いとは言っても、幻想郷のものではない外来人と一匹狼の風見幽香が問題の対処に当たるなんて。あの巫女は一体何をしていたんでしょうか。そして、境界の管理者は?」
文は指輪を掲げた。ぬえの手によって磨きこまれた銀の指輪は、今はどうしようもないくすみを抱えているように見える。
「そもそも、どうして結界の中継地点にすぎない百花境が落ちるようなことになったのか。あなたはその理由を知っている。知っていて、あの青年に黙っている」
「ッ、それは!」
「私たちの主は」
言って、その単語に文は心底嫌気がさしたように表情を歪めた。
「彼はそれを知って絶望していたようです。あなたはそれを恐れているのではないですか。ケンゴが事実を理解したら、むしろ彼は真逆のことに力を使うのではないかと」
「……なら、どうしてそんな危険なヤツにアンタ達はついているわけ?」
天狗は薄く笑う。少しずつ輪を狭めてくる野次馬の列をちらりと見て、彼女は幾本かの光線で地面をなぎ払った。遅れて地中から迸った爆発に恐れをなして、彼らは蜘蛛の子を散らすように逃げていった。それでも尚あちこちから飛ぶシャッター音に、文は辟易した様子で額を覆った。
「はいはい、解散解散。それと、あなたにはもうちょっと付き合ってもらいますよ」
立ち上がった文の背中から広がった翼。はらりと落ちた一枚の黒い羽が白熱し、轟音と土砂を吹き上げる。一瞬後、天狗が背にしていた車に突き立った槍をぬえは引き抜いている。穂先には天狗の衣服の切れ端が引っかかっているだけだ。
地面には巨大な穴が穿たれ、遠い地鳴りのようなものが中から聞こえてくる。穴を覗き込んで様子を伺ったのは一瞬のこと。ぬえは臆する様子も見せずに穴の中へと飛び込んでいった。
◆◆◆
「とんでもないことをしやがって」
椅子に縛り付けられたまま、ケンゴは唾を吐いた。その唾すら、地面に落ちるなり凍りついてしまう。白い息を吐いて、ケンゴはあたりを見渡した。平日とはいえ人が多い。そのすべてが、凍りついていたとしたら。
「殺してはいないけれどね。このまま自然解凍されれば体がズタズタになって死ぬでしょうけど。実際に私の知り合いが蛙を……まぁ、そんな話はともかく、ノウハウはあるから多分大丈夫よ」
蛙を冷凍解凍して学んだノウハウとやらが人間にも使えるのかどうかは神のみぞ知る。多分大丈夫という言葉も、この際ケンゴは無視することにした。とにかく、この人質たちを無事に解凍してやる方法は私しか知らない、と目の前の雪女は言っているのだった。
「ふざけるなよ、このクソ外道が!」
がしゃりと椅子を鳴らしたケンゴの豹変ぶりに、彼の背後に立っていた橙がびくりと身を跳ねさせた。
「なぁに? さすがの嘘つきさんも怒っちゃった、ってこと?」
「こいつらに何の罪があるんだ。こいつらは何も知らず、当たり前の日常が当たり前に続くと思っていたんだ。それを、こんな俺一人捕まえるためにお前はぶち壊しにしやがって」
「随分と薄っぺらなことを言うわね。コトはもうこの町だけの問題じゃない。幻想郷と町一つ救うためなら私はなんでもするわ。橙もそうでしょ?」
ためらいがちに、それでも力強く猫又は頷いた。神も仏も、という顔でケンゴはかぶりを振った。しかしそれも一瞬のこと。決然とした表情でレティに向き直る。
「分かった。こいつらの命をかけて戦争をしよう、日常パートとやらはおしまいだ」
「へぇ。具体的には? そのカッコで?」
「自由にしてくれれば文句は言わない。アンタの言う通りの条件で戦ってやるよ。マジにさ」
レティはしばらく寒さに歯をがちがちと鳴らすケンゴを見つめていた。伺うように橙が背後から顔を出す。時間すらも凍りついたような間がしばらく続いた。ケンゴの鼻からつららが降り始めた段になって、雪女はそうだと呟いて指を鳴らした。
「いいわ。弾幕ごっこをしましょう」
「何ごっこ、だって?」
聞きなれない単語にあやふやな表情を浮かべるケンゴ。
「弾幕ごっこ、よ。互いに弾幕をぶつけ合う、ただのお遊び。私はこの人間たちの無事を。あなたはあなた自身の所有権を賭ける。なまじ話し合いよりも簡単でわかりやすいでしょ?」
「弾幕なんて撃てないぞ」
「この場所にあるものなら何でもいい。ゴミだろうが氷だろうが、私に当てることができたなら、負けを認めるわ。避けるし反撃もするけど、私は積極的に手を出さない。あなたはあなたの体力が尽きるまで戦っていいわ」
言って、レティは橙にケンゴを解放するように促した。彼女のひんやりした指がケンゴの手と縄に触れるのを感じた瞬間、荒縄は何の抵抗もなく切り裂かれて床に落ちる。手首を確かめるケンゴのそばに橙。数メートル離れて、レティ。
「ケンゴ、やめようよ。死んじゃうって」
心配そうに見上げる橙の肩にケンゴは手を置く。
「なぁレティ――何でも投げていいって、言ったよな」
「えぇ」
「オッケー」
次の瞬間あんぐりと口を開けた橙がレティの眼前に迫っていた。それが弾幕ごっこの開始を告げる合図だということに思い至ったレティは、体を無理やりひねって猫又をやり過ごす。体制を崩し、レティは床に尻餅をつく。
「べえっ」
凍りついた床を舐めながら滑っていく橙を尻目に、レティはろくに見当もつけず反撃の氷塊を打ち放つ。冷気の尾を退いた氷のミサイルが炸裂し、あたりには真っ白な冷気が漂った。ケンゴの姿は見えない。レティは油断なく次弾の氷塊を浮かべ、あたりに警戒の糸を張り巡らせる。床から唇を引き剥がそうとする橙のひんひんというベソかきだけが音らしい音だった。
「さすが猫だけあって軽い軽い」
正面のショップの扉を蹴り開けて出てきたものを見て、おもわずレティは吹き出していた。色とりどりの防寒着を、まるで雪だるまのように着込んだケンゴは、
「笑うなよ。俺だって馬鹿げてるのは分かるさ」
と、もこもこの肩を竦めてみせると踵を返し、レティに見向きもせずに歩き去るのだった。慌ててその背にレティは手を伸ばす。
「ちょっと。弾幕ごっこは?」
「え?」
首をひねり、ゴーグルに早くもついた霜を指で削り落とし、軽く屈伸して体を温めて、それからまた首をかしげて。
「あぁ、あったな。そんなん」
十分すぎる時間が経過した後、ケンゴはぽんと手を叩いた。
「いやあったな、じゃなくて」
「好きにすればいいじゃん、こいつら」
今度こそ、本当に空気が凍りついた。
「は?」
「アンタこそ勘違いしてないか? 俺はヒーローじゃない。おまけに自分の命は人一倍惜しいし、こいつらが何人死のうがさして良心は傷まない。あの店員はさっき婆さんが会計でモタついていた時に舌打ちばかりしていたし、その婆さんだってタバコを外の茂みに落とすのを見た」
「で、でもさっき戦争しようって言ったじゃない。私、ちゃんと丁寧にルール説明したじゃない」
「助かりたきゃ人は嘘だろうがなんだろうがつくだろうさ。大物ぶっといて、案外騙されやすいんだな」
「はぁっ!?」
足元に転がった氷塊をケンゴは一瞥する。助けを求めるように手を伸ばしたまま凍りついた小さな子供。レティには曇ったゴーグル越しの彼の表情はほとんど読めなかったが、ほぼ何の逡巡もなくケンゴはそれをまたいで上階へのエスカレーターへと足を進める。尚も動きを止めたままのレティに振り返り、決定的な一言を口にするのだった。
「ぶっちゃける。こんな奴らを命張ってまで助ける意味があるか? 俺が逆の立場だったら、こいつらは助けてくれるのか? 俺は実際嘘つきのまんまだし、あの日からなんも変わっちゃいないんだぜ。まぁでも、せっかく涼しいんだ。のんびり脱出させてもらうよ」
ぶっちゃけた。
未だ電源が生きたままなのだろう、ケンゴが足をかけるとエスカレーターは不機嫌に唸りを立てて数十センチ上昇して止まる。厚ぼったいマスクの内側から上機嫌な笑い声を漏らして、軽い足取りで青年は進む。無数の氷塊など意にも介さない様子で。
「わ、私たちって、悪役、だよね?」
ようやく回復した橙の頭を、レティは無表情にぶん殴るのだった。