「ついてくるな」
「ねえ、お願い。話を聞いて。アンタの助けが必要なんだって」
「人違いだ」
刺々しい口調が八つ当たりであることには気づいている。それでも、今日は色々とありすぎた。明日からどう生きればいい。今までは叔父が唯一無二の親友みたいなものだった。周りの信頼もクソもないケンゴと根気強く付き合ってきてくれた。だがそれも、もうおしまいだ。
「待ってったら!」
「うるさい、化物」
振り払われた手を見つめて、ぬえは俯いた。ようやく静かになったので、明日からのことを考え、グチを吐きつつ坂を下っていく。と、甲高いキシミを上げて向かってくるママチャリが一台。もじゃもじゃのひげを蓄えた白衣の男が、興奮した様子でペダルを漕いでいる。
度の強いメガネを片手で押し上げて、彼はすれ違う寸前でケンゴに気づいたようだった。
「おぅ、ケンゴ」
「教授 」
自転車から飛び降りて、彼は白衣の袖で額の汗をぬぐった。相当な距離を漕いできたと思えて、彼は息を整えるのに幾ばくかの時間を要した。
「今日は自転車なんスか。いつものミニは?」
「あぁ、町は大騒ぎだ。クルマどころじゃない」
「大騒ぎ?」
「なんだ。知らないのか」
教授は坂の遥か下方を腕で指し示した。晩夏の日差しにきらきらと光る湾岸。その照り映えを受けて、町は黄色に染まっていた。ケンゴの驚きを見て、教授は満足げに何度も頷いた。
「な?」
「あれ、あの通りを埋め尽くしてるのって……」
「そう、ヒマワリ。おかげで交通は無茶苦茶だ。おまけにバカでかい朝顔が大繁殖してて、ウチの大学もぐるぐる巻きにされちまった」
「なんで、いきなり」
「どうしてなんだろうなぁ。これだから生き物ってのは面白い。お前も大学入ったら、ウチの研究室に来いよな。おいしい豆料理をご馳走してやる」
がははと笑ってから、教授は口をつぐんだ。
「盛り上がっちまってすまんな、キョウコの葬式だってのに」
「気にしてないスから。教授が元気なほうが、きっと母さんも喜びます」
ケンゴの母、響子は二十年前、教授の研究室にいた。そこで母がどんな研究をして、どんな学生で、どんな生活を送っていたのかケンゴは知らない。母の過去を知ろうとしたことすらない。
「教授も葬式に?」
「あぁ。今日は焼香だけして帰るつもりだ」
「いいんスか。叔父さんもいますよ」
「いい、いい。昔話はお前のオヤジさんもいるときに、三人で酒でもやりながらにするさ。それに葬式は苦手だ」
「親父にそんな甲斐性、ないっすよ」
「身内をそう悪く言うもんじゃない」
まぁ行ってくるわ、とペダルに足をかけて教授は止まった。ケンゴを――正しくは、その背後にいるものをしげしげと眺めた。
「彼女、親戚か?」
おおよその想像はつきながら振り返ると、少し距離を置いてぬえが控えていた。教授の視線に気づいて、彼女は小首をかしげた。その仕草にどうしようもない苛立ちがまたこみ上げてきた。つかつかと歩いて行って、彼女を睨みつける。
「何してる」
「うるさいと言われたから、黙ってた」
「じゃあ、消えろ」
「それはできない。この町の存亡がかかっているんですもの」
「それと俺と、なんの関係がある」
「おおありよ。それを説明する時間だけでもちょうだい」
「断る」
「じゃあついていくわ。どこまでも」
「おいおい、何やってんだお前ら」
それまでやり取りを見ていた教授が、見るに見かねて割り込んだ。
「こいつに付きまとわれて、困ってるんスよ」
「別に付きまとってるわけじゃないわ。話を聞いてくれるまで追いかけてるだけよ」
「わかったわかった。とにかく、こんなところでケンカなんかするんじゃない。ケンゴ、お前の母さんの葬式だろうが。よそでやってこい。嬢ちゃんもだ。そんな格好してるってことは、キョウコの知り合いか何かだろう。さっさと顔の一つでも見せてやれ」
教授の言葉に、ぬえはスカートをつまんで見せる。言われればなるほど、彼女の身につけたものは、胸元の赤いリボン以外喪服じみた葬式様である。
「失礼ね。わたしの普段着よ」
「なんだ、違うのか」
「教授、さっさといかないと終わっちゃいますよ」
「あぁそうだな。そうだ、ケンゴ、お前の弔辞、上手くいったか?」
「――えぇ。ちょっとミスりましたけど、なんとか」
「よかった。よく堪えたな、いい息子だ」
ケンゴの肩を叩くと、教授は再び錆びた車輪を転がして坂を登っていった。坂の上からはもくもくと入道雲が湧き出している。夕方は雨が降るのかもしれない。
「どうして、嘘を?」
雲の威容に見とれていたケンゴが視線を戻すと、不思議そうに彼を見つめるぬえがいた。彼女の問いには答えず、ケンゴは坂を下り始める。背後から靴音。彼女はまだ、ついてきている。
「伯父さんはと知り合いなんでしょ。どうせそのうちバレちゃうわよ?」
「バレたらまた、ウソをつけばいい」
「なるほど」
嫌味のひとつもなく、彼女は素直に納得した。
「そっか。そうよね。ウソがバレたら、ウソをつかなきゃいけなかった理由をでっち上げればいいだけよね。なんでこんな当たり前のこと聞いたんだろ」
「バカにしてるのか?」
「へ? いいえ。むしろ感心していたわ」
その間も二人の足取りは町へと向かっていく。ひまわりと朝顔で覆い尽くされた町。ケンゴはとっさに叔父についた嘘を思い出さざるを得ない。ひまわり、朝顔、そして背後の少女。これを見せれば叔父も信じるだろうか、なんて思いつつ歩いていると、横からぬえが顔をのぞきこんできている。ケンゴは荒々しくため息ついた。
「ちょっと。まだ何も言ってない」
「目障りだ」
「なら、後ろにいるから。気が向いたら話を聞いて」
ほうっておけば、ずっとこの調子だろう。それこそ家まで着いてこられてはたまったもんじゃない。
「わかった、俺の負けだ。話を聞いてやる」
たった一言に、ぬえは目を輝かせた。
「ほんとう? 嬉しいわ!」
「でも今すぐってワケじゃない。聞いたと思うが、母さんが死んだばっかりで俺もいろいろ辛い。だから、今日の夜にしよう」
「わ、わかった」
「場所はここ。この坂道の、一番上。いいな」
「うん」
「じゃ、また」
ケンゴはさっさと背を向けて歩き出す。
「ケンゴ」
「あ?」
「ありがと。アンタのおかげで、希望が持てそう!」
直後に彼女のとった行動に、ケンゴはとっさに反応できなかった。ぬえは一瞬、強く青年を抱きしめると翼を広げて空に舞い上がる。照れ笑いが見えたのは、またたきの間ほどだ。突風が吹き、彼女はすぐに青空の黒い点となった。
「あいつ、馬鹿だな」
ケンゴは無感情に言い捨てた。ぬえの言葉を思い出す。困ったら、その都度嘘をついていけばいい。それだけだ。