東方百花境(完結)   作:おぴゃん

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4.氷点下ヒーローショウ

コンクリートの外壁に接近するたび、両者が張り巡らせた結界が赤く輪郭を顕にし、夥しい火花が暗闇に散った。天狗と鵺の戦いは地下鉄の路線に踏み込んで、一層激しさを増している。

上りと下りで路線が分離しているため、妖怪二体が翼を広げて飛行することを考えると、恐ろしく手狭だ。押し合いへし合い、ありったけの馬鹿力と罵詈雑言を叩きつけ合う喧嘩列車はいつ終わるともしれず線路をひた直進していた。

 

「おぉ、怖い怖い。必死ですねえ!」

 

 ひどく意地の悪い笑みを浮かべた文が鉤爪を振るう。結界に深々と刻まれる五本爪の跡が塞がるまもなく、ありったけの弾丸が綻びめがけて流し込まれる。自らの結界内で跳ね回る弾丸に全身を削られつつ、ぬえは縦横無尽の軌道で槍を振るった。

 穂先に天狗を引っ掛け、そのまま線路に叩きつける。バウンドして返ってきた彼女めがけてさらに突き出された槍が三股に分裂する。容赦なく眼球を、心臓を、急所を狙う攻撃をすりぬけ、天狗は無数の黒羽を散らして距離を置く。

 

閃光。

 

熱と爆音でコンクリートを灼いた爆炎の中からぬえが飛び出すと、獲物の槍を投擲する。文の真横をすり抜けた槍は直後に爆裂。くねる深緑の閃光と化して天狗を背後から攻撃する。前方からは新たな槍を携えて突撃するぬえの姿。

にやりと笑った文が結界を脱ぎ捨てて姿を消す。

深緑に染め上げられたトンネルが、まるでロウソクの火を吹き消したように再び暗闇に包まれる。

 

「ばぁ」

 

微動すれば鼻先が触れそうな距離に接近した文の指が、ぬえの額に触れていた。

 

「動かない。せっかくのお洋服、血で汚したりしたくないでしょう」

 

 文の手には未だくねる深緑色に発光する蛇が六匹握られていた。鵺の得意とする呪いで編まれたウロコを纏った蛇たちは、文の指に力が込められるにつれ輝きを失っていった。湿った音が響いて、ぼとぼとと暗闇に何かが落ちる音。ぬえの額から指が離れる。

 再び点った明かりはライターの灯だった。呪いの残骸と血に染まった手をトンネルの壁になすって、文はこれまでと一転して小太刀の鋒のように鋭い表情でぬえを見据えた。

 

「話をしましょう。私たちが一体誰に率いられているのか。そして、あなたが誰と行動を共にしているのかを」

 

◆◆◆

 

 レティの手にひどく不釣合いな代物――ライターを見た瞬間、ケンゴは素早く行動していた。背負った荷物の山から教授に頼まれたシートを取り出して被ると、姿勢を低く保つ。直後に火災警報のアラームが鳴り響いた。

 

「お利口ね。猪口才とも言えるけれど」

 

 感心したレティの声は、すぐさま水音にかき消された。天井に敷き詰められたスプリンクラーから一斉に振りそそいだもの。火災時にあっては人を救いうるものも、氷点下では死の液体だ。

 スプリンクラーの吹き出し口が完全に固まるまでの数十秒間、ケンゴはひたすら耐え続けた。そうしてパカパカに固まったシートを脱ぎ捨てる頃にはあたりの様子は一変していた。氷に閉ざされた牢獄。逃げ道を奪う氷によって気温が一回りは下がったように感じる。

 

「積極的に攻撃はしないんじゃなかったのか?」

「私はライターで遊んだだけよ。あなたを攻撃したのは、この建物」

「はん」

 

 服の上からでも肌を蝕む冷気は強まっていたが、まだまだケンゴは動ける。それよりも、何よりも、気にかかるのは。

 

「随分とこっちに詳しいんだな」

 

 彼女は現代での戦いに熟知している。というよりも、レティに入れ知恵した何者かが存在する。おそらくは現代の人間だ。

 

「まぁね。彼がそうしろと言ったことを実行しただけよ」

「彼?」

「そう。あなたと同じくらいの歳頃の男の子」

 

 そいつがぬえを欲しがっている。そう考えるだけで、ケンゴの中に言いようのない不安が湧いてくる。幻想郷を救うことのできるほどの力の男がこれ以上の力を欲することなどあるのだろうか。なにかもっと邪なことを考えているのではないか。まるで犬が自分の尾を追いかけるようにぐるぐると逡巡するケンゴを見て、レティは呆れ顔だった。

 

「門松」

「は?」

「好きなんでしょ、カドマツが」

 

 その不安。湧きどころがケンゴの中に芽生えたぬえへのある感情であることに気付けているのは、当人を差し置いて、この場でレティだけである。

 

「彼、あなたのことを羨ましがっていたわよ」

 

 やはり熱を生み出すものは道具ですら嫌いなのだろう。レティは忌々しげにライターを階下へと放り投げた。

 

「というか妬んでいたのかしら。私たちと彼の関係はなんというか――馬車馬と御者みたいなものだから」

「俺たちはどう見える?」

「野暮ね。少なくともあなたはこんな状況でもあの子が来ることを信じているように見えるわ。彼ならさっさと次の子を呼び出すでしょうけど」

 

 それはよく分かる気がした。数日前。もはや何ヶ月もむかしのことのように遠く感じるが、明け方の焼け跡でぬえを役立たずと罵倒したことをケンゴは覚えている。しかし今は安心している。彼女を信頼している。

 

「『心配しないで。何があっても、わたしが守る』」

「彼女が言ったの?」

 

 ケンゴは頷いた。

 何を敵と長々話しているのか。それをとっさに思い起こさせないほどにレティの表情は柔らかだった。フードコートでケンゴを否定した時とは違う。しかしそれも一瞬のことだ。

 

「なら、さっさと決着を付けないとね」

 

 もとの能面のような顔に戻って、彼女はふわふわと上階へと浮かんでいった。ケンゴには嫌でもそれが目に付く。三階部分の天井に設えられたドーム状の巨大な天窓。そこからぶら下がる大量の氷柱と、絶え間なく滴る水滴が。

 一階部分の扉は凍りついてビクともしなかったが、あそこはどうだろうかと考える。直射日光にさらされ続けるあの窓は、レティの能力の影響下にあっても完全には凍らないようだった。

 

「おい」

 

 胸元に声をかける。イチかバチかの賭けになるが、この状況でほかの選択肢は限られている。もぞもぞと這い回る蔓の感触が答えだった。

 

「手を貸せ」

 

 未だケンゴの体深くに根ざすアサガオは、思い切り脇の下を捻り上げることで意思を表した。痛みに飛び跳ねるケンゴを、物陰から戦慄の面持ちで見守る猫又。

 

「命令も果たせなかった奴がいい度胸してるじゃねえか。お前の主人のあの女は俺が倒した。なら今の主人は誰だ? あ?」

 

 とっさに頭を捻ってケンゴが発したその言葉が、どれほどあの花妖怪と似ていたか。朝顔は分厚く着込まれた衣服の中で軽くしょげた後に、諦めるように蔓を離した。それをとりあえずは協力の意と考えることにして、ケンゴはバッグから防寒具と一緒に調達したワイヤーを取り出す。

 重しの氷塊を先端にくくりつけながら、上階を目指す。天窓には補強用の鉄パイプが渡され、遠目にも氷の重みで相当な負荷がかかっていることが分かる。

 

「なんとなくやりたいことは分かるけど、やめておいたら?」

 

 吹き抜けをはさんで、レティが現れる。二人はどちらからともなく階下を見下ろす。たったの三階とはいえ、相当な高さがある。スタート地点であったフードコートの床には分厚く氷が張り、その冷たい輝きがケンゴの恐怖感を一層煽った。

 その恐怖を飲み下すように喉を鳴らすと、ケンゴは鉄パイプの一本に狙いをすます。

 

「ヘタすれば死ぬわよ」

 

 一投目は大きく右側にそれる。鉄柱を叩いた重しが下階のガラスを叩き割り、橙の遠い悲鳴が聞こえた。

 

「きっと、大丈夫さ」

 

 ワイヤーを引き戻して、二投目。今度は飛距離が足りない。それでもコントロールは徐々に良くなっている。

 

「あいつが来るって言うんだ。俺はそれを信じて戦う」

 

三度目の正直で、ワイヤーはぐるぐると鉄柱に巻き付いた。引っ張って鉄柱の強度を確認する。びくともしない。

 

「おめでとう。あとは天窓を割って、脱出するだけってことね」

 

 残された人々の命と引き換えに。幽香を下した青年がどのようなものか、多少は期待していただけにレティは少しだけ残念ではあった。人間と言えば人間らしい、生存の本能。もちろん幽香を倒した彼の価値がそれで下がるわけではないが。

 妖怪と心を通わせ、どんな巨悪をも打ち砕くようなヒーローの存在に、レティも少しばかり期待しすぎていたのかもしれない。

 

「誰がそんなことを言った?」

 

 不敵に笑ったケンゴにレティが問い返す前に、彼は勢いよく三階の吹き抜けから飛び出していた。それは必要以上の勢いだ。案の定バランスを崩したケンゴは空中で数度、落ち葉のように舞う。

 そして、ケンゴの右足に深々と巻き付いたワイヤーが伸びきった時。

 

「やだ」

 

橙が目と耳を覆った。レティが目を細める。鈍い音が響き渡り、ケンゴはホールの床へと投げ出された。苦痛に叫びながら、頭の片隅は冷静だ。ついに来るべき時が来てしまったように感じた。思い起こせばすべてが始まった日から、ひたすら足だけを執拗に狙い続けた因果が、この瞬間になってケンゴを直撃してしまった。

 あさっての方向に曲がってしまった足は折れたのか、関節が外れたのか。床を地虫のように這いずり回るケンゴの傍らにレティが降り立つ。ひしゃげた天井の鉄骨から伸びたままのワイヤーが、やけにグロテスクだった。

 

「何が、したかったの?」

 

 ケンゴはあえぐように口をぱくぱくと動かした。レティは口元へと耳を近づける。

 

「何ですって?」

「待って、た。ここに来るのを」

 

 ワイヤーは未だ、ケンゴの足と繋がっていた。そしてそこに這う不自然な自然。長く伸びたアサガオの蔓をレティは見て取る。彼女の背後で大きな破砕音。

 

「しまった」

 

 ケンゴの全体重をかけた一撃で緩みきった鉄骨に、アサガオの尋常ではない張力がトドメを刺した。避けようにも足下にはケンゴがいる。彼を生け捕りにしなければ、そもそもこの戦いの意味がなくなってしまう。

 

「嘘はウソってこと。イヤになるわ、あなたの相手をしていると」

 

 レティが傘のように展開した氷の障壁が、降り注ぐ鉄骨とガラスから二人を守った。避けるではなく、受けてしまった。それはつまり。ぜいぜいと息を切らしながらも、ケンゴは一抹の爽快さをたたえた面持ちでレティを見上げる。

 

「弾幕ごっこは俺の勝ちだ」

「よくもまあ、そんなザマでそんな口を叩けたものね」

 

 レティは氷塊が横たわるモールを端から端まで眺めた。ふっと息を吐くと、それが合図となったようにモールの中に温風が流れ始める。氷が急速に溶け始め、モールの中は惨憺たる様をあらわにし始める。しかし氷漬けから解放された人々は血色もよく、確かに息をしていることが臥せったままのケンゴからでもよく見えた。

 

「恩に着る。約束、守ってくれて」

「そこまでやるとは思ってなかったわ。びっくりさせてくれたお礼よ」

「あいつはよく血を流す」

 

 意味深なつぶやきを漏らして、ケンゴは天窓のあった場所にぽっかりと開いた穴を見上げた。夏の空はいつもどおりだ。夏が更け、幾分穏やかになった蝉の鳴き声と、入道雲を貫く飛行機雲。あの妖怪と出会ったのも、こんな空の下だった。それからの日々刺激的すぎた。だが、命の危機に陥る度に彼女が颯爽と駆けつけてきた。毎度毎度、頼んでもいないのに。

 

『きっと、大丈夫だよ』

 

 と、血だまりの中で微笑む彼女の姿はいつでも鮮明に思い出せる。橙を投げつけて、レティに語った言葉はほとんど真実だった。命は惜しいし、ケンゴは実際に臆病だ。だが。

 

「誰かのために血を流してみるのも、悪くないって思った」

 

 レティはケンゴを抱えて、仰向けにしてやる。彼女の周りだけが冷気に包まれていることにケンゴは気付いた。彼女の首筋を、つぅっと汗が滑っていく。

 

「暑いわ。やっぱり」

 

 氷点下での彼女からは一変して、その姿は陽光の下であまりにも弱々しい。めまいを抑えて、彼女はケンゴの隣に腰を下ろした。

 

「レティ!」

 

 橙が二人の前に姿を現した。弱りきったレティに駆け寄った彼女は、どこから引っ張り出してきたのか、氷のうを抱えている。

 

「ありがと。いい子ね」

 

 額に氷のうを当てるうち、レティは少しだけ体調を取り戻したようだった。レティは氷のうと、脂汗をだらだら流して横たわるケンゴを交互に見つめる。

 

「約束してくれたんでしょ、彼女。何があってもあなたを守るって」

「そう、だな」

「この氷が溶けきるまで待ってあげる。彼女が来たら、私は諦めるわ」

 

◆◆◆

 

「嘘だ」

「そうですよ。納得しましたか」

「嘘だ!」

「だから嘘なんですってば。全部、真っ赤な、嘘」

 

 銀色の軌跡がトンネルの壁面を舐めた。コンクリートを豆腐のように切り崩す一撃をこともなげに逃れて、文は距離をおいて着地する。

 

「あなたがケンゴのために戦う必要はもうありません」

 

 青ざめて唇をわななかせるぬえをあざ笑うでもなく、天狗は淡々と告げる。

 

「もとから必要などなかったのです。あなたはこの世界の欺瞞に巻き込まれ、幽香を倒した。倒してしまった。これで私たちの勝算は大幅に下がりました」

 

 でたらめに撃ち込まれる弾丸を避けようともせず、文は受け止め続ける。

 

「暴れれば気も済みますか?」

「うるさい。うるさいっ!」

 

 肉薄したぬえが文の胸ぐらをつかみあげる。ボタンが弾け、天狗の豊かな胸元があらわになる。鎖骨をなぞるように刻まれたもの。朝顔を象った、赤い燐光を放つ刻印。ぬえが息を呑む。

 

「これがあるから私たちは戦う。彼のために」

 

 文の全身を覆う結界が悲鳴を上げた。至近距離で撃ち込まれるぬえの拳と足。もはや弾幕など関係のない暴力の嵐に、クモの巣のように亀裂を生じて結界は崩壊寸前だ。火花と破片に彩られて、文の口元がコマ送りに言葉を紡いでいく。

 

――ここらで、いいでしょう。

 

 天狗がぬえの腕をひねりあげた。ぐるりと転回しつつ、ぬえの瞳が文の片手からこぼれ落ちた銀色の輝きをとらえる。キョウコの指輪。とっさに手を伸ばしたぬえの隙を、文は見過ごさない。ぬえの延髄めがけて蹴り込まれた爪先は結界に阻まれる。だがそれは文の想定するところだ。次いで赤漆の下駄先が爆炎を吹く。

 

「だっ!?」

 

 もちろん、その一撃で音を上げるほどヤワな防御を固めてはいない。しかし射命丸文全身全霊の一撃の勢いに押されたぬえはブロック壁をぶち破り、それを見た。

 

 合流する路線と、迫る眩い光を。

 

 まるで豆電球を踏みつけた時のような虚しい音を立てて、ぬえの結界が破裂した。数秒遅れてぎぎぎと嫌な音を立てて急停止する列車。翼を畳み込むと、文は線路を踏んだ。未だトンネルに充満した熱気。電気と機械と、錆の香り。

 

「流石にしばらくは動けないでしょう? というか死んじゃってませんよね、あやや」

 

 唖然とする乗客たちが、悠々と線路の上を歩く文に視線を注いでいた。彼女は完全にそれらを意識の外へと追いやっていた。先頭車両までやってくると、しゃがみこんでレールと車体の隙間を調べる。

 

「あぁ、いたいた」

 

 弱りきった獣のようなうめき声が、暗がりから聞こえる。夥しい赤が流れ出してくる。

 

「それじゃあ行きましょうか、百花境へ」

 

 文が片手を車体にかけ、ゆっくりとレールから車輪を浮かせていくのが見える。ぬえは手を伸ばす。銀の指輪をどうにかこうにか掌に収めると、意識の糸はぷっつりと音を立てて途絶えてしまった。

 

◆◆◆

 

 はじめの一人が目を覚ました時、あたりはガラリと様子が変わっていた。後に大規模な集団ヒステリーとして無理やりカタがつけられることになった出来事の証人は混乱する頭で必死に状況を整理しようと努めた。びしょ濡れの体と床、崩落した天井、そして、空に目をやって、彼の思考は完全に停止した。

 空に浮かぶ巨大な星が、ごうごうと不気味な唸りを上げていた。

 第二のパニックが始まろうとしていた。今度はH市全体で。

 溶け切った氷のうになど、誰も気づかない。

 

 

 

第四章『ガラスの檻』 おわり

 

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